歴史の里菅浦
名所・史跡
3.28
クチコミ・評判
1~8件(全8件中)
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奥琵琶湖の果ての集落
- 3.5
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
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淳仁天皇(758年即位)に関する伝説の地
- 4.5
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
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孝謙上皇(天皇)の傀儡とも云われた淳仁帝は上皇が当初恵美押勝を重用していましたが、後に道鏡を寵愛することを諫め不仲となり... 続きを読むます。そこで起きたのが恵美押勝の乱。孝謙太上天皇・道鏡と対立した太師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件で、淳仁は廃位され淡路国に流された。代わって孝謙が重祚した(称徳天皇)。と云うのが歴史の通説。ここ菅浦では「淡路」が「淡海」と云うのが正しい歴史。菅浦で隠棲生活を送った淳仁帝はこの地で亡くなり、須賀神社では舟形の石組みで本殿の周囲を囲み御陵として手厚く祀っているという。今も住民のM皆さんは素足でお参りするとうかがってきました。 閉じる
投稿日:2020/07/07
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淳仁天皇隠棲伝説の村
- 5.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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白洲正子さんの愛した隠れ里
- 4.0
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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「つづらお」さんに宿泊した折に散策。
一見すると、田舎によくある普通の集落のようだが、その昔は水路しか交通手段がなく、そ... 続きを読むの特殊性故に、国の重要文化的景観にも指定されており、過去には独立した自治権を有していたこともあったとか。
村の境界には、茅葺きの四足門が設けられていて、外部から来た怪しい人間はシャットアウトする仕組みになっていたとのこと、さらには、淳仁天皇に由来するといわれる須賀神社もひっそりと佇む。
今回は地元出身のスタッフの方がガイドして下さったので、歴史的なことや昔の様子などもよく分かり楽しかったが、自分たちだけでふらりと見て回るのもいいかも知れない。
ただし、当然ながら現在も60戸ほどの方達が生活している場なので、くれぐれも失礼のないように注意が必要だと思います。
閉じる投稿日:2017/06/26
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隠れ里菅浦集落は吹雪だった。
- 5.0
- 旅行時期:2017/01(約9年前)
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中世の香りを残す四足門が印象的な隠れ里
- 5.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
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かつての監視門であった茅葺きの四足門(しそくもん)に惹かれて
菅浦集落を散策しました。
バス便は少なく、永原駅から菅浦... 続きを読むまで8?だそうです。
駅で尋ねるとお出かけワゴン 1乗車¥200を利用できるとの事。
運転手さんとの会話も興味深く、時間が早ければ、駅でレンタサイクルをかりて走るのもいいと思います。
四足門は最近新しくされたようで、苔むした茅葺を期待していてちょっとがっかりでした。
湖岸沿いの集落が湖面に映り込んで綺麗でした。
季節を変えて散策したいところです。
平地が少ないために岬の沿岸に集落が密集しています。
琵琶湖と山並みに囲まれた自然豊かな地域で
ここに住む菅浦の人々は古代より漁業や林業など様々な生業によって
生活をする独特の文化を築いてきました。
中世には全国でもいち早く。
惣(そう)と呼ばれる自治的村落をつくり
村としての結束を深く結んでいました。
鎌倉時代から江戸時代にかけての集落の動向を記した
「菅浦文書(重要文化財)」が残っています。
閉じる投稿日:2016/08/23
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封印された歴史が今に生きている
- 5.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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奥琵琶湖パークウエイが開通するまでは、正式な陸路が無かった菅浦地区だ、今も百数の戸数しか住んでおらず、長男以外は地区を出... 続きを読むて生活するというのが、仕来りとか。住戸面積、田畑等から推定される判断でしょう。加えて、恵美押勝の乱がきっかけとなり、廃帝となった淳仁天皇が隠棲したという伝説も生きている、歴史に閉ざされた風景が目の前に開ける。
話は今世紀に戻るが、我が寅さんも第47作「拝啓車寅次郎様」で、マドンナかたせ梨乃と菅浦を散策する。山田組のロケ班と隊長五十嵐さんの大手柄でしょう。そんな風景が今も残る地区内を散策していると、現実と歴史とが微妙に入り混ざったタイムスリップしたような錯覚にはまる。昔は、集落の四隅にあったという一番奥の「四足門」迄行き引き返すと、集落の入口でその一つが修復されている現場に出会わした。こんなシーンは願っても観られ無いだろう。 閉じる投稿日:2015/09/17
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琵琶湖のかくれ里
- 3.5
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
- 1
菅浦は山と湖に囲まれた孤立した地形ゆえに、遥か昔からのかくれ里として知られています。中世から惣と呼ばれる自治体制が発達し、... 続きを読む掟によって村の秩序が保たれてきたそうです。その隠れ里を示すエピソードとして、昭和46年に奥琵琶湖パークウェイが開通して周辺道路が整備されるまで、里人の交通手段は昔ながらの船だったようです。
今も約80~90軒ほどが残っていますが、今もかくれ里の風情をしのばせる、閑静でのどかな佇まいです。白洲正子の近畿地方を中心とした日本の山里を歩き、取材した紀行文集である“かくれ里”にも記されています。
このままそっとしておいた方がいいような里の風景でした。 閉じる投稿日:2011/07/24
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