小倉城
名所・史跡
3.96
小倉城 クチコミ・アクセス・周辺情報
小倉・北九州市中心部 観光 満足度ランキング 1位
1602年(慶長7)、細川忠興公が約7年の歳月を経て築上した小倉のシンボル。初期天守の望楼に通じる外観構造「唐造り」の名城として知られて おり、現在は高度な技術を駆使した展示などが人気です。 平成31年春リニューアルオープンしました。
ピックアップ クチコミ
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満足度の低いクチコミ
九州の要であった譜代の城 ~ 小倉城
2.5
- 旅行時期 2023/09
- by 機乗の空論さん
JR小倉駅から徒歩10分で行ける近くて便利な「小倉城」は小倉のシンボルで、城跡公園としても市民や観光客の日常的なオアシスに... 続きを読むも成っています。 藩主・細川忠興39万9千石の小倉藩を立藩し居城として藩政を敷き、小倉を起点に五街道を整備をし政治・経済における交通・物流・人の流れの要衝として発展を遂げて来ました。 その後は、小笠原忠真に代わり幕末まで代々続いた譜代大名として栄えて来ました。 しかし、歴史は皮肉なもので徳川譜代大名ゆえに戊辰戦争においては憎き敵のように小倉城は砲弾によって破壊され、象徴である天守は焼失し陥落しました(隅櫓・各門なども)。 もし、天守や隅櫓などが残っていれば当時の姿の天守などを観ることが出来たかもしれませんね。 しかし、太平洋戦争で米軍からの本土大空襲を受けていれば八幡同様に焼け野原に成って何も残ってなかったかも知れませんが?(小倉は旧陸軍の軍都でしたから)。 それでも内濠から眺める石垣と天守の美しさは紛れもない小倉城として後世に残したいです。 閉じる
クチコミ・評判 11ページ目
201~220件(全244件中)
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案外とおもしろい
- 3.5
- 旅行時期:2013/09(約13年前)
- 1
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こんなに立地の良い観光地はない
- 4.5
- 旅行時期:2013/09(約13年前)
- 0
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ミニチュアの城下町
- 4.5
- 旅行時期:2013/08(約13年前)
- 0
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観光地化されています
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
- 0
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なんてキレイなお城なんでしょう
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
- 0
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かわいらしいお城です
- 3.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
- 0
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お城好き
- 4.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
- 0
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お城からの景色がいい
- 4.5
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
- 0
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小倉のシンボル
- 3.5
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
- 1
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こじんまりとした天守閣
- 3.5
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
- 0
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第二次長州征伐の激戦地
- 5.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
- 0
小倉城は、13世紀中頃に築かれたとされる。安土桃山時代か江戸時代に、毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き... 続きを読む、細川忠興が南蛮造の天守を建てた。
1837年天守閣と御殿が焼失したため、天守台には「御三階」を建て、天守の代用とした。現在の天守は昭和30年代に、鉄筋コンクリートで復元されたものである。
第二次長州征伐では、小倉藩主で老中の小笠原長行が指揮する幕府軍と、高杉晋作が率いる長州藩が小倉口で戦った。幕府軍は優勢な海軍力を有しながら、渡海侵攻を躊躇している間に長州勢の田野浦上陸と大里上陸を許し、主導権を奪われた。やがて小笠原の消極的態度に業を煮やした諸藩は撤兵し、小倉藩単独での戦闘を余儀なくされると、小笠原も将軍家茂死去を理由に戦線を離脱した。小倉藩は小倉城に火を放ち、香春に撤退した。 閉じる投稿日:2015/02/15
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小倉城
- 5.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
- 0
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ちょっと変わった形です。
- 4.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
- 0
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歴史ある名城
- 4.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
- 0
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威風を放つ北九州・小倉のシンボル
- 4.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
- 0
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小倉城
- 3.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
- 0
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小倉城
- 3.0
- 旅行時期:2012/09(約14年前)
- 0
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小倉城
- 3.5
- 旅行時期:2012/08(約14年前)
- 0
関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。この地を抑えるために 繰りひろげら... 続きを読むれた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。
小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはし あきたね)や毛利勝信(もうり かつのぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわ ただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。
忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。
細川氏熊本転 封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真(おがさわら ただざね)が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。
この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄しました。
小笠原忠苗(ただみつ)の時期には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつくられています。しかし、1837年城内から発した火災によって全焼。2年後に再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。
幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。
明治10年の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征しました。
その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。太平洋戦争後は米国に接収されましたが、1957年に解除され、1959年市民の熱望によって天守閣が再建されました。
この天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積み(のづらづみ)で、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。
閉じる投稿日:2012/08/09
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北九州:小倉城
- 3.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 0
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実はアトラクション
- 4.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 0
投稿写真
基本情報(地図・アクセス・営業時間)
- 施設名
- 小倉城
- 住所
-
- 福岡県北九州市小倉北区城内2-1勝山公園内
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- 大きな地図を見る
- 電話番号
- 093-561-1210
- アクセス
- 小倉駅から徒歩で15分
- 営業時間
- [4月1日~10月31日] 9:00~18:00
[11月1日~3月31日] 9:00~17:00
- 予算
- 子供 100円
大人 350円
その他 200円 中高生
- その他
- 築城年代1: 慶長7年
バリアフリー設備: 車椅子対応トイレ ○
バリアフリー設備: 障がい者用P ○
バリアフリー設備: オムツ交換台 ○
バリアフリー設備: 点字案内 ○
バリアフリー設備: 車椅子貸出 ○
バリアフリー設備: 介添サービス ○
バリアフリー設備: 盲導犬の受け入れ ○
- 公式ページ
- 詳細情報
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このスポットに関するQ&A(0件)
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