2013/09/22 - 2013/09/22
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しんちゃんさん
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瀧尾(たきのお)神社 栃木県日光市山内
二社一寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)の観光客がたくさん居る場所の喧騒から打って変わって、静寂な場所です。東照宮五重塔からで1.3Kmあります(Google Map)。石畳の遊歩道をゆっくり散策も良いです。紅葉時期はもみじが綺麗に色好き素晴らしいでしょう。神社お参りだけ?バカにしてはいけません!見所一杯、歴史が詰まっています。本殿、拝殿、運試しの鳥居(以上重要文化財、現在改修中)、縁結びの笹、三本杉、瀧尾稲荷神社、酒の泉、安産子種石等、約300mの距離ですが、説明版を読んで名所旧跡、歴史のお勉強ができます。写真は「運試しの鳥居」鳥居の真ん中の穴に小石を三個投げ穴を通った数で“運”を試します。彼女は2個目で小石が通過しました。横浜と東京から訪問したそうです。しんちゃんは7投目で通過ですから、あまり運はなさそうです。自分で掴むしかない!!
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瀧尾(たきのお)神社の場所です。Googleを加工しました。駐車場もありますのでナビで調べて下さい。道は狭いので“すれ違い”“側溝”に注意です。
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道路脇に大きなこの案内板がありますので通り過ぎることはありません。
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下から歩いて来ると、稲荷川の支流「天狗沢」に掛かる橋を渡ります。
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橋の上流には「白糸滝(しらいとのたき)」が見えます。落差5000mmって書くとすごいけど、落差5m!
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「白糸滝」あるいは「白糸の滝」とも書いている。読み方はどちらも“しらいとのたき”と読みます。
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参道
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瀧尾神社はただいま工事中です。残念ですが、救いは写真があります。
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いよいよ、参拝開始
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瀧尾神社は日光二荒山神社の別宮と言われます。東照宮ができる前は見事な舞台造りの建物で日光山の中心として栄えたそうです。延暦9年(790年:奈良時代末)勝道上人(しょうどうしょうにん)が創建した神社です。
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階段途中の祠。中に閻魔様がいましたが暗くて旨く撮れなかった。
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右側の説明版からです。【別所跡 東照宮の還座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。日光責めで有名な輪王寺の「強飯式(ごうはんしき)」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥の他である。明治になって別所は廃絶。永正六年(1509)日光に来た連歌師宗長の紀行文「東路(あずまぢ)のつと」には「ここより谷々を見おろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。】
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一枚前の写真の左側の説明版です。
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案内板には「影向石(ようごうせき)影向(ようごう)とは、神仏が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、弘仁11年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで、神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。」
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左側の岩が“奥の大岩”
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“奥の大岩”となりの祠(ほこら)
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先に進むと・・・石投げて遊ぶ大人。小石を拾っては鳥居に投げつける!普通ならご法度。
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小石を拾うが小石が無い!
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大丈夫、看板には・・・
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ここを狙います。しんちゃん7回目で通過、「運が無い!」
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いよいよ「滝尾神社(たきのおじんじゃ)」到着
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楼門(ろうもん)
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説明版コピーです。【重要文化財 楼門(ろうもん)重層入母屋造り総漆塗り(じゅうそういりもやづくりうるしぬ)元禄(げんろく)十年(江戸時代1697年)に移転新築された。それ以前は正面参道石段を登った付近にあり、おなじくらいの門であった江戸建築の重厚な建物である】
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楼門の左側の燈籠。寛文四と刻印があった。西暦1664年?楼門新築年代より古い!
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別院滝尾神社 拝殿 工事中のため写真がありました。
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修理中の拝殿(右)と本殿(左)
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拝殿と本殿の間の「縁結の笹」
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縁の無い方は御利益を借りましょう!
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拝殿と本殿の間の「本殿の唐門(からもん)」説明版からです。【重要文化財 本殿 唐門 本殿は三間社流(さんげんしゃなが)れ造(づく)り唐門は二脚平唐門(にきゃくひらからもん)総漆塗(そううるしぬ)り極彩色(ごくさいしき)この建物は正徳(しょうとく)三年(1713年)建て替えられたもので周(まわ)りの玉垣石畳(たまがきいしだたみ)もその時設けられた。ご神体山(しんたいさん)の女峰山(にょほうさん)を遥(はる)かに拝む(おが)ように本殿の裏壁には扉(とびら)が付けられた造りになっていて全国でもたいへん珍しい。】
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工事中のため「本殿」写真
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またまた、奥に歩いて行きます。
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本殿裏側になります。
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「無念橋」俗称「願い橋」自分で読んで下さい。
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無念橋・・・怨念がある訳ではありません!!
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説明版からです。【三本杉 神木(しんぼく) 弘法大師が、この山で修行をした時に田心姫命が現れた場所と伝えられる。初代の杉は1699、1747、1749年と相次いで倒れ、現在の木は二代目である。倒れた親木は、そのままにしておく習わしで、今も横たわっている。 この神木の霊験を示す話があり、寛文七年(1667)鶏頭院山舜の下僕が、この神木を小さいと馬鹿にして、神罰を被ったという。】
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説明版からです。【御神木(ごしんぼく)滝尾三本杉(たきのおさんぼんすぎ)古代より滝尾境内(けいだい)の最も神聖(しんせい)な処(ところ)である以前の三本杉は右側が元禄(げんろく)十二年八月十五日(1699年)中央が延享(えんきょう)四年八月二十七日(1747年)にいづれも静かな夜半(やはん)突然に倒(たお)れたと古書(こしょ)に記(しる)されている。左側は寛延ニ年六月十二日(1749年)夜半雨の中倒れたもので手をつけづに今もそのままである。その時改(あらた)めて石玉垣(いしたまがき)を設(もう)け現在に至るしたがって今の御神木は250~300年の樹齢である】
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樹齢は訳しますと2013年現在、左側から264歳、真中266歳、右側314歳となります。人間は生きても何歳か・・・木には絶対負ける!
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御神木の左側「滝尾稲荷神社」
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説明版からです。【滝尾稲荷神社 弘仁11年(820)弘法大師が滝尾神社とともに、稲荷神社も創建。 ―途中略― 昔、滝尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては、催促したという伝説が残っている。】
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守り神「狐」右側
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守り神「狐」左側
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ご本尊
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次の観光地です「酒の泉」自分で読んでね!
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「酒の泉」泉にお賽銭は入りません!
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「天狗沢」を渡ります。
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最後の観光地になりました。「子種石」
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「子種石」「子種権現」
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「子種石」「子種権現」
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「子種石」「子種権現」
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「子種石」「子種権現」
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「子種石」「子種権現」
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「天狗沢」上流、散策はここで終了です。
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滝尾神社はハイヒールでは歩きにくく運動靴が最適です。
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横浜と東京(杉並区)から訪問した女性二人組みが二荒山神社方向へ帰って行きました。「宝くじを買うと高額が当たるかも…」なんて、しんちゃんが話してお別れしました。後姿でネットOKのお約束でした。---日光プチ散歩完---
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この旅行記へのコメント (1)
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- 墨水さん 2013/10/03 23:53:05
- 無念橋。
- しんちゃんさん、今晩は。
「無念橋、怨念が有る訳ではありません。」には、笑えた。
人は「御利益を求めて、参拝する。」すなわち「願い事を持ってきます。」、願い事=念が有る事、此の念を「捨てよ。」と教えていて、無念の心を持って神に向かえと。
無為たる無窮の神と無念の心とが、初めて神と人が相対になると。
神と人が相対になって初めて、御利益が貰える事に成ると、老子が言っている。
墨水。
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