2014/04/14 - 2014/04/14
13位(同エリア115件中)
前日光さん
叡福寺を見た後、いよいよ「竹内(たけのうち)街道」散策を開始した。
※竹内街道…大阪府堺市と奈良県橿原市とを結ぶ古来の主要道。
司馬遼太郎「街道をゆく夜話」より
「。。。この竹ノ内街道は、飛鳥時代もしくはそれ以前から、大和盆地の政権にとって、唯一の官道だった。飛鳥期は蘇我氏の時代といってもよく、その蘇我氏はこの山麓に蟠踞(ばんきょ)し、この赭土(あかつち)の官道をにぎっていた。この官道ははるかに難波ノ津に通じ、難波ノ津には韓(から)とも唐とも知れぬ蕃船(ばんせん)が入津し、異国の神はきらきらしといわれた仏像その他の文物を運んできては、揚陸した。それらの文物はこの官道ををつたって竹ノ内峠を越え、大和に入る。その導入についての権利(とも能力ともつかぬ)機能を蘇我氏がそなえていたということを少年期をすぎるころに知って、この風景に、きわめて奇妙なことながら、異国がかぶさるようになった。。。」
1976年11月の「藝術新潮」に掲載された、この『竹ノ内街道こそ』という文章を読んで以来、竹内街道は、私にとって長い間憧憬して止まない地であった。
今回、生駒山や叡福寺にやって来たのは、河内の方から大和に向かって、竹内街道を歩くという目的からである。
本当は奈良県西部から大阪府東部に向かって歩きたかったのだが、そちらの方が道が険しいので体力のない私には無理だろうと、相棒殿が判断したのだった。(しかし、私はいつの日かまた奈良から大阪方面に向かって歩こうと密かに思っている(^_-))
- 旅行の満足度
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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-
「太子和みの広場」の東側、道路を横断した辺りにあった標識。
-
この町のマンホール。
この他にも道案内板や、交通標識「飛び出し注意」などにも聖徳太子の漫画バージョンがあちこちに。 -
「太子中学校」というのもあった。
奈良の飛鳥よりも、こちらの方が名前やイラストなど、聖徳太子で満ちあふれていたように思う。
住民の方々は、日常的に聖徳太子に親しんでいるのではないだろうか。 -
その太子町の街並み。
暖かな春の日差しの中で、のんびりとまどろんでいるような空気感が漂っていた。 -
用明天皇陵。
聖徳太子の父、第31代天皇。
東西65m、南北60m、高さ10mの方墳。
方墳としての規模は、かなり大きいらしい。 -
再び太子中学校周辺まで引き返し、このような標識を見かけたが「近つ飛鳥博物館」に行く時間はなかった。
またこの日は月曜日だったので、行ったとしても博物館は休館日で、行かなかったのは正解だった。
それにしても竹内街道への道が、少し前のガイドブックを参考にしていたので、その案内書の地図には載っていない道ができていたりして、わかりにくくなっていた。
散歩中らしき地元の方に訪ねたところ、「スーパーサンプラザ太子店」という所に出て、そこから歩くといいと言われて、やっと出発点に辿り着くことができた。 -
そのスーパー近くにあった「竹内街道」の目印。
-
思ったよりもずっと整備されていて、司馬氏があの文章を書いた頃の寂しい雰囲気とは異なるような気がした。
-
地元の方も観光に力を入れているらしく、整然とした街並みが続いていた。
それはそれでいいのだろうが。。。 -
こういった史跡を訪ねていつも襲われる整備されすぎたことに対する失望感が、ここでもあったが、この時代、少しでも何かアピールするものがあれば、それに力を入れ、その場所を訪れる者のためによりよくしようとする方向性は、無理もないことなのだろう。
そうは言っても、私は司馬氏が「竹内街道」を紹介した1970年代の頃の「街道」をどうしても夢想してしまうのだった。 -
歩き始めて間もなく、「孝徳天皇大阪磯長陵」への道が見えてきた。
御陵への道は、写真左や右上のように、大小の石をコンクリートで敷き詰めた上り坂でカーブを描いている。
だいぶ登ったと思われたその先にまた石段が。。。
(竹内街道は「竹内峠」を越えていく道なので、当然上り坂が続くのだが、それをさらに登るという、普段の私には苦手な道なのであった!) -
宮内庁の管轄なので、天皇陵というのはどこも同じように見えるが、この天皇の御陵が一段と寂しい雰囲気が漂っているように感じてしまうのは、彼の憤懣やるかたない人生を考えてしまうからだろうか?
