2014/12/28 - 2015/01/04
1位(同エリア22件中)
azianokazeさん
- azianokazeさんTOP
- 旅行記450冊
- クチコミ0件
- Q&A回答12件
- 805,612アクセス
- フォロワー30人
2014年12月31日大晦日 この日のメニューは、モン族の朝市、モン族の村、ベトナム戦争の悲劇を伝えるタム・ピウ洞窟、そして野天湯のナムウン・ノイ温泉です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2014年もどん詰まりの大晦日 朝5時起き、6時ホテル出発でモン族の朝市見学に向かいます。
毎週、水曜日と日曜日の朝に開かれるマーケットで、この日は水曜日。アレンジする際に私から頼んで組み込んでもらったところです。
「朝早いよ、いいの?」「いいよ」
ホテルのあるポーンサワンも1100〜1200mの高地ですが、そこから車は薄暗い中をどんどん高度を上げていきます。1700〜1800mぐらいにはなっているのではないでしょうか。あるいはもっと。
夜が明けても、霧が濃く、視界ははっきりしません。
40〜50分も走ったでしょうか。どうも着いたようです。
でも、誰もいません。ドライバーは英語が話せませんので、要領を得ません。
写真が白っぽいのは霧のせいです。
「ええ・・・、ここ? だれもいないじゃない。今日は朝市はないの?」と言いたかったのですが、何べんも言うように言葉が通じませんので。
仕方なく、寒い外に出て、付近を歩いてみます。 -
ひと気のない空き地には、こんなテーブルも。
「もしかして、これが朝市? そんな・・・」
そんなとき、空き地の奥の方に人に気配が。 -
ありました。
奥の方に建物があり、そこで朝市が開かれていました。
やれやれ・・・。 -
「モン族の朝市」とは言っても、外国人の目には普通のラオ族の人々と区別はつきません。衣服も普段着です。
いまどきは少数民族と言っても、伝統的な民族衣装などは観光用で普段は着ていないことが普通ですから、別に私も民族衣装の人々は期待していません。
繰り返しますが、周囲が白っぽいのは朝霧が深いせいです。写真が下手くそなせいでは・・・それも少しあるかも。 -
今のラオスを語る際には、ボンビー・不発弾のように、ベトナム戦争とのかかわりが切り離せません。
モン族も、ベトナム戦争に翻弄された人々です。
ベトナム戦争において、北ベトナムから南ベトナムへの兵士・物資の輸送ルートとして有名なホーチミン・ルートですが、その9割はラオスの山野に存在していました。
その重要性から、北ベトナム指導者ホーチミンは「南ベトナムを解放するためには、まずラオスを共産化せねばならない」との声明を出しています。
アメリカにすれば、このラオスを抜けるホーチミン・ルートを叩くことが、北ベトナムの南下を阻止することになりますので、ラオス領内に夥しい爆弾を投下しました。 -
地上においては、北ベトナム軍と北ベトナムの支援を受ける共産主義勢力パテト・ラオが当事者ですが、アメリカ側はラオスでの戦闘を秘密裏に進めており、実際の戦闘を担ったのは、CIAに支援されたモン族兵士でした。
アメリカのモン族利用はフランス統治時代からですが、戦闘激化にともない、兵士調達の「モン狩り」によってモン族の村から青年・少年が消えた・・・とも言われています。
共産勢力側にも共産化されたモン族部隊があり、同じモン族同士が北ベトナムとアメリカの代理人として熾烈な戦闘を繰り広げることにもなりました。 -
