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<br />今回の旅行は少し特殊です。もともとはAFSの記念行事に合わせての旅行です。AFSはAmerican Field Service の略です。「アメリカ野戦奉仕団」と訳します。現在は主に高校生の交換留学を全世界的に斡旋するNPO、NGO団体です。私自身1971年8月から約1年間アメリカの高校(ニューヨーク州だけど典型的な田舎町で、安全)へ留学しました。そして、私の子供も4人の内2人が、各々アメリカとイタリアへAFSで留学しました。そういうこともあり、私は無償のボランティアとして活動していて、公益財団法人AFS日本協会博多支部の支部長をしています。<br /><br />AFSに戻りますと、第一次世界大戦中、中立国のアメリカ人のボランティア(若者)が負傷した兵士を敵味方なくジープで病院へ搬送しました。ですから、最初はAmerican Ambulance Field Service と言っていたようです。そして、第二次世界大戦でも同じようなボランティア活動をし、終戦後にもう二度とこのような悲惨な戦争を防ぎたいと考え、それなら若い高校生のうちから相互に交流し友達になれば戦争などを起こさないだろうという考えに至りました。そのために、高校交換留学を始めました。最初は名前通りアメリカを中心に始まりましたが、次第に色々な国同士の交流に発展しました。<br /><br />そして、今年2014年が第一次世界大戦の開戦から100年ということで、ヨーロッパ各地で記念行事を行っているのでした。まずフランスのパリで記念行事があり参加しました。それから個人的には一番楽しみにしていた3泊4日のバスツアーがありました。交換留学の高校生の時(帰国前)のように、世界中からの人々とバスでフランス北部からベルギーの戦地・墓地を回るツアーで、当然の如く地元のボランティアのお宅でホームステイです。<br /><br />日程の関係で3〜4日余ったので、LCC航空券を見つけ、未知の国・ブルガリアの首都・ソフィアへも行きました。<br /><br /><br />【11月5日(水)】<br />今回はベースがパリなので航空券も取りやすいし、JALのマイレージが15万マイル以上貯まっているので、思い切って片道だけでも憧れのファーストクラスをと思いましたが、結局予約が取れず、行きだけビジネスクラスが取れました。ですから、燃料サーチャージの5万円程度だけです。成田からの便でしたが、B787で最初からファーストクラスのない便だと後からわかりました。やはり、JALのビジネスクラスは和食がなかなかいいです。つい、間食にラーメンまで食べてしまいました。<br /><br />パリに着くと、いつものように安宿に辿り着きます。久しぶりのパリです。たぶん3〜4回目です。今年の1月の南米旅行では、パリ経由でブラジル行きだったので、シャルルドゴール空港で乗り換えでした。<br /><br /><br />【11月6日(木)】<br />朝は近くのパン屋さんでフランスパン(当たり前!)を買ってきてコーヒーと一緒に食べましたが、やはり美味しいです。柔らか過ぎる日本のパンと違い、外側はほどよく硬く、でも中はほどよく柔らかいのです。今日が唯一の何も予定のない日、つまり観光の日です。運のいいことに快晴です。結果的に、晩秋のパリで他の日は雨だったりどんより曇っていたりで、本当にラッキーでした。<br /><br />まずはセーヌ河クルーズにしました。Bateaux-Mouches というクルーズで 13.5 ユーロでした。いきなりエッフェル塔の近くですし、グラン・パレ、パリ市庁舎、シテ島、ノートルダム寺院などが見れます。そして、クルーズが終った後、パリ市庁舎からバスティーユ広場までのんびり歩きます。昼食はムール貝が目当てです。Leon de Bruxelles という名前のレストランで、名前通りたぶんムール貝で有名なベルギー・ブリュッセルの店です。以前ブリュッセルで食べたことのある鍋一杯のムール貝料理(地中海風)です。21.90 ユーロです。もちろん、ベルギー人の大好きなフライド・ポテトが付きます。英語では、フライド・ポテトのことを French fries と呼びますが、ベルギー人は Belgian fries と呼んで欲しいと思っているほどです。<br /><br />その後はどこに行こうかと少し迷いましたが、モンパルナス・タワーに上ることにしました。高い所はどこでもですが、眺めがよくパリの市街が見渡せます。<br /><br />夕食はステーキにしました。あまりに喉が渇いてないので、久しぶりに何も飲み物を頼みませんでした。下戸の私は、普通は義務のように炭酸ガス入りのミネラルウォーターを注文します。そうすると、しばらくしてウェーターが懐かしい水道水を持ってきてくれました。これは無料です。若い時はアメリカ人に教えてもらって以来、無料で飲み物が注文できるので、水道水(tap water)を頼んでいました。でも、お金に少し余裕ができるとカッコ悪い気がして、わざわざ(結構高い)ミネラルウォーターを注文します。たぶん、ワインのほうが安いのですが、飲めないので仕方がありません。<br /><br />腹ごしらえの後、シャンゼリゼ大通りを凱旋門に向かってのんびり歩きます。夜はリドやムーランルージュのショーは行ったことがあるので、今回は Crazy Horse に行くことにしました。ドリンク付きだけなのに、120 ユーロもします。大失敗です! 何十人もの踊り子で豪華なリドやムーランルージュと違い、たったの8人くらいの踊り子が狭いステージで踊るだけです。お金の無駄でした。<br /><br /><br />【11月7日(金)】<br />今日は Palais de Congres(国際会議場)で AFS Returnee Day です。よく覚えていませんが、国際泌尿器科学会がパリであった時はこの会場のはずです。つまり、来たことがあるはずです。リターニーとは、AFS用語で「帰って来た人」という意味で、留学経験者のことを言います。つまり、世界中で年度も違うので同窓会でもないのですが、そういう意味合いの会合です。お互いにAFS留学経験者で外国での経験があるという共通点があります。 <br /><br />会場には、当時ボランティアが使っていたジープが展示しています。色々な催しがあり、アメリカからのジャズや長くパリに暮らすニューヨーク出身のアメリカ人コメディアンによる異文化を題材にした stand-up comedy で笑わされました。インドネシアの伝統的ダンスもありました。昼食は、パン、チーズ、スープなどが会場にあり軽く食べました。 <br /><br />せっかくの機会で、夕食は適当に名乗り出て、選ばれている8か所くらいのレストランの一つに私も参加しました。Chez Jenny という老舗・アルザス料理レストランでした。料理はフランスにしては、むしろわざわざドイツ料理に近いもので、はっきり言っていまいちでした。但し、ボリュームは笑い出すほど巨大でした。日本人なら、一人どころか一家族で食べれるほどのボリュームでした。ザワークラウト・スペシャルという名前でソーセージ3種類とザワークラウトですが、どれもたいして美味しくなかったです。名前だけよく知っていた Eiswein もありました。ポークの腰肉のようですが、これも期待したほど美味しくはなかったです。<br /><br />ただ、料理はともかく初対面とはいえ、3人のスウェーデン人女性(3人とも同じ年にアメリカ留学らしい)や南アフリカ共和国生まれでオランダ在住の女性など、色々な人と話す機会で楽しい食事でした。<br /><br /><br />【11月8日(土)】 <br />今日の予定は午後からなので、午前中はゆっくり部屋で過ごしました。昼食は学生街のソルボンヌへ行き、Chalet と言うよくある名前のスイス料理店でチーズフォンデュ、オニオンスープそして珍しくデザートにタルトを食べました。<br /><br />2時から5時まで UNESCO で記念行事がありました。今までのAFSの歴史を振り返り、若者からの未来に向けての提案もありました。会場では、知り合いの日本人にも会いました。EUなどのヨーロッパ連合の中心地は後で訪れるベルギーの首都・ブリュッセルだと思っていましたが、世界遺産などを認定する UNESCO はパリに事務所があることを再認識しました。前もって警戒が厳しいのでパスポート持参と聞いていましたが、実際はAFSで貸し切りのせいか簡単に入場できました。