『鬼子母神堂(きしもじんどう)』は、豊島区南池袋3丁目にある山号を「威光山」と号する日蓮宗の「法明寺」山門から約200メー...
続きを読むトルほど離れた「法明寺」飛地境内となる豊島区雑司ヶ谷3丁目にある『鬼子母神像』を祀る本殿に拝殿と相の間(幣殿)が一体となった「権現造り」の御堂です。
ちなみに「法明寺」は、平安時代初期となる810年(弘仁元年)に真言宗の「威光寺」として開創した後の鎌倉時代後期となる1312年(正和元年)になると日蓮宗に改宗し山号を「威光山」と号する「法明寺」に改称しています。
また『鬼子母神堂』については、尾張国の「織田信長」が駿河国の「今川義元」を討ち取った「桶狭間の戦い」の翌年となる室町時代後期(戦国時代)の1561年(永禄4年)に現在の文京区目白台付近の畑(清土の地)から出土した『鬼子母神像』を現在の「法明寺」内の一寺院であった「東陽坊」(後に「大行院」と改称)の一画に祀ったのがはじまりとされ、その後の安土桃山時代となる1578年(天正6年)になると村人により草堂が建立されたと伝えられています。
現在の『鬼子母神堂』建立時期は、本殿部分が屋根裏の束に書かれた墨書から江戸時代の徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1625年(寛永2年)とされ、本殿とつながる拝殿と相の間(幣殿)は徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」の時代である1700年(元禄13年)に広島藩2代目藩主「浅野光晟」の正室「満姫」の寄進による建築と伝えられており、台東区下谷の「仏立山 真源寺」(別称:入谷鬼子母神)と千葉県市川市の「正中山 法華経寺」(別称:中山法華経寺)とともに安産・子育の守り神の「江戸三大鬼子母神」として江戸庶民から武家まで多くの信仰を集めたほか徳川将軍家の御成りもあったとされています。
1960年(昭和35年)になると「東京都有形文化財」に指定されたほかに1976年(昭和51年)から1979年(昭和54年)にかけて実施された解体復元の大修理を経て、2016年(平成28年)に本殿と拝殿・相の間(幣殿)とで異なる特徴を持つ江戸時代の建造物であることから歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され国の「重要文化財」に指定されています。
今回は、平日の午後に東京メトロ・副都心線「雑司ヶ谷駅」から池袋方面に徒歩で向かう途中で『鬼子母神堂』に立ち寄ることにしました。
『鬼子母神堂』へは、「雑司ヶ谷駅」1番出入口から「鬼子母神表参道」を通り5分程度(およそ350メートル)の静かな住宅街に囲まれた中に位置し、境内はひっそりとしていましたが七五三のほか地元の方と思われる人達の参拝者が入れ替わり訪れていました。
境内には、『鬼子母神堂』のほかに「金剛不動尊」を安置した「法不動堂(のりふどうどう)」や「倉稲魂命(うけみたまのみこと)」を祀った「古社武芳稲荷」、1956年(昭和31年)に東京都の「天然記念物」に指定されている「鬼子母神の公孫樹(いちょう)」(樹齢600年以上、樹高30メートル以上、幹周8メートル)、徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代となる1781年(天明元年)創業の日本最古の駄菓子屋といわれている「上川口屋」などがあり、住宅地の憩いの場といったイメージで落ち着きのある癒しの空間となっています。
また、「鬼子母神表参道」には1940年(昭和15年)に東京都の「天然記念物」に指定された約100メートルの区間に渡り推定樹齢600年を超える古木が含まれるケヤキ並木が続く「鬼子母神大門ケヤキ並木」も見どころのひとつです。
機会があれば、雑司ヶ谷周辺を訪れた際にまた立ち寄りたいと思います・・・
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投稿日:2020/11/08