2017/02/17 - 2017/02/18
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mistralさん
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2016年11月も終わりになって、特典航空券をとろうと思って
ANAのページを開いていたら
予想に反して!
ヴェネツィアのカーニヴァルの時期に空席があることを発見。
通常だったら考えられないことだった。
あちこちで起こるテロの影響かもしれなかった。
思いもかけないことから
長い間、憧れていたカーニヴァルの時期に旅ができることとなった。
この時の為に、かねてから買い集めていた写真集などが
急きょ出番を迎えた。
ヴェネツィアは20代のころ、10年前の旅に次いで3回目の訪問となるが、
5泊、滞在できるのは初めてのこと。
(表紙写真は泊まったホテル近くの、早朝の運河の様子)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
往復とも、Cクラスに乗る為に
多少無理な旅程となったのは仕方なかった。
2月17日(金)7:00 ANA093便 羽田から関西空港へ
10:50 LH741便 14:50 フランクフルト着
16:30 LH330便 17:45 ヴェネツィア着
このような早朝のフライトに乗るのは滅多にない。
羽田空港では朝日に遭遇。 -
旅の計画の途中から友人が仲間に加わった。
彼女は長い間、海外の旅には出ていなかったそうだ。
今回は思い切って決断したうえでの旅。
そんな状況ではあっても、mistralの乗るフライトに同行するのは
どう考えても得策ではない。
結果的に、カーニヴァルの時期でもあり往復とも別便となり
行きはヴェネツィア、マルコ・ポーロ空港で待ち合わせとなった。 -
友人の便は、mistralの便より一時間後に着くことになっていた。
道中、どちらかにトラブルが起これば
とても困った事態に陥ってしまったかもしれない。
幸い、この時期にしては珍しく暖かな陽気で
寒波による欠航等の心配は少なかったので一安心だった。
到着ロビーで約一時間後に友人の姿を見つけた時には
本当に安心し、お互いに喜びあった。 -
空港からホテルまでの道はホテルの方から
教えを受けていた。
到着ロビー内にティケット購入窓口があるので、
まずはシャトルバスでローマ広場まで(8ユーロ),
終点からサンタルチア駅まで橋を渡って少し歩き
駅前にある乗船場Ferroviaからヴァポレット2番(7.5ユーロ)
に乗ってサンマルコ広場で降りる...
(写真はリアルト橋) -
サンマルコ広場での駅名は Vallaresso.
広場近くにはいくつかの乗船場があるようだ。
そこからはすぐ Calle Vallaressoという名の
バリーズという有名なバーのある細い通りをまっすぐに進み、
突き当たったら右折し、サンマルコ広場に入る....
(当日はすでに暗くなっていた) -
寺院に向かって、広場左手に見える時計塔の下の道を通り抜け
突き当りを右折
サン・ズリアン広場にでたら
そこにある教会の右手にそってぐるっと回ったら
すぐホテルがある。
ホテルまでは5分ぐらいの距離
ヴァポレットを降りて、一度も運河を越えずにホテルまで到着するので
橋を渡る際のスーツケースの上げ下ろしの心配がない...
などのinformationに従って、それでもヴァポレット乗船には
苦労もしつつ、ホテルに無事到着した。
(写真は後日撮影のもの) -
ホテルの部屋に案内され
長い一日が終わった。
4泊することになるホテルの名は
Ca' Del Campo. -
イチオシ
翌18日、早朝(6時過ぎ?)
部屋の窓から覗くと
おじさんが早くも新聞を屋台に並べ始めていた。
まだ人の気配もない、静まり返った空気の中で
ほんのりと灯るあかりに浮かび上がる
おじさんの姿が、無声映画の登場人物のよう。 -
窓から見える通りの様子
-
表紙写真を撮った運河にかかる橋と、
渡ったところ、右手にあるのはティラミスのお店。
I Tre Mercanti.
