ミラノ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br /><br />さあ、泣いても笑っても今日で旅はお終い。昨日は予定を立てずにお上りさんコースを歩いたけれど、今日はばっちり(でもないが・・・)調べてお出かけです。最後のミラノ、待ってろよ!

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その95 ミラノ4 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ~サン・マウリツィオ

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2015/06/07 - 2015/06/07

261位(同エリア3136件中)

4

113

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田


さあ、泣いても笑っても今日で旅はお終い。昨日は予定を立てずにお上りさんコースを歩いたけれど、今日はばっちり(でもないが・・・)調べてお出かけです。最後のミラノ、待ってろよ!

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 朝のパラツォロ・ミラネーゼ駅です。9時14分発のカドルナ行きを待っているところ。今日は日曜日なので、通勤客もなく、ホームはすいています。

    朝のパラツォロ・ミラネーゼ駅です。9時14分発のカドルナ行きを待っているところ。今日は日曜日なので、通勤客もなく、ホームはすいています。

  • カドルナ駅に到着すると、地図を見ながらサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かいます。「最後の晩餐」を見るためじゃあないですよ。昨日ツーリング・クラブの人に教えてもらった教会がその近所にあることが分かったので、ついでにまるで記憶にないサンタ・マリア・デッレ・グラツィエの内部を見学しようと思ったのです。<br /><br />早速美しい建物がお出迎え。ミラノってこんな大きな建物にも細かなフリーズやレリーフがあって、町歩きが楽しい!! おっとっと。上ばかり見て歩いていたら、段差に足を取られてしまいました!<br /><br />

    カドルナ駅に到着すると、地図を見ながらサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かいます。「最後の晩餐」を見るためじゃあないですよ。昨日ツーリング・クラブの人に教えてもらった教会がその近所にあることが分かったので、ついでにまるで記憶にないサンタ・マリア・デッレ・グラツィエの内部を見学しようと思ったのです。

    早速美しい建物がお出迎え。ミラノってこんな大きな建物にも細かなフリーズやレリーフがあって、町歩きが楽しい!! おっとっと。上ばかり見て歩いていたら、段差に足を取られてしまいました!

  • こちらはさる銀行の建物。2階の窓上に少々怖そうな顔のレリーフ。最上階にはギリシャかローマ帝国時代風の彫像が並んでいます。

    こちらはさる銀行の建物。2階の窓上に少々怖そうな顔のレリーフ。最上階にはギリシャかローマ帝国時代風の彫像が並んでいます。

  • 駅から歩くこと7、8分。教会の円筒形のクーポラが見えてきました。<br /><br />最後の晩餐ばかりが有名ですが、ここで簡単にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエの歴史を振り返ってみることにします。<br /><br />スフォルツァ城を作ったフランチェスコは、建築家グニフォルテ・ソラーリに命じて1469年、ここにあった小さな礼拝堂の跡地にドメニコ会の修道院を建てます。その後レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンでもあったフランチェスコの息子ルドヴィコはここをスフォルツァ家の菩提寺にしようと、教会建設に取り組み、ルドヴィコの妻がここに埋葬された1497年、教会は完成を迎えます。

    駅から歩くこと7、8分。教会の円筒形のクーポラが見えてきました。

    最後の晩餐ばかりが有名ですが、ここで簡単にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエの歴史を振り返ってみることにします。

    スフォルツァ城を作ったフランチェスコは、建築家グニフォルテ・ソラーリに命じて1469年、ここにあった小さな礼拝堂の跡地にドメニコ会の修道院を建てます。その後レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンでもあったフランチェスコの息子ルドヴィコはここをスフォルツァ家の菩提寺にしようと、教会建設に取り組み、ルドヴィコの妻がここに埋葬された1497年、教会は完成を迎えます。

  • サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の特徴ある後陣の膨らみです。<br /><br />この後陣と大変に美しいクーポラは、ドナート・ブラマンテに帰属していると言われていますが、実際の所文書の記録はありません。ブラマンテの名前は堂内の天井に使われている大理石に書かれているだけで、建築家ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの名前が文書にあることから、彼の作という説もあるようです。<br /><br />

    サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の特徴ある後陣の膨らみです。

    この後陣と大変に美しいクーポラは、ドナート・ブラマンテに帰属していると言われていますが、実際の所文書の記録はありません。ブラマンテの名前は堂内の天井に使われている大理石に書かれているだけで、建築家ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの名前が文書にあることから、彼の作という説もあるようです。

  • しかしながら、教会には、レオナルドが書いたとされる設計図が残っていることから、この美しい幾何学模様と顔のレリーフで構成された装飾は、レオナルドの設計図に影響を受けたブラマンテが制作したという説が通説となっています。<br /><br />誰の作にしろ、見事な外観です。素晴らしい!

    しかしながら、教会には、レオナルドが書いたとされる設計図が残っていることから、この美しい幾何学模様と顔のレリーフで構成された装飾は、レオナルドの設計図に影響を受けたブラマンテが制作したという説が通説となっています。

    誰の作にしろ、見事な外観です。素晴らしい!

  • 近過ぎて撮れなかったので、教会のキオストロから華麗なクーポラとその周りの複雑な建造物を臨みます。ここから見ると、後陣と同様の半円筒形部分が3つありそうですね。

    近過ぎて撮れなかったので、教会のキオストロから華麗なクーポラとその周りの複雑な建造物を臨みます。ここから見ると、後陣と同様の半円筒形部分が3つありそうですね。

  • 実は教会内で、レオナルド・ダ・ヴィンチが残したコーデックス・アトランティクスCodex Atlanticusの展覧会を開催しているというので、思わず入場してしまったのです。<br /><br />Codex Atlanticusは12冊に及ぶダヴィンチが描いたスケッチと文書の総称で、1119枚ものノートブックから成り立っています。1478年から1519年までの日付があり、数学から植物学、武器から楽器に至るまで多種多彩な内容が網羅されています。コーデックスは「オメノーニの家」の主人レオーニ氏の息子ポンペイ・レオーニによって収集されたそうですよ。

    実は教会内で、レオナルド・ダ・ヴィンチが残したコーデックス・アトランティクスCodex Atlanticusの展覧会を開催しているというので、思わず入場してしまったのです。

    Codex Atlanticusは12冊に及ぶダヴィンチが描いたスケッチと文書の総称で、1119枚ものノートブックから成り立っています。1478年から1519年までの日付があり、数学から植物学、武器から楽器に至るまで多種多彩な内容が網羅されています。コーデックスは「オメノーニの家」の主人レオーニ氏の息子ポンペイ・レオーニによって収集されたそうですよ。

  • 通常は、アンブローズ図書館に収蔵されているのですが、EXPO開催に合わせて特別展が行われていました。コーデックスの内容は高尚過ぎて、記憶には殆どありませんが、レオナルドの描いた絵画2点(「音楽家」と「公爵夫人」)を見ることが出来ました。<br /><br />2枚写真を撮ってから、ここが撮影禁止だと気づいたので、他の写真はありません。この部屋は「ブラマンテの聖具室」。通常この部屋を見るだけでも10ユーロ取られますが、レオナルドと合わせて20ユーロはちと高かった!

    通常は、アンブローズ図書館に収蔵されているのですが、EXPO開催に合わせて特別展が行われていました。コーデックスの内容は高尚過ぎて、記憶には殆どありませんが、レオナルドの描いた絵画2点(「音楽家」と「公爵夫人」)を見ることが出来ました。

    2枚写真を撮ってから、ここが撮影禁止だと気づいたので、他の写真はありません。この部屋は「ブラマンテの聖具室」。通常この部屋を見るだけでも10ユーロ取られますが、レオナルドと合わせて20ユーロはちと高かった!

  • コーデックス・アトランティクスのポスターです。

    コーデックス・アトランティクスのポスターです。

  • 見学の後は名画の複製が沢山展示されたキオストロを通ってサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の堂内へ。<br /><br />これはカラヴァッジョの描いた「エマウスの晩餐」ですね。後で、本物のあるブレラ美術館に行きますよ。後程ゆっくり・・・<br /><br />

    見学の後は名画の複製が沢山展示されたキオストロを通ってサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の堂内へ。

    これはカラヴァッジョの描いた「エマウスの晩餐」ですね。後で、本物のあるブレラ美術館に行きますよ。後程ゆっくり・・・

  • 複製画以外にキオストロで見つけたのはこちらのフレスコの断片だけでした。日付が入っているので1537年の作と判ります。

    複製画以外にキオストロで見つけたのはこちらのフレスコの断片だけでした。日付が入っているので1537年の作と判ります。

  • 中に入って、まずはこのクーポラに圧倒されました。クーポラの内側に通常あるフレスコ画はなく、幾何学模様のオンパレードです。〇と□、車輪のような形も多いですね。レオナルドのコーデックスを見た後では、彼の描いたスケッチをブラマンテが見て設計したというシナリオはすんなり理解ができます。これらの装飾は「完全無欠」のシンボルだそうです。<br /><br />クーポラの四隅の丸いトンドのレリーフは教会博士達でした。

    中に入って、まずはこのクーポラに圧倒されました。クーポラの内側に通常あるフレスコ画はなく、幾何学模様のオンパレードです。〇と□、車輪のような形も多いですね。レオナルドのコーデックスを見た後では、彼の描いたスケッチをブラマンテが見て設計したというシナリオはすんなり理解ができます。これらの装飾は「完全無欠」のシンボルだそうです。

