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第5日目:ホテルから徒歩で朝日に輝くベルサイユ宮殿を目指します。団体入場の時間まで庭園で時間を調整し、いよいよ欧州最大級の規模を誇り『魔法の宮殿』と称されたベルサイユ宮殿へ足を踏み入れます。ブルボン王朝の栄華を象徴する絢爛豪華な王宮と雄大で美しい庭園を2時間半程かけてじっくり堪能します。<br /><br />ベルサイユからパリ市内までは約30kmのドライブ。シャイヨー宮ではバスから下車して写真を撮りました。ランチにはエスカルゴをいただき、ルーヴル美術館で2時間かけて目の保養をします。その後は、バス車窓にてパリ市内の著名な建造物などを見学しました。<br /><br />ホテルでプチ・ドレスアップ後、世界遺産に登録されているセーヌ川でディナークルーズを3時間満喫しました。ホテルに帰ると23時を過ぎていました。

ときめきの北フランス周遊④ ★★★ベルサイユ宮殿~パリ~セーヌ川ディナークルーズ★★★

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2011/10/19 - 2011/10/26

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

第5日目:ホテルから徒歩で朝日に輝くベルサイユ宮殿を目指します。団体入場の時間まで庭園で時間を調整し、いよいよ欧州最大級の規模を誇り『魔法の宮殿』と称されたベルサイユ宮殿へ足を踏み入れます。ブルボン王朝の栄華を象徴する絢爛豪華な王宮と雄大で美しい庭園を2時間半程かけてじっくり堪能します。

ベルサイユからパリ市内までは約30kmのドライブ。シャイヨー宮ではバスから下車して写真を撮りました。ランチにはエスカルゴをいただき、ルーヴル美術館で2時間かけて目の保養をします。その後は、バス車窓にてパリ市内の著名な建造物などを見学しました。

ホテルでプチ・ドレスアップ後、世界遺産に登録されているセーヌ川でディナークルーズを3時間満喫しました。ホテルに帰ると23時を過ぎていました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス
航空会社
エールフランス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB

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  • プルマン シャトーの部屋から見る夜明け。<br />ベルサイユ宮殿見学日にふさわしい、すがすがしい夜明けです。<br />建物の左にある道路がパリ通り、手前がドゴール将軍通り。ベルサイユ宮殿のロイヤルゲートまでは、急ぎ足なら徒歩で5分強程の至近距離です。

    プルマン シャトーの部屋から見る夜明け。
    ベルサイユ宮殿見学日にふさわしい、すがすがしい夜明けです。
    建物の左にある道路がパリ通り、手前がドゴール将軍通り。ベルサイユ宮殿のロイヤルゲートまでは、急ぎ足なら徒歩で5分強程の至近距離です。

  • 朝日に染まるベルサイユ宮殿。<br />荷物をバスへ積み込んだ後、8:30ホテル出発。徒歩でべルサイユ宮殿へ向かいます。朝日に輝く宮殿は、素地の金色と相俟ってまばゆいばかりです。<br /><br />ベルサイユ宮殿は太陽王ルイ14世が「史上最も大きく最も豪華な宮殿を立てよ」と建築家のル・ヴォー、室内装飾家のル・ブランや造園家のル・ノートルに命じ、半世紀かけて城館をほぼ今日の姿にまで変貌させました。この壮大な計画の裏には従僕の財務総監フーケが造ったヴォー・ル・ヴィコント城に対する羨望と嫉妬心があったと言われています。それは、ルイ14世が命じた人たちによってこの城が造られたという事実が如実に物語っています。ルイ14世没後、ルイ15・16世やマリー・アントワネットによって改築や模様替えが繰り返され、現在の姿に至っています。

    朝日に染まるベルサイユ宮殿。
    荷物をバスへ積み込んだ後、8:30ホテル出発。徒歩でべルサイユ宮殿へ向かいます。朝日に輝く宮殿は、素地の金色と相俟ってまばゆいばかりです。

    ベルサイユ宮殿は太陽王ルイ14世が「史上最も大きく最も豪華な宮殿を立てよ」と建築家のル・ヴォー、室内装飾家のル・ブランや造園家のル・ノートルに命じ、半世紀かけて城館をほぼ今日の姿にまで変貌させました。この壮大な計画の裏には従僕の財務総監フーケが造ったヴォー・ル・ヴィコント城に対する羨望と嫉妬心があったと言われています。それは、ルイ14世が命じた人たちによってこの城が造られたという事実が如実に物語っています。ルイ14世没後、ルイ15・16世やマリー・アントワネットによって改築や模様替えが繰り返され、現在の姿に至っています。

  • ベルサイユ宮殿 正門ゲート。<br />庭園にて早朝の乗馬を終え、大厩舎へ帰る途中でしょうか?中世にタイムスリップしたような錯覚に陥りました。

    ベルサイユ宮殿 正門ゲート。
    庭園にて早朝の乗馬を終え、大厩舎へ帰る途中でしょうか?中世にタイムスリップしたような錯覚に陥りました。

  • ベルサイユ宮殿 正門ゲート。<br />正門ゲートの上には王冠をあしらったブルボン家の大きな金の紋章が輝いています。よく見ると金メッキがかなり剥げ落ち、輝きに精彩がありません。近々、修理に入るのではないでしょうか?<br /><br /><br />

    ベルサイユ宮殿 正門ゲート。
    正門ゲートの上には王冠をあしらったブルボン家の大きな金の紋章が輝いています。よく見ると金メッキがかなり剥げ落ち、輝きに精彩がありません。近々、修理に入るのではないでしょうか?


  • ベルサイユ宮殿 全景。<br />フランス宮廷文化の黄金期を象徴する広大なバロック・ロココ建築の最高峰です。パノラマ写真でどうぞ。

    ベルサイユ宮殿 全景。
    フランス宮廷文化の黄金期を象徴する広大なバロック・ロココ建築の最高峰です。パノラマ写真でどうぞ。

  • ベルサイユ宮殿 <br />ラトーヌの泉手前から遙かグラン・カナル<br />(大運河)を望む。<br />団体入場時間まで庭園を散策して時間を調整します。庭園入場には宮殿とは別のチケットが必要ですが、ツアー料金に含まれていました。<br /><br />ルイ14世が造園家ル・ノートルに造らせた幾何学模様の大庭園は、フランス式庭園の最高傑作と称されています。遠方のグラン・カナル(大運河)が霞んで見え、周りの樹木は秋の気配を漂わせています。彼方に見えるのは、なんと、地平線ではありませんか。庭園と呼ぶにはスケールが大き過ぎます。庭園にはかつて1400を超える噴水があったそうですが、現存しているのは600程。水はセーヌ川から引き込んでいます。手前に見えるラトナの泉から大運河まで続く道は「王の散歩道」と呼ばれます。<br /><br />宮殿の正面は東を向き、庭園の大運河は西の先に延びています。宮殿の正面から太陽が昇り、西の大運河に沈んでいくよう正確に計算されて造られています。 <br />

    ベルサイユ宮殿
    ラトーヌの泉手前から遙かグラン・カナル
    (大運河)を望む。
    団体入場時間まで庭園を散策して時間を調整します。庭園入場には宮殿とは別のチケットが必要ですが、ツアー料金に含まれていました。

    ルイ14世が造園家ル・ノートルに造らせた幾何学模様の大庭園は、フランス式庭園の最高傑作と称されています。遠方のグラン・カナル(大運河)が霞んで見え、周りの樹木は秋の気配を漂わせています。彼方に見えるのは、なんと、地平線ではありませんか。庭園と呼ぶにはスケールが大き過ぎます。庭園にはかつて1400を超える噴水があったそうですが、現存しているのは600程。水はセーヌ川から引き込んでいます。手前に見えるラトナの泉から大運河まで続く道は「王の散歩道」と呼ばれます。

    宮殿の正面は東を向き、庭園の大運河は西の先に延びています。宮殿の正面から太陽が昇り、西の大運河に沈んでいくよう正確に計算されて造られています。

  • ベルサイユ宮殿 <br />朝日に煌めく王宮の門(ロイヤルゲート)。<br />中央のエンブレムにはルイ王家の紋章である「ゆりの花」、両門柱の横には太陽神アポロンが配してあります。最上部の王冠は立体的にできています。<br /><br />ベルサイユ宮殿では「大ベルサイユ計画」の下、2003年から17年かけて改修工事が進んでおり、王宮の門(ロイヤルゲート)は3年前(2008年)に修復を終えました。全長80mのバロック式のゲートには金箔10万枚が施されています。ゲートの改修工事にかかった費用は500万ユーロと言うから驚きです。ぜひ金箔のゲートを拝んで目の保養をして来てください。<br /><br />

    ベルサイユ宮殿
    朝日に煌めく王宮の門(ロイヤルゲート)。
    中央のエンブレムにはルイ王家の紋章である「ゆりの花」、両門柱の横には太陽神アポロンが配してあります。最上部の王冠は立体的にできています。

    ベルサイユ宮殿では「大ベルサイユ計画」の下、2003年から17年かけて改修工事が進んでおり、王宮の門(ロイヤルゲート)は3年前(2008年)に修復を終えました。全長80mのバロック式のゲートには金箔10万枚が施されています。ゲートの改修工事にかかった費用は500万ユーロと言うから驚きです。ぜひ金箔のゲートを拝んで目の保養をして来てください。

  • ベルサイユ宮殿 <br />朝日に輝く王室礼拝堂(外観)。<br />向かって右側の建物が礼拝堂です。左側の建屋は団体客の入口です。<br />礼拝堂はルイ14世時代にマンサールにより設計され、1710年に完成しました。十字軍遠征の王者・フランス絶対王政の守護聖人のサン・ルイに捧げられた礼拝堂だそうです。 1770年5月16日、この礼拝堂で当時15歳のルイ・オーギュスト皇太子(4年後にルイ16世即位)と14歳のマリー・アントワネットとの結婚式が執り行われました。 お互いに顔も知らないままの政略結婚だったようです。<br /><br />アントワネットの結婚式の日には彼女の将来を暗示する不吉な出来事が2つ起こりました。1つ目は、彼女が結婚の契約書にサインする時、誤ってインクをたらしてサインの上に大きな染みを付けてしまったこと。2つ目は、結婚を祝して日没後花火が上がる予定でしたが、突然の激しい雷雨に見舞われて中止になってしまったことです。

    ベルサイユ宮殿
    朝日に輝く王室礼拝堂(外観)。
    向かって右側の建物が礼拝堂です。左側の建屋は団体客の入口です。
    礼拝堂はルイ14世時代にマンサールにより設計され、1710年に完成しました。十字軍遠征の王者・フランス絶対王政の守護聖人のサン・ルイに捧げられた礼拝堂だそうです。 1770年5月16日、この礼拝堂で当時15歳のルイ・オーギュスト皇太子(4年後にルイ16世即位)と14歳のマリー・アントワネットとの結婚式が執り行われました。 お互いに顔も知らないままの政略結婚だったようです。

    アントワネットの結婚式の日には彼女の将来を暗示する不吉な出来事が2つ起こりました。1つ目は、彼女が結婚の契約書にサインする時、誤ってインクをたらしてサインの上に大きな染みを付けてしまったこと。2つ目は、結婚を祝して日没後花火が上がる予定でしたが、突然の激しい雷雨に見舞われて中止になってしまったことです。

  • ベルサイユ宮殿 入口の階段。<br />セキュリティーチェックを受けて白亜の階段を登ります。王室礼拝堂は上階からの見学です。

    ベルサイユ宮殿 入口の階段。
    セキュリティーチェックを受けて白亜の階段を登ります。王室礼拝堂は上階からの見学です。

  • ベルサイユ宮殿 王室礼拝堂 (内部)。<br />宮殿に造られる礼拝堂は伝統的に2層式で、階上は王族や宮廷要人のための席、下階はそれ以外の信者のためのものです。白とゴールドの色彩がもたらす神々しさとまるで天界に通じているかのような開放的な吹抜けの天井は、ここが何か特別な場所であったことを物語っています。<br /><br />興味深いのは天井画。ドームの内側に描かれているのですが、正面から見ると平面画に見えるように工夫されています。 天井画はアントワーヌ・コワベル作の「世界の贖罪の約束をもたらす栄光の中の神」と言う題名だそうです。<br />正面下段に見えるのは、祭壇上にしつらえられたクリコ作のパイプオルガンです。こちらも贅を尽くして豪華絢爛です。<br />

    ベルサイユ宮殿 王室礼拝堂 (内部)。
    宮殿に造られる礼拝堂は伝統的に2層式で、階上は王族や宮廷要人のための席、下階はそれ以外の信者のためのものです。白とゴールドの色彩がもたらす神々しさとまるで天界に通じているかのような開放的な吹抜けの天井は、ここが何か特別な場所であったことを物語っています。

    興味深いのは天井画。ドームの内側に描かれているのですが、正面から見ると平面画に見えるように工夫されています。 天井画はアントワーヌ・コワベル作の「世界の贖罪の約束をもたらす栄光の中の神」と言う題名だそうです。
    正面下段に見えるのは、祭壇上にしつらえられたクリコ作のパイプオルガンです。こちらも贅を尽くして豪華絢爛です。

