2010/08/31 - 2010/08/31
381位(同エリア643件中)
とにーさん
2010年8月25日~9月16日、人生初の周遊旅行に出かけました。
<周遊都市>
ドバイ(途中降機※おまけ)、イギリス、ルクセンブルク、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア
◆今回はストラスブール2日目の旅行記です!
8月31日(火)
朝から良い天気のもと、ぶらぶらと歩き回るとにーとまま。
お茶もして人心地ついたところで、今日の大きな目的「プチ・フランス」へ向かいます。
はい、やっとです。
<利用交通機関>
・トラム(24時間券(EUR4)利用)
<利用飲食店>
・Cafe「Naegel」
・「L'Ami Schutz」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
イル川沿いを西へ歩いていきます。
対岸、聖ニコラス橋(Pont St.Nicolas)を渡ったところにある、聖ニコラス教会です。
大きな病院の一部になっているようでした。 -
サン・トーマ橋(Pont St.Thomas)まで来たところで右折して、イル川沿いから離れます。
曲がるとすぐに、サン・トーマ教会がありました。
想像以上に大きな建物で、前の道路の反対側からせいいっぱい見上げても、こんな感じでした。
ファサードは、1230〜1250年に建てられたもの。 -
12〜15世紀に建造されたゴシック様式の教会。
ストラスブールで二番目に大きいんだそうです。
確かにでかい・・・。
入ると、割とシンプルで、ドイツっぽさを感じる内装です(とにー的な感覚ですが)。
この教会もまた、身廊と側廊の天井高の同じハレンキルヒェでした。
広さを感じさせるには、ホント効果的な手段かと思われます。
この手法、オランダやドイツに多いんだとか。
それだけをとっても、この地方がどれだけドイツを色濃く残しているか、というのがわかりますね。
16世紀にヨーロッパ中を揺るがせた、宗教改革の拠点となったストラスブールで、マーティン・ビューサーが活動を始めたのが、この教会なんだそうです。
ヨーロッパを旅して思うのが、自分が、何百年、時には何千年という時を経て、時代の遥か彼方の人々と、同じ土を踏んで、同じものを見ているという感慨。
時に、息が止まるかのような気持ちに襲われます。
とにーだけですかね??? -
サン・トーマ教会の起源は、六世紀のスコットランド修道僧の来訪に遡るそうです。
中央祭壇の奥には、珍しくモニュメントが設置されていました。 -
交差部の天井。
これもドームって言っていいんでしょうか?
リブ・ヴォールトの天井に加え、束ね柱が13世紀のゴシック様式を現在に留めています。
白い壁に光が入って、明るい堂内でした。 -
説教壇と、パイプオルガンです。
世界的に有名なストラスブール出身のパイプオルガン製作者、ヨハン・アンドレア・ジルベルマン氏による名器なんだそうですよ。 -
レトロなデザインのバラ窓です。
-
これが、正面に設置されているモニュメント。
サックス伯モーリス元帥(エルマン・モーリス・ド・サックス(Hermann Maurice de Saxe))の墓だそうです。
ジャン・バティスト・ピガール作、18世紀のものなんだとか。
右側に広がるのはフランス国旗。
他方、左側には、元帥率いるフランス軍に敗れた敵軍の象徴たちです。
・鷲=オーストリア
・豹=イギリス
・獅子=フランドル
なんだそうですよ。 -
群像部分。
中央を降りてきているのが元帥です。
手前にあるのが石棺で、元帥は右下にいる死神の持つ石棺へ、歩み寄って行こうとしています。
つまり今にも死を迎えようとしているところです。
石棺の左手で呆然としているのは、元帥の心身の力を象徴するとされているエルキュールです。
元帥の死を前に、苦悩に満ちた表情を浮かべています。 -
元帥の左手を抑えているのはフランス女神です。
女神は元帥をこの世に引きとめようとして、涙を流しながら死神を遠ざけようとしています。 -
国の女神が泣きながら、死神を目前に引きとめようとするなんて、どんだけの英雄だったんでしょうか???
女神の後ろ、微妙にちいさな姿が見えているのがわかるでしょうか?