<br /><br />午後7時からは、国際会議場に隣接したハイアット・ホテルで Gala(盛大なパーティ)でさすがにネクタイをして正装で参加しました。偶然、昨夜レストランで一緒だったスウェーデン3人の女性も同じテーブルでした。後、私と同じ年齢で1年後にアメリカ留学した日本人女性の隣でした。彼女はご主人がイギリス人でロンドン在住でした。パーティはすごい熱気でした。千人以上の参加者で巨大な会場でした。途中で国ごとに呼ばれて立ち上がり盛り上がりました。改めてAFS参加国の数の多さにビックリしました。<br /><br />各国のダンサーが踊ったり、みんなでダンスを踊ったり盛り上がり、終電のない真夜中過ぎまで楽しみました。おかげで今回初めてタクシーに乗り、安ホテルへ帰りましたが13ユーロ程度でそんなに遠くないのでした。<br /><br /><br />【11月9日(日)】<br />今日からいよいよ3泊4日のAFSバスツアーです。午前7時45分に昨晩のパーティと同じホテルであるハイアットのロビーに集合です。もちろん、知り合いは一人もいません。他に日本人の参加者がいるかどうかも知りません。一台の二階建て巨大なバスに全員が乗れるようでした。参加者が80人程度、関係者が10人弱いるはずです。<br /><br />私は2階の最先端で眺めのいい席を確保。隣は南米の中年の女性で珍しく英語があまりできません。通路を挟んで向かい側の席に髪をピンクに染めたオーストリア人の若い女性がいたので、主にその娘と話しました。<br /><br />もらった booklet で今回のバス旅行の行先などの旅程がわかります。英語で、Fieldtrip in Northern France and Belgium です。<br /><br />まず、AFS所縁の二人が埋葬されている Bony という町の Somme 墓地を訪れました。どうも、パリからひたすら北上してベルギーとの国境近くに来ているようです。次に Notre-Dame de Lorette というフランスの墓地へ行き、奥にあるレストランで昼食を取ります。AFSフランスの関係者が準備してくれたようです。フランスだけあって食事も美味しかったです。さすがに、食事制限のある人のも準備していました。<br /><br />現在この地区へ留学中の高校生3人が招待されていました。2人の女子はアメリカ・シカゴからとロシア・モスクワからでした。男子は中国からでした。何か所も墓地を回って混乱していますが、ここフランス墓地には巨大なリング状のモニュメントが新たにでき、2日後にフランス大統領とドイツ首相が来て盛大な記念行事が行われる予定とのことでした。<br /><br />それから、近くのドイツやイギリスの墓地を回りました。そして、墓地イコール戦場そのもののようでした。つまり、イギリス人などは遺族が戦場で亡くなった身内のお墓を戦場に建てたいようです。だから、墓地イコール戦場なのです。第一次世界大戦がこのような平地、見晴らしの良い所で行われたのがよくわかりました。<br /><br />印象深かったのが、フランスから土地の提供を受けたカナダ政府の記念公園、Vimy です。コンクリートで固めた塹壕が残っています。そして、そのすぐそばに Vimy の巨大な記念建造物があります。<br /><br />そして、その地区(Arras)(フランス)を出発して1時間ちょっとでホームステイ先の Kortrijk(コルトレイク)へ到着しました。国境を越えてベルギーに入っています。ホストファミリーが紹介され、私はニュージーランド女性のカトリーヌと同じファミリーに配属されました。彼女は私と同じ1971−72年にアメリカ、それも同じニューヨーク州西部へ留学したのでした。でも、バス旅行の行先が違うということで、会ったことがないと判明しました。<br /><br />奥さん(ジャニーン)が迎えに来てくれていて、車で30分ほどの Tielt の自宅へ案内してくれました。ご主人も家にいました。この辺りはフランドル地方と言ってオランダ語圏で、食事は質素です。AFSのいいところで、関係者はみんな高校留学を経験したり、世話をしたりしていますので、初対面でも話が合います。よくあるパターンで、奥さんのジャニーンの方が英語も上手で饒舌です。彼女はAFSのボランティアを普段からしていて、日本人の女子の経験もあるようでした。おとなしくていい子だけど、何をしたいのかハッキリ言わないので困ったと感想を述べていました。<br /><br /><br />【11月10日(月)】<br />今日の目的地はYpres(Ieper)(イーペル)です。念のために再度書きますと、昨日からは国境を越えてベルギーで、西フランドル地方(オランダ語圏)のホストファミリー宅に滞在しています。本来の集合場所はコルトレイクですが、ホストファミリーによるとティールトからは直接行った方が早いということでした。夜戻って来るメニン門の近くに駐車して、ホストの奥さんとカトリーヌと3人で行きました。今日はホストの家族もたくさん一緒に参加するので、バスは3台のようで、私のバスは2番でした。ホストの奥さんとカトリーヌは別のバスでした。<br /><br />私のバスは最初に近くの墓地をまた回りました。一つは Studentenfriedhof といいドイツの墓地でした。実際には、集められた学生の素人軍隊で全滅したのに、ドイツ軍が国民を鼓舞するために、大勝利をおさめたとプロパガンダに使ったようです。昼食は Munchenhof という場所で、さすがに予想通りハムとチーズだけの質素なサンドイッチでした。国と地域によって、こんなにも食習慣が違うのです。やはり、昨日までのフランスとは違います。<br /><br />インド人の若い女性がやって来て、日本の静岡に行ったことがあると話しかけてきます。よく聞くと、私が医師として参加した JENESYS というプログラム(AFSの留学制度の一環)で日本へ短期留学していた生徒でした。私がその時の「空飛ぶドクター」(Flying Doctor)だと知ってビックリしていました。<br /><br />次に、年齢も近いペルーの女性が日本人と知り私に近づいて来ました。ちなみに、どうも今回の80人くらいの参加者で私が唯一の日本人のようでした。私より4年後の1975年からカリフォルニア州にAFSで留学したそうでその時に仲が良かった日本人に Y.Yamada という人がいて、是非連絡先を調べて欲しいというのでした。私たちの時代には、電子メールやフェイスブックはなく、母国に帰った後、みんな大学に進学したりして実家を離れ住所が変わります。現在の便利な e-mail に対比して「かたつむり」郵便(snail mail)と揶揄される時代では、お互いに音沙汰がなくなるのです。気持ちはよくわかります。おせっかいな私は帰国後、律儀に調べてあげました。幸い、個人情報などがうるさくない1999年の最後のAFS名簿があり、年度がわかるので容易に上記のYamada さんの情報が手に入りました。自宅は引っ越していましたが、会社名から転勤したのが想像でき、会社に電話して事情を言うと、間接的に連絡してくれ、向こうから電話があり、ペルーの女性の名前とメールアドレスを教えてあげました。当然、Yamada さんもクリスマスプレゼントだと喜んでくれました。<br /><br />私としても、今回のバス旅行では見ず知らずの人とはいえ、AFSという共通の留学体験をした「仲間」の集まるユニークな旅行であり、AFSらしくホームステイもでき、今回のこのようなエピソードをむしろ期待していました。<br /><br />次に、In Flanders Fields Museum という変な名前の博物館へ行きました。英語だし、変な名前なので不思議に思い尋ねると、このタイトルの有名なカナダ人による英語の詩があり、それから命名したようです。第一次世界大戦の悲惨さを強調した展示でした。広島の原爆資料館のようなものです。<br /><br />夕食は昼食と同じレストランで、予想通りたいした食事ではありません。ベルギーでもオランダ語圏の食事はこんなものなのでしょう。でも、その時に話をしたフランスのAFSの関係者の若い男性は見識が高く、日本のことをかなり詳しく知っていてビックリしました。囲碁のことも詳しいし、日本のテレビ番組「孤独のグルメ」も見て知っているようでした。<br /><br />夕食後、バス3台でメニン門へ戻り、午後8時からの last post ceremony を見学に行きました。長年毎晩行われているようです。イギリスの伝統らしく、もともとは軍隊で一日の終わりのラッパや音楽の儀式で行進もあります。メニン門にはぎっしりと戦争で亡くなった兵士たちの名前が記載されています。