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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />クイックランチに続いては、ドゥオモを飾る彫刻、レリーフや模型、ステンドグラスなどが展示されているドゥオモ博物館に入場。首が痛くなるほど見上げる必要がないので楽だけれど、何せ収蔵品あり過ぎ!!<br />

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その94 ミラノ3 ドゥオモ博物館

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2015/06/06 - 2015/06/06

196位(同エリア2968件中)

4

157

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

クイックランチに続いては、ドゥオモを飾る彫刻、レリーフや模型、ステンドグラスなどが展示されているドゥオモ博物館に入場。首が痛くなるほど見上げる必要がないので楽だけれど、何せ収蔵品あり過ぎ!!

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • ドゥオモ広場に戻って参りました。何回見ても惚れ惚れする美しさですなあ!

    ドゥオモ広場に戻って参りました。何回見ても惚れ惚れする美しさですなあ!

  • 今いるのは、ドゥオモの南側にあるムセオ・デル・ノヴェチェント1900年代美術館前です。ミラノ王宮の右翼に続く建物、アレガンドロ宮は、1936年から56年にかけて、建築家ポルタルッピらによって建てられました。<br /><br />素敵なレリーフのある外装はアルトゥーロ・マルティーニの作品。扉の周りのフリーズもとてもオシャレです。外壁はもちろん、カンドリア産の大理石を使用しています。

    今いるのは、ドゥオモの南側にあるムセオ・デル・ノヴェチェント1900年代美術館前です。ミラノ王宮の右翼に続く建物、アレガンドロ宮は、1936年から56年にかけて、建築家ポルタルッピらによって建てられました。

    素敵なレリーフのある外装はアルトゥーロ・マルティーニの作品。扉の周りのフリーズもとてもオシャレです。外壁はもちろん、カンドリア産の大理石を使用しています。

  • お向かいも同じ造りの双子の建物。なぜか、こちら側の外壁にはレリーフが1枚しかありません。剥されたのか、修復中なのか???<br /><br />人気観光地なので仕方がないけれど、建物の入り口はご覧のような休憩中の人々で一杯。大都市に慣れない?ので、人混みは疲れます。休みたくなる気持ちはわかるけど・・・

    お向かいも同じ造りの双子の建物。なぜか、こちら側の外壁にはレリーフが1枚しかありません。剥されたのか、修復中なのか???

    人気観光地なので仕方がないけれど、建物の入り口はご覧のような休憩中の人々で一杯。大都市に慣れない?ので、人混みは疲れます。休みたくなる気持ちはわかるけど・・・

  • そして2枚前の写真のアレガンドロ宮に続く建物。こちらがドゥオモ博物館のあるミラノ王宮です。13世紀の創建以来、継続的に工事が行われ、1911年まで、王宮として使用されてきました。ドゥオモ広場を広げる工事が行われた際に建物の一部が取り壊され、今立っている場所はかつての中庭だったそうです。<br /><br />現在の建物はオーストリア占領時の1778年、ジュゼッペ・ピエルマリーニが建造しました。では早速中に入ります。

    そして2枚前の写真のアレガンドロ宮に続く建物。こちらがドゥオモ博物館のあるミラノ王宮です。13世紀の創建以来、継続的に工事が行われ、1911年まで、王宮として使用されてきました。ドゥオモ広場を広げる工事が行われた際に建物の一部が取り壊され、今立っている場所はかつての中庭だったそうです。

    現在の建物はオーストリア占領時の1778年、ジュゼッペ・ピエルマリーニが建造しました。では早速中に入ります。

  • ドゥオモ博物館は26の部屋からなる博物館で、大聖堂の宝物、芸術作品等の膨大なコレクションを展示しています。時系列になっているので、古いものから見て回りましょう。まずは、ドゥオモの聖具室にに所蔵されていたもので、1962年からクリプトで展示されていたお宝の登場です。2013年からこちらの博物館に移されています。<br /><br /><br />一番手は14世紀建造当初にに祭壇に飾られていた聖母子と天使達の彫像です。ボケてる(汗)!

    ドゥオモ博物館は26の部屋からなる博物館で、大聖堂の宝物、芸術作品等の膨大なコレクションを展示しています。時系列になっているので、古いものから見て回りましょう。まずは、ドゥオモの聖具室にに所蔵されていたもので、1962年からクリプトで展示されていたお宝の登場です。2013年からこちらの博物館に移されています。


    一番手は14世紀建造当初にに祭壇に飾られていた聖母子と天使達の彫像です。ボケてる(汗)!

  • こちらはDyptychと呼ばれる二つ折りにして使う書字板で、福音書のカバーとして用いられていました。5世紀末の作品で、聖テクラ聖堂時代の遺物とされています。<br /><br />象牙と銀、そして石で作られていて、「5つのパーツからなるDyptych」という名で知られています。両方ともそれぞれ5つのパーツ(中央部分と四方)に分けることができるのだそう。右側の神の子羊はザクロ石に銀で縁どりがしてあり、その周りの花輪もすごーく綺麗・・・当時としては信じられないほどの技術の高さに圧倒されます。最初から魅了されてしまいました。はあ・・・これは歓喜の溜息・・・

    イチオシ

    こちらはDyptychと呼ばれる二つ折りにして使う書字板で、福音書のカバーとして用いられていました。5世紀末の作品で、聖テクラ聖堂時代の遺物とされています。

    象牙と銀、そして石で作られていて、「5つのパーツからなるDyptych」という名で知られています。両方ともそれぞれ5つのパーツ(中央部分と四方)に分けることができるのだそう。右側の神の子羊はザクロ石に銀で縁どりがしてあり、その周りの花輪もすごーく綺麗・・・当時としては信じられないほどの技術の高さに圧倒されます。最初から魅了されてしまいました。はあ・・・これは歓喜の溜息・・・

  • 共に5世紀(あるいは9世紀? )と言われている象牙製。左側のDyptychにはキリストの受難が細かく浮き彫りにされています。右側はマリアとキリストの生涯からの8場面でしょうか。<br /><br />左側のDyptychが断然凄みがありますね。

    共に5世紀(あるいは9世紀? )と言われている象牙製。左側のDyptychにはキリストの受難が細かく浮き彫りにされています。右側はマリアとキリストの生涯からの8場面でしょうか。

    左側のDyptychが断然凄みがありますね。

  • 左側はSitulaと呼ばれる典礼用のバケツ。これも象牙だそうですよ。吃驚!<br /><br />980年頃、聖アンブローズ聖堂で神聖ローマ皇帝オットー2世を祝福するために司教ゴトフレドが準備したものですが、なんと8世紀の作だそうですよ。結局皇帝が訪れる前に司教が死去したため、使われたという記録は残っていません。<br /><br />右側は、ランプシェード? なんて言ったら怒られそう。こちらも典礼用の杯です。どちらも生き生きとした聖母子を始めとするレリーフが素晴らしい。

    イチオシ

    左側はSitulaと呼ばれる典礼用のバケツ。これも象牙だそうですよ。吃驚!

    980年頃、聖アンブローズ聖堂で神聖ローマ皇帝オットー2世を祝福するために司教ゴトフレドが準備したものですが、なんと8世紀の作だそうですよ。結局皇帝が訪れる前に司教が死去したため、使われたという記録は残っていません。

    右側は、ランプシェード? なんて言ったら怒られそう。こちらも典礼用の杯です。どちらも生き生きとした聖母子を始めとするレリーフが素晴らしい。

  • 11世紀のミラノの司教アリベルト(アリベルト・ディンティミアーノ)が使ったとされる福音書カバー。沢山の宝石が使われていて、ずっしりと重そうです。<br /><br />アリベルトは、喧嘩好きで誰に対しても強硬論者だったので、貴族階級の人々にかなりたくさんの敵を作り、終いには教皇ベネディクトス9世から破門されたという話が残されています。彼の墓はドゥオモにあったそうですが、記憶にないなあ・・・

    11世紀のミラノの司教アリベルト(アリベルト・ディンティミアーノ)が使ったとされる福音書カバー。沢山の宝石が使われていて、ずっしりと重そうです。

    アリベルトは、喧嘩好きで誰に対しても強硬論者だったので、貴族階級の人々にかなりたくさんの敵を作り、終いには教皇ベネディクトス9世から破門されたという話が残されています。彼の墓はドゥオモにあったそうですが、記憶にないなあ・・・

  • こちらは司教アリベルトから現存しない聖ディオニシウス教会に寄贈された十字架で、「アリベルトの十字架」と呼ばれています。木に銅箔と金箔でコーティングしたもので、1037年から39年頃に制作されたものだとされています。<br /><br />キリストの足元に、小さく人物像とアリベルトの名前が刻まれていました。大変緻密な作品です。

    こちらは司教アリベルトから現存しない聖ディオニシウス教会に寄贈された十字架で、「アリベルトの十字架」と呼ばれています。木に銅箔と金箔でコーティングしたもので、1037年から39年頃に制作されたものだとされています。

    キリストの足元に、小さく人物像とアリベルトの名前が刻まれていました。大変緻密な作品です。

  • お宝として最初に登場した絵画は、ミケリーノとレオナルド・ダベゾッツォ父子の描いた板絵の聖母子像で、「イデアのマドンナ」と呼ばれている作品です。ミケリーノは1370年生まれ。1418年ころからミラノのドゥオモで、息子と共に内装の仕事についています。<br /><br />聖母子の背後で、天使達が大きなマントを広げていますね。聖母のご加護はマントの中にあり?

    お宝として最初に登場した絵画は、ミケリーノとレオナルド・ダベゾッツォ父子の描いた板絵の聖母子像で、「イデアのマドンナ」と呼ばれている作品です。ミケリーノは1370年生まれ。1418年ころからミラノのドゥオモで、息子と共に内装の仕事についています。

    聖母子の背後で、天使達が大きなマントを広げていますね。聖母のご加護はマントの中にあり?

  • こちらは、キリストの神殿へのお披露目。なんと上の作品とこちらの2枚裏表に描かれているのです。<br /><br />キリストは生後40日目に神殿にお披露目に行ったそうで、その日カトリックでは「聖燭節」(夜ろうそくを灯してパレードを行う)のお祝いを行います。

    こちらは、キリストの神殿へのお披露目。なんと上の作品とこちらの2枚裏表に描かれているのです。

    キリストは生後40日目に神殿にお披露目に行ったそうで、その日カトリックでは「聖燭節」(夜ろうそくを灯してパレードを行う)のお祝いを行います。

  • 天使が二人、重そうに持ち上げているこちら、何だったか失念。土台には見事な石に金のプット達が装飾されています。いろいろと調べたけれど詳細はわからずじまい。でも綺麗でしょ? ドゥオモのお宝の一つであることは間違いありません。

    天使が二人、重そうに持ち上げているこちら、何だったか失念。土台には見事な石に金のプット達が装飾されています。いろいろと調べたけれど詳細はわからずじまい。でも綺麗でしょ? ドゥオモのお宝の一つであることは間違いありません。

  • 左から聖カルロ、聖セバスティアーノ、聖テクラの聖遺物箱です。1585年頃にピエトロ・フランチェスコ・ダ・コモとピエトロ・ルビーニが制作した胸像に、200年後基盤となる台とハロを追加したとのことです。

    左から聖カルロ、聖セバスティアーノ、聖テクラの聖遺物箱です。1585年頃にピエトロ・フランチェスコ・ダ・コモとピエトロ・ルビーニが制作した胸像に、200年後基盤となる台とハロを追加したとのことです。

  • この2枚の石板は、ドゥオモの紋章ですって。<br /><br />右側は15世紀後半に作られたもので、聖母、天使達、聖ヨハネ、聖ピエトロと古いサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂のファサードが彫られています。カンドリア産の大理石製です。<br /><br />左右のファサードが少し異なるんだけれど、誰か理由を教えてくれないかなあ・・・

    この2枚の石板は、ドゥオモの紋章ですって。

    右側は15世紀後半に作られたもので、聖母、天使達、聖ヨハネ、聖ピエトロと古いサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂のファサードが彫られています。カンドリア産の大理石製です。

    左右のファサードが少し異なるんだけれど、誰か理由を教えてくれないかなあ・・・

  • お次は彫刻の部屋。ここには、ありとあらゆる彫刻が並んでいます。特にドゥオモの建造開始50年間には、スフォルツァ家がパトロンになったこともあり、ヨーロッパ大陸の各地から芸術家がミラノを目指しました。<br /><br />最初は大聖堂に沢山くっ付いている飾りです。結構手が込んでいます。これもすべて手作り。この博物館の経営母体はファッブリカ・デ・ドゥオモ。ドゥオモの建築並びにその付属物の制作を行っている団体です。建造からすでに600年余り。今も随時修復が続いていて、彼らの仕事が途切れることはありません。

    お次は彫刻の部屋。ここには、ありとあらゆる彫刻が並んでいます。特にドゥオモの建造開始50年間には、スフォルツァ家がパトロンになったこともあり、ヨーロッパ大陸の各地から芸術家がミラノを目指しました。

    最初は大聖堂に沢山くっ付いている飾りです。結構手が込んでいます。これもすべて手作り。この博物館の経営母体はファッブリカ・デ・ドゥオモ。ドゥオモの建築並びにその付属物の制作を行っている団体です。建造からすでに600年余り。今も随時修復が続いていて、彼らの仕事が途切れることはありません。

  • これこれ! 下に並んでいる顔はまさしく、ファサードのロンバルディア・ハンドに着けられていた顔ではないですか。真ん中の白いのなんだと思います? Felinoと書かれていました。えっ猫!?

