2011/02/02 - 2011/02/02
459位(同エリア993件中)
ぱっしょんKさん
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今回の旅行の予定は
1月31日、2月1日 デリー
2月2日、3日 アグラ
2月4日 バラトプル
2月5日 カジュラホー
2月6日 デリー 夜帰路につく
2月7日 早朝 広州着
今回の旅行もいつもの旅行同様最大の目的は世界遺産巡りです。1日最低1カ所の世界遺産を巡る計画を立てました
2月2日
この日は朝、6時15分発のBhopal Shtbdi Expでアグラに移動。
地図で見たところ、アグラカント駅とイートガーバススタンドが非常に近い事に着目。朝8:12分到着で、ホテルのチョックインが出来る時間でもないので、そのままファティープル・シークリーにバスで向かう事に。
「旅は道連れ、世は情け」って言いますが、そのバスの中に東洋人が3人と欧米人が1人。欧米人女性はバスを降りると行方不明になってしまいましたが、東洋人3人は行動を共にすることに。
一人は台湾人の学校の先生。一人は韓国人の大学院生、そして一人は中国駐在の日本人おっさん。
台湾人の彼は当然中国語は話せますが、韓国人の彼女はだめ。三人ともなんとか意思疎通のできる英語を駆使しての旅行でした。国籍は違えど、目的は同じ。非常に楽しい1日になりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- 中国南方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
ホテルを5時に出発。ニューデリー駅には5時15分には到着。まだ1時間もあるのでホームで待つ事に。手には印刷したEチケット。
するとペンを持ったインド人がやってきてチケットをチェックしますとのこと。
来た!!
と思いましたが、時間もあったためちょっとだまされたふりして付き合ってみることに。
まず、
1)このインターネットで予約すると席が取れる権利が手に入るだけで、チケットに変える必要がある。(そんな必要はありません。だからEチケットなのです)
2)僕をつれて、ウェイティングリストの機械に連れて行き、チケット番号を放り込み、ほら、出てこないと言う。(チケット発券が終わっているので、もちろんウェイティングリストに番号が出る訳がない)
3)さらに僕を連れ、2階の外国人チケット売り場に階段を駆け上がる。(早朝すぎて鍵がしまり、開いていない)
4)さらにホームに入ろうとしている人に声をかけてもっともらしくチケットのチェックをする。(ニューデリー駅を含めて、駅に入るのにチケットのチェックは一度もされませんでした)
5)向いの通りにある、チケット売り場でチケットを交換しないと列車には乗れない。(どんな場合も駅の外で解決することはありません)
という感じでした。
最後に、僕から、「俺は最初からあんたを信じてないよ」と言ってホームに戻りました。
駅ではチケットのチェックはありません。ホームに入る際は荷物検査だけだと思ってください。
それから、駅の外に行けと言われたら100%嘘です。チケット売り場が駅の中にあるのに、外で解決する訳がありませんから。
ただ噂通り、ニューデリー駅はこの手の詐欺師が多いようです。お気をつけを! -
思いかけず時間つぶしができました。
そうこうしているうちに、Bhopal Shtbdi Expが入線してきました。アグラまで2時間弱の旅です。 -
乗ったのはエアコンチェアーカー。車内はこんな感じでした。この列車は他にエアコンファーストカーが1両連結されていますがあっという間に売り切れていました。
-
イスはこんな感じでリクライニング付き、足置き付きでかなり快適です。これならファーストカーは必要ないように感じました。
値段はニューデリーアグラ間でチェアカー417ルピー、ファーストカー753ルピーです。 -
乗ってすぐにチャイとビスケットのサービスがあります。ポットのなかにはチャイが紙コップ2杯強の量が入っていました。
-
もう何杯も飲んでいるおなじみのチャイです。
-
チャイを飲んでいる時に車掌による検札がありました。
ここまでチケットのチェックはありませんでした。
列車はゆったりと進みます。
インドの線路は新幹線や中国のものより幅が広いので、揺れは少なめです。 -
アグラまで全線複線のはずですが、よくわからないところで運転停車しました。かなり長く停まっていましたから、この時点で遅れる事を覚悟しました。
そうこうしているうちに日の出を迎えました。 -
この列車は朝食付きです。
列車が再度走り出してすぐ食事がきました。ベジタリアンか、ノンベジかの確認があり、ノンベジの食事をお願いしました。
目玉焼きの両面焼きと、パスタを茹でたもの、ライ麦食パンにオレンジジュース。
味は。。。。
まぁ、贅沢はいえませんね。 -
アグラカント駅到着は40分遅れの8時50分。やっぱり遅れたな。と思いながら、オートリキシャを探します。
イードガーバススタンドまで10ルピーくらいを考えていたのですが、いきなり一人目で10ルピーの提示。すぐさま乗り込みイードガーバススタンドに向かいます。
イードガーバススタンドは乗り場の標示もなくバスがたくさん停まっていました。
インフォメーションに行き、ファティープル・シークリー行きのバスを尋ねると目の前のバスを指差され、乗って待つ様に言われました。
一応バスに行き先標示を確認しようと正面に廻ってみたのですが、
。。。。。。。。
ヒンディーで書いてあってさっぱり読めない。。。 -
バスに乗ると先客が2人。一人は欧米人。ということはもう一人の東洋系の人も欧米人か?
