2015/05/07 - 2015/05/07
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ローマの教会は長い昼休みを取るところが多いのですが、特に、今向かっているサンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会は、見学時間が(私の古い○〇の歩き方によると)10:00〜12:00、16:00〜18:00と1日わずか4時間のみ! 16:00まではとても待っていられないので、午前中に見学を済ませたいと思い、トラステヴェレ大通りを渡って、東に向かう道をたどります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5分ほど歩くと、塀の向こうに古い教会が見えてきました。
あれかな〜 と思ったのですが、どこにも入り口は見当たりません。塀伝いに更に進んでいきます。 -
ローマは春というよりは、もうすでに初夏の日差し。寒かったらどうしようと思って、今回も懲りない「衣装でパンパンのスーツケースの女」となってしまったことを早くも後悔・・・
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細い道を通り抜けると、グーグルストリートヴューで見覚えのある建物の前に出ました。確かこの奥にサンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会があるはずです。
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そこは小さな広場になっていて、カフェなどが入っているこの建物が目立っていたので1枚。私好みの建物です。
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壁に、ライオンのレリーフがあったので、勝手ににライオンの館と命名。
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先ほどの建物の中を潜り抜けると、目の前にサンタ・チェチリア教会が姿を現しました。
創建は5世紀と言われていますが、ほかにも諸説あって、ローマの上流貴族の出身であるチェチリアが迫害を受け殉教した220年?〜230年?頃に、その自宅の上に建てられたとか、殉教の瞬間を目撃した教皇ウルバーノ1世が彼女を葬り、弔うために、教皇自身の家を教会として奉献したとか、様々な「伝説」が飛び交っています。
いずれにしろ、5世紀には初期キリスト教の礼拝所(ティトルス)があったことは確認されています。822年に教皇パスカリス1世が教会を再建。その際、ローマ郊外のサン・カッリストのカタコンブに葬られていたチェチリアと彼女の夫ヴァレリアーノの遺体をここに運んで来て地下礼拝堂に改めて埋葬しました。
中庭の中央には、ローマ時代の壺が置かれています。ポルティコ(柱廊)と少々傾いているらしい(この写真だと分かりませんね)鐘楼は12世紀の作。 -
現在のファサードは1725年にフェルディナンド・フーガにより作られました。フーガはバロック全盛時の建築家で、他にもサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂やジェズ教会のファサードを手掛けています。
フーガに建築を委託したのはアラゴン(現スペイン)の枢機卿フランチェスコ・アクアヴィヴァ。彼の名前がちゃっかりファサード正面にラテン語で刻まれています(教会正面の看板文字? イタリア語ではパルティコラーレというようです。)
「アクアヴィヴァ枢機卿フランチェスコは聖チェチリアに跪く」 -
ラテン語の下のモザイクにも注目!
唐草模様に顔や花、鳥などがちりばめられたようなデザインです。黄金色のモザイクガラスが輝いていて、綺麗でした。 -
ポルティコの右手に唐突に現れた墓は、1599年に行われた改修工事の際に陣頭指揮を執ったパオロ・エミリオ・スフォンドラティ枢機卿(教皇グレゴリオ14世の甥)の墓だそうです。
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ポルティコの反対側には、石棺の蓋がずらりと並んでいます。サンタ・チェチリアの古い教会から運び出されたものかしら?