永遠に一日が終わった人々(つまり、死者)に対する儀式のようです。<br /><br />終わった後、9時半過ぎからボランティアによるパーティがありましたが、カトリーヌと私と意見が合い、疲れるのでパーティは辞退して、ジャニーンと3人で家に帰りました。<br /><br /><br />【11月11日(火)】<br />いよいよホストファミリーとお別れです。今朝はコルトレイクにみんな集まり、最初の大型バス1台に戻り一気に首都のブリュッセルへ1時間ほどで移動です。この旅行中に色々な人と知り合え楽しいのですが、アフリカの黒人女性と話しているとガーナからで、ガーナからもAFS高校留学生が日本へ昨年から来ていることを知りました。最近、南アフリカ共和国から来ているのは知っていて、いよいよアフリカとも交流が始まったのは知っていましたが。<br /><br />昼食は Theater Toone という道化師のいるブリュッセルのレストランで、さすがに今までよりはましなまともな昼食でした。どうも、以前に来たことのある繁華街にあります。午後は、希望者別に色々な8つくらいのグループに分かれ、現地のボランティアの案内で色々な催し物に参加しました。私は、有名な(Victor?)建築家の家を歩いて見て廻るグループで、それなりに面白かったです。6時頃にはこの夜の宿泊地、何とユースホステル(Jacques Brel Youth Hostel) へチェックインします。ある女性は生まれて初めてユースホステルに泊まると嘆いていました。私は若い頃以来久しぶりです。ある意味、昨日までのホームステイとの落差はかなりです。<br /><br />チェックインで時間がある時に、ずっと気になっていた可愛い娘さんと一緒のアルゼンチン人の男性に声を掛けました。自己紹介して名刺交換すると、自分も医者だと教えてくれました。娘さんはアメリカへ留学して英語の教師をしていると言います。メンドーサに住んでいて、隣国チリの首都・サンティアゴにやや近いと言います。私の頭の中では、いつか遊びに行こうと考えています。ちょうど行ってみたかったチリにも近いと言うしラッキーです。私の特徴は、こういう機会に知り合った人の所へ実際に遊びに行きます。<br /><br />夜は近くのホテルの立派な会場で歓迎パーティです。ドレスコードもフォーマルで私も珍しくネクタイをしました。パリでの Gala と今回はネクタイが必要です。記念に売っていたAFSの100周年ロゴ入りジャンパーを買いました。安物(もちろん made in China!)の割には、40ユーロもしますが、記念だし、雨用のフードが付いたのが欲しかったのでちょうどよかったです。Dinner in the Dark と呼び、目隠して最初にパスタのようなものを口に入れました。AFSらしく「未知の体験」ということでしょうか?食事もコース料理で美味しかったです。<br /><br />私が唯一の日本人だということか、日本に留学経験のある人などが何人か挨拶に来てくれました。最後に挨拶に来た年配の人は京都大学で教えていたというだけあり、日本語も完璧でビックリしました。相当なインテリのようです。パーティが終わる前に、もう一軒とお誘いを受けたのですが、疲れていたので残念ながらお断りしました。<br /><br />来る時はみんなで地下鉄で来たのですが、もう帰りは地下鉄もない時間で、数人とタクシーに乗りユースホステルへ帰りました。部屋は2段ベッド二つで、3人でしたが、当然の如く、先にチェックインした2人が下の段でした。私は面倒ですが、上の段です。最近、夜中に一度はトイレに立つし、共同トイレしかないので少し面倒でした。ルームメートはロシア人とノルウェー人でした。<br /><br /><br />【11月12日(水)】<br />いよいよツアー最終日です。ユースホステルですが、朝食は付いていて結構豪華でした。その時、また知り合いに会いました。やはりAFSのJENESYSに参加したフィリピン人の女の子で、フェイスブックで友だちになっている娘にバッタリ会いました。友達の女性と男性と一緒でした。<br /><br />ブリュッセル市内のEU(欧州連合)議会見学です。会場の入り口で待っている間に、見慣れない現地のAFSボランティアらしい若い女性たちがいます。一人は見慣れたカタツムリマークのカバンを持っているので、イタリアのブラに行ったことがあるけどひょっとしてイタリア人?と尋ねると、正にブラから来たと言います。お姉さんがブラのスローフード協会で働いているそうです。数年前に、スローフード協会に興味があるのでブラへ行ったことがあるというとビックリしていました。おかげで、片言のイタリア語で喋れました。<br /><br />さすがにAFSリターニーは多方面で活躍しているようで、EUの説明をしてくれたのが、職員の男性で本業は元々獣医師だそうです。次に、同じくリターニーであるEU女性議員が挨拶して、EUの内情を説明してくれました。特別に、EU議事場も見学させてくれました。後日談ですが、しかも私にとってはよくあることですが、同じ会場で数日後にローマ法王が挨拶していたのでニュースになっていました。<br /><br />その後、Parlementarium と呼ばれる場所へ移動しました。そこには、ヨーロッパの歴史やEUの歴史が説明されていました。各自、イヤフォンで音声案内を聞きながら会場を回ります。<br /><br />そして、いよいよ4日間の楽しいツアーも終わりました。ここベルギーのブリュッセルで解散です。色々な予定の人がいるだろうからと、わざわざ出発地パリへ戻らずここで解散なのです。私は、明日のブルガリア・ソフィアへ行くためにこの日のうちにパリへ戻ればいいだけです。<br /><br />3度目ですが、予定通り少しブリュッセル市内観光します。と言っても、全部以前に行ったことがある所ばかりです。まずは、グラン・プラスの大広場です。次に、泌尿器科医としてははずせない小便小僧です。オランダ語でマネケン・ピス (Manneken Pis) と呼ばれていますし、名前をジュリアン君と言うそうです。実は、近くに小便小娘があります。1997年頃作られたようで、何故か開放的な小便小僧と違い、檻の中です。少女がしゃがんでオシッコしています。ジャンネケ・ピス (Jeanneke Pis) と言います。妹という設定のようです。人だかりの小便小僧と違い、小便小娘はあまり人気がありません。ユーモラスなおちんちんの男の子と陰にこもる臓器である少女の差かもしれません。<br /><br />そこで、写真を撮っているフィリピン人の男子に再会しました。今朝、共通の友達で紹介されたばっかりです。どうせ暇なので、おごってあげるから一緒にムール貝でも食べようと誘いました。彼はロシアに留学中のようです。昨日も通ったこの辺りにはレストランが沢山あります。以前歩いた記憶があります。世界中を回った私ですが、同じ都市に行くと、結局同じ場所に行くことがよくあります。途中で、今回パリでムール貝を食べた Leon de Bruxelles を見つけました。名前通り、ここブリュッセルのレストランが本店でしょう。<br /><br />そして、一緒に地下鉄に行こうとしましたが、彼のスマホのGPSを信用すると、中々着きません。本来は近くに駅があるはずですが。20分も歩かされました。急がないからいいのですが・・・ でも、おかげで今まで見たことのない立派な教会の前に出くわしました。St.Michael &amp; St.Gudula Cathedral(聖ミカエルと聖デュル)と言う大聖堂のようです。名前通り、二つの塔でできた教会です。<br /><br />地下鉄でパリ行きTGV高速列車の乗り場へ行ったのですが、下りのエスカレーターで後ろの若者にぶつかったように感じたのですが、何とリュックサックのチャックが開けられています。幸い、パソコンも取られていません。ずっと、AFSの人たちといて、気分的に少し油断していたかもしれません。危うく、歩きながらリュックからパソコンを盗まれた2月のナポリの二の舞になるところでした。やはり、リュックのチャックは真上ではなく、開けにくい下の方にもってこないといけません。<br /><br />たぶんTGVなら遠くないと計算していましたが、やはり午後5時37分のに乗り、6時59分にはパリへ着きました。1時間20分程度で首都から首都への移動です。前回と違う安宿へ泊りました。今回の旅行の2/3が終りました。つまり、パリ滞在とバス旅行が終りました。残すはブルガリア・ソフィア旅行です。<br /><br /><br />(「パリからブルガリアへの旅」へ続く)<br /><br /><br />

