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仕事により初めて訪れたマレーシアですが、滞在地が世界遺産に登録されているマラッカであるという幸運に恵まれました。<br />この滞在という機会を逃す手は無い!ということで、スキマ時間(朝食前の早朝時間帯)を活用して、街歩きを2日間に渡ってやってきました。仕事前の目覚まし・リフレッシュ・そして多くの見どころに心動かされるという、1時間程度の短い時間ではありましたが、とても良い時間を過ごすことが出来ました。<br /><br />マラッカは世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の歴史都市群」として登録されたマレーシア物件の中の一つの都市となっています。<br />マレーシアの歴史が始まった地であり、現在でも海上交通の要衝であるマレーシアとインドネシア間の”マラッカ海峡”もこの町の名から来ているのです。<br />要衝の地ゆえにイスラムの王国(マラッカ朝)から始まり、ポルトガル・オランダ・イギリスと数世紀に渡る外国支配の歴史がこの街には刻まれており、街に残る各国の残した史跡がその事実を今に伝えています。<br />

マレーシアの歴史の始まりの地、世界遺産都市マラッカでの早朝散歩

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2014/03/27 - 2014/03/28

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ひで

ひでさん

仕事により初めて訪れたマレーシアですが、滞在地が世界遺産に登録されているマラッカであるという幸運に恵まれました。
この滞在という機会を逃す手は無い!ということで、スキマ時間(朝食前の早朝時間帯)を活用して、街歩きを2日間に渡ってやってきました。仕事前の目覚まし・リフレッシュ・そして多くの見どころに心動かされるという、1時間程度の短い時間ではありましたが、とても良い時間を過ごすことが出来ました。

マラッカは世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の歴史都市群」として登録されたマレーシア物件の中の一つの都市となっています。
マレーシアの歴史が始まった地であり、現在でも海上交通の要衝であるマレーシアとインドネシア間の”マラッカ海峡”もこの町の名から来ているのです。
要衝の地ゆえにイスラムの王国(マラッカ朝)から始まり、ポルトガル・オランダ・イギリスと数世紀に渡る外国支配の歴史がこの街には刻まれており、街に残る各国の残した史跡がその事実を今に伝えています。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
徒歩
航空会社
JAL

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  • 宿泊したホテルはHotel Equatorial Melakaというホテルです。中心部にほど近く、観光・食事をするのに絶好の場所にあります。<br />

    宿泊したホテルはHotel Equatorial Melakaというホテルです。中心部にほど近く、観光・食事をするのに絶好の場所にあります。

  • 部屋から外の風景を撮ってみました。<br />50万都市ですが、それほど高層建築があるわけではありません。<br />

    部屋から外の風景を撮ってみました。
    50万都市ですが、それほど高層建築があるわけではありません。

  • マラッカ海峡も望むことができます。<br />

    マラッカ海峡も望むことができます。

  • ホテルを出て、ホテル前のパラメスワラ通りを中心部へ向かって歩きます。<br />ムルデカ広場というところまでやってくると、このような列車が展示されていました。マレー鉄道でしょうか。それにしてもマラッカには鉄道は通っていないのになぜ?<br />

    ホテルを出て、ホテル前のパラメスワラ通りを中心部へ向かって歩きます。
    ムルデカ広場というところまでやってくると、このような列車が展示されていました。マレー鉄道でしょうか。それにしてもマラッカには鉄道は通っていないのになぜ?