NHK BS でも紹介されていた。 -
正面には
一人がやっと通れるぐらいの
細い路地も。 -
パンの香ばしい香りにさそわれて
1階の朝食会場へ。
4階にも同じようなレストランがあるようだった。 -
部屋から見えていた
狭い路地へ、 -
運河にも行ってみた。
朝日をうけて水面も建物も
輝いてみえた。 -
前夜は暗い道を通ってきたが
その道を反対側から辿る。
時計塔を抜けたらすぐサンマルコ広場へ。 -
ドゥカーレ宮殿のシークレット・ツアー
(9:55の回、英語でのツアー、20ユーロ)の
on-line 予約をしてあった。
写真はポルタ・デラ・カルタ(布告門)
彫刻家 パルトロメオ・ポン作(1438~42)
中央にはヴェネティアの獅子に跪く
元首フランチェスコ・フォスカリの彫像、
15世紀ヴェネツィア彫刻の傑作だそうだ。 -
奥に見えるのが
巨人の階段。 -
布告門の
すぐ左手にはサンマルコ寺院がある。
両脇にある大理石の角柱「アクレの柱」は
コンスタンティノープルの聖ポリエウクトス聖堂から
略奪してきたもの。 -
ヴェネツィアの繁栄期が詳細につづられている
塩野七生さんの「海の都の物語」によれば
1096年から始まった十字軍に便乗して
東地中海からパレスチナ沿岸に乗り出していった
ヴェネツィアは、香辛料貿易で莫大な利益をあげ
第4次十字軍では
時の元首エンリコ・ダンドロが高齢でありながら
乗船し、コンスタンティノープルを占領。
1261年までのラテン帝国時代に、この都から
多くの美術品が略奪されてヴェネツィアまで運ばれた。
(詳しくはサンマルコ寺院旅行記にて)
エンリコ・ダンドロ (1107?~1205年)
1203年、第4回十字軍としてコンスタンティノープルを攻撃、
東ローマ帝国皇帝を追放、皇位を追われていたイサキオス2世を復位させた。
その後もフランドル伯を帝位につけ、ヴェネツィア共和国の国際的立場を
強化していった。1205年、死去。アギア・ソフィアに埋葬された。 -
すぐそばには
「テトラルキ」と呼ばれる群像が
壁に組み込まれている。
聖堂内、博物館に同じものがあったが
こちらはレプリカか?
この彫像も第4次十字軍がコンスタンチノープルから
略奪してきたもの。 -
ローマ帝国末期の4世紀シリアで
東西正副4皇帝の共同統治を記念して造られた像。
しかし人々の間では、サン・マルコ大聖堂の宝物を
盗もうとした四人のムーア人が、罰を受けて
石化したという言い伝えが広まっているようだ。 -
下には動物の彫刻が。
-
ドゥカーレ宮殿は、
もしも旅人が海側から訪れる際には
徐々に岸辺に近づくとともに
宮殿の全容が目に迫ってくる。
特に霧に煙った日などは格別。 -
一層目は太い柱によるゴシック式のアーチ
二層目はより狭い間隔に細い柱と四つ葉模様に
円形装飾をもつ軽快なゴシック式アーチ
三層目はピンクと白の大理石による稲妻模様の壁面 -
宮殿は810年、元首の居城として建造
1172年、それまでの要塞型から
ポルティコ(列柱廊)とロッジア(開廊)を備えた
開放的な建築へと生まれ変わった。
15世紀半ばには、ほぼ現在の形態となっていった。 -
海側角にある
「アダムとエヴァ」
1344年頃 フィリッポ・カレンダーリオ作。
彼はドゥカーレ宮殿の首席建築家であり
海辺側ファサードを設計したとされるが、
1355年元首ファリエールが起こした暴動に
加担したことから
宮殿の窓から絞首刑になった10人の1人としても
有名だそうだ。 -
彫刻群
-
アーカンサスの繊細な彫刻
-
宮殿、中庭へと入っていった。
ここは、元首官邸としての機能をもつだけでなく
議事堂、内閣府、裁判所、監獄などの多機能を
そなえた建築物。 -
中庭中央には彫刻の施された
井戸(ポッツォ)が二つ。 -
海上都市であるヴェネツィアでは
飲料水確保のために -
雨水を、敷石から地中に沁みこませ
時間をかけて濾過された水が
井戸からくみ上げられるよう