第36代天皇。在位は、大化の改新のあった645年から亡くなる654年までの9年間という短い期間だ。
斉明(皇極)天皇の弟で、息子があの悲劇の皇子「有間皇子」である。
都を飛鳥から難波宮に移すが、彼には妻で中大兄皇子の妹である間人(はしひと)皇后も付いてゆきはしなかった。
ひとり難波宮で、天皇は何を思っていたのだろうか?
甥の中大兄に対する積年の恨み、おのれ亡き後の息子有間の行く末、妻の間人の心は自分にはなく、孤独をつのらせていったと思われる。 -
御陵の傍らには、天皇の寂しく、しかし清らかだった生涯を思わせるような白い花がひっそりと咲いていた。
-
また街道に戻った。
-
少し行くと、「大道旧山本家住宅」と書かれた看板が目に飛び込んできた。
国の登録有形文化財だ。 -
竹内街道には古い建物が多いが、ここはひときわ風格がある。
かやぶき大和棟民家で、見学できるのは4〜5月及び9〜11月の土・日・祝日の午前10時から午後4時まで。
外から眺めただけでも、充分にその偉容は伝わってくる。 -
さらに少し行った所にあるのが「竹内街道歴史資料館」だが、ここも月曜日の今日は休館日だった。
中を見学していたら、この後の小野妹子のお墓までは行けなかったかもしれないので、休館日だったことで多くの所に行けたのだと負け惜しみを言っておきます(笑´∀`) -
歴史資料館の周囲に咲いていた花。
カメラのレンズが、何かで曇っていたのでぼんやりしてしまったが、馬酔木の花の白が目に染みるように美しかった。 -
坂道を上って一息ついたところに「道の駅・近つ飛鳥の里・太子」があった。
時間帯のせいか、中には買うべきと思われるような品物がほとんど無かった。
一休みするにはちょうど良い場所なので、もっと上手に運営すれば繁盛するのではと思った。 -
太子町はミカンの産地だ。
のどが渇いていたので、「ミカンソフト」を購入。
とてもおいしかった(~o~) -
ここで引き返そうとして、ふと標識を見ると「南河内〜」という文字が目に付いた。
「南河内」という地名は栃木県民にとっては、親しいものなのだ。
県南の栃木市の東側には「南河内町」というのがあって、そこには「自治医科大学」と「自治医科大学病院」とがある。
特に大学の方には、全国から医師を目指す学生が集まってくる。
大阪の東側と栃木県南には、何か繋がりでもあるのだろうか?と、ふと思ったりした。 -
街道の所々には、このようにまだ桜が見事に咲いている所が何カ所かあった。
-
旧山本家住宅の所まで戻って、そこを左折南下し、「小野妹子之墓」と伝わる場所目指して歩いた。
目印が肝心の曲がり角などに付いてなかったりして、分かりにくく地元の人に尋ねながら約1キロ弱を歩いた。
やっと着いたと思ったら、目の前に長い長い石段が。。。
右上の写真は、左上の石段の踊り場のある所から更に上に行くものだ。
やっとその長い石段を登ったのに、妹子のお墓にはさらに数段の石段を登らなければならなかった! -
そうしてやっと見ることのできた小野妹子のお墓と言われているのが、この写真である。
歴代天皇陵とはだいぶ違って、無造作に置かれた石が落ち葉に埋もれている。
妹子が皇族ではないということもあろうが、ここは伝小野妹子之墓ということなので、はっきりと特定できるものがないということもあるのだろう。
この遺跡のある山自体が、一つの古墳のようなイメージをいだかせる場所を、誰言うともなく「妹子の墓」としたのかもしれない。 -
桜の時期は過ぎていたが、ここには何本かの桜の木もあり、満開時には花を眺めにやって来る人もいるのだろう。
-
ここが高台と分かる写真をもう1枚。
分かりにくいですが、右側の木の枝の間に、ぼんやりと霞んで富田林市のPLタワーが見えています。 -
妹子の墓の隣には、「科長(しなが)神社」がある。
「八社大明神」の別名もある。
妹子の墓にもこの社にも、人の姿が皆無でひっそりと静まりかえっていた。 -
次に「推古天皇陵」を目指して、このような道を引き返し、長閑なたんぼ道を歩いた。
-
道の傍らには、ツツジと思われる鮮やかな花が咲いていた。
-
「二子塚古墳」を臨む所に出ると、もう推古天皇陵は近い。
この古墳は、2基の方墳が並ぶ7世紀後半の双方墳だ。 -
この古墳の中を歩いて行けば、推古天皇陵への近道と地元の人が教えてくれたので、2基の古墳の間を横切ってしまった。
確か立ち入り禁止ではなかったように思うが。。。 -
推古天皇陵には「敏達天皇の皇子竹田皇子墓」もある。
