2015/09/20 - 2015/09/22
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■SW ( Silver Week ) 車中泊の旅 〜大分・熊本・広島〜
参勤交代道路今市石畳道・笹無田石拱橋 〜第1編
∇参勤交代道路今市石畳道/大分県大分市大字今市
通称「今市の石畳」と呼ばれているこの通りは、江戸時代の参勤交代の際に使われていた豊後鶴崎と肥後熊本を結ぶ肥後(豊後)往還の石畳道です。
豊後岡藩の宿場として中川氏によって設けられ、かつては坂本竜馬や勝海舟も通ったと言われています。上町・下町からなっており、両町の境では、道はクランク状に曲げられています。通り沿いには、肥後細川侯の脇本陣や茶屋代官がありました。
家の立ち並ぶ幅約6mの道の中央には整然と石が並べられ、往時の大名行列の姿を彷沸とさせます。県内では貴重な石畳道として昭和47年に県指定史跡として指定されました。
∇若宮井路笹無田水路橋/大分県竹田市大字挟田
竹田市挟田地区には、緑深い山あいを走る豊肥本線に沿って二ヶ所の石造アーチが架かっています。
これらの橋は、幹線道路や鉄道との併走、交差が面白く、橋をさまざまな角度から見せてくれていますが、二つの石橋は、田畑を潤す灌漑用水のために造られた水路橋で、現在も水が勢いよく流れています。
若宮井路は、明治34年(1901年)に通水しました。稲葉川に水の取り入れ口を設け、本渠延長20km、支渠・分渠からなり、旧朝地町(現豊後大野市)の約134haの耕地に水を供給しています。
笹無田石拱橋は、当初には鉄管によるサィフォン方式でしたが、明治36年(1903年)に腐食し決壊したため仮設木造橋の時代を経て、大正4年(1915年)に石拱橋に架け替えたが、翌年に壊れ、大正6年(1917年)に再建されました。
石造二連アーチ橋で長さ59m、幅4mで道路と笹無田川を跨ぐ巨大な橋として広く知られています。
≪1日目≫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼早朝、広島市の自宅出発
▼広島高速3号線
▼山陽自動車道廿日市インタON
▼中国自動車道美東SA/山口県美祢市美東町
▼関門橋通過
▼九州自動車道→東九州自動車道
▼道の駅しんよしとみ/福岡県築上郡上毛町
▼東九州自動車道→大分自動車道
▼大分自動車道大分光吉インタOFF
▼国道210号線→国道442号線→県道412号線
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
▼おおいた里の駅/大分県大分市大字今市
▼国道442号線→国道57号線
▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
▼豊後竹田駅前P/大分県竹田市会々
▼竹田市散策古い町並み/大分県竹田市竹田
▼七ツ森古墳群彼岸花まつり/大分県竹田市戸上
▼国道57号線→県道40号線
▼うぶやま牧場/熊本県阿蘇郡産山村
▼阿蘇ミルクロード(県道45号線)/熊本県阿蘇市
▼大観峰/熊本県阿蘇市山田
▼阿蘇ミルクロード(県道339号線)
▼ラピュタの道(天空の道)/熊本県阿蘇市狩尾原野
▼参勤交代の道(石畳の道)/熊本県阿蘇市車帰
▼県道23号線→国道57号線
▼道の駅阿蘇(車中泊)/熊本県阿蘇市黒川
≪2日目≫へつづく・・・
【手記】
SW( Silver Week )は気晴らしに美しい景色を求めて阿蘇山方面へ行って参りました。9月14日に阿蘇中岳が噴火したばかりですから火口周辺には近づけないので遠くから雄大な景色を眺めてきました。
2日目は天気が良く阿蘇の朝日は拝むことができましたが、残念ながら早朝は気象条件が整わず(気温が高く)雲海は発生しませんでした。
それと、やはりすでに宿はどこも満室でしたから今回は車中泊の旅になってしまいました。(いつも無計画なのです ハハ・・)
と言うことで、良い子の Godzilla くんは毎日早寝早起き。雄大な阿蘇の景色と朝陽を堪能、さらにいたる所に彼岸花やコスモスの花がたくさん咲いていたのでそんな光景を見ながらリフレッシュしてきた次第です。
3日目は中国山地の八幡高原で撮影会があったので(大分で石橋や滝や彼岸花を見たあと)大分県豊後竹田市から愛車をのんびりと転がして400kmかなたの中国山地まで一気に駆け抜けて行きました。
中国山地の掛頭山ではなんと!嬉しいことに阿蘇で見ることができなかった雲海に出会えたのです。大分からトンボ返りした甲斐があったというもんです。!疲れがふっ飛びましたー。
\(^0^)/ BANZA−?!!