    これこれ! 下に並んでいる顔はまさしく、ファサードのロンバルディア・ハンドに着けられていた顔ではないですか。真ん中の白いのなんだと思います? Felinoと書かれていました。えっ猫!?

  • 15世紀に活躍した彫刻家の一人ウォルター・モニックの彫刻で、下左は福音記者聖ヨハネ。他の方々も福音記者と使徒達ですが、特定できていません。モニックはドイツ人で、イタリアではドイツのウォルターという意味のガルティエロ・ディ・アレマーニャと呼ばれていたそうです。1406年頃の作品。これもカンドリア産の大理石を使用しています。

    15世紀に活躍した彫刻家の一人ウォルター・モニックの彫刻で、下左は福音記者聖ヨハネ。他の方々も福音記者と使徒達ですが、特定できていません。モニックはドイツ人で、イタリアではドイツのウォルターという意味のガルティエロ・ディ・アレマーニャと呼ばれていたそうです。1406年頃の作品。これもカンドリア産の大理石を使用しています。

  • 三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく(ウィキペディアによる)熾天使の像。9つある天使の位で最上級とされています。

    三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく(ウィキペディアによる)熾天使の像。9つある天使の位で最上級とされています。

  • 下段は、14世紀のフランス人彫刻家アンドレ・ボーヌヴーによる作品で、中央子供たちに囲まれているのは聖バビラス。3世紀の人でディオクレティアヌスの大迫害で殉教したと伝えられています。右側は鍵を持っているので、聖ピエトロですね。共にマルモ産の大理石製。14世紀末から15世紀初頭の作品。

    下段は、14世紀のフランス人彫刻家アンドレ・ボーヌヴーによる作品で、中央子供たちに囲まれているのは聖バビラス。3世紀の人でディオクレティアヌスの大迫害で殉教したと伝えられています。右側は鍵を持っているので、聖ピエトロですね。共にマルモ産の大理石製。14世紀末から15世紀初頭の作品。

  • ベルトラミーノ・デ・ツッティ作の「天の父なる神」は大迫力。1416年から25年にかけての制作です。通常、大聖堂の天井付近、思いっきり見上げないとならない場所におられる方が、こんなにはっきりと目の前にいらっしゃるのでドギマギ。こんな大きな神の面は初めて見たかも。<br /><br />かつてはドゥオモの後陣を飾っていたそうです。

    ベルトラミーノ・デ・ツッティ作の「天の父なる神」は大迫力。1416年から25年にかけての制作です。通常、大聖堂の天井付近、思いっきり見上げないとならない場所におられる方が、こんなにはっきりと目の前にいらっしゃるのでドギマギ。こんな大きな神の面は初めて見たかも。

    かつてはドゥオモの後陣を飾っていたそうです。

  • 左側は、ヤコピーノ・ダ・トラダーテの作品ではないかとされている巨人の像。こんなものも外壁を飾っているんですね。右側ガーゴイルたちの排水管コレクションも面白い!

    左側は、ヤコピーノ・ダ・トラダーテの作品ではないかとされている巨人の像。こんなものも外壁を飾っているんですね。右側ガーゴイルたちの排水管コレクションも面白い!

  • 2頭の鷲です。右側の鷲は王冠付きですね。ロンバルドの職人達の15世紀の制作。

    2頭の鷲です。右側の鷲は王冠付きですね。ロンバルドの職人達の15世紀の制作。

  • ガーゴイル・コレクション。その殆どがドレイン用の口を持っていました。これまた見続けていても飽きない楽しさがあります。

    ガーゴイル・コレクション。その殆どがドレイン用の口を持っていました。これまた見続けていても飽きない楽しさがあります。

  • 彫像はこれでもかというほど並んでいます。もはやメモを取り切れません。

    彫像はこれでもかというほど並んでいます。もはやメモを取り切れません。

  • ドゥオモ内部の巨大な列柱の柱頭を飾っていた彫像。14世紀末から15世紀の初めの作。こんなに大きかったんだぁ・・・

    ドゥオモ内部の巨大な列柱の柱頭を飾っていた彫像。14世紀末から15世紀の初めの作。こんなに大きかったんだぁ・・・

  • 彫像の林の中をただただ進むしかありません。これらはドゥオモ創建から50年間の間に、後期ゴシック様式でブルゴーニュ、ライン(ドイツ)、ボヘミアン、カンピオーネ、ロンバルドの職人たちが制作したおびただしい数の彫像群。どれも保存状態は良く、文書に記録が残されているそうです。

    彫像の林の中をただただ進むしかありません。これらはドゥオモ創建から50年間の間に、後期ゴシック様式でブルゴーニュ、ライン(ドイツ)、ボヘミアン、カンピオーネ、ロンバルドの職人たちが制作したおびただしい数の彫像群。どれも保存状態は良く、文書に記録が残されているそうです。

  • 前述したようにスフォルツァ家は芸術家を歓迎したため、特にその時代は大量生産されたのだそうですよ。

    前述したようにスフォルツァ家は芸術家を歓迎したため、特にその時代は大量生産されたのだそうですよ。

  • 聖アポロニア クリストフォーロ・ルヴォーニの作品。1455年頃。

    聖アポロニア クリストフォーロ・ルヴォーニの作品。1455年頃。

  • それぞれの地域により、作風が異なるのが面白い。今まで見て来たイタリアの教会とは一味も二味も違います。

    それぞれの地域により、作風が異なるのが面白い。今まで見て来たイタリアの教会とは一味も二味も違います。

  • 一体いつまで見せるんですって? はいはい。

    一体いつまで見せるんですって? はいはい。

  • 現代の彫刻といっても通じる天使の彫像。結構気にいっています。

    イチオシ

    現代の彫刻といっても通じる天使の彫像。結構気にいっています。

  • 聖セバスティアーノ。ロンバルディアの彫刻家の手によるもので、1480年から82年の作品。上の作品から見るととても素朴ですが温かい。

    聖セバスティアーノ。ロンバルディアの彫刻家の手によるもので、1480年から82年の作品。上の作品から見るととても素朴ですが温かい。

  • 左側のやや幼さが残る青年はガレアッツォ・マリア・スフォルツァ。スフォルツァ城を作った初代フランチェスコの長男で、この顔にして残忍な圧制者として知られています。彼の2番目の奥さんがサヴォイア家のボナ。彼女については一つ前の旅行記のスフォルツァ城で触れました。

    左側のやや幼さが残る青年はガレアッツォ・マリア・スフォルツァ。スフォルツァ城を作った初代フランチェスコの長男で、この顔にして残忍な圧制者として知られています。彼の2番目の奥さんがサヴォイア家のボナ。彼女については一つ前の旅行記のスフォルツァ城で触れました。

  • 左側の女性像は、博物館のサイトにも登場していたのですが、なぜか名前が書いてない。こけしのような右の像に比べ、躍動感にあふれ、衣服のひだが大きく波打っているのが分かります。

    左側の女性像は、博物館のサイトにも登場していたのですが、なぜか名前が書いてない。こけしのような右の像に比べ、躍動感にあふれ、衣服のひだが大きく波打っているのが分かります。

  • こういうのが好き! お馴染みヴィスコンティ家の蛇と鷲のついた紋章がありましたよ(右側)。多分テラコッタ製。

    こういうのが好き! お馴染みヴィスコンティ家の蛇と鷲のついた紋章がありましたよ(右側)。多分テラコッタ製。

  • 天の父なる神が再登場です。こちらはバッティスタ・ダ・カルベッタの作品ではないかと言われています(クエスチョンマーク付き)。1554年頃の作品。木製で、彩色及び金メッキ。

    天の父なる神が再登場です。こちらはバッティスタ・ダ・カルベッタの作品ではないかと言われています(クエスチョンマーク付き)。1554年頃の作品。木製で、彩色及び金メッキ。

  • 首が取れてしまっていますが、マリアの父ヨアキムと母アンナが黄金の門で再会した場面が描かれています。<br /><br />アンナには天使のお告げ(受胎告知)が、ヨアキムには夢で懐妊の知らせがあり、彼がエルサレムに下りて行くと、神殿の黄金の門でアンナが待っていたのでした。

    首が取れてしまっていますが、マリアの父ヨアキムと母アンナが黄金の門で再会した場面が描かれています。

    アンナには天使のお告げ(受胎告知)が、ヨアキムには夢で懐妊の知らせがあり、彼がエルサレムに下りて行くと、神殿の黄金の門でアンナが待っていたのでした。

  • 左側の女性像は、ドゥオモの一番高い尖塔の上に立つマドンニーナの作者ジュゼッペ・ペレーゴが制作したものです。バロックの時代に入っていますね。とても優雅。<br /><br />中央はキリストの友人だったラザロ。右はアダムです。<br /><br />

    左側の女性像は、ドゥオモの一番高い尖塔の上に立つマドンニーナの作者ジュゼッペ・ペレーゴが制作したものです。バロックの時代に入っていますね。とても優雅。

    中央はキリストの友人だったラザロ。右はアダムです。

  • ここにタペストリー1枚だけありましたよ。「キリストの受難からの一場面」。フランドルの画家による下絵に基づき制作されたもので、1467年から8年の作品。大変色が鮮やかで、保存状態が極めて良好。ウールと絹、銀が使われています。

    ここにタペストリー1枚だけありましたよ。「キリストの受難からの一場面」。フランドルの画家による下絵に基づき制作されたもので、1467年から8年の作品。大変色が鮮やかで、保存状態が極めて良好。ウールと絹、銀が使われています。

  • ようやくステンドグラスの部屋に入りましたよ。やれやれ。<br /><br />ここではドゥオモの中にあったステンドグラスのうち、ロンバルディア、フランス、ドイツ、フランドル地方の職人が制作した15世紀から16世紀の4つの作品にスポットを当てています。どのステンドグラスも19世紀に入ってから、ベルティーニ親子によって修復および更新作業が行われています。<br /><br />美しいけれど、やはり教会内で見る荘厳さには欠けますねえ。このコーナーでは、フランドル地方の職人の手による聖セバスティアーノ、アレキサンドリアのセイカタリナ、バベルの塔や天の父なる神のアダムの創造、右端には太陽の創造等が見えています。ドゥオモのどこにあったステンドグラスなのかさっぱりわからん!

    ようやくステンドグラスの部屋に入りましたよ。やれやれ。

    ここではドゥオモの中にあったステンドグラスのうち、ロンバルディア、フランス、ドイツ、フランドル地方の職人が制作した15世紀から16世紀の4つの作品にスポットを当てています。どのステンドグラスも19世紀に入ってから、ベルティーニ親子によって修復および更新作業が行われています。

    美しいけれど、やはり教会内で見る荘厳さには欠けますねえ。このコーナーでは、フランドル地方の職人の手による聖セバスティアーノ、アレキサンドリアのセイカタリナ、バベルの塔や天の父なる神のアダムの創造、右端には太陽の創造等が見えています。ドゥオモのどこにあったステンドグラスなのかさっぱりわからん!