    クーポラの四隅の丸いトンドのレリーフは教会博士達でした。

  • ファサードの扉からではなく、キオストロから入ってきたので、クーポラのある辺りからカウンターファサード側を眺める格好となりました。<br /><br />内部はゴシックとロンバルディア様式の折衷と評されています。身廊部分は三廊式。

    ファサードの扉からではなく、キオストロから入ってきたので、クーポラのある辺りからカウンターファサード側を眺める格好となりました。

    内部はゴシックとロンバルディア様式の折衷と評されています。身廊部分は三廊式。

  • ひどい写真ですが、ミサが終わったばかりで、司祭が退場するところだったので慌ててパチリ! 左側が後陣、右側が右翼廊の膨らみです。先ほど外から見えた半円筒型の膨らみのうちの二つが見えています。

    ひどい写真ですが、ミサが終わったばかりで、司祭が退場するところだったので慌ててパチリ! 左側が後陣、右側が右翼廊の膨らみです。先ほど外から見えた半円筒型の膨らみのうちの二つが見えています。

  • 左側廊からカウンターファサード方面。身廊と側廊は7本ずつの花崗岩の列柱で仕切られていました。側廊の天井には、スフォルツァ城で見たような太陽が描かれていました。そうそう、ここはルドヴィコが建てたんでしたね。

    左側廊からカウンターファサード方面。身廊と側廊は7本ずつの花崗岩の列柱で仕切られていました。側廊の天井には、スフォルツァ城で見たような太陽が描かれていました。そうそう、ここはルドヴィコが建てたんでしたね。

  • 同じく左側廊から身廊と右側廊にある礼拝堂を眺めます。

    同じく左側廊から身廊と右側廊にある礼拝堂を眺めます。

  • 順不同ですが、礼拝堂巡りを開始します。こちらはイタリア語ではサン・ピエトロ・マルティーレ(殉教者聖ピエトロ)と呼ばれるヴェローナの聖ピエトロの礼拝堂です。<br /><br />壁にかかっていたは「ヴェローナの聖ピエトロの殉教」。ティッツィアーノのマスターピースと書かれていましたので一瞬ビックリしましたが、コピーでした。<br />

    順不同ですが、礼拝堂巡りを開始します。こちらはイタリア語ではサン・ピエトロ・マルティーレ(殉教者聖ピエトロ)と呼ばれるヴェローナの聖ピエトロの礼拝堂です。

    壁にかかっていたは「ヴェローナの聖ピエトロの殉教」。ティッツィアーノのマスターピースと書かれていましたので一瞬ビックリしましたが、コピーでした。

  • 祭壇画は、16世紀のドメニコ会の聖人聖ルドヴィコ・ベルトラン。ジャンバッティスタ・ルチーニの作品。

    祭壇画は、16世紀のドメニコ会の聖人聖ルドヴィコ・ベルトラン。ジャンバッティスタ・ルチーニの作品。

  • こちらは教皇ピウス5世の礼拝堂です。そう、彼はドメニコ会出身の教皇(在位1566年-1572年)でした。祭壇画は作者不詳だそうです。

    こちらは教皇ピウス5世の礼拝堂です。そう、彼はドメニコ会出身の教皇(在位1566年-1572年)でした。祭壇画は作者不詳だそうです。

  • 左側一番入口に近いボッラ礼拝堂にあった、豊満な聖母と筋肉モリモリマッチョな赤子のキリスト。いくらなんでもこれはないでしょう。笑えますねえ。<br /><br />左は洗礼者聖ヨハネ、右はヴェローナの聖ピエトロ。ニッコロ・ダ・クレモナの1520年の作品で、近年修復したばかりだとか。鮮やかな色が蘇っていました。

    左側一番入口に近いボッラ礼拝堂にあった、豊満な聖母と筋肉モリモリマッチョな赤子のキリスト。いくらなんでもこれはないでしょう。笑えますねえ。

    左は洗礼者聖ヨハネ、右はヴェローナの聖ピエトロ。ニッコロ・ダ・クレモナの1520年の作品で、近年修復したばかりだとか。鮮やかな色が蘇っていました。

  • カウンターファサードまで行って身廊のヴォールトを写します。ここにあった教会の案内板によると、教会の長さは63m、幅30m、高さは14.4mだそうです。<br /><br />ヴォールトや壁、柱の装飾にはロンバルディア派の様々な工房のマスター(ブティノーネ、ツェナーレ、モントルファーノ、ベルゴニョーネら)が関わっているそうです。一瞬、教会ではなく、イスラム教のモスクにいるような気分になりました。

    カウンターファサードまで行って身廊のヴォールトを写します。ここにあった教会の案内板によると、教会の長さは63m、幅30m、高さは14.4mだそうです。

    ヴォールトや壁、柱の装飾にはロンバルディア派の様々な工房のマスター(ブティノーネ、ツェナーレ、モントルファーノ、ベルゴニョーネら)が関わっているそうです。一瞬、教会ではなく、イスラム教のモスクにいるような気分になりました。

  • 様々な文様が織りなすヴォールトとアーチは、適度に色あせていて、柔らかな光に良く映えていました。

    様々な文様が織りなすヴォールトとアーチは、適度に色あせていて、柔らかな光に良く映えていました。

  • 右側最初の礼拝堂は、鐘楼の真下に当たるため、「塔の礼拝堂」と呼ばれています。オリジナルのガウデンツィオ・フェッラーリの絵画はフランスに持ち去られ、今リヨンの美術館にあります。<br /><br />背後の消えかかったフレスコは感謝(グラツィエ)の聖母礼拝堂から移されたもの。手前は、背後の壁のフレスコを再現したものでしょうか? 生れたばかりの幼子を、聖アンブローズ、聖ルチア、そしてパトロン一家が総出で礼拝しています。画家の名前はわかっていません。

    右側最初の礼拝堂は、鐘楼の真下に当たるため、「塔の礼拝堂」と呼ばれています。オリジナルのガウデンツィオ・フェッラーリの絵画はフランスに持ち去られ、今リヨンの美術館にあります。

    背後の消えかかったフレスコは感謝(グラツィエ)の聖母礼拝堂から移されたもの。手前は、背後の壁のフレスコを再現したものでしょうか? 生れたばかりの幼子を、聖アンブローズ、聖ルチア、そしてパトロン一家が総出で礼拝しています。画家の名前はわかっていません。

  • もう一度、じっくりとヴォールトを観察。確かにスフォルツァ城の太陽と似てますね! この礼拝堂のヴォールトは15世紀のオリジナルですって!!

    もう一度、じっくりとヴォールトを観察。確かにスフォルツァ城の太陽と似てますね! この礼拝堂のヴォールトは15世紀のオリジナルですって!!

  • 右側2番目のポレスの聖マルティーノ礼拝堂。ペルー生まれの聖人です。祭壇画は聖人の法悦の現場を描いています。<br /><br />ほらみて! 浮かんでいますよ!! シルヴィオ・コンサドーリの1962年の作品です。

    右側2番目のポレスの聖マルティーノ礼拝堂。ペルー生まれの聖人です。祭壇画は聖人の法悦の現場を描いています。

    ほらみて! 浮かんでいますよ!! シルヴィオ・コンサドーリの1962年の作品です。

  • 続いては「天使達」あるいは「マルリアーニ」と呼ばれる礼拝堂です。その名の通り、天使に捧げられています。<br /><br />左右のルーネット部分のフレスコは、ロンバルディア出身のアウレリオとジョヴァン・ピエトロ・ルイニ兄弟の作品だと言われています。この名前よく覚えておいてくださいね。<br /><br />中央の絵は「造反天使の追放」。ルシファー一味かな?

    続いては「天使達」あるいは「マルリアーニ」と呼ばれる礼拝堂です。その名の通り、天使に捧げられています。

    左右のルーネット部分のフレスコは、ロンバルディア出身のアウレリオとジョヴァン・ピエトロ・ルイニ兄弟の作品だと言われています。この名前よく覚えておいてくださいね。

    中央の絵は「造反天使の追放」。ルシファー一味かな?

  • そして右壁は、マリアの元に遣わされる天使ガブリエルです。受胎告知をするよう、指示を受けるガブリエルの姿ですね。こんな構図は初めて見ましたよ。想像力豊かです!

    そして右壁は、マリアの元に遣わされる天使ガブリエルです。受胎告知をするよう、指示を受けるガブリエルの姿ですね。こんな構図は初めて見ましたよ。想像力豊かです!