体のサイズに合わせたのか、皆微妙にサイズが異なります。 -
内部は、外観と異なり、とてもモダンです。17世紀から18世紀の間に何度も行われた改修工事により、後陣を除いて、元の聖堂の面影はなくなってしまったようです。
残念なことに、古い列柱は、現在見る煉瓦造りの太い柱の中に隠されてしまいました。そしてコズマーティ様式だった床が剥がされて、平凡な石板に取って代わったのもこの時期だったようです。 -
天井が思っていた以上に低い! そして両壁の白と金色が目立ちます。
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天井画は、セバスティアーノ・コンカによる「戴冠する聖チェチリア」1727年。
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内部は三廊式。これは側廊の天井のフレスコ画だったかしら? 身廊とはやや雰囲気が異なる派手なものですね。
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入ったすぐのところにあった聖ベネディクトの祭壇。作者はジュゼッペ・ゲッツィ(1676年)。
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同じく聖ベネディクトの礼拝堂にあったフレスコ画。注目を浴びることがないのか、どなた様だかはっきりしないのですが、チェチリアの夫ヴァレリアーノだという説が有力です。
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その隣のポンツィアーニ礼拝堂で見たヴォールトのフレスコが強烈だったので、後で調べてみたら、なんと、ピントゥリッキオ(彼の弟子という説もある)の作品でした! (1485年〜1490年)この頃、ピントゥリッキオは主として、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の礼拝堂の仕事に携わっていました。
中央の黒い服を着た il Padre Eterno「永遠の父」の姿がとても印象的です。 -
右側の側廊と礼拝堂を巡ります。
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チェチリアと夫ヴァレリアーノの遺物に因んだ、レリキエ(遺物という意味)礼拝堂は、バロック調のピンク色が溢れんばかりに襲い掛かってくる異空間でした。こちらは15世紀に作られた礼拝堂で、オリジナルではありません。
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Rampolla del Tindaroという存じ上げない枢機卿の墓ですが、面白いのは墓の前面に、遠近法で柱廊が彫られていること。遠くから見ると、壁の先までずっと柱廊が続いているような錯覚を覚えます。
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イエスの死と復活を象徴するザクロ・・・
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右側廊の突き当りにあったのは、この教会をこよなく愛したフランス生まれの聖テレザThérèse de Lisieuxの像。1925年に列聖されています。日本人には馴染みのない方です。
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右側廊を奥から振り返ります。身廊部分とはずいぶん印象が違うでしょ。
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ようやく主祭壇に辿り着きました。中央の祭壇の下に横たわっているのがサンタ・チェチリアです。今日はこの方に会うために、やってきました。
チェチリアは、ウルバーノ1世の時代、夫、兄弟らとともに捕えられ、斬首刑となりましたが、三度首を斬られても死なず、それから3日間生き続けたという伝説が残っています。 -
822年に教皇パスカリス1世が教会を再建した際、チェチリアと彼女の夫ヴァレリアーノの遺体を地下礼拝堂に埋葬した話は書きましたよね。そして、1599年にこの教会を修復したパオロ・エミリオ・スフォンドラティ枢機卿(教会入口のポルティコにお墓があった人です)は、再び墓を開けて、770年前に埋葬された時と全く変わらない、まるで眠っているようなチェチリアを発見したのです。
純白のドレス、首筋につけられた殉教した時の傷、体の傾け方、指の開け具合(三位一体を形作っている)等、すべてが生々しかったというのです。この大理石像を作成したステファノ・マデルノの、「聖女の墓が開けられたときに見た遺体をそのままの姿で写した」という宣誓が、像の前の赤い石板に刻まれています(Wikipediaによる)。マデルノは当時まだ23歳の若者でした。
本日二つ目の「奇跡」です!
