淳仁天皇(758年即位)に関する伝説の地
- 4.5
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
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by 河内温泉大学名誉教授さん(男性)
奥琵琶湖 クチコミ:5件
孝謙上皇(天皇)の傀儡とも云われた淳仁帝は上皇が当初恵美押勝を重用していましたが、後に道鏡を寵愛することを諫め不仲となります。そこで起きたのが恵美押勝の乱。孝謙太上天皇・道鏡と対立した太師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件で、淳仁は廃位され淡路国に流された。代わって孝謙が重祚した(称徳天皇)。と云うのが歴史の通説。ここ菅浦では「淡路」が「淡海」と云うのが正しい歴史。菅浦で隠棲生活を送った淳仁帝はこの地で亡くなり、須賀神社では舟形の石組みで本殿の周囲を囲み御陵として手厚く祀っているという。今も住民のM皆さんは素足でお参りするとうかがってきました。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2020/07/07
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