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木戸孝允旧宅

名所・史跡

木戸孝允旧宅 クチコミ・アクセス・周辺情報

萩 観光 満足度ランキング 7位

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桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允が、20歳まで過ごした木造2階建て、瓦葺きの家。誕生の部屋など12部屋があり、当時のままの姿をよく残しています。幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。?実父の和田昌景は藩医だったので、藩医の生活を知る資料でもあります。建物内にはボランティアガイドが常駐し、詳しい説明を聞くこともできます。◆木戸孝允は、天保4年(1833)、萩藩医・和田昌景の長男として生まれました。後に藩士・桂家の養子となり“桂小五郎”の名でも知られています。藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、文久2年(1862)藩の要職に就き京へと出て国事に奔走。慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本龍馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。維新後は、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました。明治10(1877)年、西南の役の途中で病死。享年45歳。 幕末維新三傑の一人、木戸孝允誕生の地

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    木戸孝允旧宅

    4.0

    • 旅行時期 2025/03
    • by pockyさん

    萩城下町は、初めてでなく 何度目かの訪問になるので 少し町並みを楽しんで一か所くらい入ろうかと 西郷隆盛と大久保利通と共に...  続きを読む「維新の三傑」と呼ばれた木戸孝允旧宅に入りました 維新ファンでも、なくてもぜひ行ってほしい場所だ 木造建築なので古民家感はかなり感じるが とてもりっぱなお宅で素敵な間取り これからも保存をして頂きたい場所だ  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~40件(全67件中)

  • 幼少時代の書に感動

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/10(約6年前)
    • 0

    桂小五郎の名でも知られ、生まれてから約20年過ごした2階建ての家。1階のみ公開。誕生の間や幼少時代に手習いの書を表装した掛...  続きを読む軸を見る事ができますが、とても幼少期とは思えない書に驚きです。庭に大きなソテツの木が植わっていますが、漢方医の父が実を薬に使用していたそうです。松の木は盆栽だったものを植えたたも小さめのようです。高杉晋作の旧家とも近く城下町散策では必見です。  閉じる

    投稿日:2019/10/27

  • ”維新の三傑”と詠われたにしては質素な生家

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/09(約6年前)
    • 4

    木戸孝允旧宅は、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていた萩城城下町の江戸屋横丁沿いにあります。”維新の三傑”と詠われたにしては板...  続きを読む塀など質素な生家です。
    階級社会の江戸時代から明治時代への移り変わりが分かるような感じです。  閉じる

    投稿日:2019/10/17

  • 小五郎少年がイメージできる

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/04(約7年前)
    • 0

    木戸孝允だとピンと来なかったですが、ここで桂小五郎と同一人物と知りました。
    藩校明倫館で吉田松陰から学んでいたからか、展...  続きを読む示されていた小五郎少年の手習いからは、子どもの時からしっかりした性格が伺えます。
    入場料100円と安いです。  閉じる

    投稿日:2020/02/17

  • かなり豪邸です

    • 5.0
    • 旅行時期:2019/03(約7年前)
    • 0

    かなりの豪邸だなと思ったら、木戸孝允は、萩藩医のご子息でお坊ちゃまです。こちらの家は木戸孝允の誕生地でもあるので、豪邸は納...  続きを読む得ですね。立派な門の前に「木戸孝允誕生地」の石碑がありました。木造浅瓦葺きの2階建てでしっとりとした和風建築の邸宅です。  閉じる

    投稿日:2019/10/18

  • 今年の大河ドラマ『西郷どん』にも登場している大久保利通らとともに、近代日本の礎を築いた木戸孝充が20年近く過ごした家がこち...  続きを読むら。
    萩城下町の呉服町にある木造2階建ての家には12もの部屋があり、当時のままの姿をかなりとどめています。建物内部に入る場合は入館料100円がかかりますが庭先から中を見ることができ、建物内部に入らなければ無料で見学することができます。  閉じる

    投稿日:2018/10/22

  • 晋作さんとご近所

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/08(約7年前)
    • 0

    木戸孝允が生まれ育った家が萩の城下町にありました。富豪の家という感じではありませんが、石垣、板塀、瓦屋根が古いながらもしっ...  続きを読むかり組まれていました。時代を変えた志士たちが狭い地域に生まれ育ったのは、その環境による影響もあると感じました。  閉じる