  • だいぶ輪郭がボケてきてしまったヴォールトのフレスコです。説明板によると9人の天使聖歌隊が描かれているそうです。ちょっと・・・微妙・・・

    だいぶ輪郭がボケてきてしまったヴォールトのフレスコです。説明板によると9人の天使聖歌隊が描かれているそうです。ちょっと・・・微妙・・・

  • 次なるはこの教会でも一、二を争う素晴らしい作品があるサンタ・コロナ礼拝堂です。ここにはかつて、ティッツィアーノの描いた「茨の冠」があったのですが、ナポレオンに持ち去られ現在はルーブルが所蔵しています。教会の案内板には「盗まれた」とはっきり書いてありましたよ。余談ですが、イタリアの教会巡りをしていると、ナポレオン=泥棒のイメージが出来つつあります。<br /><br />そして代わりに祭壇画となったのが、カラヴァッジョの「十字架降下」。<br /><br />しかしながら全く記憶にございません(泣)。

    次なるはこの教会でも一、二を争う素晴らしい作品があるサンタ・コロナ礼拝堂です。ここにはかつて、ティッツィアーノの描いた「茨の冠」があったのですが、ナポレオンに持ち去られ現在はルーブルが所蔵しています。教会の案内板には「盗まれた」とはっきり書いてありましたよ。余談ですが、イタリアの教会巡りをしていると、ナポレオン=泥棒のイメージが出来つつあります。

    そして代わりに祭壇画となったのが、カラヴァッジョの「十字架降下」。

    しかしながら全く記憶にございません(泣)。

  • で、またまた、Wikipediaからお借りしました。こちらがカラヴァッジョの「十字架降下」。1616年の作です。あまりカラヴァッジョらしさがない作品ではありますね。

    で、またまた、Wikipediaからお借りしました。こちらがカラヴァッジョの「十字架降下」。1616年の作です。あまりカラヴァッジョらしさがない作品ではありますね。

  • 左右の壁一面に描かれていたフレスコはかろうじて撮っていました。<br />ガウデンツィオ・フェッラーリが1542年に描いたキリストの受難シリーズから「磔」。

    左右の壁一面に描かれていたフレスコはかろうじて撮っていました。
    ガウデンツィオ・フェッラーリが1542年に描いたキリストの受難シリーズから「磔」。

  • 右壁はルーネット部分に「エッケ・ホモ(この人を見よ)」、下の部分は鉄格子が邪魔+フレスコが不鮮明ですが、「キリストの鞭打ち」のようです。

    右壁はルーネット部分に「エッケ・ホモ(この人を見よ)」、下の部分は鉄格子が邪魔+フレスコが不鮮明ですが、「キリストの鞭打ち」のようです。

  • 右側5番目は聖ドメニコに捧げるサウリ家礼拝堂です。サウリ家は1541年にこの礼拝堂の祭壇、フレスコを含む内装工事をヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・デミオに依頼しました。<br /><br />白いスタッコの壁は鉄柵に隠れてよく見えませんが、天使達が優雅に舞っているみたい。その上ルーネット部分には、エルサレムから11km離れたエマオという町に行く途中に復活したキリストが弟子に会って話したとされる場面が描かれていました。

    右側5番目は聖ドメニコに捧げるサウリ家礼拝堂です。サウリ家は1541年にこの礼拝堂の祭壇、フレスコを含む内装工事をヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・デミオに依頼しました。

    白いスタッコの壁は鉄柵に隠れてよく見えませんが、天使達が優雅に舞っているみたい。その上ルーネット部分には、エルサレムから11km離れたエマオという町に行く途中に復活したキリストが弟子に会って話したとされる場面が描かれていました。

  • 反対側のルーネットは、「我に触れるな」。キリストがマグダラのマリアと会った場面ですね。復活したキリストの衣服がまるで、洗礼者ヨハネのように見えます。

    反対側のルーネットは、「我に触れるな」。キリストがマグダラのマリアと会った場面ですね。復活したキリストの衣服がまるで、洗礼者ヨハネのように見えます。

  • ヴォールト部分はかなり傷んでいて、詳細が分かりませんが、教会の説明板には、極端に誇張された手足からマニエリスムの特徴が良く出ていると書かれていました。

    ヴォールト部分はかなり傷んでいて、詳細が分かりませんが、教会の説明板には、極端に誇張された手足からマニエリスムの特徴が良く出ていると書かれていました。

  • 6番目は元々この教会の脇に屋敷があるアテッラーニ家所有で、聖ヴィンチェンツォ・フエッレールに捧げられていました。<br /><br />ご覧のように、強い光が窓から入り込んで、主祭壇が逆光となるため、右側廊では祭壇を全く写していなかったようです。フレスコは17世紀にフィアメンギーニによって描かれました。フィアメンギーニ(複数形)は、ジョヴァンニ・マウロとジョヴァンニ・バッティスタの兄弟で、ミラノのキアラヴェッレ聖堂の大規模なフレスコ画で知られています。特定の一人の名前を指す時は、フィアメンギーノになるのかな? イタリア語は苗字も語尾変化するのかしら?<br />

    6番目は元々この教会の脇に屋敷があるアテッラーニ家所有で、聖ヴィンチェンツォ・フエッレールに捧げられていました。

    ご覧のように、強い光が窓から入り込んで、主祭壇が逆光となるため、右側廊では祭壇を全く写していなかったようです。フレスコは17世紀にフィアメンギーニによって描かれました。フィアメンギーニ(複数形)は、ジョヴァンニ・マウロとジョヴァンニ・バッティスタの兄弟で、ミラノのキアラヴェッレ聖堂の大規模なフレスコ画で知られています。特定の一人の名前を指す時は、フィアメンギーノになるのかな? イタリア語は苗字も語尾変化するのかしら?

  • 右壁はかなり傷んでいます。解説も深くは触れていなかったので、フレスコの内容が分かりませんでした。<br /><br />この礼拝堂は1943年の第二次大戦爆撃でもかなりの被害が出ています。

    右壁はかなり傷んでいます。解説も深くは触れていなかったので、フレスコの内容が分かりませんでした。

    この礼拝堂は1943年の第二次大戦爆撃でもかなりの被害が出ています。

  • 奥に見える、マントを広げた聖母の描かれたスタッコのパネルの下を奥に進むと、「感謝の聖母」(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ礼拝堂へと入ることが出来るのですが、なんと見逃したみたいです。<br /><br />この礼拝堂だけは教会が建てられる前から存在していて、この教会の名前の由来になったというのに! ペストが繰り返しミラノを襲うたびに、人々は聖母のマントにくるまれることを欲して、祈りを捧げて来ました。キリスト教の教えというより、もっとシンプルで純粋な、生きていくための支え。それが聖母信仰だったような気がします。<br />

    奥に見える、マントを広げた聖母の描かれたスタッコのパネルの下を奥に進むと、「感謝の聖母」(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ礼拝堂へと入ることが出来るのですが、なんと見逃したみたいです。

    この礼拝堂だけは教会が建てられる前から存在していて、この教会の名前の由来になったというのに! ペストが繰り返しミラノを襲うたびに、人々は聖母のマントにくるまれることを欲して、祈りを捧げて来ました。キリスト教の教えというより、もっとシンプルで純粋な、生きていくための支え。それが聖母信仰だったような気がします。

  • 最後の晩餐のコピーがあったので、教会を出る前にじっくりと見物。<br /><br />左からバルトロマイ、小ヤコブ、驚いたようなペドロの兄アンデレ。

    最後の晩餐のコピーがあったので、教会を出る前にじっくりと見物。

    左からバルトロマイ、小ヤコブ、驚いたようなペドロの兄アンデレ。

  • 浅黒い顔のイスカリオテのユダ、ペドロ(ピエトロ)、女性にしか見えないヨハネ。ダ・ヴィンチ・コードではなくても、ヨハネ=マグダラのマリア説を唱える人が沢山いるようです。

    浅黒い顔のイスカリオテのユダ、ペドロ(ピエトロ)、女性にしか見えないヨハネ。ダ・ヴィンチ・コードではなくても、ヨハネ=マグダラのマリア説を唱える人が沢山いるようです。

  • 中央のキリストの右側には、・・・

    中央のキリストの右側には、・・・

  • 顔を突き出して、しきりに何かをキリストに訴えているように見えるトマス、大ヤコブ、立ち上がったいるのはフィリポです。

    顔を突き出して、しきりに何かをキリストに訴えているように見えるトマス、大ヤコブ、立ち上がったいるのはフィリポです。

  • 最後の3人は、キリストとは別の会話が進行中のようですよ。マタイ、ユダ(タダイ)、そしてシモンです。

    最後の3人は、キリストとは別の会話が進行中のようですよ。マタイ、ユダ(タダイ)、そしてシモンです。

  • もう一度キオストロを巡って、展示されている絵画を鑑賞した後、納得いくまでクーポラを見上げて、退出しました。

    もう一度キオストロを巡って、展示されている絵画を鑑賞した後、納得いくまでクーポラを見上げて、退出しました。

  • 後陣の半円筒形をした膨らみ部分の装飾をアップにしてみました。小学生の頃、定規やコンパスでこんな模様を作ったなあ・・・<br /><br />一番小さな円の中にあった紋章はヴィスコンティ家の子供を飲む蛇と王冠を付けた鷲そして百合の花フルール・ド・リスでしたよ。

    後陣の半円筒形をした膨らみ部分の装飾をアップにしてみました。小学生の頃、定規やコンパスでこんな模様を作ったなあ・・・

    一番小さな円の中にあった紋章はヴィスコンティ家の子供を飲む蛇と王冠を付けた鷲そして百合の花フルール・ド・リスでしたよ。

  • お隣は唐草模様ですねえ。美しい!! こちらの紋章はヤシとオリーヴが添えられた王冠でした。

    お隣は唐草模様ですねえ。美しい!! こちらの紋章はヤシとオリーヴが添えられた王冠でした。

  • 今回は、ファサードを見るのを忘れませんでした。レンガ造りのイタリア北部ゴシック様式のファサードです。<br /><br />6本のバットレス(控え壁)により、5つの部分に分かれています。ドゥオモと同じく横長なのが北部建築の特徴。建築家ソラーリが建造した他のミラノの教会と構造は同じだそうです。<br /><br />ここでも目立つのは〇ですねえ。中央のバラ窓の他に〇が5つ。側廊にも続いていますよ。〇の共通点を別にすれば、ブラマンテのクーポラとは全く異なった雰囲気である気がしました。<br /><br />カラビニエリの車が邪魔ですが、中央扉は白い大理石で作られ、同じ大理石の柱が緑色の屋根を支えていました。