こういった井戸があちこちに造られた。
四隅にある水を集める為のとりいれ口の様子。 -
中庭に
バギーに乗ったままおとなしく
ゲーム?、ボードで遊んでいる男の子が
気になっていた。
ツアーの始まる55分前にはお父さんが現れたようだったが
それまでの30分ぐらいの間、
一人で置き去りにされたままだった。 -
奥のあたりがシークレットツアーの集合場所と
なっているようだ。
通常の見学コースは宮殿の表舞台を見るが
このツアーは裏側を見て回るというもの。 -
受付でe-ticketを提示すると
ティケットと胸にはるシールを渡された。
料金は20ユーロ。
日時指定ができ、シークレットツアー終了後は
通常の見学コースを見学できるので
並んで待つ必要がない。 -
早速ツアーの開始。
どこからか?一階にあるドアを開錠して
内部に入っていった。
狭い通路を上階へと進む。 -
牢獄が続くエリア
-
独房の様子。
ここは窓もない。
沢山の牢獄が続いた。
上階ではカサノヴァが収容されていた
牢獄も見学した。 -
天井もかなり低い。
此処は総督だったか(?)の執務室。 -
このエリアの中では
ひときわ広い部屋へと出てきた。
明り取りの窓にはパステルカラーのガラスが
嵌められてて
そこから入り込んだ光が綺麗。 -
書類が収められていた部屋。
塩野さんが参考にされた文書類も
このような部屋に眠っていたもの
だったのか? -
この部屋には窓もたくさんあって
ヴェネツィアの街が見渡せる。 -
絞首刑が行われた部屋。
執務室などが続く部屋のすぐそばに
あるのが意外な印象を受ける。
写真は当日の英語ツアーのガイドさん。
かなり早口でたくさんの情報の説明をされるので、
いまいちの理解しかできなかった。 -
再び狭い部屋
-
通路を通り抜け
-
天井裏のエリアへと。
表舞台となる広い空間を
この天井が支えて(つり上げて)いる。 -
ここには数々の武器の展示も
されている。 -
ツアーの最後、
とあるホールに出てきた。
途中で地図も掲示されているが
どのように歩き回ったのかは
まったく理解できなかった。 -
床の模様が立体的に見えて
おもしろい。 -
ツアーの最後は
このような一見、家具に見えるドアから
出てきた。
そこで解散となった。
この後は自由に通常見学コース、
表舞台を見て回った。 -
豪華な黄金の化粧漆喰で飾られた
黄金階段の上にいたので、
そこを基点にして少し歩き回ってみる。 -
どうやら4階、謁見の間、にいるようだ。
ヴェロネーゼ作
「レパントの海戦の勝利を
感謝するヴェニエル総督」
セバスティアーノ・ヴェニエル:
ヴェネツィア元首、81歳で元首に選出される。
(1496~1578年)
1571年、レパントの海戦ではヴェネツィア軍海軍総司令官(当時75歳)
大変怒りっぽい人物だったとされている。 -
塩野さんの海戦三部作より
「コンスタンティノープルの陥落」を読んで
イスタンブールへ
(関連旅行記は下記に)
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11021001/
「ロードス島攻防記」でマルタへ
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10851382/
そして「レパントの海戦」でゆかりの地であるヴェネツィアへ
やってきた。
本の中のヴェネエル総督の様子を
まさに物語っているこの絵を
ある種の感激した想いで眺めた。
小説中ではバルバリーゴという実在の
人物が中心となって、物語は進行していくが
彼はこの海戦中、戦死する。 -
4つの扉の間
ティツィアーノ作
「祈りを捧げるグリマーニ総督」 -
元老院の間
天井部分 -
-
どこにいるのやら?わからなくなってしまい
多分扉の向こう側は
シークレット・ツアーで歩いたところ
と鍵穴から覗いてみても
やはりわからず。 -
再び黄金階段へ出てきた。
-
再び元老院の間
-
議員席?
