2014/04/05 - 2014/04/06
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entetsuさん
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高知は、転勤で1991年~1993年の間、過した街。
気がつけばもう、20数年も経ってしまった~。
今回、元上司の定年退職お祝い会にお呼びがかかり、一泊で行ってまいりました。
半年前には元部下の退職お祝い会の際がありましたが、この時はあんまり観光が出来なかった。
という訳で、今回は少々ハードスケジュールをこなし、レンタカーで観光三昧です。
★1日目のその3では、県中東部「安芸市」のスポットを幾つか巡ります。
1日目その1:やなせたかし「アンパンマンミュージアム」↓
http://4travel.jp/travelogue/10873998
1日目その2:北川村「モネの庭」、中岡晋太郎生家↓
http://4travel.jp/travelogue/10874016
★1日目その3:高知県「安芸市」エリア巡り
1日目その4:高知市で、宿泊・宴会、飲みは3次会まで
2日目その1:高知市の坂本龍馬にちなんだスポット巡り
2日目その2:「長曽我部元親」「坂本龍馬」関連スポット巡り
2日目その3:高知市観光てんこ盛り
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー タクシー JALグループ 徒歩
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さて、車は北川村を後にして、奈半利町・田野町・安田町などを過ぎ、安芸市(あきし)にやってきました。
安芸市は、三菱財閥の創立者である岩崎弥太郎の出身地であり、阪神タイガースが春季キャンプを張っていることでも知られる市です。
総人口は、18,617人(推計人口、2014年3月1日)と小さい市です。 -
最初の訪問地は「岩崎 弥太郎の生家」です。
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岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、1835年-1885年)は、幕末の激動の中、武士から実業家に転身し三菱財閥を創始した人物。
天保5年(1835年)土佐国、井ノ口村(現在の高知県安芸市)の地下浪人の家に生まれ、子供の頃から極貧の中で暮らしました。
頭脳明敏で、12歳で儒者・小牧米山に弟子入りし、14・5歳になると詩才を発揮するようになったといいます。 -
1854年21歳のとき藩士・奥宮周二郎の従者となって江戸へ出、 安積艮斎(あさかごんさい)の門人になります。 帰国後、土佐藩の執政・吉田東洋を知り後藤象二郎と親しく交わります。
弥太郎は、1866年は藩の開成館貨殖局に勤務。
同じころ、勝海舟が薩摩藩の西郷隆盛に龍馬たちの世話を頼み、慶応元(1865)年、長崎に「亀山社中」を設立し、龍馬たちに運営を任せます。
慶応3(1867)年4月、「亀山社中」は、龍馬が脱藩罪を許されたため土佐藩が引継ぎ、場所も隊員もそのままで「海援隊」となります。
龍馬が隊長となりました。
その海援隊の会計を担当していたのが、岩崎弥太郎です。
維新後の明治3年(1870年)10月から九十九商会という海運業を行う私商社の指揮者となりました。
同商会は廃藩置県後1873年に三菱商会と改名し、岩崎弥太郎個人の企業になりました。新政府の軍需輸送を独占して巨利を占め、全国汽船総トン数の73%を手中に収めた。 これと並行して海運業からの多角化によって三菱財閥の基礎を築きました。 -
イチオシ
生家は、現在も岩崎家の所有ですが、無料で開放されています。
駐車場も有り、こちらも無料。岩崎彌太郎生家 名所・史跡
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岩崎弥太郎は、三菱の創始者ということで、幕末のイメージが薄かった。
実は海援隊の会計を担当していて、坂本龍馬とも縁が深いとは知りませんでした。 -
土間。
私の実家も45年ほど前は土間がありました。 -
畳の間には立ち入り禁止です。
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こんな説明書きがありました。
誰もが知っている、三菱の「スリーダイヤのマーク」は、土佐藩藩主だった山内家の家紋「三つ葉柏」と岩崎家の家紋「三階菱」をあわせたものだそうです。 -
当時の海運業最大手は日本国郵便汽船会社(今の日本郵船でしょうか)。
態度は大きく、いかにも乗せてやるという風情だったそうです。
これに対し、新興の三菱は、店の正面におかめの面を掲げ、ひたすら笑顔で応対する。武士の意識が抜けず笑顔の出来ない使用人には、弥太郎は小判の絵を描いた扇子を渡し 「お客を小判と思え」と指導したといいます。 -
