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大好き、と申し上げたらあまりに不遜でしょうか、<br />心から尊敬申し上げる、と言ってもまだ届かないかも知れません。<br />お会いしたこともないのに、お写真からも伝わる、真摯で清らかで崇高な眼差しの中に全ての人を大きく包んでくださるような優しさと温かさ。<br />やはり大好きと表現したくなってしまう、そしてそんな表現もきっと静かに微笑んでお許しくださるであろう敬愛なるコルベ神父さま。<br /><br />1919年にコルチャック先生が卒業式で子供たちに贈られた別れの言葉。<br />「私たちは君たちに、人間の愛というものを与えることはできない。人間の愛は、寛大さなくしてはありえない。許すということは容易なことではない。君たちは、自分自身で、寛大であるよう努めなければならない。しかし、私たちは君たちに‘一つ’だけ与えることが出来る。より良き人生への、まことの、正しい人生への―今日ではありえないが―“憧れ”を贈ることが出来る。恐らく、その“憧れ”が君たちを、神へ、祖国へ、愛へと導くであろう。」<br /><br />コルチャック先生のこの言葉をお借りして、まさにその“憧れ”と言ってもよいでしょうか。<br /><br />アウシュヴィッツの悲惨な歴史の中に輝く一条の希望の光、生涯を愛に捧げ尽くされたコルベ神父さまの足跡の一部だけでも辿ることが今回の旅行の最も大きな目的でした。<br /><br />聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1982年10月10日列聖)<br /><br />聖人と聞きますと遠い時代の神格化された聖人を思い浮かべ、知識としては知っても物語の中の人物のように感じますが、コルベ神父さまは、同じ20世紀に生き、一人の人間として弱さも持ち悩みつつもなお成長されて、揺るぎない愛を自らの生き方で示されました。<br /><br />「憎しみからは何も生まれません。愛だけが創造する力を持つのです。」<br />コルベ神父さまが生前語っていらしたというこの言葉に深く心を打たれます。<br /><br />コルベ神父さまが設立されたニエポカラノフ修道院(無原罪の聖母の騎士修道院)を訪ねて。<br />

命を捧げるほどの愛―マキシミリアノ・コルベ神父―***ポーランド(3)最終章

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2010/11/05 - 2010/11/09

5位(同エリア235件中)

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waterlily

waterlilyさん

大好き、と申し上げたらあまりに不遜でしょうか、
心から尊敬申し上げる、と言ってもまだ届かないかも知れません。
お会いしたこともないのに、お写真からも伝わる、真摯で清らかで崇高な眼差しの中に全ての人を大きく包んでくださるような優しさと温かさ。
やはり大好きと表現したくなってしまう、そしてそんな表現もきっと静かに微笑んでお許しくださるであろう敬愛なるコルベ神父さま。

1919年にコルチャック先生が卒業式で子供たちに贈られた別れの言葉。
「私たちは君たちに、人間の愛というものを与えることはできない。人間の愛は、寛大さなくしてはありえない。許すということは容易なことではない。君たちは、自分自身で、寛大であるよう努めなければならない。しかし、私たちは君たちに‘一つ’だけ与えることが出来る。より良き人生への、まことの、正しい人生への―今日ではありえないが―“憧れ”を贈ることが出来る。恐らく、その“憧れ”が君たちを、神へ、祖国へ、愛へと導くであろう。」

コルチャック先生のこの言葉をお借りして、まさにその“憧れ”と言ってもよいでしょうか。

アウシュヴィッツの悲惨な歴史の中に輝く一条の希望の光、生涯を愛に捧げ尽くされたコルベ神父さまの足跡の一部だけでも辿ることが今回の旅行の最も大きな目的でした。

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1982年10月10日列聖)

聖人と聞きますと遠い時代の神格化された聖人を思い浮かべ、知識としては知っても物語の中の人物のように感じますが、コルベ神父さまは、同じ20世紀に生き、一人の人間として弱さも持ち悩みつつもなお成長されて、揺るぎない愛を自らの生き方で示されました。

「憎しみからは何も生まれません。愛だけが創造する力を持つのです。」
コルベ神父さまが生前語っていらしたというこの言葉に深く心を打たれます。

コルベ神父さまが設立されたニエポカラノフ修道院(無原罪の聖母の騎士修道院)を訪ねて。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
旅行の手配内容
個別手配

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  • ワルシャワから列車で1時間程でニエポカラノフ修道院のあるテレシンの駅に到着。<br />1927年にニエポカラノフ修道院を建設されたコルベ神父さまは一時(36歳から6年間)宣教の為に長崎に滞在されていました。<br />日本で宣教することを考えられたのは、ある日列車の中で数人の日本人留学生と出逢ったことがきっかけとも言われています。<br />コルベ神父さまはいつも「奇跡の(不思議の)おメダイ」をポケットに沢山入れて持ち歩き、人々に差し上げていらっしゃいました。<br />その時の日本人学生にも同様に話しかけ、奇跡のおメダイを贈ったところ、その学生たちが、聖母マリアのことを知らず、キリストのことも伝説上の人物だと思っていたことに衝撃を受け、東洋での宣教を思い立たれたとのこと。<br />コルベ神父さまがその時学生たちと出逢ったのも、もしかしてこの路線の列車内だったのでしょうか。

    ワルシャワから列車で1時間程でニエポカラノフ修道院のあるテレシンの駅に到着。
    1927年にニエポカラノフ修道院を建設されたコルベ神父さまは一時(36歳から6年間)宣教の為に長崎に滞在されていました。
    日本で宣教することを考えられたのは、ある日列車の中で数人の日本人留学生と出逢ったことがきっかけとも言われています。
    コルベ神父さまはいつも「奇跡の(不思議の)おメダイ」をポケットに沢山入れて持ち歩き、人々に差し上げていらっしゃいました。
    その時の日本人学生にも同様に話しかけ、奇跡のおメダイを贈ったところ、その学生たちが、聖母マリアのことを知らず、キリストのことも伝説上の人物だと思っていたことに衝撃を受け、東洋での宣教を思い立たれたとのこと。
    コルベ神父さまがその時学生たちと出逢ったのも、もしかしてこの路線の列車内だったのでしょうか。

  • 突然ですが、この前日、ワルシャワの聖アンナ教会であった出来事に戻ります。

    突然ですが、この前日、ワルシャワの聖アンナ教会であった出来事に戻ります。

  • ニエポカラノフ修道院を訪れる予定の前日、ショパンが第二回目のコンサートを行ったという聖アンナ教会に着いたのは、ミサが始まって間もなくの時でした。

    ニエポカラノフ修道院を訪れる予定の前日、ショパンが第二回目のコンサートを行ったという聖アンナ教会に着いたのは、ミサが始まって間もなくの時でした。

  • 既にほぼ満席となっていた聖アンナ教会の一番後ろの壁際の席に、頭を垂れて祈っていらっしゃる一人の修道女の隣がちょうど二人分空いていましたので、そこにそっと座らせて頂きました。<br />ミサの最中は写真は撮りませんでしたので、これらの写真はミサが終わった後、人々も帰り、照明が消され始めた時に撮った写真なのですが、全ての照明が灯されていた時の御聖堂の美しさを何と表現したら良いでしょう。

    既にほぼ満席となっていた聖アンナ教会の一番後ろの壁際の席に、頭を垂れて祈っていらっしゃる一人の修道女の隣がちょうど二人分空いていましたので、そこにそっと座らせて頂きました。
    ミサの最中は写真は撮りませんでしたので、これらの写真はミサが終わった後、人々も帰り、照明が消され始めた時に撮った写真なのですが、全ての照明が灯されていた時の御聖堂の美しさを何と表現したら良いでしょう。

  • ミサが始まって少し経った頃、胸の前に何かが伸ばされた気配を感じ、見ますと、奇跡のおメダイと十字架が一杯乗った手のひらが。<br />隣の席の修道女が、にこにこと、身振りで「おメダイをどうぞ」と差し出していらっしゃるのです。<br />もうこの時の驚きといったら!!<br />なぜって、コルベ神父さまのニエポカラエノフ修道院に行こうとしているまさにその前日に、嘗てコルベ神父さまがなさっていたように、その奇跡のおメダイが、手のひらに乗せられて目の前にあるのです。<br />驚きと感激で、でもお返し出来るものは何もなく、ただシスターのその手を両手で包み感謝の気持ちを表すことしか出来ませんでした。<br />夫と一つずつおメダイを頂きますと、優しい笑顔で「もっとどうぞ」という身振りをなさいます。<br />それで、もう一つずつ、夫は今度は十字架を頂きました。<br /><br />ポーランド語の祈りの言葉は解らないけれど、御聖堂に響き渡る美しい聖歌とパイプオルガンと人々の静かな祈りの声に包まれながら、ミサの間中涙が溢れてなりませんでした。<br />それは喜びや感動というだけのものではない、何か不思議に知らず知らずのうちに溢れる涙でした。<br />頂いたおメダイを両手で大切に包み、時々上を見上げますと、涙にぼやけた天井画が天国かと思われるほど美しく、まるで空を舞って浮遊しているような、そんな幸せな気持ちで満たされ、夢心地のうちにミサは過ぎて行きました。

    ミサが始まって少し経った頃、胸の前に何かが伸ばされた気配を感じ、見ますと、奇跡のおメダイと十字架が一杯乗った手のひらが。
    隣の席の修道女が、にこにこと、身振りで「おメダイをどうぞ」と差し出していらっしゃるのです。
    もうこの時の驚きといったら!!
    なぜって、コルベ神父さまのニエポカラエノフ修道院に行こうとしているまさにその前日に、嘗てコルベ神父さまがなさっていたように、その奇跡のおメダイが、手のひらに乗せられて目の前にあるのです。
    驚きと感激で、でもお返し出来るものは何もなく、ただシスターのその手を両手で包み感謝の気持ちを表すことしか出来ませんでした。
    夫と一つずつおメダイを頂きますと、優しい笑顔で「もっとどうぞ」という身振りをなさいます。
    それで、もう一つずつ、夫は今度は十字架を頂きました。

    ポーランド語の祈りの言葉は解らないけれど、御聖堂に響き渡る美しい聖歌とパイプオルガンと人々の静かな祈りの声に包まれながら、ミサの間中涙が溢れてなりませんでした。
    それは喜びや感動というだけのものではない、何か不思議に知らず知らずのうちに溢れる涙でした。
    頂いたおメダイを両手で大切に包み、時々上を見上げますと、涙にぼやけた天井画が天国かと思われるほど美しく、まるで空を舞って浮遊しているような、そんな幸せな気持ちで満たされ、夢心地のうちにミサは過ぎて行きました。

  • ミサの途中、ふと気付くと、隣にいらしたシスターが立ち上がってドアの外へ出て行こうとされるところでした。<br />空いた隣の席を見ますと、今の出来事はまるで一時の幻か夢だったかのよう。<br />あの時のシスターは巡礼の途中の方だったでしょうか。<br /><br />この出来事は人が聞いたら‘単なる偶然だ’と一笑に付されるとは思いますが、私にはあの修道女はコルベ神父さまがシスターに姿を変えて、愚かに迷える私たち二人の前に現れてくださったのだという気がしてならないのです。<br />遠い日にコルベ神父さまが出逢われた日本人学生にされたように。<br />ミサが終わった後、感動冷めやらず、私たちは「これは奇跡だよね。それとも幻?」と何度も繰り返して話し合い、時々、このおメダイが、マッチ売りの少女のマッチの灯りに照らされた光景のように、ある時ふっと消えてなくなっているのではないかしらという気もして、取り出しては確かめてみたりしました。

    ミサの途中、ふと気付くと、隣にいらしたシスターが立ち上がってドアの外へ出て行こうとされるところでした。
    空いた隣の席を見ますと、今の出来事はまるで一時の幻か夢だったかのよう。
    あの時のシスターは巡礼の途中の方だったでしょうか。

    この出来事は人が聞いたら‘単なる偶然だ’と一笑に付されるとは思いますが、私にはあの修道女はコルベ神父さまがシスターに姿を変えて、愚かに迷える私たち二人の前に現れてくださったのだという気がしてならないのです。
    遠い日にコルベ神父さまが出逢われた日本人学生にされたように。
    ミサが終わった後、感動冷めやらず、私たちは「これは奇跡だよね。それとも幻?」と何度も繰り返して話し合い、時々、このおメダイが、マッチ売りの少女のマッチの灯りに照らされた光景のように、ある時ふっと消えてなくなっているのではないかしらという気もして、取り出しては確かめてみたりしました。

  • これがその時頂いた不思議のおメダイ(メダル)と聖ベネディクトの十字架です。<br /><br />☆不思議の(奇跡の)メダイ☆<br />1830年11月27日、聖母マリアがフランスの修道女カタリナ・ラブレに現れて示されたモデルに従って作られたメダイユ。<br />表には出現された年の1830年という文字とその時のお姿。周囲に「原罪無く宿られた聖マリア、あなたに依り頼む私たちのために祈ってください」という祈りがポーランド語で記され、裏には、十字架にマリアのMという頭文字が組み合わされたもの、横向きのIは“immaculata”無原罪の頭文字。そしてイエスとマリアの御心を表す二つのハート、すなわち茨の冠で囲まれたイエスの御心と、御子を犠牲とされて苦しみの剣で刺し貫かれたマリアの御心を表すハート。使徒の上に立てられた教会のシンボルである12の星。<br /><br />************************<br /><br />コルベ神父さまはこの不思議のメダイの祈りの後に、<br />「また、御身に依り頼まざる人々、特に教会に敵対せし人々、かつ我等が御身に依り頼む全ての人々の為に祈り給え」<br />という祈りを付け加えて祈られたそうです。<br />どんなに過酷な状況にあっても、人を憎むことなく、無私の心でただ愛の為に力を注がれたコルベ神父さま。<br />コルベ神父さまの生き方そのものであったこの言葉にも心を打たれます。

    これがその時頂いた不思議のおメダイ(メダル)と聖ベネディクトの十字架です。

    ☆不思議の(奇跡の)メダイ☆
    1830年11月27日、聖母マリアがフランスの修道女カタリナ・ラブレに現れて示されたモデルに従って作られたメダイユ。
    表には出現された年の1830年という文字とその時のお姿。周囲に「原罪無く宿られた聖マリア、あなたに依り頼む私たちのために祈ってください」という祈りがポーランド語で記され、裏には、十字架にマリアのMという頭文字が組み合わされたもの、横向きのIは“immaculata”無原罪の頭文字。そしてイエスとマリアの御心を表す二つのハート、すなわち茨の冠で囲まれたイエスの御心と、御子を犠牲とされて苦しみの剣で刺し貫かれたマリアの御心を表すハート。使徒の上に立てられた教会のシンボルである12の星。

    ************************

    コルベ神父さまはこの不思議のメダイの祈りの後に、
    「また、御身に依り頼まざる人々、特に教会に敵対せし人々、かつ我等が御身に依り頼む全ての人々の為に祈り給え」
    という祈りを付け加えて祈られたそうです。
    どんなに過酷な状況にあっても、人を憎むことなく、無私の心でただ愛の為に力を注がれたコルベ神父さま。
    コルベ神父さまの生き方そのものであったこの言葉にも心を打たれます。

  • 長々と個人的な出来事を語ってしまい申し訳ありません。<br />ニエポカラノフに戻ります。<br />ニエポカラノフ修道院のあるテレシンの駅に着きますと、近くの席に座っていらした女性が、<br />「ここですよ」という風に列車の窓の外を指して教えてくださいました。<br />どうして私たちの降りようとしている駅が解ったのかしらと考えて、そういえば列車の中でポケットから奇跡のおメダイを何度も取り出してはにこにこと眺めていたことに気づきました。<br />きっとその様子をご覧になったのですね。

    長々と個人的な出来事を語ってしまい申し訳ありません。
    ニエポカラノフに戻ります。
    ニエポカラノフ修道院のあるテレシンの駅に着きますと、近くの席に座っていらした女性が、
    「ここですよ」という風に列車の窓の外を指して教えてくださいました。
    どうして私たちの降りようとしている駅が解ったのかしらと考えて、そういえば列車の中でポケットから奇跡のおメダイを何度も取り出してはにこにこと眺めていたことに気づきました。
    きっとその様子をご覧になったのですね。

  • 遂にニエポカラノフ修道院に到着。<br />この写真の大聖堂の建物自体は、コルベ神父さまが帰天された後に建ったものだそう。

    遂にニエポカラノフ修道院に到着。
    この写真の大聖堂の建物自体は、コルベ神父さまが帰天された後に建ったものだそう。

  • 到着してすぐ、前日の出来事に続いて驚いたのが、前庭にあるこのコルベ神父さまの像でした。

    到着してすぐ、前日の出来事に続いて驚いたのが、前庭にあるこのコルベ神父さまの像でした。

  • ニエポカラノフ修道院にコルベ神父さまの像があることは知ってはいたのですが、このようなお姿だったとは!

    ニエポカラノフ修道院にコルベ神父さまの像があることは知ってはいたのですが、このようなお姿だったとは!

