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正月早々、雪が降った。それも元日京都。<br />気が付いたのは、夕方3時。もう暗くなる。いけない。残念<br />結構降っていたので、翌日かねてからの懸案である宇治の平等院に行く。<br />読みは、金閣寺より並ばないので、朝8時現地着で出撃できる。初詣客も<br />朝7時前なら動かんだろうと思い淀屋橋7時前の急行に乗る。<br />寒い・・・こんな寒い電車は始めてである。暖房が壊れているのか冷え切っている。<br />恐るべし京阪。客は寒そうに座っているだけ。<br />寝屋川あたりから真っ白。<br /> 中書島につくと雪の中。<br />宇治線に乗るとカメラマンがちらほら。みんな平等院らしい。<br />宇治行きの各停はぬくかった。<br />宇治川の橋はバリバリに凍っている。長靴正解。<br />何とか平等院へ。20名ほど並んでいる。金閣寺より少ない。<br /> しかし初めて平等院の中に入るのだが、雪の日とは藤原頼通もご存じないであろう。<br />素晴しい景色が合った。ただ人がそれなりに来るので、人でなしの写真は難しい。<br />それとベストポイントでは、広角レンズ17mm(APSC)では入らないので注意。<br />後ろに下がると群れた人を撮るだけになるので注意が必要です。<br />そうそうここは三脚Okみたいですが邪魔邪魔。<br />結構昼からは、逆光になりそうなロケーションでした。冬は朝の一番がいいのでしょう。<br /> さて解説の土門拳先生 お願いします。<br />どんどん時が過ぎてゆく、早く早く。鳳凰堂が動いてゆくよ。<br />早く早く。一瞬の光景が大事だ。<br /><br />「平等院鳳凰堂夕焼け」/1961年、105×75cm。<br />平等院での撮影を終え、夕方カメラをたたんで帰ろうとした時、金色に輝く茜雲を背に鳳凰堂が目くるめくはやさで走っているのに気づき、大急ぎで撮った、たった1枚きりの写真。<br /><br /> これを撮ったときはあせったんだ。君もしっかり撮るんだ。数じゃない一瞬だよ!!早く早くいい場面は刻々と変わる。<br /><br /> <br /> 土門拳は、「被写体も撮られる視点を持っている」と言っています。「自分が被写体に対峙し、にらみつけ、時には語りかけ、被写体が自分をにらみつけてくる視点をさぐる、そして火花が散る、二つの視点がぶつかった時がシャッターチャンスだ」とも言っています。<br /> そういった真剣勝負の火花を散らして撮った、言わば魂のぶつかり合った仏像や寺院の写真なればこそ、深く心に響いて来るのです。<br /> 後に雪の室生寺を写すのに、雪が降らず、幾日も幾日も待って、もうこれが最後という日の朝に雪が降って、涙を流して喜んだというエピソードも聞きました。それがきっと、うっすら雪の積もった「室生寺金堂全景」などなのでしょうし、先のたった一枚しか撮れなかったというのは、「平等院鳳凰堂夕焼け」なのでしょう。<br /><br />私 そうそう先生 雪の室生寺は私2回も行きましたよ。<br /><br />数じゃない、一瞬だよ。ちなみに私は鳳凰堂の内部も撮っているんだ。君は・・・・<br /><br />私 撮影禁止ですやん・・・・<br /><br />時代だよ時代。 すべては一瞬だ。<br /><br />私 くそ・・・・・・・・<br /><br /><br />写真の出来は後を見てください。しかし土門拳に雪の平等院を撮らせたらどうなっていたか見たかったと思う。<br />ねえ入江先生<br /><br />入江 わしは奈良中心<br /><br /><br />平等院 http://www.byodoin.or.jp/<br /><br /> 最後に思うのであるが、藤原さんうまいこと節税しはったと思う。<br />ここは別荘。当時も税金がかかるがこれを寺にして自分の荘園を寄進したようにし、朝廷からの納税を減らした背景があると私はにらんでいる。転んでもただでは起きない富裕層である。<br /><br />平等院<br /> 平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。<br /> <br />平等院の創建 <br /> 浄土式庭園と鳳凰堂京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。<br /><br /><br />現在の平等院 <br /> 現在の平等院は、天台宗系の最勝院、浄土宗の浄土院という2つの寺院(共に鳳凰堂の西側にある)が共同で管理している。浄土院は明応年間(1492年 - 1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681年)、寺社奉行の裁定によるものである。宗教法人平等院の設立は昭和28年(1953年)である。<br /><br />1990年代以降、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾のコンピュータグラフィックスによる再現などが行われている。平成13年(2001年)にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」がオープンした。建築家栗生明は、鳳翔館(新建築 平成13年(2001年)9月号)の設計で、日本芸術院賞を受賞している。<br /><br />平成8年(1996年)から平成9年(1997年)にかけて、鳳凰堂の右後方に15階建てのマンション2棟が建ち、見る方向によっては鳳凰堂の背景になってしまっている。創建当初からの風致が大きく損なわれ、これが景観法施行前の平成14年(2002年)に宇治市都市景観条例が制定されるきっかけとなった。当面の対策として平等院境内にクスノキが植樹されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、鳳凰堂背景の景観を阻害しているマンションを完全に隠すことが期待されている。<br /><br />平成24年(2012年)9月3日から平成26年(2014年)3月31日まで屋根の葺き替え・柱などの塗り直し修理が行われた。この間、鳳凰堂内部の観覧は出来なくなっていた。平成26年10月1日、落成式が行われ修理工事が完了した。<br /><br />平等院鳳凰堂は天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂である。「鳳凰堂」の呼称は後世のもので、平安時代の記録では「阿弥陀堂」あるいは単に「御堂」と呼ばれている。堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の延宝8年(1680年)の刻銘に「平等院鳳凰堂」とあり、江戸時代には「鳳凰堂」の呼称があったことがわかる。江戸時代の地誌『山州名跡志』(正徳元年・1711年)にも「鳳凰堂」とみえる。<br /><br /> 本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作である。本尊を安置する須弥壇は螺鈿(らでん)や飾金具で装飾されていたが、螺鈿はすべて脱落している。現状では剥落が著しいが、堂内の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。長押(なげし)上の壁には楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)があり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(てんがい)を吊る。<br /><br /> 鳳凰堂には52049枚の瓦が使用されており、建立当時は木製瓦を使った木瓦(こがわら)葺きだったが、約半世紀後の康和3(1101)年の修理で粘土瓦を使った総瓦葺きに改修された。粘土瓦は平等院の荘園であった「玉櫛荘(たまくしのしょう)」(現在の大阪府八尾市)の向山瓦窯跡で1100年初頭に製造されたとされ、2012年9月に始まった改修作業でも平安期の陶器瓦がまだ1560枚そのまま屋根に残っていることが確認された。<br /><br /><br />