    今回は、ファサードを見るのを忘れませんでした。レンガ造りのイタリア北部ゴシック様式のファサードです。

    6本のバットレス(控え壁)により、5つの部分に分かれています。ドゥオモと同じく横長なのが北部建築の特徴。建築家ソラーリが建造した他のミラノの教会と構造は同じだそうです。

    ここでも目立つのは〇ですねえ。中央のバラ窓の他に〇が5つ。側廊にも続いていますよ。〇の共通点を別にすれば、ブラマンテのクーポラとは全く異なった雰囲気である気がしました。

    カラビニエリの車が邪魔ですが、中央扉は白い大理石で作られ、同じ大理石の柱が緑色の屋根を支えていました。

  • ファサード前に集まった大勢の人々の目的は、こちらの食堂の中の「晩餐」でした。ピンク色の垂れ幕に大きくCenacolo Vinciano「最後の晩餐」と書かれていました。そう、この教会を建造したルドヴィコ・スフォルツァが、レオナルドに最後の晩餐を描くよう、依頼したんでしたね。<br /><br />味も素気もないこの食堂の建物はなぜか覚えていたのですが、肝心の教会については記憶が飛んでいたので、今回内部を含めて見学が出来て、有意義だったと思いました。難解だったけれど、コーデックス・アトランティクスというおまけにもありつけましたしね。

    ファサード前に集まった大勢の人々の目的は、こちらの食堂の中の「晩餐」でした。ピンク色の垂れ幕に大きくCenacolo Vinciano「最後の晩餐」と書かれていました。そう、この教会を建造したルドヴィコ・スフォルツァが、レオナルドに最後の晩餐を描くよう、依頼したんでしたね。

    味も素気もないこの食堂の建物はなぜか覚えていたのですが、肝心の教会については記憶が飛んでいたので、今回内部を含めて見学が出来て、有意義だったと思いました。難解だったけれど、コーデックス・アトランティクスというおまけにもありつけましたしね。

  • これじゃあなんだかわからないと言われそうですが、先ほど見学した右側6番目の礼拝堂のパトロンアテッラーニ家の屋敷です。本当に教会の真ん前。通りを渡って撮影すればよかったと後悔。<br /><br />こちらのファサードもこの三つの〇、三つ葉の窓が特徴的でした。

    これじゃあなんだかわからないと言われそうですが、先ほど見学した右側6番目の礼拝堂のパトロンアテッラーニ家の屋敷です。本当に教会の真ん前。通りを渡って撮影すればよかったと後悔。

    こちらのファサードもこの三つの〇、三つ葉の窓が特徴的でした。

  • 最後に完璧な後陣とクーポラを撮りたいがために、通りを渡らなかったのです。レンガと石の組み合わせが絶妙です。<br /><br />そう言えば外観にほれ込んだ反動か、内部を歩いたときには主祭壇の傍にすら行かなかったことを思い出しました。もうボケボケでんなあ・・・

    最後に完璧な後陣とクーポラを撮りたいがために、通りを渡らなかったのです。レンガと石の組み合わせが絶妙です。

    そう言えば外観にほれ込んだ反動か、内部を歩いたときには主祭壇の傍にすら行かなかったことを思い出しました。もうボケボケでんなあ・・・

  • 絵画の複製を売っているお店を覗きこみます。

    絵画の複製を売っているお店を覗きこみます。

  • サンタ・マリア・デッレ・グラツィエの前の道マジェンタ大通りを東へ。<br /><br />ややしばらく歩くと左手に見えてきたのが、こちらのパラッツォ・リッタ。ミラノにおけるバロック建築の代表例と言われています。中は考古学と風景画が収蔵された市立博物館になっています。<br /><br />主要部分の建物は、ミラノの貴族バルトロメオ3世・アレーゼ(1590年-1674年)の屋敷として、17世紀から18世紀にかけてフランチェスコ・マリア・リキニにより建造されました。

    サンタ・マリア・デッレ・グラツィエの前の道マジェンタ大通りを東へ。

    ややしばらく歩くと左手に見えてきたのが、こちらのパラッツォ・リッタ。ミラノにおけるバロック建築の代表例と言われています。中は考古学と風景画が収蔵された市立博物館になっています。

    主要部分の建物は、ミラノの貴族バルトロメオ3世・アレーゼ(1590年-1674年)の屋敷として、17世紀から18世紀にかけてフランチェスコ・マリア・リキニにより建造されました。

  • このリッタ邸を通り越したあたりの道の反対側に、目指すサン・マウリツィオ教会がありました。奥に小さく写っているのがそのファサードです。また通りを渡るのが面倒で、ファサードを撮っていません。<br /><br />正式名は、サン・マウリツィオ・アル・モナステロ・マッジョーレ。初期キリスト教からの教会で、古代ローマ時代の建造物を再利用して、ロンゴバルド時代に建てられました。かつてはミラノでは最も有名なベネディクト会の女性修道院が併設されていました。<br /><br />現在の教会は1503年に、それまでの古い教会の跡に、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオらによって建てられました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエのクーポラも建てたかもしれないアマデオです。

    このリッタ邸を通り越したあたりの道の反対側に、目指すサン・マウリツィオ教会がありました。奥に小さく写っているのがそのファサードです。また通りを渡るのが面倒で、ファサードを撮っていません。

    正式名は、サン・マウリツィオ・アル・モナステロ・マッジョーレ。初期キリスト教からの教会で、古代ローマ時代の建造物を再利用して、ロンゴバルド時代に建てられました。かつてはミラノでは最も有名なベネディクト会の女性修道院が併設されていました。

    現在の教会は1503年に、それまでの古い教会の跡に、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオらによって建てられました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエのクーポラも建てたかもしれないアマデオです。

  • 入口から中に入った途端、その煌びやかさに圧倒されました。壁前面を覆うフレスコ画はレオナルド・ダ・ヴィンチ派の画家によって描かれました。レオナルドは生涯弟子を持ちませんでしたが、ここミラノではルドヴィコ・スフォルツァという最高のパトロンの影響もあり、新世代の画家達に多大な影響を及ぼしたのだそうです。例えばフランチェスコ・メルツィ、サラーイ、ベルナルディーノ・ルイニ、アンボロージョ・デ・プレディスと言った人達です。<br /><br />教会の説明板によると、このフレスコは16世紀の最も重要なロンバルディア風フレスコ・サイクルで、ベルナルディーノ・ルイニとその弟子達が中心となり描かれました。<br /><br />この教会、別名を「ミラノとロンバルディアのシスティーナ礼拝堂」と呼ぶんですって。<br />

    入口から中に入った途端、その煌びやかさに圧倒されました。壁前面を覆うフレスコ画はレオナルド・ダ・ヴィンチ派の画家によって描かれました。レオナルドは生涯弟子を持ちませんでしたが、ここミラノではルドヴィコ・スフォルツァという最高のパトロンの影響もあり、新世代の画家達に多大な影響を及ぼしたのだそうです。例えばフランチェスコ・メルツィ、サラーイ、ベルナルディーノ・ルイニ、アンボロージョ・デ・プレディスと言った人達です。

    教会の説明板によると、このフレスコは16世紀の最も重要なロンバルディア風フレスコ・サイクルで、ベルナルディーノ・ルイニとその弟子達が中心となり描かれました。

    この教会、別名を「ミラノとロンバルディアのシスティーナ礼拝堂」と呼ぶんですって。

  • 現在、教会は博物館として使用されているほか、日曜日にはカトリックのビザンティン式の礼拝(イタロ・ビザンティン・カトリック教会と呼ぶそうです)をギリシャ語で行っています。<br /><br />内部は単廊式で、両側に同じサイズの画一的な礼拝堂が並んでいました。こちらは主祭壇に向かって左側。どの礼拝堂もフレスコでびっしり! 昨日まで存在すら知らなかった教会です。ツーリング・クラブの皆さまありがとう!

    現在、教会は博物館として使用されているほか、日曜日にはカトリックのビザンティン式の礼拝(イタロ・ビザンティン・カトリック教会と呼ぶそうです)をギリシャ語で行っています。

    内部は単廊式で、両側に同じサイズの画一的な礼拝堂が並んでいました。こちらは主祭壇に向かって左側。どの礼拝堂もフレスコでびっしり! 昨日まで存在すら知らなかった教会です。ツーリング・クラブの皆さまありがとう!

  • そしてこちらが右側。どちらの側にも比較的大きな窓から光がさんさんと差し込んできます。

    そしてこちらが右側。どちらの側にも比較的大きな窓から光がさんさんと差し込んできます。

  • 右側最初はフィオレンツァ礼拝堂です。聖パオロに捧げられていました。ジェノヴァ出身のオッターヴィオ・セミノ(1530年-1604年)の1571年の作品。<br /><br />絵画の祭壇画は光って見えづらいですが、「聖パオロの民衆への説教」。あまり見かけないテーマなので、興味を持って拝見。

    右側最初はフィオレンツァ礼拝堂です。聖パオロに捧げられていました。ジェノヴァ出身のオッターヴィオ・セミノ(1530年-1604年)の1571年の作品。

    絵画の祭壇画は光って見えづらいですが、「聖パオロの民衆への説教」。あまり見かけないテーマなので、興味を持って拝見。

  • 左側の壁には、パオロの洗礼。そして右側にはパオロの殉教。こちらは状態が悪く、殆ど消えてしまっていて判別不能でした。<br /><br />ヴォールト部分には神学的な美徳の寓意像が描かれていました。

    左側の壁には、パオロの洗礼。そして右側にはパオロの殉教。こちらは状態が悪く、殆ど消えてしまっていて判別不能でした。

    ヴォールト部分には神学的な美徳の寓意像が描かれていました。

  • 二番目のシモネッタ礼拝堂。ペルージャの司教で、スフォルツァ家と懇意だったベネナルディーノ・シモネッタの記念礼拝堂です。カッリストとフルヴィオ・ピアッツァの作品 1555年。<br /><br />祭壇画は絵画で「キリストの十字架降下」です。これはどちらが描いたのでしょう? <br /><br />ルーネット部分には、聖フランチェスコが聖痕を受けた場面が分かりやすいタッチで描かれていました。空には燭天使が浮かんでいます。

    二番目のシモネッタ礼拝堂。ペルージャの司教で、スフォルツァ家と懇意だったベネナルディーノ・シモネッタの記念礼拝堂です。カッリストとフルヴィオ・ピアッツァの作品 1555年。

    祭壇画は絵画で「キリストの十字架降下」です。これはどちらが描いたのでしょう? 

