2013/05/08 - 2013/05/08
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frau.himmelさん
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「墓マイラー」とは、
歴史上の人物や著名人の墓を巡って、故人の足跡に思いをはせる人・・・のことを言うらしい。
もう手が届かない歴史上の人物の墓の前に静かに立つ・・、時空を超えて先人の声なき声に耳を傾ける・・、それだけで歴史上の人物がとても身近になった気がします。
今回の私の墓マイラーのきっかけ・・、それはベルリンに眠っているマレーネ・ディートリッヒのお墓に行きたいと思ったことから。
調べているうちに、今回私たちが宿泊したシェーネベルク地区にも有名な墓地があるらしい。
そこには今年グリム童話生誕200年記念の「グリム兄弟」の墓や、もっとすごい事に、「ワルキューレの戦士」のお墓もあると言う。
私の崇拝するシュタウフェンベルク様のお墓もあるのね。これは絶対行かなければ・・。
それから、私たちは今回ジャーマンレイルパス20パーセント割引のキャンペーンを利用しました。
これには割引だけではなく、さまざまな特典がついているのです。
ベルリン・ウェルカムカード48時間ももらえることになっていました。
2日間ベルリンの市内交通がタダになり、美術館や博物館入場の割引が受けられるとってもお得なもの。
それを楽しみにしていました。
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ジャーマンレイルパスキャンペーンの特典、ベルリンウェルカムカード48時間用の引き換えに来ました。
3月31日までにジャーマンレイルパスを予約すると20パーセント割引になるだけでなく、ベルリンウェルカムカード2日用、ハンブルク・デュッセルドルフ・フランクフルトの1日用カードの特典がついているのです。
これを逃す手はないわね。
いつもは現地DBの窓口でパスの購入をしていますが、今回は間に合いませんのでネットで申し込みました。 -
特典のウェルカムカードは、バウチャーを印刷して観光案内所に持っていけば引き換えてくれると言うものでした。
ところが受付で、予定された数は終了してしまってもうないとのこと。がっかりしましたね。
「いやそれは困る!楽しみにしていたのだから、何とかなりませんか・・!?」
この遠い国から来たおばさんたちに、ちょっと位便宜を図ってくれると思ったのですが、「48時間用のベルリンウェルカムカードは20ユーロです。」・・。
昨日のことでした。 -
と言うことで、今日も、Uバーンのバイエリッシャープラッツ駅から出発です。
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駅の券売機でターゲスカルテを求めます。
ベルリン市内交通はA区間、A,B区間、A,B,C区間とありますが、その差はたいしたことはないので、A,B,C区間を買います。
1日乗り放題で7ユーロです。
カードも使えるようですが、小額ですので、コインを入れます。 -
チケットを買ったらそのまま乗れるわけではありません。
この機械を通して刻印しなくてはなりません。
その時間から翌日の3時まで使えます。
この口にチケットを入れるとカチャッと刻印されて出てきます。 -
これがそのチケット。
ABC区間用1日券。
5月6日用と7日用です。
ベルリン市内(ポツダム市内も)の電車・バス・地下鉄・市電に乗り放題です。 -
電光表示板で何分後に電車が到着するかが表示されます。
私たちが気をつけなければならないことは、反対方向に乗らないようにすること。
よく失敗するんです。 -
U7Yorckstrasse駅で降ります。
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重厚な建物が並ぶ街並みを歩いていくと、向こうに旧聖マテーウス教会墓地が見えてきました。
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お墓と言うより公園入り口みたいな感じです。
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旧聖マテーウス教会墓地(1853年より)。
ベルリン中央にあるこの歴史ある墓地には、19世紀のプロイセンの時代よりの政治家、学者、財界人など錚々たる人々が眠っているそうです。 -
日本のお墓のイメージとずいぶん違いますね。