  • こちらは、磔の場面の詳細です。一番左側のキリストの十字架降下が生々しい・・・青色が綺麗です。

    こちらは、磔の場面の詳細です。一番左側のキリストの十字架降下が生々しい・・・青色が綺麗です。

  • ステンドグラスについても、見上げることはあっても、目の前に展示されるという機会は滅多にないので、全部に目を通します。でも見た記憶なし(;´д`)トホホ・・・<br /><br />第二次大戦中は爆撃を恐れ、ステンドグラスは全て外されて地下のクリプトに保管されていたそうですよ。

    ステンドグラスについても、見上げることはあっても、目の前に展示されるという機会は滅多にないので、全部に目を通します。でも見た記憶なし(;´д`)トホホ・・・

    第二次大戦中は爆撃を恐れ、ステンドグラスは全て外されて地下のクリプトに保管されていたそうですよ。

  • かろうじて分かったのは、一番右。新約聖書からの場面で「マリアのエリザベート訪問」でした。

    かろうじて分かったのは、一番右。新約聖書からの場面で「マリアのエリザベート訪問」でした。

  • 突然ですが、現れたのはこの名画です。<br /><br />「神殿で博士達と議論をするキリスト」は1542年、ティントレットの作品。黄色い服を着た手前の博士のアクションが目立っているのに比べ、主役は奥まった場所にいて、顔もよく判別できません。画家にはどういう狙いがあったのでしょう?

    突然ですが、現れたのはこの名画です。

    「神殿で博士達と議論をするキリスト」は1542年、ティントレットの作品。黄色い服を着た手前の博士のアクションが目立っているのに比べ、主役は奥まった場所にいて、顔もよく判別できません。画家にはどういう狙いがあったのでしょう?

  • と思ったらまた彫刻に戻ります。<br /><br />皇帝アウレリアヌスの時代の274年に、信者という理由だけでわずか15歳で亡くなった聖アガピトゥス(アガピート)像です。彼はローマ近郊のパレストリーナで獣の沢山いる地域に逆さに吊られる刑を受けましたが、動物たちが彼を襲うことはなかったため、最後は首をはねられたそうです。ロンバルディアの彫刻家の作。1605年から7年。

    と思ったらまた彫刻に戻ります。

    皇帝アウレリアヌスの時代の274年に、信者という理由だけでわずか15歳で亡くなった聖アガピトゥス(アガピート)像です。彼はローマ近郊のパレストリーナで獣の沢山いる地域に逆さに吊られる刑を受けましたが、動物たちが彼を襲うことはなかったため、最後は首をはねられたそうです。ロンバルディアの彫刻家の作。1605年から7年。

  • ジョヴァン・アンジェロ・マリーニ作の「イヴ」です。制作は1563年から65年。カンドリア大理石製です。

    ジョヴァン・アンジェロ・マリーニ作の「イヴ」です。制作は1563年から65年。カンドリア大理石製です。

  • こちらの博物館、10年間くらい休館し、2013年に再オープンしただけあって、随所に工夫が施されています。中でも照明の当て方は抜群。彫像が一番美しく輝く位置にスポットライトが当たっています。<br /><br />この女性像は、一、二を争う美しさでした。

    イチオシ

    こちらの博物館、10年間くらい休館し、2013年に再オープンしただけあって、随所に工夫が施されています。中でも照明の当て方は抜群。彫像が一番美しく輝く位置にスポットライトが当たっています。

    この女性像は、一、二を争う美しさでした。

  • マルコ・アントニオ・プレスティナーリによる聖アンブローズ。彼の兄弟クリストフォーロもドゥオモで制作に携わっていました。

    マルコ・アントニオ・プレスティナーリによる聖アンブローズ。彼の兄弟クリストフォーロもドゥオモで制作に携わっていました。

  • ドゥオモの聖歌隊席を仕切る壁に使われていたパネルのモデルとなったレリーフです。1601年。ジョヴァン・アンオドレア・ビッフィの作品。<br /><br />これは、マリアの神殿へのお披露目ですね。

    ドゥオモの聖歌隊席を仕切る壁に使われていたパネルのモデルとなったレリーフです。1601年。ジョヴァン・アンオドレア・ビッフィの作品。

    これは、マリアの神殿へのお披露目ですね。

  • 他にも、「聖誕」、「博士達と論議するキリスト」、「エジプトへの逃避」、「マリアのエリザベート訪問」などがありました。<br /><br />中央下のレリーフは、「キリストの初めての神殿へのお披露目」。ここでは聖母が山鳩の供物を捧げています。

    他にも、「聖誕」、「博士達と論議するキリスト」、「エジプトへの逃避」、「マリアのエリザベート訪問」などがありました。

    中央下のレリーフは、「キリストの初めての神殿へのお披露目」。ここでは聖母が山鳩の供物を捧げています。

  • 続いては、ドゥオモファサードの扉上にあったレリーフの下絵とモデルとなったレリーフです。<br /><br />ドゥオモの一番左側にあった「コンスタンティヌス帝の勅令の扉」の上のレリーフ「エステルと彼女の夫となるペルシャ王アハシュエロス」。比べてみると、クレスピの下絵とレリーフには結構異なる箇所がありますね。

    続いては、ドゥオモファサードの扉上にあったレリーフの下絵とモデルとなったレリーフです。

    ドゥオモの一番左側にあった「コンスタンティヌス帝の勅令の扉」の上のレリーフ「エステルと彼女の夫となるペルシャ王アハシュエロス」。比べてみると、クレスピの下絵とレリーフには結構異なる箇所がありますね。

  • 中央扉上の、あまりにも有名な「イヴの創造」。

    中央扉上の、あまりにも有名な「イヴの創造」。

  • こちらもレリーフをアップでどうぞ。

    こちらもレリーフをアップでどうぞ。

  • 左から四番目の扉の上のレリーフ「ユディトとホロフェルネス」。

    左から四番目の扉の上のレリーフ「ユディトとホロフェルネス」。

  • 上の下絵のホロフェルネスは一見平和な寝顔ですが、レリーフのほうは完全に気付いている! 恐ろしい形相をしています!

    上の下絵のホロフェルネスは一見平和な寝顔ですが、レリーフのほうは完全に気付いている! 恐ろしい形相をしています!

  • ドゥオモ右端の扉の上のレリーフ「ソロモンとシバの女王」の下絵です。<br /><br />左から二番目の扉の分がなかったけれど、撮り忘れたのかしら?

    ドゥオモ右端の扉の上のレリーフ「ソロモンとシバの女王」の下絵です。

    左から二番目の扉の分がなかったけれど、撮り忘れたのかしら?

  • 他にも、色々な場面のモデルが展示されていましたが、とにかく数が多すぎて全部は紹介しきれません。右側の大きいものは「イサクの犠牲」かな。

    他にも、色々な場面のモデルが展示されていましたが、とにかく数が多すぎて全部は紹介しきれません。右側の大きいものは「イサクの犠牲」かな。

  • 午前中にドゥオモのファサードで見かけたものとは違うパネルがご覧のように沢山あり、どれも力作ぞろいでした。

    午前中にドゥオモのファサードで見かけたものとは違うパネルがご覧のように沢山あり、どれも力作ぞろいでした。

  • 天使に支えられながら天へと導かれる左上の男性はどなたでしょう???

    天使に支えられながら天へと導かれる左上の男性はどなたでしょう???

  • 少々変わったものといえば、主祭壇を支えていた棚受けだったこちら。木製で金メッキが施してあります。あどけない表情のプット達が可愛い。ジョヴァン・バッティスタ・マンゴーネの1609年から10年にかけての作品と言われています。

    少々変わったものといえば、主祭壇を支えていた棚受けだったこちら。木製で金メッキが施してあります。あどけない表情のプット達が可愛い。ジョヴァン・バッティスタ・マンゴーネの1609年から10年にかけての作品と言われています。

  • 聖カルロ・ボッロメオが使用していた主祭壇と上にあるのは多分燭台かな?

    聖カルロ・ボッロメオが使用していた主祭壇と上にあるのは多分燭台かな?

  • タペストリーに移ります。こちらはキリストの十字架降下ですね。

    タペストリーに移ります。こちらはキリストの十字架降下ですね。

  • ドゥオモが所蔵するタペストリーの中で最も人気なのがこちらの「プット達の踊り」。果物で作られた巨大な花綱の上で、プット達が戯れています。<br /><br />あれっ! 中央の背中を向けている子には羽がない!

    ドゥオモが所蔵するタペストリーの中で最も人気なのがこちらの「プット達の踊り」。果物で作られた巨大な花綱の上で、プット達が戯れています。

    あれっ! 中央の背中を向けている子には羽がない!

  • 東方三博士達の礼拝。

    東方三博士達の礼拝。

  • 上のプット達の踊りとモーゼの生涯の物語を描いたタペストリーは、1568年にマントヴァ公爵グリエルモ1世ゴンサーガから聖カルロ・ボッロメオに贈られたものです。<br /><br />モーゼのシリーズは最初6枚あったそうですが、1906年に開かれたミラノ万博の際に起きた火事でそのうち3枚が焼失しました(ファラオの前のモーゼ、ユダヤの過ぎ越しの祭り、マンナを集める)。残ったのが、こちらの「青銅の蛇」、「紅海を割るモーゼ」そして一枚下にある・・・

    上のプット達の踊りとモーゼの生涯の物語を描いたタペストリーは、1568年にマントヴァ公爵グリエルモ1世ゴンサーガから聖カルロ・ボッロメオに贈られたものです。

    モーゼのシリーズは最初6枚あったそうですが、1906年に開かれたミラノ万博の際に起きた火事でそのうち3枚が焼失しました(ファラオの前のモーゼ、ユダヤの過ぎ越しの祭り、マンナを集める)。残ったのが、こちらの「青銅の蛇」、「紅海を割るモーゼ」そして一枚下にある・・・

  • こちらの「十戒のタブレットを叩き割るモーゼ」です。

    こちらの「十戒のタブレットを叩き割るモーゼ」です。

  • 小型の彫像やレリーフを集めたコーナーは、博物館というよりは工房あるいはひょっとして土産物屋? という雰囲気になります。良い作品が埋もれているかもしれませんが、ここは素通り。

    小型の彫像やレリーフを集めたコーナーは、博物館というよりは工房あるいはひょっとして土産物屋? という雰囲気になります。良い作品が埋もれているかもしれませんが、ここは素通り。

  • でも、「マリアの誕生」だけアップしてみました。

    でも、「マリアの誕生」だけアップしてみました。

  • こうなってくると、何が何だかごっちゃまぜ状態だと思いませんか?

    こうなってくると、何が何だかごっちゃまぜ状態だと思いませんか?

  • お次のコーナーは、木製(菩提樹とクルミ)の1/20スケールのドゥオモの模型です。写真で見ると分かりませんが、人の背丈よりもずっと高く、写真1枚に入りきれないほど。<br /><br />「モデッローネ」と親しみを込めて呼ばれているこちらの模型は、1519年にベルナルディーノ・ツェナーレ・ダ・トレヴィーリョが依頼されたもので、作り始めてから完成までに3世紀かかったそうです。

    お次のコーナーは、木製(菩提樹とクルミ)の1/20スケールのドゥオモの模型です。写真で見ると分かりませんが、人の背丈よりもずっと高く、写真1枚に入りきれないほど。

    「モデッローネ」と親しみを込めて呼ばれているこちらの模型は、1519年にベルナルディーノ・ツェナーレ・ダ・トレヴィーリョが依頼されたもので、作り始めてから完成までに3世紀かかったそうです。

  • 今のドゥオモのファサードとはだいぶん異なりますが、全体の形と尖塔の数は500年前から変わっていません。これほど複雑な構造の建物が他にあるでしょうか?

    今のドゥオモのファサードとはだいぶん異なりますが、全体の形と尖塔の数は500年前から変わっていません。これほど複雑な構造の建物が他にあるでしょうか?

  • この他にも、ドゥオモ付属工房では、建築当初から、設計及び施工したすべてのパターンの模型を保存しています。こちらは上のモデッローネと比較するとかなりシンプルに感じられるファサード。いつ頃のだろう??