  • ベルサイユ宮殿 ヘラクレスの間。<br />フランソワ・ルモワンヌ作「ヘラクレスの神格化」という天井画がある部屋のため、ヘラクレスの名が付いています。主題はヘラクレスの栄光で、「徳は人をしてその個人を超越させる」が描かれているそうです。特にコーナーの部分は立体感が際立つ騙し絵で圧巻です。今風に表現すれば3Dです。色使いも昨日描かれたかのように鮮明です。142体ものオリンポスの神々がヘラクレスの凱旋を出迎え、ヘラクレスが十二の徳行により神々の列にまで昇華する様を描いています。イタリアのフレスコ画家の傑作に匹敵するほどのものですが、これは画布を壁に糊で貼り付けたもので非常に骨の折れる仕事だったようです。<br /><br />ルモワンヌは3年かけて480 ?もある天井画を仕上げ、この功績により国王付き主席画家就任の栄誉を授与されますが、その後間もなく精神疾患を患い自殺してしまったそうです。<br /><br /><br /><br />

    ベルサイユ宮殿 ヘラクレスの間。
    フランソワ・ルモワンヌ作「ヘラクレスの神格化」という天井画がある部屋のため、ヘラクレスの名が付いています。主題はヘラクレスの栄光で、「徳は人をしてその個人を超越させる」が描かれているそうです。特にコーナーの部分は立体感が際立つ騙し絵で圧巻です。今風に表現すれば3Dです。色使いも昨日描かれたかのように鮮明です。142体ものオリンポスの神々がヘラクレスの凱旋を出迎え、ヘラクレスが十二の徳行により神々の列にまで昇華する様を描いています。イタリアのフレスコ画家の傑作に匹敵するほどのものですが、これは画布を壁に糊で貼り付けたもので非常に骨の折れる仕事だったようです。

    ルモワンヌは3年かけて480 ?もある天井画を仕上げ、この功績により国王付き主席画家就任の栄誉を授与されますが、その後間もなく精神疾患を患い自殺してしまったそうです。



  • ベルサイユ宮殿 ヴィーナスの間。<br />バロック式様式を色濃く現出させた空間です。太陽王と称されたルイ14世を讃え、太陽の装飾や神話を題材にした天井画があります。<br />天井画の中央には金星を司る愛と美の女神、ヴィーナスが描かれています。つがいの鳩が引く凱旋車に乗っているのがヴィーナスで、その後ろに控えるのが三美神です。<br />

    ベルサイユ宮殿 ヴィーナスの間。
    バロック式様式を色濃く現出させた空間です。太陽王と称されたルイ14世を讃え、太陽の装飾や神話を題材にした天井画があります。
    天井画の中央には金星を司る愛と美の女神、ヴィーナスが描かれています。つがいの鳩が引く凱旋車に乗っているのがヴィーナスで、その後ろに控えるのが三美神です。

  • ベルサイユ宮殿 ディアーヌの間。<br />夜会に於いてビリヤード室として使用された部屋です。王が拍手喝采を受けたため、「拍手の間」とも呼ばれます。天井には月と狩りの女神、ディアーヌが描かれています。鹿が引く凱旋車に乗り、月をバックに弓を持っているのがディアナです。<br />

    ベルサイユ宮殿 ディアーヌの間。
    夜会に於いてビリヤード室として使用された部屋です。王が拍手喝采を受けたため、「拍手の間」とも呼ばれます。天井には月と狩りの女神、ディアーヌが描かれています。鹿が引く凱旋車に乗り、月をバックに弓を持っているのがディアナです。

  • ベルサイユ宮殿 マルスの間。<br />衛兵の控え室だったことからこの名前があり、軍事的な装飾が多く見られます。壁の色が赤いのはマルス(火星)の赤から来ているのでしょうか?壁やカーテンの赤と金の装飾との対比がとても美しい部屋です。天井の隅に配置されたレリーフ風の金色の装飾は立体的に見えますが、実は3Dに見せかけた騙し絵です。この部屋に限らず、いたる所に3D画法が用いられています。<br />狼が引く凱旋車に乗っているのがマルスです。<br />

    ベルサイユ宮殿 マルスの間。
    衛兵の控え室だったことからこの名前があり、軍事的な装飾が多く見られます。壁の色が赤いのはマルス(火星)の赤から来ているのでしょうか?壁やカーテンの赤と金の装飾との対比がとても美しい部屋です。天井の隅に配置されたレリーフ風の金色の装飾は立体的に見えますが、実は3Dに見せかけた騙し絵です。この部屋に限らず、いたる所に3D画法が用いられています。
    狼が引く凱旋車に乗っているのがマルスです。

  • ベルサイユ宮殿 アポロンの間。<br />かっては王の玉座が置かれ、天井の装飾には金が施されて宮殿内で最も豪華な装飾です。天井画はシャルル・ドゥ・ラ・フォッス作「四季に取り巻かれ凱旋車に乗るアポロン」です。<br />

    ベルサイユ宮殿 アポロンの間。
    かっては王の玉座が置かれ、天井の装飾には金が施されて宮殿内で最も豪華な装飾です。天井画はシャルル・ドゥ・ラ・フォッス作「四季に取り巻かれ凱旋車に乗るアポロン」です。

  • ベルサイユ宮殿 戦争の間。 <br />ル・ブランがデザインした暖炉に飾られた楕円形のレリーフは、アントワース・コワズヴォックス作「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」。レリーフの上には「名声の女神」2体、下には「鎖につながれた捕虜」2体が飾られています。少し斜めの方向から見るとレリーフの立体感が際立ち、今にも壁から飛び出してきそうです。<br />レリーフのルイ14世は、フィクション『ベルサイユのばら』に登場するオスカルの肖像画のモデルと言われています。<br /><br />ベルサイユ宮殿には「オスカル」は実在しませんでしたが、『ベルサイユのばら』の主人公の名前は歴史上の人物から命名されています。ナポレオンが義兄弟ベルナドットの長男に名付けた「オスカル」から採られたようです。ベルナドットは元はフランス軍人で、青年将校時代はナポレオンの好敵手でした。最終的にはスウェーデン国王となり、ナポレオンと袂を分かちます。2人の関係は実にドラマチックで、ベルナドットの結婚相手はナポレオンの元恋人のデジレ・クラリ。デジレの姉がナポレオンの兄ジョセフの妻という関係でした。デジレが長男を出産した時、ナポレオンに名付け親になって欲しいと頼んだのだそうです。<br /><br />さて実在した「オスカル」のその後ですが、父逝去後、スウェーデン国王オスカル1世となります。その息子がカール15世、等々と営々と受け継がれて現在に至るまでスウェーデン王室が継承されています。<br /><br />余談ですが、「オスカル」の名前の起源はスコットランドの民族叙事詩に出てくる王の名前に由来するそうです。18〜19世紀初頭、フランスを中心にイタリアやドイツと差別化したケルト・ナショナリズムが高まり、「オスカル」という名前は当時フランスで大流行していたそうです。往時「オスカル様!」と叫ぶと、あちこちから「オスカル」が駆けつけて来たのでしょうね!

    ベルサイユ宮殿 戦争の間。
    ル・ブランがデザインした暖炉に飾られた楕円形のレリーフは、アントワース・コワズヴォックス作「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」。レリーフの上には「名声の女神」2体、下には「鎖につながれた捕虜」2体が飾られています。少し斜めの方向から見るとレリーフの立体感が際立ち、今にも壁から飛び出してきそうです。
    レリーフのルイ14世は、フィクション『ベルサイユのばら』に登場するオスカルの肖像画のモデルと言われています。

    ベルサイユ宮殿には「オスカル」は実在しませんでしたが、『ベルサイユのばら』の主人公の名前は歴史上の人物から命名されています。ナポレオンが義兄弟ベルナドットの長男に名付けた「オスカル」から採られたようです。ベルナドットは元はフランス軍人で、青年将校時代はナポレオンの好敵手でした。最終的にはスウェーデン国王となり、ナポレオンと袂を分かちます。2人の関係は実にドラマチックで、ベルナドットの結婚相手はナポレオンの元恋人のデジレ・クラリ。デジレの姉がナポレオンの兄ジョセフの妻という関係でした。デジレが長男を出産した時、ナポレオンに名付け親になって欲しいと頼んだのだそうです。

    さて実在した「オスカル」のその後ですが、父逝去後、スウェーデン国王オスカル1世となります。その息子がカール15世、等々と営々と受け継がれて現在に至るまでスウェーデン王室が継承されています。

    余談ですが、「オスカル」の名前の起源はスコットランドの民族叙事詩に出てくる王の名前に由来するそうです。18〜19世紀初頭、フランスを中心にイタリアやドイツと差別化したケルト・ナショナリズムが高まり、「オスカル」という名前は当時フランスで大流行していたそうです。往時「オスカル様!」と叫ぶと、あちこちから「オスカル」が駆けつけて来たのでしょうね!

  • ベルサイユ宮殿 戦争の間。<br />壁は大理石パネルや鏡で覆われ、金箔青銅の六つの武器飾や武器の一部で装飾されています。天井画はル・ブラン作で、天井の中心は勝利の女神たちに囲まれて雲の上に座る武装したフランスを表現したものです。フランスが手にしている盾にはルイ14世の肖像が描かれ、周りを囲う丸天井部分には敗者となった三つの敵国がそれぞれ表現されています。跪いたドイツは鷹と共に、威嚇的なスペインは吼え声を上げる獅子と共に、そしてオランダは獅子の上に倒れるように描かれています。四つ目の天井画は、戦争の女神であるベローナが反逆と不和の間で激怒している姿を表しています。<br /><br />鏡の間へ誘うプロローグとしては、余りあるものがあります。鏡の間の先にある平和の間と対になっています。

    ベルサイユ宮殿 戦争の間。
    壁は大理石パネルや鏡で覆われ、金箔青銅の六つの武器飾や武器の一部で装飾されています。天井画はル・ブラン作で、天井の中心は勝利の女神たちに囲まれて雲の上に座る武装したフランスを表現したものです。フランスが手にしている盾にはルイ14世の肖像が描かれ、周りを囲う丸天井部分には敗者となった三つの敵国がそれぞれ表現されています。跪いたドイツは鷹と共に、威嚇的なスペインは吼え声を上げる獅子と共に、そしてオランダは獅子の上に倒れるように描かれています。四つ目の天井画は、戦争の女神であるベローナが反逆と不和の間で激怒している姿を表しています。

    鏡の間へ誘うプロローグとしては、余りあるものがあります。鏡の間の先にある平和の間と対になっています。

  • ベルサイユ宮殿 鏡の回廊。<br />宮殿見学のクライマックス、眩い光彩に一瞬息を呑む絢爛豪華な回廊です。ちなみに、1919年にベルサイユ条約の調印がなされた場所でもあります。マンサールの設計で全長73m、幅10.5m、高さ12.3mの回廊で、庭園側の壁に17の窓があり、その反対側の壁には578枚もの鏡が壁一面を覆っています。窓から入ってきた光彩を反射し、部屋全体が明るく照らされる仕組みです。当時、鏡は金より貴重で、数十センチ四方の鏡で1000万円位の価値があったそうですので、どれほど強い権力を持っていたかを物語っています。クリスタルのシャンデリアが一層煌びやかさを引き立てています。(現在飾られているのはレプリカ)鏡の回廊は2007年に修復工事を終えており、昔日の輝きを取り戻しています。 <br /><br />余談ですが、往時使われていた蝋燭の寿命は1本45分程度、燃え尽きる前にロープを下げて交換したそうです。その間、何事もなかったように舞踏会は続けられていたと言います。さぞかし大変な作業だったろうと思います。

    ベルサイユ宮殿 鏡の回廊。
    宮殿見学のクライマックス、眩い光彩に一瞬息を呑む絢爛豪華な回廊です。ちなみに、1919年にベルサイユ条約の調印がなされた場所でもあります。マンサールの設計で全長73m、幅10.5m、高さ12.3mの回廊で、庭園側の壁に17の窓があり、その反対側の壁には578枚もの鏡が壁一面を覆っています。窓から入ってきた光彩を反射し、部屋全体が明るく照らされる仕組みです。当時、鏡は金より貴重で、数十センチ四方の鏡で1000万円位の価値があったそうですので、どれほど強い権力を持っていたかを物語っています。クリスタルのシャンデリアが一層煌びやかさを引き立てています。(現在飾られているのはレプリカ)鏡の回廊は2007年に修復工事を終えており、昔日の輝きを取り戻しています。

    余談ですが、往時使われていた蝋燭の寿命は1本45分程度、燃え尽きる前にロープを下げて交換したそうです。その間、何事もなかったように舞踏会は続けられていたと言います。さぞかし大変な作業だったろうと思います。