  • MUZIUM UMNO MELAKA、政党(UMNO:マレーシアの最大政党で与党連合・国民戦線(Barisan Nasional)の創立メンバー)の博物館とは、、、こんなところにあるというのは驚きです。<br />奥に見える建物は「民族と美の博物館(People’s and Beauty Museum)」です。<br />

    MUZIUM UMNO MELAKA、政党(UMNO:マレーシアの最大政党で与党連合・国民戦線(Barisan Nasional)の創立メンバー)の博物館とは、、、こんなところにあるというのは驚きです。
    奥に見える建物は「民族と美の博物館(People’s and Beauty Museum)」です。

  • セントポールの丘(これから向かうセント・ポール教会を頂きにいただく)の麓をぐるっと一周しているのがコタ通りです。きれいにタイル舗装されています。<br />

    セントポールの丘(これから向かうセント・ポール教会を頂きにいただく)の麓をぐるっと一周しているのがコタ通りです。きれいにタイル舗装されています。

  • コタ通りを挟んでセントポールの丘の向かいにはムルデカ広場があり、いろんなものが展示されています。これは牛車の模型?<br />

    コタ通りを挟んでセントポールの丘の向かいにはムルデカ広場があり、いろんなものが展示されています。これは牛車の模型?

  • 丘側には白い建物が。マレーシア国旗が掲揚されています。どうやら博物館を管理する役所の建物のようです。<br />

    丘側には白い建物が。マレーシア国旗が掲揚されています。どうやら博物館を管理する役所の建物のようです。

  • MUZIUM ISLAM MELAKA:ムラカ・イスラム博物館です。マラッカ王国時代から現代にかけてのマレーシアでのイスラム教をテーマとした展示がされているようです。<br />

    MUZIUM ISLAM MELAKA:ムラカ・イスラム博物館です。マラッカ王国時代から現代にかけてのマレーシアでのイスラム教をテーマとした展示がされているようです。

  • 博物館の脇に丘の上のセント・ポール教会へとつながる道の入り口がありました。ここから上ってみることにしました。<br />

    博物館の脇に丘の上のセント・ポール教会へとつながる道の入り口がありました。ここから上ってみることにしました。

  • それでは上ってみることにしましょう。<br />

    それでは上ってみることにしましょう。

  • 結構階段がきついです。ようやく正面にセント・ポール教会が見えてきました。<br />

    結構階段がきついです。ようやく正面にセント・ポール教会が見えてきました。

  • 振り返るとこのような風景が目の前にひろがります。遠くまで見渡せて、高いところまで上ってきたんだな、と実感します。<br />

    振り返るとこのような風景が目の前にひろがります。遠くまで見渡せて、高いところまで上ってきたんだな、と実感します。

  • 教会まであと少し。<br />

    教会まであと少し。

  • 教会の前には日本にも布教に来た、フランシスコ・ザビエルの像が建っています。<br />

    教会の前には日本にも布教に来た、フランシスコ・ザビエルの像が建っています。

  • ポルトガルがこの地を支配していた頃、マラッカは宣教師たちの活動拠点だったそうです。そして丘の上に1521年にポルトガル人によって教会が建てられました。<br />ザビエルの遺骨はここに9ヶ月安置された後、インドのゴアへ移されたのだそうです。<br />

    イチオシ

    ポルトガルがこの地を支配していた頃、マラッカは宣教師たちの活動拠点だったそうです。そして丘の上に1521年にポルトガル人によって教会が建てられました。
    ザビエルの遺骨はここに9ヶ月安置された後、インドのゴアへ移されたのだそうです。