日本初の女帝推古天皇の陵墓は、東西59m、南北55m、高さが11mの方墳である。
この陵墓は、気持ちが晴れやかになってくるような見晴らしの良い高台に有った。 -
これは、陵墓の手前にあった石段に腰を下ろして見渡した風景だ。
-
女帝は、いつもこんな清々しい風景を見下ろしていることになる。
天気も良く、暑くも寒くも無かったこの日、「まほろば」のような風景に出くわして、いつまでもこの場所にいたいと思った。
表紙の写真と共に、この日のハイライトはこの場所だったように思う。 -
遠くには新緑の山も見える。
-
同上。
-
「四天王寺太子学園高校」も近くにあるとのことだが、写真真ん中の白い建物あたりか?…
-
こちらの入り口から入るのが正式なのかもしれないが、田んぼのあぜ道を、古墳を横切って向かったのがまた良かったのかもしれない。
いずれにしても、人は全く期待していなかった所が、思いがけず良かったりすると得した気分になるものだが、この河内飛鳥と呼ばれる中でも、特にこの推古天皇陵から見下ろした風景は、忘れられないものの一つとなった。 -
予定では、この日の夕食もどこかの店に行こうと思っていたのだが、あまりに歩きすぎて(実に26332歩だった!)疲れてしまい、ホテルでの夕食となった。
これはレストランの入り口。 -
フラッシュをたかなければ、写真はOKと言われたので、比較的よく写ったものだけをアップした。
-
まずは白ワインの辛口を。
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オードブル盛り合わせ。
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パンと本日のスープ。
スープは、コンソメだった。 -
メイン
上は魚料理(私はこちら)
・詰め物をした舌平目のワイン蒸し。
・カダイフに包まれたラングスティーヌ。
※カダイフとは、小麦粉でできた細麺状の生地。
※ラングスティーヌとは、アカザエビ科のエビのこと。
・帆立貝柱とシャンピニョンデュクセルの法蓮草包み
※シャンピニョンデュクセルとは、マッシュルームバターのようなもの。
下は肉料理(相棒殿のオーダー)
・仔牛骨付きロース肉
・フォアグラのコンフィと仔牛肉ムースの網脂包み焼き
料理名はもちろん、そこに出て来るカタカナもさっぱり分からないので、今回は調べてみた。 -
デザート
控えめにしようと思ったが、見た目も味も申し分なかったので、誘惑に負けて完食してしまった(>_<)
この他にコーヒーも出たが、なぜかブレてしまったので、今回は省略。
この日は、ほとんど大阪の東部で過ごしたが、思った以上に古墳や遺跡が多く、魅力的な場所と分かった。
竹内街道は、次回は奈良側から大阪に向かって、竹内峠を越えてみたい。
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この旅行記へのコメント (14)
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- しにあの旅人さん 2021/06/19 10:13:05
- 妹子さんと推古さん
- 小野妹子は女だと思っている高校生はいるそうです。
妹子さんと推古さんは姉妹です、と言ったら信じるバカもいかねない。
小野妹子墓がシャビーなのは残念。日本外交史上稀に見る、最初にして最高の外交官だと思うのですが、外務省は何をしているかと思います。外務省で整備してもらいたい。
厩戸皇子から煬帝との対等外交を命じられて、歯を食いしばって頑張った、と想像しています。
推古天皇陵。どこかで、美しい御陵だと書いておられましたが、確かにいいところですね。美貌の天皇にふさわしい。
何回か近くを通っております。7月は行きたいと思っているのですが、山を越えるのはちょっと億劫なような。
竹内街道はたしか車で通りましたが、ただの道路でした。旧道とは違うのですね。司馬遼太郎は子供時代このあたりに住んでいて、河内から悪童どもが攻め上がってきて、怖かった、と書いていました。それが竹内街道のどこか覚えていません。
- 前日光さん からの返信 2021/06/19 17:46:58
- RE: 妹子さんと推古さん
- > 小野妹子は女だと思っている高校生はいるそうです。
> 妹子さんと推古さんは姉妹です、と言ったら信じるバカもいかねない。
→笑える話ですね!