第一次世界大戦100周年記念行事を辿る旅

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2014/11/05 - 2014/11/12

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん


今回の旅行は少し特殊です。もともとはAFSの記念行事に合わせての旅行です。AFSはAmerican Field Service の略です。「アメリカ野戦奉仕団」と訳します。現在は主に高校生の交換留学を全世界的に斡旋するNPO、NGO団体です。私自身1971年8月から約1年間アメリカの高校(ニューヨーク州だけど典型的な田舎町で、安全)へ留学しました。そして、私の子供も4人の内2人が、各々アメリカとイタリアへAFSで留学しました。そういうこともあり、私は無償のボランティアとして活動していて、公益財団法人AFS日本協会博多支部の支部長をしています。

AFSに戻りますと、第一次世界大戦中、中立国のアメリカ人のボランティア(若者)が負傷した兵士を敵味方なくジープで病院へ搬送しました。ですから、最初はAmerican Ambulance Field Service と言っていたようです。そして、第二次世界大戦でも同じようなボランティア活動をし、終戦後にもう二度とこのような悲惨な戦争を防ぎたいと考え、それなら若い高校生のうちから相互に交流し友達になれば戦争などを起こさないだろうという考えに至りました。そのために、高校交換留学を始めました。最初は名前通りアメリカを中心に始まりましたが、次第に色々な国同士の交流に発展しました。

そして、今年2014年が第一次世界大戦の開戦から100年ということで、ヨーロッパ各地で記念行事を行っているのでした。まずフランスのパリで記念行事があり参加しました。それから個人的には一番楽しみにしていた3泊4日のバスツアーがありました。交換留学の高校生の時(帰国前)のように、世界中からの人々とバスでフランス北部からベルギーの戦地・墓地を回るツアーで、当然の如く地元のボランティアのお宅でホームステイです。

日程の関係で3〜4日余ったので、LCC航空券を見つけ、未知の国・ブルガリアの首都・ソフィアへも行きました。


【11月5日(水)】
今回はベースがパリなので航空券も取りやすいし、JALのマイレージが15万マイル以上貯まっているので、思い切って片道だけでも憧れのファーストクラスをと思いましたが、結局予約が取れず、行きだけビジネスクラスが取れました。ですから、燃料サーチャージの5万円程度だけです。成田からの便でしたが、B787で最初からファーストクラスのない便だと後からわかりました。やはり、JALのビジネスクラスは和食がなかなかいいです。つい、間食にラーメンまで食べてしまいました。

パリに着くと、いつものように安宿に辿り着きます。久しぶりのパリです。たぶん3〜4回目です。今年の1月の南米旅行では、パリ経由でブラジル行きだったので、シャルルドゴール空港で乗り換えでした。


