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回向院

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振袖火事と称した江戸の大火で死んだ人を弔うため建てた。以来無縁仏や無縁犬猫を供養する。

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  • 満足度の高いクチコミ

    赤穂義士は休息のため入るのを拒絶されましたが、誰でも分け隔てなく埋葬してくれる無縁寺です。

    4.0

    「両国回向院」は、墨田区両国2丁目にあります。「両国回向院」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の西口を出て、左方向に進...  続きを読むむと140m先に「国道14号」(京葉道路)があります。横断歩道を渡るとすぐ目の前に「両国回向院」の朱色の「山門」があります。その「山門」の両脇には、「回向院」を守るように二体の仁王像が安置されています。 「回向院」は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院で、「諸総山無縁寺回向院」と呼ばれています。そして、「回向院」の理念は、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」で、江戸時代から変わることなく引き継がれています。なぜ、それは何故かと言うと、「回向院」が開かれた明暦3年(1657年)に、江戸では、「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。そのようなことから無縁寺とも呼ばれている訳です。江戸は火事が多い街で、人口の増加による家屋の密集、冬場に吹く「からっ風」がその要因に挙げられます。その中でも明暦の大火は「振袖火事」でその名が知られています。そして、当時の将軍「徳川家綱」は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸にある現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが「回向院」の歴史の始まりです。 では、「回向院」の「山門」を潜ります。「回向院」の「正門」は、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです。「正門」の「扁額」と「寺号碑」に注目してください。扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。 次が、「力塚の碑」が参道を進むと右手にあります。「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。 更に進むと「塩地蔵」があります。「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。 次に、「鳥居清長顕彰碑」です平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。「鳥居清長」は、江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。 更に進むと「鼠小僧次郎吉の墓」です。「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。その他の見どころである、「水子塚」、「千体地蔵尊」、「馬頭観世音菩薩像」、「オットセイ供養塔」、「猫塚」など多数ありますので、下記に取りまとめてありますから、ご覧いただければ幸いです。 01_【一口メモ】 ⑴ 所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8-10 電話:03-3634-7776 ⑵ 回向院の概要 ①山号…諸宗山 ②院号…回向院 ③寺号…無縁寺 ④宗派…浄土宗 02_【アクセス】 1 電車を利用して ⑴ JR総武本線「両国駅」西口から徒歩4分290m ⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩10分700m 03_【「両国回向院」の見どころ】 ⑴ 「本尊阿弥陀如来」 「回向院」の御ご本尊は、宝永2年(1705年)に安置された銅の「阿弥陀如来座像」です。かつては、野外に置かれ、濡仏さまと呼ばれていました。「阿弥陀如来座像」は、「釜屋六右衛門」の作によるもので、現在は、東京都の有形文化財にも指定されています。「阿弥陀如来座像」は、身の丈六尺五寸五部、蓮座三尺四寸五分もある大きな銅作りの坐像で、数多くの無縁仏を見守ってきたその眼差しは慈愛に満ち溢れています。 ⑵ 「水子塚」 「回向院」の「水子塚」は、寛政5年(1793年)に老中「松平定信」の命によって造立されたもので、「水子供養の発祥」とされています。ちなみに、「水子塚」とは、陽の目をみずに葬られた水子の霊を供養するためものです。「水子塚」の板石には、地蔵菩薩坐像と他では見られないような「水子塚」という大きな文字が刻まれていました。 ⑶ 「塩地蔵」 劣化が激しく「塩地蔵」の建立年は不詳ですが、「塩地蔵」は、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれており、参詣者は願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれ親しまれてきました。「東都歳時記」所載の江戸東方48ヶ所地蔵尊参りには、その42番目として数えられています。現在、私の知る限りでは、「西新井大師」、「浄土宗常光山源覚寺(こんにゃく閻魔)」など都内10社寺で確認していますが、かつては48ヶ所にあったのですね。 ⑷ 「千体地蔵尊」 「千体地蔵尊」は、ご本尊の背面にあり、ご先祖の供養や家運や社運の隆昌・繁栄を祈願する人々によって奉安されたものです。関東大震災により焼失してしまった尊像で「増上寺」の「黒本尊」と同木といわれ、「恵心僧都」の作と伝えられた「備中千体阿弥陀如来像」をその由縁としております。後光のようにご本尊を守護するさまは必見です。 ⑸ 「力塚の碑と回向院相撲」 「力塚の碑」は、昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したもので、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となっています。ちなみに、日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集め(寺社建立の資金となる浄財を集めるなど)のための「勧進相撲」興行の形態をとっていました。貞享元年(1684年)、江戸での「勧進相撲」が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、「勧進相撲」が「回向院」境内で初めて行われたのは明和5年(1768年)で、天保4年(1833年)以降は春秋2回の興行の定場所として江戸での「勧進相撲」を独占しました。そして、明治42年(1909年)の旧両国国技館が完成するまでの76年の間、「回向院相撲の時代」が続きました。「回向院」が定場所となり、回向院で行うことが定例となり、この「回向院」の定場所が今に続く、両国国技館の前身ということですね。そして、「力塚」の敷地内には、「角力記」、「東京相撲記者碑」という相撲の発展に寄与した相撲記者の慰霊碑も建てられています。 ⑹ 「馬頭観世音菩薩像」 「馬頭観音堂」は第4代将軍「徳川家綱」の愛馬の供養として創祀されました。また、「回向院」は動物供養でも知られ、犬、猫、オットセイ、小鳥などの塚や碑もあります。供養のために建てられた「馬頭観音堂」は、回向院二世信誉貞存上人が建立し、自らが鑿をとって彫刻した「馬頭観世音菩薩像」を安置しました。「馬頭観世音菩薩像」は、享保年間頃から「江戸三十三観音」でした。「回向院」の「馬頭観世音菩薩」に祈願をこめると、当時最も恐れられた瘧疾(熱病)や疱瘡(天然痘)にかからぬといわれ、時代が下るにつれて諸病平癒の霊験顕かな観音様として、人々の厚い信仰を集めたそうです。現在も昭和新撰「江戸三十三所観音参り」での第四番札所となっています。 ⑺ 「一言観音像」 「一言観音」は、奈良の「唐招提寺」の像と同じ木で彫られたもので「恵心僧都源信」作と伝えられています。 元禄16年(1703年)10月に回向院四世「観誉上人」の夢枕にこの観音様が現れ、他所へ遷すように告げられたため、「観誉上人」はこの聖観音像を墓所へ遷したところ、ちょうどその年11月に大地震及び火災により、寺院は倒壊・類焼してしまいました。この移転により聖観音像が倒壊を免れたことが知れ渡り信仰を集めるようになるとともに、その御前で一言願をかけると願い事が叶うと慕われ、いつしか一言観音と呼ばれるようになりました。 ⑻ 「鼠小僧次郎吉の墓」 「ねずみ小僧」は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗んで町民に配ったと伝えられている時代劇でよく見た義賊です。計90回の盗みの後、ようやく御用になり処刑されてしまいましたが、長年捕縛されなかった運にあやかって墓石を削りお守りとする風習が江戸時代からありました。現在では、特に、合格祈願に来る受験生に人気で、墓石の前に削り取り用の石の「お前立ち」が置かれています。 ⑼ 「関東大震災供養塔」 東京が一朝にして焼土と化した大正12年(1923年)の関東大震災において、当時の住職であった第21世「浄厳師」は、役僧を引き連れ焼野原を歩き、亡骸を見つけては巡回回向し、また被服廠跡や隅田堤で日夜読経念仏したと伝えられます。大正14年(1925年)に東京市は遺族に対して遺骨の引き取り方を公告しました。各区にわたる死者は分骨して「回向院」にも納骨されました。 ⑽ 「正門」 「回向院」は一般的な表記ですが、「正門」の扁額には古字を用い「囘向院」、そして、「正門」前の「寺号碑」には俗字を用いて「囬向院」と表記されています。令和元年(2019年)に、「正門」に「仁王像」が安置されました。「回向院」の「正門」は、かつては、現在の「両国2-8-10」あたりの位置にありました。残念ながら「回向院」の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、「正門」は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。かつての「回向院正門」は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきりと見ることができたそうです ⑾ 「鳥居清長顕彰碑」 「鳥居清長」は、鳥居派四代目として八頭身の美人画を確立したことで知られる浮世絵師です。江戸の六大浮世絵師の一人でもあります。江戸の六大浮世絵師とは、「鈴木春信」、「鳥居清長」、「喜多川歌麿」、「東洲斎写楽」、「葛飾北斎」、「歌川広重」ら六人です。「鳥居清長」の墓碑は以前から「回向院」にあったとされていましたが、「関東大震災」や「東京大空襲」により所在不明となっていましたが、近年の調査で過去帳に名が記されていることが発見され、平成25年(2013年)に「鳥居清長顕彰碑」が建立されました。石碑正面には、「鳥居清長」の「大川端夕涼み」に登場する女性が描かれたブロンズプレートが取り付けられています。 ⑿ 「オットセイ供養塔」 「オットセイ供養塔」は、大正15年(1938年)に建てられたオットセイのための供養塔です。漢字で書くと非常に難しく、「膃肭臍」と書いてオットセイと読みます。大正時代に「回向院」のなかにあった見世物小屋にいたオットセイを供養するために建てられたものです。これだけでも「回向院」の栄華が分かりますね。 ⒀ 「猫塚」 「歌川国芳」は、大の猫好きで知られる江戸後期の浮世絵師です。常に数匹、多い時には十数匹の猫を飼い、猫の戒名の書かれた位牌で飾られた猫用の仏壇を自宅に設けていたそうです。「歌川国芳」が生きていた時代にはすでに「回向院」の猫塚は存在し、「歌川国芳」は何匹もの愛猫の供養をお願いしていたそうです。「猫塚」が回向院に築かれることになったきっかけは、次の様な逸話からです。猫を大変かわいがっていた魚屋が、病気で商売ができなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両くわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。このようなことにより「回向院」の猫塚が築かれたそうです。   閉じる