とっても落ち着いた雰囲気。
小鳥のさえずりも聞こえるような静謐な空間。
散歩している人も多く見かけました。 -
その中で目立ったのが、墓マイラーさんたちの姿。
見取り図を見比べながら、有名人のお墓を探している人たちです。
私たちも今日は墓マイラー。
さあ、お目当てのお墓を探しましょう! -
お目当ての、ワルキューレの戦士たちのお墓はとってもわかり易いところにありました。
1944年7月20日、シュタウフェンベルク大佐を中心とする反ヒトラー・グループは、ヒトラーの暗殺を試みましたが、失敗してしまいました。
そして銃殺されてしまいます。 -
1944年7月20日の追悼
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク
ルートビッヒ・ベック、
フリードリヒ・オルブリヒト、
アルブレヒト・クヴィルンハイム、
ヴェルナー・フォン・ヘフテン -
黄色いバラの花がそっと供えてありました。
トラベラーのしょうちゃんさんから、前にコメントをいただいたことがあります。
暗殺に失敗したシュタウフェンベルク大佐らは銃殺され、一旦軍服のまま埋葬されたそうですが、その後ヒムラーの命令で掘り起こされました。そして階級章などをはぎ取られ、火葬されたあと、その灰はベルリンの下水処理場にばらまかれたそうです。
ですから彼らの遺骨がここに眠っているわけではないと思います。 -
こんなプレートがはめ込んであります。
Ehrengrab Land Berlin(ベルリン市名誉市民の墓)
ベルリン市に貢献した著名人は、ベルリン市が責任を持ってお墓を維持してくれるという証明だそうです。
ヒトラー暗殺未遂事件のことについては、2010年の旅行記でご紹介しています。よかったら併せてご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10517178 -
ここに並んでいるお墓、みんな著名人のお墓に見えてしかたがありません。
-
この立派なお墓はプロイセンの貴族のもののように物々しく見えるし・・。
名前が見えないので調べようがない。 -
私も今日は墓マイラー。
墓石の名前を読み取って、ネットで調べます。
Heinrich Karl Ludolf von Sybel (1817ー1895)。
見つかりました!。
ドイツ政治史の黄金時代を築いた政治家だそう。 -
ブロンズの横顔がはめ込まれた立派なお墓、さぞかし著名な方でしょう?
「Rudolf von Gneist(1816-1895)」
ルドルフ・フォン・グナイスト -
この人のお墓にもベルリン名誉市民の墓プレートが・・。
ありました!。日本語のWIKIに載っていました。
プロイセン時代のドイツの法学者(国法学)で政治家。ユダヤ系ドイツ人。
伊藤博文、伊東巳代治ら日本の憲法調査団にドイツ国法学を講義し、明治憲法にも影響を及ぼした人だそう。
かの有名なマックス・ヴェーバーは教え子だそうです。 -
この人も青銅の胸像がはめ込まれています。
Otto von Camphausen(1812-1896)。
1869年から1878年の間、プロイセンの経済大臣を務めた人。 -
このすばらしいお墓はどんな著名人?
-
いえ、違いました。
Denkmal positHIV
HIVエイズで亡くなった人々のメモリアル -
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この墓地でたぶん一番有名なお墓でしょうね。
グリム家のお墓。
今年はグリム童話生誕200年記念。
お参りする人もあとを立たないようで、新しいお花が飾られていました。
右からヤーコプ・グリム(長兄)、ヴィルヘルム・グリム(次男)のグリム兄弟。
後の二つはヴィルヘルムの息子ルドルフ・グリムとヘルマン・グリムの墓。
ヘルマン・グリムも文学研究者となり、フンボルト大学で教鞭を執ったそうです。 -
ヤーコプとヴィルヘルムのお墓。
-
お墓にはグリム童話の本が供えられていました。
今年は、グリム童話生誕200年です。
そしてここにも、ベルリン名誉市民の墓プレート -
静かな空間です。
ここで、私たちは道を尋ねられました。日本人の私たちにですよ!(笑)
地図を見せられて、「グリム兄弟のお墓はどこですか?」って。
この方も墓マイラーね。 -
サクラの並木道を厳かにお葬式の人々が通り過ぎます。
どなたが亡くなられたんでしょう? -
サクラの花びらの絨毯。
参列者は続きます。 -
旧聖マテーウス教会
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広いお墓を用意できない人のためにお墓の団地もありました。
