2014/01/18 - 2014/01/20
794位(同エリア4949件中)
ひでさん
年明け最初の海外旅行は、マカオへ行きました。私にとってはマカオは初めてで、多くの世界遺産が登録されていることから、その登録物件を巡る散歩をとても楽しみにしていました。
3日間という短い日程でしたが、くまなく市内を散策して、多くの写真を撮ることができました。
是非ご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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いきなり何の写真?と思ってしまいますが、これは「APM:シャトルトレイン」の中から外の線路を撮ったものです。
今回は、香港からフェリーに乗ってマカオへ入るというルートをとりました。空港のフェリーチケットカウンターでチケットを購入し、APMに乗ってフェリー乗り場のスカイピアまで移動します。 -
スカイピアに到着しました。移動時間は約4分。
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フェリー乗り場へと移動します。
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とてもきれいな建物で、感じがいいです。
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フェリー乗り場までやってきました。ちょうど別の船が出港するところでした。
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こちらが今回乗船する「ターボジェット」です。
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フライトの案内掲示板に似ていますね。
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いよいよ出発です。マカオの外港フェリーターミナルまでは約50分の船旅です。
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ついにマカオに到着しました。ここまでわりあい便利でそれほどストレスを感じることもなく来られた気がします(乗り継ぎの時間は我慢しなければなりませんが)。
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ターミナルからホテルまでの移動を飛ばしてしまいましたが、、、ホテルに到着です。今回宿泊したホテルは「ソフィテル・マカオ・アット・ポンテ16」です。世界遺産が密集したエリアに近く、私にとってはベストな立地です。
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ホテルの部屋からの風景です。このホテルは海(内港)に面していて、対岸は中国本土(珠海市)となります。
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こちらはマカオ側の海岸線に沿った風景です。建物が密集しています。
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イチオシ
対岸の本土も高層ビルが林立していますね。
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さっそくですが、少し散歩へ出かけることにしました。
ちなみに、このホテルにもカジノがあります。 -
マカオ歴史地区の登録物件は30件もあるのですが、これらを北から南に向かって順番に巡って行きたいと思います。
まず最初に訪れたのは「カモンエス広場」です。この奥が小高い丘となっていて、全体がルイス・カモンエスという公園になっています。この広場も含めて3件世界遺産登録物件があります。 -
広場の隣に、プロテスタント墓地がこの中にあります。中には入ることはできないようでした。ここも世界遺産に登録されています。
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東方基金會という団体の建物がこの奥にあります。それも登録物件です。
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このような世界遺産登録物件についての解説が書かれたパネルもあちこちに設置されています。
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カーサ広場・東方基金會の建物です。1770年に建築された当時は貴族の別荘で、その後に東インド会社幹部の私邸を経て政府の財産となっていたが、1989年に東方基金會によって買い上げられ、今はその事務局となっているそうです。
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ゆかりある人の銅像ですね。
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隣はプロテスタント墓地ですが、その入口にはモリソン教会という教会があります。
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プロテスタント教会にはイギリス・アメリカの宣教師や商人など約150人の墓があるそうです。著名人も多く眠っているとか。
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公園は市民の憩いの場になっているようですね。
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一応、場所が分かる看板もパシャリ。
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広場の奥には高層ビルも見えます。周囲には近代化の波が押し寄せてきていて、ここの一角だけ守られているような感じを受けますね。
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次にやってきたのは広場の南側にある「聖アントニオ教会」です。表札が金ピカで文字が読めない、、、
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1638年に建てられた歴史ある建物です。イエズス会が初期の本部を設置した場所で、1565年にマカオで最初に建てられた礼拝堂の跡地に建っているのだそうです。
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教会を後にして、市内を南の方角へ散策です。雑多な街並みですね。
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「旧城壁」という登録物件の前にやってきました。この壁が世界遺産とは。
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1569年にポルトガルが築いた城壁で、港のある西方向を除き南北・東をぐるっと城壁で囲んでそれぞれに砲台を設置していたのだそうです。
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旧城壁に隣接して建つのが「ナーチャ廟」。マカオには2つナーチャ廟があるとのことですが、1888年創建のこちらが世界遺産登録物件。ナーチャとは中国民間信仰の暴れ神で「西遊記」にも登場するとか。
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旧城壁にアーチ型の門があって、この先は民家に続いているようです。
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ここマカオで最も有名な「聖ポール天主堂跡」へとやってきました。ナーチャ廟の隣にあります。
北から順番に回ってきたら、反対側から到着してしまいました。 -
正面へとまわっていきます。メインスポットとあって、かなりの人ごみです。
日もだいぶ落ちてきて、ホテル「GRAND LISBOA」のイルミネーションが目を引きます。 -
「聖ポール天主堂跡」です。先に裏側から見てしまったのがちょっと残念。
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すっかり暗くなってきてしまいました。ファサード前のイエズス会記念広場の階段を下へと降りていきます。
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天主堂跡のあたりは観光の中心地となっているのか、人、人、人で歩くのも大変です。多くの店が立ち並び、賑わっています。