クチコミ・評判 8ページ目

141~160件(全462件中)

  • 鶴の恩返しならぬ猫の恩返し。

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    両国界隈を散策し、回向院を初めて訪問しました。本堂の東側にお墓や石碑の立ち並ぶ一角があり、その名に他では目にすることとほと...  続きを読むんどない「猫塚」がありました。横に説明書きがあり、それが可愛らしい猫のイラスト入りで思わず見入ってしまいました。猫をかわいがっていたとある魚屋さんが体を壊し生活に困窮、これまでの恩返しにとこの猫は魚をくわえて来たとか。その次にはある商家から小判二両をくわえて戻ろうとしたところ、見つかりなぐり殺されてしまったというお話。その猫を悼んで建てられたのがこの猫塚とのことで、読めば読むほど江戸時代の庶民の心に触れたような気がしました。この説明書きが無ければ猫塚の意味も理解できなかっただろうと思います。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 鼠小僧のお墓近くの大きな石碑群

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    両国界隈を散策し回向院を訪れた際、本堂の左手の鼠小僧のお墓近くに大きな石碑群がありました。それらがこちちらの海難供養碑で、...  続きを読む建てられた時代もばらばらのようですが海難事故で命を落とした方を慰霊するために建てられた碑でした。どれも非常に立派で、犠牲者をその遺族と共に悼む庶民の心を感じることが出来ました。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 両国の回向院を初めて訪問。参道の力塚を過ぎて進むと左手に「岩瀬京伝墓」の案内板を見つけました。隣には同じ苗字の「岩瀬京山墓...  続きを読む」もあり、親子や兄弟かと思い説明を読んでみると江戸時代に活躍した戯作家の兄弟とのことを知りました。江戸時代の戯曲によほど興味のある方か、大学の卒論で江戸時代の文化などについて研究しようという方以外には、ほとんど知られていないでしょうし、時間の限られた旅行者がわざわざ探して訪れるスポットではないと思いました。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • わざわざ訪問して探す必要はないかな・・・。