    この他にも、ドゥオモ付属工房では、建築当初から、設計及び施工したすべてのパターンの模型を保存しています。こちらは上のモデッローネと比較するとかなりシンプルに感じられるファサード。いつ頃のだろう??

  • ファサードだけでなく、インテリアに関してもご覧の通り、詳細が確認できます。

    ファサードだけでなく、インテリアに関してもご覧の通り、詳細が確認できます。

  • こちらを見ると建築途中の様子が良く分かりますね。左翼廊のアーチでしょうか。

    こちらを見ると建築途中の様子が良く分かりますね。左翼廊のアーチでしょうか。

  • 完成した翼廊部分はこちらです。ただただため息ですねえ・・・

    完成した翼廊部分はこちらです。ただただため息ですねえ・・・

  • 博物館最後の部屋は、20世紀に建築された扉の展示でした。<br /><br />ドゥオモの入り口に使用されている一番右側にある、私が写せなかった5番目の扉です。こちらは、彫刻家ルチアノ・ミングッツィがコンテストで優勝し、1950年から15年間かけて制作したもので、「ドゥオモの歴史」が綴られています。

    博物館最後の部屋は、20世紀に建築された扉の展示でした。

    ドゥオモの入り口に使用されている一番右側にある、私が写せなかった5番目の扉です。こちらは、彫刻家ルチアノ・ミングッツィがコンテストで優勝し、1950年から15年間かけて制作したもので、「ドゥオモの歴史」が綴られています。

  • そしてこちらは、最後までミングッツィと勝敗を争ったアルゼンチン生まれの彫刻家ルーチョ・フォンターナの扉の試作品です。彼は1966年、ヴェネツィア・ビエンナーレで対象を受賞。時間と空間が融和した四次元空間の表現を試みるスパツィアリスモの創始者として知られています。

    そしてこちらは、最後までミングッツィと勝敗を争ったアルゼンチン生まれの彫刻家ルーチョ・フォンターナの扉の試作品です。彼は1966年、ヴェネツィア・ビエンナーレで対象を受賞。時間と空間が融和した四次元空間の表現を試みるスパツィアリスモの創始者として知られています。

  • フォンターナの制作したテラコッタが壁を飾っていました。右は「聖カルロとドゥオモ」というタイトルがついていました。動きがとてもダイナミックです。<br /><br />驚きとため息の連続のドゥオモ博物館でした。こんなに1か所に集めていいの? と思えるほど質、量ともに第一級の内容です。ご覧になった後で、もう一度ドゥオモのファサードを眺めることをお勧めします。新たな発見があること間違いなし。

    フォンターナの制作したテラコッタが壁を飾っていました。右は「聖カルロとドゥオモ」というタイトルがついていました。動きがとてもダイナミックです。

    驚きとため息の連続のドゥオモ博物館でした。こんなに1か所に集めていいの? と思えるほど質、量ともに第一級の内容です。ご覧になった後で、もう一度ドゥオモのファサードを眺めることをお勧めします。新たな発見があること間違いなし。

  • 今日はミラノを訪れる人ならだれでもが向かうゴールデンルート(別名お上りさんルート)を辿ります。見えてきたのは、建築家ジュゼッペ・メンゴーニが設計したヴィットリオ・エマニュエーレ2世アーケードの入口の凱旋門です。

    今日はミラノを訪れる人ならだれでもが向かうゴールデンルート(別名お上りさんルート)を辿ります。見えてきたのは、建築家ジュゼッペ・メンゴーニが設計したヴィットリオ・エマニュエーレ2世アーケードの入口の凱旋門です。

  • 1865年から77年にかけて建てられた世界でも古いショッピングアーケードの一つです。ガラス張りのアーケードは十字架の形をしていて、十字が合わさるところはクーポラのある造りになっています。<br /><br />ガラスを支える鉄は鋳鉄。鋳鉄はどんな形のものでも作ることが出来、加工がしやすく、振動を抑える効果が高いそうですよ。

    1865年から77年にかけて建てられた世界でも古いショッピングアーケードの一つです。ガラス張りのアーケードは十字架の形をしていて、十字が合わさるところはクーポラのある造りになっています。

    ガラスを支える鉄は鋳鉄。鋳鉄はどんな形のものでも作ることが出来、加工がしやすく、振動を抑える効果が高いそうですよ。

  • 今いるドゥオモ広場とスカラ座を結ぶ長い方の十字は全長196mもあるとか。両側に立つ店舗部分は3階建て。壁にはロンバルディアルネッサンス様式の装飾が! フリーズのデザインも一つ一つ異なっているんですね。

    今いるドゥオモ広場とスカラ座を結ぶ長い方の十字は全長196mもあるとか。両側に立つ店舗部分は3階建て。壁にはロンバルディアルネッサンス様式の装飾が! フリーズのデザインも一つ一つ異なっているんですね。

  • 中央のクーポラは完璧な円形ですが、建物部分は八角形。そのものずばりの名前オッタゴーノと呼ばれていました。直径が37.5m 天井までの高さは17.1mもあるそうですよ。<br /><br />写真ではよく見えませんが、クーポラの4つのペンダント部分には四大陸を表わす寓話象のフレスコが描かれていました。<br />

    中央のクーポラは完璧な円形ですが、建物部分は八角形。そのものずばりの名前オッタゴーノと呼ばれていました。直径が37.5m 天井までの高さは17.1mもあるそうですよ。

    写真ではよく見えませんが、クーポラの4つのペンダント部分には四大陸を表わす寓話象のフレスコが描かれていました。

  • これまたお馴染みのモザイクも折角なので見ていきましょう。イタリア王国にあった4つの首都の紋章が描かれています。<br /><br />こちらはミラノの紋章です。ナポレオンにより築かれたイタリア王国は1805年から14年という短い期間でしたが、首都はミラノに置かれました。フランス皇帝ナポレオンはこの地においてもイタリア王となったのです。ミラノがイタリア王国の首都だったということは恥ずかしながらここで初めて知りました。

    これまたお馴染みのモザイクも折角なので見ていきましょう。イタリア王国にあった4つの首都の紋章が描かれています。

    こちらはミラノの紋章です。ナポレオンにより築かれたイタリア王国は1805年から14年という短い期間でしたが、首都はミラノに置かれました。フランス皇帝ナポレオンはこの地においてもイタリア王となったのです。ミラノがイタリア王国の首都だったということは恥ずかしながらここで初めて知りました。

  • 一番有名なのはこちら、トリノの紋章。牛のアソコの部分はその上で一回転すると幸運がもたらされる「迷信」により、すっかり丸い穴が開いてしまっています。誰が最初にやり始めたのかしら?<br /><br />トリノに首都がおかれたのは1861年から65年のわずか4年間のこと。61年にサルディーニヤ王国によるリソルジメントで、ヴィットリオ・エマニュエーレ2世がイタリア王国の実質的な国王第1号となります。

    一番有名なのはこちら、トリノの紋章。牛のアソコの部分はその上で一回転すると幸運がもたらされる「迷信」により、すっかり丸い穴が開いてしまっています。誰が最初にやり始めたのかしら?

    トリノに首都がおかれたのは1861年から65年のわずか4年間のこと。61年にサルディーニヤ王国によるリソルジメントで、ヴィットリオ・エマニュエーレ2世がイタリア王国の実質的な国王第1号となります。

  • 三番手はフィレンツェ。フルール・ド・リスのデザインですね。フィレンツェが首都だったのは1865年から71年の6年間。その頃はローマがまだフランスの支配を受けていました。イタリア王国は北からじわじわと南に伸びて行ったんですね。

    三番手はフィレンツェ。フルール・ド・リスのデザインですね。フィレンツェが首都だったのは1865年から71年の6年間。その頃はローマがまだフランスの支配を受けていました。イタリア王国は北からじわじわと南に伸びて行ったんですね。

  • そして、こちらはもちろんローマですね。1871年-1943年、1944年-1946年の間、イタリア王国の首都となりました。1943年から44年の間には、ムッソリーニの台頭によりごく短い間ですがプリンディジとサレルノに首都が移っています。

    そして、こちらはもちろんローマですね。1871年-1943年、1944年-1946年の間、イタリア王国の首都となりました。1943年から44年の間には、ムッソリーニの台頭によりごく短い間ですがプリンディジとサレルノに首都が移っています。

  • 最後はイタリア王国の紋章です。ミラノと似ていますが、こちらは白十字です。第二次大戦後の1946年6月に行われた国民投票の結果、イタリア王国は終焉を告げ、イタリアは共和国に生まれ変わるのです。

    最後はイタリア王国の紋章です。ミラノと似ていますが、こちらは白十字です。第二次大戦後の1946年6月に行われた国民投票の結果、イタリア王国は終焉を告げ、イタリアは共和国に生まれ変わるのです。

  • 十字の交差点、クーポラの真下から撮った短い方のガレリアです。こちらが西側。すらっと有名店が軒を並べています。

    十字の交差点、クーポラの真下から撮った短い方のガレリアです。こちらが西側。すらっと有名店が軒を並べています。

  • そしてこちらが東側。天井ヴォールトのアーチ中央にあったのは、やはりミラノの紋章でした。

    そしてこちらが東側。天井ヴォールトのアーチ中央にあったのは、やはりミラノの紋章でした。

  • 私は長い方のガッレリアをそのままスカラ座前出口へと進みます。3階部分のバルコニーもエレガントですねえ。<br />

    私は長い方のガッレリアをそのままスカラ座前出口へと進みます。3階部分のバルコニーもエレガントですねえ。

  • 出口を抜けるとそこはスカラ広場。最初に目に入ったのは白と灰色のツートンカラーをしたイタリア商業銀行のビルでした。こちらもスフォルツァ城の再建を行ったルカ・ベルトラーミの設計によるものです。ネオ・クラシカル様式で20世紀初頭の建造です。屋根にヴィジョンが取り付けられていますよ。<br /><br />右側の茶色いビルはミラノの市庁舎となっているマリーノ宮です。裕福な税回収人トマゾ・マリーノが建築家ガレアッツォ・アレッシに依頼し、1563年に建てたもので、当時まだこの広場は存在していなかったそうです。1861年にミラノ市が建物を購入。それ以来、ここは市庁舎として使用されています。この建物もまた、ルカ・ベルトラーニによって大幅な改装が行われています。

    出口を抜けるとそこはスカラ広場。最初に目に入ったのは白と灰色のツートンカラーをしたイタリア商業銀行のビルでした。こちらもスフォルツァ城の再建を行ったルカ・ベルトラーミの設計によるものです。ネオ・クラシカル様式で20世紀初頭の建造です。屋根にヴィジョンが取り付けられていますよ。

    右側の茶色いビルはミラノの市庁舎となっているマリーノ宮です。裕福な税回収人トマゾ・マリーノが建築家ガレアッツォ・アレッシに依頼し、1563年に建てたもので、当時まだこの広場は存在していなかったそうです。1861年にミラノ市が建物を購入。それ以来、ここは市庁舎として使用されています。この建物もまた、ルカ・ベルトラーニによって大幅な改装が行われています。

  • 広場の中心に立っているこの方は、果たして・・・・やっぱり! ヴィンチ村出身のレオナルドさんでした。1872年に彫刻家ピエトロ・マグニが制作しました。彼の足元にいるのは、レオナルドが好んだ4人の学生だそうですよ。彼らの背後には、レオナルドが習得した様々な学問の内、絵画、彫刻、工学、建築をイメージしたレリーフがありました。<br /><br />彼は生涯に色々な町を渡り歩きましたが、ここミラノと言えば、なんといっても1498年、彼が46歳の時に描いた「最後の晩餐」になりますか。レオナルドがうつむき加減に見ている方向には・・・

    広場の中心に立っているこの方は、果たして・・・・やっぱり! ヴィンチ村出身のレオナルドさんでした。1872年に彫刻家ピエトロ・マグニが制作しました。彼の足元にいるのは、レオナルドが好んだ4人の学生だそうですよ。彼らの背後には、レオナルドが習得した様々な学問の内、絵画、彫刻、工学、建築をイメージしたレリーフがありました。

    彼は生涯に色々な町を渡り歩きましたが、ここミラノと言えば、なんといっても1498年、彼が46歳の時に描いた「最後の晩餐」になりますか。レオナルドがうつむき加減に見ている方向には・・・