ないでしょ。雪の平等院鳳凰堂(写真集) 激戦!!宇治川の戦い。

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2015/01/02 - 2015/01/02

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bakaneko

bakanekoさん

正月早々、雪が降った。それも元日京都。
気が付いたのは、夕方3時。もう暗くなる。いけない。残念
結構降っていたので、翌日かねてからの懸案である宇治の平等院に行く。
読みは、金閣寺より並ばないので、朝8時現地着で出撃できる。初詣客も
朝7時前なら動かんだろうと思い淀屋橋7時前の急行に乗る。
寒い・・・こんな寒い電車は始めてである。暖房が壊れているのか冷え切っている。
恐るべし京阪。客は寒そうに座っているだけ。
寝屋川あたりから真っ白。
 中書島につくと雪の中。
宇治線に乗るとカメラマンがちらほら。みんな平等院らしい。
宇治行きの各停はぬくかった。
宇治川の橋はバリバリに凍っている。長靴正解。
何とか平等院へ。20名ほど並んでいる。金閣寺より少ない。
 しかし初めて平等院の中に入るのだが、雪の日とは藤原頼通もご存じないであろう。
素晴しい景色が合った。ただ人がそれなりに来るので、人でなしの写真は難しい。
それとベストポイントでは、広角レンズ17mm(APSC)では入らないので注意。
後ろに下がると群れた人を撮るだけになるので注意が必要です。
そうそうここは三脚Okみたいですが邪魔邪魔。
結構昼からは、逆光になりそうなロケーションでした。冬は朝の一番がいいのでしょう。
 さて解説の土門拳先生 お願いします。
どんどん時が過ぎてゆく、早く早く。鳳凰堂が動いてゆくよ。
早く早く。一瞬の光景が大事だ。

「平等院鳳凰堂夕焼け」/1961年、105×75cm。
平等院での撮影を終え、夕方カメラをたたんで帰ろうとした時、金色に輝く茜雲を背に鳳凰堂が目くるめくはやさで走っているのに気づき、大急ぎで撮った、たった1枚きりの写真。