明治10(1877)年に勃発した西南戦争時には、 三菱の所有する汽船はほとんど軍用船として需要を独り占めにし、これによって得た運輸代金は1300万円という莫大な額にのぼり、更に戦争終了後の軍需品の処分でも大きく儲けます。
明治14(1881)年、三菱の最大の保護者であった大隈重信が失脚し、弥太郎は三井家の背後にいる井上馨・渋沢栄一を敵に回し、共同運輸会社と死闘を繰り広げますが、そのさなか、健康の衰えにより明治18(1885)年2月7日50歳で没しました。 -
実際に使っていたポンプ車。
今でも使えるそうです。 -
イチオシ
土蔵の壁には、三菱のスリーダイヤモンド。
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明治9年3月、世界最大の海運会社である英国のピー・アンド・オー社が、 上海・横浜航路のみならず大阪・東京航路にまで進出。
新興日本のナショナルフラッグ三菱、熾烈な価格競争を繰り広げます。
三菱は、大胆なリストラと徹底的な経費削減を行い、弥太郎社長自身の50%減給宣言。必死の防戦6カ月。9月に至りついにピー・アンド・オー社は上海・日本航路からの撤退を決めました。
弥太郎は、このビジネス戦争の勝利は社員の奮闘の賜であるとして、 各人の働きを上中下に査定した上で年末に賞与を支給することにしました。
いわゆる特別ボーナスです。
なお、これで年末賞与が制度化されたわけではなく、毎年支給されるようになったのは、「三菱社誌」で見るかぎりでは明治21年からだそうです。
三菱以外の会社では、三井には適当な記録がなく、 住友では明治15年制定の「住友家法」に『賞与例規定』があるとのことです。
明治以降の近代的会社組織において、 はじめてボーナスを支給したのは、社員の奮闘に報いようとした岩崎弥太郎である可能性は高いといえます。 -
庭には花も植わっていて、庭園の整備も大変だろうと思います。
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土蔵の鬼瓦にある、岩崎家の家紋「三階菱」。
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これがその土蔵。
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白壁が美しい。
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庭に残る日本列島の石組み。
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これは、説明板。
少年時代の岩崎弥太郎が、天下飛雄の夢を託し日本列島を模して作ったと伝えられています。 -
登録有形文化財です。
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入口前にカフェがあって、一休みしました。
お茶を購入。
(アイスはちょっと寒いというか冷たい〜) -
弥太郎さん(笑)。
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イチオシ
高知ではコメの二期作が盛ん。
20数年前、転勤で初めて高知に着任したのが3月25日。
同じように既に田植えが終わっているのに驚いた記憶が蘇りました。
弥太郎の生家は、このような田んぼの真ん中にありました。 -
安芸市での次のポイントは、「野良時計」というところがあるらしい。
駐車場に車を停めます。野良時計 名所・史跡
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ところが、野良時計が何処にあるのやら・・・。
野良時計 名所・史跡
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でも、この辺りの家は風格ある〜。
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電話番号六九番(笑)。
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川が流れ、趣は満点!
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さっきの電話番号69番のお宅も含め、今も生活されています。
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この家なんか、ホントに凄い。
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これも。
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川沿いのこの木塀も趣あります。
で、一体どこに野良時計??
