木戸孝允旧宅
名所・史跡
3.43
木戸孝允旧宅 クチコミ・アクセス・周辺情報
萩 観光 満足度ランキング 7位
桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允が、20歳まで過ごした木造2階建て、瓦葺きの家。誕生の部屋など12部屋があり、当時のままの姿をよく残しています。幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。?実父の和田昌景は藩医だったので、藩医の生活を知る資料でもあります。建物内にはボランティアガイドが常駐し、詳しい説明を聞くこともできます。◆木戸孝允は、天保4年(1833)、萩藩医・和田昌景の長男として生まれました。後に藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京へと出て国事に奔走。慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本龍馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死。享年45歳。 幕末維新三傑の一人、木戸孝允誕生の地
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 2ページ目
21~40件(全67件中)
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幼少時代の書に感動
- 4.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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”維新の三傑”と詠われたにしては質素な生家
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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小五郎少年がイメージできる
- 3.5
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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かなり豪邸です
- 5.0
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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近代日本の礎を築いた木戸孝充が20年近く過ごした家がこちら
- 4.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 1
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晋作さんとご近所
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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維新三傑の質素な家
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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城下町散策がてら外から眺めるだけでも
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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木戸孝允生家 藩医和田家
- 4.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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近くの高杉晋作より、個人的にはこちらのが好きです!
- 4.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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木戸孝允誕生の地
- 2.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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静かで平和な佇まいと幕末の激動に時代がオーバーラップするかどうかは創造力次第
- 4.5
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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木戸ら維新三傑は新政府初期の悩ましい時代に早死に。
- 5.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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今回、初めて木戸孝允旧宅に入った。2階は公開されていないが、それでも、かなり広い。岩倉使節団で欧米を見てきており、展示され... 続きを読むている木戸の写真は洋装が似合っているが、髷をつけた時代の写真もりりしい。流石、京都の幾松を娶るだけのことはある。京都霊山護国神社の墓は参ったことがあるが、あそこでは幾松の墓も一緒だ。
吉田松陰の主な弟子たちは早死にしてしまい、残った伊藤博文が木戸の岩倉使節団に加わることになる。1864年に長州ファイブの一人としてロンドン大学で勉強したのは、松陰の弟子では伊藤博文だけだったのだ。英語ができ国際性を身につけた伊藤にはその分、重い役回りが来ることになる。薩長閥とよく言われるが、1878年(明治11年)には木戸、西郷、大久保の維新三傑はみんな死んでしまったのだ。
その後、明治政府は不平等条約を廃して日英同盟が可能になるまで、日本の形作りができるまでに時間が相当必要となった。海外での憲法調査などで中心的な活躍をした人たちは大変な苦労をしているのだが、そこらあたりは、ドラマでもちっともポピュラーにはならない。海外情報をきちんと勉強しないとドラマや小説は書きにくいからだろう。実際、安っぽい小説程度が氾濫してしまうのだ。幕末と維新のわずかな期間への注目度が少し過ぎるのかもしれない。官軍が勝ったからといって近代日本がすぐにできたわけではないのだが。。。(このあたりの情報は瀧井一博「文明史のなかの明治憲法」(講談社)などが参考になる。)
木戸は、吉田松陰とその弟子グループとは少し距離があり、冷静に動いていたように思う。維新後、木戸は10年間もなんとかよく頑張ったと思う。その後の苦労は伊藤等が引き継いだ。そこには一般の注目はあまり集まらないが。。。国際性がなくては、その後の政治活動は不可能だったのだ。松陰や西郷や福澤のみならず、アジア進出をすぐ考える人たちが多かったのだが、この点を警戒した木戸や大久保や伊藤たちの歯止めはだんだんと効かなくなってくる。
木戸の家を訪問し、そんなことを考えていた。彼は世界情勢がかなりわかっており、悩める男だったのだ。単純に日本だけの事情で動こうとする人たちや軍人中心になってくると、国際関係は制御できなくなる。外国語や国際交流が苦手な普通の日本人の性格は今に始まったことではない。明治初期の早く目覚めた一握りの日本人達の苦労は私にはよくわかる。 閉じる投稿日:2016/06/23
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ひろーいお屋敷なのよー
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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江戸屋横丁にある小さな旧宅
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 2
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萩城城下町といわれる江戸屋横丁に面しています。
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 1
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結構長い間住んでいたみたいです。
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 1
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ボランティアの方
- 4.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 0
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江戸屋横町にある見学施設
- 3.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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保存状態も良く涼しげ
- 3.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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