  • こちらに向かって歩き出そうとされているコルベ神父さまは、何と奇跡のおメダイをその手のひらに差し出していらっしゃるのです。<br />この像の前に立った時の驚きと感動!!<br />「コルベ神父さま、ありがとうございます。もう昨日頂きましたよ」<br />と、心でお話ししました。

    こちらに向かって歩き出そうとされているコルベ神父さまは、何と奇跡のおメダイをその手のひらに差し出していらっしゃるのです。
    この像の前に立った時の驚きと感動!!
    「コルベ神父さま、ありがとうございます。もう昨日頂きましたよ」
    と、心でお話ししました。

  • この日は日曜日で、ちょうどミサが始まろうとする時でした。

    この日は日曜日で、ちょうどミサが始まろうとする時でした。

  • 大聖堂のドアには各国のマリア像、その中に一枚そこだけ新しいプレートが。<br />近づいて見ますと、Je suis l&#39;Immaculee Conception(無原罪の御宿り)と書かれたルルドの聖母マリア像でした。<br />その隣のプレートはポルトガル・ファティマのマリア像。<br /><br />日本での宣教時、コルベ神父さまは長崎の本河内にフランスのルルドに似た洞窟を見つけられ、コルベ神父さまがポーランドに帰国後本河内ルルドの泉が出来ました。<br />現在、本河内ルルドは奇跡の泉としてバチカンも認定した公式巡礼地となっているそうで、「長崎の鐘」の著者でもある被爆した医師・永井隆博士は、その著「如己堂随筆」の中で、原爆で右側頭動脈に受けた傷が壊疽になった時、長崎のルルドの水によって一命を取り止めたことを記しています。<br />その奇跡を「確信をもって、かつ科学者の良心をもって、公に私は宣言する」と。

    大聖堂のドアには各国のマリア像、その中に一枚そこだけ新しいプレートが。
    近づいて見ますと、Je suis l'Immaculee Conception(無原罪の御宿り)と書かれたルルドの聖母マリア像でした。
    その隣のプレートはポルトガル・ファティマのマリア像。

    日本での宣教時、コルベ神父さまは長崎の本河内にフランスのルルドに似た洞窟を見つけられ、コルベ神父さまがポーランドに帰国後本河内ルルドの泉が出来ました。
    現在、本河内ルルドは奇跡の泉としてバチカンも認定した公式巡礼地となっているそうで、「長崎の鐘」の著者でもある被爆した医師・永井隆博士は、その著「如己堂随筆」の中で、原爆で右側頭動脈に受けた傷が壊疽になった時、長崎のルルドの水によって一命を取り止めたことを記しています。
    その奇跡を「確信をもって、かつ科学者の良心をもって、公に私は宣言する」と。

  • この写真はミサが終わった後のものなのですが、ミサの時はぎっしりの人々で、心を温かく包んでくれるような美しいミサでした。<br />とても大きな御聖堂ではありますが、決して豪華絢爛ではないのがニエポカラノフ修道院らしい感じがします。

    この写真はミサが終わった後のものなのですが、ミサの時はぎっしりの人々で、心を温かく包んでくれるような美しいミサでした。
    とても大きな御聖堂ではありますが、決して豪華絢爛ではないのがニエポカラノフ修道院らしい感じがします。

  • 主祭壇の横には聖母マリアに包まれたマキシミリアノ・コルベ神父像。<br />‘マキシミリアノ神父の精神を消さないように’の文字。

    主祭壇の横には聖母マリアに包まれたマキシミリアノ・コルベ神父像。
    ‘マキシミリアノ神父の精神を消さないように’の文字。

  • そのコルベ神父像の両脇には、ハート型の沢山の飾り物が。<br />願い事が叶った人々が感謝の印に献納していったものとのこと。

    そのコルベ神父像の両脇には、ハート型の沢山の飾り物が。
    願い事が叶った人々が感謝の印に献納していったものとのこと。

  • 清楚な主祭壇

    清楚な主祭壇

  • 一時間ほどのミサが感動の内に終わった後、聖歌隊の練習なのでしょうか、少女たちがギターに合わせて合唱していました。

    一時間ほどのミサが感動の内に終わった後、聖歌隊の練習なのでしょうか、少女たちがギターに合わせて合唱していました。

  • 何て愛らしいのでしょう☆<br />少年時代、パヴィアニチェの教会でやはり少年聖歌隊に入っていらしたというコルベ神父さまのお姿を想います。<br />子供の頃のコルベ神父さまもとても可愛い少年だったそうです。

    何て愛らしいのでしょう☆
    少年時代、パヴィアニチェの教会でやはり少年聖歌隊に入っていらしたというコルベ神父さまのお姿を想います。
    子供の頃のコルベ神父さまもとても可愛い少年だったそうです。

  • 元気に手振りも付いて。

    元気に手振りも付いて。

  • こちらは、1927年この地に最初に建てられた時の修道院です。<br />目に見える富や権力への欲望から自己を精神的に解放し自我を捨てることで自己を確立するという、師父聖フランシスコの清貧の精神を貫いたコルベ神父さま。<br />修道院も、当時一般的であった煉瓦造りにはせず、経費の節約と清貧に生きる為に木造のバラックにされたとのこと。<br />コルベ神父さまと修道士たちが泥まみれになりながら資材を運び、コルベ神父さまはサナトリウムから退院したばかりの病身でありながらも懸命に労働され、継ぎのあたったぼろぼろの修道服で働く人々の様子に心を動かされた土地の人々が建設中に住む部屋を提供した時も、コルベ神父さまはベッドを修道士の一人に譲り、ご自分は床の藁ぶとんで眠られたのだそうです。

    こちらは、1927年この地に最初に建てられた時の修道院です。
    目に見える富や権力への欲望から自己を精神的に解放し自我を捨てることで自己を確立するという、師父聖フランシスコの清貧の精神を貫いたコルベ神父さま。
    修道院も、当時一般的であった煉瓦造りにはせず、経費の節約と清貧に生きる為に木造のバラックにされたとのこと。
    コルベ神父さまと修道士たちが泥まみれになりながら資材を運び、コルベ神父さまはサナトリウムから退院したばかりの病身でありながらも懸命に労働され、継ぎのあたったぼろぼろの修道服で働く人々の様子に心を動かされた土地の人々が建設中に住む部屋を提供した時も、コルベ神父さまはベッドを修道士の一人に譲り、ご自分は床の藁ぶとんで眠られたのだそうです。

  • この教会の中にはコルベ神父さまが1927年〜1930年までお住まいになったとても質素な机とベッドだけのお部屋があり、見学させてくださいました。<br />そしてこの教会でも、その時いらした神父さまが不思議のおメダイとロザリオと、コルベ神父さまの御絵をくださいました。<br />このおメダイもロザリオも、そして聖アンナ教会でシスターから頂いたおメダイも、金銀で出来ているのではない、プラスティックのような質素なものですが、だからこそ我が家の宝物になっています。

    この教会の中にはコルベ神父さまが1927年〜1930年までお住まいになったとても質素な机とベッドだけのお部屋があり、見学させてくださいました。
    そしてこの教会でも、その時いらした神父さまが不思議のおメダイとロザリオと、コルベ神父さまの御絵をくださいました。
    このおメダイもロザリオも、そして聖アンナ教会でシスターから頂いたおメダイも、金銀で出来ているのではない、プラスティックのような質素なものですが、だからこそ我が家の宝物になっています。

  • ところで、ニエポカラノフ修道院には信者でなくとも宿泊出来る施設があるとのことで、宿泊させて頂こうかと日本を発つ前に考えたのですが、寒そうな気もして、いろいろ考えた末やめたのでした。<br />コルベ神父さまのもとを訪ねながら、そんなことで宿泊するのをやめた私は何と愚かで浅はかで情けない俗人なのでしょう。<br />

    ところで、ニエポカラノフ修道院には信者でなくとも宿泊出来る施設があるとのことで、宿泊させて頂こうかと日本を発つ前に考えたのですが、寒そうな気もして、いろいろ考えた末やめたのでした。
    コルベ神父さまのもとを訪ねながら、そんなことで宿泊するのをやめた私は何と愚かで浅はかで情けない俗人なのでしょう。

  • 修道院の横には写真のコルベ神父博物館があり、その前で佇んでいますと、通り掛かった家族連れの女性が、<br />「こちらがコルベ神父が住んでいた建物です」とこの博物館向かいにある建物を示してくださいました。<br />「あぁ、ここが……」と、その建物を見上げてまた暫し佇んでいますと、先程の女性が引き返していらして、<br />「神父さまを紹介します」と、博物館の中へ呼びに行かれました。<br />

    修道院の横には写真のコルベ神父博物館があり、その前で佇んでいますと、通り掛かった家族連れの女性が、
    「こちらがコルベ神父が住んでいた建物です」とこの博物館向かいにある建物を示してくださいました。
    「あぁ、ここが……」と、その建物を見上げてまた暫し佇んでいますと、先程の女性が引き返していらして、
    「神父さまを紹介します」と、博物館の中へ呼びに行かれました。

  • すると、その神父さまはどこかに電話をされた後、鍵を持って出ていらして、コルベ神父さまが住んでいらしたという建物の二階の一室に案内して下さいました。<br />ここは日本から帰国されてからお住まいになったお部屋で、後で知ったのですが、院外の一般の人は見学出来ない場所とのことです。

    すると、その神父さまはどこかに電話をされた後、鍵を持って出ていらして、コルベ神父さまが住んでいらしたという建物の二階の一室に案内して下さいました。
    ここは日本から帰国されてからお住まいになったお部屋で、後で知ったのですが、院外の一般の人は見学出来ない場所とのことです。

  • そして鍵を開けてくださり、入ったコルベ神父さまの院長室は、聖なる清貧に生きたコルベ神父さまのお人柄を表すようなとても小さく慎ましい部屋でした。<br />700人以上の修道士たちを擁する大修道院の院長でありながら背もたれも無い簡素な椅子、<br />机の向こうにはコルベ神父さまの質素なベッド。

    そして鍵を開けてくださり、入ったコルベ神父さまの院長室は、聖なる清貧に生きたコルベ神父さまのお人柄を表すようなとても小さく慎ましい部屋でした。
    700人以上の修道士たちを擁する大修道院の院長でありながら背もたれも無い簡素な椅子、
    机の向こうにはコルベ神父さまの質素なベッド。

  • 当時ポーランドでは神父と修道士の間には厳然たる階級上の差別があったそうですが、コルベ神父さまは階級上の差別をすることは決してなく、修道院の創立者であり指導者であるにも関わらず修道士たちと靴も衣類も共用し、同じように懸命に働き、肺結核の持病がありながらも毛布も持たず、夜は外套を掛けて眠られたそうです。<br />ただ、病人たちに対してだけは特別に優遇し、「最愛の病者たち」には限りない優しさを持って毎日修道院の病室を訪問し、<br />「病人は祈りによって多くのものを与えてくれるので最良の働き手なのです」と、病人が無力感から立ち直る手助けをなさったとのこと。<br />ニエポカラノフの全ての基準は愛であり、修道士たちはそうしたコルベ神父さまを心から慕い、清貧生活の中でも強く結ばれていましたが、地位の上に安住し権威を示したい先輩神父たちからはそんなコルベ神父さまは快く思われない存在だったのだそう。<br />そしておそらくはコルベ神父さまのあまりに一途な純粋さゆえに。

    当時ポーランドでは神父と修道士の間には厳然たる階級上の差別があったそうですが、コルベ神父さまは階級上の差別をすることは決してなく、修道院の創立者であり指導者であるにも関わらず修道士たちと靴も衣類も共用し、同じように懸命に働き、肺結核の持病がありながらも毛布も持たず、夜は外套を掛けて眠られたそうです。
    ただ、病人たちに対してだけは特別に優遇し、「最愛の病者たち」には限りない優しさを持って毎日修道院の病室を訪問し、
    「病人は祈りによって多くのものを与えてくれるので最良の働き手なのです」と、病人が無力感から立ち直る手助けをなさったとのこと。
    ニエポカラノフの全ての基準は愛であり、修道士たちはそうしたコルベ神父さまを心から慕い、清貧生活の中でも強く結ばれていましたが、地位の上に安住し権威を示したい先輩神父たちからはそんなコルベ神父さまは快く思われない存在だったのだそう。
    そしておそらくはコルベ神父さまのあまりに一途な純粋さゆえに。

  • また、新しい文化技術を避け修道院という閉ざされた世界でひたすら神学の研究と祈りをするべきと考える司教たちは、コルベ神父たちが進めていた印刷物や放送といったマス・メディアによる布教に対し、世俗的であると批判的だったとのこと。<br />ワルシャワの大司教であったアレクサンデル・カコフスキ枢機卿の<br />「このような輪転印刷機を使うあなたがたの姿を見たら、アッシシの聖フランシスコは何とおっしゃるでしょうか」との批判の言葉に、コルベ神父はきっぱりとこうお答えになったのだそう。<br />「聖フランシスコが生きておられたら、きっと腕まくりして、私たちと一緒に輪転印刷機の傍で働かれると思います」<br /><br />そのように古い司教たちからは反感を買い、時にいじめられ冷やかに見られていましたが、他者の苦しみを自分のものとして受け止める純粋で真っ直ぐな熱情と行動の人・コルベ神父の元には、その志に共鳴した多くの若者が集まり、ニエポカラノフは最盛期には神父、修道士、神学生、志願者たちを合わせて772人を擁し、キリスト教会の歴史に特筆される、当時世界で一番大きな修道院となったのでした。<br /><br />決して名誉の為ではなく、無私無欲に生き、純粋で澄みきった精神のコルベ神父の魅力は多くの人々の心に響き、当初コルベ神父に敵意を示していたある長上も、遂には最も熱烈な協力者となっていったそうです。<br /><br />(この写真はニエポカラノフで頂いた聖人カレンダー2011年1月のページです。<br />上はどなたかをニエポカラノフに案内されているのでしょうか。<br />右下のお写真は、1930年2月、日本に向けて出発する時に撮影されたもの)

    また、新しい文化技術を避け修道院という閉ざされた世界でひたすら神学の研究と祈りをするべきと考える司教たちは、コルベ神父たちが進めていた印刷物や放送といったマス・メディアによる布教に対し、世俗的であると批判的だったとのこと。
    ワルシャワの大司教であったアレクサンデル・カコフスキ枢機卿の
    「このような輪転印刷機を使うあなたがたの姿を見たら、アッシシの聖フランシスコは何とおっしゃるでしょうか」との批判の言葉に、コルベ神父はきっぱりとこうお答えになったのだそう。
    「聖フランシスコが生きておられたら、きっと腕まくりして、私たちと一緒に輪転印刷機の傍で働かれると思います」

    そのように古い司教たちからは反感を買い、時にいじめられ冷やかに見られていましたが、他者の苦しみを自分のものとして受け止める純粋で真っ直ぐな熱情と行動の人・コルベ神父の元には、その志に共鳴した多くの若者が集まり、ニエポカラノフは最盛期には神父、修道士、神学生、志願者たちを合わせて772人を擁し、キリスト教会の歴史に特筆される、当時世界で一番大きな修道院となったのでした。

    決して名誉の為ではなく、無私無欲に生き、純粋で澄みきった精神のコルベ神父の魅力は多くの人々の心に響き、当初コルベ神父に敵意を示していたある長上も、遂には最も熱烈な協力者となっていったそうです。

    (この写真はニエポカラノフで頂いた聖人カレンダー2011年1月のページです。
    上はどなたかをニエポカラノフに案内されているのでしょうか。
    右下のお写真は、1930年2月、日本に向けて出発する時に撮影されたもの)

  • 1983年6月18日、コルベ神父さまを特別に敬愛しておられた、同じポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がこの部屋を訪ねられ、コルベ神父さまの机の前で祈りを捧げられた時の写真。<br />1941年、コルベ神父さまはこの部屋でナチスに逮捕されたのでした。

    1983年6月18日、コルベ神父さまを特別に敬愛しておられた、同じポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がこの部屋を訪ねられ、コルベ神父さまの机の前で祈りを捧げられた時の写真。
    1941年、コルベ神父さまはこの部屋でナチスに逮捕されたのでした。

  • コルベ神父さまが身に着けられていた衣類や、

    コルベ神父さまが身に着けられていた衣類や、

  • 鞄、

    鞄、

  • 日用品などの遺品。<br /><br />もしもコルベ神父さまがゴッホの献身的な伝道の姿をご覧になったなら、決して批判などせず賛美されたのではないかという気がします。<br />

    日用品などの遺品。

    もしもコルベ神父さまがゴッホの献身的な伝道の姿をご覧になったなら、決して批判などせず賛美されたのではないかという気がします。

  • 次にコルベ神父博物館へ

    次にコルベ神父博物館へ

  • 遺品や写真が展示された博物館内。<br />元は御聖堂だった建物が博物館になっているようです。

    遺品や写真が展示された博物館内。
    元は御聖堂だった建物が博物館になっているようです。

  • この博物館には先程拝見したコルベ神父さまのお部屋のレプリカが作られ展示されていました。<br />改めて、貴重な本物のお部屋を見学させて頂いたのだと、先程の女性との偶然の出逢いに感謝です。<br />今回の旅行全体を通じ、本当にいろいろな方々に話しかけられ助けて頂いたことでした。

    この博物館には先程拝見したコルベ神父さまのお部屋のレプリカが作られ展示されていました。
    改めて、貴重な本物のお部屋を見学させて頂いたのだと、先程の女性との偶然の出逢いに感謝です。
    今回の旅行全体を通じ、本当にいろいろな方々に話しかけられ助けて頂いたことでした。

  • コルベ神父の生家。<br />1894年1月8日、五人兄弟の次男としてポーランドのズドゥニスカ・ヴォラに生まれる。<br />この家は長屋のようなもので、コルベ一家が住んだのはこの二階の右側の二室だそう。

    コルベ神父の生家。
    1894年1月8日、五人兄弟の次男としてポーランドのズドゥニスカ・ヴォラに生まれる。
    この家は長屋のようなもので、コルベ一家が住んだのはこの二階の右側の二室だそう。

  • 母・マリアンナ・コルベ

    母・マリアンナ・コルベ

  • 少年時代のコルべ神父(前列向かって左端)<br /><br />貧しくとも敬虔な両親の元で育ったライモンド(コルベ神父の本名)は、やんちゃで活発な少年で、理数系が得意な科学少年であったそう。<br />13歳の時、1907年コンベンツァル聖フランシスコ修道会の小神学校に入学。<br />16歳の時、コンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会、修道名をマキシミリアノと名のる。

    少年時代のコルべ神父(前列向かって左端)

    貧しくとも敬虔な両親の元で育ったライモンド(コルベ神父の本名)は、やんちゃで活発な少年で、理数系が得意な科学少年であったそう。
    13歳の時、1907年コンベンツァル聖フランシスコ修道会の小神学校に入学。
    16歳の時、コンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会、修道名をマキシミリアノと名のる。

  • 神学生時代のコルベ神父<br /><br />18歳の時、成績優秀なマキシミリアノ・コルベは留学を命じられ、ローマのグレゴリアン大学哲学科に推薦入学。<br />哲学、神学、数学、化学、物理学、天文学を学び、惑星間の旅行が物理的、生物学的に可能であることを説明する論文を書いたほど科学的才能に秀で、賞賛付きの最高点で哲学博士の学位を獲得、卒業後更に、セラフィクム国際神学大学に進学。<br /><br />この学生時代、23歳の時、コルベ神学生が発案者となり6人の仲間を募って「汚れなき聖母の騎士会」を設立。<br />「汚れなき聖母の騎士会」の最初の公開集会で、若きコルベ神学生は多くの人々の前でこう講演しました。<br /><br />「無原罪の聖母の謙虚さは私を我欲から救い、その従順さは私をエゴイズムから救い、その清貧は私を所有欲から救ってくださる。それが私にも他の人にも起きるように私は生き戦います。私たちは武器を取りますが、死を与える武器ではなく生かすための武器を、暴力の武器ではなく献身の武器を、憎しみの武器ではなく愛の武器を取るのです。そしてこれが私たちの弾丸です!」<br />と、コルベ神父が弾丸と呼んだ‘奇跡のおメダイ’を頭上に掲げて。<br />何と清らかで力強い宣言なのでしょう!

    神学生時代のコルベ神父

    18歳の時、成績優秀なマキシミリアノ・コルベは留学を命じられ、ローマのグレゴリアン大学哲学科に推薦入学。
    哲学、神学、数学、化学、物理学、天文学を学び、惑星間の旅行が物理的、生物学的に可能であることを説明する論文を書いたほど科学的才能に秀で、賞賛付きの最高点で哲学博士の学位を獲得、卒業後更に、セラフィクム国際神学大学に進学。

    この学生時代、23歳の時、コルベ神学生が発案者となり6人の仲間を募って「汚れなき聖母の騎士会」を設立。
    「汚れなき聖母の騎士会」の最初の公開集会で、若きコルベ神学生は多くの人々の前でこう講演しました。

    「無原罪の聖母の謙虚さは私を我欲から救い、その従順さは私をエゴイズムから救い、その清貧は私を所有欲から救ってくださる。それが私にも他の人にも起きるように私は生き戦います。私たちは武器を取りますが、死を与える武器ではなく生かすための武器を、暴力の武器ではなく献身の武器を、憎しみの武器ではなく愛の武器を取るのです。そしてこれが私たちの弾丸です!」
    と、コルベ神父が弾丸と呼んだ‘奇跡のおメダイ’を頭上に掲げて。
    何と清らかで力強い宣言なのでしょう!