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ずいぶん南まで下ってきて、「聖ドミニコ教会」までやってきました。ファサードがライトアップされてとても美しいです。
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イチオシ
多くの飾り付けがされてとてもきれいです。来る春節(旧正月)に向けて街が華やかになっているということでしょうか。
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セナド広場までやってきました。そこに面して建つ、この「仁慈堂大樓」も世界遺産です。
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街の中心地となるセナド広場は大賑わいで春節の飾り付けで一杯です。
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ヨーロッパ風の建築と春節との不思議なコントラスト。正面の建物は郵政局(中央郵便局)で、1929年創建の歴史ある建造物です。
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新馬路を挟んでセナド広場の真向かいにある「民政総署」もまた世界遺産登録物件です。
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イチオシ
それぞれの建物のライトアップがとてもきれいです。
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夕食は「陶陶居海鮮火鍋酒家」という広東料理の老舗のお店です。地元の人にも人気があるとのことでした。セナド広場前を通る新馬路は今回宿泊したソフィテル・マカオ・アット・ポンテ16へ向けて真っ直ぐ延びているのですが、ちょうど広場とホテルとの中間くらいの新馬路から路地裏に入ったところにあります。
点心などをいただきましたが、料理の写真を取り忘れたので最後のデザートのみです。どれも美味しかったですよ。 -
夕食もとって、夜遅くになってしまったので、今日の散歩は終了です。ホテルへ帰ってきました。
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翌朝です。朝のマカオ、もやがかかっています。
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今日も市内を散歩です。昨日の続きでまずはセナド広場まで移動してそこからまた南下していきます。
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セナド広場から徒歩2分ほどの近くに、「關帝古廟」があります。商売の神様、関羽を祀る関帝廟は日本でもよく知られていますね。ここも登録物件の一つです。
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廟内部です。
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小さな関羽像が飾られています。
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清の時代に店舗の交流施設として栄え、その後マカオ市部の商工会議所や公民館の役割を果たしたそうですが、1920年代にはこの関帝廟だけを残して他の機能は失われたそうです。
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またセナド広場へとやってきました。登録された世界遺産の方角を示す標識があちこちを指し示しています。
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広場は昼間も多くの人で賑わっています。こちらは民政総署の方角。
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こちらは昨日歩いてきた聖ドミニコ教会・広場の方角となります。
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自分は夜のライトアップされた風景のほうが好きですね。
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あらためて「仁慈堂大樓」です。これは18世紀後半の建物で、新古典主義様式にマヌエル様式というポルトガル独自の様式が加わるという特徴があります。内部には博物館があって、17〜18世紀の文物が展示されています。
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そして「聖ドミニコ教会」です。1587年にメキシコのアカプルコからやってきたドミニコ修道会のスペイン人修道士3人によって創建されたものです。
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教会前は道路と区別がつかない大きさですが、聖ドミニコ広場という広場となっています。
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教会の後方にある建物の中の一部のフロアは美術館になっていて、宗教美術品が納められているそうです。
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「聖ドミニコ広場」も世界遺産に登録されています。
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教会に入ってみました。礼拝堂もパステルイエローで明るくきれいですね。正面の祭壇には色鮮やかな聖母子像が祀られています。祭壇上のエンブレムはA.M.(アベ・マリア)の文字をモチーフにしたものだそうです。
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聖母子像は17世紀ポルトガル製、その像の下に描かれている白と黒の十字はドミニコ会の紋章だそうです。
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美術館にも来てみました。
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ここには約300点の宗教美術品が収蔵されています。
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さて次はどこへ行きますか。
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南下の前に、セナド広場から東側にある登録物件をまずは訪れることにします。
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路地を進んでいきます。正面に既に目的の建物が見えています。
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大堂(カテドラル)です。マカオで最も重要なカトリック教会で、1622年にイエスの弟子、聖ラザロを祀る教会として創建されました。日本を含むアジア地区の主教座であったそうです。
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こちらは大堂の隣にある主教公署、司教の邸宅です。
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大堂の前の広場「大堂広場」、ここも世界遺産に登録されています。
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一応、場所が分かる写真も撮っておきます。
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少しだけ離れて、もう一度全景写真を。
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広くはないですが、石畳で噴水やベンチなどもあって休憩にいいかもしれません。
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さて、次はどこへ行きましょうか。
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他へ行く前に、大堂の中を見てみましょう。
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今まさにミサの最中でした。奥のステンドグラスがとても美しいです。
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広場を少しだけ散歩です。
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ここにも世界遺産の案内が設置されていました。