-
バスのシートはこんな感じ。外観も古い感じとはちょっと違いました。
出発寸前に身長185センチくらいの背の高い東洋系の人が乗車。
発車してからチケットを購入。価格は27ルピーでした。 -
こんな感じの農村地帯をバスはひた走ります。
-
ファティープル・シークリーは小高い丘の上にあり、その麓に到着しました。
バスを降りてトイレに行くとそこに先ほどの東洋人の彼が。声をかけると台湾人だというではないですか。なんとなく一緒に行動することに。
聞けば彼は台湾の高校でコンピューターを教えている先生とのこと。
2人で歩いていると、今度は僕の前に座っていた、東洋人の女性が上から降りてきました。
どうしたの?と声をかけると こっちでいいの?
と返して来たので、彼女もいっしょに行動することになりました。
こうして3人によるミニ旅行団が結成されました。
彼女は韓国人で大学院生とのこと。
しかし、旅行して2ヶ月近くたった今、二人の名前が思い出せません。 -
モスク地区のブランド門の前にて。
台湾の彼に撮ってもらいました。 -
ブランド門の扉には馬の蹄鉄が貼付けてありました。
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ブランド門内側の回廊部分です。
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ブランド門をくぐって左側にジャマー・マスジットがあります。
たった14年の命であった首都ファティープル・シークリーですが、このモスクは近くに住むイスラム教徒の礼拝が続いている様です。 -
真正面にお墓が2つ。
左の白のがサリーム・チシュティー廟。
右の赤いのがイスラーム・カーン廟です。 -
東門、バッドシャヒー門を望みます。
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中に入って行きます。
オールドデリー同様ジャマー・マスジットの前には体を清めるための泉があります。 -
それを通り越すとサリーム・チシュティー廟です。
大理石のきれいなお墓なのですが、皇帝のお墓ではなく、世継ぎが生まれず困っていたアクバル帝に息子が授かる事を予言した予言者シェーク・サリーム・チシュティーを祀るために建てたものだそうです。
よっぽどアクバル帝はその人に心酔していたのでしょう。 -
内部にはコーランの刻印がくっきりと残っています。
-
このたてもの一番のすごさはこの透かし彫りだと思います。
外がほぼ透けて見えます。 -
壁の穴からバッドシャヒー門が望めます。
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外部の柱にもすばらしい彫刻が。これが皇族のお墓ではないのですから驚きです。
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サリーム・チシュティー廟の裏からジャマー・マスジットの望みます。
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イスラーム・カーン廟の中。
何人かが眠っている様です。 -
イスラムカーン廟、サリーム・チシュティー廟をバッドシャヒー門から望みます。
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そしてジャマー・マスジットです。
-
バッドシャヒー門からモスク地区を出て、宮殿地区を目指します。
モスク地区はまだ現役であるからでしょうか無料で参観可能ですが、宮殿地区は参観料がかかります。
250ルピーです。 -
宮殿地区に入るとまずジョド・バーイー殿に道はつながっています。
その入り口です。
ただインド語ではちがう名前のようで、THE SHBISTAN-I-IQBAL(JOHDBAI'S PALACE)と表札にありました。 -
アクバル帝やその妃の生活した宮殿です。
部屋のまどには透かし彫りが入っていていかにもインドの雰囲気が出ています。 -
イスラムっぽくない柱。
アクバル帝はイスラム以外の宗教にも寛容であったようで、ヒンドゥの様式なども取り込まれています。 -
ジョド・バーイー殿の中庭です。
イスラム教の影響をうけた中庭式の庭園です。
が、イスラム独特のローソクの炎のような入り口(イーワーン)がありません。 -
中庭を見下ろす様にチャトリーがあります。
ただ、天井がドームという訳ではなく、四角なのがちょっと特徴的です。 -
柱の最上部。ここにもドームがさりげなくアクセントになっています。
-
ジョド・バーイー殿を後にします。
-
実はこの時点でわれわれ3人は現在地を見失い、3人で自分たちはどこにいるのかをガイドブックを付け合わせて検討していました。
あ!あれが、パンチマハルじゃない?