  • コルベ神父は、数多くの日記のようなメモ、黙想ノートや975通もの手紙を残しています。<br />とりわけ、自分への戒めや内省、日々の決心などを書かれた学生時代の黙想ノートを読みますと、たゆまぬ努力と純粋で真摯な生き方の中にも、いえそれゆえ悩み苦しむことも多かったコルベ神父の人間的な姿が、神格化された遠い昔の聖人ではなく、崇高な意志と共に弱さも持たれた生身の人間として一層胸に響き感銘を受けます。<br /><br />母への手紙は62通程残っており、写真の手紙は、グレゴリアン大学在学中20歳の時、母に宛てた、ローマからの1915年1月1日付の一通です。<br />「愛するお母さま、今日、お母さまからのお手紙を受け取りました。今、改めて、幼きイエズスの豊かな祝福を、お母さまのうえに祈ります。―中略― 誓願の時、‘マリア’の名を付け加えました。いま僕はマキシミりアン・マリア・コルベです。」<br />と、聖母マリアへの崇敬を示す為、自分の名に‘マリア’を入れたことを伝えています。

    コルベ神父は、数多くの日記のようなメモ、黙想ノートや975通もの手紙を残しています。
    とりわけ、自分への戒めや内省、日々の決心などを書かれた学生時代の黙想ノートを読みますと、たゆまぬ努力と純粋で真摯な生き方の中にも、いえそれゆえ悩み苦しむことも多かったコルベ神父の人間的な姿が、神格化された遠い昔の聖人ではなく、崇高な意志と共に弱さも持たれた生身の人間として一層胸に響き感銘を受けます。

    母への手紙は62通程残っており、写真の手紙は、グレゴリアン大学在学中20歳の時、母に宛てた、ローマからの1915年1月1日付の一通です。
    「愛するお母さま、今日、お母さまからのお手紙を受け取りました。今、改めて、幼きイエズスの豊かな祝福を、お母さまのうえに祈ります。―中略― 誓願の時、‘マリア’の名を付け加えました。いま僕はマキシミりアン・マリア・コルベです。」
    と、聖母マリアへの崇敬を示す為、自分の名に‘マリア’を入れたことを伝えています。

  • ローマのセラフィクム国際神学大学神学生時代のコルベ神父(前から2列目、向かって右から3人目)<br /><br />国際神学大学の生徒名簿には校長自身のペンにより次のように記されているそうです。<br />「マキシミリアノ・コルベ、1912年10月入学。1918年司祭叙階。グレゴリアン大学で哲学博士号、1919年国際神学大学で神学博士号を受ける。同9月卒業。まこと聖なる青年であった」<br />

    ローマのセラフィクム国際神学大学神学生時代のコルベ神父(前から2列目、向かって右から3人目)

    国際神学大学の生徒名簿には校長自身のペンにより次のように記されているそうです。
    「マキシミリアノ・コルベ、1912年10月入学。1918年司祭叙階。グレゴリアン大学で哲学博士号、1919年国際神学大学で神学博士号を受ける。同9月卒業。まこと聖なる青年であった」

  • 出会う人々に渡すための奇跡のおメダイを入れた袋。<br />これを持ち歩いていらしたのですね。<br /><br />1919年(25歳)卒業後ローマから祖国ポーランドに帰国。コンベンツァル聖フランシスコ修道会のクラクフ神学校の哲学科教授として教会史と哲学を教える。<br />その傍ら、司祭としての仕事と布教活動の激務で、医師たちに3ヵ月以上は持つまいと診断される程学生時代からの肺結核が悪化、度々療養所生活を送らざるを得なくなる。<br />1922年(28歳)初めて「無原罪の聖母の騎士」を執筆出版。<br />1927年(33歳)テレシンの街にニエポカラノフ修道院(無原罪の聖母の騎士修道院)を創立。<br />1930年(36歳)2月26日ゼノ修道士ら4人の修道士を伴ってポーランドを出発、4月24日長崎に到着。大浦天主堂敷地内にある大神学校(旧羅典神学校)でラテン語により哲学を教える傍ら、布教に尽くされる。<br />翌年長崎本河内に聖母の騎士修道院を建設。<br /><br />長崎時代もコルベ神父一行は乏しい資金で極貧を極めた生活だったそうですが、長崎でコルベ神父と働いたセルギウス・ペシェク修道士の著書を読みますと、貧しくとも溢れるばかりの愛に満ちた布教生活の様子が伝わって来て心温まります。<br />「冬が来ても部屋にはストーブも無く、ただ支えは若さと布教の使命感でした。それにしても、コルベ神父様は全てにおいてすばらしい規範を示されました。私たちへの優しい思いやりの態度、神父様は決して怒りませんでした」(セルギウス著「越えて来た道」より)<br /><br />医師によれば、コルベ神父の結核は肺の4分の3が侵される程の重度であるのに、驚く程の粗食と短い睡眠であんなにも労働されたのは医学上の不思議とのこと。<br />不眠と過労とである日力尽きて路上に倒れ動けずにいたコルベ神父を、幸い修士の一人がその場を通りかかって助け起こしたこともあったのだそう。<br />それでも神父はどんな試練にもいつもひるむことなく、試練に打ちひしがれる代わりに労働に拍車をかけられました。<br />当時、コルベ神父の診察に行った深堀安郎医師は、<br />「コルべ神父は板で出来た手製のベッドで高熱を出している時も上下に毛布それぞれ一枚だけで外套を掛けて寝ておられました。コルベ神父は秀才であったけれど冷たい感じは全く無く、自制力が極めて強い人であった」と語っています。<br />

    出会う人々に渡すための奇跡のおメダイを入れた袋。
    これを持ち歩いていらしたのですね。

    1919年(25歳)卒業後ローマから祖国ポーランドに帰国。コンベンツァル聖フランシスコ修道会のクラクフ神学校の哲学科教授として教会史と哲学を教える。
    その傍ら、司祭としての仕事と布教活動の激務で、医師たちに3ヵ月以上は持つまいと診断される程学生時代からの肺結核が悪化、度々療養所生活を送らざるを得なくなる。
    1922年(28歳)初めて「無原罪の聖母の騎士」を執筆出版。
    1927年(33歳)テレシンの街にニエポカラノフ修道院(無原罪の聖母の騎士修道院)を創立。
    1930年(36歳)2月26日ゼノ修道士ら4人の修道士を伴ってポーランドを出発、4月24日長崎に到着。大浦天主堂敷地内にある大神学校(旧羅典神学校)でラテン語により哲学を教える傍ら、布教に尽くされる。
    翌年長崎本河内に聖母の騎士修道院を建設。

    長崎時代もコルベ神父一行は乏しい資金で極貧を極めた生活だったそうですが、長崎でコルベ神父と働いたセルギウス・ペシェク修道士の著書を読みますと、貧しくとも溢れるばかりの愛に満ちた布教生活の様子が伝わって来て心温まります。
    「冬が来ても部屋にはストーブも無く、ただ支えは若さと布教の使命感でした。それにしても、コルベ神父様は全てにおいてすばらしい規範を示されました。私たちへの優しい思いやりの態度、神父様は決して怒りませんでした」(セルギウス著「越えて来た道」より)

    医師によれば、コルベ神父の結核は肺の4分の3が侵される程の重度であるのに、驚く程の粗食と短い睡眠であんなにも労働されたのは医学上の不思議とのこと。
    不眠と過労とである日力尽きて路上に倒れ動けずにいたコルベ神父を、幸い修士の一人がその場を通りかかって助け起こしたこともあったのだそう。
    それでも神父はどんな試練にもいつもひるむことなく、試練に打ちひしがれる代わりに労働に拍車をかけられました。
    当時、コルベ神父の診察に行った深堀安郎医師は、
    「コルべ神父は板で出来た手製のベッドで高熱を出している時も上下に毛布それぞれ一枚だけで外套を掛けて寝ておられました。コルベ神父は秀才であったけれど冷たい感じは全く無く、自制力が極めて強い人であった」と語っています。

  • 若き日、学生時代のコルベ神父は議論好きで、哲学的な理論の展開によって無神論者を論破し問い詰め納得させようとしたそうです。<br />ある時は街路のただなかで、ある時は公開討論をいどんで。<br />けれども、日本でヨーロッパのキリスト教文化と異なる文化に初めて出会い、異文化・他宗教を謙虚に受け止めて対話され、また、愛に結ばれた布教生活ではあっても中にはその極貧の修道生活に耐えきれず祖国へ去って行った修道士も出るという日本での挫折経験の中で、人々の弱さも全てを受け入れるという精神的な成長をされました。<br />6年後、ニエポカラノフ修道院院長としての再びの任務を要請され、日本への愛を深めていたコルベ神父は想いを残しつつもポーランドへ帰国。

    若き日、学生時代のコルベ神父は議論好きで、哲学的な理論の展開によって無神論者を論破し問い詰め納得させようとしたそうです。
    ある時は街路のただなかで、ある時は公開討論をいどんで。
    けれども、日本でヨーロッパのキリスト教文化と異なる文化に初めて出会い、異文化・他宗教を謙虚に受け止めて対話され、また、愛に結ばれた布教生活ではあっても中にはその極貧の修道生活に耐えきれず祖国へ去って行った修道士も出るという日本での挫折経験の中で、人々の弱さも全てを受け入れるという精神的な成長をされました。
    6年後、ニエポカラノフ修道院院長としての再びの任務を要請され、日本への愛を深めていたコルベ神父は想いを残しつつもポーランドへ帰国。

  • ニエポカラノフ修道院長時代、若い神学生とチェスをするコルベ神父。<br />チェスはコルベ神父の唯一の趣味だったそう。<br /><br />写真のコルベ神父は生真面目な表情のものが多いのですが、普段の神父は尊大なところは全く無く、共に懸命に働き、いつも穏やかで優しく、真面目であるけれども陽気で、涙を出すほど笑っては、仲間の修道士が明るく陽気でいられるよう願っておられたと修道士たちは語っています。<br />コルベ神父は修道士たちを「私の子供たち」と呼び、修道士たちはコルベ神父を父のように慕い、修道院での仕事は大変な労働であったけれども、修士たちの誰もがコルベ神父の傍にいられることを喜び、神父と共にあった幸せを心に刻み、この頃から既に神父を聖人と見ていたとのこと。

    ニエポカラノフ修道院長時代、若い神学生とチェスをするコルベ神父。
    チェスはコルベ神父の唯一の趣味だったそう。

    写真のコルベ神父は生真面目な表情のものが多いのですが、普段の神父は尊大なところは全く無く、共に懸命に働き、いつも穏やかで優しく、真面目であるけれども陽気で、涙を出すほど笑っては、仲間の修道士が明るく陽気でいられるよう願っておられたと修道士たちは語っています。
    コルベ神父は修道士たちを「私の子供たち」と呼び、修道士たちはコルベ神父を父のように慕い、修道院での仕事は大変な労働であったけれども、修士たちの誰もがコルベ神父の傍にいられることを喜び、神父と共にあった幸せを心に刻み、この頃から既に神父を聖人と見ていたとのこと。

  • こちらは展示物ではなく、聖人カレンダー2011年の裏表紙です。<br />笑顔のコルベ神父のこのお写真は上掲のチェスをされているのと同じ時のもののよう。<br />

    こちらは展示物ではなく、聖人カレンダー2011年の裏表紙です。
    笑顔のコルベ神父のこのお写真は上掲のチェスをされているのと同じ時のもののよう。

  • この写真はポーランド大統領との何かの式典の時のものなのでしょうか?<br />このお姿からも、慎ましく生きられたコルベ神父(向かって左端)の聖なる清貧さが伝わって来るようです。

    この写真はポーランド大統領との何かの式典の時のものなのでしょうか?
    このお姿からも、慎ましく生きられたコルベ神父(向かって左端)の聖なる清貧さが伝わって来るようです。

  • 第二次世界大戦勃発、逮捕以降のコルベ神父の写真は無いのですが、ナチス・ドイツ側の人々や、アウシュヴィッツから九死に一生を得て生還した人々からの多くの証言が残っており、絵で展示されていました。<br /><br />1941年、何人かの修道士たちと共にナチスに連行されるコルベ神父。<br />その日、コルベ神父は皆に向かって静かに十字を切り、いつものように優しい笑顔を見せて軍用車に押し込まれたそうです。<br />連行されながらも、コルベ神父は同僚たちに、<br />「子供たちよ、今私たちに求められているのはほんの少しの勇気です。私たちは使命を果たしに出かけるのですよ。旅費が向こう持ちとは何という幸運でしょう」<br />とユーモアで励まされたとのこと。<br />「敵」に愛を持たねばならない。苦しみは神の摂理であり、それを耐えることによって人間としての証が成り立つと。

    第二次世界大戦勃発、逮捕以降のコルベ神父の写真は無いのですが、ナチス・ドイツ側の人々や、アウシュヴィッツから九死に一生を得て生還した人々からの多くの証言が残っており、絵で展示されていました。

    1941年、何人かの修道士たちと共にナチスに連行されるコルベ神父。
    その日、コルベ神父は皆に向かって静かに十字を切り、いつものように優しい笑顔を見せて軍用車に押し込まれたそうです。
    連行されながらも、コルベ神父は同僚たちに、
    「子供たちよ、今私たちに求められているのはほんの少しの勇気です。私たちは使命を果たしに出かけるのですよ。旅費が向こう持ちとは何という幸運でしょう」
    とユーモアで励まされたとのこと。
    「敵」に愛を持たねばならない。苦しみは神の摂理であり、それを耐えることによって人間としての証が成り立つと。

  • ワルシャワのパビアック収容所でナチスの将校に、「貴様はこんなものをまだ信じているのか!」と腰に付けていたロザリオを引きちぎられ激しく殴打され続けたコルベ神父。<br />その後暫くしてアウシュヴィッツの収容所に移されました。<br /><br />ナチスはユダヤ人だけでなく、将来のソ連攻撃に備えて、ポーランドの知識人、政治家、教会関係者の活動も壊滅する計画だったと言われています。<br />コルベ神父もユダヤ人ではありませんが、逮捕の理由の一つとして、ナチスとキリスト教が相反するものであり、コルベ神父がポーランドの人々から篤い信頼を受け大きな影響力があったことが考えられるとのこと。<br />ナチスは初めは、このコルベ神父の力をナチスの占領政策のために活用したいと考え、宣伝方面で最高のポストを与えるからとナチスへの協力を何度も説得したのだそう。<br />勿論コルベ神父はナチスへの協力を断り、どんな人でも修道院に受け入れ救出することを修道士たちに命じました。<br />闘うべきは誰もの心の中にあるのであって、ドイツに敵対するのではなく、ただ戦争に反対するのだと、コルベ神父は修道院内にドイツ兵のための病舎も設置。<br />逮捕前、『聖母の騎士』隔月刊1940年12月1941年1月合併号で、コルベ神父は次の様に書いています。<br /><br />「この世の誰も真理を変えることはできないのです。―中略―本当の闘いは心の内面での闘いなのです。占領軍も、抑え難いさまざまの情熱も、絶滅収容所も何も関係ありません。一人ひとりの霊魂の最も深いところに、和解することのない対立、つまり善と悪、罪と愛が存在しているということなのです。ですから、もし我々が自我の最も深いところで敗北するならば、戦場での勝利が何になるでしょう」<br /><br />しかしこの記事はナチスを刺激。<br />ポーランド人の他にユダヤ人、イスラム教徒、プロテスタントも含む避難民や負傷者等3500人もの人々を救護センターとして収容したニエポカラノフ修道院は、組織的にユダヤ人をかくまったことで、みせしめのためにドイツ空軍によって爆撃を受け、逮捕間近となったある日、神父は、焼け残った建物に仲間全員を集め、次のように話されたそうです。<br />「発展というのは、建築物の建つ広い地所や機械といった外面的な財産にあるのではなく、心の中、精神にあるのです。たとえ学問であっても、正しい心に支えられていなければ本当の発展とはいえません。私たちは自分だけの幸せに生きるのではなく、人々への愛と平和のために捧げる覚悟を持ちましょう」 <br /><br />何百人と詰め込められたアウシュヴィッツへの貨車の中で多くの人々が不安と恐怖に慄いている時、人々を励ますためにコルベ神父は小さな声で聖歌を歌われ、やがて歌声は次第に広がり大合唱となっていきました。

    ワルシャワのパビアック収容所でナチスの将校に、「貴様はこんなものをまだ信じているのか!」と腰に付けていたロザリオを引きちぎられ激しく殴打され続けたコルベ神父。
    その後暫くしてアウシュヴィッツの収容所に移されました。

    ナチスはユダヤ人だけでなく、将来のソ連攻撃に備えて、ポーランドの知識人、政治家、教会関係者の活動も壊滅する計画だったと言われています。
    コルベ神父もユダヤ人ではありませんが、逮捕の理由の一つとして、ナチスとキリスト教が相反するものであり、コルベ神父がポーランドの人々から篤い信頼を受け大きな影響力があったことが考えられるとのこと。
    ナチスは初めは、このコルベ神父の力をナチスの占領政策のために活用したいと考え、宣伝方面で最高のポストを与えるからとナチスへの協力を何度も説得したのだそう。
    勿論コルベ神父はナチスへの協力を断り、どんな人でも修道院に受け入れ救出することを修道士たちに命じました。
    闘うべきは誰もの心の中にあるのであって、ドイツに敵対するのではなく、ただ戦争に反対するのだと、コルベ神父は修道院内にドイツ兵のための病舎も設置。
    逮捕前、『聖母の騎士』隔月刊1940年12月1941年1月合併号で、コルベ神父は次の様に書いています。

    「この世の誰も真理を変えることはできないのです。―中略―本当の闘いは心の内面での闘いなのです。占領軍も、抑え難いさまざまの情熱も、絶滅収容所も何も関係ありません。一人ひとりの霊魂の最も深いところに、和解することのない対立、つまり善と悪、罪と愛が存在しているということなのです。ですから、もし我々が自我の最も深いところで敗北するならば、戦場での勝利が何になるでしょう」

    しかしこの記事はナチスを刺激。
    ポーランド人の他にユダヤ人、イスラム教徒、プロテスタントも含む避難民や負傷者等3500人もの人々を救護センターとして収容したニエポカラノフ修道院は、組織的にユダヤ人をかくまったことで、みせしめのためにドイツ空軍によって爆撃を受け、逮捕間近となったある日、神父は、焼け残った建物に仲間全員を集め、次のように話されたそうです。
    「発展というのは、建築物の建つ広い地所や機械といった外面的な財産にあるのではなく、心の中、精神にあるのです。たとえ学問であっても、正しい心に支えられていなければ本当の発展とはいえません。私たちは自分だけの幸せに生きるのではなく、人々への愛と平和のために捧げる覚悟を持ちましょう」

    何百人と詰め込められたアウシュヴィッツへの貨車の中で多くの人々が不安と恐怖に慄いている時、人々を励ますためにコルベ神父は小さな声で聖歌を歌われ、やがて歌声は次第に広がり大合唱となっていきました。

  • 囚人番号16670号の痩せ衰えたコルベ神父<br /><br />このような状況下でも母を慰めるために、アウシュヴィッツから母に出した最後の一通、6月15日付けの手紙には<br />『愛するお母さま、5月の末頃汽車でアウシュヴィッツ収容所に着きました。私は元気です。私と私の健康については心配せずに安心していてください。慈悲深い神さまはどこにでもいらして、大きな愛をもって全てをお計らいくださいます。私からお便りするまで、お母さまの方から手紙を寄こさない方がよいでしょう。ここにどのくらい滞在することになるかまだ分かりませんから。心からの挨拶と口づけをもって ライモンド・コルベ』<br /><br />ドイツ語で書かれたこの手紙が絶筆となりました。

