2013/09/15 - 2013/09/28
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■北海道~東北~中部13泊14日、6000km車旅 真田氏歴史館~ の巻
▼真田氏歴史館/長野県上田市真田町
真田氏歴史館は、戦いの足跡や武具甲冑など真田一族に関する資料が展示された資料館です。
武田二十四将として活躍した真田幸隆をはじめとする真田一族の歴史を古文書や武具等の豊富な資料で紹介しています。
館内の展示は、年代に沿って配置されており、観覧していくうちに真田氏の活躍の様子をわかりやすく理解することができます。
≪13日目≫ 9月27日
◆足利駅前H出発
★足利学校/栃木県足利市昌平町
▼北関東自動車道大田桐生インタON
▼横川SA/群馬県安中市松井田町
▼上信越自動車道碓井軽井沢インタOFF
★軽井沢駅前通り/長野県北佐久郡軽井沢町
★旧三笠ホテル/長野県北佐久郡軽井沢町
★白糸ハイランドウェイ/長野県北佐久郡軽井沢町
★白糸の滝/長野県北佐久郡軽井沢町
▼鬼押ハイウェー
★浅間六里ヶ原休憩所/群馬県吾妻郡嬬恋村
★鬼押出し園/群馬県吾妻郡嬬恋村
▼R144号線
★愛妻の丘/群馬県吾妻郡嬬恋村
★真田氏歴史館/長野県上田市真田町
▼上信越自動車道上田菅平インタON
▼更埴JCT
▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
▼梓川SA/長野県松本市島内
▼長野自動車道塩尻インタOFF
▼R19号線
★贄川宿/長野県塩尻市贄川
★奈良井宿/長野県木曽郡楢川村
▼権兵衛峠道路
▼中央自動車道伊那インタON
▼小牧JCT
▼名神高速道路岐阜羽島インタOFF
◆岐阜羽島駅前H泊◆
≪14日目≫ 9月28日へつづく
【手記】
今回のひとり旅は13泊14日の車旅でガソリンを700リットル以上使っての大移動でした。好天の下、雄大な北海道の大地を自由気儘に走り回ってきました。気持ちよかったー!∠(^皿^)ウッシ!
全走行距離は5780km。フェリーを加えると6000kmくらいかな。
昨年9月中旬ころの旅行記なのですが、完成分を随時アップしていまーす。北海道一周の車旅日記を終えて、東北~信州の旅日記となっています。
つまごいパノラマラインで見つけた‘愛妻の丘’へ立ち寄ったのち、長野県上田市真田町の「真田氏歴史館」へお邪魔しました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 自家用車
PR
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★真田氏歴史館/長野県上田市真田町
昨年9月中旬ころの旅行記なのですが、完成分を随時アップしていまーす。北海道一周の車旅日記を終えて、東北〜信州の旅日記(13日目)となっています。 -
★真田氏歴史館/長野県上田市真田町
つまごいパノラマラインで見つけた‘愛妻の丘’へ立ち寄ったのち、長野県上田市真田町の「真田氏歴史館」へお邪魔しました。 -
★真田氏歴史館/長野県上田市真田町
秋一色、コスモスがいたるところで咲いています。 -
▼真田幸隆(幸綱、弾正忠、一徳斎) 1513年〜1574年
・ここで、ちょっと真田一族のお勉強〜♪
強い真田の歴史は昌幸の父、幸隆(晩年は一徳斎)の時代から始まる。真田一族雄飛の足掛かりとなったのは、幸隆が武田信玄に出会ったこと。 -
▼真田幸隆
武田の力を背景に山間の小さな村、真田郷から上田平へと勢力範囲を広げるようになる。中でも幸隆の名を高めたのは北信地方の豪族、村上義清の勢力下にあった砥石城(戸石城)の攻略である。 -
▼真田幸隆
信玄は砥石城の攻防戦で生涯最大ともいうべき敗北を喫していた。その砥石城を幸隆は調略により乗っ取り、武田家中の有力武将へと成長。 -
▼真田幸隆
以後武田二十四将の一人に数えられ、信州先方衆として戦野で活躍、「敗け知らずの鬼弾正」と恐れられる。 -
▼真田幸隆
もちまえの才覚で真田氏隆盛の礎を築き上げた智将幸隆だが信玄病没の翌年、主君のあとを追うように死去。享年62歳。その時、総身には戦功の証として60か所の負い傷があったという。 -
▼真田昌幸(安房守) 1547年〜1611年
・NHK大河ドラマ「真田太平記」より
昌幸は父幸隆の三男として生まれた。幼名を源五郎といい、幼くして人質として武田信玄のもとへ送られ、信玄の小姓、側近として仕える。 -
▼真田昌幸
武田家にゆかりのある武藤家を継いで、武藤喜兵衛と名のり、兄、信綱・昌輝とともに武田二十四将に数えられるほどの実力であった。のちに二人の兄が「長篠の戦い」で戦死、真田家は三男、昌幸が継ぐこととなった。昌幸29歳の時である。 -
▼真田昌幸
稀代の戦略家として武勇をとどろかせ、千変万化の謀略を駆使して領国を必死に守り抜く。執念を燃やし築城した上田城では徳川の大軍を2度も討ちのめした。 -
▼真田昌幸
関ヶ原戦後は配流先の高野山九度山で65年の一生を閉じたが、今日に至る真田の名声は、彼が作り上げ、二男、幸村が華麗な仕上げを施したものといえる。「小信玄」と言われていた昌幸、大坂の陣まで存命であったなら歴史は変わっていただろうか? -
▼真田信幸(源三郎、伊豆守、信之) 1566年〜1658年
・NHK大河ドラマ「真田太平記」より