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イチオシ
大堂(カテドラル)とはこれでお別れです。
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ここに至る途中経過の写真はないのですが、「盧家屋敷」に到着です。大堂のすぐ近くです。
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この建物、20世紀初頭に莫大な富を築いた実業家の邸宅の一つとのこと。紹介ボードが設置されています。
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なんとも不思議な空間です。
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屋根がない、、、吹き抜けになっていて、中庭ということでしょうか。
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受付?のようですが、寝てます。
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清朝後期の西関(広州)建築様式をベースにポルトガル風の装飾を加え、さらに風水を取り入れた設計の屋敷なのだそうです。
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戸のガラス部分のデザイン、漢字が取り入れられていますね。「栄華」の文字は読み取れます。
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ああ、「富貴栄華」と書いてあるのですね。
なんとも不思議な感じがした邸宅でした。 -
さらに散歩を続けましょう。
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一旦この狭い路地を抜けて、近くのセナド広場へ出たいと思います。
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セナド広場に面する民政総署前へとやってきました。内部を見学していなかったので、入ってみることにします。
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春節前だからでしょうか。きれいな飾りつけがされています。
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展覧会も開催されていました。
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入って正面の階段の上にはレリーフが飾られています。聖母が描かれています。この吹き抜けになっている、階段を上って行くと、、、
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中庭へと出てきました。小さいですが、2つ胸像がありました。一つがポルトガルの有名詩人ルイス・カモンエスのもの。
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もう一つの胸像(この写真だと小さくて見えにくいです)が作家ジョアン・デ・デウスのもの。でもどっちがどっちなのかはわかりません。
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しばらくこの中庭でのんびり休憩して、散歩を再開です。
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民政総署を後にして、さらに南へと進んでいきます。
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坂を上って、上がりきったところにまた登録物件があります。「聖オーガスチン教会」及び教会前の広場「聖オーガスチン広場」です。
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レンズが広角でないので、、、この角度でしか全景が撮れないですが。この教会は1591年にスペイン・アウグスチノ修道会の修道士らによって創建され、ポルトガル・イエズス会に継承されたもので、現建物は1874年再建のものだそうです。
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教会の向かいにある建物「ロバート・ホー・トン図書館」も登録物件です。こちらも広角で取れないので、微妙なアングルとなってしまいました。
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先にこの図書館に入ってみましょう。
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内部は入り組んだ独特な構造となっています。
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1階部分がオープンな構造になっていて、奥の庭園へと続いています。
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2つの建物を階段や渡り廊下でつないだ構造になっているのでしょうか。左側の黄色い建物がオリジナルで右側の白とガラスの建物が増設された図書館のようです。
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1階部分を抜けると、さらに奥の建物へと続く通路と庭園となっています。
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ちょっとした憩いの場、となっているのでしょうか。
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見上げてガラス越しに中を見ると、確かに図書館のようです。
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見学終了です。この図書館は1840年代香港で実業家として精巧を収めたロバート・ホー・トン卿を記念したマカオ最大の公共図書館で、元々は彼の別荘だったものが死後に遺言によりマカオ政府に寄贈され、1958年から公開されているのだそうです。
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この小さな広場が「聖オーガスチン広場」です。
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次はこの教会の中を見学したいと思います。
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黄色に彩られた内部は外からのイメージに比べてずいぶん広い印象です。
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中央の祭壇は大理石で重厚感があふれ、約20mもの奥行きがあるとのことです。
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外からですと、それほど大きいようには見えないのですけどね。ファサードですが、窓飾りが渦巻き型になっていて特徴的です。
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次は教会の向かいにある建物へ行ってみましょう。
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こちらは「ドン・ペドロ5世劇場」です。これも登録物件となっています。1860年、ポルトガル国王ドン・ペドロ5世を記念して建てられたものです。
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それでは中へ入ってみることにしましょう。
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派手さはなく、落ち着いた印象です。
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劇場内部です。小さな劇場ですね。
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2階にも行けるようなので、行ってみたいと思います。
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劇場にしてはあまり高さがないですね。
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2階席からの眺めです。本当に小さい!