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お花やさんやレストランも営業している墓地です。
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次に私たちが降り立ったところは、Sバーンで一つ目のアンハルター駅。
ここも歴史的にすごいところなのです。 -
駅の壁には往時の駅のパネルが展示してあります。
1880年、アンハルター駅はベルリンを代表する重要な駅として完成しました。
この威風堂々たる新駅舎の落成式には、時のヴィルヘルム1世やビスマルク宰相も同席したそうです。 -
アンハルター駅から、ドレスデン、フランクフルト、ミュンヘン、ウィーン、ローマ、アテネ方面への長距離列車の駅でもありました。
またドイツへの要人や国賓を乗せた列車もこの駅に到着したため、「カイザー・バーンホフ(皇帝駅)」とも呼ばれました。
明治時代、日本の留学生だった森鴎外も長い月日をかけてこのアンハルター駅にたどり着いたのです。 -
そしてヒトラーが政権を取った1935年の写真。
アンハルター駅付近の賑わいぶりを見ても、ここが第三帝国の中心駅だとわかります。
1941年、大日本帝国の外相・松岡洋祐がベルリン入りをしたのもこの駅です。
駅は日本・ドイツの両国の国旗で飾られ、ナチス親衛隊が整然と隊列を組んで、ドイツ外相と高官たちが松岡を出迎えたそうです。 -
Sバーン(地下にあるのにSバーン?)から地上に上がります。
ホームの写真で見たのとは大違い、この遺構がポツンとあるだけ・・ -
ベルリンで一番格式ある駅として活躍したアンハルター駅は、第二次大戦で連合軍によって徹底的に破壊されました。
現在は、ファサードだけがそのままの姿で、モニュメントとして残されています。 -
駅の後ろ半分は当時のそのままの姿、前半分は修復された玄関です。
-
修復された部分。
美しい装飾が施され、当時如何に美しい駅であったかが偲ばれます。
戦後、この駅は撤去される予定でしたが、住民の反対にあい、1960年ファサードのみを残して取り壊されました。 -
現在、この駅舎の前は車が渋滞する交通の要所になっています。
-
そしてこの駅にはもう一つの歴史が隠されていました。
1942年6月、ナチスはベルリンに住む年配のユダヤ人を、このアンハルター駅からテレジエンシュタットのゲットーまで移送し始めました。
1945年5月までに15,000人以上のユダヤ人がベルリンの各駅から送られましたが、このアンハルター駅からは9600人以上の人々が移送されたそうです。 -
この表にはユダヤ人が移送された日と、人数が克明に記されています。
第1回目は1942年6月2日50人が、最後116回目は1945年3月27日42人が送られています。 -
「移送は一般の人々に混じって行われた。
テレジエンシュタットへは、ドレスデンまたはプラハ行きの列車に特別な三等車を連結して午前6:07、1番線から発車した。
移送された人々は、ほとんどが高齢者で、集合場所から朝早くトラムやトラックで連れてこられた人々だった。
彼等の服装や荷物は、プラットフォームの他の乗客とはほとんど大差は無かったが、違っていたのはダビデの星のマークを付け、監視員が付いていたことだ。
それが何を意味するのかは、皆がわかっていた。」
説明書より -
かつての駅舎やプラットホームがあった場所は、運動公園になっています。
観光客に人気のドイツ技術博物館は、アンハルター駅の貨物区だったところです。
右側に見えるSバーンの乗り場から次へ移動します。 -
次にやってきたところは Staatsbibliothek zu Berlin:ベルリン州立図書館。
ウンターデンリンデン通りから簡単に入れると思ったら、大工事中でぐるっと大回りして入り口に向かいます。 -
大きな図書館ですね。
ここを訪れた理由は、著名な神学者、ディートリッヒ・ボンヘッファーの胸像を見るためです。
本当のところ、私はボンヘッファーって人は知りませんでした。
ところが、調べていくうちに、シュタウフェンベルク大佐らのヒトラー暗殺計画、ワルキューレに加担した人物らしい。
そして、その像は、暗殺計画に失敗して絞首刑に処される像とのこと。
像や銘碑を見つけて、歴史的な背景をいろいろ推察するのもある種の墓マイラーではないかと思うのです。 -
工事中でホントに入り口がわかり難い、関係者に何度も尋ねて、やっとたどり着きました。
ここが入り口です。
◆◆
ところでディートリッヒ・ボンヘッファーとは?