【11月6日(木)】
朝は近くのパン屋さんでフランスパン(当たり前!)を買ってきてコーヒーと一緒に食べましたが、やはり美味しいです。柔らか過ぎる日本のパンと違い、外側はほどよく硬く、でも中はほどよく柔らかいのです。今日が唯一の何も予定のない日、つまり観光の日です。運のいいことに快晴です。結果的に、晩秋のパリで他の日は雨だったりどんより曇っていたりで、本当にラッキーでした。

まずはセーヌ河クルーズにしました。Bateaux-Mouches というクルーズで 13.5 ユーロでした。いきなりエッフェル塔の近くですし、グラン・パレ、パリ市庁舎、シテ島、ノートルダム寺院などが見れます。そして、クルーズが終った後、パリ市庁舎からバスティーユ広場までのんびり歩きます。昼食はムール貝が目当てです。Leon de Bruxelles という名前のレストランで、名前通りたぶんムール貝で有名なベルギー・ブリュッセルの店です。以前ブリュッセルで食べたことのある鍋一杯のムール貝料理(地中海風)です。21.90 ユーロです。もちろん、ベルギー人の大好きなフライド・ポテトが付きます。英語では、フライド・ポテトのことを French fries と呼びますが、ベルギー人は Belgian fries と呼んで欲しいと思っているほどです。

その後はどこに行こうかと少し迷いましたが、モンパルナス・タワーに上ることにしました。高い所はどこでもですが、眺めがよくパリの市街が見渡せます。

夕食はステーキにしました。あまりに喉が渇いてないので、久しぶりに何も飲み物を頼みませんでした。下戸の私は、普通は義務のように炭酸ガス入りのミネラルウォーターを注文します。そうすると、しばらくしてウェーターが懐かしい水道水を持ってきてくれました。これは無料です。若い時はアメリカ人に教えてもらって以来、無料で飲み物が注文できるので、水道水(tap water)を頼んでいました。でも、お金に少し余裕ができるとカッコ悪い気がして、わざわざ(結構高い)ミネラルウォーターを注文します。たぶん、ワインのほうが安いのですが、飲めないので仕方がありません。

腹ごしらえの後、シャンゼリゼ大通りを凱旋門に向かってのんびり歩きます。夜はリドやムーランルージュのショーは行ったことがあるので、今回は Crazy Horse に行くことにしました。ドリンク付きだけなのに、120 ユーロもします。大失敗です! 何十人もの踊り子で豪華なリドやムーランルージュと違い、たったの8人くらいの踊り子が狭いステージで踊るだけです。お金の無駄でした。


【11月7日(金)】
今日は Palais de Congres(国際会議場)で AFS Returnee Day です。よく覚えていませんが、国際泌尿器科学会がパリであった時はこの会場のはずです。つまり、来たことがあるはずです。リターニーとは、AFS用語で「帰って来た人」という意味で、留学経験者のことを言います。つまり、世界中で年度も違うので同窓会でもないのですが、そういう意味合いの会合です。お互いにAFS留学経験者で外国での経験があるという共通点があります。 

会場には、当時ボランティアが使っていたジープが展示しています。色々な催しがあり、アメリカからのジャズや長くパリに暮らすニューヨーク出身のアメリカ人コメディアンによる異文化を題材にした stand-up comedy で笑わされました。インドネシアの伝統的ダンスもありました。昼食は、パン、チーズ、スープなどが会場にあり軽く食べました。 

せっかくの機会で、夕食は適当に名乗り出て、選ばれている8か所くらいのレストランの一つに私も参加しました。Chez Jenny という老舗・アルザス料理レストランでした。料理はフランスにしては、むしろわざわざドイツ料理に近いもので、はっきり言っていまいちでした。但し、ボリュームは笑い出すほど巨大でした。日本人なら、一人どころか一家族で食べれるほどのボリュームでした。ザワークラウト・スペシャルという名前でソーセージ3種類とザワークラウトですが、どれもたいして美味しくなかったです。名前だけよく知っていた Eiswein もありました。ポークの腰肉のようですが、これも期待したほど美味しくはなかったです。

ただ、料理はともかく初対面とはいえ、3人のスウェーデン人女性(3人とも同じ年にアメリカ留学らしい)や南アフリカ共和国生まれでオランダ在住の女性など、色々な人と話す機会で楽しい食事でした。


【11月8日(土)】 
今日の予定は午後からなので、午前中はゆっくり部屋で過ごしました。昼食は学生街のソルボンヌへ行き、Chalet と言うよくある名前のスイス料理店でチーズフォンデュ、オニオンスープそして珍しくデザートにタルトを食べました。

2時から5時まで UNESCO で記念行事がありました。今までのAFSの歴史を振り返り、若者からの未来に向けての提案もありました。会場では、知り合いの日本人にも会いました。EUなどのヨーロッパ連合の中心地は後で訪れるベルギーの首都・ブリュッセルだと思っていましたが、世界遺産などを認定する UNESCO はパリに事務所があることを再認識しました。前もって警戒が厳しいのでパスポート持参と聞いていましたが、実際はAFSで貸し切りのせいか簡単に入場できました。

午後7時からは、国際会議場に隣接したハイアット・ホテルで Gala(盛大なパーティ)でさすがにネクタイをして正装で参加しました。偶然、昨夜レストランで一緒だったスウェーデン3人の女性も同じテーブルでした。後、私と同じ年齢で1年後にアメリカ留学した日本人女性の隣でした。彼女はご主人がイギリス人でロンドン在住でした。パーティはすごい熱気でした。千人以上の参加者で巨大な会場でした。途中で国ごとに呼ばれて立ち上がり盛り上がりました。改めてAFS参加国の数の多さにビックリしました。

各国のダンサーが踊ったり、みんなでダンスを踊ったり盛り上がり、終電のない真夜中過ぎまで楽しみました。おかげで今回初めてタクシーに乗り、安ホテルへ帰りましたが13ユーロ程度でそんなに遠くないのでした。


【11月9日(日)】
今日からいよいよ3泊4日のAFSバスツアーです。午前7時45分に昨晩のパーティと同じホテルであるハイアットのロビーに集合です。もちろん、知り合いは一人もいません。他に日本人の参加者がいるかどうかも知りません。一台の二階建て巨大なバスに全員が乗れるようでした。参加者が80人程度、関係者が10人弱いるはずです。

私は2階の最先端で眺めのいい席を確保。隣は南米の中年の女性で珍しく英語があまりできません。通路を挟んで向かい側の席に髪をピンクに染めたオーストリア人の若い女性がいたので、主にその娘と話しました。

もらった booklet で今回のバス旅行の行先などの旅程がわかります。英語で、Fieldtrip in Northern France and Belgium です。