  • かの名高いオペラの殿堂 スカラ座がでーんと構えていました。正式名称はテアトロ・アッラ・スカラ。階段にある劇場という意味かしら? 調べてみたら、この劇場が建っていた場所には元々、サンタ・マリア・アッラ・スカラという教会があったことが名前の由来となっているようです。1778年、アントニオ・サリエリ作のL&#39;Europa riconoscuita「見出されたエウローパ」が初演となりました。

    かの名高いオペラの殿堂 スカラ座がでーんと構えていました。正式名称はテアトロ・アッラ・スカラ。階段にある劇場という意味かしら? 調べてみたら、この劇場が建っていた場所には元々、サンタ・マリア・アッラ・スカラという教会があったことが名前の由来となっているようです。1778年、アントニオ・サリエリ作のL'Europa riconoscuita「見出されたエウローパ」が初演となりました。

  • どっしりと重厚感のあるファサードには大きなティンパヌムと半柱、突き出した扉の上はバルコニーになっています。1857年にスカラ広場が出来る前は、通りから見上げるとかなりの圧迫感があったのではないかと思われます。<br /><br />21世紀に入って大規模な改装が行われましたが、オリジナルの設計を重視して、外観は1778年の開館当時とあまり変えていないそうです。

    どっしりと重厚感のあるファサードには大きなティンパヌムと半柱、突き出した扉の上はバルコニーになっています。1857年にスカラ広場が出来る前は、通りから見上げるとかなりの圧迫感があったのではないかと思われます。

    21世紀に入って大規模な改装が行われましたが、オリジナルの設計を重視して、外観は1778年の開館当時とあまり変えていないそうです。

  • 道路を渡って、スカラ座側から眺めたレオナルド様。スカラ座にはあまり興味がないみたい・・・

    道路を渡って、スカラ座側から眺めたレオナルド様。スカラ座にはあまり興味がないみたい・・・

  • この後、スカラ座の前の大通りマンツォーニ通りを行ったり来たりしながら、素敵な建物の写真を撮って歩きました。<br /><br />スカラ広場にも面していたイタリア商業銀行のマンツォーニ通り側のファサード。

    この後、スカラ座の前の大通りマンツォーニ通りを行ったり来たりしながら、素敵な建物の写真を撮って歩きました。

    スカラ広場にも面していたイタリア商業銀行のマンツォーニ通り側のファサード。

  • その隣の建物には、ずらり並んだトンドから穏やかにに顔を覗かせている人達がいましたよ。物理学者のアレッサンドロ・ヴォルタ、哲学者で経済学者のピエトロ・ヴェッリ、同じく哲学者のチェザーレ・ベッカリア、詩人のジュゼッペ・パリーニといった私達にはなじみのない顔に交じって、彫刻家で画家のアントニオ・カノーヴァ、そして我らがレオナルドもいましたよ!!<br /><br />こちらも歴史的な建物の一つ、パラッツォ・ブレンターニ。1848年には、オーストリア軍に敗れ、ミラノに逃げ帰ったサルディーニャ王カルロ・アルベルトの暗殺未遂現場ともなりました。

    その隣の建物には、ずらり並んだトンドから穏やかにに顔を覗かせている人達がいましたよ。物理学者のアレッサンドロ・ヴォルタ、哲学者で経済学者のピエトロ・ヴェッリ、同じく哲学者のチェザーレ・ベッカリア、詩人のジュゼッペ・パリーニといった私達にはなじみのない顔に交じって、彫刻家で画家のアントニオ・カノーヴァ、そして我らがレオナルドもいましたよ!!

    こちらも歴史的な建物の一つ、パラッツォ・ブレンターニ。1848年には、オーストリア軍に敗れ、ミラノに逃げ帰ったサルディーニャ王カルロ・アルベルトの暗殺未遂現場ともなりました。

  • パラッツォ・アンギッソーラ。1775年~78年にかけて建築家カルロ・フェリ-チェ・ソアヴェによって建てられましたが、通りに面したファサードのデザインは1829年、スイス人ルイジ・カノニカによります。最上階のレリーフのフリーズが素晴らしいです。

    パラッツォ・アンギッソーラ。1775年~78年にかけて建築家カルロ・フェリ-チェ・ソアヴェによって建てられましたが、通りに面したファサードのデザインは1829年、スイス人ルイジ・カノニカによります。最上階のレリーフのフリーズが素晴らしいです。

  • パラッツォ・アンギッソーラの入口です。扉のアーチの中央にあったこの顔に魅せられて思わず1枚! 現在館はスカラ広場美術館(ガッレリア・ピアッツァ・スカラ)になっています。

    パラッツォ・アンギッソーラの入口です。扉のアーチの中央にあったこの顔に魅せられて思わず1枚! 現在館はスカラ広場美術館(ガッレリア・ピアッツァ・スカラ)になっています。

  • こちらは、貴族で美術品コレクターだったポルディ・ペッツォーリが収集した作品を展示しているプライヴェート美術館の入っている建物です。ペルジーノ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ボッティチェリ、ジョヴァンニ・ベッリーニ等の作品もあったことを知ったのは帰国後のことでした。事前調査が足りなかった(涙)・・・

    こちらは、貴族で美術品コレクターだったポルディ・ペッツォーリが収集した作品を展示しているプライヴェート美術館の入っている建物です。ペルジーノ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ボッティチェリ、ジョヴァンニ・ベッリーニ等の作品もあったことを知ったのは帰国後のことでした。事前調査が足りなかった(涙)・・・

  • 表通りはこれ位にして、今度は裏に回りましょう。レトロなトラムを横目に、町歩きは裏通りがメインよ とばかりに横町を曲がっていきます。

    表通りはこれ位にして、今度は裏に回りましょう。レトロなトラムを横目に、町歩きは裏通りがメインよ とばかりに横町を曲がっていきます。

  • というわけで、スカラ広場の裏に回ると、表側とは印象の異なるマリーノ宮の裏ファサードと遭遇しました。表の広場からは3階建てに見えたけれど、一部のみで、大半は2階建てだったことが分かりました。<br /><br />見上げると3階部分の付け柱にはカリアテッドのように顔がついていて、むらむらと好奇心が湧いてきます。柱の間のフリーズも大変美しい!<br /><br />調べてみたら、写真左側にあるサン・フェデーレ広場に面した部分と今向きあっている部分は、1563年建造のガレアッツォ・アレッシのオリジナルで、マニエリスム時代の特色を持つ建築だそうです。こちらの方が断然面白いや! やはり裏に回って良かったぁ。

    というわけで、スカラ広場の裏に回ると、表側とは印象の異なるマリーノ宮の裏ファサードと遭遇しました。表の広場からは3階建てに見えたけれど、一部のみで、大半は2階建てだったことが分かりました。

    見上げると3階部分の付け柱にはカリアテッドのように顔がついていて、むらむらと好奇心が湧いてきます。柱の間のフリーズも大変美しい!

    調べてみたら、写真左側にあるサン・フェデーレ広場に面した部分と今向きあっている部分は、1563年建造のガレアッツォ・アレッシのオリジナルで、マニエリスム時代の特色を持つ建築だそうです。こちらの方が断然面白いや! やはり裏に回って良かったぁ。

  • サン・フェデーレ教会の前にはEXPOマークの付いたレンタサイクルが数台置かれていました。借り方がわからず乗ることが叶わなかったのが残念。少々派手だけれど、平坦な道の多いミラノでは重宝しそうです。

    サン・フェデーレ教会の前にはEXPOマークの付いたレンタサイクルが数台置かれていました。借り方がわからず乗ることが叶わなかったのが残念。少々派手だけれど、平坦な道の多いミラノでは重宝しそうです。

  • そして、オメノーニ通りに入った途端、変なものを見つけちゃいましたよ!<br /><br />何じゃこれ?

    そして、オメノーニ通りに入った途端、変なものを見つけちゃいましたよ!

    何じゃこれ?

  • オメノーニの家と呼ばれるこちらの建物は1565年頃建てられました。オメノーニというのはこの地方の方言で「大きい(偉大な)男」という意味だそうですよ。設計したのは、この家の主で彫刻家のレオーネ・レオーニ、彫刻を制作したのはアントニオ・アボンディオです。<br /><br />こういうのもテラモンと呼ぶのかしら?

    イチオシ

    オメノーニの家と呼ばれるこちらの建物は1565年頃建てられました。オメノーニというのはこの地方の方言で「大きい(偉大な)男」という意味だそうですよ。設計したのは、この家の主で彫刻家のレオーネ・レオーニ、彫刻を制作したのはアントニオ・アボンディオです。

    こういうのもテラモンと呼ぶのかしら?

  • ミラノの造幣局専属の彫刻家だったレオーニは1549年にここに土地を買い、1565年から自宅用の建物を建築し始めます。彼とその息子ポンペオは美術品収集家としても名高く、コレクションの中にはティッツィアーノ、コレッジョ、ダ・ヴィンチ等があったそうですが、その後分散され、現在主なものはミラノのアンブローズ美術館(ピナコテカ・アンブロジアーナ)に所蔵されています。

    ミラノの造幣局専属の彫刻家だったレオーニは1549年にここに土地を買い、1565年から自宅用の建物を建築し始めます。彼とその息子ポンペオは美術品収集家としても名高く、コレクションの中にはティッツィアーノ、コレッジョ、ダ・ヴィンチ等があったそうですが、その後分散され、現在主なものはミラノのアンブローズ美術館(ピナコテカ・アンブロジアーナ)に所蔵されています。

  • 建物は2階建ての上にアティックがついていました。19世紀と20世紀に大々的に改装が行われましたが、彫像を含むファサードは殆どオリジナルのままだそうです。彫像がかなり傷んできているみたいで、顔の判別がつかないものもありました。<br /><br />かのジョルジョ・ヴァザーリはこの建物を見て、「気まぐれな創案に満ちている」と書き残しています。

    建物は2階建ての上にアティックがついていました。19世紀と20世紀に大々的に改装が行われましたが、彫像を含むファサードは殆どオリジナルのままだそうです。彫像がかなり傷んできているみたいで、顔の判別がつかないものもありました。

    かのジョルジョ・ヴァザーリはこの建物を見て、「気まぐれな創案に満ちている」と書き残しています。

  • 中央扉の上には、レオーニ(ライオン)家らしく、2頭のライオンがサテュロスを八つ裂きにしている場面のレリーフがありました。これもレオーニ氏の気まぐれの一つでしょうか?

    中央扉の上には、レオーニ(ライオン)家らしく、2頭のライオンがサテュロスを八つ裂きにしている場面のレリーフがありました。これもレオーニ氏の気まぐれの一つでしょうか?