「ウィキペディアより」
ディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer, 1906年2月4日 - 1945年4月9日)は、ドイツの古プロイセン合同福音主義教会(ルター派)の牧師。20世紀を代表するキリスト教神学者の一人。
第二次世界大戦中にヒトラー暗殺計画に加担し、別件で逮捕された後、極めて限定された条件の中で著述を続けた。
その後、暗殺計画は挫折。ドイツ降伏直前の1945年4月9日、処刑を急ぐ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)により、フロッセンビュルク強制収容所で刑死。
ベルリン国立図書館の一階には、絞首台のロープが首にかけられたボンヘッファーを描いた大理石の胸像が展示されている。 -
ベルリン国立図書館の一階にその像はあるというけど、見当たらない。
受付の女性にどこにあるのか聞きました。
そしたら気の毒そうに、「ここにはないんですよ。ポツダム通りに1978年に新たに建設された2号館にそれはあるんです」って。 -
ポツダム広場まで・・もう歩けません!
少し休憩しましょう。
お隣はフンボルト大学の裏口です。
学生さんたちが大勢歩いています。
ここのキャンバスで休みましょう。 -
ちょうどお昼時。
フンボルト大学の学生さんたちが昼食を食べたり、本を読んだり、おしゃべりをしたり・・。
そんな中、空いているベンチに座って、私たちもアパートで拵えてきたランチをいただきます。 -
なかなかいいものですね。
天下のフンボルト大学の学生と一緒にランチを摂るなんて。
さて、さっきから気になっているこのモニュメント、何でしょう? -
「ヒトラーのファシズムと戦って死亡した人たち・・・。」
-
と、突然Y子さんか気が付きました。
「あそこにボンヘッファーの名前があるわよ!」
Dietrich Bonhoeffer(1906-1945) -
ボンヘッファーは1924年にベルリン大学神学部に入学、最優秀の成績で1927年ベルリン大学で神学博士号を取得したのです。
その後1928年、スペインやアメリカに留学し、帰国して1931年にベルリン大学講師となったのでした。
こんなところにも彼の足跡がありました。
ボンヘッファーとはベルリン滞在中、もう一度再会するのです。
その項は別記にて。 -
お昼もいただいたし、少し元気にもなったし、街歩き再開しましょう。
この大きなパネル。
若々しい学生たちの中に冴えない初老の男。
アインシュタインです。
彼もここの教授をしていた時期がありました。 -
皇帝かと思った人物は、アイルハルト・ ミッチェルリッヒ像
ドイツの化学者 -
重厚な像に比べてあまりにも軽いノリのこの方は?
なんとドイツの詩人、ハインリッヒ・ハイネ(1797-1856)。
胸の赤いハートはなんでしょう? -
おなじみのフンボルト大学の正面。
また長くなりましたので、続編で・・。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- norisaさん 2013/12/14 12:54:19
- 墓マイラー!
- frau.himmelさん
こんにちは。
墓マイラーってあるんですね。
たしかに四十七士とか人気ありますね。
ドイツのお墓も有名人の方々のそれは立派ですね。
お墓に入るとその偉大さは引き立ち、悪名は薄れるように感じます。
古今東西、諸行無常を悟るせいでしょうかーー。
とりあえずnorisa夫妻、両方のご先祖様の墓参りが最優先です(笑&汗)
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2013/12/14 22:22:52
- RE: 墓マイラー!
- norisaさん こんばんは。
寒くなりましたね。
いつもありがとうございます。
墓マイラーって言葉、市民権を得ているらしいですよ。
面白いですね。
墓マイラーって言われる以前から時々有名人のお墓には行っていました。
ウィーンの「第三の男」で出てくるあのお墓や、ボンのベートーベンのお墓とか・・。
今回はマレーネ・ディートリッヒ、お若いnorisaさんはご存知ないでしょうね。ドイツの大女優でしたけど、ドイツには帰れなくてハリウッドで大活躍した女優さんのお墓参りが主目的だったのです。
結局、あの後、なんだかんだと忙しく肝心の彼女のお墓マイラーは出来なかったんですけど。
> とりあえずnorisa夫妻、両方のご先祖様の墓参りが最優先です(笑&汗)
そうですね、私もそうです。ご先祖さまのお墓参りが先決ですね。
耳が痛い。
なんたって、ご先祖さまが眠る九州はドイツより遠いものですから、時々ご無沙汰してしまいます(笑)。
himmel
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