  • ベルサイユ宮殿 鏡の回廊(天井画)。<br />シャルル・ル・ブランによって丸天井に描かれた30枚の絵画はルイ14世の歴史的偉業がテーマ「太陽王の栄光と歴史」でその栄光に満ちた治世を物語っています。鏡の回廊の中央には、親政宣言を賛美した「自ら統治する王」という絵があり、ルイ14世の時代には、絵を鑑賞し易いようにシャンデリアが下げられていなかったそうです。きらびやかな空間に圧倒されてしまいますが、天井も要チェックです。<br /><br />余談ですが、ルイ14世は風呂嫌いで年に1回しか風呂に入らず、香水をつけていました。香水は体臭隠しと言うのが定説ですが、実はフェロモンよろしく体臭を強調し、性的アピールに利用したという説が最近支持されています。 19世紀中頃まではパリの街も不衛生そのもので、スイス出身の哲学者ジャン・ジャック・ルソーは「その不潔さと臭さに怒りさえ覚えた」と記しています。ハイヒールが発明されたのも通路に散らかっている汚物を避ける目的でした。もし当時のパリにタイムスリップしたら、ロマンチックなイメージは跡形もなく崩れ落ちるでしょうね。<br /><br /><br />

    ベルサイユ宮殿 鏡の回廊(天井画)。
    シャルル・ル・ブランによって丸天井に描かれた30枚の絵画はルイ14世の歴史的偉業がテーマ「太陽王の栄光と歴史」でその栄光に満ちた治世を物語っています。鏡の回廊の中央には、親政宣言を賛美した「自ら統治する王」という絵があり、ルイ14世の時代には、絵を鑑賞し易いようにシャンデリアが下げられていなかったそうです。きらびやかな空間に圧倒されてしまいますが、天井も要チェックです。

    余談ですが、ルイ14世は風呂嫌いで年に1回しか風呂に入らず、香水をつけていました。香水は体臭隠しと言うのが定説ですが、実はフェロモンよろしく体臭を強調し、性的アピールに利用したという説が最近支持されています。 19世紀中頃まではパリの街も不衛生そのもので、スイス出身の哲学者ジャン・ジャック・ルソーは「その不潔さと臭さに怒りさえ覚えた」と記しています。ハイヒールが発明されたのも通路に散らかっている汚物を避ける目的でした。もし当時のパリにタイムスリップしたら、ロマンチックなイメージは跡形もなく崩れ落ちるでしょうね。


  • ベルサイユ宮殿 王の寝室。<br />王たちが朝の引件と就寝前の接見式を行った場所です。ルイ14世はこの寝室の中でしか一人になれなかったそうです。ご愛用のカツラもここでしか外さなかったとか。トイレも臣下に見張られながら用を足していたそうです。<br /><br />ベルサイユ宮殿にはトイレがなかったというのは誤解で、ルイ15世の時代には寝室の隣に上げ蓋式の便器を備えた部屋があったそうです。また、ルイ16世はお腹が弱く、水洗式のトイレを使用していたと言われています。ただし、ここ以外、宮殿にトイレはなかったそうです。後はご想像にお任せします。<br /><br />ここにあるバルコニーは、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが「パンも買えない」と窮状を訴えたパリ市民に応対した場所です。2人が一礼して手を振ると民衆は納得して去って行ったそうです。<br />

    ベルサイユ宮殿 王の寝室。
    王たちが朝の引件と就寝前の接見式を行った場所です。ルイ14世はこの寝室の中でしか一人になれなかったそうです。ご愛用のカツラもここでしか外さなかったとか。トイレも臣下に見張られながら用を足していたそうです。

    ベルサイユ宮殿にはトイレがなかったというのは誤解で、ルイ15世の時代には寝室の隣に上げ蓋式の便器を備えた部屋があったそうです。また、ルイ16世はお腹が弱く、水洗式のトイレを使用していたと言われています。ただし、ここ以外、宮殿にトイレはなかったそうです。後はご想像にお任せします。

    ここにあるバルコニーは、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが「パンも買えない」と窮状を訴えたパリ市民に応対した場所です。2人が一礼して手を振ると民衆は納得して去って行ったそうです。

  • ベルサイユ宮殿 閣議の間。<br />ルイ14世の執務室とテルムの間を合わせた部屋。青いテーブルクロスと金の装飾が調和してとてもきれいで、接待室の割にはゴージャスです。<br /><br />ベルサイユ宮殿全体の印象ですが、以前と比べて家具・調度類が増えているような気がします。元々、革命後に競売にかけられて数は少ないようですが、探し出して買い戻しているようです。これも「大ベルサイユ計画」の一環でしょうか?<br />次に登場するマリー・アントワネット愛用のベッドは、アメリカのオークションに出品されていたところを買い戻すことができたそうです。 <br /><br /><br />

    ベルサイユ宮殿 閣議の間。
    ルイ14世の執務室とテルムの間を合わせた部屋。青いテーブルクロスと金の装飾が調和してとてもきれいで、接待室の割にはゴージャスです。

    ベルサイユ宮殿全体の印象ですが、以前と比べて家具・調度類が増えているような気がします。元々、革命後に競売にかけられて数は少ないようですが、探し出して買い戻しているようです。これも「大ベルサイユ計画」の一環でしょうか?
    次に登場するマリー・アントワネット愛用のベッドは、アメリカのオークションに出品されていたところを買い戻すことができたそうです。


  • ベルサイユ宮殿 王妃の寝室。<br />鏡の間から左に折れると王妃のグラン・アパルトマンに入ります。最初の部屋は王妃の寝室。マリー・アントワネット王妃はこの部屋で50人もの見物客に見守られながら出産しました。ベビーのすり替えなどが行われないよう、当時の慣例によるものです。アントワネットは出産後、あまりの蒸し暑さとストレスで失神したそうです。往時は足を曲げて寝る習慣だったのでベッドの奥行きがこんなにも短いのだとか。<br /><br />装飾はこの部屋で寝起きした3人の王妃の面影を残しています。天井の仕切りはルイ14世王妃マリー=テレーズ時代のもの。ブーシェによるグリザイユの絵と木工細工はルイ15世王妃マリー・レクザンスカのために実現されたものです。マリー=アントワネットの時代にはこれらの全ての装飾が保存され、新たに持ち込まれたのは家具と暖炉だけでした。ベッドの上には金糸を潤沢に使った見事な天蓋装飾が施されています。また、ベッドの左右には壁紙が貼られた隠し扉があり、革命時に民衆が押しかけた時には間一髪で王の部屋に逃げたそうです。夢と現実が同居する可憐な部屋です。<br /><br />アントワネットとモーツァルト。全く接点のない2人に思えますが、生涯でたった一度だけ会ったことがあるようです。場所は、ウィーンにあるハプスブルク宮廷。モーツァルトが6歳の時、その音楽的才能を披露するために宮廷へ招聘されました。アントワネットは7歳。演奏後、2人は宮廷で仲良く遊んだそうです。その時、モーツァルトが転びました。手を貸すアントワネットに対し「ありがとう、やさしいね。僕のお嫁さんにしてあげるよ」と身分不相応にもそう言ったそうです。その後、アントワネットもモーツァルトも似たような数奇かつ複雑な運命に翻弄されるとは誰が予測できたでしょう。<br /><br />

    ベルサイユ宮殿 王妃の寝室。
    鏡の間から左に折れると王妃のグラン・アパルトマンに入ります。最初の部屋は王妃の寝室。マリー・アントワネット王妃はこの部屋で50人もの見物客に見守られながら出産しました。ベビーのすり替えなどが行われないよう、当時の慣例によるものです。アントワネットは出産後、あまりの蒸し暑さとストレスで失神したそうです。往時は足を曲げて寝る習慣だったのでベッドの奥行きがこんなにも短いのだとか。

    装飾はこの部屋で寝起きした3人の王妃の面影を残しています。天井の仕切りはルイ14世王妃マリー=テレーズ時代のもの。ブーシェによるグリザイユの絵と木工細工はルイ15世王妃マリー・レクザンスカのために実現されたものです。マリー=アントワネットの時代にはこれらの全ての装飾が保存され、新たに持ち込まれたのは家具と暖炉だけでした。ベッドの上には金糸を潤沢に使った見事な天蓋装飾が施されています。また、ベッドの左右には壁紙が貼られた隠し扉があり、革命時に民衆が押しかけた時には間一髪で王の部屋に逃げたそうです。夢と現実が同居する可憐な部屋です。

    アントワネットとモーツァルト。全く接点のない2人に思えますが、生涯でたった一度だけ会ったことがあるようです。場所は、ウィーンにあるハプスブルク宮廷。モーツァルトが6歳の時、その音楽的才能を披露するために宮廷へ招聘されました。アントワネットは7歳。演奏後、2人は宮廷で仲良く遊んだそうです。その時、モーツァルトが転びました。手を貸すアントワネットに対し「ありがとう、やさしいね。僕のお嫁さんにしてあげるよ」と身分不相応にもそう言ったそうです。その後、アントワネットもモーツァルトも似たような数奇かつ複雑な運命に翻弄されるとは誰が予測できたでしょう。

  • ベルサイユ宮殿 大膳式の間。<br />王と王妃が公式の食事を共にした部屋です。<br />ルイ16世の肖像画の対面には「マリー・アントワネットとその子供たち」の絵画が飾られています。 王妃の左側の王女はマリー・テレーズ、右側に立つのは王太子ルイ=ジョセフ、膝の上に抱かれているのはルイ17世となる第2王子ルイ・シャルル。黒い布が掛けられた無人の揺りかごは、前年生まれた王女ソフィ=ベアトリックスがこの絵画の制作中に亡くなったことを暗示しています。<br /><br />この絵画の作者はエリザベート・ヴィジェ=ルブラン。アントワネットお抱えの女流宮廷画家で、ロココ調の明るくかわいらしい表情を描くのが得意です。贔屓にされたがゆえにフランス革命以降、数奇な人生を送っています。当方のお気に入りの画家の一人で、ルーヴル美術館にも自画像を含めて数点が所蔵されています。後ほどレポートしたいと思います。 <br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23883961/<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930924/<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930925/<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930926/

    ベルサイユ宮殿 大膳式の間。
    王と王妃が公式の食事を共にした部屋です。
    ルイ16世の肖像画の対面には「マリー・アントワネットとその子供たち」の絵画が飾られています。 王妃の左側の王女はマリー・テレーズ、右側に立つのは王太子ルイ=ジョセフ、膝の上に抱かれているのはルイ17世となる第2王子ルイ・シャルル。黒い布が掛けられた無人の揺りかごは、前年生まれた王女ソフィ=ベアトリックスがこの絵画の制作中に亡くなったことを暗示しています。

    この絵画の作者はエリザベート・ヴィジェ=ルブラン。アントワネットお抱えの女流宮廷画家で、ロココ調の明るくかわいらしい表情を描くのが得意です。贔屓にされたがゆえにフランス革命以降、数奇な人生を送っています。当方のお気に入りの画家の一人で、ルーヴル美術館にも自画像を含めて数点が所蔵されています。後ほどレポートしたいと思います。
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23883961/
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930924/
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930925/
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930926/

  • ベルサイユ宮殿 戴冠の間。<br />ダヴィッド作「ナポレオン1世の戴冠式」で本人作のレプリカ。オリジナルはルーヴル美術館に所蔵されてます。ナポレオン崇拝者だった彼は、ナポレオンが失脚した時、オリジナルの絵が焼却されることを恐れ、亡命先のベルギーで同じ物を書いたのです。ノートルダム大聖堂で行われた戴冠式を題材に描いたものですが、ダヴィッドの創作画です。元々、ナポレオンは自ら冠を被ったのでナポレオンが王妃ジョゼフィーヌに戴冠する絵としました。また、参列を拒否したナポレオンの母親が貴賓席で微笑み、その左上にはダヴィッド本人の姿もあります。作品中に画家自身を描くのはよくやる洒落だそうです。また、レプリカはオリジナルと異なる部位を設ける必要があり、左の参列者(ボナパルト家の女性)のうち1人だけピンクの衣装を着た女性がいます。この女性はナポレオンの妹、次女ポーリーヌです。ルーヴル美術館の絵のドレスは白色です。 <br />

    ベルサイユ宮殿 戴冠の間。
    ダヴィッド作「ナポレオン1世の戴冠式」で本人作のレプリカ。オリジナルはルーヴル美術館に所蔵されてます。ナポレオン崇拝者だった彼は、ナポレオンが失脚した時、オリジナルの絵が焼却されることを恐れ、亡命先のベルギーで同じ物を書いたのです。ノートルダム大聖堂で行われた戴冠式を題材に描いたものですが、ダヴィッドの創作画です。元々、ナポレオンは自ら冠を被ったのでナポレオンが王妃ジョゼフィーヌに戴冠する絵としました。また、参列を拒否したナポレオンの母親が貴賓席で微笑み、その左上にはダヴィッド本人の姿もあります。作品中に画家自身を描くのはよくやる洒落だそうです。また、レプリカはオリジナルと異なる部位を設ける必要があり、左の参列者(ボナパルト家の女性)のうち1人だけピンクの衣装を着た女性がいます。この女性はナポレオンの妹、次女ポーリーヌです。ルーヴル美術館の絵のドレスは白色です。