自転車で通りかかった学生に聞くと、「そこですよ」。
15分くらいウロウロしてました(笑)。野良時計 名所・史跡
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やっと、見つけた〜。
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イチオシ
「野良時計」。
野良時計 名所・史跡
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いわれです。
「明治20年頃、この地の地主だった畠中源馬氏が、10歳の頃に父に買ってもらったアメリカ製の八角時計を分解しては組み立て、構造を理解し、すべての部品から手作りで作りあげた。
以来、120年にわたって時を刻み続ました。
現在は、観光シーズンやイベント時などに所有者のご協力を得て動かしていただいています。」
確かに、時計は動いていませんでした。 -
「野良時計」は今でも暮らす個人の住居です。
内部公開等はしていません。
高知在住時から結構有名なポイントでしたが、初めて来ました。野良時計 名所・史跡
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一部改築して、カフェを営業しています。
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このお宅は、大庄屋だったんでしょうね。
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道路の向こう側には、集会場?
鐘撞もあります。 -
安芸市出身者に、「弘田龍太郎」(1892〜1952)という作曲家もいます。
弘田龍太郎は、明治25(1892)年6月30日安芸郡土居村西木戸(現在の安芸市土居)生まれ。
3歳の時に父の転任により千葉へ。その後、三重の中学校を卒業し、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。
卒業と同時に、同校の助手を勤めますが、大正6(1917)年、作曲部の新設にあわせて再入学。
その後、講師を経て、助教授となります。
本格的な作曲活動は、大正6(1917)年頃からで、童謡「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」などの名曲を次々と発表し、童謡・歌曲作家としての地位を確立。
晩年は、作曲活動のかたわら、幼児教育に携わり、放送講習会やリズム遊びの指導にあたりました。
この功績を讃え、10基の曲碑が安芸市内各地に建立されているそうです。
これは、第8号「こいぼり」で、野良時計ちかくの駐車場(溝ノ辺公園)にありました。曲碑 名所・史跡
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まだまだ観光スポットもありそうですが、高知市内に向かわねば・・・。
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といっても、立ち寄らなければならないポイントが・・・(笑)。
車で7〜8分で・・・。江ノ川上公園 公園・植物園
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「江の川上公園」。
まだ、桜も綺麗ですね。 -
江ノ川上公園に立つ「岩崎弥太郎銅像」。
昭和60年に生誕150年を記念して建立されました。岩崎弥太郎銅像 名所・史跡
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昭和59年は、岩崎弥太郎生誕百五十年の年でした。
この年を記念し、安芸市が立案し、安芸商工会議所などが中心となって全国に募金活動を展開し、目標の3千万円を1年で達成しました。
像の高さは3.3メートル、台座の高さ1.1メートル。
和服姿で海に向かって立っている弥太郎をイメージして作られました。
時代の風を受けとめる大きさ、偉人のもつ独特の雰囲気が出ています。
さぁ、高知に向かわねば・・・。 -
とはいっても、安芸市といえばスポーツ好きの私にとっては押さえておかなければならないスポットがあります(笑)。
はい、「安芸ドーム(屋内練習場)」です。安芸市営球場 名所・史跡
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これは、隣接する野球場の室内練習場です。
で、その隣接する野球場こそが、「安芸市営球場」という訳。 -
ここでは、1965年度から阪神タイガースが春季と秋季のキャンプを開催しています。
ただ、2012年より春季の1軍キャンプからは撤退。
2軍とオープン戦は引き続いて使用しています。
ウエスタン・リーグの公式戦も年間数試合行われています。
写真は、2003年に18年ぶりのリーグ優勝を記念して作られた記念碑。
私は、タイガースのファンではないですが、この時は星野監督の采配で強かった〜。 -
振り返ると、太平洋。
そして、「土佐くろしお鉄道」阿佐線(ごめん・なはり線)の「球場前」駅。
「安芸市営球場」への最寄り駅です。
折しも、一両編成の列車が入線中。 -
イチオシ
2009年11月、愛称「安芸タイガース球場」を制定。
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安芸ドームの隣は、サブ・グラウンド(ナイター設備あり)です。