でも2層しかないよ。
うんちがうね?
じゃああれなに??
なんて話しをしながら見学していたので、結構見落としがあることが、この旅行記書いていて気付いてきました。
見落としというか、写真の撮り忘れがこの時点でまず1つ。
写真の右隅。これは、ミリアムの館のようです。
多分見るには見たと思うんですけどね。。 -
こんな庭園や、
-
こんな住居跡が目に入りました。
これは僕や台湾先生のガイドブック地球の歩き方には説明がなく、韓国の彼女のガイドブックのみに載っていた旧市街エリアの住居跡であることをこの時点では知る由もありません。
ただ、この住居跡がさらに僕たちの現在地を判明することを困難にしていました。 -
しばらく歩くとこの建物が見えてきました。
ほら!写真に写ってる台湾先生一生懸命ガイドブック見てるでしょ? -
すばらしい彫刻が施されています。
-
いかにもイスラムって言う感じの壁があります。
-
これは厩舎じゃないか?
-
やっと居場所が判明。この建物がビルバルの館であることが分かりました。
-
そして厩舎の中。何匹飼えるんでしょうか。高さもかなり有るところを見ると、馬だではなく、駱駝もいたのではないでしょうか。
-
この時点では何物なのかわかっていない住居跡。城壁の外、一段下がったところにあります。
-
ビルバルの館のほうから、庭園に抜ける門かと思って覗くと行く事ができません。除き窓のようです。
-
左の庭園に下りてみると5層のパンチマハルが見えました。
ほら、やっぱりパンチマハルじゃん!上2層しか建物がジャマで見えなかったんだよ!
なるほど!!
なんて会話をしながら進みます。 -
さっき通れると思った門らしきものを反対から撮りました。やっぱり窓の役割なのかなぁ。。
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パンチマハルの1層目を通り抜けます。柱があるだけですが、1本1本すべて形が違います。
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やっと全貌を確認。
パンチマハルです。
この上から皇帝は庭で行うハーレムの女性を駒にしたチェスを見下ろしていた。とか。 -
これのマス目で人間チェスが行われていた模様。
-
パンチマハルの下はこんなに広い広場になっていいて、そこに人間チェス版があります。
-
人間チェス盤の脇にあるアンク・ミチャウリー
宝物殿だったようです。 -
残念ながら中は殺風景でした。
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ディーワーネ・カース
貴賓謁見の間です。
大理石で作られたデリーのラールキラーとは完全に雰囲気が違いました。 -
ディーワーネ・カースは柱が特徴的です。
扇状に彫刻がされています。写真で見るよりかなり大きく、迫力あるものでした。 -
吹き抜けになっていて、柱の上に橋で渡れる様になっています。
この場所に玉座を置いて皇帝は上から謁見していたようです。 -
庭園のように広い庭が見えたので出てみました。
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回廊で囲まれたすごく大きなスペースがあります。
-
やって来た方向を見ると建物が。
ディーワーネ・アーム一般謁見の間です。
ここで注意。ここは有料宮廷地区から外れています。一回でると、もう一度チケットを購入しなくてはなりません。
そんな事を知らなかったので、外に出てしまい、宮廷地区の残りの見所、インドのガイドブックに必ず見る様に書いてあるアノープ・タラオという四角い4つのプールとターキッシュ・サルタナ殿を見そこねました。流れで行くとディーワーネ・カースを見て、ディーワーネ・アームに行きがちですが、そこをあえて直進して隅まで行った方が良いです。
ちなみにこの2カ所、地球の歩き方には絵は書いてあるけど説明、案内はありません。 -
ディワーネ・アームの皇帝が座る場所です。
この中に玉座がいつもは置いてあるのですが、このときは修理中で置かれてありませんでした。
(ジャマー・マスジットの中にあると聞いてあとでもう一度見に行きましたが、しまわれていて結局みれませんでした。) -
ここにもロイヤルバスハンマムがありました。が、建物は崩れていたのでどこが浴槽か分かりませんでした。
ラールキラー同様立ち入り禁止です。 -
ハンマムから道沿いに行くとインド人の人達がくつろぐ広場に出ました。その隅にライブラリー(文書館)があります。中には入れません。
ここは無料地区ですから。 -
宮廷地区の回廊の裏です。
この向うに見逃したアノープ・タラオとターキッシュ・サルタナ殿があります。
アノープ・タラオからパンチマハルを望むと水面にパンチマハルが映る姿が見れるようです。
ちなみにデリーで買った英語版ガイドブックの見逃せない建物は
ディーワーネ・カース
パンチマハル
ターキッシュ・サルタナ殿
になっています。
見逃したのがちょっと悔しいですね。 -
僕と台湾先生の2人は全部みたからと思いモスク地区に戻って来たら相談。
昼ご飯どうする?