    ルーネット部分には、聖フランチェスコが聖痕を受けた場面が分かりやすいタッチで描かれていました。空には燭天使が浮かんでいます。

  • 左側の壁には二人の聖人聖ヤコブと聖ロレンツォ。<br /><br />そして右側には龍退治の聖ジョルジュの姿がありましたよ!

    左側の壁には二人の聖人聖ヤコブと聖ロレンツォ。

    そして右側には龍退治の聖ジョルジュの姿がありましたよ!

  • 三番目の裕福な公証人のベゾッツィ家礼拝堂。レオナルドの弟子?ベルナルディーノ・ルイニ作。1530年の建造で、アレキサンドリアの聖カタリナに捧げられていました。<br /><br />中央には柱に繋がれたキリスト、左側にアレキサンドリアの聖カタリナが彼女のシンボル壊れた車輪の一部を持って立っています。彼女が優しく肩を抱いているのが、パトロンのフランチェスコ・ベゾッツィです。<br /><br />左壁には天使の介入によって、聖カタリナが車輪の拷問から救われた場面、右壁には斬首による殉教の場面がありました。<br /><br />中央の柱が上に突き抜ける構図がお見事。どのフレスコも素晴らしい色彩で、溜息の連続でした。この後さらに溜息が止まらなくなります。

    イチオシ

    三番目の裕福な公証人のベゾッツィ家礼拝堂。レオナルドの弟子?ベルナルディーノ・ルイニ作。1530年の建造で、アレキサンドリアの聖カタリナに捧げられていました。

    中央には柱に繋がれたキリスト、左側にアレキサンドリアの聖カタリナが彼女のシンボル壊れた車輪の一部を持って立っています。彼女が優しく肩を抱いているのが、パトロンのフランチェスコ・ベゾッツィです。

    左壁には天使の介入によって、聖カタリナが車輪の拷問から救われた場面、右壁には斬首による殉教の場面がありました。

    中央の柱が上に突き抜ける構図がお見事。どのフレスコも素晴らしい色彩で、溜息の連続でした。この後さらに溜息が止まらなくなります。

  • 四番目の礼拝堂は見えにくい位置、殆ど主祭壇の領域にありました。エッケ・ホモ或いはベンティゴーリオ礼拝堂と呼ばれています。確認できたのは左壁にあったエッケ・ホモとルーネット部分のキリストの十字架に架けられる場面だけです。<br /><br />ここはベルナルディーノの息子アウレリオとジョヴァン・ピエトロ・ルイニが制作しています。

    四番目の礼拝堂は見えにくい位置、殆ど主祭壇の領域にありました。エッケ・ホモ或いはベンティゴーリオ礼拝堂と呼ばれています。確認できたのは左壁にあったエッケ・ホモとルーネット部分のキリストの十字架に架けられる場面だけです。

    ここはベルナルディーノの息子アウレリオとジョヴァン・ピエトロ・ルイニが制作しています。

  • 主祭壇には中央の祭壇画「東方三博士の礼拝」(アントニオ・カンピ 1578年)の周りを取り囲むように7枚のフレスコがありました。ベルナルディーノ・ルイニの1530年代の制作です。<br /><br />一段目には4人の女性聖人 左から聖チェチリア、聖ウルスラ、聖アポッロニア、そして聖ルチア。表現が豊かでとても美しいです。それしか言いようがありません。<br /><br />そのルーネット部分に描かれているは、聖人と共にいるパトロン スフォルツァ家とその家族だそうですよ。左側で跪いているベレー帽の男性はルドヴィコの息子ジョヴァンニ・パオロ・スフォルツァだそうです。<br /><br />二段目には、左右にこの教会が捧げている聖マウリツィオと聖シジスモンドの殉教場面。中央には聖母被昇天を見送る聖人達の姿がありました。

    主祭壇には中央の祭壇画「東方三博士の礼拝」(アントニオ・カンピ 1578年)の周りを取り囲むように7枚のフレスコがありました。ベルナルディーノ・ルイニの1530年代の制作です。

    一段目には4人の女性聖人 左から聖チェチリア、聖ウルスラ、聖アポッロニア、そして聖ルチア。表現が豊かでとても美しいです。それしか言いようがありません。

    そのルーネット部分に描かれているは、聖人と共にいるパトロン スフォルツァ家とその家族だそうですよ。左側で跪いているベレー帽の男性はルドヴィコの息子ジョヴァンニ・パオロ・スフォルツァだそうです。

    二段目には、左右にこの教会が捧げている聖マウリツィオと聖シジスモンドの殉教場面。中央には聖母被昇天を見送る聖人達の姿がありました。

  • 主祭壇の左側にある十字架降下、あるいはベンティヴォーリオ礼拝堂です。こちらもベルナルディーノの息子達による16世紀半ばの作品。キリストの十字架降下の作品は、右壁へと続き、そこには事の次第を見守る大勢の人々が描かれていました。

    主祭壇の左側にある十字架降下、あるいはベンティヴォーリオ礼拝堂です。こちらもベルナルディーノの息子達による16世紀半ばの作品。キリストの十字架降下の作品は、右壁へと続き、そこには事の次第を見守る大勢の人々が描かれていました。

  • 左側三番目の洗礼者聖ヨハネ或いはカッレト家の礼拝堂です。描いたのはベルナルディーノの息子エヴァンジェリスタ。彼には4人の息子がいたそうです。正に一族総芸術家ですね。他にビアジオ、ジュゼッペ・アルチンボルドらが加わっています。1545年。1992年に修復されたという記載がありました。<br /><br />ある資料には、左側に描かれた天使達の描写はレオナルド、そしてミケランジェロの影響が大だと書かれていました。確かに似てる!<br /><br />左壁にはジュゼッペ・アルチンボルド作の「聖ヨハネの誕生」、右壁には斬首された聖ヨハネの首を持つサロメが描かれていましたよ。

    左側三番目の洗礼者聖ヨハネ或いはカッレト家の礼拝堂です。描いたのはベルナルディーノの息子エヴァンジェリスタ。彼には4人の息子がいたそうです。正に一族総芸術家ですね。他にビアジオ、ジュゼッペ・アルチンボルドらが加わっています。1545年。1992年に修復されたという記載がありました。

    ある資料には、左側に描かれた天使達の描写はレオナルド、そしてミケランジェロの影響が大だと書かれていました。確かに似てる!

    左壁にはジュゼッペ・アルチンボルド作の「聖ヨハネの誕生」、右壁には斬首された聖ヨハネの首を持つサロメが描かれていましたよ。

  • 左側2番目は聖ステファノ或いはこちらもカッレト家の礼拝堂です。上の礼拝堂と同じエヴァンジェリスタ・ルイニの作品。この絵はやや稚拙な感がありますね。彼単独になると評価は急に下がります。<br /><br />祭壇画は聖ステファノの殉教。1世紀の聖人で、投石によって亡くなったとされていますので、彼を描いた絵には石が登場します。

    左側2番目は聖ステファノ或いはこちらもカッレト家の礼拝堂です。上の礼拝堂と同じエヴァンジェリスタ・ルイニの作品。この絵はやや稚拙な感がありますね。彼単独になると評価は急に下がります。

    祭壇画は聖ステファノの殉教。1世紀の聖人で、投石によって亡くなったとされていますので、彼を描いた絵には石が登場します。

  • 左側最初の礼拝堂はキリストの復活に捧げる或いはベルガミナ家礼拝堂です。描いたのは、アウレリオとジョヴァンニ・ピエトロのルイニ兄弟。他の礼拝堂と同じく16世紀半ば頃の制作です。<br /><br />スフォルツァ家からベルガモン公爵家に嫁いだ公爵夫人がパトロンだそう。この教会も殆どスフォルツァ家関係者で占められていますね。

    左側最初の礼拝堂はキリストの復活に捧げる或いはベルガミナ家礼拝堂です。描いたのは、アウレリオとジョヴァンニ・ピエトロのルイニ兄弟。他の礼拝堂と同じく16世紀半ば頃の制作です。

    スフォルツァ家からベルガモン公爵家に嫁いだ公爵夫人がパトロンだそう。この教会も殆どスフォルツァ家関係者で占められていますね。

  • カウンターファサードにあった2枚のフレスコは、カラヴァッジョの先生シモーネ・ペテルツァーノの作品でした。前の旅行記のサン・フェデーレ教会の項でも紹介しましたが、彼はロンバルディアにおける後期マニエリスム期の代表格とも言える画家です。<br /><br />こちらは、神殿から商人を追い払うキリスト。暴力を振るっているキリストを見るのは、この場面だけです。祈りの場である神殿が、家畜の売買人や両替商らによって汚されているのを見たキリストが、革の鞭を振るい、彼らを追い出すさまは迫力があります。1573年。<br /><br />ルーネットはモーゼが十戒の描かれた石板を叩き割っている場面でした。