    • 2.5
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    両国の回向院を初めて訪問。意気込んで記念碑やペットの塚などを見て回った際に、こちらの「岩瀬京山墓」の案内板を見つけました。...  続きを読む隣には同じ苗字の「岩瀬京伝墓」もあり、読んでみると江戸時代に活躍した戯作家の兄弟とのことを知りました。とは言っても「岩瀬京山」の作品は読んだことも見たことも無く、まったくイメージが湧きませんでした。奥にある墓地も探しましたが、どこにあるか皆目見当もつきませんでした。わざわざ訪問して探す必要はないかな・・・。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 回向院の参道を進み、明暦の大火の供養塔のすぐ横に、多くの案内板が掲げられていました。その中に、加藤千蔭についての案内板があ...  続きを読むり、興味をもって読んでみました。江戸中期の国学者、歌人として有名な方であったようですが、正直なところ全く聞いたこともない名前で、案内文を読んでも失礼ながらあまりイメージが湧きませんでした。かなり専門的に「国学」や江戸の歴史を研究している玄人向けのスポットかと。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 天女の微笑。

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    回向院のゲートをくぐり、力塚を過ぎてさらに進むと、左手にお墓のような台座に天女のような赤銅色の像が乗っている慰霊碑がありま...  続きを読むした。その右手に案内板あり、何のための像かわかるようになっていました。読んでみると振袖火事をして知られる江戸の街を焼き尽くした明暦の大火によって命を落とした10万人ともいわれる犠牲者を供養する碑であることが書かれていました。明暦の大火、関東大震災、東京大空襲とこの街が三度壊滅的被害を受け、その中から蘇って来たことを、静かな天女の微笑が静かに訴えているように感じました。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 実に力強い筆使いです。

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    両国散策の際、京葉道路に面した回向院を訪れました。正面のゲートをくぐり参道を進むと左手に大きな「力塚」と書かれた石碑が立て...  続きを読むられていました。周りを柵で囲われた力士のような石碑の力強い文字が印象的でした。今は両国駅の近くに大きな国技館があり、そちらで相撲と取り組みが行われますが、以前はここ回向院で大相撲が開催されていたことを知りました。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 両国界隈を散策した際、京葉道路沿いにあるこちらのお寺を初めて訪問しました。振袖火事と言われる江戸時代の明暦大火の犠牲者を供...  続きを読む養するために建立されたお寺で、今では犬の供養塚や、、猫塚、鼠小僧のお墓などもあって、結構楽しめました。ただ、純然たるお墓もあって、気味悪く感じるような場所は避けながら見学しました。  閉じる

    投稿日:2018/02/07

  • 鼠小僧は実在の義賊です

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    義賊と呼ばれる鼠小僧ですが、実在の盗賊であり、天保3年に浅草で処刑されたと伝えられています。供養簿の前に「欠き石」と呼ばれ...  続きを読むるものがあり、これを欠いて財布や袂に入れておけば金回りがよくなると言われています。訪れた時も、多くの人が石をこすっていました。果たしてご利益はあるのでしょうか。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 岩瀬京伝の弟です

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    回向院には、岩瀬京伝とともに弟の岩瀬京山の墓もありました。こちらも初めて聞く名前ですが、岩瀬京伝と同じく戯作者です。兄・京...  続きを読む伝は晩年読本作家として活躍していましたが、京山も兄の業を継いで読本作家となりました。江戸時代の偉人かもしれませんが、今一つ想像できませんでした。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 江戸時代の戯作者

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    加藤千蔭の墓と並んであるのが、江戸時代の戯作者である岩瀬京伝の墓です。回向院で墓を見るまでは名前も知りませんでしたが、若い...  続きを読むころから浮世絵を学んで広く人々に知られるようになったそうです。晩年は読本作家として活躍し、この墓は弟の京山が建てたものです。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 江戸中期の国学者

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    江戸中期の国学者である加藤千蔭の墓が回向院内にありました。賀茂真淵の弟子でもあり、江戸の与力を病気で辞めてからは学問に専念...  続きを読むしたということです。回向院には様々な偉人の墓がありますが、説明板を見て初めて加藤千蔭のことを知りました。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 明歴の大火の供養塔

