西山荘
名所・史跡
3.32
西山荘 クチコミ・アクセス・周辺情報
常陸太田・東海村 観光 満足度ランキング 4位
「水戸黄門」で知られる水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後,元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所。光圀公はここで『大日本史』の編さんの監修に当たりました。入口には光圀が紀州から取り寄せ移植した熊野杉が天を覆っています。建物は茅葺き平屋建て,内部は粗壁のままで,どの部屋にも装飾はなく,書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まいです。なお,現在の建物は,文政2(1819)年に再建されたものです。春の梅,夏の新緑,秋の紅葉,冬の雪景色など,季節ごとに異なった表情が楽しめる,美しい情景は必見です。 また,平成26(2014)年11月まで,半解体災害復旧工事を行っていました。リニューアルした姿をぜひご覧ください。
クチコミ・評判 2ページ目
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静かなたたずまい。苔が美しい。
- 4.0
- 旅行時期:2009/09(約16年前)
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西山荘
- 4.0
- 旅行時期:2009/08(約16年前)
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光圀は元禄4年から元禄13年、亡くなるまでの10年間を西山荘(西山御殿)で過ごしています。現存する御殿の広さは約42坪。創... 続きを読む建当時は今の約4倍の広さがあったそうです。中は孟宗竹や紀州から移築された熊野杉など植物の宝庫。入ってまず現れるのはかやぶきの裏門と呼ばれる櫟門。かなり立派です。この門は、家来や一般庶民が通ったとされる。紅蓮池には鯉がたくさん泳いでいます。光圀が考案したと言われる、突上げご門や観月山、心字池といった施設はとても立派でした。建物は書斎やご文庫とけっこう質素なつくりになっています。光圀亡き後にも歴代藩主によって大切に保存されたが文化14年の野火によって焼失してしまったそうです。現在の建物は文政2年8代藩主斉脩(なりのぶ)によって規模を小さくして再建されたものです。 閉じる
投稿日:2012/03/10
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