  • ベルサイユ宮殿 <br />戴冠の間(天井画 カレ作「ブリュメール18日の寓話」 )。<br />重圧ですがエネルギーを分けてくれる天井画です。<br />1799年ナポレオンが総裁政府を倒した軍事クーデターを題材にした絵画です。ナポレオンは執政政府を樹立し、自ら第一執政となり、フランス革命はここに終焉したとされています。<br />

    ベルサイユ宮殿
    戴冠の間(天井画 カレ作「ブリュメール18日の寓話」 )。
    重圧ですがエネルギーを分けてくれる天井画です。
    1799年ナポレオンが総裁政府を倒した軍事クーデターを題材にした絵画です。ナポレオンは執政政府を樹立し、自ら第一執政となり、フランス革命はここに終焉したとされています。

  • ベルサイユ宮殿 外観。<br />宮殿内部から正面にある中庭へ出て、至近距離から宮殿を眺めます。

    ベルサイユ宮殿 外観。
    宮殿内部から正面にある中庭へ出て、至近距離から宮殿を眺めます。

  • ベルサイユ宮殿 王室礼拝堂。<br />王宮の門からつながる金ピカのゲートに映える礼拝堂(中央奥)です。

    ベルサイユ宮殿 王室礼拝堂。
    王宮の門からつながる金ピカのゲートに映える礼拝堂(中央奥)です。

  • ベルサイユ宮殿 <br />ラトーヌの泉手前からのグラン・カナル。<br />宮殿の裏側には長さ1650mの大運河グラン・カナル (Grand Canal) が拡がり、その途中で小運河プティ・カナル (Petit Canal) が交差して十字を模っています。運河の右側(北方)一帯に、グラン・トリアノンなどの離宮が散在しています。<br />

    ベルサイユ宮殿
    ラトーヌの泉手前からのグラン・カナル。
    宮殿の裏側には長さ1650mの大運河グラン・カナル (Grand Canal) が拡がり、その途中で小運河プティ・カナル (Petit Canal) が交差して十字を模っています。運河の右側(北方)一帯に、グラン・トリアノンなどの離宮が散在しています。

  • ベルサイユ宮殿 音楽と噴水のショー。<br />宮殿内見学後は、夏季限定(4〜10月 土・日11:00〜12:00、15:30〜17:00)で行われる噴水ショーをラトーヌの泉前で見物します。開始時間が迫ると噴水の回りに大勢の観客が押し寄せてきます。暫くすると荘厳なバロック音楽が響き渡る中、園内にある全ての噴水から同時に水が放たれます。しかし、いくら待っても音楽に合わせて噴水の勢いが増したり停まったりする気配はありません。日本の噴水に慣れ親しみすぎたせいか、若干期待外れに終わりました。非日常的な場所で日常を求めてはなりません。<br /><br />この泉にまつわるエピソードがあります。ギリシャ神話に登場するジュピテール(ゼウス)が女神ラトーヌとの間に子供(アポロン、ディアナ)をもうけたため、本妻ジュノン(ヘラ)の逆鱗に触れてラトーヌとその子供たちは地上を彷徨う運命になります。ある日、ラトーヌがリュキア湖の水を飲もうとした時、農民が妨害したので怒って農民達をカエルに変えてしまったそうです。この噴水はそのシーンを表現しているそうです。また、一番上は、ラトーヌが村人に泥を投げつけられながらも 息子の太陽神アポロンを守っている像です。 <br />こうした背景を知らないと、カエルが口から水を噴き出している様は少々不気味に感じられます。<br /><br /><br /><br />

    イチオシ

    ベルサイユ宮殿 音楽と噴水のショー。
    宮殿内見学後は、夏季限定(4〜10月 土・日11:00〜12:00、15:30〜17:00)で行われる噴水ショーをラトーヌの泉前で見物します。開始時間が迫ると噴水の回りに大勢の観客が押し寄せてきます。暫くすると荘厳なバロック音楽が響き渡る中、園内にある全ての噴水から同時に水が放たれます。しかし、いくら待っても音楽に合わせて噴水の勢いが増したり停まったりする気配はありません。日本の噴水に慣れ親しみすぎたせいか、若干期待外れに終わりました。非日常的な場所で日常を求めてはなりません。

    この泉にまつわるエピソードがあります。ギリシャ神話に登場するジュピテール(ゼウス)が女神ラトーヌとの間に子供(アポロン、ディアナ)をもうけたため、本妻ジュノン(ヘラ)の逆鱗に触れてラトーヌとその子供たちは地上を彷徨う運命になります。ある日、ラトーヌがリュキア湖の水を飲もうとした時、農民が妨害したので怒って農民達をカエルに変えてしまったそうです。この噴水はそのシーンを表現しているそうです。また、一番上は、ラトーヌが村人に泥を投げつけられながらも 息子の太陽神アポロンを守っている像です。
    こうした背景を知らないと、カエルが口から水を噴き出している様は少々不気味に感じられます。



  • ベルサイユ宮殿 「水の前庭」。<br />噴水の奥に見える宮殿の2階が「鏡の間」です。「水の前庭」には、神話や寓話からとられた人物や動物の大理石、ブロンズ像が配置されています。造園家ル・ノートルは、こうした彫像が庭園の雰囲気を盛り上げ、かつ庭園の軸線を妨げないように、背丈の低い横たわった形の像で周りを飾っています。これらのブロンズ像の傑作は、王国の象徴であるフランスの河川を表現しているそうです。<br />

    ベルサイユ宮殿 「水の前庭」。
    噴水の奥に見える宮殿の2階が「鏡の間」です。「水の前庭」には、神話や寓話からとられた人物や動物の大理石、ブロンズ像が配置されています。造園家ル・ノートルは、こうした彫像が庭園の雰囲気を盛り上げ、かつ庭園の軸線を妨げないように、背丈の低い横たわった形の像で周りを飾っています。これらのブロンズ像の傑作は、王国の象徴であるフランスの河川を表現しているそうです。

  • シャイヨー宮からのエッフェル塔。<br />ベルサイユ宮殿と別れを告げ、パリへ向かいます。約30km、30分程のドライブです。<br />シャイヨー宮ではバスから下車し、写真タイム。逆光ですが、聳え立つエッフェル塔の雄姿を撮影できました。鉄の刺繍と称されるだけあり、日本のタワーやテレビ塔とは繊細さが異なります。<br /><br />フランス革命100周年を記念し、1889年の第4回万国博覧会に向けて建設するためにコンペが開かれ、ギュスターヴ・エッフェル他2名の案が採用されました。設計者がステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクランとされたり、エッフェルは単に工事を請け負ったに過ぎないとされたりしますが、当時ソーヴェストルとケクランは2名ともエッフェル社の社員でエッフェルとともにコンペに参加してたそうです。最終的にはエッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になりました。錬鉄製のエッフェル塔はあまりにも奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論あったそうです。モーパッサンは反対論者で、塔を見なくて済む場所として塔のレストランに足繁く通ったとか。このエピソードから「エッフェル塔が嫌いな奴は、エッフェル塔に行け」という慣用句までできたそうです。建設当時の高さは312.3mで、クライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物でした。現在は放送用アンテナが設置されたため324mとなっています。ちなみに東京タワーは333m、来年オープンする東京スカイツリーは634m(武蔵国の語呂合わせ)。<br />さてスカイツリーですが、白色に見えますが、実はスカイツリーホワイトと名付けられた藍染めの最も薄い「藍白」という色がベースになっています。足元の断面は正三角形で上に向かうにつれて円形へと滑らかに変化しています。これは、寺社建築などで見られる伝統的なデザイン「そり」と「むくり」そのものです。耐震構造には日本のタワーの祖先とも言える五重塔の叡智を活かしています。日本古来の建築構造が科学的に解明し尽くされた訳ではありませんが、中心を基盤から頂上部まで「心柱」という1本の柱が貫き、この心柱と各層の構造が独立していることで全体の揺れを抑えていると考えられています。この仕組みを現代風にアレンジし、タワーの中心を貫く鉄筋コンクリートの心柱と鉄骨トラスの骨格を組み合わせたハイブリッド構造としています。<br />バベルの塔のように神の黙示に触れないことを祈念したいと思います。<br />

    シャイヨー宮からのエッフェル塔。
    ベルサイユ宮殿と別れを告げ、パリへ向かいます。約30km、30分程のドライブです。
    シャイヨー宮ではバスから下車し、写真タイム。逆光ですが、聳え立つエッフェル塔の雄姿を撮影できました。鉄の刺繍と称されるだけあり、日本のタワーやテレビ塔とは繊細さが異なります。

    フランス革命100周年を記念し、1889年の第4回万国博覧会に向けて建設するためにコンペが開かれ、ギュスターヴ・エッフェル他2名の案が採用されました。設計者がステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクランとされたり、エッフェルは単に工事を請け負ったに過ぎないとされたりしますが、当時ソーヴェストルとケクランは2名ともエッフェル社の社員でエッフェルとともにコンペに参加してたそうです。最終的にはエッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になりました。錬鉄製のエッフェル塔はあまりにも奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論あったそうです。モーパッサンは反対論者で、塔を見なくて済む場所として塔のレストランに足繁く通ったとか。このエピソードから「エッフェル塔が嫌いな奴は、エッフェル塔に行け」という慣用句までできたそうです。建設当時の高さは312.3mで、クライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物でした。現在は放送用アンテナが設置されたため324mとなっています。ちなみに東京タワーは333m、来年オープンする東京スカイツリーは634m(武蔵国の語呂合わせ)。
    さてスカイツリーですが、白色に見えますが、実はスカイツリーホワイトと名付けられた藍染めの最も薄い「藍白」という色がベースになっています。足元の断面は正三角形で上に向かうにつれて円形へと滑らかに変化しています。これは、寺社建築などで見られる伝統的なデザイン「そり」と「むくり」そのものです。耐震構造には日本のタワーの祖先とも言える五重塔の叡智を活かしています。日本古来の建築構造が科学的に解明し尽くされた訳ではありませんが、中心を基盤から頂上部まで「心柱」という1本の柱が貫き、この心柱と各層の構造が独立していることで全体の揺れを抑えていると考えられています。この仕組みを現代風にアレンジし、タワーの中心を貫く鉄筋コンクリートの心柱と鉄骨トラスの骨格を組み合わせたハイブリッド構造としています。
    バベルの塔のように神の黙示に触れないことを祈念したいと思います。

  • ランチ エスカルゴ。<br />エッフェル塔を後にしてエトワール凱旋門、コンコルド広場、オペラ・ガルニエを車窓見学してランチです。メインはエスカルゴ。カミさんも含めて周りは初めての方ばかりでおっかなびっくりです。カタツムリの一種ですが、食用にされるカタツムリはリンゴ・マイマイとプティ・グリという2種類だけ。しかも穀物などの飼料を与えて養殖されたものです。食感はサザエあるいは鮑をやわらかくした感じで、味は、ガーリックとオリーブ・オイルで調えられていますので食べ易いです。また、バゲットにエスカルゴのツユをつけて食べると格別です。殻に残ったツユは、一箇所に集めておきましょう。<br />

    ランチ エスカルゴ。
    エッフェル塔を後にしてエトワール凱旋門、コンコルド広場、オペラ・ガルニエを車窓見学してランチです。メインはエスカルゴ。カミさんも含めて周りは初めての方ばかりでおっかなびっくりです。カタツムリの一種ですが、食用にされるカタツムリはリンゴ・マイマイとプティ・グリという2種類だけ。しかも穀物などの飼料を与えて養殖されたものです。食感はサザエあるいは鮑をやわらかくした感じで、味は、ガーリックとオリーブ・オイルで調えられていますので食べ易いです。また、バゲットにエスカルゴのツユをつけて食べると格別です。殻に残ったツユは、一箇所に集めておきましょう。

  • ルーヴル美術館(逆ピラミッド)。<br />ランチ後、ノートルダム大聖堂を車窓見学してルーヴル美術館へ向かいます。ルートは地下駐車場から地下道を通って逆ピラミッドまで出るため、ルーブル美術館の外観が全く見られないのが難点です。見学時間は2時間。16:00逆ピラミッド集合。<br /><br />そうです、ダン・ブラウン著の小説『ダ・ヴィンチ・コード』で聖杯の秘密がその下に安置されているとされている逆ピラミッドです。逆ピラミッドの真上は強化ガラスでできていて、地上からの自然光を取り込む構造になっています。骨組みの幾何学模様がとても美しいです。映画『ダ・ヴィンチ・コード』のラストでは、ロバート・ラングドン役のトム・ハンクスが逆ピラミッドの真上でしゃがみ込むシーンがあります。(回りには植え込みがあり、一般の立ち入りは禁止されています。)<br />地上からの外観はこちらを参照してください。<br />http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930713/

    ルーヴル美術館(逆ピラミッド)。
    ランチ後、ノートルダム大聖堂を車窓見学してルーヴル美術館へ向かいます。ルートは地下駐車場から地下道を通って逆ピラミッドまで出るため、ルーブル美術館の外観が全く見られないのが難点です。見学時間は2時間。16:00逆ピラミッド集合。