    囚人番号16670号の痩せ衰えたコルベ神父

    このような状況下でも母を慰めるために、アウシュヴィッツから母に出した最後の一通、6月15日付けの手紙には
    『愛するお母さま、5月の末頃汽車でアウシュヴィッツ収容所に着きました。私は元気です。私と私の健康については心配せずに安心していてください。慈悲深い神さまはどこにでもいらして、大きな愛をもって全てをお計らいくださいます。私からお便りするまで、お母さまの方から手紙を寄こさない方がよいでしょう。ここにどのくらい滞在することになるかまだ分かりませんから。心からの挨拶と口づけをもって ライモンド・コルベ』

    ドイツ語で書かれたこの手紙が絶筆となりました。

  • コルベ神父の名声はポーランド中にとどろいていただけに、アウシュヴィッツでは、特別な憎悪の対象とされ、狂気のような凄まじい虐待を受けたそうです。<br />病身の上に、他の人の倍の重さの木材を背負わされ、壮絶な重労働に力尽きて倒れれば鞭攻めの嵐の中で、コルベ神父の余りにも痛ましい姿にたまりかねて駆け寄り手助けしようとした同僚に、<br />「ありがとう。でも危ないからおやめください。私は大丈夫。まだまだ頑張れます」と、同僚を巻き添えにするまいと優しい微笑みさえ浮かべて、けれどもかすれきった声で懇願されたそうです。<br /><br />鞭で打ちすえられ瀕死の状態になり血まみれで放置されたコルベ神父を、同僚たちは夜の闇に紛れてやって来て連れ戻し、入れられた収容所の病院で看護係をしていた人物は次のように語っています。<br />「コルベ神父の身体は青黒くなり高熱を出していました。しかし、私が困難に直面した時などは、逆にコルベ神父に元気づけられ慰められました。私は、母親のようなあの方の優しさにこの上なく感謝しています」<br /><br />担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。<br />そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、<br />「他の方々はいただいていませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられる食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃったのだそうです。<br />「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省しています。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるでしょう。その人たちに…」<br />布教活動に際し、人にまでその無理を強いたとおっしゃる、謙虚で内省的なコルベ神父のお姿に心打たれます。

    コルベ神父の名声はポーランド中にとどろいていただけに、アウシュヴィッツでは、特別な憎悪の対象とされ、狂気のような凄まじい虐待を受けたそうです。
    病身の上に、他の人の倍の重さの木材を背負わされ、壮絶な重労働に力尽きて倒れれば鞭攻めの嵐の中で、コルベ神父の余りにも痛ましい姿にたまりかねて駆け寄り手助けしようとした同僚に、
    「ありがとう。でも危ないからおやめください。私は大丈夫。まだまだ頑張れます」と、同僚を巻き添えにするまいと優しい微笑みさえ浮かべて、けれどもかすれきった声で懇願されたそうです。

    鞭で打ちすえられ瀕死の状態になり血まみれで放置されたコルベ神父を、同僚たちは夜の闇に紛れてやって来て連れ戻し、入れられた収容所の病院で看護係をしていた人物は次のように語っています。
    「コルベ神父の身体は青黒くなり高熱を出していました。しかし、私が困難に直面した時などは、逆にコルベ神父に元気づけられ慰められました。私は、母親のようなあの方の優しさにこの上なく感謝しています」

    担ぎ出される死者には、永遠の安息を祈り見送ることが自分の務めなのだからと祈り続けられ、他の人の身代わりになって殴打されたこともしばしばでした。
    そんなコルベ神父に看護係がこっそりと一杯のお茶を持って行っても、
    「他の方々はいただいていませんのに、私だけが特別扱いを受けては申し訳ありません」と固辞され、わずかに与えられる食事でさえ大部分をいつも他の人に分け与え、痩せきっても優しい微笑みでこうおっしゃったのだそうです。
    「私は若い時から様々な苦難には慣れていますが、人にまでその無理を強いたことを反省しています。私のことでしたら心配はいりません。私よりも誰かもっと他に苦しんでいる人がいるでしょう。その人たちに…」
    布教活動に際し、人にまでその無理を強いたとおっしゃる、謙虚で内省的なコルベ神父のお姿に心打たれます。

  • 強制収容所のこの世の地獄では収容者たちの心はすさみ、小さなパン切れのことでさえ激しく争うようになっていたそうです。<br />収容者だった一人、ヘンリコ・シェンキヴィッツ氏は次のように回想しています。<br />「私が重い労働に行くことになっていた朝、コルベ神父は、その日の分のパンを私の手に握らせようとしました。神父はとても衰弱していることを知っていましたのでびっくりして断ると、神父は私を抱擁し、こう言い張りました。<br />『持って行ってください。あなたは重い労働をするのです。あなたはお腹が空いています』<br />でも神父には夕方まで食べるものは何もないと知っていましたので、悲しい気持ちでした。」<br /><br />少し体力を回復されると、またコルベ神父はじっとしていないで誰か悲しみや苦しい表情をしている人には心配があったら話してくださいと優しく声をかけられ、連夜、人々の告解を聴き、死を間近にしておびえている人々をあやすようにその手を握りしめ、或いは抱きしめながら慰め励まされたそうです。

    強制収容所のこの世の地獄では収容者たちの心はすさみ、小さなパン切れのことでさえ激しく争うようになっていたそうです。
    収容者だった一人、ヘンリコ・シェンキヴィッツ氏は次のように回想しています。
    「私が重い労働に行くことになっていた朝、コルベ神父は、その日の分のパンを私の手に握らせようとしました。神父はとても衰弱していることを知っていましたのでびっくりして断ると、神父は私を抱擁し、こう言い張りました。
    『持って行ってください。あなたは重い労働をするのです。あなたはお腹が空いています』
    でも神父には夕方まで食べるものは何もないと知っていましたので、悲しい気持ちでした。」

    少し体力を回復されると、またコルベ神父はじっとしていないで誰か悲しみや苦しい表情をしている人には心配があったら話してくださいと優しく声をかけられ、連夜、人々の告解を聴き、死を間近にしておびえている人々をあやすようにその手を握りしめ、或いは抱きしめながら慰め励まされたそうです。

  • アウシュヴィッツの地獄にあってもコルベ神父はいつも朗らかで快活で、気落ちした人々を勇気づけられました。<br />コルベ神父の周りには話を聞きたいと収容者たちが集まり、そんな時神父は静かに語られたそうです。<br />苦しみや悩みは私たちを絶望の底に落とすためにあるのではなく、人間として更に強くなるための糧にしなければならないこと。<br />憎しみからは何も生まれず、愛のみが創造の力を持っているということ。<br />愛に団結するならばどんな困難も乗り越えて行けるはずということ。<br /><br />**********<br /><br />愛は寛容であり、愛は情け深い。<br />また、ねたむことをしない。<br />愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。<br />不義を喜ばないで真理を喜ぶ。<br />そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。<br />愛はいつまでも絶えることがない。<br />(聖書:コリント人への第一の手紙13章)<br /><br />**********<br /><br />宗教活動が禁止されていた収容所の中で危険を侵しても、聖書の言葉を人々に語り励まされ、生涯それを実践されたコルベ神父。<br />「全ての隣人を、一人の例外もなく、友人と敵の別なく愛せよ、迫害者に愛を以て報いよ」と言うのは容易くとも、それを実践するのはとても困難なことなのに、コルベ神父のような方が実際に存在されたということに胸が熱くなります。<br />収容者たちはコルベ神父の存在にどんなに心救われたことでしょう。

    アウシュヴィッツの地獄にあってもコルベ神父はいつも朗らかで快活で、気落ちした人々を勇気づけられました。
    コルベ神父の周りには話を聞きたいと収容者たちが集まり、そんな時神父は静かに語られたそうです。
    苦しみや悩みは私たちを絶望の底に落とすためにあるのではなく、人間として更に強くなるための糧にしなければならないこと。
    憎しみからは何も生まれず、愛のみが創造の力を持っているということ。
    愛に団結するならばどんな困難も乗り越えて行けるはずということ。

    **********

    愛は寛容であり、愛は情け深い。
    また、ねたむことをしない。
    愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
    不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
    そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
    愛はいつまでも絶えることがない。
    (聖書:コリント人への第一の手紙13章)

    **********

    宗教活動が禁止されていた収容所の中で危険を侵しても、聖書の言葉を人々に語り励まされ、生涯それを実践されたコルベ神父。
    「全ての隣人を、一人の例外もなく、友人と敵の別なく愛せよ、迫害者に愛を以て報いよ」と言うのは容易くとも、それを実践するのはとても困難なことなのに、コルベ神父のような方が実際に存在されたということに胸が熱くなります。
    収容者たちはコルベ神父の存在にどんなに心救われたことでしょう。

  • 1941年7月末、アウシュヴィッツで一人の脱走者が出たことで、見せしめとして、無作為に選ばれた10人が餓死刑に処せられることになりました。<br />10人の中に選ばれたガイオニチェクという一人のポーランド人軍曹が「私には妻子がいる。もう一度会いたいんです。死にたくない」と泣き崩れたその時、コルベ神父は前に進み出て、<br />「あの人と私を代わらせてください。私はカトリック神父で妻も子もいませんから。あの若い彼を妻子のもとに帰してやってください。どうかお願いします」<br />と身代わりを申し出たのでした。

    1941年7月末、アウシュヴィッツで一人の脱走者が出たことで、見せしめとして、無作為に選ばれた10人が餓死刑に処せられることになりました。
    10人の中に選ばれたガイオニチェクという一人のポーランド人軍曹が「私には妻子がいる。もう一度会いたいんです。死にたくない」と泣き崩れたその時、コルベ神父は前に進み出て、
    「あの人と私を代わらせてください。私はカトリック神父で妻も子もいませんから。あの若い彼を妻子のもとに帰してやってください。どうかお願いします」
    と身代わりを申し出たのでした。

  • コルベ神父を含む10人の収容者は裸にされて地下の餓死室に押し込められました。<br />この餓死刑は食物のみならず水分さえも与えられないというもので、餓死室で受刑者たちは錯乱状態になり牢内は憎しみで阿鼻叫喚の地獄のようになったと当時の司令官の告白遺録に記録されているそうです。<br />そんなおぞましい拷問刑である餓死室の中でも、コルベ神父は毅然とし、嘆き悲しむ収容者たちの心をなぐさめ励まされました。<br />コルベ神父はコンクリートの床にひざまずき、或いは壁に背を支えて静かに聖歌を歌い、コルベ神父を中心に一同がそれに唱和し、やがてその祈りと歌声は隣の牢の人々にも広がっていったそうです。<br />ナチス兵を見るコルベ神父の目には憎しみは無く、そのナチス兵たちのためにも祈り、牢の管理人のボルゴヴィツ氏は、そんな牢内が厳かな聖堂のように感じられコルベ神父の澄んだ目は生きているキリストのようであった、と証言しています。<br /><br />一人二人と亡くなり、二週間が過ぎ、残る三人がぐったりと瀕死の状態になっている時も、コルベ神父は壁にもたれ目を開いてとぎれとぎれの声で祈り続けていらしたそうです。<br />青年期からから重い肺結核を患っていた病弱なコルベ神父なのに、これは最後の一人をも安らかに天国へ送るのが務めと考えたコルベ神父の意志と使命感が成した奇跡だったのでしょうか。<br />そして14日後、とどめを刺す為にフェノール注射を持って入って来たナチスの軍医に自らの左腕を静かに差し出され、最期にマリアさまの名を静かに呼び、自分のためでなくただ他者のために生きられた47年の崇高な生涯を閉じられました。<br />人々の罪を背負い裸で十字架にかけられたキリストの姿がコルベ神父さまに重なります。

    コルベ神父を含む10人の収容者は裸にされて地下の餓死室に押し込められました。
    この餓死刑は食物のみならず水分さえも与えられないというもので、餓死室で受刑者たちは錯乱状態になり牢内は憎しみで阿鼻叫喚の地獄のようになったと当時の司令官の告白遺録に記録されているそうです。
    そんなおぞましい拷問刑である餓死室の中でも、コルベ神父は毅然とし、嘆き悲しむ収容者たちの心をなぐさめ励まされました。
    コルベ神父はコンクリートの床にひざまずき、或いは壁に背を支えて静かに聖歌を歌い、コルベ神父を中心に一同がそれに唱和し、やがてその祈りと歌声は隣の牢の人々にも広がっていったそうです。
    ナチス兵を見るコルベ神父の目には憎しみは無く、そのナチス兵たちのためにも祈り、牢の管理人のボルゴヴィツ氏は、そんな牢内が厳かな聖堂のように感じられコルベ神父の澄んだ目は生きているキリストのようであった、と証言しています。

    一人二人と亡くなり、二週間が過ぎ、残る三人がぐったりと瀕死の状態になっている時も、コルベ神父は壁にもたれ目を開いてとぎれとぎれの声で祈り続けていらしたそうです。
    青年期からから重い肺結核を患っていた病弱なコルベ神父なのに、これは最後の一人をも安らかに天国へ送るのが務めと考えたコルベ神父の意志と使命感が成した奇跡だったのでしょうか。
    そして14日後、とどめを刺す為にフェノール注射を持って入って来たナチスの軍医に自らの左腕を静かに差し出され、最期にマリアさまの名を静かに呼び、自分のためでなくただ他者のために生きられた47年の崇高な生涯を閉じられました。
    人々の罪を背負い裸で十字架にかけられたキリストの姿がコルベ神父さまに重なります。

  • 1941年8月14日12時50分 聖母被昇天の祝日の前日、帰天。享年47歳。<br /><br />助かったガイオニチェク氏は、1995年に93歳で亡くなるまでコルベ神父さまの愛に感謝しその崇高な行為を人々に伝えることが使命と考え世界各地で講演し続けたそうです。<br />「私と代わられたその日、コルベ神父さまは残される私たちに何もおっしゃらず、ただ優しい笑顔でうなずいてお別れをされただけでした。神父さまは『安心しなさい』と言っているようでした。でも神父さまの顔は輝いているようでした。コルベ神父さまは、私一人の為でなく、もっと多くの人々の心を救われたのです」と。

    1941年8月14日12時50分 聖母被昇天の祝日の前日、帰天。享年47歳。

    助かったガイオニチェク氏は、1995年に93歳で亡くなるまでコルベ神父さまの愛に感謝しその崇高な行為を人々に伝えることが使命と考え世界各地で講演し続けたそうです。
    「私と代わられたその日、コルベ神父さまは残される私たちに何もおっしゃらず、ただ優しい笑顔でうなずいてお別れをされただけでした。神父さまは『安心しなさい』と言っているようでした。でも神父さまの顔は輝いているようでした。コルベ神父さまは、私一人の為でなく、もっと多くの人々の心を救われたのです」と。

  • コルベ神父さまのステンドグラス。<br /><br />コルベ神父さまの御遺体はアウシュヴィッツの焼却炉で焼かれて撒かれてしまったので、お墓はありません。<br />けれども、場所にも名誉にも拘らなかったコルベ神父さまは天国でそれをよしとなさっているのではないでしょうか。<br />生前コルベ神父さまはセルギウス修道士に「私が死んだら私のことはすっかり忘れてください。けがれなき聖母のことだけを覚えてください」と何度もおっしゃっていたそうです。<br />そしてまた次のような言葉も残しておられるそうです。<br />「私が汚れなき聖母のために微塵にされ、私の灰が風で世界中に吹き飛ばされて何も残らなくなったとき、そのときこそ、私の汚れなき聖母に対する愛はまっとうされるでありましょう」

    コルベ神父さまのステンドグラス。

    コルベ神父さまの御遺体はアウシュヴィッツの焼却炉で焼かれて撒かれてしまったので、お墓はありません。
    けれども、場所にも名誉にも拘らなかったコルベ神父さまは天国でそれをよしとなさっているのではないでしょうか。
    生前コルベ神父さまはセルギウス修道士に「私が死んだら私のことはすっかり忘れてください。けがれなき聖母のことだけを覚えてください」と何度もおっしゃっていたそうです。
    そしてまた次のような言葉も残しておられるそうです。
    「私が汚れなき聖母のために微塵にされ、私の灰が風で世界中に吹き飛ばされて何も残らなくなったとき、そのときこそ、私の汚れなき聖母に対する愛はまっとうされるでありましょう」

  • 幸福って、裕福でも地位があることでもなく、人を真に愛し赦し赦され感謝する慎ましやかな生活と心の中にあるのだという当たり前のことを再確認した旅行でした。<br /><br />近頃、何か悲しい気持ちになったりした時には(勿論コルベ神父さまの苦難とは比較すら出来ない些末なことばかりなのですが)、コルベ神父さまだったらこんな時どんな風に行動されるかしらと考えることがあります。<br />すると不思議にだんだん心が晴れ晴れとして来るのです。<br />今振り返って、あの日聖アンナ教会であんなにも感動したのは、美しい聖歌にコルベ神父さまの歌声を感じたからのような気もします。<br /><br />人々を愛し、人を赦すという大きな愛で命をかけて平和の道具となられたコルベ神父さまは、亡くなられても今も天国からその生き方と限りない愛で皆を励ましてくださっているのですね。

    幸福って、裕福でも地位があることでもなく、人を真に愛し赦し赦され感謝する慎ましやかな生活と心の中にあるのだという当たり前のことを再確認した旅行でした。

    近頃、何か悲しい気持ちになったりした時には(勿論コルベ神父さまの苦難とは比較すら出来ない些末なことばかりなのですが)、コルベ神父さまだったらこんな時どんな風に行動されるかしらと考えることがあります。
    すると不思議にだんだん心が晴れ晴れとして来るのです。
    今振り返って、あの日聖アンナ教会であんなにも感動したのは、美しい聖歌にコルベ神父さまの歌声を感じたからのような気もします。

    人々を愛し、人を赦すという大きな愛で命をかけて平和の道具となられたコルベ神父さまは、亡くなられても今も天国からその生き方と限りない愛で皆を励ましてくださっているのですね。

  • 「憎しみからは何も生まれません。愛だけが創造する力を持つのです」<br /><br />コルベ神父さまのような生き方は意志薄弱な私には到底出来ることではありませんが、コルベ神父さまが教えてくださった尊いものを改めて胸に刻んでいきたいと思います。<br /><br />********************<br /><br />コルベ神父さまに関してはついつい想いが溢れてしまい駄文長文申し訳ありません。<br />あまりに自己満足な旅行記で読み辛いことと存じますが、ご覧くださってありがとうございました。<br />

    「憎しみからは何も生まれません。愛だけが創造する力を持つのです」

    コルベ神父さまのような生き方は意志薄弱な私には到底出来ることではありませんが、コルベ神父さまが教えてくださった尊いものを改めて胸に刻んでいきたいと思います。

    ********************

    コルベ神父さまに関してはついつい想いが溢れてしまい駄文長文申し訳ありません。
    あまりに自己満足な旅行記で読み辛いことと存じますが、ご覧くださってありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (58)

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  • intheteacupさん 2017/02/02 23:54:56
    今年の旅の参考に!
    コルベ神父の軌跡を辿りながらポーランドを旅したいと調べていたら、こちらにたどり着きました。意外に情報が少ないので本当に参考になります!
    じつくり何度も読ませていただきたいので度々訪問させて頂ければと思います。
    よろしくお願いします!