    カウンターファサードにあった2枚のフレスコは、カラヴァッジョの先生シモーネ・ペテルツァーノの作品でした。前の旅行記のサン・フェデーレ教会の項でも紹介しましたが、彼はロンバルディアにおける後期マニエリスム期の代表格とも言える画家です。

    こちらは、神殿から商人を追い払うキリスト。暴力を振るっているキリストを見るのは、この場面だけです。祈りの場である神殿が、家畜の売買人や両替商らによって汚されているのを見たキリストが、革の鞭を振るい、彼らを追い出すさまは迫力があります。1573年。

    ルーネットはモーゼが十戒の描かれた石板を叩き割っている場面でした。

  • そしてもう1枚は、「放蕩息子の帰還」。これも、色々な画家によって描かれていますが、一番有名なのはエルミタージュにあるレンブラントの作品。実は私2016年秋にその絵を実際に見ていきました。<br /><br />ルカの福音書にある話で、父親から兄弟等分に財産を分与され、家を出て行った弟息子が、一文無しになって家に戻ってきた場面です。父親は怒るどころか、彼の帰還を喜んで迎え、祝福します。これも味のある1枚でした。

    そしてもう1枚は、「放蕩息子の帰還」。これも、色々な画家によって描かれていますが、一番有名なのはエルミタージュにあるレンブラントの作品。実は私2016年秋にその絵を実際に見ていきました。

    ルカの福音書にある話で、父親から兄弟等分に財産を分与され、家を出て行った弟息子が、一文無しになって家に戻ってきた場面です。父親は怒るどころか、彼の帰還を喜んで迎え、祝福します。これも味のある1枚でした。

  • カウンターファサード全体の雰囲気をもう一度。

    カウンターファサード全体の雰囲気をもう一度。

  • 実はこの教会。これだけではなくて、奥に驚くべき大きなホールがあったのです。キリストの磔を見守る人びとの描かれたフレスコ横の扉をくぐると・・・

    実はこの教会。これだけではなくて、奥に驚くべき大きなホールがあったのです。キリストの磔を見守る人びとの描かれたフレスコ横の扉をくぐると・・・

  • 主祭壇の壁の反対側に、新たなフレスコの世界が待ち受けていました。

    主祭壇の壁の反対側に、新たなフレスコの世界が待ち受けていました。

  • こちらがその全体像です。「修道女たちのホール」と呼ばれています。このホールに最初に絵が書かれたのは1520年代と言われています。教会と同じくらい、いやそれ以上の広さがあるように感じました。<br /><br />壁伝いにずらりと並べられているのは、修道女達の聖歌隊席です。

    こちらがその全体像です。「修道女たちのホール」と呼ばれています。このホールに最初に絵が書かれたのは1520年代と言われています。教会と同じくらい、いやそれ以上の広さがあるように感じました。

    壁伝いにずらりと並べられているのは、修道女達の聖歌隊席です。

  • そしてホールの奥から入ってきた方を撮った1枚。正面の大きな壁が、教会と奥のホールを隔てていました。要は一般会衆用と修道女用に教会を分けていたんですね。修道女達は、1794年までこの壁の反対側に行くことを厳しく禁じられていたそうです。<br /><br /><br />手前に受胎告知が描かれた凱旋門があって、その奥に青いヴォールトと3つのアーチのある壁が見えます。この隔壁部分のフレスコが一番古いそうです。

    そしてホールの奥から入ってきた方を撮った1枚。正面の大きな壁が、教会と奥のホールを隔てていました。要は一般会衆用と修道女用に教会を分けていたんですね。修道女達は、1794年までこの壁の反対側に行くことを厳しく禁じられていたそうです。


    手前に受胎告知が描かれた凱旋門があって、その奥に青いヴォールトと3つのアーチのある壁が見えます。この隔壁部分のフレスコが一番古いそうです。

  • もう少し近づいていくとこのような世界が広がっています。<br /><br />深いブルーに塗られ、星が瞬いているヴォールトには4人の福音記者、そして音楽天使らが描かれ、中央のメダリオンの中には天の父なる神が祝福を与えていました。なんと鮮やかな色遣いなのでしょう・・・<br /><br />製作は、こちらもレオナルドの影響を受けた画家の一人ヴィンチェンツォ・フォッパとその工房によるものです。<br /><br />

    もう少し近づいていくとこのような世界が広がっています。

    深いブルーに塗られ、星が瞬いているヴォールトには4人の福音記者、そして音楽天使らが描かれ、中央のメダリオンの中には天の父なる神が祝福を与えていました。なんと鮮やかな色遣いなのでしょう・・・

    製作は、こちらもレオナルドの影響を受けた画家の一人ヴィンチェンツォ・フォッパとその工房によるものです。

  • ヴォールトが歪んでいるので、こちらはほぼ真下から撮った1枚です。<br /><br />

    ヴォールトが歪んでいるので、こちらはほぼ真下から撮った1枚です。

  • 神のどアップ!<br /><br />次にこの壁にある絵を見ていきます。

    イチオシ

    神のどアップ!

    次にこの壁にある絵を見ていきます。

  • ここからはベルナルディーノ・ルイニの作品になります。一段目の左端にあったのは、「エッケ・ホモ」。大きな写真がないので、無理を承知で引き延ばしてみました。キリストを小馬鹿にした両側の役人の表情が非常に印象的でした。

    ここからはベルナルディーノ・ルイニの作品になります。一段目の左端にあったのは、「エッケ・ホモ」。大きな写真がないので、無理を承知で引き延ばしてみました。キリストを小馬鹿にした両側の役人の表情が非常に印象的でした。

  • そして教会の主祭壇と同じ女性の聖人達。左側が聖アポロニア、右側は聖ルチアです。<br /><br /><br />二人の間のキリストの胸からほとばしる血を受ける杯も教会側と同じ絵が描かれていました。右横にいるのは、聖セバスティアーノです。

    そして教会の主祭壇と同じ女性の聖人達。左側が聖アポロニア、右側は聖ルチアです。


    二人の間のキリストの胸からほとばしる血を受ける杯も教会側と同じ絵が描かれていました。右横にいるのは、聖セバスティアーノです。

  • 聖セバスティアーノの密かなファンとしては、彼だけの1枚も欲しいところです。てへへ・・・

    聖セバスティアーノの密かなファンとしては、彼だけの1枚も欲しいところです。てへへ・・・

  • 右側の女性聖人は、アレキサンドリアの聖カタリナとシチリアの聖人聖アガタでした。アガタが捧げ持っているお皿の上の肉まん!のように見えるものは、ご存知彼女の乳房です。<br /><br />左横には、いつもの傷口を見せている聖ロッコがいました。この辺りからベルナルディーノの画法にぞっこんになりました。

    右側の女性聖人は、アレキサンドリアの聖カタリナとシチリアの聖人聖アガタでした。アガタが捧げ持っているお皿の上の肉まん!のように見えるものは、ご存知彼女の乳房です。

    左横には、いつもの傷口を見せている聖ロッコがいました。この辺りからベルナルディーノの画法にぞっこんになりました。

  • 次はルーネット部分に行きますよ。ホール奥に向かって右側の扉の上にありました。資料がないので、どなたの作か分かりませんが、これもベルナルディーノでしょうか? <br /><br />その下のフレスコもあまり覚えていませんが、「ゲツセマネの祈り」のようです。

    次はルーネット部分に行きますよ。ホール奥に向かって右側の扉の上にありました。資料がないので、どなたの作か分かりませんが、これもベルナルディーノでしょうか? 

    その下のフレスコもあまり覚えていませんが、「ゲツセマネの祈り」のようです。

  • 続いて、ベルナルディーノの作品が続きます。女性聖人上のルーネット部分は、ゴルゴダの丘に向かう途中のキリストが2度倒れた際に聖母と再会した場面だと思われます。この話は聖書には出てこないということを前に書きましたっけ?<br /><br />明るい色、ソフトで繊細な筆遣い、荒々しさが全く感じられない。初めて見る画家の絵にそんなことを言える立場ではないんですが、彼の円熟期ではないかと思わせる作品の数々です。

    続いて、ベルナルディーノの作品が続きます。女性聖人上のルーネット部分は、ゴルゴダの丘に向かう途中のキリストが2度倒れた際に聖母と再会した場面だと思われます。この話は聖書には出てこないということを前に書きましたっけ?