アーグラに帰ってからにする?
もう立ち去る気でしたから、ブランド門の写真をもう一度階段を下りたところでパシャ。 -
坂を下りながら、角度を買えてパシャ
-
モスクの城壁の角をパシャ。
バス停に向います。
その時、韓国大学院生の彼女が一言。
2人とも帰るの?私は午后は旧市街エリアにいくけど
旧市街エリア???
僕と台湾先生の持っているのは、地球の歩き方日本語版と台湾語版。
当然中に書いてある地図は同じです。
あと見てないのはヒランミナールとキャラバンサライくらいのはず。
彼女の韓国のガイドブックを見るとあら!びっくり!!
ヒランミナールとキャラバンサライを中心とする地区を旧市街エリアとして紹介しています。
先ほど、ビルバルの館の下に見た住居群も描かれています。
我々男2人も、これは行かなきゃならないでしょ!となり、バスターミナルのそばで食事をとることに。 -
3人それぞれが1つずつカレーを注文し、みんなで食べることに。僕は一番手前チキンチーズマサラ。韓国人の彼女が奥の大豆のカレー。台湾先生が左側のエッグカレー。主食はバターチャパティにしました。
味なかなかよろし! -
食事が終り今度はモスク地区のバッドシャヒー門の前をそのまま直進。細い道を進みます。
その時2人の男の子が話しかけてきました。韓国人の彼女は50ルピーで一人をガイドにすることに。
もう一人は日本語が少し出来、頼んでいなかったけど、僕にずっとついて来てガイドし始めました。
モスクを過ぎるとすぐこんな住居跡が出てきました。 -
崩れた住居あとも。
-
先ほどビルバルの館の裏に見た住居跡はこの中です。
上から見たからあえて入らず。
門らしきアーチがありました。 -
そして上のアーチに対してほぼ直角にこんな立派な門が。これを出ると城外なのでしょうか。
名前などは不明です。
彼女のガイドブックには載っていましたが、ハングルなんで、全く読めず。ガイド君が教えてくれたけど、メモに取らずで手がかりなし。せめて英語で目に入れておけば記憶が残ったと思うのですが。 -
門の中に韓国の彼女と彼女の雇った50ルピーのガイド君が。右にちょこっと写っているのが、ずっとついて来ている、日本語を喋るガイド君です。
-
門の上に動物の像があります。
ガイド君曰くこれは象だそうです。 -
ガイド君の計らいで写真を撮ってもらいました。
左から台湾先生、韓国大学院生、日本人おっさんです。 -
門をくぐって右下にバーオリーという井戸施設があります。
-
階段で水面までおりることができる設備だったそうです。
こんな立派な取水施設があったのに、ファティープルシークリーは14年で水不足で放棄された都なのですから、何とも感慨深いです。 -
下から中学生が歩いて来て僕を見るなり、写真撮って!!
