兵庫大仏の能福寺(のうふくじ)へは地下鉄海岸線 中央市場前駅1番出口より徒歩10分で行ける。
神戸市兵庫区の能福寺(のう...
続きを読むふくじ)は、平清盛(たいら の きよもり1118−1181年)ゆかりの寺で1180年に宋との貿易拡大によって海洋国家の樹立を目指したとされる福原京遷都計画の際、平家一門の祈願寺に定められ、境内には平清盛廟がある。
能福寺は1894年に建立され金属回収令で国に供出される1944年までの間、奈良・鎌倉に次ぐ、日本三大大仏の1つとされた兵庫大仏を1991年に再建したことで有名だ。現在は高岡大仏(富山県高岡市、大佛寺)や岐阜大仏(岐阜県岐阜市、正法寺)などが日本三大大仏を自称しているので兵庫大仏が日本三大大仏のひとつとはいえないが、像重量約60トン、像高11メートル、蓮台と台座を含めると高さ18メートルの立派な大仏だ。
また1868年、神戸・三宮神社前で備前藩(岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らを射撃した神戸事件の責任を負い、永福寺で外国人検視者らの前で切腹した滝 善三郎(たき ぜんざぶろう1837−1868年)の墓があることでも知られている。
1862年には横浜市で薩摩藩・島津久光の行列の前で下馬しなかった騎馬のイギリス人を殺傷した生麦事件(なまむぎじけん)、1863年には横浜市でフランス士官を殺傷した井土ヶ谷事件(いどがやじけん)、1868年には大阪の堺市で土佐藩士がフランス水兵を殺害して神戸事件と同様に外国人検視者らの前で切腹した堺事件(さかいじけん)など攘夷事件が続いていたが能福寺も幕末の歴史を伝えている。
閉じる
投稿日:2012/01/09