    そうです、ダン・ブラウン著の小説『ダ・ヴィンチ・コード』で聖杯の秘密がその下に安置されているとされている逆ピラミッドです。逆ピラミッドの真上は強化ガラスでできていて、地上からの自然光を取り込む構造になっています。骨組みの幾何学模様がとても美しいです。映画『ダ・ヴィンチ・コード』のラストでは、ロバート・ラングドン役のトム・ハンクスが逆ピラミッドの真上でしゃがみ込むシーンがあります。(回りには植え込みがあり、一般の立ち入りは禁止されています。)
    地上からの外観はこちらを参照してください。
    http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23930713/

  • ルーヴル美術館<br />(ガラスのピラミッドを内部から見上げる)。<br />ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』は、ガラスのピラミッドに使われたガラスの枚数を666枚として読者の好奇心を駆り立てます。この数字は『ヨハネの黙示録』の「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間を指すものである。そして、その数字は666である」から様々な憶測を孕んでいます。ヘブル語で解読するとキリスト教を迫害した皇帝ネロを指すそうです。この数字を一躍有名にしたのが映画『オーメン』の悪魔の生まれ変わりダミアンです。そもそも6には聖なる数字7から1足りない「不完全な数字」という意味合いがあり、それが3つ重なると完璧に不吉な数字とされます。<br /><br />しかし実際には、設計会社の関係者の話によれば、ルーヴル美術館には698枚のガラスが使われているそうです。ミッテラン大統領の強い希望で666枚で造られたという噂は、1980年代にフランスの新聞社が報じたことにより生まれた都市伝説のようなものだそうです。ちなみに中国では、666はとても縁起の良い数字なんだそうです。<br /><br />

    ルーヴル美術館
    (ガラスのピラミッドを内部から見上げる)。
    ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』は、ガラスのピラミッドに使われたガラスの枚数を666枚として読者の好奇心を駆り立てます。この数字は『ヨハネの黙示録』の「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間を指すものである。そして、その数字は666である」から様々な憶測を孕んでいます。ヘブル語で解読するとキリスト教を迫害した皇帝ネロを指すそうです。この数字を一躍有名にしたのが映画『オーメン』の悪魔の生まれ変わりダミアンです。そもそも6には聖なる数字7から1足りない「不完全な数字」という意味合いがあり、それが3つ重なると完璧に不吉な数字とされます。

    しかし実際には、設計会社の関係者の話によれば、ルーヴル美術館には698枚のガラスが使われているそうです。ミッテラン大統領の強い希望で666枚で造られたという噂は、1980年代にフランスの新聞社が報じたことにより生まれた都市伝説のようなものだそうです。ちなみに中国では、666はとても縁起の良い数字なんだそうです。

  • ルーヴル美術館<br />(小窓よりガラスのピラミッド)。<br />ガイドさんに誘導されてドノン翼から颯爽と入場します。ルーヴル地下に現れる武骨な石材の塊である城塞遺跡群を横目に進むと彼方にサモトラケのニケが顔を出しますが、直接そこへは向かわずにミロのビーナスを先に見学します。<br /><br />各ウィングは繋がってはいますが、迷路のように入り組んでいます。従って、お目当ての作品があれば、展示されているウィングの入口から入場するのが時間短縮になります。ルーヴルにはドノン、シュリー、リシュリューの三つのウィングがあり、それぞれナポレオン広場(ガラスのピラミッド地下)からエスカレーターで入場口へアプローチできます。

    イチオシ

    ルーヴル美術館
    (小窓よりガラスのピラミッド)。
    ガイドさんに誘導されてドノン翼から颯爽と入場します。ルーヴル地下に現れる武骨な石材の塊である城塞遺跡群を横目に進むと彼方にサモトラケのニケが顔を出しますが、直接そこへは向かわずにミロのビーナスを先に見学します。

    各ウィングは繋がってはいますが、迷路のように入り組んでいます。従って、お目当ての作品があれば、展示されているウィングの入口から入場するのが時間短縮になります。ルーヴルにはドノン、シュリー、リシュリューの三つのウィングがあり、それぞれナポレオン広場(ガラスのピラミッド地下)からエスカレーターで入場口へアプローチできます。

  • ルーヴル美術館<br />ドノン翼からリシュリュー翼を望む。

    ルーヴル美術館
    ドノン翼からリシュリュー翼を望む。

  • アフロディーテ 通称 ミロのヴィーナス。<br /><背面>(紀元前2世紀末)<br />見所は三つあります。<br />①上半身だけですが、貴重なヌード。<br />②末期でもギリシャ時代の作品。<br />③等身大以上の大きな大理石彫刻。<br /><br />これらの条件を備えた作品は、ミロのヴィーナス以外に発見されていません。<br />ドイツの学者フルトヴェングラーがヘレニズム末期の彫刻であることを説き、現在でもこれが定説となっています。その理由の一つがお尻にあります。腰布からちらりと出ている割れ目こそがヘレニズム期にしかないエロスの特徴なのです。

    アフロディーテ 通称 ミロのヴィーナス。
    <背面>(紀元前2世紀末)
    見所は三つあります。
    ①上半身だけですが、貴重なヌード。
    ②末期でもギリシャ時代の作品。
    ③等身大以上の大きな大理石彫刻。

    これらの条件を備えた作品は、ミロのヴィーナス以外に発見されていません。
    ドイツの学者フルトヴェングラーがヘレニズム末期の彫刻であることを説き、現在でもこれが定説となっています。その理由の一つがお尻にあります。腰布からちらりと出ている割れ目こそがヘレニズム期にしかないエロスの特徴なのです。

  • アフロディーテ 通称 ミロのヴィーナス。<br />せっかくですので一番美しいと言われている左斜め30°からのショットもどうぞ。上体の傾きと腰布が落ち行く瞬間に両足を閉じる動作が絶妙なバランスを醸し出しています。2本の腕は発見されておらず、考古学者の想像をかき立てています。<br /><br />美の象徴「ミロのヴィーナス」には、黄金比が潜んでいるそうです。黄金比とは1:1.618・・・(1:(1+√5)/2)といった比率で、「モナ・リザ」などにも使われています。黄金比を確立したのは、古代ギリシャのピタゴラス学派。元々は、線分を分割する際に美しく分ける手法。「ミロのヴィーナス」には、足元〜へそと足元〜頭頂部、へそ〜首とへそ〜頭頂部、それぞれの長さが黄金比になっています。黄金比は見る者に安堵感を覚えさせる比率で、スーラやモンドリアンなど近現代画家も用いたと見る向きもあります。もっとも意識的に黄金比を作品に取り入れたというよりも、直感的に美しいと感じた構図が結果的に黄金比だったと考える方が自然です。身近なものでは名刺やカードが黄金比になっています。  <br />一方、日本では古来より黄金比とは異なる白銀比があり、1:1.414・・・(1:√2)の比率を持ち、大和比とも称されます。興福寺「阿修羅像」は白銀比の長方形に収まるサイズに造られ、「鳥獣戯画」も構図に白銀比が見られます。さらには、菱川師宣の傑作「見返り美人図」にも用いられています。頭頂部〜帯と足元〜帯、絵の上辺〜頭頂部と頭頂部〜振り袖の下端、それぞれの長さの比が白銀比だそうです。ダイナミックな黄金比に比べ、白銀比は静的な美の比率とも称されます。白銀比は、侘び・寂びなどの日本人の美意識のDNAに刷り込まれた独特の比率なのかもしれません。身近なものでは、A4判やB5判などのコピー用紙の縦横比が白銀比になっています。また、ハローキティなど人気キャラクターの縦横比も白銀比になっているそうです。 <br />

    アフロディーテ 通称 ミロのヴィーナス。
    せっかくですので一番美しいと言われている左斜め30°からのショットもどうぞ。上体の傾きと腰布が落ち行く瞬間に両足を閉じる動作が絶妙なバランスを醸し出しています。2本の腕は発見されておらず、考古学者の想像をかき立てています。

    美の象徴「ミロのヴィーナス」には、黄金比が潜んでいるそうです。黄金比とは1:1.618・・・(1:(1+√5)/2)といった比率で、「モナ・リザ」などにも使われています。黄金比を確立したのは、古代ギリシャのピタゴラス学派。元々は、線分を分割する際に美しく分ける手法。「ミロのヴィーナス」には、足元〜へそと足元〜頭頂部、へそ〜首とへそ〜頭頂部、それぞれの長さが黄金比になっています。黄金比は見る者に安堵感を覚えさせる比率で、スーラやモンドリアンなど近現代画家も用いたと見る向きもあります。もっとも意識的に黄金比を作品に取り入れたというよりも、直感的に美しいと感じた構図が結果的に黄金比だったと考える方が自然です。身近なものでは名刺やカードが黄金比になっています。  
    一方、日本では古来より黄金比とは異なる白銀比があり、1:1.414・・・(1:√2)の比率を持ち、大和比とも称されます。興福寺「阿修羅像」は白銀比の長方形に収まるサイズに造られ、「鳥獣戯画」も構図に白銀比が見られます。さらには、菱川師宣の傑作「見返り美人図」にも用いられています。頭頂部〜帯と足元〜帯、絵の上辺〜頭頂部と頭頂部〜振り袖の下端、それぞれの長さの比が白銀比だそうです。ダイナミックな黄金比に比べ、白銀比は静的な美の比率とも称されます。白銀比は、侘び・寂びなどの日本人の美意識のDNAに刷り込まれた独特の比率なのかもしれません。身近なものでは、A4判やB5判などのコピー用紙の縦横比が白銀比になっています。また、ハローキティなど人気キャラクターの縦横比も白銀比になっているそうです。 

  • サモトラケのニケ。(紀元前190年頃)<br />スポーツ・ブランドのNIKEの語源になった勝利の女神ニケは、大洋の神オケアノスの孫娘。天空から勝利を告げに船首を模した台座に舞い降りた瞬間をとらえています。その姿は神々しく、エーゲ海の小島の断崖絶壁上の神殿の先で海風を受けて凛々しく立っていた情景が再現されています。濡れたキトン(衣)が肌に張り付いて豊かな肉体美が露わになった部位の繊細さは、とても大理石の彫刻とは思えません。顔、両腕、両足はありませんが、脇の形から右手を高く上げ、勝利の報告に沸上がる歓声に応える姿を模っていると言われます。右足はたった今甲板に着地した瞬間で、左足はまだ浮いたままの状態だそうです。まさしく、勝利の女神が舞い降りる瞬間を切り取った彫刻です。

    サモトラケのニケ。(紀元前190年頃)
    スポーツ・ブランドのNIKEの語源になった勝利の女神ニケは、大洋の神オケアノスの孫娘。天空から勝利を告げに船首を模した台座に舞い降りた瞬間をとらえています。その姿は神々しく、エーゲ海の小島の断崖絶壁上の神殿の先で海風を受けて凛々しく立っていた情景が再現されています。濡れたキトン(衣)が肌に張り付いて豊かな肉体美が露わになった部位の繊細さは、とても大理石の彫刻とは思えません。顔、両腕、両足はありませんが、脇の形から右手を高く上げ、勝利の報告に沸上がる歓声に応える姿を模っていると言われます。右足はたった今甲板に着地した瞬間で、左足はまだ浮いたままの状態だそうです。まさしく、勝利の女神が舞い降りる瞬間を切り取った彫刻です。

  • ボッティチェリ <br />「若い婦人に贈り物をするヴィーナスと三美神」<br />(イタリア絵画 フレスコ画<壁画>1483年頃)<br />サモトラケのニケを右折して絵画コーナーへ入ります。ところがガイドさんは、チェックしていた有名なイタリア フレスコ画を素通りしてしまいました。ガイドさんと嗜好が合わないことを悟り、カミさんと二人で別行動に移ります。ここで事前に展示場所をチェックしてきた威力が発揮されました。<br />主要作品の展示場所は次のPDFを参照してください。(ルーヴル公式サイト<日本語>)<br />http://www.louvre.fr/sites/default/files/medias/medias_fichiers/fichiers/pdf/louvre-plan-guide-japonais.pdf<br />また、ルーヴル作品の詳細は、以下の書籍、HPを参考にしました。また、著書「怖い絵」で有名な中野京子さんがルーヴル作品について解説をされているサイトが最近公開されましたので参考に記しておきます。<br />①ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか<br />    井出洋一郎著 中経の文庫<br />②旅行マガジン「るるぶ」パリ編 2011年版<br />③集英社HP:はじめてのルーヴル(中野京子) <br />    http://renzaburo.jp/louvre/index.html<br /><br />フィレンツェ郊外のレンミ荘ロッジの漆喰壁から発見されたフレスコ画です。顔面に破損のある左から3番目の女性がヴィーナスで、背後に侍女の三美神を引き連れて贈り物をしています。右下の子はヴィーナスの息子のキューピッドです。この絵の解釈は、メディチ家哲学を反映し、ヴィーナスが愛ばかりでなく知恵も含めたあらゆる美徳の象徴として崇められるようにとのことです。フレスコ画は透明感があり、繊細で日本画のような高度な線の芸術と言えます。ルーヴル広しと言えどもここでしか見られない貴重な絵画です。隣にもう一点、ヴィーナスを題材にしたフレスコ画があります。ボッティチェリは聞いたことがなくても代表作「ヴィーナスの誕生」はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか? <br />