-
十人委員会の間
-
ヴェロネーゼ作
「老いと若さ」 -
-
天井部分
色彩鮮やかな絵画の間にあって
モノトーンで描かれた絵が
一層立体的にみえる。 -
-
鍵穴回りの
飾りの金具 -
3階へ降りてきた。
大評議の間、天井画
ヴェロネーゼ作
「ヴェネツィアの勝利」 -
巨大な部屋の一角を飾る
巨大壁画
ティントレット作
「天国」 -
この大評議の間は
54mx25mという広さで
大運河に面し、この宮殿の
一番の見どころでもある。 -
「レパントの海戦」
-
中央に描かれる
ヴェニエル総督 -
壁面上部には歴代元首の肖像画がぐるりと取り囲んでいるが
一か所だけ黒幕が描かれ、そこには、「彼は裏切者として処刑された」と
記されているそうだ。
建築家のカレンダーリオが絞首刑になった折、
そもそもは時の元首、マリーノ・ファリエル(1285~1355年)が平民に
呼びかけ、協力して貴族制を倒し、強力なヴェネティアをつくろうと
持ちかけたのが事件の発端となっている。
しかし、この陰謀は同志を集める段階で難航し、噂をききつけた貴族が
10人委員会の招集を要請、更に臨時の委員20人と元首補佐官6人の計36人に
よって関係者に対して判決が下された。
71歳の元首は斬首刑を言い渡され、中庭から二階柱廊に通ずる広い階段
の上で刑が執行された。 -
「海の都の物語」によれば
「元首ファリエルは、もしヴェネツィアが君主国になるとしたら
これほど君主としてふさわしい男もなかったであろう。
名門の出であり、・・海軍司令官を務め、クレタ島の総督を経験、
・・大使は何回務めたかわからないほど多い。
・・・外国の要人たちとも親しく、詩人ペトラルカとは親友の間柄
でもあった。」
「当時彼ほど外国に名を知られたヴェネツィア人もいなかった。・・これほど
華やかな存在であれば、当然民衆の人気も高くなる。・・・
イタリアの他の国でなら、かれは君主になっていたであろう。
ヴェネツィアに生まれたのが、彼の不幸であった。」とある。 -
それほど
「ヴェネツィアの政体自体が、一個人、一家族に権力が集中するのを
極度に防ぐようにできていたばかりでなく、一機関だけが強大な
権力をふるうことのないようにも配慮されていたからであった。」 -
裏切者として刑を執行されたファリエルの人物像について知ったのは
帰国後のことだった。単に陰謀を企てた裏切者!でない彼について
知ったことは、良かった事だと思った。
ヴェネツィアが長きにわたり共和国としての形が維持できたのは、
ひとえに個人よりは国としてのかたちを維持するための、たくさんの
工夫があった故だったのだろう。
ヴェネツィアに彼が生まれた為の不幸、だとしたら、仕方がなく
それが彼の運命だったのかもしれない。 -
溜息の橋
内部を通過中。
当日は見学者が多く
撮影していると、立ち止まらないで!
とどこからか声が飛びかっていた。 -
運河の向こうに見えるのは
牢獄の窓。 -
出口へ向かっているところ。
-
宮殿内から,
光あふれる広場に出てきたら
突然、カーニヴァルの今の時に引き戻された。
このお二人の仮装の完成度はかなり高く
取り巻くカメラマンは何重にもなり、
鐘楼のテラス状の所に立っておられたので
下方からと、テラスからとグルリと殺到。
お二人は別方向に向いて撮影に応じて
下さっていた。
この後の午後の予定は、ブラーノ島へ続きます。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- cheriko330さん 2017/06/13 15:57:42
- シークレット・ツアー ♪
- mistralさん、こんにちは。
先日はありがとうございました。
続きにおじゃまさせていただきました。
ご友人の方とは現地集合だったのですね。冬の時期で
雪等降ったら欠航したり、よくあることなのでヒヤヒヤ
ものですよね。
順調に進み良かったです。でもこの時期にテロの
影響?とはいえ航空券やダニエリも取れてラッキーとしか☆
ドゥカーレ宮殿は普通に見学しましたが、やはり
裏側は面白くて興味深く拝見しました。
ヴェネツィアは、ますます再訪したくなりました。
お写真も、とても綺麗ですね。
水面の輝きも気に入ってます。ブラーノ島も
行きたい所です。
絵画も全く詳しくはないのですが、見るのは
大好きです。
mistralさんのマイページのお写真は、見たこと
あるような・・?マルタですか?