    明るい色、ソフトで繊細な筆遣い、荒々しさが全く感じられない。初めて見る画家の絵にそんなことを言える立場ではないんですが、彼の円熟期ではないかと思わせる作品の数々です。

  • 中央のルーネットの絵はとても暗くて他とは異なります。筆のタッチもベルナルディーノとは違うような気がするのですが、資料なし。キリストがこれから架にされる場面のようです。

    中央のルーネットの絵はとても暗くて他とは異なります。筆のタッチもベルナルディーノとは違うような気がするのですが、資料なし。キリストがこれから架にされる場面のようです。

  • ルーネットはピエタです。そっと近づく聖母、ほほを寄せるヨハネ、足をさするマグダラのマリア。それぞれの深い悲しみの表情が見事に表現されています。

    ルーネットはピエタです。そっと近づく聖母、ほほを寄せるヨハネ、足をさするマグダラのマリア。それぞれの深い悲しみの表情が見事に表現されています。

  • 隔壁の一番右側の扉に至るまで、フレスコが描かれていない場所がありません。恐れ戦く兵士たちの様々な動きも巧みにとらえていますよ。

    隔壁の一番右側の扉に至るまで、フレスコが描かれていない場所がありません。恐れ戦く兵士たちの様々な動きも巧みにとらえていますよ。

  • 扉の横の壁には、個人的に好きなテーマ「我に触れるな」がありました。キリストとマグダラのマリアの再会場面が気にいっています。

    扉の横の壁には、個人的に好きなテーマ「我に触れるな」がありました。キリストとマグダラのマリアの再会場面が気にいっています。

  • 今度は隔壁の上、2階部分にある3枚のフレスコです。

    今度は隔壁の上、2階部分にある3枚のフレスコです。

  • 左の1枚は「東方三博士の礼拝」でした。<br /><br />しまったぁ! キリストの物語はここから始まっていたのかしら? でももう手遅れです。<br /><br />馬小屋の中で、白い馬と茶色い牛が寄り添っているのが微笑ましい・・・

    左の1枚は「東方三博士の礼拝」でした。

    しまったぁ! キリストの物語はここから始まっていたのかしら? でももう手遅れです。

    馬小屋の中で、白い馬と茶色い牛が寄り添っているのが微笑ましい・・・

  • 中央は「カナの婚礼」。テーブルの上に散らばって置かれている木の実はザクロでしょうか? キリストの穏やかな表情が印象的です。

    中央は「カナの婚礼」。テーブルの上に散らばって置かれている木の実はザクロでしょうか? キリストの穏やかな表情が印象的です。

  • そして右側は、ヨルダン川での「キリストの洗礼」でした。天の父なる神が遣わした聖霊 白い鳩の姿も見えています。

    そして右側は、ヨルダン川での「キリストの洗礼」でした。天の父なる神が遣わした聖霊 白い鳩の姿も見えています。

  • キリストの物語、上手く順番通りには写せそうにないけれど、今度は聖歌隊席を抜けて、教会とは反対側の窓のある壁に向かいます。<br /><br />聖歌隊席の背後の壁の上には、セルリアーナと呼ばれるロッジアが続いていました。

    キリストの物語、上手く順番通りには写せそうにないけれど、今度は聖歌隊席を抜けて、教会とは反対側の窓のある壁に向かいます。

    聖歌隊席の背後の壁の上には、セルリアーナと呼ばれるロッジアが続いていました。

  • 聖歌隊席の途切れたその裏側にあったのは、ベルナルディーノの息子達アウレリオとジョヴァン・ピエトロ兄弟のフレスコでした。

    聖歌隊席の途切れたその裏側にあったのは、ベルナルディーノの息子達アウレリオとジョヴァン・ピエトロ兄弟のフレスコでした。

  • 次はこちらでしょうか?「最後の晩餐」。2014年、フランスのフィジャックの教会で、晩餐の皿の上に肉の丸焼きを発見して大騒ぎした私でしたが、この1年の間に、最後の晩餐はパンとワインだけでなかったことを方々で思い知らされました。<br /><br />キリストの前にある皿には「子羊の丸焼き」が乗っていました。キリストに寄り添っているヨハネが指で突いているのは何でしょうか? しょうもないところばかり観察してますねえ・・・

    次はこちらでしょうか?「最後の晩餐」。2014年、フランスのフィジャックの教会で、晩餐の皿の上に肉の丸焼きを発見して大騒ぎした私でしたが、この1年の間に、最後の晩餐はパンとワインだけでなかったことを方々で思い知らされました。

    キリストの前にある皿には「子羊の丸焼き」が乗っていました。キリストに寄り添っているヨハネが指で突いているのは何でしょうか? しょうもないところばかり観察してますねえ・・・

  • そして、「ユダの裏切り」に続くので良いのかしら。ユダがいかにも悪人らしい面構えで描かれているのが可笑しい・・・<br /><br />この絵は窓に向かって右側の壁にあったような記憶。

    そして、「ユダの裏切り」に続くので良いのかしら。ユダがいかにも悪人らしい面構えで描かれているのが可笑しい・・・

    この絵は窓に向かって右側の壁にあったような記憶。

  • そして、下のフレスコ「キリストの捕縛」に繋がります。左端でユダがお金の入った巾着を握ったまま、見物していますよ。<br /><br />手前で必死に抵抗しているのは、「最後の晩餐」の時に、キリストから三人置いた右側(画面では左側)に座っていた使徒です。レオナルドの「晩餐」とは、順番が異なるので、どなたなんだか???<br /><br />ルカの福音書には、キリストの弟子の一人が、剣を抜いて大祭司の僕を切りつけ、耳を切り落とした とありますが、誰かは明記されていません。

    そして、下のフレスコ「キリストの捕縛」に繋がります。左端でユダがお金の入った巾着を握ったまま、見物していますよ。

    手前で必死に抵抗しているのは、「最後の晩餐」の時に、キリストから三人置いた右側(画面では左側)に座っていた使徒です。レオナルドの「晩餐」とは、順番が異なるので、どなたなんだか???

    ルカの福音書には、キリストの弟子の一人が、剣を抜いて大祭司の僕を切りつけ、耳を切り落とした とありますが、誰かは明記されていません。

  • その上のルーネット部分には、大祭司アンナスの官邸に連れてこられたキリストの姿がありました。アウレリオとジョヴァン・ピエトロ兄弟の筆のタッチはまさに父親譲りのもの。細かな部分まで丁寧な色遣いが印象的です。

    その上のルーネット部分には、大祭司アンナスの官邸に連れてこられたキリストの姿がありました。アウレリオとジョヴァン・ピエトロ兄弟の筆のタッチはまさに父親譲りのもの。細かな部分まで丁寧な色遣いが印象的です。

  • 順番から行くと、次はルーネット部分の「キリストの鞭打ち」でしょうか。キリストが脱がされたローブが役人の傍らに転がっているのを見逃しませんでしたよ。<br /><br />下のフレスコは、少し物語が進んだ後。「十字架降下」の一場面ですが、こんなに写実的な絵は初めてです。梯子から手を伸ばしてキリストの体を支えるヨハネ、くぎ抜きを使っている職人の手元、十字架の下で聖母を介抱するマグダラのマリアの姿等、どの部分を見ても様々なドラマの進行状態が手に取るようにわかります。<br /><br />背景にある町の教会の後陣はロンバルディア様式。エルサレムではなくて、ミラノみたいですよ・・・<br />

    順番から行くと、次はルーネット部分の「キリストの鞭打ち」でしょうか。キリストが脱がされたローブが役人の傍らに転がっているのを見逃しませんでしたよ。

    下のフレスコは、少し物語が進んだ後。「十字架降下」の一場面ですが、こんなに写実的な絵は初めてです。梯子から手を伸ばしてキリストの体を支えるヨハネ、くぎ抜きを使っている職人の手元、十字架の下で聖母を介抱するマグダラのマリアの姿等、どの部分を見ても様々なドラマの進行状態が手に取るようにわかります。

    背景にある町の教会の後陣はロンバルディア様式。エルサレムではなくて、ミラノみたいですよ・・・

  • 聖歌隊席の背後の壁とルーネットにもフレスコがありましたが、あまりに数が多い上に、わりに単純な風景画が多かったので、何枚かだけピックアップしましょう。

    聖歌隊席の背後の壁とルーネットにもフレスコがありましたが、あまりに数が多い上に、わりに単純な風景画が多かったので、何枚かだけピックアップしましょう。

  • 画面途中から縦に色が変わっている、不思議な風景画です。遠近法の使い方がいまいちかな? 海の中にいる二人は何をしているのでしょう?<br /><br />どう見ても、これはベルナルディーノ父子の仕事とは違うように思えるのですが・・・

    画面途中から縦に色が変わっている、不思議な風景画です。遠近法の使い方がいまいちかな? 海の中にいる二人は何をしているのでしょう?

    どう見ても、これはベルナルディーノ父子の仕事とは違うように思えるのですが・・・

  • 不思議な風景が続きます。

    不思議な風景が続きます。

  • これでお終いにしましょう。どこの景色なのでしょうね。

    これでお終いにしましょう。どこの景色なのでしょうね。

  • こちらは、礼拝堂の背景がフレスコになっていました。左右の壁にはアダムとイヴの物語が描かれていました。誰の作なのか不明ですが、ルイニ親子とは異なった感触があります。<br /><br />ルーネットには、ルシファーを懲らしめる聖ミケーレ、右側には子供を護る守護天使の姿がありました。

    こちらは、礼拝堂の背景がフレスコになっていました。左右の壁にはアダムとイヴの物語が描かれていました。誰の作なのか不明ですが、ルイニ親子とは異なった感触があります。

    ルーネットには、ルシファーを懲らしめる聖ミケーレ、右側には子供を護る守護天使の姿がありました。

  • 修道女たちのホールにあったオルガンは1554年製。ジョヴァン・ジャコモ・アンテニャーティのデザインによるもので、今も立派な現役です。

    修道女たちのホールにあったオルガンは1554年製。ジョヴァン・ジャコモ・アンテニャーティのデザインによるもので、今も立派な現役です。

  • 最後に、アウレリオ・ルイニの作とされる「ノアの箱舟」の物語を紹介します。これは文句なく素晴らしい。<br /><br />フレスコは三部作になっていて、礼拝堂で言えば祭壇部分に、洪水の前が描かれていました。