「子」が付けば、何でも女子と思ってしまう単細胞、人生を楽しく過ごす人々にはそれでいいのかもと最近思います。
難しいことは考えず、刹那的に生きる!人生の機微など彼らには必要ないのです。
> 小野妹子墓がシャビーなのは残念。日本外交史上稀に見る、最初にして最高の外交官だと思うのですが、外務省は何をしているかと思います。外務省で整備してもらいたい。
→まぁ、「伝」という文字が付いているのですが、それでもひどい荒れようでした。
せめて枯れ葉だけでも取り除いてほしいものです。
> 厩戸皇子から煬帝との対等外交を命じられて、歯を食いしばって頑張った、と想像しています。
→そうですよね!
鑑真の例でも分かるように、簡単に海を渡ることのできなかった時代、彼の功績は大きいと思うのですが。
> 推古天皇陵。どこかで、美しい御陵だと書いておられましたが、確かにいいところですね。美貌の天皇にふさわしい。
> 何回か近くを通っております。7月は行きたいと思っているのですが、山を越えるのはちょっと億劫なような。
→御陵からの風景を見下ろしながら、「まほろば」と言う言葉が浮かんできました。
ほぼ期待しないで行ったものですから、なんとも気分がよくなりました!
山越えをしても、後悔しない風景だと思うのですが。
> 竹内街道はたしか車で通りましたが、ただの道路でした。旧道とは違うのですね。
→確かに観光地として整備された感はありました。
>司馬遼太郎は子供時代このあたりに住んでいて、河内から悪童どもが攻め上がってきて、怖かった、と書いていました。それが竹内街道のどこか覚えていません。
→「街道をゆく夜話」の「長髄彦」に出てきますね。
司馬さんによれば、「大和国北葛城郡磐城村竹ノ内」の司馬さんの家の裏手の小さな丘が、長髄彦の古墳なのだそうです。
しかしその古墳には芋やタケノコが栽培されていると、1960年頃の様子を書いておられます。
確かに河内の悪童どもが、山を越えて襲ってきたとありますね。
朝ドラ「おちょやん」の、子ども時代を演じた女の子の言葉が、まさに河内弁なのだと今にして思いました(゚Д゚)
前日光
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- pedaruさん 2014/05/21 19:27:59
- 古代の道
- 前日光さん こんばんは
作家の紀行文を彷彿させる文章に寄り添って情緒あふれる写真達、素晴らしい、こんな旅がしたいと思いました。
小野妹子の墓は私にとっては、特別な思いがあります。と言うのは、昔、池坊の生花をやっていて、池坊の祖先が小野妹子だと聞いていましたから。宗匠の苗字は今でも小野ですよね。
好奇心いっぱいの前日光さんと行動を共にする相方様に、むしろ感心します。
pedaru
- 前日光さん からの返信 2014/05/22 00:21:19
- RE: 古代の道
- pedaruさん、こんばんは〜
いつもありがとうございます<(_ _)>
> 作家の紀行文を彷彿させる文章に寄り添って情緒あふれる写真達、素晴らしい、こんな旅がしたいと思いました。
→とんでもございません!(@_@)
文学オタクの独りよがりの旅行記でございます。
自称古代妄想の人の思い込み旅行記でして、写真の腕は一向に上がらず、既に諦めております。
> 小野妹子の墓は私にとっては、特別な思いがあります。と言うのは、昔、池坊の生花をやっていて、池坊の祖先が小野妹子だと聞いていましたから。宗匠の苗字は今でも小野ですよね。
→小野妹子に対する、そういった思いがあったのですねぇ。
生花(池坊)と妹子がこういう具合に繋がっているとは。。。
それはまた格別なものがあることでしょうね。
このお墓も「伝小野妹子之墓」ということで、滋賀県説もあるようです。
いずれにしても、小学生でも知っている小野妹子なのに、お墓となるともう曖昧になってしまうのですね。
> 好奇心いっぱいの前日光さんと行動を共にする相方様に、むしろ感心します。
→ああ、それは私も時々思うことがありますよ。
よほど辛抱強いのかも(笑´∀`)
でも相棒殿も地理に興味があって、未踏の地に行くことは大好きなようです。
文学にはあまり関心はなさそうですが。
旅の中で四分の一くらいは、相棒殿に合わせることもあるのですがね(苦笑)
前日光
-
- 旅猫さん 2014/05/06 09:58:39
- いい風景ですね
- 前日光さん、こんにちは。
竹内街道は知りませんでした。
陵墓が沿線にたくさんあるのですね。
古代の天皇家は、皇位継承争いが激しくて、
実際にはどれだけの人たちが犠牲になったのやら。
あまりに昔で、資料もないでしょうからね。
小野妹子のお墓なんてあるのですね。
まあ、後からここだろうと決めたのでしょうが。
夕食、ワインがおいしそう♪
そろそろ、白ワインがおいしい季節ですね。
旅猫
- 前日光さん からの返信 2014/05/06 23:13:54
- RE: いい風景ですね
- 旅猫さん、こんばんは。
今日は思いつきで上京しましたが、寒かったです(T_T)
空もどんよりで、写真はいいのが撮れませんでした。
連休も今日でオシマイなのでしょうか?