    ボッティチェリ
    「若い婦人に贈り物をするヴィーナスと三美神」
    (イタリア絵画 フレスコ画<壁画>1483年頃)
    サモトラケのニケを右折して絵画コーナーへ入ります。ところがガイドさんは、チェックしていた有名なイタリア フレスコ画を素通りしてしまいました。ガイドさんと嗜好が合わないことを悟り、カミさんと二人で別行動に移ります。ここで事前に展示場所をチェックしてきた威力が発揮されました。
    主要作品の展示場所は次のPDFを参照してください。(ルーヴル公式サイト<日本語>)
    http://www.louvre.fr/sites/default/files/medias/medias_fichiers/fichiers/pdf/louvre-plan-guide-japonais.pdf
    また、ルーヴル作品の詳細は、以下の書籍、HPを参考にしました。また、著書「怖い絵」で有名な中野京子さんがルーヴル作品について解説をされているサイトが最近公開されましたので参考に記しておきます。
    ①ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか
        井出洋一郎著 中経の文庫
    ②旅行マガジン「るるぶ」パリ編 2011年版
    ③集英社HP:はじめてのルーヴル(中野京子) 
        http://renzaburo.jp/louvre/index.html

    フィレンツェ郊外のレンミ荘ロッジの漆喰壁から発見されたフレスコ画です。顔面に破損のある左から3番目の女性がヴィーナスで、背後に侍女の三美神を引き連れて贈り物をしています。右下の子はヴィーナスの息子のキューピッドです。この絵の解釈は、メディチ家哲学を反映し、ヴィーナスが愛ばかりでなく知恵も含めたあらゆる美徳の象徴として崇められるようにとのことです。フレスコ画は透明感があり、繊細で日本画のような高度な線の芸術と言えます。ルーヴル広しと言えどもここでしか見られない貴重な絵画です。隣にもう一点、ヴィーナスを題材にしたフレスコ画があります。ボッティチェリは聞いたことがなくても代表作「ヴィーナスの誕生」はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか?

  • フラ・アンジェリコ 「聖母戴冠」<br />(イタリア絵画 テンペラ画 1430−34年頃)<br />黄金色=天の栄光と貴石ラピスラズリの青=聖母マリアの純真の図像であり、天使による被昇天ならびに天国での戴冠を描いた宗教画の傑作です。この絵のポイントは色彩だけでなく、人物を積み上げたフィクションながら自然に人物が参集しているように見せる構図のマジックも見所です。下から上、あるいは手前から奥への遠近法が巧みです。下から見上げる私たちはこの戴冠の儀式に天国的な憧れを抱きます。ちなみに、ラピスラズリの青はフェルメールも積極的に用いていますが、往時は金と同じくらい高価な塗料だったようです。<br /><br />聖マリアは無原罪受胎でイエス・キリストを生みますが、本人自身も同様に無原罪受胎で聖母アンナから生まれています。言わばこれ以上ない血統書付の純真無垢です。キリスト教会でのジェンダー思想が蔓延る中、マリア信仰が危機に瀕する場面もあったようですが、現在も脈々とマリア信仰が息づいているのはこうした聖マリアに捧げる図象の賜物かもしれません。

    フラ・アンジェリコ 「聖母戴冠」
    (イタリア絵画 テンペラ画 1430−34年頃)
    黄金色=天の栄光と貴石ラピスラズリの青=聖母マリアの純真の図像であり、天使による被昇天ならびに天国での戴冠を描いた宗教画の傑作です。この絵のポイントは色彩だけでなく、人物を積み上げたフィクションながら自然に人物が参集しているように見せる構図のマジックも見所です。下から上、あるいは手前から奥への遠近法が巧みです。下から見上げる私たちはこの戴冠の儀式に天国的な憧れを抱きます。ちなみに、ラピスラズリの青はフェルメールも積極的に用いていますが、往時は金と同じくらい高価な塗料だったようです。

    聖マリアは無原罪受胎でイエス・キリストを生みますが、本人自身も同様に無原罪受胎で聖母アンナから生まれています。言わばこれ以上ない血統書付の純真無垢です。キリスト教会でのジェンダー思想が蔓延る中、マリア信仰が危機に瀕する場面もあったようですが、現在も脈々とマリア信仰が息づいているのはこうした聖マリアに捧げる図象の賜物かもしれません。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ <br />「モナ・リザ」(1503~06年)<br />モデルは誰かと論議を醸しましたが、今日ではフィレンツェの富豪ジョコンドの妻エリザベッタで落着しています。この絵画の特徴は3つあります。<br />①輪郭が存在しない絵です。(特殊な画法)<br />②指先を使った「ぼかし(スフマート技法)」で唇の陰影を神秘的に描いています。これによって「モナ・リザの微笑」が表現されています。<br />③背景の山岳風景。右の山からは川が生成して橋も架かって潤沢な水が流れています。ところが、左は涸れて砂漠化した川跡になっています。どちらかが未来であることを科学的に暗示しているという学説もあります。と言っても間近で見ないと風景など全く判読できません。ましてや、この絵画は厳重に警備されており、至近距離まで近づけません。そもそも77X53cmと小さな絵画ですので肉眼では到底無理です。<br />展示ルーム「国家の間」の天井はガラス張りになっており、2005年に改装工事が終わりました。障子のような格子窓が設けられて自然光を和らげ、人口の光と融合させることで絵画に影などが入らない工夫がなされています。実は、この仕掛けの費用は日本テレビ放送網が寄付という名目で全額負担しています。総額6億3700万円とのこと。<br /><br />フランソワ1世とアンリ王太子の逸話は、シュノンソー城で紹介しました。http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23821231/<br />フランソワ1世はローマ皇帝カール5世と長期に亘ってイタリアを舞台に戦い、フランスの領土を堅守しました。この遠征は、往時文明後進国であったフランスに美術工芸品をもたらしたに留まらず、芸術家を高い報酬で招致して文化振興に貢献しました。その筆頭がレオナルド・ダ・ヴィンチ。「レオナルドはフランソワ1世の腕の中で永眠した」との伝説があるほどです。その見返りが『モナ・リザ』、『洗礼者ヨハネ』、『岩窟の聖母』、『聖アンナと聖母子』です。イタリアは地団駄踏んで悔しがったそうです。<br />マドリードにあるプラド美術館には、『プラドのモナ・リザ』と称される『モナ・リザ』そっくりの絵画があります。ダビンチの制作と同時期に同じアトリエで弟子の一人が描いた複製画だそうです。オリジナルと同様に謎めいた微笑を浮かべていますが、より若く見えます。背後にある風景も似て非なるものです。尚、複製画は、2012年3月26日からルーヴル美術館で本物のモナリザと並べて展示される予定だそうです。お楽しみに!<br /><br />余談ですが、『モナ・リザ』の前はいつも人でごった返していますが、その中の5人はスリあるいはその仲間だそうです。であれば、長居は禁物。最前列で絵画を拝み、写真を撮ったらそそくさと引き上げるに越したことはありません。

    レオナルド・ダ・ヴィンチ
    「モナ・リザ」(1503~06年)
    モデルは誰かと論議を醸しましたが、今日ではフィレンツェの富豪ジョコンドの妻エリザベッタで落着しています。この絵画の特徴は3つあります。
    ①輪郭が存在しない絵です。(特殊な画法)
    ②指先を使った「ぼかし(スフマート技法)」で唇の陰影を神秘的に描いています。これによって「モナ・リザの微笑」が表現されています。
    ③背景の山岳風景。右の山からは川が生成して橋も架かって潤沢な水が流れています。ところが、左は涸れて砂漠化した川跡になっています。どちらかが未来であることを科学的に暗示しているという学説もあります。と言っても間近で見ないと風景など全く判読できません。ましてや、この絵画は厳重に警備されており、至近距離まで近づけません。そもそも77X53cmと小さな絵画ですので肉眼では到底無理です。
    展示ルーム「国家の間」の天井はガラス張りになっており、2005年に改装工事が終わりました。障子のような格子窓が設けられて自然光を和らげ、人口の光と融合させることで絵画に影などが入らない工夫がなされています。実は、この仕掛けの費用は日本テレビ放送網が寄付という名目で全額負担しています。総額6億3700万円とのこと。

    フランソワ1世とアンリ王太子の逸話は、シュノンソー城で紹介しました。http://4travel.jp/traveler/montsaintmichel/pict/23821231/
    フランソワ1世はローマ皇帝カール5世と長期に亘ってイタリアを舞台に戦い、フランスの領土を堅守しました。この遠征は、往時文明後進国であったフランスに美術工芸品をもたらしたに留まらず、芸術家を高い報酬で招致して文化振興に貢献しました。その筆頭がレオナルド・ダ・ヴィンチ。「レオナルドはフランソワ1世の腕の中で永眠した」との伝説があるほどです。その見返りが『モナ・リザ』、『洗礼者ヨハネ』、『岩窟の聖母』、『聖アンナと聖母子』です。イタリアは地団駄踏んで悔しがったそうです。
    マドリードにあるプラド美術館には、『プラドのモナ・リザ』と称される『モナ・リザ』そっくりの絵画があります。ダビンチの制作と同時期に同じアトリエで弟子の一人が描いた複製画だそうです。オリジナルと同様に謎めいた微笑を浮かべていますが、より若く見えます。背後にある風景も似て非なるものです。尚、複製画は、2012年3月26日からルーヴル美術館で本物のモナリザと並べて展示される予定だそうです。お楽しみに!

    余談ですが、『モナ・リザ』の前はいつも人でごった返していますが、その中の5人はスリあるいはその仲間だそうです。であれば、長居は禁物。最前列で絵画を拝み、写真を撮ったらそそくさと引き上げるに越したことはありません。

  • ウジェーヌ・ドラクロワ <br />「サルダナバールの死」(1827年)<br />この辺りから少々マニアックになります。ドラクロワは「民衆を導く自由の女神」で有名ですが、ゲーテからシェークスピアまで原語で親しんだインテリでした。中でも英国の詩人バイロンがお気に入りで、虐殺ものとして選んだのが詩劇「サルダナバールの死」でした。<br /><br />古代アッシリアの王サルダナバールが栄華を極めたニネヴェの宮殿に敵軍が迫ります。もはやこれまでと覚悟した王は、沢山の愛妾や子姓、愛馬までを兵士に皆殺しにさせ、一人寝台に横たわって殺戮の情景を眺めて孤独のうちに炎に包まれていくというくだりの絢爛豪華な歴史絵巻です。<br />血に染まったシーツなどリアルな描写をしています。驚くのはこうしたマイナーな絵画の前で堂々と指をさしながら説明ができる諸兄が存在することです。

    ウジェーヌ・ドラクロワ
    「サルダナバールの死」(1827年)
    この辺りから少々マニアックになります。ドラクロワは「民衆を導く自由の女神」で有名ですが、ゲーテからシェークスピアまで原語で親しんだインテリでした。中でも英国の詩人バイロンがお気に入りで、虐殺ものとして選んだのが詩劇「サルダナバールの死」でした。

    古代アッシリアの王サルダナバールが栄華を極めたニネヴェの宮殿に敵軍が迫ります。もはやこれまでと覚悟した王は、沢山の愛妾や子姓、愛馬までを兵士に皆殺しにさせ、一人寝台に横たわって殺戮の情景を眺めて孤独のうちに炎に包まれていくというくだりの絢爛豪華な歴史絵巻です。
    血に染まったシーツなどリアルな描写をしています。驚くのはこうしたマイナーな絵画の前で堂々と指をさしながら説明ができる諸兄が存在することです。

  • ジャック・ルイ・ダヴィッド <br />「レカミエ夫人」(1800年未完)<br />「ナポレオン1世の戴冠式」を背に、人知れず咲く白百合のような可憐な肖像画です。当時流行した古代ローマの貴婦人のような衣装を身にまとい、物言いたげにこちらを見つめています。マダムと言われていますが、彼女の夫は実父。銀行家だった父は、財産を没収されないように娘であることを隠して妻として入籍してしまったといいます。<br /><br />ダヴィッドにとって若い美女は描きづらかったのか、あまりにも時間がかかり過ぎてマダムがしびれをきらせて他の画家に依頼し直たといういわく付の絵画です。それゆえに今日未完の大作として愛されています。一説には、きれいな素足を丹念に描き過ぎて気分を損ねられたとも言われています。

    ジャック・ルイ・ダヴィッド
    「レカミエ夫人」(1800年未完)
    「ナポレオン1世の戴冠式」を背に、人知れず咲く白百合のような可憐な肖像画です。当時流行した古代ローマの貴婦人のような衣装を身にまとい、物言いたげにこちらを見つめています。マダムと言われていますが、彼女の夫は実父。銀行家だった父は、財産を没収されないように娘であることを隠して妻として入籍してしまったといいます。