市場内は薄暗いせいで、写真がうまく撮れていません。あしからず。
****************
この“裏のベトナム戦争”によって戦士したモン族は夥しい数にのぼり、アメリカ国防省は「モン族ではなくアメリカの若者が投入されていたら、アーリントンの黒壁(国立戦没者墓地の墓銘碑)は5〜6倍の長さになっていたに違いない」とも分析しているそうです。
アメリカにとってのベトナム戦争は南ベトナムからの「名誉ある撤退」によって一応区切りがつきましたが、後に残されたアメリカの代理人となって共産勢力と戦ったモン族兵士の苦難は続きます。
“引き揚げ機に乗れず生き別れになった親子、大量のアヘンを一気に口にして自殺を図る者、そして死体を掘り起こしてその肉で飢えをしのぐ者”【地球の歩き方2014〜2015 竹内正右】 -
サイゴン陥落に続き、ラオスも共産勢力の支配するところとなりますが、パテト・ラオと北ベトナムは「裏切り者」モン族の徹底した掃討作戦を行います。
残ったモン族側も徹底抗戦を続け、【地球の歩き方2014〜2015 竹内正右】によれば、“ベトナム軍主導の掃討作戦は今も続き、餓死する者も相次いでいる”との記述もありますが、2014年の“今”どうなったのかは知りません。
少なくともベトナム戦終了後30年ほどは続いたようです。 -
こうした経緯から、タイに逃れるモン族も多いこと、タイとしてはラオスに引き渡して厄介払いしたいこと、モン族を利用したアメリカではその償いとして、モン族難民を多数受け入れている地域もあることなどは、
私が別サイトで書いている2008年7月31日ブログ「ラオス難民のモン族 今なお続くベトナム戦争、更にイラクへ」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080731
2009年9月15日ブログ「タイ政府 モン族「難民」をラオスへ全員送還の方針」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20090915
でも取り上げてきました。 -
-
衣類はここぐらいで、ほとんどは食品関係です。
-
空いた台も多く、野外にもスペースがあります。
もっと盛大に行われることもあるのでしょうか。 -
揚げたてを売っています。
-
写りが悪いですが、右のものは甘くした粉ものを油で揚げたドーナツような食感で、おいしいです。
朝食がわりに市場内を歩きながら食べました。 -
こちらは、中はういろうのような白っぽいもので、野菜の具も混じっています。
火を通していないように思えて、ドライバーから食べるように勧められましたが、遠慮しました。 -
-
-
-
-
続いてやってきたのは、モン族の村「バーン ターチョーク」です。
写真は広場の小屋で、粉を引く石臼が置かれています。 -
土台にはボンビーの殻が利用されています。
-
庭先に並べられたボンビーの殻 何らかの形で売却・再利用するのではないでしょうか。
-
時刻は朝の8時頃だったでしょうか。
まだ各家に水道がないようで、共同の水汲み場に子供たちが。
カメラのモードダイヤルがソフトフォーカスになっていたのに気付かず撮影していました。よくあることです。カメラメーカーも考慮してもらいたい点です。 -
-
まだ霧が晴れない朝の村の様子
-
-
-
どこかに出かける村人 なかに銃を背負った男性も。
-
庭でバナナの幹みたいなものをザクザクと切り刻む村人
-
-
広場に集まった男性 やはり銃が 猟にでも出かけるのでしょうか?一種のファッションでしょうか?