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    回向院参道の途中にある供養塔で、明暦の大火の焼死者だけでなく、入水者・牢死者・行路病死者・処刑者その他の横死者に対する供養...  続きを読むのために造立されたものです。東京都内には戦死者や被災者等の慰霊塔がたくさんありますが、明暦の大火の供養塔は初めて見ました。様々な死者の供養も併せていることに驚きました。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 回向院の参道にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    回向院の参道の途中に大きな力塚の石碑がありました。回向院は相撲とのかかわりが深く、もともと相撲興行が行われていたところです...  続きを読む。この石碑は昭和11年に歴代相撲年寄の慰霊のために建立されたもので、回向院と相撲とのかかわりの深さを物語っています。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 両国の中心です

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    両国の中心にある回向院にお参りしてきました。明暦3年の江戸史上最悪の惨事となった明暦大火の犠牲者を弔う為に建立された寺院と...  続きを読むいうだけでなく、その後も天災地変や人災による被災者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されていました。  閉じる

    投稿日:2017/12/04

  • 東京大空襲で移転した回向院

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/11(約8年前)
    • 0

    両国の中でも最大の寺院である回向院の正門跡の説明板が回向院から離れた場所にありました。東京大空襲で回向院は消失してしまい、...  続きを読む現在では京葉道路沿いに正門は再建されています。旧両国橋を超えると正面に回向院正門があり、まるで旧両国橋が回向院の参道のようだったと言います。  閉じる

    投稿日:2017/11/28

  • 両国回向院にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    両国と言えば相撲の国技館がありもうすぐ今年最後の福岡場所、横綱全員出場するでしょうかね?

    それはさておき、ある意味庶...  続きを読む民の味方というか人気者
    鼠小僧は実在の人物で回向院に墓があります
    墓前の前に石がありそれを削るというかこすりその物を財布に入れておくと金運や勝負運
    によいとかでパワースポットになってます
    ハロウインジャンボや年末ジャンボに期待をよせたちよってみました。  閉じる

    投稿日:2017/11/05

  • 京葉道路沿いにある寺院

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    京葉道路沿いにある寺院です。元々は、江戸時代にあった明暦大火(振袖火事)の犠牲者を供養するために建立されたものらしいです。...  続きを読む境内には、力塚、猫塚、鼠小僧の墓などもありますし、また、旧国技館があった場所でもあるので散策するにはオススメの場所です。  閉じる

    投稿日:2017/10/27

  • 猫の恩返しの話を初めてしりました。

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    回向院の本堂の東側、時代の古い碑や、お墓が集められた一角に猫塚があります。高札の案内を読むと、猫をかわいがっていた、魚屋さ...  続きを読むんが体を壊し、生活に困窮していた時飼い猫がどこからか2両をくわえてきて、魚屋を助けたという猫の恩返しの話が書いてありました。猫はまた商家から2両くわえて出たところを見つかり、殴り殺されてしまいましたが、事情を知った商家の主人が、哀れに思い、魚屋と一緒に回向院に葬ったとのことでした。鼠小僧のお墓の横にあります。江戸時代の庶民の気持ちのわかる二つのお墓だと覆います。  閉じる

    投稿日:2017/10/15

  • 墓石の前に建てられた石を削ることができます

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    回向院の本堂の東側に、海難供養碑や有名な人のお墓が集められた一角があります。その中に、鼠小僧のお墓があります。鼠小僧が実在...  続きを読むの盗賊であったことも知らない人も多いのではないでしょうか。実際、武家屋敷のみに盗みに入ったようですが、最後は処刑されました。当時犯罪者の墓は建てられなかったそうですが、黙阿弥の劇作により、人気が高くなり、この供養碑が造られたと考えられるようです。いろいろな意味で、勉強になるお墓です。墓石を削って持ち帰ると金回りが良くなるとの言い伝えがあるようです。お墓の前に、前立てを作ってくれて、実際に削れるようにしてくれてるのにも優しさを感じます。  閉じる

    投稿日:2017/10/15

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
回向院
住所
  • 東京都墨田区両国2-8-10
電話番号
03-3634-7776
アクセス
JR総武線両国駅 徒歩 5分
その他
創建年代 江戸
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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