    ダヴィッドにとって若い美女は描きづらかったのか、あまりにも時間がかかり過ぎてマダムがしびれをきらせて他の画家に依頼し直たといういわく付の絵画です。それゆえに今日未完の大作として愛されています。一説には、きれいな素足を丹念に描き過ぎて気分を損ねられたとも言われています。

  • ドミニック・アングル <br />「グランド・オダリスク」(1814年)<br />オダリスクとはハーレムの奴隷女のことです。アングルがこの絵をサロン展に送った時、観衆は優等生のアングルがなぜこんな絵を描いたのか訝しがったそうです。中には「この絵の女は解剖学的には脊椎が3本多い」と指摘したまじめな評論家もいたそうです。この絵は「ここにはない場所」つまりネバーランドを目指すロマンティックな願望を物語っています。隠れロマン派の一面を覗かせてしまったのがこの絵です。

    ドミニック・アングル
    「グランド・オダリスク」(1814年)
    オダリスクとはハーレムの奴隷女のことです。アングルがこの絵をサロン展に送った時、観衆は優等生のアングルがなぜこんな絵を描いたのか訝しがったそうです。中には「この絵の女は解剖学的には脊椎が3本多い」と指摘したまじめな評論家もいたそうです。この絵は「ここにはない場所」つまりネバーランドを目指すロマンティックな願望を物語っています。隠れロマン派の一面を覗かせてしまったのがこの絵です。

  • プリュードン 「皇妃ジョゼフィーヌ」(1805年)<br />マルメゾンの暗い木立の陰で岩に腰かけ、日夜戦闘に明け暮れる夫ナポレオンと今後の不安な人生を儚んで沈み込む皇后。周りの陰影が透き通るような白い肌のジョゼフィーヌを3D的に浮き上がらせます。事実、彼女はこの絵から4年後に跡継ぎを産めないとの理由で離縁されてしまいます。この絵のメランコリックな表情と優雅な物腰に心を動かされない男性はいないと言われています。世の男性方、一見の価値ありです。<br /><br />余談ですが、当時「白いペスト」と呼ばれた結核は、閉め切って換気の悪い城内やサロンで蔓延した王侯貴族病だったそうです。初期症状は顔色が透き通るように蒼白になり、そこへ発熱でほんのり赤味がさし、身体はなよやかに痩せ細るということで、驚くことに女性貴族の憧憬の病に化し、お化粧やファッションへも多大な影響を及ぼしたそうです。ジョゼフィーヌの白い透き通った肌に恋い焦がれたナポレオンですら、やむにやまれず「ジョゼフィーヌ、紅をつけたらどうだ。まるで死人に見えるよ」と心情を吐露したとか。

    プリュードン 「皇妃ジョゼフィーヌ」(1805年)
    マルメゾンの暗い木立の陰で岩に腰かけ、日夜戦闘に明け暮れる夫ナポレオンと今後の不安な人生を儚んで沈み込む皇后。周りの陰影が透き通るような白い肌のジョゼフィーヌを3D的に浮き上がらせます。事実、彼女はこの絵から4年後に跡継ぎを産めないとの理由で離縁されてしまいます。この絵のメランコリックな表情と優雅な物腰に心を動かされない男性はいないと言われています。世の男性方、一見の価値ありです。

    余談ですが、当時「白いペスト」と呼ばれた結核は、閉め切って換気の悪い城内やサロンで蔓延した王侯貴族病だったそうです。初期症状は顔色が透き通るように蒼白になり、そこへ発熱でほんのり赤味がさし、身体はなよやかに痩せ細るということで、驚くことに女性貴族の憧憬の病に化し、お化粧やファッションへも多大な影響を及ぼしたそうです。ジョゼフィーヌの白い透き通った肌に恋い焦がれたナポレオンですら、やむにやまれず「ジョゼフィーヌ、紅をつけたらどうだ。まるで死人に見えるよ」と心情を吐露したとか。

  • ジロデ・トリオゾン <br />「エンデュミオン、月の印象」(1791年)<br />この絵は、ギリシャ神話の牧童で美少年のエンデュミオンがヘラの罰で長い眠りについた時、狩りの女神で月を司るディアナがその寝姿に恋をして自らの光で彼の身体を愛撫するように照らしたというシーンを描いています。西風の神アモールが月桂冠の葉を分けて光を通しています。光の強弱をうまく使い分けて立体感を持たせ、セピア調に渋くまとめられているので思わずハッとする絵画です。トリオゾンのみずみずしい感受性がはじけた秀作です。<br />

    ジロデ・トリオゾン
    「エンデュミオン、月の印象」(1791年)
    この絵は、ギリシャ神話の牧童で美少年のエンデュミオンがヘラの罰で長い眠りについた時、狩りの女神で月を司るディアナがその寝姿に恋をして自らの光で彼の身体を愛撫するように照らしたというシーンを描いています。西風の神アモールが月桂冠の葉を分けて光を通しています。光の強弱をうまく使い分けて立体感を持たせ、セピア調に渋くまとめられているので思わずハッとする絵画です。トリオゾンのみずみずしい感受性がはじけた秀作です。

  • エリザベート・ヴィジェ=ルブラン <br />「娘と一緒の自画像」(1789年)<br />切がないので最後に当方が愛してやまないルブランの作品を紹介します。自画像ですので他の作品のように鑑賞者に何かメッセージを送るという絵ではありませんが、理想の母親像として見る人を嬉しくしてくれます。楽しい気分になるルノワールの絵とどこか共通する所があるもしれません。<br />彼女はマリーアントワネットお抱えの美貌の宮廷画家として有名でした。よく見るとこの絵が描かれた年号は奇しくもフランス革命の年。この絵が描かれてすぐに宮殿から追放されたのだと思うと胸が詰まります。年端もいかない幼い娘を連れて波乱万丈の人生に踏み入れるなど夢にも思っていなかったことでしょう。<br />

    エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
    「娘と一緒の自画像」(1789年)
    切がないので最後に当方が愛してやまないルブランの作品を紹介します。自画像ですので他の作品のように鑑賞者に何かメッセージを送るという絵ではありませんが、理想の母親像として見る人を嬉しくしてくれます。楽しい気分になるルノワールの絵とどこか共通する所があるもしれません。
    彼女はマリーアントワネットお抱えの美貌の宮廷画家として有名でした。よく見るとこの絵が描かれた年号は奇しくもフランス革命の年。この絵が描かれてすぐに宮殿から追放されたのだと思うと胸が詰まります。年端もいかない幼い娘を連れて波乱万丈の人生に踏み入れるなど夢にも思っていなかったことでしょう。

  • ミケランジェロ「抵抗する奴隷」。<br />「瀕死の奴隷」と一対をなすこれらの作品は、彫刻部門で最も有名な作品の一つです。教皇ユリウス2世の墓碑のために構想されたものですが、経済的な理由から制作中止になった未完の大作です。<br />ミケランジェロは、大理石から人体を彫りだす彫刻制作に肉体から魂を解脱させ、天使の階段を目指すための人間の高貴な苦悩を実感していたようです。人間を肉体の牢獄に囚われた魂、奴隷を肉体に縛られた低次の人間像の象徴と考えていたようです。

    ミケランジェロ「抵抗する奴隷」。
    「瀕死の奴隷」と一対をなすこれらの作品は、彫刻部門で最も有名な作品の一つです。教皇ユリウス2世の墓碑のために構想されたものですが、経済的な理由から制作中止になった未完の大作です。
    ミケランジェロは、大理石から人体を彫りだす彫刻制作に肉体から魂を解脱させ、天使の階段を目指すための人間の高貴な苦悩を実感していたようです。人間を肉体の牢獄に囚われた魂、奴隷を肉体に縛られた低次の人間像の象徴と考えていたようです。

  • チェルヴェテリの夫婦の棺(紀元前6世紀末)。<br />永遠の愛を誓い復活を願いながら微笑む夫婦は、夫がワインの杯を持ち、妻が右手で夫の手に香油を垂らしています。妻の左手には、復活を示すザクロの実があったそうです。

    チェルヴェテリの夫婦の棺(紀元前6世紀末)。
    永遠の愛を誓い復活を願いながら微笑む夫婦は、夫がワインの杯を持ち、妻が右手で夫の手に香油を垂らしています。妻の左手には、復活を示すザクロの実があったそうです。

  • コンコルド広場(夕景)。<br />セーヌ川ディナー・クルーズへ向かう途中のバスからの車窓です。正しくマジック・アワーと言うか、日没後のオレンジ色と群青色が織り成す業です。<br /><br />ホテルでプチ・ドレスアップを済まてセーヌ川ディナークルーズへ向かいます。服装は、男性はジャケットとネクタイが必須。勿論、スニーカーやジーパンはご法度。女性は男性に合わせた格好であればOKで、ドレス・コードは厳しくありません。ワンピース・ドレスなどは全く不要です。スニーカーNGですが、ディナークルーズのためだけにシューズを準備するのは、合理的でありません。当方は、旅行中に履いていた革製のウォーキングシューズでごまかしました。服装に見合った色を選ぶのがポイントです。ブラウンやブラックならオールマイティーです。

    コンコルド広場(夕景)。
    セーヌ川ディナー・クルーズへ向かう途中のバスからの車窓です。正しくマジック・アワーと言うか、日没後のオレンジ色と群青色が織り成す業です。

    ホテルでプチ・ドレスアップを済まてセーヌ川ディナークルーズへ向かいます。服装は、男性はジャケットとネクタイが必須。勿論、スニーカーやジーパンはご法度。女性は男性に合わせた格好であればOKで、ドレス・コードは厳しくありません。ワンピース・ドレスなどは全く不要です。スニーカーNGですが、ディナークルーズのためだけにシューズを準備するのは、合理的でありません。当方は、旅行中に履いていた革製のウォーキングシューズでごまかしました。服装に見合った色を選ぶのがポイントです。ブラウンやブラックならオールマイティーです。

  • エッフェル塔 夕景(シャンパン・フラッシュ)。<br />日没後、毎時5分間程エッフェル塔がキラキラ光輝くシャンパン・フラッシュ・タイムがあります。これは19:00のものです。 

    エッフェル塔 夕景(シャンパン・フラッシュ)。
    日没後、毎時5分間程エッフェル塔がキラキラ光輝くシャンパン・フラッシュ・タイムがあります。これは19:00のものです。 

  • セーヌ川ディナークルーズ。<br />船会社はバトー・ムッシュ。19:30にアルマ橋のたもとから乗船します。この近くにはダイアナ妃の追悼モニュメントがあります。船内でパンフレットをもらいますが、ディナークルーズの航路はこのマップとは違っていました。船は、まず左岸(オルセー美術館側)寄りをシテ島に向けて進みます。船内から景色を楽しむなら左窓側の席がお奨めです。<br /><br />ちなみに、バトー・ムッシュとは日本語で「アメンボ船」のこと。アメンボの様にスイスイと闊達にセーヌ川遊覧観光が出来ると言うのが名前の由来。水面を颯爽と滑走する昆虫に例えるとは味があるネーミングです。そう言われると、クルーザーの形もアメンボに近いような気がします。半世紀以上セーヌ川観光を司ってきた歴史があり、セーヌ川遊覧船では「バトームッシュ」が代名詞であり本家に当たります。この他、バトーパリジャン、ヴデットゥ・デュ・ポンヌフなどがあります。ディナーなしの遊覧船もあります。<br />

    セーヌ川ディナークルーズ。
    船会社はバトー・ムッシュ。19:30にアルマ橋のたもとから乗船します。この近くにはダイアナ妃の追悼モニュメントがあります。船内でパンフレットをもらいますが、ディナークルーズの航路はこのマップとは違っていました。船は、まず左岸(オルセー美術館側)寄りをシテ島に向けて進みます。船内から景色を楽しむなら左窓側の席がお奨めです。

    ちなみに、バトー・ムッシュとは日本語で「アメンボ船」のこと。アメンボの様にスイスイと闊達にセーヌ川遊覧観光が出来ると言うのが名前の由来。水面を颯爽と滑走する昆虫に例えるとは味があるネーミングです。そう言われると、クルーザーの形もアメンボに近いような気がします。半世紀以上セーヌ川観光を司ってきた歴史があり、セーヌ川遊覧船では「バトームッシュ」が代名詞であり本家に当たります。この他、バトーパリジャン、ヴデットゥ・デュ・ポンヌフなどがあります。ディナーなしの遊覧船もあります。

