岸里玉出駅
駅
3.21
クチコミ・評判
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岸里玉出駅
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- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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生根神社ちかく
- 3.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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南海「岸里玉出駅」から徒歩約5分の阿部野神社(あべのじんじゃ)
- 3.5
- 旅行時期:2010/03(約16年前)
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岸里玉出駅(きしのさとたまでえき)は、大阪府大阪市西成区玉出東一丁目の南海電気鉄道の駅。
阿部野神社(あべのじんじゃ)は... 続きを読む、大阪市阿倍野区北畠にある神社で南朝方として各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀っている。南海「岸里玉出駅」から徒歩約5分で参拝できる。
北畠 顕家(きたばたけ あきいえ1318−1338年)は「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」を著した北畠親房(きたばたけ ちかふさ1293−1354年)の長男で、1333年「建武の中興(けんむのちゅうこう1333−1336年)」成立のとき16歳で陸奥守に任ぜられ、義良親王(のりながしんのう1328−1368年=のちの後村上天皇)を奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられている。
1336年に足利尊氏(あしかがたかうじ1305−1358年)が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた功績で権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられたが「神皇正統記」によると1338年5月、1万8千の高師直(こうのもろなお 生年不明−1351年)軍と戦い、阿倍野合戦後、摂津国石津(現在の堺市西区浜寺石津町)で戦死したと伝えてられている。
顕家の墓は、北畠公園に所在する「大名塚」と呼ばれていた塚を、江戸時代の国学者並川誠所(なみかわ せいしょ1668−1738年)が北畠顕家の墳墓と比定したことにより、周辺を顕家戦没ゆかりの地として1733年に顕彰したものだそうだ。
閉じる投稿日:2012/02/05
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