> 竹内街道は知りませんでした。
> 陵墓が沿線にたくさんあるのですね。
→奈良側から行こうと思っていたのですが、思いがけず大阪側から歩くことになり、それはそれで面白い発見がありました。
そうです!
古墳及び陵墓が、たくさんあるんです。
秘かに古代が息づく町なんですね。
> 古代の天皇家は、皇位継承争いが激しくて、
> 実際にはどれだけの人たちが犠牲になったのやら。
> あまりに昔で、資料もないでしょうからね。
→おそらく私たち一般人が知ることのない、血なまぐさい部分がたくさんあるのかもしれませんね。
資料も無いでしょうし、史実の捏造などもあるのかもしれません。
> 小野妹子のお墓なんてあるのですね。
> まあ、後からここだろうと決めたのでしょうが。
→もう一箇所、滋賀県にも妹子のお墓では?と言われている所があるとか。。。小学生でも高学年ならその名を知っている小野妹子ですが、本当のところはけっこう知られていないようですね。
> 夕食、ワインがおいしそう♪
> そろそろ、白ワインがおいしい季節ですね。
→白ワイン、大好き!なんです。
でもこんなに量が少ないとちょっと。。。
だからといって、ボトル1本を開ける勇気はありません。
意外に酔うんですよね。
ワインと言えば、そろそろ信州の玉村さんの所のワインが飲みたくなったのではありませんか?
前日光
-
- ゆうこママさん 2014/05/04 20:37:28
- 素敵すぎデス
- あらら、こちらも拝見してからコメントを残すべきでした。
近つ飛鳥博物館の近くに行かれたのですね。
私が乗った路線バスは、写真の道路を通ったのかな?
学校名だとか、初めて見た気がしません。
竹之内街道。
こんな風なのですね。
微妙なニュアンスを感じます。
ほとんど歩かない生活の私は、1万歩を歩くのさえ、たぶんムリ。
前日光さん、すごいです。
古代のにおいを体感するには、まずは歩ける身体を作らなくちゃダメですね。
- 前日光さん からの返信 2014/05/04 22:56:24
- RE: 素敵すぎデス
- ゆうこママさん、引き続いてこちらにもご訪問いただきまして、ありがとうございます!
> 近つ飛鳥博物館の近くに行かれたのですね。
> 私が乗った路線バスは、写真の道路を通ったのかな?
