2012/02/11 - 2012/02/14
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2012年2月11日~14日まで母と娘2人の女3人で京都旅行に
行ってきました。
大の新撰組好きな妹の主導で始まった1日目。
一発目第一弾の京都旅行記は、歴女な(マイリーの)妹が書きます☆
それではマイリー妹のデビュー作をご覧ください♪
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
一日目は新撰組ゆかりの地を中心にめぐってきました^^
歴史の流れ順に書こうかと思ったのですが、旅行記と謳っている以上
やはり、旅行してきた順にいこうかと思います!!
まず京都に着き一発目に訪れたのは【不動堂村屯所跡】です。
リガー・ロイヤルホテルの入り口の所にあります。
ここ不動堂村屯所跡は彼ら新撰組が西本願寺を追い出され、次の屯所として住まいを置いた場所です。この屯所は彼ら新撰組にとって最後の屯所となります。
このあと、あの有名な慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いが起きます。
みなさんも知っている【鳥羽・伏見の戦い】と言えば、新撰組六番組組長・井上源三郎が敵の銃弾を受け戦死し、また監察方の山崎丞も重症を負い、江戸へ撤退する際の船上で戦死したとされています。 -
次に油小路にある【油小路跡】です。
不動党村屯所跡から歩いて約10分弱で行けます!
ここは新撰組に参謀として入隊した伊東甲子太郎が暗殺され、埋葬されている場所です。
伊東さんは攘夷派で尊王攘夷派の新撰組とはなにかと対立し合い、結局暗殺されてしまいました。
今でも血が・・っていうのは無いけれど、住宅街にひっそりとたたずむ姿をみて少し悲しかったです。近くには暗殺された現場もあります。ぜひ行ってみてください!! -
こちらは新撰組が二番目に屯所としていた【西本願寺】です。
油小路から歩いて10分弱で行けます。ほとんどの新撰組ゆかりの地は歩いてめぐれる距離なので、当時の彼らと同じ地を踏んでいるのだと感動できます!!
この写真は西本願寺で唯一当時のまま残っている【太鼓楼】です。 -
やってきました!!新撰組本拠地【壬生寺】です☆
もう彼らの誕生の地とも言っては過言ではない神聖な場所です。
ここも西本願寺から歩いて15分ぐらいで行けます。
この境内の中で武術の稽古に何時間も励んでいたんだなーと感慨深かったです。
また一番組組長の沖田総司がよく近所の子と遊んでいた場所でもあります。
見た目は大きく感じますが、実際は狭い路地にあり、思った以上に小さかったです。 -
壬生寺の中です。
壬生塚には100円払って見学することができます。
中に入ると、新撰組隊士の記念碑の他、近藤勇のお墓・芹沢鴨のお墓などがあります。
三橋美智也の『ああ新撰組』の歌碑があります。只今故障中でしたが通常は100円入れて唄を聴くことができます。
唄の中に「新撰組よ何処へゆく」という詩があるのですが、きっと自分たちの信じたもののために戦ったのだと思います。幕府とか攘夷とか関係なしに・・・生きるために、誠の志のためにと私はここにきて感じました^^ -
新撰組の歴史に欠かせない屯所である【八木邸】です。
まさにここで新撰組が産声をあげた始まりの地でもあります。
壬生寺からまっすぐ徒歩1分弱で着きます。
ここでは新撰組局長の芹沢鴨が暗殺された場所でもあります。ちゃんと当時の刀傷が残されていて、感慨深い場所です。
もちろん中は撮影禁止になっています。
見学料は1000円でガイドさんの説明を受けながら見学します。ガイドの人により話が異なり、いろいろなガイドさんの話が聞いてみたくなります。 -
その後八木さんが経営している和菓子屋「京都鶴屋」さんで壬生菜の入った屯所餅とお抹茶がいただけます。
元茶道部だった私にとって至福のときでした。
お茶おいしかったー♪ -
こちらは八木邸と平行して住んでいた【前川邸】です。
八木邸から1分弱でいけます。現在は非公開になっていますが、土日・祝日は中で新撰組グッツが売っています!
ぜひゲットしたい方は土日に行くのがお勧めです♪
当時ここでは、あの有名な池田屋事件の原因である長州藩の古高俊太郎が拷問という名の尋問を受けた場所があります。そのときに使用した縄などは当時のままだそうです。
うー見たかった><!!