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劇場を後にして、次にやってきたのは、「聖ローレンス教会」です。正面ではなく、裏側に入ってしまいました。
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ここを進むと正面へ出られるようですが、まずは中を見てみたいと思います。
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ブルーグリーンに塗られた天井からシャンデリアが下がり、ステンドグラスがとても美しいです。
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祭壇には法衣をまとった聖ローレンスの像が祀られています。
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ステンドグラスにはキリストの生涯が描かれているのだそうです。
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正面から外へと出てきました。正面側は高台になっていて階段を上ってこなければならないのですね。
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この聖ローレンス教会は左右に塔を持つ造りとなっています。創建は1558〜60年と古く、その後移設されたものの1803年に再建され、何度か改修されて今に至っているそうです。
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聖ローレンス教会を後にして、すぐ隣にある「聖ヨセフ修道院および聖堂」へとやってきました。
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門をくぐると、ゲッ!階段が、、、長い、、、ここまでで結構キツイのになぁ。
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それでも何とか上ってきて、教会(聖堂)の前までやってきました。
1728年にイエズス会宣教師の育成を目的としてまずヨセフ修道院が建てられ、それに隣接して1758年に教会が建てられたとのことです。
ちなみに、修道院には入れません。 -
聖堂内部です。美しいです。
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このドーム型の天井をもつ教会はマカオでは珍しいそうです。中央にはイエズス会の紋章があり、2段に規則的に並ぶ天窓から外光が差し込んでとても明るいです。
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聖ヨセフ教会にはフランシスコ・ザビエルの遺骨が安置されています。ここがその場所です。
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1552年に中国で亡くなりましたが、宣教師たちは遺骨を日本へ持ち帰ることを希望し、1619年に一部の遺骨を日本へ持ち込もうとしました。しかし、キリスト教迫害の為に成し遂げられず、その後曲折を経てここに安置されることになりました。
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教会を後にして、さらに南西方向に歩いてきました。
ここは「リラウ広場」。世界遺産に登録されています。周りを住宅に囲まれた小さな広場ですが、ガジュマルの大木が広場中央にドンと鎮座し、落ち着いた場所となっています。 -
リラウとはポルトガル語で”山の湧き水”のこと。昔のマカオのおもな水源の一つだったそうです。
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ここが湧き水の出たところなのでしょうか?今はこのようにきれいに整備されています。
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リラウ広場の近く、路地を少し入ったところに「鄭家屋敷」という屋敷跡があります。
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ユニークな門ですね。ここをくぐって中へ入っていきます。
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とても敷地が広いです。占有面積が4000?もあってマカオで最大規模の住居なのだそうです。
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さすがに古さが目立ちますね。1869〜81年にかけて建てられた中国近代の著名な思想家、鄭觀應の屋敷跡で部屋数は60以上もあります。鄭家が手放してから政府が8年もかけて修復したそうです。
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敷地を囲む塀も繊細な細工が施されていて素晴らしいです。
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中庭も広いですね。
この屋敷跡、広くて構造がよく分からないまま、通過しただけで終わってしまいました。一番奥にある建造物がメインで、そこが見所だったそうなのですが、残念でした。 -
次に訪れたのは「港務局大樓」。中東風の建築スタイルが特徴的です。
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1874年にイタリア人建築家の設計で建てられた、元はマカオの治安を守るための兵の宿舎でした。
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広い回廊が巡り、イスラム式装飾が施された、きれいな建築物でした。
中には入りませんでしたが、館内ロビーのみ公開されています。 -
いよいよ”まちさんぽ”も終盤になってきました。マカオ半島の南端近くまで歩いてくることができました。
世界遺産登録物件の一つ、「媽閣廟」前の広場です。 -
媽閣廟の広場も世界遺産です。「バラ広場(媽閣廟前地)」です。
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広場をはさんで媽閣廟の向かいにはマカオ海事博物館があります。
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広場の向こうは政府の施設か何かでしょうか?