> 学校名だとか、初めて見た気がしません。
→そうだったんです。
新しいバイパスができていたりして、昔のガイドブックを参考にしていたので、ちょっと道に迷ったりもしました。
路線バスはいくつかあるようで、「喜志」行きというのを何度も見かけました。実は私たちも、帰りに「上ノ太子駅」まで行くのに、これに乗ればよかったのですが、よく分からずにタクシーを呼んでしまいました。
> 竹之内街道。
> こんな風なのですね。
> 微妙なニュアンスを感じます。
→長い間の憧れの地だった竹内街道、思いがけず今回行くことができて、感激でした。
できれば整備される前の、司馬さんが書いていた時代に行けたら最高だったのですが。
> ほとんど歩かない生活の私は、1万歩を歩くのさえ、たぶんムリ。
> 前日光さん、すごいです。
→ゆうこママさん、旅行記を見ると私がかなり歩いている人みたいに感じるかもしれませんが、実は私も歩くのは苦手なんです。腰も足も痛いですし。
ただ仕事を辞めてからは、なるべく機会を見つけて歩くようにしてはいますが。
旅に出ると予想外に歩いてしまうのは、相棒殿の影響が大きいです。彼は歩くことにはほとんど抵抗がないようなんですよ。
> 古代のにおいを体感するには、まずは歩ける身体を作らなくちゃダメですね。
→特に「街道」などというものに興味を持ってしまうと、歩くしかないですよね。
町内散策は、できるだけするようにしています。
前日光
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- 義臣さん 2014/04/30 16:29:46
- 懐かしくて 涙
- 30代の頃歩いた竹内街道、や 叡福寺
近つ飛鳥の博物館?記念館だったか
あのころの若さと好奇心が懐かしくて
奈良ホテルも国鉄さんの営業でした
草臥れたソファーは今でも思い出します。
好奇心とそれに伴う体力、、やや寂しくなって来ました
義臣
- 前日光さん からの返信 2014/04/30 21:00:12
- RE: 懐かしくて 涙
- 義臣さん、こんばんは。
投票やコメント等、いつもありがとうございますm(_ _)m
> 30代の頃歩いた竹内街道、や 叡福寺
> 近つ飛鳥の博物館?記念館だったか
→そうでしたか。。
もうずいぶん前に、この辺りを訪れていたのですね。
竹内街道?それ、どこ?という声が多いのですが、さすが奈良周辺を愛される義臣さん、古き良き時代の竹内街道をご存じなのですね?
今回初めて行ったのですが、かなり整備されておりまして、おそらく昔の面影は消滅しつつあるのでは?
> あのころの若さと好奇心が懐かしくて
→若さの中には未熟さも含まれるのですが、それがいいのですよね。
青臭い好奇心、しかしそれを取り戻すことは二度とできなくて。
恥多いこともあるのですが、それでも若い時代の思いに優るものはないのかもしれません。
> 奈良ホテルも国鉄さんの営業でした
→そうだったんですね。
以前にも奈良ホテルが国鉄の営業というのは、義臣さんからお伺いしたと思うのですが、金谷ホテルなどとは違った歴史があるのですね。
> 草臥れたソファーは今でも思い出します。
→そのソファーについては、残念ながら存じませんでしたが、昔ながらの佇まいは随所に残っていると思われます。
私は別館の方に泊まったので、昔の面影を感じていただくのは難しいかも知れませんが、これからの旅行記にも、撮影したホテルのいろいろな部分を紹介したいと思います。
この後の旅行記にも、ぜひご訪問くださいませ。
> 好奇心とそれに伴う体力、、やや寂しくなって来ました
→「体力」につきましては、私も富みに衰えを感じております。
あと数年が勝負と思っていますので、できるだけ今のうちに行きたい所に行っておかなければという気持ちです。
寂しくなるなどとおっしゃらずに、どうぞ、いつまでも好奇心旺盛な義臣さんでいてください。
前日光
-
- momotaさん 2014/04/30 00:07:52
- 前日光記の王道
- こんばんは。
面白い旅してるねぇ。観光じゃない旅がなんとも前日光さんらしいよ。
竹内街道は初めて聞いたなぁ。
山辺の道は今回飛鳥方面に行ってどういうところか少しわかったけど
大阪から橿原へ向かう街道があったとは。いつも本の中の一説に心奪われて
確かめに行くんだね。その好奇心は本当にすごいと思う。
私は日々何にもひっかからないままぼーっとしてるからなぁ。
でも歴史と照らし合わせて町を歩くのは好きなので史実と実際の光景が
重なった時のあの感じがたまらないのはわかる気がします。
歴史の教科書に出てきた人たちがいっぱいだわ。そちらは小野妹子ね。
私は蘇我入鹿の首塚に行ってきたから繋がってるね!