 これを撮ったときはあせったんだ。君もしっかり撮るんだ。数じゃない一瞬だよ!!早く早くいい場面は刻々と変わる。

 
 土門拳は、「被写体も撮られる視点を持っている」と言っています。「自分が被写体に対峙し、にらみつけ、時には語りかけ、被写体が自分をにらみつけてくる視点をさぐる、そして火花が散る、二つの視点がぶつかった時がシャッターチャンスだ」とも言っています。
 そういった真剣勝負の火花を散らして撮った、言わば魂のぶつかり合った仏像や寺院の写真なればこそ、深く心に響いて来るのです。
 後に雪の室生寺を写すのに、雪が降らず、幾日も幾日も待って、もうこれが最後という日の朝に雪が降って、涙を流して喜んだというエピソードも聞きました。それがきっと、うっすら雪の積もった「室生寺金堂全景」などなのでしょうし、先のたった一枚しか撮れなかったというのは、「平等院鳳凰堂夕焼け」なのでしょう。

私 そうそう先生 雪の室生寺は私2回も行きましたよ。

数じゃない、一瞬だよ。ちなみに私は鳳凰堂の内部も撮っているんだ。君は・・・・

私 撮影禁止ですやん・・・・

時代だよ時代。 すべては一瞬だ。

私 くそ・・・・・・・・


写真の出来は後を見てください。しかし土門拳に雪の平等院を撮らせたらどうなっていたか見たかったと思う。
ねえ入江先生

入江 わしは奈良中心


平等院 http://www.byodoin.or.jp/

 最後に思うのであるが、藤原さんうまいこと節税しはったと思う。
ここは別荘。当時も税金がかかるがこれを寺にして自分の荘園を寄進したようにし、朝廷からの納税を減らした背景があると私はにらんでいる。転んでもただでは起きない富裕層である。

平等院
 平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
 
平等院の創建
 浄土式庭園と鳳凰堂京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。


現在の平等院
 現在の平等院は、天台宗系の最勝院、浄土宗の浄土院という2つの寺院(共に鳳凰堂の西側にある)が共同で管理している。浄土院は明応年間(1492年 - 1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681年)、寺社奉行の裁定によるものである。宗教法人平等院の設立は昭和28年(1953年)である。

1990年代以降、庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂堂内装飾のコンピュータグラフィックスによる再現などが行われている。平成13年(2001年)にはそれまでの「宝物館」に代わり、「平等院ミュージアム鳳翔館」がオープンした。建築家栗生明は、鳳翔館(新建築 平成13年(2001年)9月号)の設計で、日本芸術院賞を受賞している。

平成8年(1996年)から平成9年(1997年)にかけて、鳳凰堂の右後方に15階建てのマンション2棟が建ち、見る方向によっては鳳凰堂の背景になってしまっている。創建当初からの風致が大きく損なわれ、これが景観法施行前の平成14年(2002年)に宇治市都市景観条例が制定されるきっかけとなった。当面の対策として平等院境内にクスノキが植樹されており、この木が高さ10メートルまで成長すると、鳳凰堂背景の景観を阻害しているマンションを完全に隠すことが期待されている。

平成24年(2012年)9月3日から平成26年(2014年)3月31日まで屋根の葺き替え・柱などの塗り直し修理が行われた。この間、鳳凰堂内部の観覧は出来なくなっていた。平成26年10月1日、落成式が行われ修理工事が完了した。

平等院鳳凰堂は天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂である。「鳳凰堂」の呼称は後世のもので、平安時代の記録では「阿弥陀堂」あるいは単に「御堂」と呼ばれている。堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の延宝8年(1680年)の刻銘に「平等院鳳凰堂」とあり、江戸時代には「鳳凰堂」の呼称があったことがわかる。江戸時代の地誌『山州名跡志』(正徳元年・1711年)にも「鳳凰堂」とみえる。

 本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作である。本尊を安置する須弥壇は螺鈿(らでん)や飾金具で装飾されていたが、螺鈿はすべて脱落している。現状では剥落が著しいが、堂内の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。長押(なげし)上の壁には楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)があり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(てんがい)を吊る。

 鳳凰堂には52049枚の瓦が使用されており、建立当時は木製瓦を使った木瓦(こがわら)葺きだったが、約半世紀後の康和3(1101)年の修理で粘土瓦を使った総瓦葺きに改修された。粘土瓦は平等院の荘園であった「玉櫛荘(たまくしのしょう)」(現在の大阪府八尾市)の向山瓦窯跡で1100年初頭に製造されたとされ、2012年9月に始まった改修作業でも平安期の陶器瓦がまだ1560枚そのまま屋根に残っていることが確認された。