  • 教会からの眺めです。<br />

    教会からの眺めです。

  • 教会の壁にこんなものがありましたが、何のことやらわかりません。<br />

    教会の壁にこんなものがありましたが、何のことやらわかりません。

  • 教会の中へ入ってみます。ボロボロで補強がされていますね。<br />

    教会の中へ入ってみます。ボロボロで補強がされていますね。

  • 入る前に上を見上げてみましたが、、、すでに屋根は失われているのですね。<br />

    入る前に上を見上げてみましたが、、、すでに屋根は失われているのですね。

  • 教会の中には壁伝いに石版が並べられています。<br />

    教会の中には壁伝いに石版が並べられています。

  • この際なので、すべて写真に収めることにします。<br />

    この際なので、すべて写真に収めることにします。

  • 奥にはもう一つ部屋があるようです。<br />

    奥にはもう一つ部屋があるようです。

  • 隣の部屋へ行く前に一通り写真を撮っておきます。<br />

    隣の部屋へ行く前に一通り写真を撮っておきます。

  • 文字が小さいのは何が書いてあるのか読み取れません。<br />

    文字が小さいのは何が書いてあるのか読み取れません。

  • ボロボロになった壁の修理をしてあるのですが、ちょっと乱暴なんじゃないかな(世界遺産なのに、、、)と思ってしまいました。<br />

    ボロボロになった壁の修理をしてあるのですが、ちょっと乱暴なんじゃないかな(世界遺産なのに、、、)と思ってしまいました。

  • この部屋の石版の写真はこれで全部です。13枚ありました。<br />

    この部屋の石版の写真はこれで全部です。13枚ありました。

  • 振り返って見てみると結構大きな空間だな、という感じがします。天井がなくて開放感があるからかな。<br />

    振り返って見てみると結構大きな空間だな、という感じがします。天井がなくて開放感があるからかな。

  • 奥に小さな部屋があって、そこは屋根がついていました。そして真ん中にはこのように檻で守られた箇所が、、、地下室へとつながっているようです。<br />ここにザビエルの遺骨が安置されていたのでしょうか。<br />

    奥に小さな部屋があって、そこは屋根がついていました。そして真ん中にはこのように檻で守られた箇所が、、、地下室へとつながっているようです。
    ここにザビエルの遺骨が安置されていたのでしょうか。

  • すべてポルトガル語で書かれているようで、全然読めません。<br />

    すべてポルトガル語で書かれているようで、全然読めません。

  • この部屋にも多くの石版が置かれていました。<br />

    この部屋にも多くの石版が置かれていました。

  • 石版の隣に穴が開いていたので、見てみるとさらに隣に小さな部屋がありました。といっても全部で3つですから小さな教会です。<br />

    石版の隣に穴が開いていたので、見てみるとさらに隣に小さな部屋がありました。といっても全部で3つですから小さな教会です。

  • 外壁はさらにボロボロで修理が一層痛々しさを際立たせているように見えます。<br />

    外壁はさらにボロボロで修理が一層痛々しさを際立たせているように見えます。

  • 教会で子猫が二匹で戯れていました(撮れたのは一匹だけです)。<br />

    教会で子猫が二匹で戯れていました(撮れたのは一匹だけです)。

  • こうやって長辺面で建物を見ると結構大きいなあ、という印象を受けますね。<br />

    こうやって長辺面で建物を見ると結構大きいなあ、という印象を受けますね。

  • 丘の頂上に教会が建っているので、周りはすぐに斜面です。丘から下るルートはいくつかあるみたいです。<br />

    丘の頂上に教会が建っているので、周りはすぐに斜面です。丘から下るルートはいくつかあるみたいです。

  • 教会に隣接して「文学館」という建物もあります。<br />

    教会に隣接して「文学館」という建物もあります。

  • ヨーロッパを感じさせるきれいな建物です。<br />

    ヨーロッパを感じさせるきれいな建物です。

  • 遠くにマラッカの街並みも眺めることが出来る、よいスポットですね。<br />

    遠くにマラッカの街並みも眺めることが出来る、よいスポットですね。

  • 丘を下って、近くにあるオランダ墓地方面へと向かいたいと思います。<br />

    丘を下って、近くにあるオランダ墓地方面へと向かいたいと思います。

  • 下から教会を見上げるとこのような感じです。<br />

    下から教会を見上げるとこのような感じです。

  • 教会の周りには墓地としての区画はなくてもお墓が点在していました。<br />

    教会の周りには墓地としての区画はなくてもお墓が点在していました。

  • 中には壊れてしまっているものもあります、、、<br />

    中には壊れてしまっているものもあります、、、

  • オランダ人墓地の近くまでやってきました。<br />ポルトガル人の建てた教会の近くにオランダ人墓地。支配者が替わってもこの街の中心は変わらなかったのですね。<br />