ろころでわかった?さっきの。
私はGIMPっていう無料の写真ソフトを使ってモザイク処理だけやってるの。
その同じ行程で障害物を消すって技ができるのよ。頭の回転のいい前日光さん
ならすぐにできると思うのでチャレンジしてみてね。
synclogue-navi.com/gimp-install
- 前日光さん からの返信 2014/04/30 20:25:28
- RE: 前日光記の王道
- momoちゃん、こんばんは。
いつもありがとねぇ〜(^_^)v
> 面白い旅してるねぇ。観光じゃない旅がなんとも前日光さんらしいよ。
→そういえば帰りに上ノ太子駅までタクシーで行ったのですが、その運ちゃん曰く、「え、栃木から来たの?この辺に観光で来る人なんていないよ〜」だって。そうなのかなぁ。叡福寺に来る人はいると思うんだけどね。
> 竹内街道は初めて聞いたなぁ。
→私の頭の中って、半分以上が古代、特に聖徳太子とか、それ以前の世界をいつもさまよっているからね。前の職場では、1300年前から生きてる人って言われていたし。卑弥呼とお友達ってことになっていたんだ(>_<)
> 山辺の道は今回飛鳥方面に行ってどういうところか少しわかったけど
> 大阪から橿原へ向かう街道があったとは。いつも本の中の一説に心奪われて確かめに行くんだね。その好奇心は本当にすごいと思う。
→う〜〜ん、どうもこの時代が好きなんだよねぇ〜
タイムマシンがあったら、まず行ってみたいのが古代、古代出雲王国から大和政権に移り変わる辺りが最高に興味あります。
うん! 本の中の一節で、ハートに来る部分があるとシツコク覚えていて、いつかは行くぞぉ〜という思い込みは激しいね、我ながら。
> 私は日々何にもひっかからないままぼーっとしてるからなぁ。
→そんなことないと思う!
momoちゃんの旅行記読んでると、閃きを感じることが度々あります。
面白い感性してるよ、実に。
momoファンはたくさんいると思うけど、私もそんなファンの中でも熱狂的な方だよ(^_-)
> でも歴史と照らし合わせて町を歩くのは好きなので史実と実際の光景が
> 重なった時のあの感じがたまらないのはわかる気がします。
→この辺が、私とmomoちゃんとの接点だよね。
歴史上の何かと現実が重なったからと言って、それが何か?っていう人には決して理解してもらえない所がこの辺りだよね。
なんか、しょうがないんだよね。それがとても素敵なことだと思ってしまうんだから。この辺は我が相棒殿にも、理解してもらえない所なんだ。
冷静に物事を見る人にとっては、過去と現在は別のものみたい。
彼はひたすら地理的なことに反応し、冷静に物事を考察するんだよね。
まぁ、二人で過去の事象に妄想ばっかりしていたら、やってられないこともありますからね。
> 歴史の教科書に出てきた人たちがいっぱいだわ。そちらは小野妹子ね。
> 私は蘇我入鹿の首塚に行ってきたから繋がってるね!
→入鹿の首塚!30年以上も前に行ったことがあるよ!
飛鳥大仏を見た後、首塚の前で記念撮影し、その後山辺の道を自転車で走ったんだ。
> ところでわかった?さっきの。
> 私はGIMPっていう無料の写真ソフトを使ってモザイク処理だけやってるの。
→ふ〜ん、そうなんだ。
さっぱり分からなかった。
> その同じ行程で障害物を消すって技ができるのよ。頭の回転のいい前日光さん
> ならすぐにできると思うのでチャレンジしてみてね。
→私は、ものすごいメカオンチなんですよ。自慢じゃないけど。
4トラだけはなんとかやってますが、少しでも複雑になると、もうさっぱり分からないの。
でも、そのGIMPっていうの、研究してみますね。
時間かかりそうだけど。
いろいろありがとね(^^)/
前日光
-
- bettyさん 2014/04/27 11:37:20
- 大阪に住んでいながら。。。
- 前日光さん、こんにちは〜♪
きょうも良いお天気ですね(*^_^*)
竹内街道・・・聞いたことはあるけど、興味なく過ごしてしまいました。
若いうちに興味を持っていたら、前日光さんさんが見たかった整備する前の
竹内街道を見たかもしれなかった。
大阪のテレビ番組の「ちちんぷい」で「昔の人は偉かった」という題で
街道を河田アナウンサーとお笑いの方が歩いています。
きっと竹内街道も歩いたかもしれません。見逃したのかな?それとも
これからかな?
この前は桜の季節だったので、彦根城から犬山城までを歩いていました。
いつも夕飯をつくりながらなので、こんどからゆっくりと見ようと
思います。
南河内という名は栃木にもあるのですね〜
南河内方面は身内もいなくてほとんど行くことがありませんでした。
私の住んでいるところは昔の言い方だったら北河内郡です。
主人の小学校の頃まではその住所だったみたい。
小野妹子のお墓らしいとされているところは雑ですね!
