2016/10/25 - 2016/10/25
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ペコちゃんさん
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天気が良い日には、秩父や飯能の山から見える、日本百名山の筑波山。
深田久弥は、百名山の選定基準として、大よそ1500m以上という線を引きましたが、その例外が筑波山(877m)と開聞岳(924m)で、筑波山は日本百名山の中では最も標高の低い山です。
深田の著書 「 日本百名山 」 には、こう書かれています。
“ 筑波山を日本百名山の一つに選んだことに不満な人があるかもしれない。高さ千米にも足りない、こんな通俗的な山を挙げるくらいなら、他にもっと適当な名山がいくらでもあるではないかと。しかし私があえてこの山を推す理由の第一は、その歴史の古いことである。・・・筑波山を題材にした詩歌は無数にあるだろう。雪の富士、紫の筑波は、関東の二名山であって、吟詠の対象であったのみならず、江戸に配する好画題でもあった。 ”
歴史と富士山に匹敵する山・・・これらを鑑みて百名山に選定したのでしょう。
写真は、堂々とした造りの筑波山神社・拝殿。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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仲間7名と車2台で6時に地元を出発。
関越 ⇒ 外環 ⇒ 常磐道と走り、7時45分に守谷SAで小休止。
朝は快晴ですが、午後から曇・雨の予報で、ちょっと心配です。 -
土浦北ICで降りて国道125号線を走っていると、男体山・女体山が見えてきました。
筑波山は男体山・女体山からなる双耳峰で、二峰が相並ぶ山容から、自然と男女二柱の祖神が祀られるようになりました。 -
8時45分に筑波山神社近くの駐車場に到着。
駐車場から男体山が見えます。 -
駐車場脇の道を下りると、筑波山神社入口の赤い鳥居が見えます。
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筑波山神社に至る参道は、旅館や土産物店が並ぶ門前町。
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参道の旗のマークは、2012年に生まれた筑波山のご当地キャラクター「ツッピー」。
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筑波山神社の手前にある「大御堂(おおみどう)」は、東京にある真言宗豊山派大本山・護国寺の別院。
延暦年間(782年~806年)に現在の筑波山神社の地に創建され、筑波山(筑波山神社)と神仏習合により信仰を集めましたが、明治初年の神仏分離により破却され、昭和5年にここに再興されました。 -
現在の本堂は、昭和36年に再建されたものです。
坂東坂東三十三観音巡りの第二十五番札所で、本尊は千手観音菩薩。
石段の右側にあるのは筆塚。 -
左側には華道家・池坊専永の石碑。
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鐘楼堂。
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大御堂から少し上った所に「筑波山神社」があります。
創建は不詳ですが、関東平野に人が住み始めた頃から崇められてきたと言われています。
奈良時代末から平安時代初め頃には、法相宗僧の徳一が筑波山寺(後の筑波山知足院中禅寺)を開いて神仏習合が進み、筑波山は有数の修験道の道場に発展していきました。
明治維新後、神仏分離によって中禅寺は廃寺となり、伽藍の多くが破壊されましたが、神仏分離によって筑波山神社が復興され、明治8年に中禅寺本堂(大御堂)跡地に拝殿が造営されました。 -
拝殿前に建っている「随神門」・・・もともとは三代将軍・徳川家光が寄進した仁王門でしたが、その後、何度か焼失し、現在の楼門は1811年に再建されたものです。
神仏習合時代には仁王像(金剛力士像)が安置されていましたが、明治の神仏分離で仁王像が撤去され、随神門となりました。 -
随神門とは、神域に邪悪なものが入って来るのを防ぐ御門の神を祀る門。
金剛力士の代わりに、右側には筑波山にゆかりのある「豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)」と・・・ -
左側に「倭健命(やまとたけるのみこと)」の随神像が安置されています。
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随神門をくぐると・・・
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右手にある大杉・・・樹齢約800年で、幹廻り9.8m、高さ32mの大杉は、見る者を圧倒させる不思議なパワーを感じさせます。
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左手にあるのは、1985年に開催された筑波万博で東ゲートに飾られた「宇宙の卵」・・・強化プラスチック製の卵は、長さ2.5m、直径2m。
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卵の先にあるのは「光譽(こうよ)上人五輪塔」・・・これは、明治初年の廃仏毀釈において破却移転を免れた、筑波山神社に残る唯一の寺院関係の堂塔です。
光譽は、慶長16年(1611年)に筑波山別当知足院に入山したと言われています。 -
筑波山神社の階段を上って拝殿へ。