    投稿日:2018/09/05

  • 維新三傑の質素な家

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/06(約8年前)
    • 0

    萩の城下町の中にある江戸屋横町にありました。まずは円政寺に参詣した後に進んで行くと、青木周弼旧宅があり、その先にこの木戸孝...  続きを読む允旧宅がありました。維新三傑に数えられる木戸孝允の家としては質素だなと感じました。  閉じる

    投稿日:2018/06/28

  • 城下町散策がてら外から眺めるだけでも

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約8年前)
    • 0

    なんとか閉館前に行こうと思ってましたが、間に合わず、外から眺めるだけでした。
    ただ、庭のようなスペースに入ることはできて...  続きを読む、建物の外観を見ることはできました。
    直後城下町散策がてら外から眺めるだけでも楽しいと思います。
      閉じる

    投稿日:2018/05/26

  • 木戸孝允生家 藩医和田家

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/04(約8年前)
    • 0

    萩城下町にあります。入場料大人100円。
    木戸孝允、桂小五郎、和田小五郎、木戸準一郎など複数の名前を持つ孝允の生家、藩医...  続きを読む和田家の二階建ての住宅です。8歳で桂家の養子となり、養母死去により再びこの生家に戻り20歳まで過ごしたとか。
    宅内に褒め言葉が書かれた、少年期の見事な手習いが展示されているので是非観てください。  閉じる

    投稿日:2020/01/14

  • 高杉晋作の旧家に近いため、続けて見に行きました。
    こちらも同じ入場料ですが、受付の方が
    他にお客さんがいなければ色々お...  続きを読む話を聞かせていただけました。
    また、写真撮影も気さくにしていただき良かったです。
    こちらは北側のお庭も奇麗で、部屋に上がれますので
    ゆっくりと昔をしのんでくつろいでみてはいかがですか?  閉じる

    投稿日:2017/06/04

  • 木戸孝允誕生の地

    • 2.0
    • 旅行時期:2017/03(約9年前)
    • 0

    ここ萩の城下には木戸孝允や高杉晋作の旧家があります。いずれも歩いてすぐなので、維新好きの人にはたまらないと思いますが、特に...  続きを読むファンでない人には古い家があるだけになってしまいます。
    近くには博物館もあり城下町散策は最高でした。  閉じる

    投稿日:2017/03/09

  • 木戸孝允旧宅も、青木周弼旧宅と並んで、建物の保存状態がよくて気持ち良い空間。青木周弼旧宅よりもこっちの方が一回り大きい感じ...  続きを読むでもあります。
    維新の三傑と詠われた木戸は、坂本竜馬の仲介で薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと交渉し、薩長同盟を結んだ長州藩の代表。邸内には幼い時の手習いや家系図などちょっとした展示もありますが、この邸宅の雰囲気を味わうのが一番。静かで平和な佇まいと幕末の激動に時代がオーバーラップするかどうかは創造力次第。それぞれが自由に楽しめる場所だと思います。
      閉じる

    投稿日:2016/10/14

  • 今回、初めて木戸孝允旧宅に入った。2階は公開されていないが、それでも、かなり広い。岩倉使節団で欧米を見てきており、展示され...  続きを読むている木戸の写真は洋装が似合っているが、髷をつけた時代の写真もりりしい。流石、京都の幾松を娶るだけのことはある。京都霊山護国神社の墓は参ったことがあるが、あそこでは幾松の墓も一緒だ。

    吉田松陰の主な弟子たちは早死にしてしまい、残った伊藤博文が木戸の岩倉使節団に加わることになる。1864年に長州ファイブの一人としてロンドン大学で勉強したのは、松陰の弟子では伊藤博文だけだったのだ。英語ができ国際性を身につけた伊藤にはその分、重い役回りが来ることになる。薩長閥とよく言われるが、1878年(明治11年)には木戸、西郷、大久保の維新三傑はみんな死んでしまったのだ。

    その後、明治政府は不平等条約を廃して日英同盟が可能になるまで、日本の形作りができるまでに時間が相当必要となった。海外での憲法調査などで中心的な活躍をした人たちは大変な苦労をしているのだが、そこらあたりは、ドラマでもちっともポピュラーにはならない。海外情報をきちんと勉強しないとドラマや小説は書きにくいからだろう。実際、安っぽい小説程度が氾濫してしまうのだ。幕末と維新のわずかな期間への注目度が少し過ぎるのかもしれない。官軍が勝ったからといって近代日本がすぐにできたわけではないのだが。。。(このあたりの情報は瀧井一博「文明史のなかの明治憲法」(講談社)などが参考になる。)