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2017/02/03 20:25:33
    RE: 今年の旅の参考に!
    intheteacupさん
    お読みくださってありがとうございます!
    そうなんですよね。コルベ神父は日本にも縁の深かった方なのに、現地に行かれた方も少なく、情報が少なくて、私もその少ない情報を頼りに、出会ったいろいろな方々にお世話になりながらたどり着きました。 私でもお役に立てることがありましたら、どうぞ何でもお尋ねくださいね。良いご旅行になりますように。

    intheteacupさん からの返信 2017/02/03 22:39:13
    Re: 今年の旅の参考に!
    Waterlilyさん、

    早々にお返事頂いて有り難うございます!
    旅の大先輩のお言葉とても心強いです。

    厚かましく早速お伺いしてしまうのですが、
    ニエポカラノフ修道院への宿泊はHPにretreat house の項目があるものの何も詳細が記されていないようでした。宿泊を考えられていたといのは、何か情報をwaterlilyさんはお持ちだったのでしょうか?差し支えないようでしたら教えて頂けないでしょうか?

    http://niepokalanow.eu/?retreat-house,11

    どうぞよろしくお願いいたします。


    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2017/02/04 18:22:33
    RE: Re: 今年の旅の参考に!
    intheteacupさん、
    私が行った時とは違っているかもしれませんが、現在、二エポカラノフ修道院の宿泊施設は以下添付のページに掲載されているもののようです。
    http://niepokalanow.pl/en/the-monastery/retreat-house/
    http://lasek.niepokalanow.pl/
    連絡先メールアドレスも記載されていますので、こちらからご連絡されると良いかと思います。勿論、英語でも大丈夫と思います。
    最近、スマートフォンを利用していて痛感するのですが、グーグルマップといい、様々なHPといい、ほんの10年程前と比較して、見知らぬ地への旅行が格段に便利になりましたね。

    intheteacupさん からの返信 2017/02/04 20:12:44
    Re: 今年の旅の参考に!
    waterlilyさん、

    連絡先を教えていただき本当に有り難うございます!
    本当に嬉しいです!
    スケジュールが決まりだしたら連絡してみます。
    本当にそうですよね。私も最近はグーグルマップに頼りきりの旅です。旅先で次の宿をスマホで予約したり…。学生の頃の一軒ずつB&Bをまわって交渉してという旅も懐かしいですが。
  • 砂布巾さん 2014/10/28 20:59:50
     今日ワルシャワ関連の旅行記をじっくり(?)と読ませていただきました。特に自分が関心を持っているコルベ神父、コルチャック先生に関する実に詳しい記述には感心しました。

     ところでこのお二人、意外と知られていないのですね。検索してもヒットしたのは私とwaterlilyさんのだけ。アウシュビッツ旅行記を十程度見てみましたが、コルベ神父に言及していたのは1つだけでした。当然写真は1枚もありません。
     
     それからコルチャック先生の像ですが、ユダヤ人墓地の中にあるものですよね。私が2001年に訪問した際には破壊されていました。詳しくは下記URLで。



    http://4travel.jp/travelogue/10921056

    砂布巾

    砂布巾さん からの返信 2014/10/28 21:06:00
    はじめまして、砂布巾です
     と書くつもりが、「は」になってしまいました。また訪問されたのは2010年なのですね。改めて確認して気付きました。ですから、二重に頓珍漢な投稿になってしまいました。お詫びするとともに、訂正します。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2014/10/29 10:37:58
    RE: はじめまして、砂布巾です
    砂布巾さん、はじめまして。
    ご訪問くださってありがとうございます。

    そうそう、コルベ神父様もコルチャック先生もこんなに素晴らしい方なのに日本では意外に知られていませんよね。私も旅行前に縁の地への行き方を調べるために検索しましたが、殆どヒットしませんでした。
    アウシュビッツに行かれた方は多いですが、コルベ神父様に言及してあるのも少ないですよね。日本に縁の深い聖人でいらっしゃるのに寂しい気もします。けれどもお二人ともそんな次元にはいらっしゃらないのでしょうね。

    ところで、コルベ神父様もコルチャック先生もですが、実は私はムーミン谷のスナフキンの長年の大ファンなんです。それで、メールボックスに「砂布巾さんからのメッセージが届いています」とのお知らせを見た時は驚きとても嬉しく思いました。
    3人とも信念を持ち、しかし同時に寛容さも併せ持ち、限りない真の優しさに満ち、世俗の我欲からは遠く離れた孤高の人ですよね。
    そういう方に憧れるのかもしれないと自己分析してしまいました。

    そうです、コルチャック先生の像はユダヤ人墓地の中にあるものです。一度破壊されたのですね。教えてくださってありがとうございます。
    砂布巾さんの旅行記で私の拙い旅行記をご紹介くださったのを知り、驚くやらお恥ずかしいやらですが、重ねてありがとうございました。

    砂布巾

    砂布巾さん からの返信 2014/10/29 19:36:03
    ご訪問ありがとうございます
     いや〜スナフキンをコルベ神父やコルチャック先生と同列に扱っていただけるとは、いやはやでも恐縮です。でも考えてみれば、スナフキンと砂布巾とは別ですから、照れることもないですよね〜。

     あまり人の旅行記は読まない砂布巾ですが、ワルシャワ関連の旅行記は、これまでの自分の記憶にもないくらい、一生懸命読みました(読んだつもり)。

     waterlilyさんの熱意とお気持ちが実によく伝わってきました。あれだけの文章を書くだけでも大変だったでしょう。どの旅行記か忘れましたが、「いいね」が73票目だったことから、少なくとも72人は読んでくださったのですね。waterlilyさんの熱意はきっと伝わったと思いますよ。

     これからお二人のことを少しでも多くの方に伝えていくよう共に頑張りましょう。

     ところで、さっき自分のページを覗いて気が付いたのですが、下記文章が抜けていましたので、追加させてください。 

     「2001年にポーランドを訪問した際に先生と子どもたちの像を探した。なかなか見つけられず何人かに聞いたが、知っている人は居なかった。ようやく英雄記念碑から近いユダヤ人墓地の中で発見したが、悲しいことに像は破壊されており、代わりに写真が掲げられていた。未だにユダヤ人に対する偏見や差別は根強いことを感じさせる。(2001年7月31日訪問)

     waterlilyさんの投稿がなければ気付かないところでした。それではまた。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2014/10/31 21:07:25
    RE: ご訪問ありがとうございます
    砂布巾さんのように歴史にお詳しい方にそのようなもったいないお言葉を頂き私の方こそ恐縮しています。
    こんな稚拙な旅行記でもそんなに一生懸命読んでくださったなんて、きっとコルベ神父様もコルチャック先生も天国で喜んでくださることと私まで嬉しく思います。
    本当にありがとうございました。
  • katanさん 2011/08/16 22:43:19
    はじめまして。
    waterlilyさん、はじめまして。

    旅行記を拝見して、小学校の夏の読書感想文で、コルベ神父の伝記の感想文を書いたことを思い出しました。初めて読んだときは衝撃が強すぎて、昔のこととはいえ、ナチスの行為がとても恐ろしく、その犠牲になって亡くなったコルベ神父の行いになんともいえない気分で、当時もしばらく涙が止まりませんでした。

    旅行記の後半は半泣きで読みつつ、パソコンの画面から目が離せず、一気に読みました。収容所の人ともに、鉄条網も煙突をも超えて昇天するコルベ神父の絵に救われた気がします。旅行記を拝見するまで知らなかったのですが、コルベ神父の命日は一昨日だったのですね。

    waterlilyさんのコルベ神父への敬愛が良く伝わってくる、素敵な旅行記でした。
    色々と思うことがあり、いつもより余計にまとまらない文章になってしまってますが、この旅行記に出会えた事を感謝したいです。ありがとうございました。


    katan

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/08/17 19:53:05
    RE: はじめまして。
    katanさん、はじめまして。
    ご訪問くださってありがとうございます。
    こちらこそこんなにも素敵なメッセージを頂き今喜びで一杯です。
    そしてkatanさんが小学校でコルベ神父さまの感想文を書かれたと教えて頂き、とても嬉しく感激です。
    小学生の時にお読みになったということは、早乙女勝元さんの「コルベ神父―優しさと強さと (母と子でみる)」、それとも曽野綾子さんの「コルベ神父物語」でしょうか?
    一般的に小学生の頃は、この時代背景の本の感想文としてはアンネの日記が選ばれることが多いような気がしますので、katanさんがコルベ神父さまの本を選ばれた理由は何かしらと考えております。

    コルベ神父さまと言いますとその衝撃的な最期が取り上げられることが多いのですが、そこに至るまでのコルベ神父さまの少年時代からの真摯な来し方にも心打たれます。
    半泣きで読んでくださったなんて、私もコルベ神父さまのことを思うだけで胸が一杯になりますので、katanさんのそのお言葉をお聞きして、同志がいてくださったような幸せな思いです。
    katanさんは色々と思うことがあり、とのことですが、私も同じで、こんなに冗長な旅行記を書いておきながら、それでも尚自分の思いは上手に言葉に出来ず殆ど書けていないのです。ですので、katanさんのそのお気持ち、良く解る気が致します。
    katanさんのメッセージを拝読し、我が家に飾ってあるコルベ神父さまのお写真に、「今日、素敵なメッセージを頂きましたよ」とご報告しました。
    私の方こそまとまらない文章になってしまいましたが、katanさんの御心のこもったメッセージとても嬉しく本当にありがとうございました。

    katan

    katanさん からの返信 2011/08/18 21:50:49
    早乙女さんの本ですね。
    waterlilyさん、こんばんは。

    そうですね、小学生なら課題として「アンネの日記」の方が選ばれやすいかもしれません。実はアンネについては、この時点では既に読んでました。中学の文化祭の展示ではアンネを取り扱ったことがあります。
    なぜコルベ神父を?といわれると、図書館の棚の中で偶然に出会ってしまったからです。クリスチャンではないのに、人づてに不思議のメダイをもらってしまったことも、本当に偶然で。あとでメダイの由来と意味を調べて驚きました。
    大人になってから、宗教画のテーマを調べているうちに「黄金伝説」に辿りつき、そこで幾つかの聖人の殉教について知りました。今ざっと考えても、他人の身代わりになるような亡くなり方をした聖人はいなかったように思います。
    アウシュビッツでの過酷な状況に耐えながら、アガペーの心でいつづけることは、並大抵ではできないし、そうであった神父がこんな酷い亡くなり方をした事を思うと、やりきれない気分になるのです。何年も時間が経っているとわかっていても。感傷的かもしれませんが・・・。

    私自身、最近ドイツ語圏にはまっているのですが、今回waterlilyさんとのやり取りの中で、機会があればドイツの収容所も見学しておかなければ、と思いました。

    katan

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/08/19 19:39:20
    早乙女さんの本は良いですね。
    図書館の棚で出会われたのですか。
    図書館での本との出会いって、不思議なものがありますね。
    並んだ背表紙を眺めていて、何かその本に呼ばれたかのようにふと手に取って読み入ってしまう……
    特に感受性豊かな小・中学生の頃に出会って読んだ本って深く心に刻まれて、その後大人になっても影響を与え続けられますよね。
    私の勝手な思い込みかも知れませんが、その後、不思議のおメダイがkatanさんのお手元に届いたということも、コルベ神父さまの本に涙を流されたkatanさんへのコルベ神父さまからの贈り物のような気がします。

    > アウシュビッツでの過酷な状況に耐えながら、アガペーの心でいつづけることは、並大抵ではできないし、そうであった神父がこんな酷い亡くなり方をした事を思うと、やりきれない気分になるのです。何年も時間が経っているとわかっていても。感傷的かもしれませんが・・・。

    katanさんのお気持ち、良く解ります。
    殉教はコルベ神父さまが少年の時からの願いでしたから、究極の無償の愛、犠牲を捧げられたことはその意味でお幸せなことだったとは思いますが、その御苦難を思うとやはりやりきれないですよね。
    コルベ神父さまは、最期が近いことを悟られたある日の夕、ニエポカラノフの数人の修士たちに、涙を流しながら次のようなお話をされたそうです。
    「世を去るまえに、みなさんに何かを言い残したいと思います。-中略-子供たちよ、私は、さっき、自分は(毎日、苦しみと心配に悩まされていながらも)大変幸福で、霊魂は喜びにあふれていると言いましたが、そのわけは確実に天国へ行けるという約束をいただいたからです。-中略- 私が秘密を打ち明けたのは、みなさんを待っている試練に際して、力となり、支えとなると考えたからです。きっと、苦しみや誘惑に襲われ、落胆におちいるおそれがあるにちがいありません。そのような時こそ、もっとも偉大な犠牲、無原罪聖母がみなさんに要求したもうすべてのことを、なしとげる覚悟をお持ちなさい。-中略-内外の苦しみは、われわれを聖化するだけです。われわれは無原罪聖母のために、どんなことでも覚悟しているではありませんか。」
    コルベ神父さまご自身がおっしゃったように、殉教は幸福なことであったのだと信じたい思いです。

    > 私自身、最近ドイツ語圏にはまっているのですが、今回waterlilyさんとのやり取りの中で、機会があればドイツの収容所も見学しておかなければ、と思いました。

    ドイツの収容所では、以前私もダッハウの強制収容所を見学したことがあります。
    http://4travel.jp/traveler/gallery/album/10175376/
    ワルシャワを訪れる多くの方々がアウシュヴィッツに行かれるのに、今回どうにも行けなかったのは、この時の悲しい思い出が蘇って来るのと、また、コルベ神父さまが最期を遂げられた地下室を見る勇気が出なかったということもあります。
    katanさんがドイツに行かれて収容所をご訪問なさいましたら、その時はぜひレポートを拝見させてくださいね。

    またついつい長くなってしまい、申し訳ありません。
    katanさんとこのようなお話が出来て幸せです。
    読んでくださってありがとうございました。
  • ippuniさん 2011/06/22 21:50:35
    コルベ神父
    waterlilyさん

    引き続きお邪魔してしまいました^^

    コルベ神父の旅行記、いつもにも増してwaterlilyさんのお気持ちが伝わってきてとても感動しました。本当に良い旅行記でした。
    奇跡のメダイ、私も持っていました。パリの奇跡のメダイ教会でたくさん買って、私の家族、韓国にいる旦那の家族たちみんなに配りました。私も持っていたのですが、マルセイユでのカージャックの際にすべて持ち去られてしまいました。あの時は私たちのすべてを持っていかれてしまったので…。
    waterlilyさんの場合、waterlilyさんの思いがきっとコルベ神父に伝わったのだと思います。欲しいものは、それを強く望んだ者に与えられるという言葉をよく聞きますが、まさにその通りだと思います。

    院外の人は見れないコルベ神父のお部屋、見れて良かったですね。
    これもまた、waterlilyさんのお強い気持ちが伝わったのだと思います。
    私は無神論者ではありますが、waterlilyさんのこの旅行記を見ていて、まさに神はすべての人に平等である…ということを感じました。コルベ神父は、短い辛い生涯でしたが、きっとご本人は短い辛い生涯だと思ってはいらっしゃらないと思いますし、強い信念と愛に満ちた人生だったと思います。それに死後もこのようにwaterlilyさんのような素敵な方に語り継がれているのですから…。それに引き替え、ドイツ側は何世紀たってもこの時代の背景を語り継がれていくことでしょう…。神は平等です。

    「憎しみからは何も生まれない…」とても良い言葉だし、自分にいつも言い聞かせていかなければならない言葉だと思います。ただ、コルベ神父の意に悉く反して、現代のフランスでは、犯罪者(すりや泥棒など)が自らこの言葉を発しているのです。人のものを盗んでおいて人を憎まず罪を憎めと…。本当に腹立たしい現実です。あ、この話を始めるとまた長くなってしまうのでここでやめておきます^^

    コルベ神父のお話、本当に良かったです。今度日本に帰ったら、書籍を一つ購入してじっくり読んでみたいと思いました。

    ippuni

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/06/27 14:55:09
    RE: コルベ神父
    ippuniさん、引き続きお返事を書いております。
    重ねて嬉しいメッセージをありがとうございます。

    奇跡のおメダイ、ippuniさんも持っていらしたのですね! 嬉しい♪
    それなのにカージャックで持っていかれてしまったのですか。何ということ。。。
    ただ、考えようによっては奇跡のおメダイがippuniさん御夫妻の命を守ってくださったのかも知れないと思います。
    大切な物を一瞬に奪われたippuniさんのお気持ちは如何ばかりか、どんな言葉も慰めにならないとは思いますが、どんな物よりも大切なippuniさんのご主人様とippuniさんがご無事でいらして本当に良かった。
    ippuniさん、ご無事でいてくださってありがとう。
    そして、今は前向きに明るく進んでいらっしゃるippuniさんのご様子を嬉しく思います。

    犯罪者自らが、人を憎まず罪を憎めと言うなんて。。。何ということでしょう。
    ほんと、汝の敵を愛せよというのは、言うは易し行うは難しですよね。
    コルベ神父さまが若き日、学生時代に自分への戒めとして書かれた日記のようなメモに、次のような一文がありました。(その本が家にあるはずなのに今どうしても見付からず、一語一句同文ではないのですが、大体次のような内容でした)

    「自分に敵対するもの、とりわけ自分を最も不愉快にする者をこそ愛せよ。
    何故ならイエスはご自分を裏切ったユダをもお赦しになったのだから。」

    こうお書きになったということは、コルベ神父さまご自身が「汝の敵を愛せよ」ということの難しさを日々の生活で感じていらしたからなのだと思います。
    コルベ神父さまはあまりに純粋で真っ直ぐな故に、賛同者も多いと同時に同じカトリック教会の中でさえ眉をひそめる人々もいたようです。
    迷い悩みながらも進まれ、最期には、痛めつけられ御自分の命を奪おうとするナチス兵の為にさえも愛を持って祈られたコルベ神父さま。
    きっと「彼らは自分のしていることが解っていないだけなのだ」と考えていらしたのだという気がします。
    その大きな愛に深く感動します。
    殉教は少年の頃からのコルベ神父さまの願いでしたから、その意味でお幸せな生涯でありましたよね。

    こんな風に考えるのは甘いかも知れませんが、ippuniさんの大切な物や奇跡のおメダイを取って行った犯人が、どうかおメダイの力で改心してくれていますように。
    もし改心してくれていたとしたら、大きな犠牲を払われたけれどもippuniさんがその人々の心を救われたのですね。

    ippuniさんのメッセージが嬉しくて私も長くなってしまいました。
    後程ippuniさんのところへもお邪魔させてくださいね。
  • おかかさん 2011/04/21 01:33:43
    きっと届いたのでしょうね!
    waterlilyさん、こんばんは、ご無沙汰しております。

    先月からの一連の地震は、waterlilyさんのお住まいの地域もかなり揺れたのではないでしょうか。
    今更になってしまいますが、大丈夫でしたか?
    東北から関東にかけての甚大な被害を受けられた地域の方々には
    心から笑ったり幸せに感じることができる日が、一刻も早く訪れるといいですよね。


    実はこちらの旅行記は震災前に一度拝見したのですが、
    うまく言葉にまとめられず、今になってしまいました。

    恥ずかしながらこちらに登場する人物について何一つ知りませんでした。
    長崎のルルドについても。
    waterlilyさんは行かれたことがありますか?