ここは標高215mで、ここから山頂までの標高差は約660m・・・低山でも結構厳しい山行になりそうです。 -
明治8年に造営された拝殿・・・見事な造りです。
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「ツクバ」の名の由来について常陸国風土記には、「昔、筑波の縣は、紀の国と言っていたが、崇神天皇の御代に筑箪命(つくはのみこと)が国造として派遣され、我が名を国につけて後世に伝えたい、と筑波に改称した」とあります。
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拝殿のシンボルとなっている大鈴・・・鈴緒はついていないので、鳴らすことは出来ません。
大鈴の切れ込みの両側がハートマークなっており、縁結びに御利益がありそうと話題になっているようです。 -
拝殿の内部。
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平成20年に建立された、拝殿前の「さざれ石」・・・古今和歌集の仮名序に「さざれ石にたとへ筑波山にかけて君を願ひ」などとあり、さざれ石は筑波山にも縁があります。
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今日の安全祈願をして、神社の裏手から山に向かいます。
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拝殿の裏手にある御神水・・・境内から湧き出る水が使われています。
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筑波山神社の裏手にある朝日稲荷神社は、別名・出世稲荷と言われており、その名の通り、事業繁栄の御神徳があるとされています。
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登山道の御幸ケ原コース脇にある、筑波山神社萬葉公園。
筑波山神社の裏手にあり、自然林の中に筑波山を詠んだ万葉歌碑があります。
万葉集には筑波の歌が25首あり、筑波山が万葉の昔から「西の富士、東の筑波」と人々に親しまれてきた山だということが分かりますね。
” 筑波嶺の 岩もとどろに落つる水 よにもたゆらに 我が思はなくに ”
(筑波嶺の滝壺の岩に轟き落ちる水のように、高鳴るあなたを思う気持ちは決して変わりはしないものを) -
” 筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも ”
(筑波嶺の新桑で作った絹の衣は、それはそれで素敵だけれど、貴方様の衣を身につけてみたいものです) -
” 我が面の 忘れもしだは 筑波嶺を 振り放け見つつ 妹は偲はね ”
(私の顔を忘れてしまったら、筑波の山を見て懐かしんで下さい、私の君) -
今回のルートは、ケーブルカーに沿って御幸ヶ原コースを登り、御幸ヶ原 ⇒ 男体山 ⇒ 女体山 と歩いて白雲橋コースで筑波山神社へ下りるコース。
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9時半に宮脇駅右手の登山口から登山道へ入り、御幸ヶ原コースを登り始めます。
ここから御幸ヶ原まで2km、男体山まで2.3km。 -
宮脇駅に停車中のケーブルカー・・・筑波山ケーブルカーは、筑波山の中腹・宮脇駅(標高305m)と山頂の筑波山頂駅(標高800m)間の1,634mを、約8分で結んでいます。
日本で3番目に長い距離を登り、料金は片道580円。
山麓の宮脇駅は筑波山神社の隣に位置しており、『お宮の隣 → お宮の脇 → 宮脇』ということから宮脇駅という名称になりました。 -
杉の木立の中をゆっくり登って行きます。
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歩き始めて10分ほどの所に、最初の標識があります。
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20分程登ると、円柱状の石柱が建てられた場所に着きます。
この辺りまでは斜度もそれほどきつくありませんが・・・ -
登るにしたがって岩が増え、徐々に急になってきます。
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約50分で中間地点へ。
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標識に付けられた温度計を見ると、11℃。
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大正14年に開業した筑波山ケーブルカー。
現在の車両は3代目で、当初は「つつじ」「もみじ」という名称が付いていましたが、「もみじ」「わかば」に変わり、車体も赤と緑をメインにしたカラーリングになっています。
宮脇駅で見た「もみじ」が登ってきました。 -
「もみじ」とすれ違った「わかば」が下りてきます。
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「関東ふれあいのみち」(首都圏自然歩道)は、関東地方の一都六県をぐるりと一周する長距離自然歩道で、総延長は1,799km。
東京・八王子の梅の木平を起終点に、高尾山・奥多摩・秩父・妙義山・太平山・筑波山・九十九里浜・房総・三浦半島・丹沢などを結び、美しい自然を楽しむだけではなく、歴史や文化遺産に触れ合うことができる道です。
茨城県のコースは、御前山から笠間・筑波山・研究学園都市を経て霞ヶ浦に至る延長255kmで、18のコースがあります。 -
筑波山の山中には、こんな杉の巨木があちこちに。