-
あちこちに真っ赤なポインセチアのような植物が自生しており、バナナの木の緑に映えてきれいです。
-
ムアンカム(ポーサワンかた北東へ約50km)の町で朝。朝市で買い食いしてお腹はすいていませんが、ドライバーが勧めるので。
彼のお腹も考えなくてはいけません。 -
定番メニューのフーです。
-
隣の店
-
食後に訪れたのは、「タム・ピウ」洞窟
(入場料は10千キープ(約150円)) -
山腹にある大きな洞窟で、写真上部、やや右寄りに黒く見える部分です。
-
洞窟入口
やはりベトナム戦争に関連した場所ですが、当時、この洞窟の中で負傷者の手当て、子供の教育なども行われ、近隣住民が多数避難していました。 -
洞窟内部
1968年11月24日、米軍のロケット弾攻撃により、1発目で入口の防御壁が破壊、2発目で中にいた374人命が失われました。 -
暗い洞窟内部には、多くの小石が積まれています。
-
洞窟は、仏様のお顔の右側に見えます。
-
料金所近くには、犠牲者を弔う記念碑も。
-
米軍との戦闘を記憶にとどめるための資料館
写真の兵士は3発の銃弾で米軍機を撃ち落した・・・ということですが、どうでしょうか。
それはともかく、中国共産党にとって抗日戦勝利が存在の基盤となっているように、ラオス現政権にとってはベトナム戦争当時の対米戦勝利が重要な基盤となっています。 -
駐車場に戻ると、ペタンクに興じていました。
小さなビュット(目標球)に、金属製のボールを投げ合い、より近づけることによって得点を競い合う、フランス発祥のゲームです。
かつてのフランス統治の名残でしょう。
古いフランス映画などでよく見ますが、実際のゲームは見たことがなかったので、しばらく眺めていると、グラスに注がれたラオ・ビールを勧められました。
アルコールは弱い体質で、朝からビールを飲むことなどは決してないのですが、日本・ラオス友好のために飲み干しました。
すると今度は缶ビールも飲めとのことで、丁重にお断りして逃げ出しました。 -
やってきたのは「ナムウン・ノイ温泉」 通称「ボーノーイ(小温泉)」
小温泉と言うのは、近郊により大きな「ナムホーン・リゾート(ボーニャイ・大温泉)」があるからです。
「ナムホーン・リゾート」は施設も整っているのですが、温泉は個室のバスタブにお湯をためて入浴する形で面白くなさそう。
それに比べ、「ナムウン・ノイ温泉」は設備はないものの野天湯が楽しめるということで、こちらにしてもらいました。
実際行ってみると、料金徴収所やレストラン(営業しているのかは不明)などの施設もできています。(料金は10千キープ)
料金徴収所の女性がまだ来ておらず、しばらく待機。
ラオスではよくこういうことがあります。
あまり客が多くない施設では、係員は自宅にいて、電話で連絡を受ければバイクでやってくる・・・という感じです。 -
敷地内を川沿いに進むと、それらしきものが見えてきました。
先客がいます。それも若い女性のようです。(現地の方はフリーパスなのでしょう)
この野天湯は男女混浴です。(もちろん水着着用ですが)
上段の源泉は熱くて入れません。川の水と混じり合った女性たちがいる下段で入浴します。 -
一緒に入っていいものか迷いましたが、ドライバー氏は問題ないようなそぶりです。
女性たちもあまり気にしていないようです。 -
上段の源泉部分 ドライバーは入らないようです。
せっかくここまで来たのですから、入りましょう。
付近で着替えて入浴します。 -
川沿いにあって、ロケーションは最高です。
お湯は・・・源泉からの熱いお湯と川からの冷たい水が、完全には混じり合わず、それぞれかたまりになっており、ある部分は熱く、ある部分は冷たいと微妙です。
なるべく温かい所を探して、お湯の中を移動します。 -
近所の方が行き来する木橋
しばらく浸かっていて理解したのですが、冷たい水は下に沈んでいます。
動き回ると、下の冷たい水が上がってきます。
お湯の表面に体を横たえて、表面の熱いお湯を体でせき止め、下の冷たい水は無視する・・・・というのが一番いい方法のようです。 -
野趣あふれる結構な温泉です。
-
野天湯を楽しんだあとにやってきたのは「バーン・シェン・キャオ」という黒タイ族の村。
織物が有名な村で、“各家の軒下で機織りが行われている”【歩き方】とのことですが、広場に織機を置いて織っていたこの女性は観光用で、見る人がいないと織るのをやめます。 -
文化会館を見学・・・ということですが、例によって係員がおらず、やってくるのを待ちます。(写真は文化会館向かいの商店です)
料金は10千キープ(約150円) -
文化会館内に展示されていた売り物の布。
-
黒タイ族の日用品なども展示されています。
正直なところ興味を引くようなものはありませんが、せっかく自宅からやってきて開けてもらいましたので、多少は眺めて写真も。 -
そんなこんなで、大晦日の観光も終了。
明日元旦は山登りです。大丈夫でしょうか?
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
azianokazeさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56