歴史が嫌いな方も知っているこの人の名前!
社会のテストにも必ず出題されたほどなのにね!
彼のお墓であると確定されていないにしろ、なんとかならないのかなあ〜
行ったことがなかったけど、ちょっとショックです(+o+)
その日はたくさん歩かれていたのでかなりお疲れで、ホテルでの
お食事だったのですね(#^.^#)
ご主人とゆっくりディナー♪
ワインも美味しかっただろうなあ〜〜〜♪
betty
- 前日光さん からの返信 2014/04/28 00:25:55
- RE: 大阪に住んでいながら。。。
- bettyさん、こんばんは。
ここの所、本当に良い天気ですね。
洗濯物が乾いて気持ちいいです。
> 竹内街道・・・聞いたことはあるけど、興味なく過ごしてしまいました。
> 若いうちに興味を持っていたら、前日光さんさんが見たかった整備する前の竹内街道を見たかもしれなかった。
→整備されすぎの感はありましたが、それでもその地に立つことができただけで感激ですぅ〜
だってあの道を聖徳太子や天智天皇や蘇我馬子なんかが往復していた!と思うだけでも妙な気分になりませんか?
彼らが感じたであろう空気を自分も共有できるというのが、ああいった史跡の面白さではないかと。。。
> 大阪のテレビ番組の「ちちんぷい」で「昔の人は偉かった」という題で
> 街道を河田アナウンサーとお笑いの方が歩いています。
→え?そういう番組があるのですか?
それはおもしろそう(^o^)
「街道」って聞いただけで、ワクワクしちゃうんですよ。
> きっと竹内街道も歩いたかもしれません。見逃したのかな?それとも
> これからかな?
→もしこれからだったら、ぜひ見てみて。
> この前は桜の季節だったので、彦根城から犬山城までを歩いていました。
→彦根から犬山って、かなり距離があるのでは?
どちらのお城もたまたま知っていますが(彦根城は高校の修学旅行で、犬山城は兄の結婚式が名古屋であった時に、犬山城が見える宿に泊まったんです。中学時代のことですが。あ、この時に「こだま」で名古屋まで行ったんですよ!)お城のある場所って、必ず高台だから登らなくちゃならなくて、ハードだったのでは?
> いつも夕飯をつくりながらなので、こんどからゆっくりと見ようと
> 思います。
→何か情報があったら教えてね!
> 南河内という名は栃木にもあるのですね〜
> 南河内方面は身内もいなくてほとんど行くことがありませんでした。
→そうなんですよ〜
栃木では南河内周辺には「風土記の丘」があったり、僧の道鏡が奈良時代に流された所だったり、建物は残っていませんが「国分寺」跡などがあります。関西との繋がりを感じる所ですよ。
> 私の住んでいるところは昔の言い方だったら北河内郡です。
> 主人の小学校の頃まではその住所だったみたい。
→こちらでも、下野市なんていう町名に吸収合併されていますが、中学校名などが今でも「南河内中」なんていう名前で残っています。
> 小野妹子のお墓らしいとされているところは雑ですね!
> 歴史が嫌いな方も知っているこの人の名前!
> 社会のテストにも必ず出題されたほどなのにね!
→想像していたよりは扱いが丁寧じゃないとは思いました。
滋賀県にも小野妹子の墓候補地があるからなのかもね。
> 彼のお墓であると確定されていないにしろ、なんとかならないのかなあ〜
> 行ったことがなかったけど、ちょっとショックです(+o+)
→こちらが本物だ!って、強く主張してもっときちんと整備し、観光に役立てれば良いのにね。
> その日はたくさん歩かれていたのでかなりお疲れで、ホテルでの
> お食事だったのですね(#^.^#)
→ちょっと歩きすぎました。
推古天皇陵辺りでとても良い気持ちになって歩いちゃったので、翌日は膨ら脛が痛かったです(-_-)
> ご主人とゆっくりディナー♪
> ワインも美味しかっただろうなあ〜〜〜♪
→確かにおいしゅうございましたよ。
でもその前日の居酒屋さんや、近鉄奈良駅構内の立ち飲み屋さんがまた良かったんです。
実は夕食の前に駅で日本酒を飲んで、良い気分になってホテルに戻ったんですよ(>_<)
写真を撮りそびれてしまったのでアップしていませんが。
翌日の夕方もそこで飲んだので、次の旅行記で紹介したいと思います。
前日光
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