※今が旬の旅日記を優先してアップしているためSWの車旅編が後まわしになっている次第です。ご容赦のほどお願いいたしま〜す。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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■SW ( Silver Week ) 車中泊の旅 〜 大分・熊本・広島 〜
・早朝、広島市の自宅を出発
SW( Silver Week )は気晴らしに美しい景色を求めて阿蘇山方面へ行って参りました。 -
▼関門橋通過
広島高速3号線⇒山陽自動車道廿日市インタON⇒中国自動車道⇒関門橋
ドリンク飲んでGOGOです。 -
▼九州自動車道→東九州自動車道
追突事故のようです。休日の道路はリズムがおかしい車が多いですから気をつけて行きましょう! -
▼九州自動車道→東九州自動車道
9月14日に阿蘇中岳が噴火したばかりですから火口周辺には近づけないので遠くから雄大な景色を眺めてきました。 -
▼東九州自動車道
2日目は天気が良く阿蘇の朝日は拝むことができましたが、残念ながら早朝は気象条件が整わず(気温が高く)雲海は発生しませんでした。 -
▼道の駅しんよしとみ/福岡県築上郡上毛町
それと、やはりすでに宿はどこも満室でしたから今回は車中泊の旅になってしまいました。(いつも無計画なのです ハハ・・) -
▼道の駅しんよしとみ/福岡県築上郡上毛町
休憩 -
▼東九州自動車道
と言うことで、良い子の Godzilla くんは毎日早寝早起き。雄大な阿蘇の景色と朝陽を堪能、さらにいたる所に彼岸花やコスモスの花がたくさん咲いていたのでそんな光景を見ながらリフレッシュしてきた次第です。 -
▼大分自動車道
道路事情は、椎田道路で7km渋滞があったくらいで思っていたよりスムーズでした。 -
▼大分自動車道大分光吉インタOFF
別府温泉の湯けむりが見えます。大分インタの出口は大渋滞でした。なので大分光吉インタでOFF。国道210号線→国道442号線へ。 -
▼大分自動車道 別府湾SA−別府IC
-
▼県道412号線
412号線だったかな? いたる所に彼岸花が咲いています。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
ここは2度目の訪問、7年半ぶり -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
通称「今市の石畳」と呼ばれているこの通りは、江戸時代の参勤交代の際に使われていた豊後鶴崎と肥後熊本を結ぶ肥後(豊後)往還の石畳道です。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
豊後岡藩の宿場として中川氏によって設けられ、かつては坂本竜馬や勝海舟も通ったと言われています。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
通り沿いには、肥後細川侯の脇本陣や茶屋代官がありました。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
フルベッキ写真…明治元年(1868年)頃、宣教師フルベッキが佐賀藩の藩校致遠館の学生とともに撮った可能性 が高い写真とされているそうです。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
上町・下町からなっており、両町の境では、道はクランク状に曲げられています。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
信玄曲がり・・・敵の侵入を防ぐために道が直角に曲げられています。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
信玄曲がり -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
県内では貴重な石畳道として昭和47年に県指定史跡として指定されました。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
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▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
空家なのかな? -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
だれも歩いていない古い町並み・・・石畳をひとり寂しく歩く。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
-
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
信玄曲がり 今市の石畳を往復 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
寺跡 逃げ込み寺とある。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
ところどころに石畳が出ている。家屋入り口へ繋がっていたのでしょうか。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
まるで路面電車でも通っていたかのような道です。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
地蔵菩薩 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
コスモスと石畳 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
彼岸花と石畳 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
この石畳の上を走るとガタガタ、、、オフロードさながら^^;です。 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
まっすぐにのびる石畳道 -
▼今市宿場跡・今市石畳/大分県大分市大字今市
説明板 -
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
肥後領主、加藤清正公が参勤交代の安全を祈願して建立しました。 -
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
今市の上(うわ)町(今市西部)の小高い丘上に鎮座する。 -
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
城原神社(竹田市)の分神を祀っており、熊本藩主の参勤交代の安全を祈願したもので、今市地区の鎮守でもあります。 -
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
十二支の動物や二十四孝の人物像などが彫られている楼門があります。 -
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
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▼丸山神社/大分県大分市大字今市
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▼丸山神社/大分県大分市大字今市
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▼丸山神社/大分県大分市大字今市
拝殿 -
▼丸山神社/大分県大分市大字今市
ご神殿と拝殿 -
▼おおいた里の駅/大分県大分市大字今市
地元の方が持ち寄った季節野菜なども販売されていました。 -
▼おおいた里の駅/大分県大分市大字今市
お土産買って・・・次の訪問地へ向かいます。 -
▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
再訪。道中にありましたので立ち寄りました。
竹田市挟田地区には、緑深い山あいを走る豊肥本線に沿って二ヶ所の石造アーチが架かっています。
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▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
これらの橋は、幹線道路や鉄道との併走、交差が面白く、橋をさまざまな角度から見せてくれていますが、二つの石橋は、田畑を潤す灌漑用水のために造られた水路橋で、現在も水が勢いよく流れています。
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▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
若宮井路は、明治34年(1901年)に通水しました。稲葉川に水の取り入れ口を設け、本渠延長20km、支渠・分渠からなり、旧朝地町(現豊後大野市)の約134haの耕地に水を供給しています。
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▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
笹無田石拱橋は、当初には鉄管によるサィフォン方式でしたが、明治36年(1903年)に腐食し決壊したため仮設木造橋の時代を経て、大正4年(1915年)に石拱橋に架け替えたが、翌年に壊れ、大正6年(1917年)に再建されました。
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▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
2014/05/02 訪問時 -
▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
石造二連アーチ橋で長さ59m、幅4mで道路と笹無田川を跨ぐ巨大な橋として広く知られています。 -
▼若宮井路笹無田石拱橋/大分県竹田市挟田
SW車中泊の旅、次の旅行記は「竹田市古い町並み散策」です。
THE END. つづく・・・
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