あれは愛の霊だそうです。
後ろに広がっているのはフランス国旗。
愛の霊もまた、元帥の死を嘆き、泣きながら逃げていくところらしいです。
泣きながら走り去る赤ちゃん・・・ちょっとオカルト。 -
左の側廊に、こんな写真のポップがあります。
左はモーツァルト、右はシュヴァイツァー博士です・
この教会のパイプオルガンを、モーツァルトは1778年に演奏してその音色を絶賛、それから100年以上後、1909年に同じパイプオルガンをシュヴァイツァー博士が弾いたんだそうです。 -
サン・トーマ教会を後にして、プチ・フランス方面へ向かいます。
途中で振り返る。
これくらい離れると、全体像が捉えられますね。 -
で、これが。
お待たせしました。
トニー的ストラスブール建築第一位のおうちです!
屋根のぼこぼこした歪な感じと言い、
たくさん開いた小さな窓と言い、
無造作に立つ二本の煙突と言い、文句なしで第一位!
ね。
アリエッティが住んでそうでしょ??? -
プチ・フランス地区に入りました。
サン・マルティン橋(Pont St.Martin)の上からです。
左端が、多分、この地区で一番写真に撮られてるのではないかと思われるおうち。
隣に並ぶ、砂糖菓子のようなパステル・カラーのおうちと言い、素敵です!! -
この可愛い木組みのおうちは、なんとレストラン!
「Au Pont St-Martin」というお店です。
アルザス伝統料理のタルト・フランベ(La petite tarte flambée)(EUR6.9)(薄焼きのピザ) や、ベックオフ(L'authentique Backeoffe et salade)(EUR16.9)(マリネした肉とジャガイモや野菜を煮込んだ料理。ポトフみたいなもの)や、もちろんシュークルート(La choucroute)(EUR14.1)も食べられます。
メニューは英語記載があるらしいです。
◆「Au Pont St-Martin」
◆15 rue des Moulins 67000, STRASBOURG
◆+33(0)388324513 -
まだ開いてませんね。
お昼前なので、テーブルの準備に忙しそうです。 -
同じくサン・マルティン橋の上から。
右岸を見ると、舟のためのエレベーター装置があります。
運河なので、あそこで水門を閉めたり開けたりして、水位を変化させて、船を通しているんですね。
ちなみに。
クルーズ船に乗れば、そのエレベーターも、体験できますよ。 -
なんてことない町並みが、とんでもなく可愛いのです。
あ。
今フランスでは「カワイー」が流行ってて、若い子は普通に「カワイー」って使うみたいです。
フランス人なのに。 -
ここは、The プチ・フランスと言えるポイントです。
木組みのおうちがこれでもか、と並んでますね。
プチ・フランス地区は、かつては漁師、粉屋、なめし皮職人が住んでいた地区。
屋根に付いている珍しいひさしは、なめし皮を乾燥させる為の屋根裏部屋の、通風用のひさしなんですと。 -
イル川に映る姿も素敵です。
木組みの家って、どこに行っても絵になりますよね〜。
こんな家建てようかな・・・(どこに?!)。
ちなみに。
この木組みのおうちは、コロンバージュ造り(英語で言うところのハーフティンバー)と言う建築様式なんだそうです。
「木の骨組みを露出させる建築様式」だそうですよ。 -
左正面のおうち。
ここも、アルザス料理が食べられるレストランで「Maison des Tanneurs」と言います。
Maison des Tanneursとは「なめし皮職人の家」という意味だそうです。 -
プチ・フランスという名前は、文字通り「小さなフランス」と言う意味。
ドイツ領とフランス領を行ったり来たりしてた所為で付いたのかと思いきや、実は違ってました。
かつてフランソワ1世の率いた兵士たちに、フランス病が蔓延し、その兵士たちの治療のための病院がこの地区にあったからだそうです。
(当時、ストラスブールは神聖ローマ帝国に属していました)
ちなみに。
フランス病は梅毒のことですが、ヨーロッパでは皆好き勝手に嫌いな国の名前で呼んでるみたいです。
イタリア病とかドイツ病とか・・・小学生レベルだと思うんですが。
さて。
やっとプチ・フランスに到達したとにーとまま。
そろそろお昼ご飯にします!
また、やらかしちゃうんですが・・・それはまた次へ、どうぞ★★★
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