    オランダ人墓地の近くまでやってきました。
    ポルトガル人の建てた教会の近くにオランダ人墓地。支配者が替わってもこの街の中心は変わらなかったのですね。

  • オランダ人墓地の入口です。<br />

    オランダ人墓地の入口です。

  • どういった方がここには埋葬されているのでしょう、、、<br />

    どういった方がここには埋葬されているのでしょう、、、

  • この墓地に関する解説が掲示されていました。オランダ人墓地となっていますが、実際はオランダ人が5人に対してイギリス人が33人も埋葬されているとのことです。また、使われた期間ですが、1600年代後半の10数年と1800年代前半の20年の2つのステージにわかれるとのことです。<br />

    この墓地に関する解説が掲示されていました。オランダ人墓地となっていますが、実際はオランダ人が5人に対してイギリス人が33人も埋葬されているとのことです。また、使われた期間ですが、1600年代後半の10数年と1800年代前半の20年の2つのステージにわかれるとのことです。

  • 中には柵で囲われて大事に守られているお墓もありました。<br />

    中には柵で囲われて大事に守られているお墓もありました。

  • 丘をぐるっと一周するコタ通りに出てきて、今度は時計と反対周りに歩いていきます。<br />

    丘をぐるっと一周するコタ通りに出てきて、今度は時計と反対周りに歩いていきます。

  • 朱色に染まった建物の間を抜ける通りを歩いていきます。<br />

    朱色に染まった建物の間を抜ける通りを歩いていきます。

  • 通りを抜けたところに、オランダ広場があります。早朝のせいか、人がいませんね。<br /><br />

    通りを抜けたところに、オランダ広場があります。早朝のせいか、人がいませんね。

  • そして、マラッカの写真でよく使われている、「ムラカ・キリスト教会」です。<br />

    そして、マラッカの写真でよく使われている、「ムラカ・キリスト教会」です。

  • となりの建物は美術館みたいです。<br />

    となりの建物は美術館みたいです。

  • 1753年に建てられたこの教会はオランダ統治時代のもので、中にはタイル画の「最後の晩餐」があるそうです。<br />

    イチオシ

    1753年に建てられたこの教会はオランダ統治時代のもので、中にはタイル画の「最後の晩餐」があるそうです。

  • オランダ広場から北東の方向の風景です。<br />

    オランダ広場から北東の方向の風景です。

  • 広場にある時計塔です。広場周辺の建物は朱色に統一されていてとても感じがいい。<br />

    広場にある時計塔です。広場周辺の建物は朱色に統一されていてとても感じがいい。

  • 広場からマラッカ川の方向を望んで。<br />向かい側に見える建物はツーリストインフォメーションセンターです。<br />

    広場からマラッカ川の方向を望んで。
    向かい側に見える建物はツーリストインフォメーションセンターです。

  • こちらもマラッカ川沿いに立ち並ぶ建物、並行して走る通りを撮った写真です。<br />

    こちらもマラッカ川沿いに立ち並ぶ建物、並行して走る通りを撮った写真です。

  • そして、これがマラッカの町のシンボル的な存在と言われている「スタダイス」。1650年にオランダの総督らが居住するために建てられたものだそうです。<br />

    そして、これがマラッカの町のシンボル的な存在と言われている「スタダイス」。1650年にオランダの総督らが居住するために建てられたものだそうです。

  • スタダイスの壁にはこのようなパネルが設置されていましたが、何を意味しているのかは分かりませんでした。<br />

    スタダイスの壁にはこのようなパネルが設置されていましたが、何を意味しているのかは分かりませんでした。

  • スタダイスの前の道には露店が立ち並んでいます。早朝なので静まりかえっていますが、日中の広場は賑やかなのでしょうね。<br />

    スタダイスの前の道には露店が立ち並んでいます。早朝なので静まりかえっていますが、日中の広場は賑やかなのでしょうね。

  • 広場全体を収めてみましたが、ちょうど日が昇って教会の後ろあたりに入ってきたため、逆光になってうまく写すことができませんでした。<br />