というわけで撮ってやりました。送ってくれという訳でもなく。
とにかく写りたかったってことでしょう。 -
バーオリーの向うがわにも住居の後があります。
モスクや宮殿のある丘の周りにかなりの住居があったのがわかります。 -
バーオリーの反対側から城壁の上を歩く事ができます。
これが、キャラバンサライ。
宿泊ホテルだったところです。
城壁に乗ってすぐ四角い穴があって、水飲み場がありました。
ガイド君の話ではここは象の厩舎とのこと。 -
そのまま歩いて行くと城壁の終りからヒラン・ミナールが見えました。
-
ガイド君が教えてくれました。
城壁の穴から写真をとるといいよ! -
キャラバンサライの部屋がならんでいます。
-
彼が僕のガイドをしてくれた子。日本語を一生懸命使ってがんばってくれました。
お願いしてはいなかったのですが、ガイドとして優秀だったので、50ルピー渡して、僕が雇ったことになりました。
日本語上手だったよ! -
城壁の上からさらにヒランミナールを。
緑のなかに映える塔です。 -
城壁の上に乗った方向を望みます。中庭を囲んで部屋が並んでいます。
中庭には牛やヤギがたくさん草を食んでいました。 -
城壁はこんな感じであまり高くはありません。
-
キャラバンサライの部屋です。
こんな感じのところに旅人は宿を求めたのですね。
部屋の形そのものがイスラムっぽいです。 -
ヒランミナール
壁から飛び出ているのはすべて象牙だそうです。 -
入り口を覗くとそこには一人がやっと登れる幅の階段が。
もちろん、立ち入り禁止です。 -
塔を見るとこれをやっぱりやらないと。
真下から見上げます。
象牙が生えている様です。 -
さっきとは逆にヒランミナールから、キャラバンサライの城壁を。
-
キャラバンサライと反対方向。手前はお墓とのこと。
それを表すものは見当たりませんが。 -
最初の門の方向を見上げてみました。
-
下からバーオリーの様子がより良く見えました。
その後バスでアーグライードガーバススタンドに午后4時に戻り、韓国人の彼女はホテルサクラに戻って行きました。
台湾先生が、アグラフォートに行くつもりだが、行かないか。と誘ってくれたので、真剣に考えましたが、朝、ニューデリーから直行したため、パソコンなど余計な荷物を持っていたため、その重さに耐えきれず、ホテルにチェックインすることを優先したため、ここで別れることに。
2人のメールアドレスは聞いてあるので、この旅行記書き上げたら、3人で写った写真を送ろうと思っています。 -
さて2人と別れ、オートリキシャを捕まえ、ホテルに。
アグラのホテルはマンシン・パレス。
これもポイント欲しさに中国のインターネットで予約したホテルです。
正直ちょっと高級すぎたと思っています。
1泊1169元 日本円で約14000円。
はっきりいって高級ホテルです。
ですから、バスタブもあります。 -
洗面台やトイレもこんなに洗練されています。
-
テレビなどはこんな感じ。
-
そしてベッド。ダブルベッドの部屋を頼んでいたはずだけど、用意されていたのはツインの部屋でした。
奥にソファーが見えます。 -
インターネットは有料でした。しかもかなり高かったです。
1時間100ルピーで200ルピーで夜12時までつなぎ放題だったような気がします。
ちがったらごめんなさい。もっと高かったかもしれないです。 -
ホテルの廊下なのですが、奥の窓が透かしになっているのを撮りたかったのです。
あんまりはっきりしませんね。 -
食事に行く時にホテルの外観を撮ってないのを思い出し、慌ててとりました。
こんな感じです。 -
ホテルのドアマンがまさに僕がイメージするインド人だったので写真をお願いしました。快くいっしょに写ってくれました。
-
この日の夕食はマンシンパレスの隣にあるテンプテイションというベジタリアン食堂でいただくことに。
ここで衝撃をくらいます。 -
パークビューホテルの食堂です。
-
まずチャイをお願いしました。やっぱりこれははずせません。
-
どれがおすすめかと尋ねたところウェーターさんがパナー・マキヒニという90ルピーのジャガイモのカレーを薦めてくれました。
そこでそれと、バターナンをたのんだところ。
このカレー
超激ウマ!!
日本のカレーに非常に似ていて、適度な辛さ。ハウスのジャワカレーのような味わい。
絶対にこれは日本人の口に合います。
旅行記に載せようと思い、紙とペンを借りて名前と値段をメモしました。 -
手で食べますから、インドのレストランではフィンガーボールが出てきます。
-
こうして手を洗うものです。
飲んではいけません。 -
最後にミントがもらえます。これでお口をさっぱりさせてお店を出ます。
おなかいっぱいになり、ホテルの部屋に戻り、ベッドに入った時にある事に気付きました
カレーの名前書いた紙忘れた!!
翌日の夕飯もテンプテイションに行くことが決定した瞬間でした。
翌日はいよいよタージマハルへ向います。
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