大塩平八郎に影響を与えた中江藤樹の私塾、藤樹書院跡
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- 旅行時期:2009/04(約17年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
高島 クチコミ:9件
中江藤樹(なかえ とうじゅ1608−1648年)は、近江出身の陽明学者で近江聖人といわれている。近江国高島郡小川村で生れ9歳で祖父に引き取られ、伯耆国米子から伊予国大洲(おおず)に移り、祖父の死後大洲藩に出仕した。
京都から来た禅僧の「論語」講義聴講をきっかけに、「四書大全(ししょたいぜん)」で朱子学(しゅしがく)を独学。
27歳で近江に残る母への孝養を理由に脱藩し、帰郷して学問に専念し藤樹書院という塾を開いた。
37歳のとき、王陽明(おうようめい1472−1529年)の思想に傾倒した。「朱子学は頭の学問 陽明学は心の学問」といわれるが、藤樹は朱子学の学問重視の考えでは理に到達することはできない、日常生活の中での実践を通して心に理をもとめる実践儒学・陽明学の思想のほうが正しいと考えた訳だ。
1648年、藤樹が亡くなる半年前に郷里・滋賀県高島市に「藤樹書院」を開き、門人の教育をした。平等思想を説き熊沢蕃山(くまざわ ばんざん1619−1691年)ら武士、商工町人まで広く門人が集まった。幕末の尊皇攘夷運動は吉田松陰(よしだしょういん1830−1859年)、高杉晋作(たかすぎ しんさく1839−1867年)、西郷隆盛(さいごう たかもり1828−1877年).、佐久間象山(さくま ぞうざん1811−1864年)らが陽明学に影響を受けており、大塩平八郎(おおしお へいはちろう1793−1837年)は町人の革命・大塩平八郎の乱(1837年)を起こした。中江藤樹は日本の歴史に革命をもたらす影響を与えた思想家の一人であった。
アクセス――― JR湖西線「安曇川駅」下車 徒歩 15 分.
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- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/01/04
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