昌幸の長男。幼名は源三郎。真田家では代々長男の夭逝が相次ぎ、この名が付けられたと言われる。関ヶ原の戦い後は幕府にはばかってか真田家に伝わる「幸」の文字を「之」と改名している。 -
▼真田信幸
弟、幸村の活躍の陰に隠れることが多い彼だが、幸村に劣らぬ猛将であり、第一次上田合戦、小田原の役の松井田城攻めでは勇猛果敢な攻撃で相手を蹴散らした。 -
▼真田信幸
家康の養女と結婚したためか、父弟と別々の道を歩むこととなったが、終生、父、弟を大切に思い、流された彼らに生活費や物資などの仕送りも続けた。 -
▼真田信幸
徳川方からは常に疑いの目を向けられ苦労も多かったが、後に幕府の老中を輩出するほどの名家となった松代藩の基礎を築いた。信幸は長命で、93歳まで生きた。しかも90歳を超えるまで藩政に携っていた。 -
▼真田信幸 ※展示室は撮影禁止
真田の名を後世に伝えたのが信幸であったことを考えると、父や弟と同様か、またはそれ以上に評価されてもよい人物といえよう。 -
▼真田幸村(源二郎、信繁、左衛門佐 さえもんのすけ)1567年〜1615年
・NHK大河ドラマ「真田太平記」より
昌幸の二男。母は信幸と同じ山之手殿。兄弟仲は良く、兄、信幸を最後まで敬愛する。現在残る幸村の手紙では、人柄の良い他人に優しい性格がにじみでる。信幸からは「物事に柔和忍辱にして強しからず」と評されたように誰からも親しまれた。 -
▼真田幸村
人質として赴いた上杉景勝に我が子のように可愛いがれ、義を感じ、父を助けるためもあってか関ヶ原では石田方に組する。 -
▼真田幸村
のち大坂冬の陣では出城「真田丸」を築き、亡父から受け継いだ知略、戦の駆け引き、用兵の機微を巧みに駆使し、局地戦ながら徳川に3度目の敗北を味わせた。
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▼真田幸村
冬の陣後、家康についていた叔父の信尹(のぶただ)より徳川方への勧誘(10万石、さらには信濃一国を提示)があったが、幸村はこれを断わり、夏の陣へと向かう。 -
▼真田幸村
家康本陣を2度も襲い、一時は家康に自刃を覚悟させるまでに至ったが、奮戦ののち戦死。49歳。長男、大助も秀頼に殉死し大坂城はおちた。 -
▼真田幸村
これら幸村の驚異的な戦いぶりは、さまざまな伝説を生み、江戸時代の芝居や錦絵で人気を博し、現代に至っても、小説の題材となっている。「真田、日本一の兵なり」と。 -
★真田氏歴史館/長野県上田市真田町
六文銭 -
▼真田氏館跡
真田氏が上田城を築城する以前の居館跡で、地元では「お屋敷」と呼ばれ親しまれています。現在は「御屋敷公園」として整備され、ツツジの名所として知られています。真田氏歴史館に隣接しています。 -
▼真田十勇士
豊臣方の武将真田幸村の家臣として活躍をしたとされる十人の勇士の総称。十勇士の活躍舞台は、真田昌幸・幸村の九度山配流から大坂の夏・冬の陣までの間で、父子を中心に、徳川家康の動静を探りながら縦横無尽に活躍する痛快なおもしろさは大好評を博した。 -
▼真田十勇士
その郎党の顔ぶれが猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・由利鎌之助・海野六郎・根津甚八・望月六郎・筧十蔵である。 -
▼長野自動車道 姨捨SA/長野県千曲市八幡
休憩です。 -
▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
ここは敷地内に展望広場が設けられ、善光寺平が眺めることができます。 -
▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
善光寺平は信濃侵攻を行う甲斐国の武田信玄と北信国衆を庇護する越後国の上杉謙信の争いの舞台となった地です。 -
▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
LOVER’S 恋人の聖地 -
▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼姨捨SA/長野県千曲市八幡
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▼長野自動車道
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▼長野自動車道 梓川SA/長野県松本市島内
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▼梓川SA/長野県松本市島内
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▼梓川SA/長野県松本市島内
小高くなった展望台に道祖神を見つけました。寄り添った双体、仲がよさそう^^ -
▼梓川SA/長野県松本市島内
道祖神 女神が酒器を持ち、男神の手にした盃に酒を注ぐ姿。 -
▼梓川SA/長野県松本市島内
ナナカマドの木 竃(かまど)に7回くべても燃え残るほど材が堅いことが名前の由来です。 -
▼梓川SA/長野県松本市島内
ナナカマドの木 -
▼梓川SA/長野県松本市島内
ナナカマドの実 ドアップで -
▼梓川SA/長野県松本市島内
ドリンク飲んで、奈良井宿へ向けてGO!GO!です。
THE END. つづく・・・
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