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藤樹書院跡

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藤樹書院跡 クチコミ・アクセス・周辺情報

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  • 満足度の高いクチコミ

    日本陽明学の祖、中江藤樹の住居・講堂跡

    4.0

    藤樹書院跡は、日本陽明学の祖、中江藤樹の住居・講堂跡。けっこう広い敷地の中に悠々と建っていますが、今の建物は明治になって再...  続きを読む建されたもの。 椅子がたくさん並んでいるのは、来訪者に中江藤樹の人なりを伝えるためでしょうか。この日は、中国からの団体が来ていて、日本の陽明学者がこんなにも大事にされているのを知って大感激していました。「致良知」の書は、心の本来のあり方は理と合致する良知であるという思想。身分の上下をこえた平等思想も説いていて、近江聖人とも。ただ、江戸時代前期の時代を思うとかなり特異な人物ではなかったかと思います。   閉じる

クチコミ・評判

3.3

(6件のクチコミ)
アクセス:
3.58
滋賀県高島市安曇川町 by teratanichoさん
人混みの少なさ:
3.92
バリアフリー:
3.40
見ごたえ:
3.58

1~5件(全6件中)

  • 藤樹の私塾

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/08(約4年前)
    • 0

    中江藤樹の私塾を再建したもので、綺麗に整備されていました。無料の駐車場もありました。道の駅から少し住宅の方に入ったところで...  続きを読む、陽明園、藤樹記念物、藤樹神社と回ってその先にあり、藤樹関係の散策の目的地になりました。  閉じる

    投稿日:2021/08/29

  • 近江聖人の私塾跡

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/12(約6年前)
    • 0

    滋賀県高島市安曇川町にある近江聖人「中江藤樹」の私塾跡。江戸時代の陽明学者で安曇川を離れ愛媛の大洲で勉学を目指し27歳で脱...  続きを読む藩帰郷して私塾を開きました。藤樹の号は実家が大きな藤の木の下にあったことからだそうです。落ち着きある書院の中にもスタッフの案内で入れます。綺麗に保持されています。  閉じる

    投稿日:2020/02/26

  • 勉学に使われた書院!

    • 3.5
    • 旅行時期:2012/10(約13年前)
    • 0

    道の駅あどがわから民家の中を歩いていくと藤樹先生と書かれた
    立て札などが見られます。
    道の駅の名前にも藤樹の里とついて...  続きを読むいるので気になっていましたが
    中江藤樹さんという先生がこの書院で門弟や村の人達と勉学に励んだ
    教室でした。
    近くには藤樹神社もあります。
    明治13年の家事で焼けてしまいましたが遺品などが残っていたので
    明治15年に再建されました。



      閉じる

    投稿日:2012/10/10

  • 中江藤樹(なかえ とうじゅ1608−1648年)は、近江出身の陽明学者で近江聖人といわれている。近江国高島郡小川村で生れ9...  続きを読む歳で祖父に引き取られ、伯耆国米子から伊予国大洲(おおず)に移り、祖父の死後大洲藩に出仕した。
    京都から来た禅僧の「論語」講義聴講をきっかけに、「四書大全(ししょたいぜん)」で朱子学(しゅしがく)を独学。
    27歳で近江に残る母への孝養を理由に脱藩し、帰郷して学問に専念し藤樹書院という塾を開いた。
    37歳のとき、王陽明(おうようめい1472−1529年)の思想に傾倒した。「朱子学は頭の学問 陽明学は心の学問」といわれるが、藤樹は朱子学の学問重視の考えでは理に到達することはできない、日常生活の中での実践を通して心に理をもとめる実践儒学・陽明学の思想のほうが正しいと考えた訳だ。
    1648年、藤樹が亡くなる半年前に郷里・滋賀県高島市に「藤樹書院」を開き、門人の教育をした。平等思想を説き熊沢蕃山(くまざわ ばんざん1619−1691年)ら武士、商工町人まで広く門人が集まった。幕末の尊皇攘夷運動は吉田松陰(よしだしょういん1830−1859年)、高杉晋作(たかすぎ しんさく1839−1867年)、西郷隆盛(さいごう たかもり1828−1877年).、佐久間象山(さくま ぞうざん1811−1864年)らが陽明学に影響を受けており、大塩平八郎(おおしお へいはちろう1793−1837年)は町人の革命・大塩平八郎の乱(1837年)を起こした。中江藤樹は日本の歴史に革命をもたらす影響を与えた思想家の一人であった。
    アクセス――― JR湖西線「安曇川駅」下車 徒歩 15 分.

      閉じる

    投稿日:2013/01/04

  • 中江藤樹(なかえ とうじゅ1608−1648年)は、近江出身の陽明学者で近江聖人といわれている。近江国高島郡小川村で生れ9...  続きを読む歳で祖父に引き取られ、伯耆国米子から伊予国大洲(おおず)に移り、祖父の死後大洲藩に出仕した。
    京都から来た禅僧の「論語」講義聴講をきっかけに、「四書大全(ししょたいぜん)」で朱子学(しゅしがく)を独学。
    27歳で近江に残る母への孝養を理由に脱藩し、帰郷して学問に専念し藤樹書院という塾を開いた。
    37歳のとき、王陽明(おうようめい1472−1529年)の思想に傾倒した。「朱子学は頭の学問 陽明学は心の学問」といわれるが、藤樹は朱子学の学問重視の考えでは理に到達することはできない、日常生活の中での実践を通して心に理をもとめる実践儒学・陽明学の思想のほうが正しいと考えた訳だ。
    1648年、藤樹が亡くなる半年前に郷里・滋賀県高島市に「藤樹書院」を開き、門人の教育をした。平等思想を説き熊沢蕃山(くまざわ ばんざん1619−1691年)ら武士、商工町人まで広く門人が集まった。幕末の尊皇攘夷運動は吉田松陰(よしだしょういん1830−1859年)、高杉晋作(たかすぎ しんさく1839−1867年)、西郷隆盛(さいごう たかもり1828−1877年).、佐久間象山(さくま ぞうざん1811−1864年)らが陽明学に影響を受けており、大塩平八郎(おおしお へいはちろう1793−1837年)は町人の革命・大塩平八郎の乱(1837年)を起こした。中江藤樹は日本の歴史に革命をもたらす影響を与えた思想家の一人であった。

    アクセス――― JR湖西線「安曇川駅」下車 徒歩 15 分.
      閉じる

    投稿日:2011/11/24

1件目~5件目を表示(全6件中)

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
藤樹書院跡
住所
  • 滋賀県高島市安曇川町上小川211
アクセス
JR湖西線安曇川駅から徒歩20分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

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