    木戸は、吉田松陰とその弟子グループとは少し距離があり、冷静に動いていたように思う。維新後、木戸は10年間もなんとかよく頑張ったと思う。その後の苦労は伊藤等が引き継いだ。そこには一般の注目はあまり集まらないが。。。国際性がなくては、その後の政治活動は不可能だったのだ。松陰や西郷や福澤のみならず、アジア進出をすぐ考える人たちが多かったのだが、この点を警戒した木戸や大久保や伊藤たちの歯止めはだんだんと効かなくなってくる。

    木戸の家を訪問し、そんなことを考えていた。彼は世界情勢がかなりわかっており、悩める男だったのだ。単純に日本だけの事情で動こうとする人たちや軍人中心になってくると、国際関係は制御できなくなる。外国語や国際交流が苦手な普通の日本人の性格は今に始まったことではない。明治初期の早く目覚めた一握りの日本人達の苦労は私にはよくわかる。  閉じる

    投稿日:2016/06/23

  • ひろーいお屋敷なのよー

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/05(約10年前)
    • 0

    今回は「維新のふるさと」とも言われている憧れの城下町を散策する旅行です。伊勢屋横町を抜け東側に広がる江戸屋横町に北側から入...  続きを読むりました。木戸孝允旧宅(桂小五郎)は、西郷隆盛や大久保利通と共に維新の三傑と呼ばれました。萩藩医の和田政景の長男として生まれ8歳の時に近隣の桂家に養子に出され、桂小五郎と名乗っていましたが、養父母が亡くなったため実家に引き取られ20歳まで、この旧宅で過ごしていたそうです。旧宅は木造2階建ての桟瓦葺の建物です。当時の姿を今に残している部屋や庭は貴重な史跡です。また幼少期の手習いの書や写真なども展示されていました。  閉じる

    投稿日:2018/06/12

  • 江戸屋横丁にある小さな旧宅

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/04(約10年前)
    • 2

    桂小五郎の名前で思い出す方もいるかもしれませんが、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと薩長同盟を結び明治政...  続きを読む府に尽力した人物の旧家です

    木造茅葺の小さな家で、掛け軸などを見ることができます
    この辺りは団体の観光客も多く訪れるので、時間が被ると見るのが大変です
      閉じる

    投稿日:2016/11/13

  • 萩城外堀より東にあります。木戸孝允の誕生地であり旧宅は城下町の面影を残している伊勢屋横丁に面しています。木戸家は藩医の家柄...  続きを読むでしたが桂家の養子になり武士として藩に仕えました。住宅は高杉晋作誕生地の家と同様に質素な作りの印象です。  閉じる

    投稿日:2016/05/03

  • 結構長い間住んでいたみたいです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 1

    萩の城下町を南北に通る道の一つで東の端にある、江戸屋横丁っていう綺麗な通りにあります。
    もともと藩医だった木戸家この家で...  続きを読む生まれて、桂家に養子に行ったあとも、色んな事情で二十年間くらい江戸に出て行くまでここに住んでいたそうです。
      閉じる

    投稿日:2016/07/22

  • ボランティアの方

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    ボランティアの方が受付のところにおり、詳しく説明をしてくれたので非常に充実した見学をすることができた。木戸の写真や木戸の書...  続きを読むなどが展示されていた。萩市文化財施設1日券が使用できた。城下町の中心部にあり、道が碁盤の目のようになっている一角にあった。  閉じる

    投稿日:2016/04/25

  • 江戸屋横町にある見学施設

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    萩市文化財施設1日券(9施設共通・310円)対象施設。
    江戸屋横町にあるからか、平日で他の地域ではわりと閑散としていたの...  続きを読むに、ここはなかかなか賑わっていた。
    幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸や写真などが展示されていた。  閉じる

    投稿日:2016/04/03

  • 保存状態も良く涼しげ

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/08(約10年前)
    • 1

    幕末の志士、桂小五郎こと木戸孝允の旧宅です。
    入場料は大人100円で、常駐の説明員2名が解説してくれます。
    小さな立志...  続きを読む像や当時の城下町ミニチュア、広い庭と、複数の見どころがあります。
    真夏の猛暑でしたが、宅内は風通しがよくとても涼しげでした。  閉じる

    投稿日:2016/05/29

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
木戸孝允旧宅
住所
  • 山口県萩市呉服町二丁目37
電話番号
0838-25-3131
アクセス
・JR山陰本線東萩駅から徒歩25分
・中国自動車道美祢東JCTから車20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車20分(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)→ 中央公園駐車場から徒歩3分(最寄り駐車場利用の場合)
駐車場
有り
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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