    聖アンナ教会でちょうど席が二つ空いていた、ちょうど隣にシスターがいた、というのが既にすごい偶然ですね。
    シスターが途中で席を立たれたというのは、まるでwaterlilyさん達にメダイを渡すために来られたかのようです。
    その後もいろいろな方のガイドで本当に導かれているようですね!
    神父様の部屋に案内されることになったくだりは、すごーいと思わず声をあげていました。
    waterlilyさんのコルベ神父様に対する強いお気持ちが伝わっていたとしか思えませんね。

    神父様のゆらぎない信念や隙がないほどの意志の強さがぶれることなく生涯を通じて
    貫かれているように感じました。
    質素な生活、最期が即身仏のようだったりと、違う宗教でも似た部分があるのですね。
    宗教の違いによる争いがなくなるといいですね。

    神父様のご自身に対しての甘えを一切許さない姿勢はとてもまねできません。
    拝見して、食欲さえコントロールできない自分が本当に情けなくなりました。
    気持ちがささくれだった時にはまた拝読したいです。

    私のような何も知らなかった人間にその存在や精神をお伝えしているwaterlilyさんは
    まるで神父のお弟子さんのようですね!

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/04/21 22:32:50
    RE: きっと届いたのでしょうね!
    おかかさん、こんにちは!
    ご無沙汰致しましたがお元気でお過ごしですか?

    ありがとうございます。
    おかげさまでこちらは揺れたものの大きな被害はありませんでした。
    おかかさんの方は大丈夫でしたか?
    昭和記念公園のネコちゃんも元気でしょうか。
    上野動物園のカバさんが今回の地震に怯えて転び先日亡くなったとニュースで聞きましたが、動物ってこういう天変地異に敏感ですよね。

    > 東北から関東にかけての甚大な被害を受けられた地域の方々には
    > 心から笑ったり幸せに感じることができる日が、一刻も早く訪れるといいですよね。

    ほんと、被害を受けられた方々が心から笑ったり幸せを感じることが出来る日が早く訪れると良いですね。そればかりを祈る毎日です。

    > 恥ずかしながらこちらに登場する人物について何一つ知りませんでした。
    > 長崎のルルドについても。
    > waterlilyさんは行かれたことがありますか?

    自己満足全開の旅行記で読み辛いことと思いますのに、二度もご覧下さったとのこと、本当にありがとうございます。
    私は長崎は勿論、九州自体に未だ行ったことが無くて、実はこの4月24日(もう明々後日になりますね)、コルベ神父さまが長崎に上陸された記念日に長崎を訪れてコルベ神父さまが歩かれた坂を同じように歩いてみたい、そして毎日通っていらしたという泉にも、と楽しみに計画を立てていたのですが、その矢先今回の東日本大震災で急遽中止にしたんです。
    普通に生活して日本を元気にしなくてはいけないとは思いつつ、どうにも気分が乗らなくて。。。
    これって一種のPTSD? 
    被災者ではなくてもこんなに気持ちが沈んでしまうのに、実際に被災された方々はどんなにお辛いことかと思うとまた悲しくなってしまいます。

    > 聖アンナ教会でちょうど席が二つ空いていた、ちょうど隣にシスターがいた、というのが既にすごい偶然ですね。
    > シスターが途中で席を立たれたというのは、まるでwaterlilyさん達にメダイを渡すために来られたかのようです。
    > その後もいろいろな方のガイドで本当に導かれているようですね!
    > 神父様の部屋に案内されることになったくだりは、すごーいと思わず声をあげていました。

    ほんと、導かれていたとしか思えないような不思議な偶然の連続でした。
    家人はこういうオカルト(?)っぽい見方を嫌がる人間なのですが、今回のことに関してだけは、「あれは本当に不思議だったよね」と今でも何度も繰り返して申します。
    頂いて来たコルベ神父さまの御絵とお写真を額に入れてリビングに飾っているのですが、真っ直ぐにこちらを見ておられるそのお写真を見るたび、心持を正される思いになります。

    > 拝見して、食欲さえコントロールできない自分が本当に情けなくなりました。

    あ、それは私の方こそです〜(>_<)
    食欲さえコントロールできない自分がつくづく情けないです。
    先日の計画停電の時も、今回の被災者の方々は勿論、コルベ神父さまも毛布の上に雪が積もるようなあばら家で生活されていたということを思い出し、これくらいの寒さは我慢しなくちゃと思いました。
    おかかさんの方は計画停電はありました?

    > 私のような何も知らなかった人間にその存在や精神をお伝えしているwaterlilyさんは
    > まるで神父のお弟子さんのようですね!

    いえいえ、こんな怠け者の俗人である私はとてもとても神父さまのお弟子にはして頂けません〜。
    でも、こんな旅行記でもコルベ神父さまの素晴らしさが少しでも伝わったとしましたならとても幸せです。
    コルベ神父さまを心から慕ってついていらしたゼノ修道士は、その後亡くなられるまで日本で孤児や被災者の救済活動に尽くされた方で、ゼノ修道士に災害時に出会った北海道のある中学生の次のような詩が残っているそうです。

    「私たちは神さまを知らない。
    でも神さまを知っているという人の
    目のやさしさが心にしみる。」

    とても好きな一文なので、つい書いてしまいました。
    またまた長くなってしまいましたが、気長に読んでくださってありがとうございます。
    そして、おかかさん、嬉しいメッセージを本当にありがとうございました。

    おかか

    おかかさん からの返信 2011/04/22 01:10:55
    RE: RE: きっと届いたのでしょうね!
    > おかかさんの方は大丈夫でしたか?

    ありがとうございます、大丈夫でした。
    すごく揺れたように思いましたが、他を見たらたいしたとではなかったことが分かりました。

    > 昭和記念公園のネコちゃんも元気でしょうか。

    元気なようです!でも怖かったでしょうね。

    > 上野動物園のカバさんが今回の地震に怯えて転び先日亡くなったとニュースで聞きましたが、動物ってこういう天変地異に敏感ですよね。

    そうだったのですか・・・カバさん・・・(TT)
    ほんと、見かけによらず(失礼)敏感で繊細なんですね。
    動物は言葉がわからない分大丈夫そうに見えてしまうけど、実はすごく怖かったんでしょうね。

    長崎、計画されていたんですね!でも残念でしたね・・・
    waterlilyさんはお優しいので、悲しみを全身で受け止めてしまってませんでしょうか。
    いつか・・・上陸の日は過ぎてしまうけど・・・行けるといいですね。
    長崎に限らず、復興の願いを胸に旅するのもいいかもしれませんね。

    > 被災者ではなくてもこんなに気持ちが沈んでしまうのに、実際に被災された方々はどんなにお辛いことかと思うとまた悲しくなってしまいます。

    本当に想像を超えています。
    東北の方は普段から厳しい自然と向き合っているせいか、忍耐強い方が多そうに見えます。
    しかし表に出ていないだけで、相当溜め込んでしまっているのかもしれませんね。

    > おかかさんの方は計画停電はありました?

    ありましたよ〜。waterlilyさんもですか?
    当日も夜中まで停電でした。
    停電中はラジオは聞いていたのですが、停電明けに映像で見てショックでした。

    > 「私たちは神さまを知らない。
    > でも神さまを知っているという人の
    > 目のやさしさが心にしみる。」

    いい詩ですね。
    中学生にこのように言わしめるゼノ修道士の深い愛情。
    愛情を受けてこのような言葉を紡ぎ出せる中学生。
    どちらも尊いですね。

    waterlilyさん、丁寧なお返事をありがとうございましたm(__)m

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/04/22 11:49:36
    RE: RE: RE: きっと届いたのでしょうね!
    > 動物は言葉がわからない分大丈夫そうに見えてしまうけど、実はすごく怖かったんでしょうね。

    ほんと、体が大きくても繊細なんですね。
    人間でも動物でも見かけによらないものですね。
    全く、人も動物も見かけで判断してはいけないですね。

    > 東北の方は普段から厳しい自然と向き合っているせいか、忍耐強い方が多そうに見えます。
    > しかし表に出ていないだけで、相当溜め込んでしまっているのかもしれませんね。

    ほんとそうですよね。今頑張っていらっしゃる分、何か月か経ってから悲しみがどっと押し寄せるのではないかと心配です。
    子供たちも何も言わなくてもきっと衝撃や悲しみを溜め込んでいますよね。。。

    > ありましたよ〜。waterlilyさんもですか?
    > 当日も夜中まで停電でした。
    > 停電中はラジオは聞いていたのですが、停電明けに映像で見てショックでした。

    はい、こちらもありました。
    おかかさんの方は当日も停電だったのですか。
    それは詳しい情報が入らず不安だったでしょう。
    あの映像はほんとにショックでしたよね。
    私は家人の話ですと夢でもうなされて大声で叫んでいたらしいです。
    まして、あの光景を実際に目の前でご覧になった方々はどんな思いでいらっしゃることか……想像を絶します。。。

    > いい詩ですね。
    > 中学生にこのように言わしめるゼノ修道士の深い愛情。
    > 愛情を受けてこのような言葉を紡ぎ出せる中学生。
    > どちらも尊いですね。

    ね、温かくて良い詩ですよね。
    この大震災で宮澤賢治の雨ニモ負ケズがよく朗読されていますが、同じく敬愛する賢治がナリタイと願って書いた人物像に、コルベ神父さまやゼノ修道士に重なるものを感じています。
  • sekkoさん 2011/03/09 21:35:56
    感動の旅行記をありがとうございます
    waterlilyさん、

    コルベ神父様を訪ねた旅… なんて素敵な旅をなさったことでしょう。
    私も実家がカトリックで、子供のころにコルベ神父さまやゼノ神父さまの本を読みました。聖母の騎士も読んでいました。
    こうして実際にコルベ神父様の足跡を訪ねられた方の旅行記が読めるなんて、とてもうれしいです。

    waterlilyさんの写真と文章からは、waterlilyさんの優しくて真摯なお人柄のあふれていますね。
    この旅行記を通じて、多くの方にコルベ神父さまのことが伝わることができたことも本当にすばらしいです。

    いろいろな意味で、ありがとうございました。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/10 01:28:36
    RE: 感動の旅行記をありがとうございます
    sekkoさん、
    こんなに自己満足の旅行記をご覧くださって、メッセージも頂きありがとうございます。
    とっても嬉しいです(*^_^*)

    > コルベ神父様を訪ねた旅… なんて素敵な旅をなさったことでしょう。
    > 私も実家がカトリックで、子供のころにコルベ神父さまやゼノ神父さまの本を読みました。聖母の騎士も読んでいました。
    > こうして実際にコルベ神父様の足跡を訪ねられた方の旅行記が読めるなんて、とてもうれしいです。

    sekkoさんも聖母の騎士を読んでいらしたって!
    またまた嬉しい驚きです☆
    ご両親さまはフランシスコ会でいらしたのしょうか。
    そのような慈しみのもとでお育ちになられたsekkoさん、何て素晴らしいことでしょう!
    それをお聞きして、私の方こそ嬉しいです。

    > waterlilyさんの写真と文章からは、waterlilyさんの優しくて真摯なお人柄のあふれていますね。
    > この旅行記を通じて、多くの方にコルベ神父さまのことが伝わることができたことも本当にすばらしいです。

    いえいえ、優しくて真摯なのはコルベ神父さまであって、私は意志薄弱で愚かな罪人なのですが、もったいないお言葉をありがとうございます。
    ついつい想いが入りすぎて、旅行記というよりコルベ神父偉人伝のようになってしまいましたが、このような稚拙な旅行記でもどなたかにコルベ神父さまの素晴らしさが伝わったとしましたなら、こんなに幸せなことはありません。
    こちらこそsekkoさんのお言葉、とても嬉しく本当にありがとうございました☆
  • エンリケさん 2011/03/02 23:07:57
    旅の終着駅〜ニエポカラノフ修道院
    waterlilyさん

    こんばんは。
    ついにポーランド旅行記、完結されたんですね。
    このまま書店に置いてもいいくらいの大作に仕上がっていて、非常に感銘を受けました。

    コルベ神父、記憶の片隅にちょっぴり残っているくらいのひとだったのですが、waterlilyさんの旅行記を読んで、悲しくも美しい、そしてなにものにも負けない崇高な強い意思を持った人物の物語を思い出しました。

    “本当に強い人は誰も傷つけない、弱いものが弱みを見せまいとして他人を傷つける”という名言を聞いたことがありますが、コルベ神父の物語はまさにそのことを考えさせられますね。

    waterlilyさんが撮られた一連のコルベ神父の写真や絵画の写真も素晴らしいです。
    waterlilyさんの、多くのひとにコルベ神父の物語を伝えようと一生懸命になっているお姿が目に浮かび、思わず敬服してしまいました。

    本当に美しい物語をご紹介いただきありがとうございました。

    ロンドンから始まりポーランドのニエポカラノフで終わった一連の旅行記、本当に素晴らしかったです。

    今年もまた素敵なところを旅されて、こんな素敵な旅の物語をわれわれにご紹介いただけることを期待しています!

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/03 17:20:04
    RE: 旅の終着駅〜ニエポカラノフ修道院
    エンリケさん、こんにちは♪

    > ついにポーランド旅行記、完結されたんですね。
    > このまま書店に置いてもいいくらいの大作に仕上がっていて、非常に感銘を受けました。

    大作だなんてとんでもないです。もう自己満足全開の旅行記でお恥ずかしい限りなのですが、それにもかかわらずお優しいお言葉を頂きとても嬉しくありがとうございます。
    コルベ神父さまのことが少しでも知りたくていろいろな本を何度も読み返しては惹き込まれてしまっている内に、旅行記作成がこんなに遅くなってしまいました。

    > コルベ神父、記憶の片隅にちょっぴり残っているくらいのひとだったのですが、waterlilyさんの旅行記を読んで、悲しくも美しい、そしてなにものにも負けない崇高な強い意思を持った人物の物語を思い出しました。
    >
    > “本当に強い人は誰も傷つけない、弱いものが弱みを見せまいとして他人を傷つける”という名言を聞いたことがありますが、コルベ神父の物語はまさにそのことを考えさせられますね。

    ほんと、エンリケさんのおっしゃるとおり、真に強い人は誰も傷つけないのですよね。
    コルベ神父さまはナチス兵に対しても、人間としての弱さ故に自分のしていることが解らないだけなのだと、大きな御心でとらえていらしたような気がします。
    どうして身代わりになるのかと尋ねた一人のナチス兵に、このことであなたが苦しまないように祈りますとお答えになられたという文を読んだことがあります。

    > waterlilyさんの、多くのひとにコルベ神父の物語を伝えようと一生懸命になっているお姿が目に浮かび、思わず敬服してしまいました。
    >
    > 本当に美しい物語をご紹介いただきありがとうございました。
    >
    > ロンドンから始まりポーランドのニエポカラノフで終わった一連の旅行記、本当に素晴らしかったです。

    こちらこそ、エンリケさんの温かいお言葉もったいなくも嬉しく、本当にありがとうございます。
    こんな拙い旅行記でも、コルベ神父さまのような方が実際にいらしたということがどなたかの心に伝わったとしましたなら、こんなに幸せなことはありません。
    エンリケさんがそんな私の思いを解って受け止めてくださったことがとても嬉しく幸せです☆
    重ね重ねありがとうございました。
  • カメちゃんさん 2011/03/02 16:22:17
    新たな宿題(^^)
    waterlilyさん こんにちは!

    コルチャック先生に続くマキシミリアノ・コルベ神父のお話、とても感動的でした。
    waterlilyさんはとってもよい旅をなされたんだな〜と、しみじみ感じています。
    旅は「出会いと学び」であるとつねづね思っていますが、waterlilyさんのご旅行は本当に大きな意義のある出会いと学習の旅でもあったんですね。

    聖アンナ教会での出会いやコルベ神父博物館での出会いも、本当に嬉しいことでしたね。
    「目的と意志を持って活動すれば、社会は必ず受けて止めてくれる」
    waterlilyさんの旅もその通りになって、なんだか私まで嬉しくなってしまいました。

    お話の中で、その時代のメディアを前向きに受け止められたコルベ神父の姿勢に、私は感動しました。人の言うことをオウム返しに言っている人の多いのが世の常ですが、その時代の可能性を自分の信ずる道の中に活かしていく先取の心は、コルベ神父ならではの「愛の実践」と不可分のものだったと思われるのです。

    聡明な方でありながら常に人々とともにあり、ついには餓死刑の身代わりとなったったコルベ神父!!
    神を信じ、人を愛し信頼して、その道を真っ直ぐに貫いた彼の信念と優しさに、私は何を学んだらよいのか??大きな宿題を課せられたような気がします。

    時代は大きく変わり、一見平和な周囲を見れば人々は僅かな「豊かさ」とデジタル技術の前で右往左往しています。それが、格差を生み出す社会的土壌にもなっているとすれば、このようなときの私たちの「愛」は如何にあるべきか? 考えることは尽きません。

    きょうは、勉強になりました。
    ありがとうございました。
    カメちゃん

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/02 21:52:17
    RE: 新たな宿題(^^)
    カメちゃん、こんにちは♪
    ありがとうございます。
    全く、コルベ神父さまを訪ねたこの旅行は感動の連続でした。
    出発前からコルベ神父さまへの想いが一杯でしたので、出来事の数々を振り返っては、あれは本当に不思議だったね、想いが伝わったのかしら、と今でも何度も繰り返し話しています。
    御ミサが終わったらシスターにもう一度ゆっくり御礼を申し上げようと思いましたのに、途中でいなくなってしまわれたのも何だか夢の中のような出来事でした。

    先取の心、ほんとカメちゃんさんのおっしゃる通りですよね。
    人々を救うための布教に関しては現代技術に惜しみなく投資され、一方ご自分の為にはひたすら清貧の生活を送られた無私のお姿にも心打たれます。

    コルベ神父さまから学ぶもの、同じく私も大きな宿題を頂いた気がします。
    コルベ神父さまほどの清貧や従順の生活は、私には到底出来ないことですが、そのお気持ちを少しでも学ぶことが出来たら、、、と。
    つまりは自分だけの幸せでなく、人のために、ということですよね。
    それでもなかなか難しいことですが、コルベ神父さまの生き方を思うだけで、とても勇気づけられ励まされます。
    亡くなられてもなおこんなに励ましてくださるなんて、まさに聖人でいらっしゃいますね。

    こちらこそ、こんな自己満足の旅行記を読んでくださって温かいメッセージも頂き、本当にありがとうございました。
    カメちゃんはもうすぐ中国ですね。
    どうかお身体にお気をつけて、一杯楽しんでいらしてくださいね(^^♪
    良いご旅行になりますように☆
  • くまのみホヌ子さん 2011/03/01 23:24:34
    ゼノ死ぬひまない
    waterlilyさん、こんにちは♪

    タイトルを見たとたん心臓が止まるほど驚きました。
    私もコルベ神父様は大好きです。
    かつては、聖母の騎士の月刊誌を毎月とっていました。
    といっても、最初は特にコルベ神父のことは知らなくて
    子供の頃、お世話になった幼稚園がカトリック教会で、
    田舎(横手)の教会にしてはめずらしく(今思えば)毎月の読み物が聖母の騎士だったので慣習でとっていただけでした。
    高校生ぐらいから、コルベ神父のことを知って感動し
    長崎でコルベ神父と一緒に伝道していたゼノ修道士の本なども読んでいました。
    だから、waterlilyさんの旅行記の表紙のコルベ神父の写真は
    私の、忘れかけていた遠い記憶を呼び覚ましました。