また、新撰組にとって重大な出来事があった場所でもあります。
それは、山南敬介さんが切腹した場所です。
山南さーん><!!
いつか限定公開される日を待ち望んでいます!! -
前川邸から歩いて5分弱で【光縁寺】があります。
こちらには新撰組八番隊藤堂平助と山南敬介・伊東甲子太郎ほか隊士たちが眠るお墓があります。
見学には門にある呼び鈴をならし見学料100円を払って、お墓を参拝できます。 -
光縁寺から四条大宮へと抜け、徒歩20分くらいで【二条城】にやってきました。
ここでは歴史が動いた、200年間揺るぐことのなかった徳川幕府が朝廷に大政を返上した【大政奉還】が行われた場所です。
入場料は一般600円で見学できます。
見学ができるのは本丸御殿ではなく二の丸御殿になります。
大政奉還が行われた部屋は二の丸御殿なので、見ることができます。
ガイド音声もあるので、勉強にもなります。 -
その後、ホテルにチェックインし、歩きつかれた体を少し休め、三条大橋まで歩いてきました。
ここはかの有名な1866年に幕府の制札が土佐藩によって川に捨てられていたことにより、新撰組が警護の任を任されたときの事件である【高札場跡】です。
新撰組十番組組長・原田左之助が付けたとされる刀傷があります。
でも原田は槍使いだったから槍傷ですかね?笑
場所は三条大橋右手から二番目にあります。 -
三条大橋です。ここは新撰組局長・近藤勇が晒し首された場所です。
写真はあえての下から撮ったものにしました。
近藤さんがみた景色はこんなだったのかな・・・と橋の下に降りて感じました。
武士として切腹ではなく斬首という残酷な刑に無念としか言えませんが、私はあえて『あっぱれ!!』と言います!! -
『御用改めである!』とあの歴史を動かした【池田屋事件跡】です。
1864年に捕縛した古高俊太郎により、風の強い日に京の町に火を放つという恐ろしい計画を聞き出した新撰組はこの池田屋で行われる長州藩の密会に乗り込みます。
このとき近藤率いる沖田・藤堂・原田・永倉など計十数名にも及ばぬ人数で乗り込んだとされています。
今は華の舞さんによって居酒屋『池田屋』になっています。
夕食はこの池田屋で食べました。店内には新撰組をモチーフにした装飾や池田屋といえば有名な階段があります!
ものすごく楽しめる場所なのでぜひご飯を食べに行ってみてください。
しかし、やはり毎日混んでます><特に土日は6時以降行くと待ちますので
5時ぐらいに行くのをお勧めします!
ちなみに今は『薄桜鬼』コラボで隊士カクテルやご飯が食べれます(^.^)
私も狂ったように薄桜鬼メニューを片っ端から注文しちゃいました(*^。^*) -
中はこんな感じでーす!
あの有名な階段も再現されています。 -
新撰組隊士たちの刀や防具のレプリカも飾ってあります。
薄桜鬼の衣装も飾ってあります (^o^)
斎藤さんと沖田さんと土方さんがあります(^o^) -
一日では回りきれなかったかったのですが、京都御所にある【蛤御門】にも行きました。
ここはいわゆる禁門の変がおきた場所です。
京都御所を長州藩が会津藩主・松平容保侯らの排除をたくらみ起きた戦いです。 -
そしてこちらも一日目では回れなかった【御陵衛士屯所跡】です。
清水寺から二年坂を降り、ねねの道を八坂神社のほうへ歩いていく途中にあります。
御陵衛士というのは伊東派の方々。いわゆる攘夷派です。
新撰組と離れてから御陵衛士という名にし、ここを屯所にしました。
またこの中には元八番隊隊長藤堂平助と一番隊隊長斉藤一もいましたが、斉藤さんは元は新撰組の間諜いわゆるスパイとして乗り込んでいたといわれています。 -
最後に自ら新撰組隊士になってきました(*^。^*)
土方さんではなく、坂本竜馬が写っていますが・・・笑
京都旅行一日目にして、朝から晩まで新撰組めぐりの日でした。
この日だけで3万歩以上歩きました。笑
でもおかげで、とっても感慨深いときを過ごすことができました。
マニアックな旅行記になってしまいましたが、『新撰組ゆかりの地』を
めぐれ、旅行記までかけて本当に嬉しいです。
ありがとうございました。
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