体と衣服のひだの一つ一つがごく自然で、今にも目覚めそうなチェチリアでした! -
天蓋は、フィレンツェのドゥオモの最初の設計者アルノルフォ・ディ・カンビオが1293年に制作したものです。黒と白の見事な大理石の4本の柱の上には、この教会の聖人たち、すなわちチェチリア、夫ヴァレリアーノ、その兄弟、そしてチェチリアの洗礼を行ったウルバーノ1世らのレリーフが刻まれています。
半分欠けてしまったけれど、右側の渦巻きの燭台が美しいです。 -
そして、天蓋背後の後陣に目をやると・・・
ありました。改修されずに残っていた9世紀のビザンチン様式のモザイクです。
中央にローマ風のトーガを身にまとったキリスト。高く揚げた右手は祝福を表し、左手には巻物を持っています。その右には、サン・ピエトロ(ローマを代表する)サン・ヴァレリアーノ、そしてお姫様のようなサンタ・チェチリアの姿が! -
キリストの左から順に、サン・パウロ(こちらもローマを代表)、サンタ・アガタ(両乳房を切り取られ殉教した)、そして教会の模型を手に持った教皇パスカリス1世です。このモザイクは、820年頃の作品と言われていますが、教会が再建されたのが822年ですから、彼はその頃まだご存命。頭の上の青い四角( halo)は、存命中の人に使用されるそうです。
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天蓋が邪魔になって、モザイクの全容が見渡せないのですが、ああ〜ようやく全員集合です。
キリストの頭上には、「神の手」、両サイドにはナツメヤシの木、そして「復活」を意味するフェニックスの姿も見えますね。なんと素晴らしい! -
上の写真には入らなかったその下に並んだ十二使徒を意味する、羊さんたちもじっくりとご覧ください。
中央の神の羊は、おそらくは洗礼を表す、六角形の輪の中に立っています。 -
心行くまでモザイクを愛でた後は、左側廊に移動です。側廊の一番奥は、サン・ピエトロとサン・パウロ。ジョヴァンニ・バッリオーネの1601年頃の作品です。
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ご覧のとおり、側廊は薄暗く、途中にパイプオルガンがあって、通路が狭くなっています。
右には、モザイクにも登場していたサンタガタ(Sant'Agata この教会の付属修道院のパトロンでもあります)の絵がありました。 -
サンタガタの隣のフレスコ画は、どなただかわからずじまい・・・衣装から見て教皇か枢機卿のような身分の高い方でしょうか?
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こちらは、X型の十字架で殉教した、サン・タンドレア。カラバッジョが彼を描いた有名な作品がありますが、こちらは、前出のジョヴァンニ・バッリオーネの作品です。1601年。
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薄暗い左側廊を入口の方に歩いていくと、突き当りに、地下のクリプタへの通路がありました。
入り口で入場券を買って、本日二度目の地下に下りていきます。 -
この辺りは、教会というより、ローマ時代の住居(を利用した礼拝所【ティトルス】?)の跡だそうです。
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サン・クリソゴノと異なり、こちらの地下には、結構たくさんの人が見学に来ていて、和気藹々、話をしながら歩いたので、怖くはありませんでしたよ。
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トラヤヌス帝(在位:98年〜117年)の時代からハドリアヌス帝(在位117年〜138年)帝時代の邸宅の跡を彷徨います。
解説がないと、これらが何なのか理解するのが難しいです。
左側にあるのは、大きな大理石をくり貫いて作ったと思われる水槽? 浴槽? -
地面のモザイクも所々はっきりと残っています。
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金のモザイクがふんだんに使われているところから見ても、かなり裕福な家だったと推察されます。
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2000年前のモザイクを踏んづけていいのかしら?
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これは石棺の蓋でしょうか? 割れて、ばらばらになったものをつなぎ合わせたようですね。
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地面にこのような穴がいくつもあいている部屋がありました。
穴は、煉瓦の内貼りがしてあり、円筒形をしています。いまだにはっきりとした利用方法が解明されていないそうです。 -
一時、皮なめしに使用していた(モロッコにあるような皮なめしプール タンネリを想像してください)という説が出ましたが、皮なめしによる腐食等が一切出ていないため、現在では、食糧貯蔵に使われていたのではという説が有力となっています。
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こんな具合に延々と、住居跡が続きます。
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その先にあった、モザイクの床。なんだかお座なりのイタリア式養生ですねえ。
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こちらのコーナーは石棺がたくさん並べられていました。
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ローマ時代の人々の生活ぶりが生き生きと描かれています。
中央付近、手を出している女性は、一体誰でしょう?