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平日でも多くの登山客が筑波山を楽しんでいます。
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杉の巨木に歓声を上げる若い女性グループ。
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ここは、男女川(みなのがわ)の源流・・・男女川は男体山と女体山の間を南下して桜川へと注ぐ川で、最後は霞ヶ浦に流れ着きます。
” 筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる ” (小倉百人一首・陽成院)
「初めは仄かな恋心だったけれど、時間が経つにつれてゆっくりと深くなっていく。まるで筑波山の頂から流れ落ちる男女川がだんだん太い流れになり、麓で深い深い淵になるように、私の恋心はこんなにも大きく強くなる」・・・何とも切ない思いですね。 -
若い女性が源流を手ですくって一口。
” お味は? ”
” 特に・・・ ” -
勾配も段々きつくなり、杉の根っこに注意しながら一歩一歩先へ。
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木道の先が御幸ヶ原。
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出発してから2時間、11時半にケーブルカー山頂駅・御幸ヶ原に到着。
西側の男体山と東側の女体山の間の一番低くなっている場所で、双峰の間を2神が御幸(往来)するので、御幸ヶ原と言われます。
弁当を広げている観光客・登山客もいますが、その前に男体山へと向かいます。 -
広場からの階段を登り、15分ほどで山頂へ。
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山頂には、昭和30年に改築された筑波山神社の男体山本殿に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が祀られています。
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狭い頂上ですが、写真を撮って下山。
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ケーブルカー筑波山頂駅の隣にあるコマ展望台。
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2階は関東平野を一望できる展望台レストランになっており、今日は弁当持参でなく、ここで昼食・・・チョイスしたのは人気メニューの「つくば軍鶏親子丼」。
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筑波山は手軽にハイキングが楽しめる山なので、大勢の小学生が来ています・・・先生もグループ毎の写真撮影で、大忙し!
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3階の屋上展望台から見た女体山(右端)。
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山の向こうに霞ケ浦がうっすらと霞んで見えます。
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御幸ヶ原の広場にある昭和天皇の歌碑・・・昭和60年に、筑波山に行幸された時に詠まれた歌です。
” はるとらのを ま白き花の穂にいでて おもしろきかな 筑波山の道 ” -
御幸ヶ原はかなり広い場所で、売店や食堂が点在しています。
ケーブルカーで登ってきた人達や遠足の小学生で賑わっており、登山の山というより完全な観光地ですね。 -
筑波と言えば、デューク・エイセスが歌ったご当地ソングの『筑波山麓合唱団』が印象に残っているけど、やはり『四六のガマ』です。
ガマの油は、もともとは江戸時代に傷薬として用いられていた軟膏で、大坂の陣に徳川方として従軍した筑波山・中禅寺の住職・光誉上人の陣中薬の効果が評判になったのが由来だとか。
” 鏡の前におくとタラリタラリと油を流す ” という「ガマの油売り」の口上を思い出します。 -
御幸ヶ原から女体山山頂までは500m。
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紅葉が少し始まっています。
例年は、11月上旬~11月中旬が紅葉の見頃ですが、七五三と重なるこの時期は、平日でも筑波山神社に向かう道が渋滞します。
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御幸ケ原から女体山へ向かう途中にある「ガマ石」・・・確かにガマガエルが口を開けているように見えます。
口の中に石を投げ込むと、金運が上がるそうな。 -
この石段の先が女体山の山頂。
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女体山頂上には、昭和54年に改築された女体山本殿があり、筑波女大神(伊弉冉尊)が祀られています。
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ここでもお詣り。
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本殿の裏側にある「天浮橋(あめのうきはし)」 。
天浮橋は、日本神話によると、天上界と地上をつなぐ橋で、イザナギ、イザナミの両神が降臨した所とされます。
幅1m、長さ3m余りの木製の橋で、平成21年に架け替えられました。 -