パドヴァも再訪したい場所です。次回楽しみに
おじゃまいたしますね。
では、また ☆
cheriko330
- mistralさん からの返信 2017/06/13 22:12:52
- RE: シークレット・ツアー ♪
- cheriko330さん
こんばんは。
こちらこそ、メッセージまでありがとうございました。
はい、そうなんです。
まず友人と会うことが最大の課題となりました。
友人は、ジュネーブで乗り継ぎ。
ヴェネツィアに向かうグループを見つけて、さりげなく
同じ方向に向かった!とのことで
彼女の機転が大正解でした。
ヴェネツィアは何度でも行きたくなる街ですね。
帰国してすぐに、再訪のことを考えてしまいました。
フロント写真、そうですマルタです!
cherikoさん、行かれてましたか?
mistral
> mistralさん、こんにちは。
>
> 先日はありがとうございました。
> 続きにおじゃまさせていただきました。
>
> ご友人の方とは現地集合だったのですね。冬の時期で
> 雪等降ったら欠航したり、よくあることなのでヒヤヒヤ
> ものですよね。
> 順調に進み良かったです。でもこの時期にテロの
> 影響?とはいえ航空券やダニエリも取れてラッキーとしか☆
>
> ドゥカーレ宮殿は普通に見学しましたが、やはり
> 裏側は面白くて興味深く拝見しました。
>
> ヴェネツィアは、ますます再訪したくなりました。
> お写真も、とても綺麗ですね。
> 水面の輝きも気に入ってます。ブラーノ島も
> 行きたい所です。
> 絵画も全く詳しくはないのですが、見るのは
> 大好きです。
>
> mistralさんのマイページのお写真は、見たこと
> あるような・・?マルタですか?
>
> パドヴァも再訪したい場所です。次回楽しみに
> おじゃまいたしますね。
>
> では、また ☆
>
> cheriko330
- cheriko330さん からの返信 2017/06/19 09:35:31
- マルタ島
mistralさん、おはようございます♪
フロント写真は、やっぱりマルタですね。
テレビなどで見ていて雰囲気が、正にって
感じでした。
いずれ行きたいと思っていますが、辿り着けるか
どうか?
mistralさんの旅行記を追い追い見せていただき
ますね。
よろしくお願いいたします。また一週間の始まりで
楽しい一週間をお過ごし下さい。
cheriko330
-
- わんぱく大将さん 2017/03/06 09:09:00
- 表と裏
- mistralさん
裏舞台ツアーがあるって、面白いですね。 でも、絞首刑場が、どうしてあんなところにあったのか、ちょっと理由が知りたいですね。
表紙のお写真、気にいってます。 それと最後のお写真、またもやマスク登場って感じでした。絵になるお二人でした。
大将
- mistralさん からの返信 2017/03/08 17:06:30
- RE: 表と裏
- 大将さん
いつもコメントをありがとうございます。
表側と裏側がどのように関連付けられているのか、さっぱりわからないままでした。
今までは表舞台だけを見ていたわけでしたが、今回、裏側を見てきたことで、
もしかしたら、よそでも同じようなシークレットな部分があったのでは?と思いました。
人間と一緒ですね。
裏側は隠しておきたい、と思いますもの。
ホテルのすぐそばで、意外にも、朝日に輝く水面の写真が撮れました。
本当にヴェネツィアの持っている「ちから」のおかげです。
マスクがどこかで登場していないと、カーニヴァルの時期 ということを忘れてしまいそうですね。
毎日目的地目指して歩きまわり、仮面の人たちは横目で見つつでしたから。
mistral
> 裏舞台ツアーがあるって、面白いですね。 でも、絞首刑場が、どうしてあんなところにあったのか、ちょっと理由が知りたいですね。
>
> 表紙のお写真、気にいってます。 それと最後のお写真、またもやマスク登場って感じでした。絵になるお二人でした。
>
> 大将
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