2015/10/30 - 2015/10/30
47位(同エリア272件中)
風 魔さん
本日は、相方が義母とともにバス5台を連ねて行く「身延山輪番奉仕活動」に参加の予定でしたが、乗車場所の予定時刻に間に合わないため、急遽私が2人を車に乗せバスを追いかけて、日蓮宗総本山「身延山久遠寺」までドライブに行く予期せぬ出来事となりました!
日頃から仏教心の厚い義母が「輪番奉仕」を楽しみにしていたことを慮り、仏さまに通じたのか何とか9時の現地集合時間に間に合いました。
久遠寺においては、御導師より日蓮上人に関する法要と講話を受けて、「仏教の奥深さ」を学び、広い境内を歩いて拝観する。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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私たちは遅く出発したにもかかわらず、「身延山輪番奉仕団」を乗せたバスより先に久遠寺に到着する。
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甲府へつづく「国道52号線」(通称:身延道)を北上して、山梨県境付近にあるゴルフ場へはしばしば行きますので、身延山への道案内はスムースに行きました。
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バスに乗る「輪番奉仕団」の到着を待つ間、境内を見学する。
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境内にある早咲きの「枝垂れ桜」は、春先から長い間開花する桜です。
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諸堂を参拝する見学者は、ここから入場します。
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やがてバスで到着した「輪番奉仕団」と合流して、「法喜堂」を上がり諸堂を見学する。
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参拝者の控えの間・「客殿」。
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広い境内の右手には、大きな「諸堂」が立ち並んでいます。
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「拝殿」は文明 6年(1474年)に建立されましたが、明治14年に再建されました。
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身延山久遠寺の総受付所の「報恩閣」。
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久遠寺の正式名称は、「身延山妙法華院・久遠寺」です。
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広い境内は、毎日修行僧により綺麗に掃き清められています。
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身延山は、山全体に久遠寺の諸堂と「日蓮御上人の祖廟塔・草庵跡」、身延山大学・高校及び数多くの僧坊などを配置した広大な敷地です。
全国にある日蓮宗の寺院から子弟が、久遠寺へ参集して修行、勉学に励み、「日蓮宗・法華経の教え」を地元に伝道します。 -
二重塔の「開基堂」には、身延山開基・南部六郎実長公の坐像が安置されています。
(身延町文化財に指定) -
境内にある「諸堂」と、春先に開花する有名な「枝垂れ桜」。
身延山久遠寺周辺は「日本さくらの名所100選」に選ばれ、全国有数の桜の名所ですが、中でも久遠寺の樹齢400年の枝垂れ桜は、「全国しだれ桜10選」のひとつです。
満開時には早咲きの桜の花が、地面に垂れ下がる景色はとても見応えがあります。 -
境内には、大きな諸堂がありました。
⇒ 右から「祖師堂」と「本堂」。 -
荘厳な本堂は、総坪数・970坪(3201㎡)の大きさで、一度に 2,500人の法要を行うことができます。
地階の「宝物館」には、書画、掛け軸、法要具など久遠寺所蔵の寺宝が展示されています。 -
本堂は間口 32m、奥行 51mあり、昭和60年(1985年)に「日蓮聖人700遠忌」の主要記念事業として再建されたものです。
そして本堂では、平成23年から「祈 東日本大震災・被災地早期復興、犠牲者追善菩提」に関するご祈祷が、長期間にわたり催されています。 -
2008年に再建された五重塔。
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丸みを帯びた屋根をもつ「新客殿」。
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蛙の噴水 ⇒「参拝者が無事帰る(カエル)」の意。
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池に泳ぐ錦鯉の群れ。
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大きな屋根瓦の展示。
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富士山の名画。
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「立正安国論」とは、日蓮宗を開祖した日蓮御上人が文応元年7月(1260年8月)に、鎌倉幕府の得宗(元執権)・北条時頼氏に提出した文書のことです。
日蓮御上人は、政治・宗教のあるべき姿を『立正安国論』の中で、当時相次ぐ災害の原因は人々が正法である「法華経」を信じずに、浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり、外国からは侵略を受けると唱え、逆に正法である「法華経」を中心とすれば(立正)国家も国民も安泰となる(安国)と説いたものです。
(注)⇒ 仏教の他宗派を排斥することではなく、「歴史的事実」を述べたものです。 -
「遠塵離垢(おんじんりく)」とは、 仏教用語で「現世の煩悩を振り払う」という意味です。
⇒ 「けがれから遠ざかり、煩悩から離れること」。 -
客殿控えの間の襖には、「日蓮宗の経典の法華経」に関する数多くの経文が書かれてありました。