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南国高知は、芝も青々。
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練習を終え、グランドを均していました。
こちらは、学生のようです。 -
こちらがメインの野球場。
ナイター設備はないようです。 -
時間的に仕方ないのか、こっちも練習を終え、グランドを均していました。
こちらは、社会人野球のキャンプの模様。 -
安芸市HPより。
利用時間:午前8時30分〜午後5時
休 み:年末年始12/29〜1/3
利用申込み:生涯学習課・電話35−1020
基本使用料:職業団体・全日(8時30分〜17時)22,500円
高校生以下の団体・市内・全日(8時30分〜17時)2,810円
高校生以下の団体・市外・全日(8時30分〜17時)5,620円
以下略。 -
私の高知在住時代は、亀山努、新庄剛志の両外野手に加え、和田、八木裕、山田勝彦、入団2年目のトーマス・オマリー、大洋から移籍してきたジム・パチョレック、新人王に輝いた久慈照嘉らが活躍していました。
取材陣や観客で、高知市内から安芸市までの国道55号線は大渋滞でした。
あのころは、「土佐くろしお鉄道」も未開通でした。
「土佐くろしお鉄道」の阿佐線(ごめん・なはり線)開業は2002年(平成14年)のことでした。 -
阪神タイガースのキャンプ球場を後にします。
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高知に向かう国道55号線(土佐東街道)にある「レストラン矢流」駐車場で車を停めました。
レストラン矢流 グルメ・レストラン
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太平洋はでっかいよう・・・?
「北海道はでっかいどう」が正解ですね(笑)。 -
だいぶ車を走らせ、香南市赤岡町にまでやってきました。
ここまで来ると、高知市まではあとわずか。
ここにも、観光スポットがあり、欲張って車を停めます。 -
「絵金蔵」とあります。
駐車場からは300?。絵金蔵 美術館・博物館
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「絵金」とは。
弘瀬金蔵(ひろせ きんぞう1812年11月4日-1876年3月8日)は、江戸時代末期から明治にかけての浮世絵師。
本名は生前10回以上にわたり改名しているが一般には弘瀬金蔵の名で知られており、高知県下を中心に絵金(えきん)の愛称で親しまれている。
絵師金蔵ということですね。 -
入館料は、大人500円でした。
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金蔵は、高知城下に髪結い職人の子として生まれます。
幼少の折から絵の才能で城下の評判となり、16歳で江戸に行き、土佐江戸藩邸御用絵師・前村洞和に師事します。通常ならば10年はかかるとされる修行期間を、足かけ3年で修了し、高知に帰郷、20歳にして土佐藩家老・桐間家の御用絵師となります。
しかし、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ、高知城下所払いの処分となり、狩野派からは破門を言い渡されます。
その際、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却されたとのこと。
実際に贋作を描いたかどうか真相は明らかではないが、習作として模写したものが古物商の手に渡り、町人の身分から若くして御用絵師に取り立てられた金蔵に対する周囲の嫉妬により濡れ衣を着せられたのではないかと、擁護する意見も存在します。
高知城下を離れ、町医者から弘瀬姓を買い取った後の足取りには不明な点が多いですが、慶応年間より叔母を頼って赤岡町(現・香南市)に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵や台提灯絵、絵馬、凧絵などを数多く描き「絵金」の愛称で親しまれました。 -
おどろおどろしい絵が特徴で、当時の人気は凄かったみたいです。
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イチオシ
毎年7月第3土日には、「絵金祭り」が開かれます。
絵金祭り 祭り・イベント
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「弁天座」。
地域イベントや文化サークルの発表会、大衆演劇や映画などの興行への貸し出しをしています。
絵金蔵のすぐ前にありました。絵金蔵 美術館・博物館
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駆け足で、高知の東部の観光スポットを回ってきました。
もっと先には、室戸岬もあるし、途中・途中には四国霊場八十八箇所のお寺もあるのですが、これが限界〜(笑)。
宴会に間に合うよう、高知市内に向かいましょう。
その4へ
http://4travel.jp/travelogue/10874036
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