  • このままオメノーニ通りを進んでいこうとしましたが、マリーノ宮横にあるサン・フェデーレ教会をまず見て行こうと引き返しました。この選択が、翌日のミラノ、今回の旅の最終日を素晴らしいものにしてくれました。

    このままオメノーニ通りを進んでいこうとしましたが、マリーノ宮横にあるサン・フェデーレ教会をまず見て行こうと引き返しました。この選択が、翌日のミラノ、今回の旅の最終日を素晴らしいものにしてくれました。

  • サン・フェデーレ教会でアテンドをして下さったイタリア・ツーリング・クラブのメンバー(ヴォランティア・ガイド)に、「絶対見逃してはならない隠れたミラノの名所旧跡」を教えていただいたのです。<br /><br />ツーリング・クラブ旅行事業を専門とする独立非営利法人で、この日は土曜日だったせいか、中では沢山のメンバーがヴォランティアとして活動していました。

    サン・フェデーレ教会でアテンドをして下さったイタリア・ツーリング・クラブのメンバー(ヴォランティア・ガイド)に、「絶対見逃してはならない隠れたミラノの名所旧跡」を教えていただいたのです。

    ツーリング・クラブ旅行事業を専門とする独立非営利法人で、この日は土曜日だったせいか、中では沢山のメンバーがヴォランティアとして活動していました。

  • またまた、ファサードを見ずに突入してしまいました。16世紀に建てられたサン・フェデーレ教会は、聖カルロ・ボッロメオお気に入りの建築家ペッレグリーノ・ティバルディにより建造されたイエスズ会の教会です。<br /><br />イタリアの建築史においては、丁度ミケランジェロとパッラーディオの中間の時代で、それまで建てられた教会建築のモデルを多く取り入れた設計は、後に続く宗教建築にも大きな影響を与えたと言われています。<br /><br />内部は一廊式。マニエリスム期、それとも華美になる手前のバロックの雰囲気でしょうか。やっぱり、小さな教会は落ち着きます。

    またまた、ファサードを見ずに突入してしまいました。16世紀に建てられたサン・フェデーレ教会は、聖カルロ・ボッロメオお気に入りの建築家ペッレグリーノ・ティバルディにより建造されたイエスズ会の教会です。

    イタリアの建築史においては、丁度ミケランジェロとパッラーディオの中間の時代で、それまで建てられた教会建築のモデルを多く取り入れた設計は、後に続く宗教建築にも大きな影響を与えたと言われています。

    内部は一廊式。マニエリスム期、それとも華美になる手前のバロックの雰囲気でしょうか。やっぱり、小さな教会は落ち着きます。

  • 右側最初は、ボケてしまいましたが、イエスズ会の創始者イグナチオ・ロヨラに捧げられた礼拝堂です。これはいかにもイエスズ会らしいデザイン。光ってよく見えませんが祭壇画は、ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ(イル・セラーノ)の「ヴィジョンを受ける聖イグナチオ」でした。これはもう、バロックの世界ですねえ・・・

    右側最初は、ボケてしまいましたが、イエスズ会の創始者イグナチオ・ロヨラに捧げられた礼拝堂です。これはいかにもイエスズ会らしいデザイン。光ってよく見えませんが祭壇画は、ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ(イル・セラーノ)の「ヴィジョンを受ける聖イグナチオ」でした。これはもう、バロックの世界ですねえ・・・

  • と思っていたら、左側最初の礼拝堂で、もうお宝を発見しましたよ。シモーネ・ペテルツァーノ(1535年-1599年)の「キリストの十字架降下」です。1584年。ヴェネツィア出身のマニエリスム後期の画家で、カラヴァッジョの先生として知られています。彼自身はティッツィアーノの弟子でした。<br /><br />ティンパヌムを支えるテラモン風の柱が独特ですね。これは初めて!<br /><br />ツーリスト・クラブの人が説明するには、これはスカラ座が現在建っているところにあったサンタ・マリア・アッレ・スカラ教会から移された祭壇なのだそうですよ。

    と思っていたら、左側最初の礼拝堂で、もうお宝を発見しましたよ。シモーネ・ペテルツァーノ(1535年-1599年)の「キリストの十字架降下」です。1584年。ヴェネツィア出身のマニエリスム後期の画家で、カラヴァッジョの先生として知られています。彼自身はティッツィアーノの弟子でした。

    ティンパヌムを支えるテラモン風の柱が独特ですね。これは初めて!

    ツーリスト・クラブの人が説明するには、これはスカラ座が現在建っているところにあったサンタ・マリア・アッレ・スカラ教会から移された祭壇なのだそうですよ。

  • そしてこの教会で目立っていたのは、木製のレリーフが美しい懺悔室。いくつかありましたよ。ジョヴァンニ・タウラーニとその兄弟達の作で、新旧訳聖書からの場面がレリーフで描かれています。1596年から1603年にかけての制作です。

    そしてこの教会で目立っていたのは、木製のレリーフが美しい懺悔室。いくつかありましたよ。ジョヴァンニ・タウラーニとその兄弟達の作で、新旧訳聖書からの場面がレリーフで描かれています。1596年から1603年にかけての制作です。

  • よほど近くに寄ってみないと違いが分からないのですが、木彫りの美しさにまたまたため息です。

    よほど近くに寄ってみないと違いが分からないのですが、木彫りの美しさにまたまたため息です。

  • 先ほど行ったばかりのドゥオモ博物館で見たルーチョ・フォンターナの作品がここにもありました。28色のセラミックタイルで作られています。ドゥオモの5つ目の扉コンテストで惜しくも優勝は逃したものの、その後ミラノの彫刻界に衝撃を与えたフォンターナの「聖心」で、フランスの修道女マルグルット・マリー・アラコクに捧げられています。1956年の作品。<br /><br />こちらの礼拝堂の幕屋を支えるはずの柱も変わっていましたよ。両方の柱が折れていて、それを天使が支えるというスタイルなのです。フォンターナの彫刻と言い、斬新すぎますね。

    先ほど行ったばかりのドゥオモ博物館で見たルーチョ・フォンターナの作品がここにもありました。28色のセラミックタイルで作られています。ドゥオモの5つ目の扉コンテストで惜しくも優勝は逃したものの、その後ミラノの彫刻界に衝撃を与えたフォンターナの「聖心」で、フランスの修道女マルグルット・マリー・アラコクに捧げられています。1956年の作品。

    こちらの礼拝堂の幕屋を支えるはずの柱も変わっていましたよ。両方の柱が折れていて、それを天使が支えるというスタイルなのです。フォンターナの彫刻と言い、斬新すぎますね。

  • これはどこにあったのか覚えていませんが、17世紀の画家ジャンバッティスタ・ランジェッティの「エマオの晩餐」。カラヴァッジョの作品で有名です。中央のキリストが握っているパンの傍に、カラヴァッジョの作品には、登場しない、大きなザリガニがいるのが珍しくて撮った1枚。<br /><br />ザリガニは一体何を物語っているんでしょう???

    これはどこにあったのか覚えていませんが、17世紀の画家ジャンバッティスタ・ランジェッティの「エマオの晩餐」。カラヴァッジョの作品で有名です。中央のキリストが握っているパンの傍に、カラヴァッジョの作品には、登場しない、大きなザリガニがいるのが珍しくて撮った1枚。

    ザリガニは一体何を物語っているんでしょう???

  • ツーリスト・クラブのガイドがしきりに見せたがったのは、こちらの聖具室です(有料)。この教会の聖具室は、宗教改革とバロックの時代の間のミラノにおける最高傑作の宗教施設の一つなのだそうです。美しい彫刻が施された木製のキャビネットがずらりと並んでいました。

    ツーリスト・クラブのガイドがしきりに見せたがったのは、こちらの聖具室です(有料)。この教会の聖具室は、宗教改革とバロックの時代の間のミラノにおける最高傑作の宗教施設の一つなのだそうです。美しい彫刻が施された木製のキャビネットがずらりと並んでいました。

  • キャビネットは、フランチェスコ・リキニの1620年代の制作です。木はクルミ材を使用。彫刻はこちらもまた、懺悔室を制作したタウリーノ兄弟が30年がかりで彫り上げたものです。

    キャビネットは、フランチェスコ・リキニの1620年代の制作です。木はクルミ材を使用。彫刻はこちらもまた、懺悔室を制作したタウリーノ兄弟が30年がかりで彫り上げたものです。

  • こちらの聖具室は、1577年に聖カルロ・ボッロメオが書いた作業手順書通りに仕上げられたそうです。4世紀経っても、見事な木材の艶と光沢は変わっていないと、ガイドの人は強調していました。本当に見事なキャビネットです。

    こちらの聖具室は、1577年に聖カルロ・ボッロメオが書いた作業手順書通りに仕上げられたそうです。4世紀経っても、見事な木材の艶と光沢は変わっていないと、ガイドの人は強調していました。本当に見事なキャビネットです。

  • 壁のニッチェには、イエスズ会の創立者イグナチオ・ロヨラと

    壁のニッチェには、イエスズ会の創立者イグナチオ・ロヨラと

  • フランシスコ・ザビエルの等身大の彫像もありました。ニッチェの周りの様々なオーナメントも初めてのものばかりで、とても新鮮に映りました。

    フランシスコ・ザビエルの等身大の彫像もありました。ニッチェの周りの様々なオーナメントも初めてのものばかりで、とても新鮮に映りました。

  • 聖具室の傍にあったバッレリーネの礼拝堂です。バッレリーネとは踊り子のことで、18世紀までスカラ座の踊り子達がデビュー前の夜にやって来て、この聖母子に花を供えたことから付けられた名前だそうです。かつてはこの礼拝堂、道路から直接入ることが出来たそうなんです。<br /><br />祭壇画は14世紀のフレスコ「トッリアニの聖母」。かつてこの場所に建っていた名門トッリアニ家の住宅から名づけられました。<br /><br />

    聖具室の傍にあったバッレリーネの礼拝堂です。バッレリーネとは踊り子のことで、18世紀までスカラ座の踊り子達がデビュー前の夜にやって来て、この聖母子に花を供えたことから付けられた名前だそうです。かつてはこの礼拝堂、道路から直接入ることが出来たそうなんです。

    祭壇画は14世紀のフレスコ「トッリアニの聖母」。かつてこの場所に建っていた名門トッリアニ家の住宅から名づけられました。

  • 「トッリアニの聖母子」は14世紀末のフレスコで、なんとも「人間的」な授乳中の聖母の姿です。無表情な所がアジアンテーストだという人もいました。

    「トッリアニの聖母子」は14世紀末のフレスコで、なんとも「人間的」な授乳中の聖母の姿です。無表情な所がアジアンテーストだという人もいました。

  • 続いて入ってきた小部屋の壁には銀メッキをしたブロンズ製の靴が何足も突き刺さっています。一見重厚そうに見える扉も壁の飾りの一部です。<br /><br />えっ ここって教会? と思わせる装飾は、1980年代に一世を風靡した?トランスアヴァンギャルド(この言葉初めて聞きました)運動の代表的な芸術家であるミンモ・パラディーノによる演出です。2014年と言いますから、まだ出来てほやほやのアートです。

    続いて入ってきた小部屋の壁には銀メッキをしたブロンズ製の靴が何足も突き刺さっています。一見重厚そうに見える扉も壁の飾りの一部です。

    えっ ここって教会? と思わせる装飾は、1980年代に一世を風靡した?トランスアヴァンギャルド(この言葉初めて聞きました)運動の代表的な芸術家であるミンモ・パラディーノによる演出です。2014年と言いますから、まだ出来てほやほやのアートです。

  • お隣にあった絵画館から1枚紹介。ジローラモ・ロマーニ(通称ロマニーノ)の作品で、「聖なる会話」というタイトルが付けられていました。16世紀半ば。<br /><br />この絵はサン・ピエトロ・イン・オリヴェートという別の教会の祭壇を飾っていたもので、聖母子、洗礼者聖ヨハネが中央、左に聖チェチリア、右にアレキサンドリアの聖カタリナが静かな会話を楽しんでいる場面です。<br /><br />見て見て! 富士額の幼子に口あんぐり!

    お隣にあった絵画館から1枚紹介。ジローラモ・ロマーニ(通称ロマニーノ)の作品で、「聖なる会話」というタイトルが付けられていました。16世紀半ば。

    この絵はサン・ピエトロ・イン・オリヴェートという別の教会の祭壇を飾っていたもので、聖母子、洗礼者聖ヨハネが中央、左に聖チェチリア、右にアレキサンドリアの聖カタリナが静かな会話を楽しんでいる場面です。

    見て見て! 富士額の幼子に口あんぐり!

  • 主祭壇にやって参りました。いろいろなものが並んでいますね。何から始めましょうか?<br /><br />幕屋は6本の円柱が周りを取り囲む円筒型。頂には復活したキリストが立っています。こちらは1835年ピエトロ・ペスタガッリによります。<br /><br />その中にある聖人のレリーフ付き黄金色の円筒が聖遺物箱。この中には聖フェデーレと聖カルポフォルスの聖遺物が収められています。これらは、聖カルロ・ボッロメオが16世紀末にミラノに持ち帰ったものなのだそうです。

    主祭壇にやって参りました。いろいろなものが並んでいますね。何から始めましょうか?