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小窓から見る境内の景色。
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義母が前回訪問時の「御朱印帳」。
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熱心な檀信徒は、白い「行衣」を着用して参席する。
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祖廟の輪番御導師による、「日蓮御上人」に関する有難い法話と講話を拝聴する。
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古い諸堂は、外縁の回廊でつながっています。
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手入れのよい庭園の植栽。
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向こうの身延山頂(1153m)には、ロープウェイで上がる「奥之院思親閣」があります。
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「仏殿」の伽藍。
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身延山頂から朝日を拝み、「日蓮宗の悟り」を開いた日蓮御上人の画物語。
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身延山頂には、日蓮御上人が父母を偲んで建立したと云われる「奥之院思親閣」があります。
「奥之院思親閣」からは、遠くに富士山~中央・南アルプスの山々が望めます。
特に北岳は、南アルプスの白鳳三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の最北に位置する標高3,193mの山で、 富士山に次ぐ日本第二位の高峰として「日本百名山、山梨百名山」のひとつです。 -
日蓮御上人が、鎌倉幕府において「立正安国論」献上の画。
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日蓮御上人は、全国を行脚した際に様々な「法難」に遭遇する。
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この奥には、「日蓮御上人の御真骨堂」があります。
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日蓮御上人の御真骨が納められている荘厳な「御真骨堂」(外観は白亜の八角堂)。
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内部は金箔で覆われて、細工された動物の彫刻は「日光東照宮の壁面」より綺麗に仕上げてあります。
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長年、法要の行事に使われた大太鼓。
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諸堂の外縁にある回廊を歩いて廻り、本堂につながる「諸堂」を見学する。
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そして本堂に到りました。
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大本堂と五重塔。
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大本堂では、参拝者に対して「輪番給仕の儀」が執り行われる。
祖廟輪番給仕とは、日蓮御上人のご遺命により六老僧が一月毎に交替して祖廟を護持したことにはじまりました。日蓮宗宗憲第73条に「住職、担任又は教導である僧侶は、六老僧の芳躅に遵い祖廟に輪番給仕するものとする」。
第78条に「檀信徒は祖師直檀の芳躅に遵い、祖廟に参拝奉仕するものとする」と規定されてあるように、日蓮宗寺院檀信徒は祖廟輪番給仕をおこなうことは大事なつとめとなっております。
…「身延山:ホームページより引用」 -
仏教心の厚い壇信徒は、日蓮宗の静岡県中部第九区の13ヵ寺から 220人が参加しました。
輪番奉仕に参加した壇信徒の内、参加回数・10回から40回の方々については表彰されました。 -
本堂にある大きな龍の天井画。
外陣の天井画・「墨龍」は、加山又造画伯の渾身の力作です。
龍は日蓮宗の「法華経」を信仰する者の守護神といわれ、水を司る神でもあることから「火災防止」の意味もあります。 -
今までに全国にある寺社仏閣、城郭、美術館において同様の「龍の画」を拝観しましたが、この「墨龍の画」は四畳半4枚分位の大きさがあり、スケールと迫力では一番でした。
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庭園を眺め回廊を歩く。
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諸堂の回廊を歩く。
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落ち着いた庭園の佇まい。
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「諸堂」を一巡見学して、出発地点に戻る。
およそ600年前、このような人里離れた身延山の広大な敷地内に、荘厳な総門、三門、本堂、大伽藍、諸堂を建立した「仏教の力の偉大さ」を感じ入りました。 -
義母が、当日押印していただいた「御朱印帳」。
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本日は読経を聞く場面が多かったので、日蓮宗の経典の中の「南無妙法蓮華経」についての教義が多少理解できました。
⇒ でも人並みの世俗的な「煩悩と物欲の心」がつよく、まだ日蓮宗の教義である「教えや悟りの境地=遠塵離垢」にはとても到達していません! (反省) -
「霊山の気」を感じる杉の木立。
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遠くから大勢の壇信徒が、大きな声で「南無妙法蓮華経」のお経を唱和して、三門から参拝道を上がってきました。
