2016/11/01 - 2016/11/03
651位(同エリア819件中)
T04さん
さて2016年広島の旅行最終日は、一昨日肩透かしを食らった呉に向かいました。目的地はもちろん「大和ミュージアム」・「てつのくじら館」です。まずは「大和ミュージアム」から見学しましたが、写真が多いので、2回に分けてあります。
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入口前に到着。今日は間違いなく開館中です(笑)。
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館内に入ると、左手にはミュージアムショップ。見学後に寄ることにします。
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右手が観覧券の自動販売機、その奥に展示室があります。
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今回は常設展のみの見学です。
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さて、展示室に入れば目の前にドーンと戦艦「大和」の大型模型が鎮座。「大和ミュージアム」の代名詞ともなっているだけあって、なかなかの存在感があります。ただ艦尾の方は大きなガラス窓になっていることから、艦首からの写真は逆光になってしまうのが残念。
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艦尾からのアングルなら、こんなに綺麗に撮れるのに…。ただ、開館したばかりとあって人の姿が少なく、この写真では模型の大きさが分かり辛いですね。
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数段の階段を下りて、喫水線下にもぐってみます。
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いや~、これぞ本物の精密模型ですね。
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喫水線下を艦首へ向かいます。
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艦首に到着です。この角度から大和を見ることができるなんて、少し感激です。く
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おっ、この角度なら、艦首からの写真としては逆光の影響は少ないし、大和坂の形状なんかも良く分かります。さらに向こうに人の姿があったので、模型の大きさも少し伝わりますよね。
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この模型は「大和ミュージアム」の象徴であって、決してメインの展示品ではありませんが、その大きさと完成度の高さから写真をバシャバシャ取ってしまいました。この模型の周りにテーマ別展示室の入口があります。
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ちなみに、戦艦「大和」の周りには、それに関連した展示品もいくつかあります。こちらは戦艦「大和」に搭載されていた艦隊司令長官用の15メートル内火艇の模型です。これも立派な造りで、結構感動ものです。
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これは主砲塔の模型ですね。かつてロンドンに行ったとき、テムズ川に係留されている軽巡洋艦「ベルファスト」の主砲塔内部に入ったことがあります。その時のことを思い出しました。
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これは…
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目の前の戦艦「大和」の木甲板でした。模型でありながら、その作業は本物と同じ作業工程を経たもので、それには匠の技が生かされていることが説明されていました。納得です。
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戦艦「大和」の周りには各展示室の入口があります。こちらのテーマは”呉の歴史”です。
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ちょうど団体のお客さんが入ったようで、人でいっぱいでした。ただ10分ほどで元の静かな雰囲気に戻ったので一安心。
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展示の始まりは、呉鎮守府の時代からです。
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”戦艦金剛に搭載されたヤーロー式ボイラー”と紹介にありました。実寸大のようです。
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こちらは東郷平八郎元帥の懐中時計です。
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戦艦「敷島」乗組員が書いた行動日誌、貴重な記録ですね。
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第六潜水艇の模型です。帝国海軍時代を代表する悲劇・美談の主人公となった艦艇ですね。
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第四艦隊事件、こんな勉強ができることが嬉しいなぁ。
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右下は山本五十六大将(最終階級は元帥・海軍大将)の手による七言絶句、その左には山口多聞少将(最終階級は中将です)の遺書などです。
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こちらには軍艦の模型が並んでいますが…
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そこには、南雲忠一中将(最終階級は大将)の短剣や…
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海軍錨マークの入ったやかんなどの貴重なものも並んでいて油断できません(笑)。
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こちらはミッドウェー海戦時、航空母艦「飛龍」に掲揚されていた山口多聞少将の少将旗。沈没に際して山口多聞少将から伊藤清六中佐に託されたものとありました。いわゆるレア物ですね。私個人は山口多聞少将のファンなので、しばらく旗の前から動けませんでした。
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山口多聞少将の戦死状況報告書を、奥様が書きうつされたものです。
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名前が記されているとリアリティがありますね。進藤三郎大尉は戦死されてはいないので、少し安心することもできます。
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山本五十六大将がラバウルからブインに向かう前に短冊に書き遺された句。まさに絶筆です。
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撃墜された山本五十六大将搭乗機の破片です。
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ドイツ降伏後、日本に向かうUボート内で自決された潜水艦の権威である友永秀夫技術中佐、ジェットエンジンの庄司元三技術中佐についての資料もありましたが、遺書などが撮影禁止でしたので、このパネルだけを撮りました。御二人が御存命であったなら、その頭脳は戦後の日本に多大な影響を与えられたであろうと思われます。
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陶器の貨幣が製造されていたなんて、今や信じられませんね。
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左上は航空戦艦「日向」の航海灯。所々に血痕の残る軍艦旗も「日向」のものですが、昭和20年7月の呉空襲の際、後部環境に掲揚されていたものということでから、当日はいかなる状況であったのか察することができます。
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そして突き当り部分は戦後の呉です。
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戦後の貧しさもありますが、やはり戦中と違って、少し心安らかに見学できます。これで展示室Aは終わりかと思いきや、戦艦「大和」のエリアもあります。
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さて、こちらが”呉の歴史 戦艦「大和」”という展示エリアです。中央部には呉の大型立体地図、その上方には大和の技術などを紹介する映像が流れています。
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この周りを囲むように、展示品が並んでいます。
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こちらは直径1.5メートルもある大和型の探照灯で、予備品として残存していたものです。現在においてさえ、同様の反射鏡を製造しようとすると、費用的・技術的にも製造が困難とありました。
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このあたりは「大和」の建造・技術などについての展示です。
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青焼の材料表、ノギスや定規など。
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艦橋の設計図。
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海軍技術中将であり、東京帝国大学総長も務めた平賀譲さんが残した直筆ノート。
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こちらは軍艦構造・艤装に関するノート。文字がギッシリと書きこまれています。さすが日本の誇る頭脳。
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いや~凄いです。
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この辺りは乗組員に関する展示です。
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上が沖縄海上特攻の命令書、下が決別電報(複製)…重みがあります。
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第二艦隊司令長官の伊藤整一中将が、沖縄特攻前の4月6日に船から降ろした軍装。
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こちらも可燃物として陸揚げされたタンス。
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この辺りは「大和」の引揚げ品になります。
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まるでタイムカプセルです。展示室Bにつづきます。
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