    聖アンナ教会でシスターにいただいたメダイ。
    まるでコルベ神父が日本人であるwaterlilyさんを導こうとお渡しになったようです。
    メダイのアップの写真に心を動かされました。
    このメダイはwaterlilyさんを導いただけではなく、これを見た4トラメンバー(私を含む)の魂をも、導いてくださいました。

    そして、何よりも私の魂を揺り動かしたのは、ニエポカラノフ修道院のコルベ神父さまの像です!!!
    こちらを向いて、メダイを持った手を差し出している姿。
    世俗の欲望にまみれ、つまらない事で思い悩み、つまづいている私に手を差し伸べられているようで涙が止まりませんでした。
    waterlilyさんが、聖アンナ教会のミサで受けた
    >それは喜びや感動というだけのものではない、何か不思議に知らず知らずのうちに溢れる涙でした。
    言葉では言い表せない、神聖なるものにふれたときに出る涙とでもいいましょうか。
    ただただ、目から溢れるものを止めることが出来ませんでした。

    神様が天にお呼びくださる最後の最後まで
    自分の命は自分のためではなく
    他人のために燃やし続けたコルベ神父様。
    私は、そこまで強い人間にはなれないけれども
    この旅行記を読んで
    いただいた命、いただいた人生の残りの時間の使い方を
    ちょっと立ち止まって考え直してみるいい機会になりました。
    ゼノ修道士が言っていた言葉「ゼノ死ぬひまない」をつぶやいてみたりして。

    最近、ちょっと疲れ気味だったので何もかもが億劫になっていましたが(ごめんなさい)
    こうして、コルベ神父様の物語を読むことができたのも何かのお導きでしょう。
    waterlilyさんと4トラで知り合えたことに感謝します。
    心から、ありがとう。
    4トラで、こういう出会いっていうのもあるんですねー。

    主の平和

       のみホ

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/02 13:13:54
    感激です!!
    わぁ!! ホヌちゃん〜!
    私も驚きです〜!!
    ホヌちゃんもコルベ神父さまが大好きで、しかも聖母の騎士誌を毎月とっていらしたなんて!!
    何て嬉しい驚き!!!
    聖母の騎士誌を読んでいたという方はホヌちゃんが初めてです。
    もうただただ感動です。
    ホヌちゃんのその教会は何という名の教会ですか?
    あ、でもこれは個人的なことで差支えがあるかもしれないので、その場合は私の質問は気にしないで読み流してくださいね。

    > メダイのアップの写真に心を動かされました。
    > このメダイはwaterlilyさんを導いただけではなく、これを見た4トラメンバー(私を含む)の魂をも、導いてくださいました。

    何て嬉しいお言葉を!!
    ありがとうございます。
    旅行記をUPして良かった〜。

    > そして、何よりも私の魂を揺り動かしたのは、ニエポカラノフ修道院のコルベ神父さまの像です!!!
    > こちらを向いて、メダイを持った手を差し出している姿。
    > 世俗の欲望にまみれ、つまらない事で思い悩み、つまづいている私に手を差し伸べられているようで涙が止まりませんでした。

    ホヌちゃんのその涙のわけ、とってもとってもよく解ります。
    私もこのコルベ神父さまの像を見るたびに感動してしまいます。
    最初にこの像の前に立った時は、もう驚きと感動で息が止まりそうになるほどでした。
    ほんと、「大丈夫ですよ」と手を差し伸べてくださっているようですよね。

    > 言葉では言い表せない、神聖なるものにふれたときに出る涙とでもいいましょうか。
    > ただただ、目から溢れるものを止めることが出来ませんでした。

    ホヌちゃんのそのお気持ち、それ以上の言葉はなくてもよ〜く解ります。
    ホヌちゃんと思いを共有出来てとても幸せです。

    > 神様が天にお呼びくださる最後の最後まで
    > 自分の命は自分のためではなく
    > 他人のために燃やし続けたコルベ神父様。
    > 私は、そこまで強い人間にはなれないけれども
    > この旅行記を読んで
    > いただいた命、いただいた人生の残りの時間の使い方を
    > ちょっと立ち止まって考え直してみるいい機会になりました。

    ありがとうございます。
    私も同じです。とても大きな力を頂いた旅行となりました。
    コルベ神父さまのことを思うと頑張れそうで。

    > waterlilyさんと4トラで知り合えたことに感謝します。
    > 心から、ありがとう。
    > 4トラで、こういう出会いっていうのもあるんですねー。

    こちらこそ本当にありがとう!
    4トラでホヌちゃんと出会えたのも神様がお導きくださったことなのですね。
    偶然ではない必然の出会い、とても幸せです☆彡

    くまのみホヌ子

    くまのみホヌ子さん からの返信 2011/03/02 20:24:04
    眠れませんでした
    waterlilyさんが伝えてくれたコルベ神父様の優しさにふれて
    昨夜は感動のあまり眠れませんでした。
    聖アンナ教会でメダイをくださったシスター
    電車で降りる駅を教えてくれた人
    コルベ神父が本当に使っていた部屋へ案内してくれた人
    いろいろな人たちの手や口を借りて神様がwaterlilyさんを導いてくださったとしか思えません。
    そして、その恩恵にわずかながらあずかっている私です。
    waterlilyさんと知り合いになれて本当によかった!

    印刷機で本を発行して布教していこうと考えたコルベ神父様
    現代に生きていらっしゃったら、きっとネットでも布教活動しようとしていたことでしょう。
    ブログも立派な布教の道具ですね。

    私が育った教会は、秋田の横手カトリック教会です。
    (私の実家が横手であることは自分の旅行記のネタにしているくらいなので、今更隠す理由もありません。)
    今、ネットで調べてみたら併設していたのは幼稚園ではなくて保育園でした。
    (どっちでもいいですけど・・・・)
    信者も少ないので、小さな小さなお御堂です。
    雪につつまれたかわいいお御堂の写真があったので、よかったら見てね。
    http://www.niigata.catholic.jp/kyoukuannai/kyoukai/show.php?bango=37

      のみホ

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/02 21:42:23
    RE: 眠れませんでした
    > waterlilyさんが伝えてくれたコルベ神父様の優しさにふれて
    > 昨夜は感動のあまり眠れませんでした。
    > 聖アンナ教会でメダイをくださったシスター
    > 電車で降りる駅を教えてくれた人
    > コルベ神父が本当に使っていた部屋へ案内してくれた人
    > いろいろな人たちの手や口を借りて神様がwaterlilyさんを導いてくださったとしか思えません。
    > そして、その恩恵にわずかながらあずかっている私です。
    > waterlilyさんと知り合いになれて本当によかった!

    まぁ、そうでしたか。
    嬉しいお言葉を本当にありがとうございます(感涙)
    実は私もホヌちゃんのメッセージに感激のあまり、わぁ〜っと夢中でお返事を書いたものですから、後でゆっくり読んだら誤字脱字のオンパレード。
    それで何回も削除して書き直したのですが、ホヌちゃんのところに一杯お知らせが届きませんでしたか?(^_^;)

    > 印刷機で本を発行して布教していこうと考えたコルベ神父様
    > 現代に生きていらっしゃったら、きっとネットでも布教活動しようとしていたことでしょう。
    > ブログも立派な布教の道具ですね。

    ほんとほんと、私もホヌちゃんと全く同じことを思いました。
    現代に生きていらっしゃったら、間違いなくネットを使われたと。
    現在のニエポカラノフ修道院のHPがあって、行く前にはそれを見てPCのお気に入りにも入れてあるのに、今ホヌちゃんにそのサイトをお伝えしようとしたら、何故か「見つかりません」という表示が出てしまうの。↓
    http://www.niepokalanow.pl/
    何故〜(・・?

    教会を教えてくださってありがとう〜☆
    横手らしい雪に包まれたとても可愛い教会ですね。
    お伽の国の教会のようで素敵!
    歴史の所も拝見したのですが、6人目の教区長さまはやはりフランシスコ会の方なのですね。
    こんなに可愛い教会の保育園でホヌちゃんの優しさは育まれたのね☆彡

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/02 22:14:37
    追記
    そうそう、夫もホヌちゃんのメッセージを読んでとても驚いていました。
    ホヌちゃんとの出会いもコルベ神父さまが導いてくださったことなのだと今確信しています。
    コルベ神父さま、ホヌちゃんと出会わせてくださってありがとうございます☆

    くまのみホヌ子

    くまのみホヌ子さん からの返信 2011/03/03 21:35:04
    そうだったのか
    またまたおじゃましてしまいました。

    > 実は私もホヌちゃんのメッセージに感激のあまり、わぁ〜っと夢中でお返事を書いたものですから、後でゆっくり読んだら誤字脱字のオンパレード。
    > それで何回も削除して書き直したのですが、ホヌちゃんのところに一杯お知らせが届きませんでしたか?(^_^;)

    来てました来てました!!(笑)
    あれ?返信は1つなのにおかしいなぁと思っていました。

    > 現在のニエポカラノフ修道院のHPがあって、行く前にはそれを見てPCのお気に入りにも入れてあるのに、今ホヌちゃんにそのサイトをお伝えしようとしたら、何故か「見つかりません」という表示が出てしまうの。↓
    > http://www.niepokalanow.pl/
    > 何故〜(・・?

    ちゃんと開けましたよ。大丈夫。
    でも、最初みたときにポーランド語じゃーん、わからないようと泣きそうになりました。
    そのあと、翻訳できることに気がついてちゃんと日本語で見ることができました。
    (でも、自動翻訳だから笑えるほどおかしな日本語になっていて・・・ごめん、笑ってしまいました。)
    とてもいいHPを教えてくれてありがとう!
    私もお気に入りに入れておきました。

    > 教会を教えてくださってありがとう〜☆
    > 横手らしい雪に包まれたとても可愛い教会ですね。
    > お伽の国の教会のようで素敵!
    > 歴史の所も拝見したのですが、6人目の教区長さまはやはりフランシスコ会の方なのですね。

    そうだったのか!
    それで昔から聖母の騎士を教会であつかっていたのね。
    あんな田舎の小さな教会です。
    子供の頃から見慣れた聖母の騎士しか情報誌はありませんでしたから、
    世の中にはカトリックの情報誌は聖母の騎士しかないものだと思っていました。
    東京にでてきてビックリです。
    実は、いろんな情報誌があったんですねー。
    本当に、素朴な田舎もんでした。恥ずかしい・・・
    保育園時代の話をすると長くなりますが、ひとりだけ特別に保育年数も保育時間も長い子だったと母から聞きました。
    だから、こっそり聖堂の中に入って遊んでみたり、司祭館では自分の家のようにおやつをもらって食べたりしていました。
    (「汚れなき悪戯」と言う映画のマルセリーノ坊やみたいなかんじです)
    んんー、この教会のネタはつきないのでまた今度。。。

    waterlilyさんのおかげで、自分自身の原点を見つめなおすいいきっかけとなりました。
    ありがとうございます☆^0^
    昨夜も、今日も、コルベ神父様のことを考えるととても幸せを感じています。
    そしてこれからも・・・

       のみホ

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/03 22:41:01
    可愛い〜♪
    > 来てました来てました!!(笑)

    ふふ、やっぱり?
    嬉しさのあまりもう見直しもしないでダダ〜ッと書いてしまったのよ(*^_^*)

    ニエポカラノフのHP、私も今日は開けました。
    昨日はいったい何だったのでしょう(・・?
    ほんと、ポーランド語で全く解らないですし、翻訳サイトを使っても変な日本語になりますよね。
    でもコルベ神父さまのお写真を見ることが出来るので嬉しい♪

    > そうだったのか!
    > それで昔から聖母の騎士を教会であつかっていたのね。
    > あんな田舎の小さな教会です。
    > 子供の頃から見慣れた聖母の騎士しか情報誌はありませんでしたから、
    > 世の中にはカトリックの情報誌は聖母の騎士しかないものだと思っていました。
    > 東京にでてきてビックリです。
    > 実は、いろんな情報誌があったんですねー。

    日本でフランシスコ会の方は(多分)少ない方だと思うので、ホヌちゃんはほんとに貴重な体験をされましたね。
    その6人目の佐藤敬一教区長さまって、日本のフランシスコ会の歴史上とても高名な方のようですよ。
    そして、ホヌちゃんの教会のページで、米沢に53人もの殉教者がいらしたことを初めて知りました。
    長崎だけかと思っていたのですが、そうではなかったのですね。
    ホヌちゃんが保育園のHPを教えてくださったおかげで、いろいろなことを知ることが出来ました。
    本当にありがとう〜。

    > 保育園時代の話をすると長くなりますが、ひとりだけ特別に保育年数も保育時間も長い子だったと母から聞きました。
    > だから、こっそり聖堂の中に入って遊んでみたり、司祭館では自分の家のようにおやつをもらって食べたりしていました。

    可愛い〜!(*^_^*)
    優しいホヌちゃんは皆に愛され可愛がられたのでしょうね♪
    ほんとに貴重な保育園時代ですね。
    その保育園話聞きたい〜(^^♪
    世にキリスト教系の保育園や幼稚園は沢山あるけれど、たとえそういう幼稚園に通っていたとしても、ホヌちゃんのように大人になってもその精神を大切に心に刻んでいる人は少ないと思います。
    コルベ神父さまの聖母の騎士誌で育ったホヌちゃん、何て素晴らしいことでしょう!
    コルベ神父さまが蒔かれた種がホヌちゃんの所にも届いて花開いたのですね。
    聖母の騎士会、バンザイ!!
  • 唐辛子婆さん 2011/03/01 00:05:15
    涙がこぼれました
    waterlilyさん

    >幸福って、裕福でも地位があることでもなく
    >人を真に愛し赦し赦され感謝する慎ましやかな生活と心の中に
    >あるのだという当たり前のことを再確認した旅行でした。

    涙がこぼれました。
    悲しみや苦しみが溶け落ちていく気分です。

    力作に感謝の気持ちをささげます。
    ありがとうございました。

    唐辛子婆

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/01 16:11:52
    RE: 涙がこぼれました
    唐辛子婆さん、
    こちらこそ唐辛子婆さんの御心のこもったメッセージ、とてもとても嬉しく幸せな思いで拝読しました。
    ありがとうございます。

    私もコルベ神父さまのことを思いますと自分の悲しみなんてあまりに小さくて、こういう方が実際に存在していらしたと思うだけで励まされ勇気づけられます。

    温かいメッセージ、本当にありがとうございました。
  • コクリコさん 2011/02/28 23:47:48
    waterlilyさんの手にも奇跡のおメダイが。
    waterlilyさん、こんばんは。

    感動的な旅行記を読ませていただきありがとうございました。

    これでやっと繋がりました。
    私はコルベ神父、長崎のルルド、パリの奇跡のメダイユ教会・・・とそれぞれバラバラに知ったり、聞いたりしていたもので、waterlilyさんの旅行記を読んでやっと全部繋がったということです。

    コルベ神父のお話はかなり前に聞いたことがありましたが、他人の身代わりになってナチスドイツにより餓死刑となったというショッキングなことばかり心にこびりついて、、、暫くはこのような人がこの世にいたのかと驚くばかりでwaterlilyさんのように深く調べるまでには行き着きませんでした。

    別の時に長崎にもルルドの泉があるという話を聞いた時は「えーっ、何で?変なの」と思っただけでした。
    長崎にルルドの泉があると教えてくださった方はコルベ神父のことは知らなくて、単に私に「長崎にもルルドの水がある」とおっしゃっただけだったので、話はそこまでで終わってしまいました。
    ですから、コルベ神父が奇跡(不思議)のおメダイをいつもたくさん持っていらしたことなど知らずwaterlilyさんの旅行記で初めて知りました!

    waterlilyさんが「コクリコさんの旅行記に大きく関係していることなのです」とおっしゃっていたのはこのおメダイのことだったのですね!
    それとルルドのベルナデッタが晩年を過ごしたヌヴェールでのことも少々かな?

    ワルシャワの聖アンナ教会での出来事、私まで心が震えてきました。
    waterlilyさん御夫妻の手に奇跡のおメダイを差し出した修道女は、コルベ神父さまの御使い、あるいはカトリーヌ・ラブレーその人だったのかも、と思えてしまうほどでした。

    ミサの間、waterlilyさんの目にあふれる涙は「喜び、感動」というものではなく、と書かれてありましたが、本当に。
    それを「不思議」「神秘」「奇跡」という日本語ともちょっと違うmiracleを何て訳して良いかわかりませんが心から湧き上がる大きな聖的なものだったような気がします。

    そうそう、奇跡のメダイユ教会で聖母マリアさまから預かったあのアルミ製のおメダイね、T婆さんやKちゃんにお届けしましたよ。
    本物の金銀ではなくアルミ製というのが良いわね(^^)v
    全ての人にマリアさまのご加護があるようにと、高いものではないのですものね。
    ふふふ、皆な同じおメダイ(私のはフランス語で書かれていますが)を持っているなんて、目にみえない何か繋がりがあったのですね♪

    長くなってしまったので今夜はここで終わりにしますね。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/01 16:03:12
    RE: waterlilyさんの手にも奇跡のおメダイが。
    コクリコさん、
    こんなに長い独り善がりな駄文を読んでくださってありがとうございます。

    > waterlilyさんが「コクリコさんの旅行記に大きく関係していることなのです」とおっしゃっていたのはこのおメダイのことだったのですね!

    そうなんです。そして、ルルドのことも。
    コルベ神父さまも学生時代、右手の親指の腫物がひどくなり医師から切断しなくてはならないと言われた時、学長神父さまがルルドの水をくださって、それを医師が適用したところ快癒したという経験があるのだそうです。
    その学長神父さまも同様に足を悪くして切断の危機にあった時にルルドの水で奇蹟的に快癒し、その時無信仰者であった担当医師は自費で教会を建てたのだそうです。
    また、長崎に来る時、コルベ神父さまはフランスのリジューとルルドに寄っていらしたそうです。
    その時パリの奇跡のメダイユ教会にも立ち寄られたかどうか、コルベ神父さまに関する本は十数冊を夢中で読んだのですが解りませんでした。
    読み落としたかも知れないのですが……
    でもおそらく立ち寄られましたよね。
    コクリコさんはリジューにはいらしたことがありますか?