私には、「ねぇ! あたいにお金頂戴!」って言っているように見えます。 -
興味深かったのは、こちら。
表は典型的なローマ帝国華やかなりし頃の石板。波型の模様に特徴があります。彫刻そのものも彫り方も見事で、入念な仕事ぶりがうかがえます。 -
こちらは、その裏。どうやら、後の世の人が石板をリサイクルして、裏を使ったようですが、十字架はともかく、彫刻の技術はイマイチ。表と比べるとひどく見劣りする出来になっています。
この辺りは、一緒に歩いたイタリア語を話すアメリカ人が解説してくれたので、助かりました。 -
廊下の奥へと進んでいくと・・・
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突然、現れたのは地下聖堂クリプタです。822年に教会が建てられた時のクリプタは、半円形の小さなものでした。その後、1887から1913年にかけて、枢機卿ティンダーロの命により、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ジョヴェナーレが中心となって、聖遺物、石棺などを再安置する場所として拡張されたそうです。
ヴォールト天井に施された美しいネオ・ビザンチン様式の装飾をご覧ください。6枚もの翼をもつこれらの天使は「熾天使」(してんし 英語でセラフィム)と呼ばれています、「熾」は「火をおこす」という意味があるそうです。
天井の下の半円アーチに施されたモザイクは、こちらが孔雀。孔雀の肉は腐りにくいことから、昔の人々は孔雀を不滅のシンボルとして崇めました。 -
お隣は、鹿。鹿はトナカイと同一視されていて、聖獣とみなされているんですって。全てのモザイクは、ジュゼッペ・ブラーヴィの制作です。
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薄暗いクリプタには、ご覧のような柱が12本。壁に18本立っています。
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少々暗くて見えづらいですが、剣のデザインのモザイクもありました。
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こちらは、2枚羽根の天使のデザイン天井。天使にも階級があって、熾天使は最上級なのだそう。となると、こちらの天使は? 手にブドウを携えているの、わかりますか?
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全能の神のレリーフがあるヴォールト天井の先に、チェチリアのモザイクがありました。
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モザイクの下の格子窓の先には、チェチリア、夫のヴァレリアーノとともに、一緒に殉教した、彼らの兄弟や友人、ウルバーノ1世の棺が安置されているようです。
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祭壇の右側にあったモザイク。左から、ヴァレリアーノ、チェチリア、そしてヴァレリアーノの兄弟のティブルツィオ。
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左側には、天使の両脇に、チェチリアとヴァレリアーノ。
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地下聖堂の床には、コズマーティ模様が残っていました! シックな色遣いで、こちらも大変美しかったです。
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天井を眺めすぎて、首が痛くなりました。人が大勢いて、床を撮ることもこれ以上は難しい状態なので、そろそろ地上に戻りましょうか。
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おやおや まだ見ていなかったモザイクのモニュメントがありました。
モザイクには、左からウルバーノ1世、サン・ルチウス(チェチリアとヴァレリアーノの兄弟)、サン・マキシムス(ヴァレリアーノの友人の兵士)の名前が刻まれていました。
どのあたりにあったかの記憶がありません。 -
こちらは、サンタガタ「聖アガタ」。 前にも書いた通り、この教会の共同聖人です。彼女はローマの権力者に逆らったため、両乳房を切り落とされるという拷問に会ったため、彼女を描いた絵には、両乳房を掲げた姿で描かれることが多いです。
2011年に訪問したマルタでは、彼女が島の守護聖人でした。 -
これは、どこにあったかなあ?
地下のクリプタのどこかですね。太陽と唐草と花のデザインがくっきりと浮き彫りになっています。 -
モザイクの天井や・・・
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こんな色のついたレリーフで覆われた天井を見ながら、
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弧を描いた廊下を進んで、階段を上ると、
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右側廊の一番奥に出ました。聖テレザ像のところです。上の弧を描いていた壁は、後陣のドームを支える部分だったのかしら?
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壁のフレスコ画を愛でながら・・・
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最期に見たのは入り口のすぐ横にあった、ミーノ・ダ・フィエーゾレ作の枢機卿ニッコロ・フォルテゲッリの墓。枢機卿の横臥像は言わずもがな、その上にあるアーモンド形の聖母子像が非常に魅力的な作品です。ミーノ・ダ・フィエーゾレは柔らかい輪郭線とその独特の表情によって人気を博し、フィレンツェ、ローマで活躍した彫刻家です(1429年〜1484年)。左右の聖人像は彼の作品ではないそうです。
これだけの美術品が一度に見れるローマの教会って素晴らしい! 鼻血が出そうな勢いの興奮状態が続きます。
長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その3 ローマ(トラステヴェレ)サン・フランチェスコ・ア・リーパ〜サンタ・マリア・イン・トラステヴェレで!
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