まず、AFS所縁の二人が埋葬されている Bony という町の Somme 墓地を訪れました。どうも、パリからひたすら北上してベルギーとの国境近くに来ているようです。次に Notre-Dame de Lorette というフランスの墓地へ行き、奥にあるレストランで昼食を取ります。AFSフランスの関係者が準備してくれたようです。フランスだけあって食事も美味しかったです。さすがに、食事制限のある人のも準備していました。

現在この地区へ留学中の高校生3人が招待されていました。2人の女子はアメリカ・シカゴからとロシア・モスクワからでした。男子は中国からでした。何か所も墓地を回って混乱していますが、ここフランス墓地には巨大なリング状のモニュメントが新たにでき、2日後にフランス大統領とドイツ首相が来て盛大な記念行事が行われる予定とのことでした。

それから、近くのドイツやイギリスの墓地を回りました。そして、墓地イコール戦場そのもののようでした。つまり、イギリス人などは遺族が戦場で亡くなった身内のお墓を戦場に建てたいようです。だから、墓地イコール戦場なのです。第一次世界大戦がこのような平地、見晴らしの良い所で行われたのがよくわかりました。

印象深かったのが、フランスから土地の提供を受けたカナダ政府の記念公園、Vimy です。コンクリートで固めた塹壕が残っています。そして、そのすぐそばに Vimy の巨大な記念建造物があります。

そして、その地区(Arras)(フランス)を出発して1時間ちょっとでホームステイ先の Kortrijk(コルトレイク)へ到着しました。国境を越えてベルギーに入っています。ホストファミリーが紹介され、私はニュージーランド女性のカトリーヌと同じファミリーに配属されました。彼女は私と同じ1971−72年にアメリカ、それも同じニューヨーク州西部へ留学したのでした。でも、バス旅行の行先が違うということで、会ったことがないと判明しました。

奥さん(ジャニーン)が迎えに来てくれていて、車で30分ほどの Tielt の自宅へ案内してくれました。ご主人も家にいました。この辺りはフランドル地方と言ってオランダ語圏で、食事は質素です。AFSのいいところで、関係者はみんな高校留学を経験したり、世話をしたりしていますので、初対面でも話が合います。よくあるパターンで、奥さんのジャニーンの方が英語も上手で饒舌です。彼女はAFSのボランティアを普段からしていて、日本人の女子の経験もあるようでした。おとなしくていい子だけど、何をしたいのかハッキリ言わないので困ったと感想を述べていました。


【11月10日(月)】
今日の目的地はYpres(Ieper)(イーペル)です。念のために再度書きますと、昨日からは国境を越えてベルギーで、西フランドル地方(オランダ語圏)のホストファミリー宅に滞在しています。本来の集合場所はコルトレイクですが、ホストファミリーによるとティールトからは直接行った方が早いということでした。夜戻って来るメニン門の近くに駐車して、ホストの奥さんとカトリーヌと3人で行きました。今日はホストの家族もたくさん一緒に参加するので、バスは3台のようで、私のバスは2番でした。ホストの奥さんとカトリーヌは別のバスでした。

私のバスは最初に近くの墓地をまた回りました。一つは Studentenfriedhof といいドイツの墓地でした。実際には、集められた学生の素人軍隊で全滅したのに、ドイツ軍が国民を鼓舞するために、大勝利をおさめたとプロパガンダに使ったようです。昼食は Munchenhof という場所で、さすがに予想通りハムとチーズだけの質素なサンドイッチでした。国と地域によって、こんなにも食習慣が違うのです。やはり、昨日までのフランスとは違います。

インド人の若い女性がやって来て、日本の静岡に行ったことがあると話しかけてきます。よく聞くと、私が医師として参加した JENESYS というプログラム(AFSの留学制度の一環)で日本へ短期留学していた生徒でした。私がその時の「空飛ぶドクター」(Flying Doctor)だと知ってビックリしていました。

次に、年齢も近いペルーの女性が日本人と知り私に近づいて来ました。ちなみに、どうも今回の80人くらいの参加者で私が唯一の日本人のようでした。私より4年後の1975年からカリフォルニア州にAFSで留学したそうでその時に仲が良かった日本人に Y.Yamada という人がいて、是非連絡先を調べて欲しいというのでした。私たちの時代には、電子メールやフェイスブックはなく、母国に帰った後、みんな大学に進学したりして実家を離れ住所が変わります。現在の便利な e-mail に対比して「かたつむり」郵便(snail mail)と揶揄される時代では、お互いに音沙汰がなくなるのです。気持ちはよくわかります。おせっかいな私は帰国後、律儀に調べてあげました。幸い、個人情報などがうるさくない1999年の最後のAFS名簿があり、年度がわかるので容易に上記のYamada さんの情報が手に入りました。自宅は引っ越していましたが、会社名から転勤したのが想像でき、会社に電話して事情を言うと、間接的に連絡してくれ、向こうから電話があり、ペルーの女性の名前とメールアドレスを教えてあげました。当然、Yamada さんもクリスマスプレゼントだと喜んでくれました。

私としても、今回のバス旅行では見ず知らずの人とはいえ、AFSという共通の留学体験をした「仲間」の集まるユニークな旅行であり、AFSらしくホームステイもでき、今回のこのようなエピソードをむしろ期待していました。

次に、In Flanders Fields Museum という変な名前の博物館へ行きました。英語だし、変な名前なので不思議に思い尋ねると、このタイトルの有名なカナダ人による英語の詩があり、それから命名したようです。第一次世界大戦の悲惨さを強調した展示でした。広島の原爆資料館のようなものです。

夕食は昼食と同じレストランで、予想通りたいした食事ではありません。ベルギーでもオランダ語圏の食事はこんなものなのでしょう。でも、その時に話をしたフランスのAFSの関係者の若い男性は見識が高く、日本のことをかなり詳しく知っていてビックリしました。囲碁のことも詳しいし、日本のテレビ番組「孤独のグルメ」も見て知っているようでした。

夕食後、バス3台でメニン門へ戻り、午後8時からの last post ceremony を見学に行きました。長年毎晩行われているようです。イギリスの伝統らしく、もともとは軍隊で一日の終わりのラッパや音楽の儀式で行進もあります。メニン門にはぎっしりと戦争で亡くなった兵士たちの名前が記載されています。永遠に一日が終わった人々(つまり、死者)に対する儀式のようです。