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岐阜県から訪れた白い行衣姿の「輪番奉仕団」は、中年と若年世代層を主体としておよそ300名ほどの壇信徒の団体が整列行進する。
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毎日身延山へは、全国から多くの日蓮宗の壇信徒による「輪番奉仕団」が訪問します。
壇信徒が全国各地にある「法区」から行列を連ねて、「日蓮宗総本山・身延山久遠寺」へ定期的に参拝・奉仕活動する光景は、あたかも江戸時代の「参勤交代」のようです。 -
あらためて、日本人の「仏教に対する信仰心の奥深さ」を実感する。
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つづいて、本堂へ入場する「三門」を見学する。
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三門の脇にある「井桁に橘の葉」の印(しるし)は、日蓮宗の寺紋です。
枯れることのない井戸の泉水の脇で、常緑の橘の花葉を表しています。 -
寛永文19年(1642年)に、建立された「歴史ある三門」。
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「三門」とは、「空・無相・無願」の三つの門を経て「覚りの世界に至る」
( ⇒ 本堂 )ことを表します。 -
平成23年より長期間にわたり久遠寺を挙げて、「東日本大震災の追善菩提」のご祈祷が催されています。
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入場者は杉の木立を通り抜けて、急な石段を上がり「大本堂」へ到ります。
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さらに左手の奥にある、身延山の聖地である「祖廟」、「御草庵跡」を見学する。
参拝する方はご年配のお年寄りが多いため、上り参拝道は緩やかな階段状でした。 -
「常唱殿」。
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「常唱殿」は「祖廟塔」の対面にあり、祖廟を拝礼するための建物です。
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「納骨供養塔」にご焼香する。
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「身延山教師廟」。
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身延川に架かる「霊山橋」を渡り、さらに山の奥へと進む。
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身延川を渡る「霊山の大気」は澄んでいます。
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川縁りに咲く南天の赤い実。
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川を渡る冷たい風に、清らかな霊気を感じます。
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参拝者の「手水場」。
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参拝者は、ここで参拝の作法として「手と口」を漱ぎ、清めます。
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境内の一番奥にある「最終聖地」= 日蓮御上人の「祖廟」。
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輪番奉仕団一同で、本日の訪問目的である「祖廟周辺のゴミや落ち葉拾い」の清掃奉仕活動を行います。
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身延山・聖地の「祖廟塔」が見えます。
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日蓮御上人の「祖廟塔」。
日蓮御上人の御遺言 ・・・
「いづくにて死に候とも、墓をば身延の沢にせさせ候べく候」。 -
参拝者はこの「聖地」まで訪れて、全ての参拝を完遂した気持ちになります。
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「祖廟拝殿」にて、輪番御導師がお経を唱える。
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帰り道に参道でお土産に「身延山名産の生湯葉とくず切り餅」を買い、本山の入り口にある「総門」を下る。
「総門」は寛文 5年(1665年)に建立されたもので、この門から法華経の信仰により「仏さまの世界」に入ることを示します。 -
右手の国道「52号線」を経由して帰ります。
本日は突然のハプニングで身延山・久遠寺を参拝しましたが、日蓮宗に関する歴史的な法話と講話を拝聴して、「法華経の信仰の悟りとその奥深さ」を学びました。 -
帰る途上の山梨県南巨摩郡・南部町は、青森県にある「南部藩・南部氏発祥の地」であり、南部町役場の前の「道の駅・とみざわ」に立ち寄る。
ちなみに鎌倉時代に奥州・平泉地方が源頼朝に攻略され源氏が統治した際、甲斐国南部地方を領した「甲斐源氏の南部氏」が、八戸周辺に移住して「南部藩」を統治しました。
今でも八戸市の南西部には、南部町という地名があります。 -
「竹の子」が目印の「道の駅・とみざわ」は、富士川と支流・福士川の分岐点にあります。
☆ 南部町の地元行事 ☆
江戸時代から伝えられてきた南部町の「南部の火祭り」は、毎年8月に開催され大松明や投げ松明など「火が主役の祭り」で、クライマックスでは富士川の両岸約2kmに並ぶ108基(仏教上・人の煩悩の数:『四苦八苦』(4×9=36 + 8×9=72は108)のかがり火が夜の闇を赤く染める中に、3000発の打ち上げ花火が夜空に上がる有名な夏祭りです。
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