    広場全体を収めてみましたが、ちょうど日が昇って教会の後ろあたりに入ってきたため、逆光になってうまく写すことができませんでした。

  • 次はマラッカ川沿いにある「マラッカ要塞」跡です。解説のパネルも設置されていて、その歴史についても語られています。<br />

    次はマラッカ川沿いにある「マラッカ要塞」跡です。解説のパネルも設置されていて、その歴史についても語られています。

  • 一部を残して壊れてしまっていますが、要塞跡であることはなんとなくわかります。<br />

    一部を残して壊れてしまっていますが、要塞跡であることはなんとなくわかります。

  • 多くの大砲(おそらく復元?)が備え付けられています。<br />

    多くの大砲(おそらく復元?)が備え付けられています。

  • 何か取り付けられているのですが、マレー語?のためか何が書かれているのかは分かりませんでした。<br />

    何か取り付けられているのですが、マレー語?のためか何が書かれているのかは分かりませんでした。

  • 海から川をさかのぼってくる船への備えだったのでしょうね。<br />

    海から川をさかのぼってくる船への備えだったのでしょうね。

  • 川には大きな水車が設置されていました。どういった目的で使われている(使われていた)のでしょう?<br />

    川には大きな水車が設置されていました。どういった目的で使われている(使われていた)のでしょう?

  • 結構大きな水車です。

    結構大きな水車です。

  • マラッカ川の川下を望んで。すぐ先はもう海(マラッカ海峡)なのです。<br />

    マラッカ川の川下を望んで。すぐ先はもう海(マラッカ海峡)なのです。

  • この広場にはバス停も設置されています。<br />

    この広場にはバス停も設置されています。

  • では、コタ通りをまた時計と反対方向に歩いてホテルへと戻ることにしましょう。<br />この写真、何の建物かは?です。<br />

    では、コタ通りをまた時計と反対方向に歩いてホテルへと戻ることにしましょう。
    この写真、何の建物かは?です。

  • ツーリストポリスもあるんですね。<br />

    ツーリストポリスもあるんですね。

  • 建築博物館もあって、美術館・博物館の多さを感じます。<br />

    建築博物館もあって、美術館・博物館の多さを感じます。

  • セント・ポール教会へと丘を上がる入口を持つムラカ・イスラム博物館まで戻ってきました。<br />

    セント・ポール教会へと丘を上がる入口を持つムラカ・イスラム博物館まで戻ってきました。

  • ムルデク広場で、先ほどは鉄道のみ写真を撮りましたが、奥には飛行機も展示されていました。<br />

    ムルデク広場で、先ほどは鉄道のみ写真を撮りましたが、奥には飛行機も展示されていました。

  • 丘を一周したところに、また砦跡です。「サンチャゴ砦」です。<br />

    丘を一周したところに、また砦跡です。「サンチャゴ砦」です。

  • 1511年にオランダとの戦いに備えるため、ポルトガル軍によって造られた砦とのことです。<br />

    イチオシ

    1511年にオランダとの戦いに備えるため、ポルトガル軍によって造られた砦とのことです。

  • 丘全体を守るかのように砦があります。<br />

    丘全体を守るかのように砦があります。

  • 驚きました!これまで巡ってきた丘の上から丘のまわりの通りまですべてもともとはマラッカ要塞の敷地内で城壁と堀・川に囲まれた一角だったのですね。丘全体を守るかのように砦があるのは当たり前でした、、、

    驚きました!これまで巡ってきた丘の上から丘のまわりの通りまですべてもともとはマラッカ要塞の敷地内で城壁と堀・川に囲まれた一角だったのですね。丘全体を守るかのように砦があるのは当たり前でした、、、

  • サンチャゴ砦から少し北上したところからの丘の中心部へ向けての風景です。セント・ポール教会が丘の上に見えますが、高低差がそれほど無い印象。実際丘を登り下りしたときにはもっと差があった印象でしたが。<br />

    サンチャゴ砦から少し北上したところからの丘の中心部へ向けての風景です。セント・ポール教会が丘の上に見えますが、高低差がそれほど無い印象。実際丘を登り下りしたときにはもっと差があった印象でしたが。