  • セーヌ川ディナークルーズ。<br />船内は当方ツアーメンバーと結婚式の二次会グループの貸切でした。総勢40名程でスペースにゆとりがあります。19:30に乗船し、まずシャンパンで乾杯。前菜は超ビッグサイズのフォアグラのテリーヌです。バゲットに塗って食しますが、慣れていないので持て余します。テーブルの脇で弾いてくれるバイオリンの生演奏も聞き応えがあります。メインディッシュはフィレ・ミニョン。これもボリューム満点です。その後、チーズの盛り合わせ3種とデザートが給仕されます。<br /><br />19:30に乗船しますが、出航は20:30。帰着は22:30頃です。我々ツアー・メンバーは二次会グループと意気投合して輪になってゲームなどに興じ、日仏親善に一役買ってきました。ウェディングケーキのお裾分けがありましたが、さすがウェディングケーキだけあってデザート以上に甘かったです。

    セーヌ川ディナークルーズ。
    船内は当方ツアーメンバーと結婚式の二次会グループの貸切でした。総勢40名程でスペースにゆとりがあります。19:30に乗船し、まずシャンパンで乾杯。前菜は超ビッグサイズのフォアグラのテリーヌです。バゲットに塗って食しますが、慣れていないので持て余します。テーブルの脇で弾いてくれるバイオリンの生演奏も聞き応えがあります。メインディッシュはフィレ・ミニョン。これもボリューム満点です。その後、チーズの盛り合わせ3種とデザートが給仕されます。

    19:30に乗船しますが、出航は20:30。帰着は22:30頃です。我々ツアー・メンバーは二次会グループと意気投合して輪になってゲームなどに興じ、日仏親善に一役買ってきました。ウェディングケーキのお裾分けがありましたが、さすがウェディングケーキだけあってデザート以上に甘かったです。

  • セーヌ川ディナークルーズ<br />ルイ・フィリップ橋 夜景。<br />船はサン・ルイ島の先でUターンします。当方はメインディッシュを早めに切り上げ、デッキに上がります。誰もいません。広いデッキを独り占めです。船は2階建てで、2階のテラス席は見晴らしが良く絶好の撮影ポイント。ただし、吹きさらしですので、デッキで夜景鑑賞をされる方は防寒対策して乗船されることをお奨めします。コートは預ける必要はありませんでした。セーヌ川から望むパリの街のイルミネーションは絶景で、寒さを我慢してでも見る価値があります。<br /><br />写真はビデオ録画したものをキャプチャーしてJPEGファイルにしました。水面を走る船上からの夜景写真は、ブレるので結構テクニックが必要です。その点、ビデオがあればキャプチャーできるので便利です。AVCDH Liteのキャプチャーに使ったのは下記のフリーソフトす。<br />http://www.gomplayer.jp/<br />GOMPLAYERを起動してm2tsファイルをそのまま画面内へドラッグ&ドロップすればOKです。静止画にして右下の中央のボタンを押すとキャプチャーできます。静止画は、自動的にマイドキュメントに作られた「GomPlayer\Capture」フォルダにJPEGファイルとして保存されます。<br /><br /><br />

    セーヌ川ディナークルーズ
    ルイ・フィリップ橋 夜景。
    船はサン・ルイ島の先でUターンします。当方はメインディッシュを早めに切り上げ、デッキに上がります。誰もいません。広いデッキを独り占めです。船は2階建てで、2階のテラス席は見晴らしが良く絶好の撮影ポイント。ただし、吹きさらしですので、デッキで夜景鑑賞をされる方は防寒対策して乗船されることをお奨めします。コートは預ける必要はありませんでした。セーヌ川から望むパリの街のイルミネーションは絶景で、寒さを我慢してでも見る価値があります。

    写真はビデオ録画したものをキャプチャーしてJPEGファイルにしました。水面を走る船上からの夜景写真は、ブレるので結構テクニックが必要です。その点、ビデオがあればキャプチャーできるので便利です。AVCDH Liteのキャプチャーに使ったのは下記のフリーソフトす。
    http://www.gomplayer.jp/
    GOMPLAYERを起動してm2tsファイルをそのまま画面内へドラッグ&ドロップすればOKです。静止画にして右下の中央のボタンを押すとキャプチャーできます。静止画は、自動的にマイドキュメントに作られた「GomPlayer\Capture」フォルダにJPEGファイルとして保存されます。


  • セーヌ川ディナークルーズ<br />フランス学士院とポン・デ・ザール 夜景。<br />芸術橋とも呼ばれる味わいのある歩行者用の鉄橋です。欄干には無数の南京錠が掛けられ、永遠の愛を誓うカップルで賑わいます。確か神戸の諏訪山公園ヴィーナス・テラスにも同じようなスポットがあったような気がします。<br /><br />橋の一方はフランス学士院へ、もう一方はルーヴル美術館のクール・ガレに通じています。学士院は文芸・科学・芸術アカデミー等からなり、フランスの最高峰の学者が集まる所です。<br />学士院の建物の裏には美術学校があり、これを運営するのが芸術アカデミーです。 つまり、ルーブルと芸術アカデミー・美術学校という2つの芸術を繋ぐ橋と言う訳です。 <br />

    セーヌ川ディナークルーズ
    フランス学士院とポン・デ・ザール 夜景。
    芸術橋とも呼ばれる味わいのある歩行者用の鉄橋です。欄干には無数の南京錠が掛けられ、永遠の愛を誓うカップルで賑わいます。確か神戸の諏訪山公園ヴィーナス・テラスにも同じようなスポットがあったような気がします。

    橋の一方はフランス学士院へ、もう一方はルーヴル美術館のクール・ガレに通じています。学士院は文芸・科学・芸術アカデミー等からなり、フランスの最高峰の学者が集まる所です。
    学士院の建物の裏には美術学校があり、これを運営するのが芸術アカデミーです。 つまり、ルーブルと芸術アカデミー・美術学校という2つの芸術を繋ぐ橋と言う訳です。

  • セーヌ川ディナークルーズ<br />オルセー美術館 夜景。<br />1900年のパリ万博開催に合わせて造られたオルレアン鉄道のオルセー駅が美術館の前身です。美術館として生まれ変わる際、修復はイタリアの女性建築家ガエ・オランティが担当し、駅舎時代の面影を残した現在の建物が完成しました。2つの大時計がシンボルマークです。

    セーヌ川ディナークルーズ
    オルセー美術館 夜景。
    1900年のパリ万博開催に合わせて造られたオルレアン鉄道のオルセー駅が美術館の前身です。美術館として生まれ変わる際、修復はイタリアの女性建築家ガエ・オランティが担当し、駅舎時代の面影を残した現在の建物が完成しました。2つの大時計がシンボルマークです。

  • セーヌ川ディナークルーズ<br />ブルボン宮(国民議会)夜景。<br />コンコルド広場からコンコルド橋を渡ったセーヌ川左岸にあるブルボン宮です。ルイ14世の娘であるブルボン公爵夫人のために建てられたものですが、現在ではフランス下院の国民議会が置かれ、議会のない日には見学ができます。コリント様式の建物で同じくコリント様式のマドレーヌ寺院とコンコルド広場のオベリスクを挟んで対面しています。

    セーヌ川ディナークルーズ
    ブルボン宮(国民議会)夜景。
    コンコルド広場からコンコルド橋を渡ったセーヌ川左岸にあるブルボン宮です。ルイ14世の娘であるブルボン公爵夫人のために建てられたものですが、現在ではフランス下院の国民議会が置かれ、議会のない日には見学ができます。コリント様式の建物で同じくコリント様式のマドレーヌ寺院とコンコルド広場のオベリスクを挟んで対面しています。

  • セーヌ川ディナークルーズ<br />エッフェル塔 夜景(シャンパン・フラッシュ)。<br />22:00のシャンパン・フラッシュです。間近で見るとさすがに迫力があり、チカチカする塔全体のイルミネーションが幻想的ですばらしいです。暫くの間、見とれてしまいます。でも何回も見ると徐々に感動は薄れてきます。

    イチオシ

    セーヌ川ディナークルーズ
    エッフェル塔 夜景(シャンパン・フラッシュ)。
    22:00のシャンパン・フラッシュです。間近で見るとさすがに迫力があり、チカチカする塔全体のイルミネーションが幻想的ですばらしいです。暫くの間、見とれてしまいます。でも何回も見ると徐々に感動は薄れてきます。

  • セーヌ川ディナークルーズ<br />自由の女神像 夜景。<br />中洲のシーニュ島の人工堤防「白鳥の散歩道」の西端にある自由の女神像です。ニューヨークにあるオリジナルの1/4のスケールで高さ約11m、重量約9t。フランスがアメリカに自由の女神像を贈ったことの返礼としてアメリカ人がフランス革命100周年を記念して贈ったものです。この像は、1998.4.29から1999.5.9までの間、東京のお台場海浜公園に旅をしたことがあります。パリに帰国した時、パリっ子たちは「家出娘が帰ってきた」と大喜びしたそうです。尚、お台場にはその後レプリカが設置され、観光客に親しまれているそうです。<br /><br />船はここでUターンし、ゆっくりアルマ橋たもとの終着地へ向かいます。<br /><br />余談ですが、パリにはもう一体自由の女神像があり、リュクサンブール公園に佇んでいます。ニューヨークの女神の原像となったもので、かなり小ぶりですがじっくり観察するには都合の良い大きさです。自由の女神たちの母親に会いたいという方はぜひ足を運んでみてください。<br />ちなみに、ニューヨークにある自由の女神像はフランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに贈られたもので、当時はその旨を記したプレートが台座に掲げられていたそうです。フリーメイソンと言うとカルト的な印象がありますが、米国初代大統領ワシントンはじめ歴代の大統領の多くがメンバーでした。ナポレオンやモーツアルト、ゲーテも在籍していました。身近な所では「フライドチキン」でお馴染みのカーネル・サンダースもメンバーで、人形の左胸に着けられたバッヂはメイソンの高い位を表すそうです。

    セーヌ川ディナークルーズ
    自由の女神像 夜景。
    中洲のシーニュ島の人工堤防「白鳥の散歩道」の西端にある自由の女神像です。ニューヨークにあるオリジナルの1/4のスケールで高さ約11m、重量約9t。フランスがアメリカに自由の女神像を贈ったことの返礼としてアメリカ人がフランス革命100周年を記念して贈ったものです。この像は、1998.4.29から1999.5.9までの間、東京のお台場海浜公園に旅をしたことがあります。パリに帰国した時、パリっ子たちは「家出娘が帰ってきた」と大喜びしたそうです。尚、お台場にはその後レプリカが設置され、観光客に親しまれているそうです。

    船はここでUターンし、ゆっくりアルマ橋たもとの終着地へ向かいます。

    余談ですが、パリにはもう一体自由の女神像があり、リュクサンブール公園に佇んでいます。ニューヨークの女神の原像となったもので、かなり小ぶりですがじっくり観察するには都合の良い大きさです。自由の女神たちの母親に会いたいという方はぜひ足を運んでみてください。
    ちなみに、ニューヨークにある自由の女神像はフランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに贈られたもので、当時はその旨を記したプレートが台座に掲げられていたそうです。フリーメイソンと言うとカルト的な印象がありますが、米国初代大統領ワシントンはじめ歴代の大統領の多くがメンバーでした。ナポレオンやモーツアルト、ゲーテも在籍していました。身近な所では「フライドチキン」でお馴染みのカーネル・サンダースもメンバーで、人形の左胸に着けられたバッヂはメイソンの高い位を表すそうです。

  • セーヌ川ディナークルーズ<br />エッフェル塔 夜景。<br />シャンパン・フラッシュのないエッフェル塔も趣きがあります。ズームで見ると鉄の刺繍と言われる所以がよく分かります。クルーズの最後はやっぱりこれで締めくくります。終着地点へ着いたのは22:30過ぎでした。3時間のクルーズもこれで終わりです。<br /><br />パリで連泊したホテルは、パリ郊外にあるベスト ウエスタン ル サン モーリスです。グレードとしては可もなく不可もなしと言った所。所詮、寝るだけですので・・・。メトロ8号線のシャラントン・エコール駅までは徒歩10分程。駅の近くにはMONOPRIXというスーパーマーケットがあります。営業時間は、月〜土曜日 8:30〜21:30、日曜日 9:00〜12:00です。お店の情報は、下記HPを参照してください。地図も見られます。<br />http://www.monoprix.fr/trouver-mon-magasin/monoprix-charenton-charenton-le-pont-109.html

    イチオシ

    セーヌ川ディナークルーズ
    エッフェル塔 夜景。
    シャンパン・フラッシュのないエッフェル塔も趣きがあります。ズームで見ると鉄の刺繍と言われる所以がよく分かります。クルーズの最後はやっぱりこれで締めくくります。終着地点へ着いたのは22:30過ぎでした。3時間のクルーズもこれで終わりです。

    パリで連泊したホテルは、パリ郊外にあるベスト ウエスタン ル サン モーリスです。グレードとしては可もなく不可もなしと言った所。所詮、寝るだけですので・・・。メトロ8号線のシャラントン・エコール駅までは徒歩10分程。駅の近くにはMONOPRIXというスーパーマーケットがあります。営業時間は、月〜土曜日 8:30〜21:30、日曜日 9:00〜12:00です。お店の情報は、下記HPを参照してください。地図も見られます。
    http://www.monoprix.fr/trouver-mon-magasin/monoprix-charenton-charenton-le-pont-109.html

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