    幕屋は6本の円柱が周りを取り囲む円筒型。頂には復活したキリストが立っています。こちらは1835年ピエトロ・ペスタガッリによります。

    その中にある聖人のレリーフ付き黄金色の円筒が聖遺物箱。この中には聖フェデーレと聖カルポフォルスの聖遺物が収められています。これらは、聖カルロ・ボッロメオが16世紀末にミラノに持ち帰ったものなのだそうです。

  • 小さくて見えないかもしれませんが、2014年に主祭壇に加わったものが、中央の聖遺物箱の前面に見える茨の冠。キリスト教の信仰に欠かせない重要なアイテムではありますが、わざわざ作るんですかねえ。クラウディオ・パルミッジャーノの作品。<br /><br />白い彫像群は、ガエターノ・モンティが制作しました。<br /><br />穏やかで心が休まりそうな主祭壇でほっと息をつきます。

    小さくて見えないかもしれませんが、2014年に主祭壇に加わったものが、中央の聖遺物箱の前面に見える茨の冠。キリスト教の信仰に欠かせない重要なアイテムではありますが、わざわざ作るんですかねえ。クラウディオ・パルミッジャーノの作品。

    白い彫像群は、ガエターノ・モンティが制作しました。

    穏やかで心が休まりそうな主祭壇でほっと息をつきます。

  • 後陣の聖歌隊席はどこにでも見かけるようなものでした。象嵌細工が施された16世紀製。<br /><br />その時は気にも留めませんでしたが、背後にちらっと写っているのは、アメリカ人アーティスト デイヴィッド・シンプソン作の「新しいエルサレム」という作品。3枚の色の異なるチタンとアクリル製のパネルです。<br /><br />教会がそのまま博物館に生まれ変わっていく過程を見るようです。大変ユニーク!

    後陣の聖歌隊席はどこにでも見かけるようなものでした。象嵌細工が施された16世紀製。

    その時は気にも留めませんでしたが、背後にちらっと写っているのは、アメリカ人アーティスト デイヴィッド・シンプソン作の「新しいエルサレム」という作品。3枚の色の異なるチタンとアクリル製のパネルです。

    教会がそのまま博物館に生まれ変わっていく過程を見るようです。大変ユニーク!

  • 今度は地下のクリプトに下りますよ。サン・フェデーレ教会・・というよりはサン・フェデーレ博物館のメインテーマは「生と死の対話」だそうです。そして、新旧の作品が最も多く並べられ、ホットな会話を交わしているのが、クリプトなんですって。

    今度は地下のクリプトに下りますよ。サン・フェデーレ教会・・というよりはサン・フェデーレ博物館のメインテーマは「生と死の対話」だそうです。そして、新旧の作品が最も多く並べられ、ホットな会話を交わしているのが、クリプトなんですって。

  • クリプトの四隅を彩るのは、テラコッタ製の預言者と天使達の彫像です。こちらは17世紀の作。

    クリプトの四隅を彩るのは、テラコッタ製の預言者と天使達の彫像です。こちらは17世紀の作。

  • 彫像と彫像の間に飾られている小さな丸いフリーズは、ルーチョ・フォンターナの作品。なるほど、新旧が合体した、いや対話をしている装飾になっていました。

    彫像と彫像の間に飾られている小さな丸いフリーズは、ルーチョ・フォンターナの作品。なるほど、新旧が合体した、いや対話をしている装飾になっていました。

  • こちらが、クリプトの主祭壇です。手前にある大きな十字架は15-16世紀に造られた聖人祭日のパレード用のもの。主祭壇は死せるキリストに捧げられていて、17世紀の建造です。

    こちらが、クリプトの主祭壇です。手前にある大きな十字架は15-16世紀に造られた聖人祭日のパレード用のもの。主祭壇は死せるキリストに捧げられていて、17世紀の建造です。

  • バロックの雰囲気に満ちている祭壇の中に、死せるキリスト像が置かれていましたよ。

    バロックの雰囲気に満ちている祭壇の中に、死せるキリスト像が置かれていましたよ。

  • ここは地上の主祭壇の真下に当たる聖遺物が収められている宝物庫です。18世紀と19世紀に使われた典礼用の十字架やその他の遺物等がすっきりと収納されています。

    ここは地上の主祭壇の真下に当たる聖遺物が収められている宝物庫です。18世紀と19世紀に使われた典礼用の十字架やその他の遺物等がすっきりと収納されています。

  • 右側のキャビネットで目についたのは、365枚の、表面に幾何学模様が施された丸くて平たいコースターのようなもの。1年365日の聖人カレンダーなのだそうです。戸棚は12の月に仕切られ、それぞれ日にちごとに聖人を象徴する小さなプレートが置かれています。<br /><br />全ての日にちを網羅するために聖人をこしらえたのでは? と勘ぐってしまいましたが、大変美しい装飾です。他ではあまり見かけませんね。

    右側のキャビネットで目についたのは、365枚の、表面に幾何学模様が施された丸くて平たいコースターのようなもの。1年365日の聖人カレンダーなのだそうです。戸棚は12の月に仕切られ、それぞれ日にちごとに聖人を象徴する小さなプレートが置かれています。

    全ての日にちを網羅するために聖人をこしらえたのでは? と勘ぐってしまいましたが、大変美しい装飾です。他ではあまり見かけませんね。

  • 反対側の棚です。光が反射して、何が何だか分かりませんねえ。この中には比較的小ぶりの聖フェデーレの像もあったそうですが、よく見えませんでした。

    反対側の棚です。光が反射して、何が何だか分かりませんねえ。この中には比較的小ぶりの聖フェデーレの像もあったそうですが、よく見えませんでした。

  • 最後に覗いたこちらの部屋は、現代アートです。イタリアで活躍するギリシャ人美術家のヤニス・クネリスの「黙示録」。2012年。<br /><br />ご存知黙示録は新約聖書最後のブックのタイトルで、預言書的な性格を持つ書となっています。しかしながら、黙示録を意味するアポカリプスの元々のギリシャ語での意味は、「隠れているものを取り除くこと」なのだそうです。そこで、ここでは新しい解釈に挑戦しています。<br /><br />つまり、黙示録とは、暗闇が絶えざる神の存在の前に打ち負かされる天から遣わされた新しいエルサレム=聖なる都に関する啓示であると。<br /><br />う~ん。難しい・・・<br /><br />ぶら下げられた重そうなバッグの中には何が入っているのでしょうか?<br /><br />ガイドのおかげで、堂内を楽しく回ることが出来ました。ミラノもう1日あると言ったら、翌日の予定を組んでくれて、詳細な地図までいただきました。取り立てて明日の予定を立てていなかったけれど、これでバッチリかな?

    最後に覗いたこちらの部屋は、現代アートです。イタリアで活躍するギリシャ人美術家のヤニス・クネリスの「黙示録」。2012年。

    ご存知黙示録は新約聖書最後のブックのタイトルで、預言書的な性格を持つ書となっています。しかしながら、黙示録を意味するアポカリプスの元々のギリシャ語での意味は、「隠れているものを取り除くこと」なのだそうです。そこで、ここでは新しい解釈に挑戦しています。

    つまり、黙示録とは、暗闇が絶えざる神の存在の前に打ち負かされる天から遣わされた新しいエルサレム=聖なる都に関する啓示であると。

    う~ん。難しい・・・

    ぶら下げられた重そうなバッグの中には何が入っているのでしょうか?

    ガイドのおかげで、堂内を楽しく回ることが出来ました。ミラノもう1日あると言ったら、翌日の予定を組んでくれて、詳細な地図までいただきました。取り立てて明日の予定を立てていなかったけれど、これでバッチリかな?

  • 結局サンフェデーレ教会のファサードを見ないまま、出てきてしまいました。<br /><br />こちらは、1781年に建てられたネオ・クラシック様式のパラッツォ・ベルジョッソ。ルイジ・ヴァンテッリの建てたナポリ郊外のカゼルタ王宮をモデルとしています。エステ家のベルジョッソ アルベリコ12世のためにジュゼッペ・ピエルマリーニが建造しました。<br /><br />カゼルタ王宮の写真を再度見てみましたが、うーん微妙。でもファサードの4本柱とペディメント、横に長い建物という共通点はありましたよ。

    結局サンフェデーレ教会のファサードを見ないまま、出てきてしまいました。

    こちらは、1781年に建てられたネオ・クラシック様式のパラッツォ・ベルジョッソ。ルイジ・ヴァンテッリの建てたナポリ郊外のカゼルタ王宮をモデルとしています。エステ家のベルジョッソ アルベリコ12世のためにジュゼッペ・ピエルマリーニが建造しました。

    カゼルタ王宮の写真を再度見てみましたが、うーん微妙。でもファサードの4本柱とペディメント、横に長い建物という共通点はありましたよ。

  • 明日は日曜日なので、今日中に買い物を済ませるため、もう教会巡りは止めようと思ったのですが、ついふらふらまた、入ってしまいましたよ。聖フランチェスコ・ディ・パオラ教会。15世紀のカラブリア州パオラ出身の、長く隠遁生活を続けた苦行者で、数々の奇跡で知られている聖人に捧げられています。<br /><br />マンツォーニ通りの狭い歩道から見上げたファサードの写真しか残っていません。ご容赦! ファサードの湾曲した形状を見て、このたびの最初の方、ローマで訪れたボッロミーニの教会が懐かしく蘇りました。

    明日は日曜日なので、今日中に買い物を済ませるため、もう教会巡りは止めようと思ったのですが、ついふらふらまた、入ってしまいましたよ。聖フランチェスコ・ディ・パオラ教会。15世紀のカラブリア州パオラ出身の、長く隠遁生活を続けた苦行者で、数々の奇跡で知られている聖人に捧げられています。

    マンツォーニ通りの狭い歩道から見上げたファサードの写真しか残っていません。ご容赦! ファサードの湾曲した形状を見て、このたびの最初の方、ローマで訪れたボッロミーニの教会が懐かしく蘇りました。

  • 内部は真っすぐの壁がなく、丸みを帯びていて、中央が細くなった弦楽器のような形をしていました。マルコ・アントニオ・ビアンキ・ロマーノの設計。1735年に一応の完成をみた教会は、装飾も直線の少ない後期バロックあるいはロココ調と言われています。色はグレーが多く使われていますが、なんといっても目立つのは壁のコリント式付け柱の柱頭。金ぴかです! <br /><br />清貧のイメージが強いパオラの聖フランチェスコとは雰囲気が全く合わないような気がしました。

    内部は真っすぐの壁がなく、丸みを帯びていて、中央が細くなった弦楽器のような形をしていました。マルコ・アントニオ・ビアンキ・ロマーノの設計。1735年に一応の完成をみた教会は、装飾も直線の少ない後期バロックあるいはロココ調と言われています。色はグレーが多く使われていますが、なんといっても目立つのは壁のコリント式付け柱の柱頭。金ぴかです! 

    清貧のイメージが強いパオラの聖フランチェスコとは雰囲気が全く合わないような気がしました。

  • 天井に描かれているのは「栄光のパオラの聖フランチェスコ」で、カルロ・マリア・ジューディチの作品です。<br /><br />本当に直線が一つも見当たりません!

    天井に描かれているのは「栄光のパオラの聖フランチェスコ」で、カルロ・マリア・ジューディチの作品です。

    本当に直線が一つも見当たりません!

  • 身廊には礼拝堂が左右に2つずつありました。主祭壇に向かって右側を写しています。壁の歪みが面白い。なんだか久しぶりにローマに戻ってきたような錯覚を覚えました。ここまで徹底すると、完璧な美術品になります。

    身廊には礼拝堂が左右に2つずつありました。主祭壇に向かって右側を写しています。壁の歪みが面白い。なんだか久しぶりにローマに戻ってきたような錯覚を覚えました。ここまで徹底すると、完璧な美術品になります。

  • こちらは左側。各礼拝堂にぶら下がっている一組の先端に壺のついた金色の房飾り(何という名前? )も、一つ一つデザインが異なることに気が付きました。

    こちらは左側。各礼拝堂にぶら下がっている一組の先端に壺のついた金色の房飾り(何という名前? )も、一つ一つデザインが異なることに気が付きました。

  • 最後に主祭壇にお邪魔します。ここの房飾りは一段と立派です。多色大理石に金枠で縁取られた祭壇は1749年-53年にかけて、ジュゼッペ・ブッツィによって作られました。6本並ぶ金の燭台はローマの金細工師によるものだそうです。<br /><br />祭壇画はこれぞ清貧! イメージ通りのパオラの聖フランチェスコ。居心地悪くないかしら? しかし、曲線を多用する繊細なインテリア自体は18世紀半ばの当時の流行を忠実に表していて、その豪華な雰囲気を存分に楽しみました。寄ってみて良かったぁ!