  • マラッカ・スルタン・パレスの入口です(パレスは奥に見える建物)。<br />

    マラッカ・スルタン・パレスの入口です(パレスは奥に見える建物)。

  • このマラッカ・スルタン・パレス、マレー王統記という文献に書かれていた記述をもとに復元された木造建築物なのだそうです。<br />

    このマラッカ・スルタン・パレス、マレー王統記という文献に書かれていた記述をもとに復元された木造建築物なのだそうです。

  • 入口までやってきました。館内はマラッカ文化博物館になっていて、1階はマラッカの歴史の解説など、2階は装飾品など、3階は武器などが展示されています。開館時間は9時(〜17時半)なので、残念ながら入ることはできませんでした。<br />

    イチオシ

    入口までやってきました。館内はマラッカ文化博物館になっていて、1階はマラッカの歴史の解説など、2階は装飾品など、3階は武器などが展示されています。開館時間は9時(〜17時半)なので、残念ながら入ることはできませんでした。

  • パレスから引き返してホテルへと戻ります。<br />ホテルへと続くパラメスワラ通り沿いに、この「独立宣言記念館」があります。1912年創建で、元「マラッカ・クラブ」というもののクラブハウスだったとのこと。<br />現在はマレーシア独立までの数々の資料や絵画などが展示されています。<br />こちらも開館は9時(〜17時半)なので、入ることはできませんでした。<br />

    イチオシ

    パレスから引き返してホテルへと戻ります。
    ホテルへと続くパラメスワラ通り沿いに、この「独立宣言記念館」があります。1912年創建で、元「マラッカ・クラブ」というもののクラブハウスだったとのこと。
    現在はマレーシア独立までの数々の資料や絵画などが展示されています。
    こちらも開館は9時(〜17時半)なので、入ることはできませんでした。

  • 独立宣言記念館の道路を挟んで向かい側にある建物です。木造船を模した建物ですが、屋外ステージか何かでしょうか。<br />

    独立宣言記念館の道路を挟んで向かい側にある建物です。木造船を模した建物ですが、屋外ステージか何かでしょうか。

  • 通りの先にホテルが見えてきました。夜もすっかり明けています。<br />

    通りの先にホテルが見えてきました。夜もすっかり明けています。

  • これは修道院のようです。<br />

    これは修道院のようです。

  • 修道院の隣には、付属の幼稚園らしきものもありました。<br />

    修道院の隣には、付属の幼稚園らしきものもありました。

  • 修道院の建物はこんな感じです。<br />

    修道院の建物はこんな感じです。

  • 幼稚園の隣は学校?<br />

    幼稚園の隣は学校?