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広場の周りにはいくつか店もあって、多くの人で賑わっていました。
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それでは媽閣廟へ入ってみたいと思います。この寺院は丘の斜面に建っていて、上まで上るのは結構大変そうです。
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日本のお寺でもよく見ますね。線香がたくさん立てられていて、煙がモクモクです。
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斜面に張り付いたように石段が設置されています。少しずつ上っていきます。
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境内には4つの廟があって、内3つは船員や漁師の守り神である阿媽を祀っているため阿媽閣とも呼ばれているそうです。この呼び名が「マカオ」の地名の由来となったとも。
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先へと進んでいきます。
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内部はこのように華やかです。
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それにしてもそれほど広くないところに多くの参詣者が訪れていますね。火のついた線香を持っているので、結構危ないです。
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建物は歴史を感じさせます。
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渦巻状の線香です。煙がすごい、、、
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この媽閣廟はマカオ最古の中国寺院で、明朝初期に福建省からやってきた漁民によって建てられたと言われています。
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境内から見る「バラ広場」です。奥に見える高層ビルは中国本土です。
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マカオ半島南端での世界遺産見学もこれで終了です。いろいろと見ながら歩いてきたので、ホテルを出発してからもう5時間ほど経っています。でも実際の距離はそれほどでもなく、セナド広場からまっすぐ歩いてくると30分ほどで来られるようです。確かに遠いという印象はありませんでした。
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帰りは一気にバスでセナド広場まで戻ってきました。そこからまだ見ていない見どころを巡りながら、ホテルへ戻りたいと思います。
まだ見ていないのは「モンテの砦」そこへ向かって天主堂跡のふもとを歩いていきます。少し離れた坂下から仰ぎ見るファサードもとても美しいと思います。 -
天主堂跡の隣にある「モンテの砦」へとやってきました。ここはイエズス会の修道士によって天主堂とともに造られたそうです。聖職者が戦争の施設を造る、そういう時代だったのですね。
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だいぶ高いところへと上ってきました。市内が一望できそうです。
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立派な大砲の登場です。
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城壁の間から大砲が顔をのぞかせています。
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この砦には22門の大砲が海へ向いているそうですが、中国本土へ向いているのはないそうです。敵対の意思がないことをあらわしているとか。
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砦の入口へとやってきました。
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ポルトガル語のようですが、何て書いてあるのでしょう。
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砦の外壁はかなり劣化が目立ちますね。
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さあ、砦の内部へと入っていきます。ちょっとおしゃれな街中を歩っているような感覚を受けます。
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砦跡に今は「マカオ博物館」が造られています。
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この博物館、市内から大陸までの一望できる絶好の展望台になっています。
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この「モンテの砦」、当時はマカオ最強の砦だったそうです。1622年、オランダ艦隊が攻め込もうとした際に大砲から弾を打ち込み、撃退したそうです。
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今日の散歩の最後に聖ポール天主堂跡をまた見ておきたいと思いました。このファサード、間近に見ても細部に渡り美しくて、往年の姿を想像すると、復元された姿も見てみたいと思ってしまいます。
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ファサードの裏側はこのようになっているのですね。確かに、補強の必要はあります。壁一枚ですから、、、
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聖ポール天主堂跡のファサードを抜けてさらに進むと博物館と地下納骨堂があります。納骨堂のほうへとやってきました。
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ここが地下納骨堂です。この写真だと分かりづらいのですが、両サイドの棚に遺骨が納められています。日本人及びベトナム人殉教者や数百年前に埋葬された聖職者たちの遺骨が納められているのだそうです。
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今日一日の散歩を終え、食事をしてホテルへと戻ってきました。すっかり暗くなってしまいました。
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マカオ最後の夜になってしまいました。2日間、ずいぶんと歩き回りました(最終日:翌日は観光はできないので)。ゆっくりと休むことにします。
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翌日、もうこの日は帰国です。午後のフライトに乗るために、午前中には出発です。空港へのバスの車窓からマカオグランプリのマークが。マカオは市街地GPで有名ですね。
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フェリーターミナルに到着です。
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マカオともお別れです。TURBO JETがずらっと並んでいますね。
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出発です。とても長い橋です。友誼大橋(フレンドシップ大橋)といいます。
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この大きな橋をくぐっていきます。
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この橋は大陸と陸続きのマカオ半島と南部の島部とを結んでいます。
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速度を上げてマカオから離れていきます。
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香港国際空港へ向けてTURBO JETでひた走ります。
お疲れ様でした。
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