    最後に主祭壇にお邪魔します。ここの房飾りは一段と立派です。多色大理石に金枠で縁取られた祭壇は1749年-53年にかけて、ジュゼッペ・ブッツィによって作られました。6本並ぶ金の燭台はローマの金細工師によるものだそうです。

    祭壇画はこれぞ清貧! イメージ通りのパオラの聖フランチェスコ。居心地悪くないかしら? しかし、曲線を多用する繊細なインテリア自体は18世紀半ばの当時の流行を忠実に表していて、その豪華な雰囲気を存分に楽しみました。寄ってみて良かったぁ!

  • マンツォーニ通りを更に北上すると、ポルタ・ヌオヴァにぶつかります。この門は中世の城壁に沿って1330年から39年頃に築かれたものです。19世紀、20世紀に改修が行われ、二重アーチの外側に歩道部分が設けられました。何度も解体の危機に瀕しながらも、市民の反対により生き残ってきた門だそうですよ。<br /><br />こちらは門の内側ですが、左右にはローマ時代の墓石が埋め込まれていました。これらが元々どこにあったものなのか、全くわかっていないそうです。

    マンツォーニ通りを更に北上すると、ポルタ・ヌオヴァにぶつかります。この門は中世の城壁に沿って1330年から39年頃に築かれたものです。19世紀、20世紀に改修が行われ、二重アーチの外側に歩道部分が設けられました。何度も解体の危機に瀕しながらも、市民の反対により生き残ってきた門だそうですよ。

    こちらは門の内側ですが、左右にはローマ時代の墓石が埋め込まれていました。これらが元々どこにあったものなのか、全くわかっていないそうです。

  • 門をくぐると、そこは広いカヴール広場。こちらは、イル・ジョルノという新聞社のビルですが、4階から6階部分にあるカラッラ大理石で作られた大きなレリーフが光って見えました。1910年代より脚光を浴びた形而上絵画の第一人者マリオ・シローニ( 1885年-1961年)のデザインだそうですよ。

    門をくぐると、そこは広いカヴール広場。こちらは、イル・ジョルノという新聞社のビルですが、4階から6階部分にあるカラッラ大理石で作られた大きなレリーフが光って見えました。1910年代より脚光を浴びた形而上絵画の第一人者マリオ・シローニ( 1885年-1961年)のデザインだそうですよ。

  • ここにあったカフェで休憩しながら、カヴールの銅像を眺めます。この人とも何回会ったことでしょうか。リソルジメントの英雄は歴史的な併合のための文書を手にしています。オドアルド・タバッキの設計によります。

    ここにあったカフェで休憩しながら、カヴールの銅像を眺めます。この人とも何回会ったことでしょうか。リソルジメントの英雄は歴史的な併合のための文書を手にしています。オドアルド・タバッキの設計によります。

  • カヴール広場からは、家族に頼まれた物を買いに、インドロ・モンタネッリ公園を抜けてミラノの下町ブエノスアイレス通りへと向かいます。<br /><br />この公園は1784年に開かれたミラノ最古の公園ですが、2002年にイタリアのジャーナリストインドロ・モンタネッリの名前を冠した公園に生まれ変わりました。

    カヴール広場からは、家族に頼まれた物を買いに、インドロ・モンタネッリ公園を抜けてミラノの下町ブエノスアイレス通りへと向かいます。

    この公園は1784年に開かれたミラノ最古の公園ですが、2002年にイタリアのジャーナリストインドロ・モンタネッリの名前を冠した公園に生まれ変わりました。

  • 中央には池や石を積み重ねた人工の洞窟等があり、気持ちの良い散歩道でした。

    中央には池や石を積み重ねた人工の洞窟等があり、気持ちの良い散歩道でした。

  • 人通りも多すぎず、少なからず。自然を味わいながらの散策が出来ました。<br /><br />公園を上手く斜めに突っ切れるかな?

    人通りも多すぎず、少なからず。自然を味わいながらの散策が出来ました。

    公園を上手く斜めに突っ切れるかな?

  • ピンク色をした可愛い八角形の建物はカフェのようでしたが、もう閉まっていました。

    ピンク色をした可愛い八角形の建物はカフェのようでしたが、もう閉まっていました。

  • ヴェネツィア門の傍に立つ、愛国者ルチアーノ・マナラの像。彼はリソルジメントで活躍した英雄達の中でも人々に一番人気のある人物で、その大きな帽子と軍服が特徴です。わずか24歳で戦死しました。

    ヴェネツィア門の傍に立つ、愛国者ルチアーノ・マナラの像。彼はリソルジメントで活躍した英雄達の中でも人々に一番人気のある人物で、その大きな帽子と軍服が特徴です。わずか24歳で戦死しました。

  • 公園を抜けると、ポルタ・ヴェネツィアが姿を見せてくれました。この門から先が、カジュアルなショッピング・ストリートと言われているブエノスアイレス通りです。

    公園を抜けると、ポルタ・ヴェネツィアが姿を見せてくれました。この門から先が、カジュアルなショッピング・ストリートと言われているブエノスアイレス通りです。

  • ヴェネツィア門は1860年までは東門と呼ばれていました。市の北東部に位置していて、6つあるミラノの主要な門の一つです。現在見るのは19世紀に作られたものですが、古くはローマ時代から門があった場所です。ヴェネツィアという名前が付いた背景には、1862年当時、ミラノがすでに一員となっていたイタリア王国にヴェネツィアも参加するのではという希望的観測からという話ですが、定かではありません。<br /><br />門を新しく設計したのは、スカラ広場、パラッツォ・ベルジョッソ等を設計したジュゼッペ・ピエルマリーニで、彼は18世紀後半当時広い範囲でミラノの町のリニューアルを請け負っていました。ピエルマリーニは門の完成を待たずに亡くなりましたが、彼の弟子ルイジ・カニョーラを中心に工事が行われ、1827年に完成しました。<br /><br />門はその後何度も模様替えが行われ、レリーフや彫像が追加されましたが、2004年に19世紀当時の姿に復元されました。<br /><br />屋根の上のあの黄色いものが気になるのですが、あれは一体なに?

    ヴェネツィア門は1860年までは東門と呼ばれていました。市の北東部に位置していて、6つあるミラノの主要な門の一つです。現在見るのは19世紀に作られたものですが、古くはローマ時代から門があった場所です。ヴェネツィアという名前が付いた背景には、1862年当時、ミラノがすでに一員となっていたイタリア王国にヴェネツィアも参加するのではという希望的観測からという話ですが、定かではありません。

    門を新しく設計したのは、スカラ広場、パラッツォ・ベルジョッソ等を設計したジュゼッペ・ピエルマリーニで、彼は18世紀後半当時広い範囲でミラノの町のリニューアルを請け負っていました。ピエルマリーニは門の完成を待たずに亡くなりましたが、彼の弟子ルイジ・カニョーラを中心に工事が行われ、1827年に完成しました。

    門はその後何度も模様替えが行われ、レリーフや彫像が追加されましたが、2004年に19世紀当時の姿に復元されました。

    屋根の上のあの黄色いものが気になるのですが、あれは一体なに?

  • さあ、これから最後のショッピングを楽しみます。1か月の間、荷物が増えるのを恐れてろくに買い物をしなかったので、今日は思う存分欲望のままに行動するとしましょう。では失礼して・・・<br /><br />明日はいよいよ最終日。この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その94 ミラノ4 で!

    さあ、これから最後のショッピングを楽しみます。1か月の間、荷物が増えるのを恐れてろくに買い物をしなかったので、今日は思う存分欲望のままに行動するとしましょう。では失礼して・・・

    明日はいよいよ最終日。この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その94 ミラノ4 で!

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この旅行記へのコメント (4)

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  • マリアンヌさん 2017/02/22 08:15:27
    圧巻✨
    Junemayさん、お久しぶりです。

    ちょっと色々あってご無沙汰です。
    まずは、ドゥーモのMuseo、さすがの内容で圧巻です。
    おまけにjunemay さんの解説も素晴らしくて、いつもながら感心しています。

    福音書のカバーを見て思い出したものがあります。チヴィダーレのMuseo で見たものと似ています。
    当時、まだあまりイタリア語もわからず、地方なのて英語説明も無かったような。
    十字架のまわりに輝石が嵌めこられていて、何だかわからなかったのです。
    たぶんランゴバルトの福音書のカバーだったのですね。ありがとうございます。

    小さな彫像が並ぶ様は、ほんとにお土産やさんのようです。ルルド、あんな感じでした。

    オメノーラ?のファサード、すごいですね~

    続けて旅行記、拝見します。
    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2017/02/22 13:07:48
    RE: 圧巻✨
    マリアンヌさん ご無沙汰しております。

    ご丁寧に二つもコメントありがとうございました。


    > 福音書のカバーを見て思い出したものがあります。チヴィダーレのMuseo で見たものと似ています。

    今年、マリアンヌさんの旅行記を読み返して、トリエステからアクレイア、グラード、チヴィダーレ、ウーディネに行くことにしました。ウーディネからチヴィダーレへの列車は頻発していますか? まだ調べていないのですが、チヴィダーレのmuseoに行ってみますね。アクレイアのモザイク楽しみです!


    > 小さな彫像が並ぶ様は、ほんとにお土産やさんのようです。ルルド、あんな感じでした。

    ルルドはまだ行ったことがありませんが、ポルトガルのファティマは少々がっかりでした。両方行ったことにある友人に言わせると、ルルドはとても良かったとのこと。いつか行ってみたいな。
    >
    > オメノーラ?のファサード、すごいですね?
    ドゥオモから歩いてほんの5分くらいの場所なのですが、裏通りにあるので、意外と気が付かないのでしょうね。初めはびっくり仰天しました。壁からのでっぱりが半端じゃあありませんでしたよ。

    旅の最後のブレラ美術館。書き始めたら延々と続きそうで、こんなもん誰も読まないだろうなと思いつつ、あまりに素敵なので毎日少しずつ書き足しています。ようやく終わりが見えてきました。

    Junemay

    マリアンヌ

    マリアンヌさん からの返信 2017/02/23 01:04:02
    RE: RE: 圧巻✨
    トリエステからアクレイア、グラード、チヴィダーレ、ウーディネへ行かれるのですね!
    私のササッと旅行でなく、きちんと解説お待ちしています♪

    列車はたぶん、割とあったと思います。

     http://www.ferrovieudinecividale.it/

    アクレイアのモザイク、素晴らしいです♪
    何月にいらっしゃるのかな…

    ポルトガルのファティマは少々がっかりなんですね。
    行ったことないです。
    ルルドは、奇跡を信じて寝台で看護師たちと団体でたくさん来ていたのが印象的でした。

    私は5月にウンブリアへ行きます。Junemayさんのペルージャなどをバイブルに再読させていただいています。それからローマから帰るので見せていただいた教会をいくつか訪ねたいとこちらも旅行記再読させていただいています♪

    junemay

    junemayさん からの返信 2017/02/23 15:58:06
    RE: RE: RE: 圧巻✨
    マリアンヌさん こんにちは!


    > トリエステからアクレイア、グラード、チヴィダーレ、ウーディネへ行かれるのですね!

    いつもの時期、5月の連休明けから6月11日にかけてです。マリアンヌさんと異なる場所ですが、イタリアでバッティングするのではないかしら?

    チヴィダーレへの列車時刻表ありがとうございました。Estivoというのが夏というのを知りました。冬invernoはスペイン語inviernoとほぼ同じですが、夏のスペイン語verano はだいぶ違いますね。


    > 私のササッと旅行でなく、きちんと解説お待ちしています♪

    今のやり方だと、少々時間がかかり過ぎなので、今後の旅行記については現在考え中です。

    >
    > 私は5月にウンブリアへ行きます。Junemayさんのペルージャなどをバイブルに再読させていただいています。それからローマから帰るので見せていただいた教会をいくつか訪ねたいとこちらも旅行記再読させていただいています♪
    >

    ウンブリア、いいですねえ。地震が心配ですが、是非とも再訪したい地域です。色々とお教えいただき、ありがとうございました。ローマの旅行記も、ところどころ見直すと、随分と浅はかだったと反省しきりです。間違っている箇所の修正をお願いいたします。

    junemay

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