    最後に、アウレリオ・ルイニの作とされる「ノアの箱舟」の物語を紹介します。これは文句なく素晴らしい。

    フレスコは三部作になっていて、礼拝堂で言えば祭壇部分に、洪水の前が描かれていました。

  • じっくりと見ると面白いですよ。ユニコーンとかヤマアラシとかが行進しています。左の方ではノアが天の父なる神からの啓示を受けています。

    じっくりと見ると面白いですよ。ユニコーンとかヤマアラシとかが行進しています。左の方ではノアが天の父なる神からの啓示を受けています。

  • 右壁は「洪水中」。洪水の最中に、こんなに助けを求める人間達が登場する絵はお初にお目にかかります。<br /><br />包帯グルグル巻きの赤子まで小舟で漂っています(泣)。

    右壁は「洪水中」。洪水の最中に、こんなに助けを求める人間達が登場する絵はお初にお目にかかります。

    包帯グルグル巻きの赤子まで小舟で漂っています(泣)。

  • そして「洪水」後。少々むごたらしい場面も見えています。遠近法がちとおかしいけれど、アニメを見ているような感覚で楽しむことが出来ました。

    そして「洪水」後。少々むごたらしい場面も見えています。遠近法がちとおかしいけれど、アニメを見ているような感覚で楽しむことが出来ました。

  • レオナルドの弟子達?が描いたフレスコを堪能。とても充実した1時間でした。特に女性像が美しかったですね。レオナルドから女性の描き方を教わったのでしょうか?<br /><br />凱旋門にある「受胎告知」の二人にも、レオナルドからの影響が伺えると書かれている資料もありました。

    レオナルドの弟子達?が描いたフレスコを堪能。とても充実した1時間でした。特に女性像が美しかったですね。レオナルドから女性の描き方を教わったのでしょうか?

    凱旋門にある「受胎告知」の二人にも、レオナルドからの影響が伺えると書かれている資料もありました。

  • 修道女達が決して越えられなかった壁を難なく越えて教会に戻って参りました。教会部分を紹介した時には半分欠けていた、右側四番目の礼拝堂のルーネットがよく見えています。ルイニ兄弟作でしたね。

    修道女達が決して越えられなかった壁を難なく越えて教会に戻って参りました。教会部分を紹介した時には半分欠けていた、右側四番目の礼拝堂のルーネットがよく見えています。ルイニ兄弟作でしたね。

  • もう一度教会の主祭壇を眺めてっと。

    もう一度教会の主祭壇を眺めてっと。

  • カウンターファサードのバラ窓の周りにもフレスコがあったんだ。見逃した絵も沢山ありそうです。でも、何よりもここに来れたことに感謝。旅の最終日最高のひと時を与えてくれました。ミラノには何も期待をしないで来た自分の浅はかさを思い知りました。<br /><br />長くなりましたので、ここで一旦休憩。まだまだ行きまっせ。この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その96 ミラノ5で。

    カウンターファサードのバラ窓の周りにもフレスコがあったんだ。見逃した絵も沢山ありそうです。でも、何よりもここに来れたことに感謝。旅の最終日最高のひと時を与えてくれました。ミラノには何も期待をしないで来た自分の浅はかさを思い知りました。

    長くなりましたので、ここで一旦休憩。まだまだ行きまっせ。この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その96 ミラノ5で。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ドロミティさん 2018/06/29 23:46:21
    サン・マウリツィオ教会☆彡
    junemayさん、こんばんは^^

    暑いですね。
    まだ6月なのに梅雨明けとか、、今夏は水不足が心配です@@

    サン・マウリツィオ教会、junemayさんのお陰で初めて知りました!
    今、ミシュランのグリーンガイドをチェックしたらちゃんと載っていました^^;
    こんなに素晴らしい教会を見逃していたなんて勿体ないことです。
    ミラノに行く機会があったら、素晴らしいフレスコ画を観に行きます!

                                ドロミティ

    junemay

    junemayさん からの返信 2018/06/30 01:54:27
    RE: サン・マウリツィオ教会☆彡
    ドロミティさん こんばんは

    いつも訪問頂きまして、また、貴重なコメントを頂きましてありがとうございます。
    日本に帰る飛行機に乗るために行ったミラノがあんなに素晴らしく思えたのは、ひとえにツーリストクラブの皆様のおかげです。彼らに教えてもらわなかったら、私のミラノ滞在最終日のスケジュールは全く異なっていたと思います。

    サン・マウリツィオ教会については、時間を取っていただいて後悔することはないはずです。サンタマリアデッレグラッツエから歩いて10分以内で到着すると思いますよ。

    是非是非訪問されて、感想をお知らせくださいね。私もだいぶ忘れています。旅行記を書いておいて良かったと思っています。

    暑いので、くれぐれもご自愛くださいませ。私も大好きな町歩き、暫くはお休みです。またのおいでをお待ちしております。

    junemay



    > junemayさん、こんばんは^^
    >
    > 暑いですね。
    > まだ6月なのに梅雨明けとか、、今夏は水不足が心配です@@
    >
    > サン・マウリツィオ教会、junemayさんのお陰で初めて知りました!
    > 今、ミシュランのグリーンガイドをチェックしたらちゃんと載っていました^^;
    > こんなに素晴らしい教会を見逃していたなんて勿体ないことです。
    > ミラノに行く機会があったら、素晴らしいフレスコ画を観に行きます!
    >
    >                             ドロミティ
    >
  • マリアンヌさん 2017/02/22 12:47:39
    サン・マウリツィ ーロンバルディアのシスティーナ礼拝堂ー☆
    junemayさん、続いておじゃましています。

    サン・マウリツォ教会のフレスコ、素晴らしいですね〜
    私はロンバルディアの教会ってあまり知らないのですが、ウンブリアのような教会中、フレスコで溢れていますね。

    中でもjyunemayさんも気に入られたベルナディーノの筆致は柔らかくて素敵な絵ですね。
    私は教会絵画に関して全く造詣深くないのですが、東方三博士の礼拝を良く見ますね。それで思い出したのですが・・・

    イタリア語の先生から聞くところによると今ではNatale(クリスマス)にプレゼントを贈ったりするけど、本来は
    Befana 1/5〜6日の夜中にベファーナという魔法使いの老婆がやってきてよい子にはお菓子やキャンディを悪い子のは石炭を靴下にいれておくという。

    これはEpifania 1/6キリストの誕生を祝って東方三博士が贈り物を持って到着した日、このことに由来するそう。

    現在の子供たちのもとには、Natale(Babbo Natale=サンタ)とBefana両方来るみたいです(笑)

    マリアンヌ

    junemay

    junemayさん からの返信 2017/02/22 13:31:07
    RE: サン・マウリツィ ーロンバルディアのシスティーナ礼拝堂ー☆
    マリアンヌさん ようこそ!

    マウリツィオは本当に良かったです。ミラノでは必ず訪問すべきところだと思いました。帰ってから口コミを調べたら、ツーリングクラブのガイドさんに教えてもらって行ったという私みたいな人が結構多くて、口コミで広がっていくのではないかなと思います。

    私も教会絵画、全く詳しくないのですが、1年半前にこの旅行記を書き始めてから、随分と知ったことが多いです。すぐに忘れてしまうので、前の旅行記を見直したりしながらの寄り道が多くて、なかなか進みません。名前を日本語読みにするか、英語読みにするか、イタリア語にするかでも迷いますね。途中で訳が分からなくなってしまうことがしばしば。

    昨年ポルトガルで、クイーン・エリザベスと言われて、誰のことだかわからなかったら(もちろんポルトガルの女王)、イザベラ女王のことでした。イザベラはイザベラで、エリザベスとは思わなかったので、名前が複数読み方があるのに苦労しています。

    Befanaは魔女伝説のようですが、東方教会(正教)でもクリスマスは1月7日(ユリウス暦の12月25日=グレゴリオ暦の1月7日)なので、もしかすると関係があるのかもしれませんね。東方三博士(これもマギと書きたいのですが、最初に東方三博士と書いてしまいました!)が☆彡に導かれた日を計算すると、確かに1月になるようです。面白いですねえ。楽しい知識がまた増えました。ありがとうございました。

    私はスペイン語ほんの少々しかわからず、イタリア語がNGなので、また出かける前につけやきばで勉強しないとと思っています。イタリアで一番よく聞いた単語は、アッローラ でした。これだけは忘れていません。でも、切羽詰まった時には、スペイン語でわかってもらえるのでありがたいです。それよりもドイツ語。全く分かりません。どうなることやら・・・

    またのおいでをお待ち申し上げます。ありがとうございました。

    junemay


    > junemayさん、続いておじゃましています。
    >
    > サン・マウリツォ教会のフレスコ、素晴らしいですね〜
    > 私はロンバルディアの教会ってあまり知らないのですが、ウンブリアのような教会中、フレスコで溢れていますね。
    >
    > 中でもjyunemayさんも気に入られたベルナディーノの筆致は柔らかくて素敵な絵ですね。
    > 私は教会絵画に関して全く造詣深くないのですが、東方三博士の礼拝を良く見ますね。それで思い出したのですが・・・
    >
    > イタリア語の先生から聞くところによると今ではNatale(クリスマス)にプレゼントを贈ったりするけど、本来は
    > Befana 1/5〜6日の夜中にベファーナという魔法使いの老婆がやってきてよい子にはお菓子やキャンディを悪い子のは石炭を靴下にいれておくという。
    >
    > これはEpifania 1/6キリストの誕生を祝って東方三博士が贈り物を持って到着した日、このことに由来するそう。
    >
    > 現在の子供たちのもとには、Natale(Babbo Natale=サンタ)とBefana両方来るみたいです(笑)
    >
    > マリアンヌ

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