  • セント・フランシス学院という学校のようです。ホテルの隣になります。<br />

    セント・フランシス学院という学校のようです。ホテルの隣になります。

  • 歴史ある建物のように見えます。<br />

    歴史ある建物のように見えます。

  • 1880年創立とはずいぶん古いですね。<br />

    1880年創立とはずいぶん古いですね。

  • ホテルの前まで戻ってきました。<br />

    ホテルの前まで戻ってきました。

  • この日の散歩はここまでです。<br />

    この日の散歩はここまでです。

  • さて、翌日。昨日まわりきれなかったので、この日も散歩へ行くことにしました。<br /><br />ここは独立宣言記念館(の敷地)です。<br />

    さて、翌日。昨日まわりきれなかったので、この日も散歩へ行くことにしました。

    ここは独立宣言記念館(の敷地)です。

  • クラシックな車が敷地内に展示されています。由緒ある車なのでしょうか。<br />

    クラシックな車が敷地内に展示されています。由緒ある車なのでしょうか。

  • 昨日とはルートを変えて、コタ通りをまずマラッカ・スルタン・パレス側へ曲がって、反時計回りに進んでいきます。

    昨日とはルートを変えて、コタ通りをまずマラッカ・スルタン・パレス側へ曲がって、反時計回りに進んでいきます。

  • このパレス、あらためて大きな建物だなぁ、と思いました。中に入って見学できないのが残念です。<br />

    このパレス、あらためて大きな建物だなぁ、と思いました。中に入って見学できないのが残念です。

  • ここも昨日見ましたが、オランダ人墓地です。<br />

    ここも昨日見ましたが、オランダ人墓地です。

  • ここから昨日見られなかったところです。コタ通りから北へ少し外れたところにある、セント・フランシス・ザビエル教会までやってきました。<br />

    ここから昨日見られなかったところです。コタ通りから北へ少し外れたところにある、セント・フランシス・ザビエル教会までやってきました。

  • 正面がどちら側になるのかよくわからず、最初に側面からの撮影となってしまいました。<br />

    正面がどちら側になるのかよくわからず、最初に側面からの撮影となってしまいました。

  • フランシスコ・ザビエルの像です。<br />

    フランシスコ・ザビエルの像です。

  • 敷地内から正面へとまわっていきます。<br />

    敷地内から正面へとまわっていきます。

  • この教会についての解説が書かれている石碑が設置されていました。<br />

    この教会についての解説が書かれている石碑が設置されていました。

  • この教会、日本と縁が深いようです。この銅像の内、右側はフランシスコ・ザビエルですが、左側は「やじろう」という日本人のものです。<br />

    この教会、日本と縁が深いようです。この銅像の内、右側はフランシスコ・ザビエルですが、左側は「やじろう」という日本人のものです。

  • これ、タイムカプセルのようですね。教会創立200年にあたる2049年に開かれるようです。<br />

    これ、タイムカプセルのようですね。教会創立200年にあたる2049年に開かれるようです。

  • 2人の人物について書かれています。<br />

    2人の人物について書かれています。

  • 教会正面です。この教会は1849年にフランス人によって建てられたもので、2つの塔をもつゴシック建築の建物となっています。<br />

    教会正面です。この教会は1849年にフランス人によって建てられたもので、2つの塔をもつゴシック建築の建物となっています。

  • 教会正面は大通りになっていて、朝早いにも関わらず、結構車が通っていました。<br />

    教会正面は大通りになっていて、朝早いにも関わらず、結構車が通っていました。

  • こちらはオランダ広場側の風景です。道路を挟んで向かい側に何かあるので行ってみたいと思います。<br />

    こちらはオランダ広場側の風景です。道路を挟んで向かい側に何かあるので行ってみたいと思います。

  • 何かの建物の遺跡のようです。何であるかについての解説パネルなどの設置はないようでした。<br />

    何かの建物の遺跡のようです。何であるかについての解説パネルなどの設置はないようでした。

  • 土台の部分だけがボロボロになっていますが、残されています。<br />

    土台の部分だけがボロボロになっていますが、残されています。

  • セント・フランシスコ・ザビエル教会も敷地内だと写真に納まりきらなかったのですが、どうぞを挟んで向かい側からだとこのようにきれいに納めて写真を撮ることができました。<br />

    イチオシ

    セント・フランシスコ・ザビエル教会も敷地内だと写真に納まりきらなかったのですが、どうぞを挟んで向かい側からだとこのようにきれいに納めて写真を撮ることができました。

  • セント・フランシスコ・ザビエル教会を後にして、また昨日と同じようにオランダ広場へと向かいます。<br />

    セント・フランシスコ・ザビエル教会を後にして、また昨日と同じようにオランダ広場へと向かいます。

  • オランダ広場に到着しました。<br />ふと思ったのですが、中央にある大きな木はいつからこの広場を眺めているのだろう、、、数百年この場でいろんなものを見てきたのでしょうか、、、<br />

    オランダ広場に到着しました。
    ふと思ったのですが、中央にある大きな木はいつからこの広場を眺めているのだろう、、、数百年この場でいろんなものを見てきたのでしょうか、、、