終わった後、9時半過ぎからボランティアによるパーティがありましたが、カトリーヌと私と意見が合い、疲れるのでパーティは辞退して、ジャニーンと3人で家に帰りました。


【11月11日(火)】
いよいよホストファミリーとお別れです。今朝はコルトレイクにみんな集まり、最初の大型バス1台に戻り一気に首都のブリュッセルへ1時間ほどで移動です。この旅行中に色々な人と知り合え楽しいのですが、アフリカの黒人女性と話しているとガーナからで、ガーナからもAFS高校留学生が日本へ昨年から来ていることを知りました。最近、南アフリカ共和国から来ているのは知っていて、いよいよアフリカとも交流が始まったのは知っていましたが。

昼食は Theater Toone という道化師のいるブリュッセルのレストランで、さすがに今までよりはましなまともな昼食でした。どうも、以前に来たことのある繁華街にあります。午後は、希望者別に色々な8つくらいのグループに分かれ、現地のボランティアの案内で色々な催し物に参加しました。私は、有名な(Victor?)建築家の家を歩いて見て廻るグループで、それなりに面白かったです。6時頃にはこの夜の宿泊地、何とユースホステル(Jacques Brel Youth Hostel) へチェックインします。ある女性は生まれて初めてユースホステルに泊まると嘆いていました。私は若い頃以来久しぶりです。ある意味、昨日までのホームステイとの落差はかなりです。

チェックインで時間がある時に、ずっと気になっていた可愛い娘さんと一緒のアルゼンチン人の男性に声を掛けました。自己紹介して名刺交換すると、自分も医者だと教えてくれました。娘さんはアメリカへ留学して英語の教師をしていると言います。メンドーサに住んでいて、隣国チリの首都・サンティアゴにやや近いと言います。私の頭の中では、いつか遊びに行こうと考えています。ちょうど行ってみたかったチリにも近いと言うしラッキーです。私の特徴は、こういう機会に知り合った人の所へ実際に遊びに行きます。

夜は近くのホテルの立派な会場で歓迎パーティです。ドレスコードもフォーマルで私も珍しくネクタイをしました。パリでの Gala と今回はネクタイが必要です。記念に売っていたAFSの100周年ロゴ入りジャンパーを買いました。安物(もちろん made in China!)の割には、40ユーロもしますが、記念だし、雨用のフードが付いたのが欲しかったのでちょうどよかったです。Dinner in the Dark と呼び、目隠して最初にパスタのようなものを口に入れました。AFSらしく「未知の体験」ということでしょうか?食事もコース料理で美味しかったです。

私が唯一の日本人だということか、日本に留学経験のある人などが何人か挨拶に来てくれました。最後に挨拶に来た年配の人は京都大学で教えていたというだけあり、日本語も完璧でビックリしました。相当なインテリのようです。パーティが終わる前に、もう一軒とお誘いを受けたのですが、疲れていたので残念ながらお断りしました。

来る時はみんなで地下鉄で来たのですが、もう帰りは地下鉄もない時間で、数人とタクシーに乗りユースホステルへ帰りました。部屋は2段ベッド二つで、3人でしたが、当然の如く、先にチェックインした2人が下の段でした。私は面倒ですが、上の段です。最近、夜中に一度はトイレに立つし、共同トイレしかないので少し面倒でした。ルームメートはロシア人とノルウェー人でした。


【11月12日(水)】
いよいよツアー最終日です。ユースホステルですが、朝食は付いていて結構豪華でした。その時、また知り合いに会いました。やはりAFSのJENESYSに参加したフィリピン人の女の子で、フェイスブックで友だちになっている娘にバッタリ会いました。友達の女性と男性と一緒でした。

ブリュッセル市内のEU(欧州連合)議会見学です。会場の入り口で待っている間に、見慣れない現地のAFSボランティアらしい若い女性たちがいます。一人は見慣れたカタツムリマークのカバンを持っているので、イタリアのブラに行ったことがあるけどひょっとしてイタリア人?と尋ねると、正にブラから来たと言います。お姉さんがブラのスローフード協会で働いているそうです。数年前に、スローフード協会に興味があるのでブラへ行ったことがあるというとビックリしていました。おかげで、片言のイタリア語で喋れました。

さすがにAFSリターニーは多方面で活躍しているようで、EUの説明をしてくれたのが、職員の男性で本業は元々獣医師だそうです。次に、同じくリターニーであるEU女性議員が挨拶して、EUの内情を説明してくれました。特別に、EU議事場も見学させてくれました。後日談ですが、しかも私にとってはよくあることですが、同じ会場で数日後にローマ法王が挨拶していたのでニュースになっていました。

その後、Parlementarium と呼ばれる場所へ移動しました。そこには、ヨーロッパの歴史やEUの歴史が説明されていました。各自、イヤフォンで音声案内を聞きながら会場を回ります。

そして、いよいよ4日間の楽しいツアーも終わりました。ここベルギーのブリュッセルで解散です。色々な予定の人がいるだろうからと、わざわざ出発地パリへ戻らずここで解散なのです。私は、明日のブルガリア・ソフィアへ行くためにこの日のうちにパリへ戻ればいいだけです。

3度目ですが、予定通り少しブリュッセル市内観光します。と言っても、全部以前に行ったことがある所ばかりです。まずは、グラン・プラスの大広場です。次に、泌尿器科医としてははずせない小便小僧です。オランダ語でマネケン・ピス (Manneken Pis) と呼ばれていますし、名前をジュリアン君と言うそうです。実は、近くに小便小娘があります。1997年頃作られたようで、何故か開放的な小便小僧と違い、檻の中です。少女がしゃがんでオシッコしています。ジャンネケ・ピス (Jeanneke Pis) と言います。妹という設定のようです。人だかりの小便小僧と違い、小便小娘はあまり人気がありません。ユーモラスなおちんちんの男の子と陰にこもる臓器である少女の差かもしれません。

そこで、写真を撮っているフィリピン人の男子に再会しました。今朝、共通の友達で紹介されたばっかりです。どうせ暇なので、おごってあげるから一緒にムール貝でも食べようと誘いました。彼はロシアに留学中のようです。昨日も通ったこの辺りにはレストランが沢山あります。以前歩いた記憶があります。世界中を回った私ですが、同じ都市に行くと、結局同じ場所に行くことがよくあります。途中で、今回パリでムール貝を食べた Leon de Bruxelles を見つけました。名前通り、ここブリュッセルのレストランが本店でしょう。

そして、一緒に地下鉄に行こうとしましたが、彼のスマホのGPSを信用すると、中々着きません。本来は近くに駅があるはずですが。20分も歩かされました。急がないからいいのですが・・・ でも、おかげで今まで見たことのない立派な教会の前に出くわしました。St.Michael & St.Gudula Cathedral(聖ミカエルと聖デュル)と言う大聖堂のようです。名前通り、二つの塔でできた教会です。

