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 横浜市戸塚区矢部町にある伊東医院は内科,小児科,産婦人科の医院である。創業は嘉永6年(1853年)であり(、この年にはペリーが黒船で浦賀沖に来航し、久里浜に上陸した年でもあり)、横浜開港の前からある老舗の医院である。創業時は漢方医で、吉田大橋際で開業していたが、明治17年(1884年)に現在地に移った。<br /> 伊東医院の現在の建物は関東大震災後の大正14年(1925年)に建てられた。奥の住宅(住居棟)は昭和2年〜3年(1927年〜1928年)に建築された建物である。この界隈・戸塚宿の家屋は殆どが関東大震災(大正12年(1923年)後に建てられたが、トタン屋根ばかりで、鎌倉中心部以上に土蔵も殆んどない街である。そんな中にある銅屋根の建物は異彩を放っている。<br /> 表から見ると「西洋館」(http://4travel.jp/travelogue/10733065)そもものであるが、柏尾川堤防から伊東医院の裏を見ると和風の日本建築も建てられており、一変している。しかし、これらも伊東医院の住宅棟であろう。実は当時流行った和洋折衷の住宅兼医院であったのだ。<br />(表紙写真は伊東医院裏手の庭)

伊東医院(横浜市戸塚区矢部町)-2015年春

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2015/03/24 - 2015/03/24

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横浜市戸塚区矢部町にある伊東医院は内科,小児科,産婦人科の医院である。創業は嘉永6年(1853年)であり(、この年にはペリーが黒船で浦賀沖に来航し、久里浜に上陸した年でもあり)、横浜開港の前からある老舗の医院である。創業時は漢方医で、吉田大橋際で開業していたが、明治17年(1884年)に現在地に移った。
 伊東医院の現在の建物は関東大震災後の大正14年(1925年)に建てられた。奥の住宅(住居棟)は昭和2年〜3年(1927年〜1928年)に建築された建物である。この界隈・戸塚宿の家屋は殆どが関東大震災(大正12年(1923年)後に建てられたが、トタン屋根ばかりで、鎌倉中心部以上に土蔵も殆んどない街である。そんな中にある銅屋根の建物は異彩を放っている。
 表から見ると「西洋館」(http://4travel.jp/travelogue/10733065)そもものであるが、柏尾川堤防から伊東医院の裏を見ると和風の日本建築も建てられており、一変している。しかし、これらも伊東医院の住宅棟であろう。実は当時流行った和洋折衷の住宅兼医院であったのだ。
(表紙写真は伊東医院裏手の庭)

  • 伊東医院の隣は空き地になっている。

    伊東医院の隣は空き地になっている。

  • 奥から増築された医院棟、和風の日本建築住居、増築された2階建て住居が連なる。

    奥から増築された医院棟、和風の日本建築住居、増築された2階建て住居が連なる。

  • 伊東医院裏手の庭。

    伊東医院裏手の庭。

  • 裏にも車庫が。今では遊歩道になってしまっているために車は通れないので車庫としては利用されてはいない。旧東海道側でないと車は通れない。<br />

    裏にも車庫が。今では遊歩道になってしまっているために車は通れないので車庫としては利用されてはいない。旧東海道側でないと車は通れない。

  • 家屋敷の木立。

    家屋敷の木立。

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