    長くなるので割愛したのですが、コルベ神父さまも子供の頃聖母マリアの御出現をご覧になったのだそうです。
    それを母以外には生涯誰にも話さなかったのだそうですが、特別な人と思われたくなかったのか、或いは子供の時の幻想かもしれないと確信が持てなかったのか解らず……

    > ワルシャワの聖アンナ教会での出来事、私まで心が震えてきました。
    > waterlilyさん御夫妻の手に奇跡のおメダイを差し出した修道女は、コルベ神父さまの御使い、あるいはカトリーヌ・ラブレーその人だったのかも、と思えてしまうほどでした。

    御使い! ほんと、そうかも知れませんね!
    小さなお身体の痩せた方で、少しお歳を召した、とても質素な雰囲気のシスターでした。
    今でもそのシスターのお優しい笑顔が忘れられません。

    > ミサの間、waterlilyさんの目にあふれる涙は「喜び、感動」というものではなく、と書かれてありましたが、本当に。
    > それを「不思議」「神秘」「奇跡」という日本語ともちょっと違うmiracleを何て訳して良いかわかりませんが心から湧き上がる大きな聖的なものだったような気がします。

    嬉しいお言葉をありがとうございます。
    まさにコクリコさんがおっしゃってくださったような気持ちでした。

    > そうそう、奇跡のメダイユ教会で聖母マリアさまから預かったあのアルミ製のおメダイね、T婆さんやKちゃんにお届けしましたよ。
    > 本物の金銀ではなくアルミ製というのが良いわね(^^)v
    > 全ての人にマリアさまのご加護があるようにと、高いものではないのですものね。
    > ふふふ、皆な同じおメダイ(私のはフランス語で書かれていますが)を持っているなんて、目にみえない何か繋がりがあったのですね♪

    ほんとですね(^^) 嬉しい〜♪
    私もニエポカラノフで幾つか頂きましたので、このおメダイを迷惑に思われなさそうな方に差し上げています。
    聖アンナ教会で頂いた3つのおメダイは、夫と自分と娘が一つずつ持ちました。
    娘はもう既に奇蹟のおメダイを持っていたのですが、この時頂いたおメダイは特別な気がして。

    あ、嬉しくてまた長くなってしまいました(^_^;)
    読んでくださって本当にありがとうございました。

    コクリコ

    コクリコさん からの返信 2011/03/01 22:39:03
    RE: リージュ
    > コクリコさんはリジューにはいらしたことがありますか?

    行ったことがないので、調べてみたらMikaさんとおっしゃるトラベラーさんの旅行記にありました。
    http://4travel.jp/traveler/shiplife/album/10317877/

    とても魅力的な町で、コルベ神父さまがなぜ訪れたのかわかるような気がしました。
    その地は「イエスの小さき花」といわれた聖女テレーズのゆかりの地で、セント・テレーズ聖堂というバジリカがあります(今知ったぎかりですが^^;)
    聖女テレーズをきっとコルベ神父さまは敬愛されていたのだと思います。
    ベトナムのハノイに宣教師として赴くことを熱望していながら24歳の若さで病死した修道女だそうです。
    1873年生まれで1897年に亡くなったとのこと。コルベ神父より少し前の方ですが、テレーズのことは聞いていたのでしょうね。
    テレーズは死期が近づいてきた時にこの世への天の贈り物として「バラの花の雨(奇跡と恵)を降らせる」と約束したそうですよ。

    コルベ神父と奇跡のおメダイとのいきさつはわからないままなのですね。
    ポーランドの教会でも同じおメダイを作ることができるということは同じ修道会だったのでしょうか。
      
    いろいろありますので、どんな方にもおメダイを差し上げることはできませんよね。
    宗教的なこともあるし、、、今のところは差し上げた方皆さん喜んでくださっています。
    小さいアルミのメダイなのに、なんでこんなに喜んでくださるのかな〜と不思議な気がします。

    またまた長くなりそうなので、今日はこの辺で。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/02 00:28:02
    ありがとうございます。
    わぁ、調べてくださったのですね。
    ありがとうございます。
    早速今拝見に伺って参りました。
    ほんとに美しく魅力的な町なのですね。

    リジューの聖テレジア、そうなんです。
    それに関して面白いお話があるんですよ。
    コルベ神父関連の本で読んだのですが、コルベ神父さまは学生時代に聖テレジアと契約を交わし、毎日聖テレジアの列聖の為に祈るから自分の事業の保護者になってくださるようにと願っていたのだそうです。
    聖テレジアは1925年に列聖されていますから、コルベ神父さまの祈りが通じたのですね。
    で、長崎にニエポカラノフを創立してから2年後インドにおける布教を考えてインドにも行かれ、カトリック大司教館の廊下に置かれていた聖テレジアの像に向かい、「小さき姉妹よ、覚えていますか」と尋ねた時、花瓶からひとひらのバラに似た花がコルベ神父さまの足元に落ちてきたのだそうです。
    小さき姉妹聖女テレジアは兄弟コルベ神父さまとの契約を守って、ニエポカラノフの飛躍に力を貸してくれたわけですね。
    何だか面白いお話でしょ(^^)
    コルベ神父さまって秀才ではあるけれど、同時にそういう子供のように無垢でひたむきな純粋さがある方だったみたいです。
    そのために、ポーランドの他のカトリック神父たちからは誤解も受け、マリア狂信者だと反感を買い、当初は敵も多かったのだとか。

    > テレーズは死期が近づいてきた時にこの世への天の贈り物として「バラの花の雨(奇跡と恵)を降らせる」と約束したそうですよ。

    なるほど、それでコルベ神父さまはバラに似た花びらが落ちてきたのを喜ばれたのですね。

    > コルベ神父と奇跡のおメダイとのいきさつはわからないままなのですね。

    これは私の勝手な解釈なのですが(^_^;)、コルベ神父さまは子供の時に聖母マリアの出現に出会っておられるので、同じく出現に出会ったカトリーヌ・ラブレやベルナデッタに対し特別な親愛の情を抱いていらしたのではないかと想像しています。
    それで、学生時代、聖母の騎士会を設立した時に、奇蹟のおメダイを‘弾丸’とすると決められたのではないかと。
    そして、同様にそれで長崎にもルルドを作られたのではないかという気がしています。

    > ポーランドの教会でも同じおメダイを作ることができるということは同じ修道会だったのでしょうか。

    同じカトリックではありますが、たぶん修道会としては違いますよね。
    ニエポカラノフはコンベンツアル聖フランシスコ修道会だと思うのですが、奇蹟のおメダイ教会は何という修道会になるのですか?
    奇蹟のおメダイ教会の歴史を全く知らなくて……

    > いろいろありますので、どんな方にもおメダイを差し上げることはできませんよね。

    そうなのですよね。
    コルベ神父さまもある時プロテスタントの人に奇蹟のおメダイを差し上げたところ、「マリア信仰は無いので」となかなか受け取ってもらえなかったことがあるそうです。

    > 小さいアルミのメダイなのに、なんでこんなに喜んでくださるのかな〜と不思議な気がします。

    それはコクリコさんのお優しいお気持ちがお相手に伝わるからですよ(*^^)v
    喜んで頂けるとこちらも嬉しいですよね♪

    いろいろ教えてくださって本当にありがとうございました(*^_^*)
  • エトランゼさん 2011/02/28 19:54:06
    感動的なお話でした。
    waterlilyさん、こんばんは。

    あまりに感動的なお話だったのですぐにはコメントできませんでした。
    恥ずかしいことにコルベ神父様のことを知りませんでしたので早速ネットで調べてみました。

    ゼノ修道士と一緒に日本にいらしたのですね。
    ゼノ修道士はずっと日本にいらしたのでその人となりは知っていましたがコルベ神父様のことはなぜか気づきませんでした。

    神に仕える方は本当に崇高で気高くていらっしゃいますね。

    素敵な写真とともに感動的な物語を読ませていただきありがとうございました。

         エトランゼ

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/28 22:46:03
    RE: 感動的なお話でした。
    エトランゼさん、
    こんな長いばかりで自己満足の旅行記を読んでくださってありがとうございます。

    ゼノ修道士もとても立派な方ですよね。
    コルベ神父さまの元へ来るまでのゼノ修道士は放浪の生活を送っていたそうですが、コルベ神父さまに出会って一変し、コルベ神父さまにどこまでも従ってついて行こうと心に決められたのだそうです。
    共に長崎で働かれたセルギウス修道士の本で読んだのですが、(大体このような内容だったかと) ゼノ修道士は短気だったのでセルギウス修道士とゼノ修道士は喧嘩することもよくあり、そんな時、ゼノ修道士はコルベ神父さまのお部屋に行き、ひざまずいて泣きながら「私は本当にだめな人間です」といつもとても素直に謝られのだそうです。
    コルベ神父さまは勿論ですが、聖母の騎士修道院のだれもがものすごく素直で従順で純真な方々だったのだと、またまた感動してしまいました。

    あ、嬉しくてついお返事までまた長くなってしまい、申し訳ありません。
    こちらこそエトランゼさんのメッセージ、とても嬉しく、本当にありがとうございました。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/10 12:43:44
    RE: RE: 感動的なお話でした。
    追記:
    上↑で、ゼノ修道士は放浪の生活を……と書いてしまいましたが、正確には職を転々とした(放浪のような)生活、ですよね。
    ゼノ修道士の名誉の為にも申し訳ないことをしてしまいました。ごめんなさい。
    取り急ぎ修正ですm(__)m

    エトランゼ

    エトランゼさん からの返信 2011/03/10 19:41:08
    RE: RE: RE: 感動的なお話でした。
    waterlilyさん、ご丁寧にありがとうございます。

    そうでしたね。
    ゼノ修道士は日本中を転々として奉仕生活をされていたのでしたよね。

    ずいぶん前に教皇様が日本にいらしたときにゼノ修道士と会われましたが、その時の映像がいまだに忘れられません。

         エトランゼ

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/03/10 21:00:21
    RE: RE: RE: RE: 感動的なお話でした。
    そうそう、コルベ神父さま亡き後も、その志を受けて日本中で奉仕生活によく働かれましたよね。
    教皇様とお会いになった時、感激で泣かれたゼノ修道士、どんなに嬉しくていらしたことでしょう。
    最晩年ではありましたが、お会いになられて本当に良かったですね。
    きっと天国でコルベ神父さまが温かく迎えられたことでしょうね。


  • しろくま&ペンギンさん 2011/02/28 18:06:30
    コルベ神父様
    恥ずかしながら、初めて知りました。
    こんな立派な方がいらしたんですね。
    私のような者が、陳腐な感想を書くのも、気が引けるのですが・・・。
    私も、今の状況に感謝して、目の前の出来る事を一つずつ、努力を重ねていこう、と思いました。
    素敵な旅行記を、ありがとうございました。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/28 22:41:43
    RE: コルベ神父様
    しろくま&ペンギンさん、
    このような自己満足な旅行記を読んでくださってありがとうございます。
    長いばかりでご迷惑をおかけしたのではと心配なのですが、温かいメッセージを頂き、とても嬉しいです。
    そうですよね。私も出来る事を一つずつ、努力していかなくてはと思いました。
    こちらこそ、本当にありがとうございました。

    PS:DHCの‘むずむず’はなかなか効果ありです(^^)
  • zzr-cさん 2011/02/28 09:38:53
    大戦の影響
    waterlilyさま おはようございます。

    ドイツのポーランド占領はこんなところにまで
    及んでいたんですね。

    思想家でもないのにナチスのやり方は、迫害する事で
    国民の目を集中させたのでしょう。

    コルベ神父の学生時代のお写真は日本人だよって言って見せられたら
    信じてしまうかもしれません^^;

    餓死って一番きつい死に方、本当に酷いと思います。

    最近デモ等が多いですが、戦争は絶対にしちゃ駄目ですね。

    じぃ〜

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/28 13:47:49
    RE: 大戦の影響
    じぃ〜さま、こんにちは♪
    ご覧くださってありがとうございます。

    ほんと、学生時代のコルベ神父さまのお写真は、髪の色も濃くて日本人のようですよね。
    我が家でもいつもそれを話しています。
    それもあって個人的に一層親愛の情を感じるのかもしれません。

    餓死のような刑にされるなら、一瞬で天国へ行ける刑の方がまだましですよね。
    今も世界中でテロや紛争が起きていますが、真に平和な世界になる日が来ますように。
    可愛いくーちゃんの世代のためにも☆

  • 空さん 2011/02/27 00:16:20
    戦後 ずいぶんたちますね〜コルベ神父様 はじめて知りました。
    今晩は、waterlily様

    本日 すてきな 青空 どこまでも吸い込まれていきそうな〜〜〜
    宇宙までも届きそうな すてきなお天気でした。
    きっと ポーランドまでも〜〜〜

    目から 水がこぼれそうで〜動悸がしています。
    少しは、私も戦争もの 読んだつもりでしたけど、
    本当に 世の中には 崇高な 方がおられるのですね。。。

    ☆☆闘うべきは誰もの心の中にあるのであって、ドイツに敵対するのではなく、ただ戦争に反対するのだと、コルベ神父は修道院内にドイツ兵のための病舎も設置。☆☆

    読み返しました。有難うございました。♪♪
    私も、胸に響きましたし、反省することばかりです〜〜

    私たちは、心を平和に過ごさなくてはいけないですね〜〜

    :追記 青空のもと 梅祭り行ってきました。平和に感謝ですね。
     
    … 空 … 日付が変わりました。。今日も、がんばります。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/27 18:42:23
    RE: 戦後 ずいぶんたちますね〜コルベ神父様 はじめて知りました。
    空さん、こんにちは♪
    自己満足な旅行記になってしまいましたが、それにもかかわらずご覧くださってありがとうございます。

    昨日今日と爽やかな良いお天気でしたね〜。

    > 目から 水がこぼれそうで〜動悸がしています。
    > 少しは、私も戦争もの 読んだつもりでしたけど、
    > 本当に 世の中には 崇高な 方がおられるのですね。。。

    ほんと、コルベ神父様の崇高な行為を思いますと、目から水が……になりますよね。

    > :追記 青空のもと 梅祭り行ってきました。平和に感謝ですね。

    梅祭り、行ってらしたのですね♪
    後で拝見にお邪魔させてくださいね。
    楽しみです〜♪
  • 大目付さん 2011/02/26 21:52:55
    荘厳なお御堂
    ☆非常に厳かな雰囲気漂う教会ですね。コルベ神父様のことは聞いたことがあります。

    ★ポーランドの作家《シェンケー・ウィチ》の『クオヴァデス』と言う岩波文庫の長編小説を高校時代に読み、甚く感動したことを想い出しました。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/26 22:59:01
    RE: 荘厳なお御堂
    大目付さん、こんにちは♪
    御訪問くださってありがとうございます。

    はい、とても厳かで美しい教会で感動しました。
    クォヴァデスって難解そうな感じがしてなかなか読めないのですが、その上長編ですよね。
    それを高校生の時に既に読まれたって、大目付さんすごいです!
    美術の夏期講習に参加なさったり、本当に充実した高校生活を送っていらしたのですね。素晴らしい〜。
    クォヴァデス、そんなに感動的なのですか。
    大目付さんのお墨付きとあれば是非とも今度読んでみようと思います☆
    素敵な示唆をありがとうございました。

    大目付

    大目付さん からの返信 2011/02/26 23:32:36
    RE: RE: 荘厳なお御堂
    > クォヴァデスって難解そうな感じがしてなかなか読めないのですが、その上長編ですよね。

    ☆何巻まであったか忘れましたが、読む内に段々惹かれていきました。高校時代にはひと月に小説を10冊は読んでいました。
    吉川英治の三国志や宮本武蔵も全巻そろえて読み漁っていました。

    ★大学時代は高校の音楽教師をしていた年上の友人の影響で、大江健三郎の小説や武満徹、シェーンベルクの現代音楽にもはまっていました。クラシック音楽が好きになったのもその頃です。

    ◇その友達の叔父が日本の宇宙ロケット工学の先駆者故・糸川英夫でした。その友達も面白くて非凡です。見かけはゴキブリみたいですけど、ピアノの腕は確かです。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/27 18:35:11
    RE: RE: RE: 荘厳なお御堂
    ひと月に10冊!すごいですね。
    三国志や宮本武蔵は大目付さんがお好きな感じがします(^^)
    そして、武満徹にシェーンベルグ!
    私はそういった現代音楽を聴く機会が殆ど無いのですが、こちらも今度聴いてみますね。

    糸川英夫博士も工学だけでなく、音楽など様々な方面のご趣味がおありだったと聞きますが、大目付さんも大目付さんのお友達も同じく多才でいらっしゃいますね☆

    大目付

    大目付さん からの返信 2011/02/27 20:50:45
    RE: RE: RE: RE: 荘厳なお御堂
    > そして、武満徹にシェーンベルグ!
    > 私はそういった現代音楽を聴く機会が殆ど無いのですが、こちらも今度聴いてみますね。

    武満徹の著書に『音、沈黙と測りあえるほどに』新潮社、1971年
    と言うのがありますがなかなか面白かったです。音楽では水の音だけを収録し、編集した作品がありますがこの曲も興味深いものでした。

    > 糸川英夫博士も工学だけでなく、音楽など様々な方面のご趣味がおありだったと聞きますが、大目付さんも大目付さんのお友達も同じく多才でいらっしゃいますね

    ☆自分は多才といものでなく何にでも興味を持つような好奇心の強い人間というだけです。自分の周りの人は普通?とは少し違った変人が多いのかな?。
    ★この間、オーディオの特許(レコードやカセットテープ全盛の時代にDVDやブルーレイのことを話していました。もう少ししたらこういう物が出るぞと・・・)だけで生活していた伯父が亡くなりました。時間にはすごく厳しい人で、新幹線の時刻表のように正確でした。親戚にも少し変わった人が多いみたいです。

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/27 22:50:39
    RE: RE: RE: RE: RE: 荘厳なお御堂
    『音、沈黙と測りあえるほどに』、難解そうですが、今度頑張って読んでみますね。
    教えてくださってありがとうございます。
    水の音だけを収録した作品って興味深いです。
    何という題の作品でしょう?
    宜しければお教えくださいませ。

    オーディオの特許を持っていらしたなんて、すごい伯父様ですね。
    変わってるなんてことないですよ〜。
    何かに熱中されてひたすら努力される方、大尊敬です!

    大目付

    大目付さん からの返信 2011/02/28 00:26:37
    RE: RE: RE: RE: RE: RE: 荘厳なお御堂
    > 『音、沈黙と測りあえるほどに』、難解そうですが、今度頑張って読んでみますね。

    ☆題名を見れば難しそうですがそんなことはなかったです。機会があれば読んでみて下さい。

    水の音だけを収録した作品って興味深いです。
    > 何という題の作品でしょう?
    > 宜しければお教えくださいませ。

    ☆ 随分昔のことなので申し訳ありませんが、忘れてしまって思い出せません。ウイキペディアやアマゾンで調べても見たのですが・・・・。

    LP「武満徹の音楽2」
    ビクター SJX-7504
    発売:昭和41年(1966)
    ジャケットデザイン 杉浦康平(「水の曲」スコア:音響設計図と波模様のデザインを重ねてモンタージュしたもの)
    定価:2,200円

    1 水の曲(1960)
    第1部 第2部
    9:42

    2 ヴォーカリズムA・I(1956)
    声:水島弘、岸田今日子
    4:05

    3 怪談(1964)--- 松竹映画「怪談」のために
    27:18
    1 木 (第1話「黒髪」から)
    2 雪 (第2話「雪女」から)
    3 琵琶歌 (第3話「耳無し芳一」から)
    4 文楽 (第4話「茶碗の中」から)

    ☆これだったかも知れません。あやふやな答えで申し訳ないです。このジャケットのLPを昔持っていた記憶があります。
    今、CDで出ているかどうかまた調べてみます。m(_ _)m

    waterlily

    waterlilyさん からの返信 2011/02/28 13:35:43
    RE: RE: RE: RE: RE: RE: RE: 荘厳なお御堂
    わぁ、こんなにも調べてくださってありがとうございます。
    ご多忙でいらっしゃることと存じますのに、お時間を割いてくださって本当に感謝です。
    重ね重ねありがとうございました。

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