地下鉄でパリ行きTGV高速列車の乗り場へ行ったのですが、下りのエスカレーターで後ろの若者にぶつかったように感じたのですが、何とリュックサックのチャックが開けられています。幸い、パソコンも取られていません。ずっと、AFSの人たちといて、気分的に少し油断していたかもしれません。危うく、歩きながらリュックからパソコンを盗まれた2月のナポリの二の舞になるところでした。やはり、リュックのチャックは真上ではなく、開けにくい下の方にもってこないといけません。

たぶんTGVなら遠くないと計算していましたが、やはり午後5時37分のに乗り、6時59分にはパリへ着きました。1時間20分程度で首都から首都への移動です。前回と違う安宿へ泊りました。今回の旅行の2/3が終りました。つまり、パリ滞在とバス旅行が終りました。残すはブルガリア・ソフィア旅行です。


(「パリからブルガリアへの旅」へ続く)


旅行の満足度
4.5
同行者
社員・団体旅行
交通手段
観光バス
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配

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  • JALビジネスクラス機内

    JALビジネスクラス機内

  • 豪華な和食(機内食)

    豪華な和食(機内食)

  • 機内食(ご飯とみそ汁と魚料理)

    機内食(ご飯とみそ汁と魚料理)

  • 機内食のラーメン

    機内食のラーメン

  • セーヌ河とエッフェル塔

    セーヌ河とエッフェル塔

  • セーヌ河の橋にも彫刻が

    セーヌ河の橋にも彫刻が

  • シテ島にあるノートルダム寺院

    シテ島にあるノートルダム寺院

  • Leon de Bruxelles でのムール貝料理、potatoes と

    Leon de Bruxelles でのムール貝料理、potatoes と

  • モンパルナス・タワーからの眺め

    モンパルナス・タワーからの眺め

  • モンパルナス・タワーからの眺め

    モンパルナス・タワーからの眺め

  • モンパルナス・タワーから大きな墓地が見える

    モンパルナス・タワーから大きな墓地が見える

  • 夕方のシャンゼリゼ大通り

    夕方のシャンゼリゼ大通り

  • 凱旋門

    凱旋門

  • Crazy Horse

    Crazy Horse

  • 夜のエッフェル塔

    夜のエッフェル塔

  • AFS Returnee Day 会場

    AFS Returnee Day 会場

  • ジャズ<br />バックに当時のAFSのジープのスライド

    ジャズ
    バックに当時のAFSのジープのスライド

  • ジャズ

    ジャズ

  • インドネシアの伝統ダンス<br />サマン・ダンス

    インドネシアの伝統ダンス
    サマン・ダンス

  • サマン・ダンサーと共に

    サマン・ダンサーと共に

  • Chez Jenny<br />アルザス料理レストラン

    Chez Jenny
    アルザス料理レストラン

  • あまり美味しくなかったが、すごいボリューム

    あまり美味しくなかったが、すごいボリューム

  • 味はともかく、楽しく会食

    味はともかく、楽しく会食

  • 朝の魚屋

    朝の魚屋

  • UNESCO からの眺め<br />エッフェル塔

    UNESCO からの眺め
    エッフェル塔

  • UNESCO 会場でのイベント

    UNESCO 会場でのイベント

  • UNESCO 会場でのイベント

    UNESCO 会場でのイベント

  • AFS Gala のダンサー

    AFS Gala のダンサー

  • Gala<br />イギリス人のご主人<br />スウェーデン人の2人

    Gala
    イギリス人のご主人
    スウェーデン人の2人

  • AFSリターニー女性とご主人

    AFSリターニー女性とご主人

  • 前夜も一緒だった<br />スウェーデン人の金髪3人と

    前夜も一緒だった
    スウェーデン人の金髪3人と

  • Somme 墓地(Bony)

    Somme 墓地(Bony)

  • Notre-Dame de Lorette のレストラン<br />(フィリピン人)

    Notre-Dame de Lorette のレストラン
    (フィリピン人)

  • フランス北部に現在留学中の高校生と<br />アメリカ人とロシア人

    フランス北部に現在留学中の高校生と
    アメリカ人とロシア人

  • Notre-Dame de Lorette 墓地

    Notre-Dame de Lorette 墓地

  • Notre-Dame de Lorette 墓地

    Notre-Dame de Lorette 墓地

  • Vimy 塹壕

    Vimy 塹壕

  • Vimy 墓地のモニュメント

    Vimy 墓地のモニュメント

  • Vimy 墓地のモニュメント

    Vimy 墓地のモニュメント

  • Vimy 墓地のモニュメント前で記念写真

    Vimy 墓地のモニュメント前で記念写真

  • ホームステイ先

    ホームステイ先

  • メニン門前<br />ジャニーンとカトリーヌ<br />(ベルギー人)(ニュージーランド人)

    メニン門前
    ジャニーンとカトリーヌ
    (ベルギー人)(ニュージーランド人)

  • イーペルの街並み

    イーペルの街並み

  • アルゼンチン人の親子

    アルゼンチン人の親子

  • 美女に囲まれて

    美女に囲まれて

  • 夜のメニン門<br />中で last post ceremony が

    夜のメニン門
    中で last post ceremony が

  • メニン門<br />last post ceremony

    メニン門
    last post ceremony

  • お世話になった<br />ホストファミリーと

    お世話になった
    ホストファミリーと

  • お別れの朝<br />コルトレイクの会場

    お別れの朝
    コルトレイクの会場

  • バスの中で<br />ガーナ人の女性と

    バスの中で
    ガーナ人の女性と

  • バスの中で<br />イギリス人夫妻

    バスの中で
    イギリス人夫妻

  • アルゼンチン人のみなさんと共に

    アルゼンチン人のみなさんと共に

  • ブリュッセル

    ブリュッセル

  • 有名な建築家の家

    有名な建築家の家

  • ボリビア人とオーストリア人

    ボリビア人とオーストリア人

  • Dinner in the Dark

    Dinner in the Dark

  • Dinner in the Dark<br />美味しかった料理

    Dinner in the Dark
    美味しかった料理

  • EU(欧州連合)の建物

    EU(欧州連合)の建物

  • イタリア人の二人と<br />EU前で

    イタリア人の二人と
    EU前で

  • EU内部<br />ブラジル人

    EU内部
    ブラジル人

  • EU議事堂

    EU議事堂

  • ご存じ小便小僧

    ご存じ小便小僧

  • 檻に入った<br />小便小娘

    檻に入った
    小便小娘

  • グラン・プラス

    グラン・プラス

  • フィリピン人と<br />ムール貝を

    フィリピン人と
    ムール貝を

  • St. Michael &amp; St. Gudula Cathedral<br />(聖ミカエルと聖デュル大聖堂)

    St. Michael & St. Gudula Cathedral
    (聖ミカエルと聖デュル大聖堂)

  • TGV

    TGV

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