旅行の満足度
5.0

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  • 中書島感動である。

    中書島感動である。

  • 宇治の橋。凍結で車は動けず、停めてチェーンを巻くものが多い

    宇治の橋。凍結で車は動けず、停めてチェーンを巻くものが多い

  • 護岸工事で風情が台無しである

    護岸工事で風情が台無しである

  • さあ平等院に突入

    さあ平等院に突入

  • 開門30分前。金閣なら100m以上の列が出来ている。

    開門30分前。金閣なら100m以上の列が出来ている。

  • 中は期待できそうな気配が。わくわくする。

    中は期待できそうな気配が。わくわくする。

  • いきなりこれですよ。

    いきなりこれですよ。

  • 雪の日の素晴しいのは、美しい場所がさらに輝くところである。

    雪の日の素晴しいのは、美しい場所がさらに輝くところである。

  • もう何も申し上げることはございません。鳳凰堂をご覧ください。

    もう何も申し上げることはございません。鳳凰堂をご覧ください。

    平等院 寺・神社・教会

    グチャグチャ言わずに雪の日に行け 最高の平等院鳳凰堂 by bakanekoさん
  • 木々の間から見るのも一興

    木々の間から見るのも一興

  • 正面からは広角(17mm)で撮れない。後に下がると撮る事が出来るが、が前が人で埋まるので画にならない。

    正面からは広角(17mm)で撮れない。後に下がると撮る事が出来るが、が前が人で埋まるので画にならない。

  • 正面向いて左から撮影。ここなら全景が入る。

    正面向いて左から撮影。ここなら全景が入る。

  • この方向は、曇っていないと逆光になり大変である。正面が東向きになる。

    この方向は、曇っていないと逆光になり大変である。正面が東向きになる。

  • ここを通って内部拝観。20分ごとで300円。人のいないときがシャッターチャンス

    ここを通って内部拝観。20分ごとで300円。人のいないときがシャッターチャンス

  • ひたすら画になる。なんというかカッコエエ

    ひたすら画になる。なんというかカッコエエ

  • 何度も何度も鳳凰堂を回るが、風景がくるくる変わる。才能がないのだろう決め写真が出ない。その上、露出オーバーが多発し技術もないのが今回さらに判明した。

    何度も何度も鳳凰堂を回るが、風景がくるくる変わる。才能がないのだろう決め写真が出ない。その上、露出オーバーが多発し技術もないのが今回さらに判明した。

  • 実は手前の雪は、加工した。雪が踏み荒らされ汚かった。

    実は手前の雪は、加工した。雪が踏み荒らされ汚かった。

  • ここも撮影ポイント。三脚を置いているやつがいたが本人はいない。困ったものである。

    ここも撮影ポイント。三脚を置いているやつがいたが本人はいない。困ったものである。

  • 凛々しい

    凛々しい

  • 平等院鳳凰堂 阿弥陀如来坐像前庭より見上げ

    平等院鳳凰堂 阿弥陀如来坐像前庭より見上げ

  • ミュージアム ここも中は撮れない

    ミュージアム ここも中は撮れない

  • このアングルで土門は撮っていたと思う

    このアングルで土門は撮っていたと思う

  • これが土門拳の写真。一瞬で情景が変わるのが判る。

    これが土門拳の写真。一瞬で情景が変わるのが判る。

  • つららもええ感じ

    つららもええ感じ

  • 青空に雪をかぶった鳳凰。頭に羽飾りが欲しかった

    青空に雪をかぶった鳳凰。頭に羽飾りが欲しかった

  • また回ってきました

    また回ってきました

  • 堂内に入る前に

    堂内に入る前に

  • このとおり源三位頼政の墓

    このとおり源三位頼政の墓

  • 法皇にだまされたのか

    法皇にだまされたのか

  • さあ撤収

    さあ撤収

  • ええもん見せてもらいました。頼道さんありがとう。

    ええもん見せてもらいました。頼道さんありがとう。

  • 宇治川上流を見る

    宇治川上流を見る

  • 結構急流である

    結構急流である

  • 京阪宇治の駅で

    京阪宇治の駅で

  • 昼からは晴れ

    昼からは晴れ

  • 雪もようやく溶けかけ・・・翌日また降るとは

    雪もようやく溶けかけ・・・翌日また降るとは

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この旅行記へのコメント (1)

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  • shinさん 2015/01/26 23:28:56
    雪の平等院すばらしいですね
    コメント読みきれませんでした。
    写真の枚数にも圧倒されました。
    見ごたえあるものばかりです。
    圧巻です。

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