  • ムラカ・キリスト教会の隣に建つ博物館です。<br /><br />

    ムラカ・キリスト教会の隣に建つ博物館です。

  • 建物の色調が統一されていると綺麗ですね。<br />

    建物の色調が統一されていると綺麗ですね。

  • マラッカ川、お世辞にもきれいとは言えなそうですが、早朝だからかとても静かで風情があります。<br />

    マラッカ川、お世辞にもきれいとは言えなそうですが、早朝だからかとても静かで風情があります。

  • 大航海時代は多くの船でさぞ賑わっていたのでしょうね。<br />

    大航海時代は多くの船でさぞ賑わっていたのでしょうね。

  • 川向こうにはハードロックカフェが、、、不思議な感じです。<br />

    川向こうにはハードロックカフェが、、、不思議な感じです。

  • 公園の真ん中にある噴水も歴史を感じさせます。<br />

    イチオシ

    公園の真ん中にある噴水も歴史を感じさせます。

  • 時計塔も正面から撮っていなかったので、1枚。<br />

    時計塔も正面から撮っていなかったので、1枚。

  • 花や木の中にある時計塔も画になります。<br />

    イチオシ

    花や木の中にある時計塔も画になります。

  • オランダ広場に面する部分のスタダイスについても、1枚。

    オランダ広場に面する部分のスタダイスについても、1枚。

  • スタダイスの壁面に設置されていたこのパネル、意味はわからなかったのですが、、、1941−1945が見えるので、太平洋戦争に関連するもののようです。<br />

    スタダイスの壁面に設置されていたこのパネル、意味はわからなかったのですが、、、1941−1945が見えるので、太平洋戦争に関連するもののようです。

  • 広場側からは上ることはできないようです。<br />

    広場側からは上ることはできないようです。

  • スタダイスと時計塔で1枚。<br />

    スタダイスと時計塔で1枚。

  • 昨日は時間がなくて断念したのですが、今日は少しだけ余裕があったので、チャイナタウンがどんな雰囲気なのか、写真だけでも撮っておきたいと思いました。オランダ広場から川を渡ってすぐのところにチャイナタウンの通りがあります。<br /><br />橋を渡っていきます。

    昨日は時間がなくて断念したのですが、今日は少しだけ余裕があったので、チャイナタウンがどんな雰囲気なのか、写真だけでも撮っておきたいと思いました。オランダ広場から川を渡ってすぐのところにチャイナタウンの通りがあります。

    橋を渡っていきます。

  • チャイナタウンの入口には、こんな大きな船の模型が飾られています。自分の中での勝手なイメージどおりです(いかにもチャイナタウンっぽいなと)。

    チャイナタウンの入口には、こんな大きな船の模型が飾られています。自分の中での勝手なイメージどおりです(いかにもチャイナタウンっぽいなと)。

  • チャイナタウンの通りです。時間がなくて中まで歩いていくことができず、とても残念。昼間・夜は明るくてとても賑わっているんだろうな、と考えながら後にしました。<br />

    チャイナタウンの通りです。時間がなくて中まで歩いていくことができず、とても残念。昼間・夜は明るくてとても賑わっているんだろうな、と考えながら後にしました。

  • チャイナタウンへ通じる橋から見たオランダ広場です。<br />

    イチオシ

    チャイナタウンへ通じる橋から見たオランダ広場です。

  • 結局、スタダイスへは行かなかったのですが(高台にあって、正直行き方がよくわからなかった、、、)、遠くから望遠で1枚。<br />

    結局、スタダイスへは行かなかったのですが(高台にあって、正直行き方がよくわからなかった、、、)、遠くから望遠で1枚。

  • いよいよ夜明けです。太陽が教会のバックから顔を出してきました。<br />まだ暑くない早朝に、世界遺産を巡る散歩ができて、朝からとても気分が良かったです。仕事に向けて良い気を蓄えることができました!

    イチオシ

    いよいよ夜明けです。太陽が教会のバックから顔を出してきました。
    まだ暑くない早朝に、世界遺産を巡る散歩ができて、朝からとても気分が良かったです。仕事に向けて良い気を蓄えることができました!

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