本殿の先にある日本百名山の石柱。
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岩山からは360度の眺望。
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方位盤もあります。
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女体山は栃木県に一座、香川県に三座ありますが、876mの筑波山が最高峰。
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女体山から下る白雲橋コースは、岩場が続きます。
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岩場を下りきると「大仏岩」・・・岩の高さは15mで、木が邪魔していますが、大仏さんに似ています。
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左側は、まるで屏風に見える巨岩の「屏風岩」・・・素箋鳴尊(すさのおのみこと)を祀る安座常(あざとこ)神社があります。
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次の奇岩は「北斗岩」・・・案内板には「天にそびえたつ岩で、天空に輝く北斗星のように、決して動かないことを意味している」とあります。
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岩と岩の間をくぐって通過します。
ちょっと心配でしたが、北斗星のように動かない岩なので、安心して通れますね。 -
北斗岩の下に鎮座する「小原木(こはらぎ)神社」。
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大黒様が大きな袋を背負っている後姿に似た奇岩「裏面大黒」のそばに鎮座する「渡神社」。
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石の姿が、まるで出る船と入る船とが並んでいるように見えることから名付けられた「出船入船」・・・元来、「熊野の鳥居石」と呼ばれ、航海の安全を祈る船玉神を祀り、修験者が2つの岩の間から熊野を遥拝したそうです。
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「国割り石」は、太古の昔、集まった神々がこの石の上に線を引き、それぞれの行くべき地方を割りふったといわれています。
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岩場が続く登山道にはクサリ場もあります。
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崩れそうな大岩を下の岩が支えていて、その間を潜り抜けられる「母の胎内くぐり」・・・かつての修験の行場の一つで、岩を潜り抜けることによって、穢れのない生まれた姿に立ち返るとされています。
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登山道に巨大な岩が突き出ている「母の胎内くぐり」は、子宝や安産祈願に訪れる方もおり、若返りの信仰も集めているとか。
ただ、大人が抜けるのはちょっと無理? -
次に現れた大岩は「高天原」・・・左の階段を登ってみます。
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高天原(たかまがはら)とは「神様の世界」を意味し、その巨岩の上には、天照大神を祀る稲村神社が建立されています。
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これで、筑波山神社の摂社(安座常神社、小原木神社、渡神社、稲村神社)すべてにお詣りできました。
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奇岩・巨岩の最後は「弁慶の七戻り岩」。
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頭上の岩が今にも落ちそうで、弁慶も七戻りしたといわれている石・・・聖と俗を分ける門だともいわれています。
見上げると、今まで落ちなかったのが不思議なくらい。
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雨がパラついてきたので、つつじヶ丘に回らないで筑波山神社に向かいます。
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「白蛇(はくじゃ)弁天」は、弁財天の神使・白蛇が棲むといわれ、白蛇を見ると金運がアップするとされます・・・是非、ご利益にあずかりたいものです。
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白雲橋の登山口まで下りてきました。(15時)
ここから筑波山神社はすぐです。
平安時代末期から明治初期にかけて普及した、庶民のための教訓を中心とした初等教科書である「実語教」・・・その中にある「山高きがゆえに貴からず、木有るをもって貴しとす」とは、どんなに外観が立派であっても、内容が伴わなければ優れているとは言えず、物事は見かけだけで判断するな、という例えです。
筑波山神社や樹齢数百年の多くの杉、奇岩・巨岩の連続・・・百名山で最も低い筑波山は、日本の山の奥深さと人生の教訓を教えてくれました。
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