2003/11/08 - 2003/11/27
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Hidechanさん
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2003年11日8日からネパールのムスタン地方ローマンタンまでトレッキングで歩いてきました。
私のような戦中派はムスタンと言うと、グラマン、スピットフアイアー、零戦を思い出しますがあのムスタンではありません。
ネパール第2の都市ポカラの北にあるアンナプルナ山群とダウラギリ山塊の間を南へ流れるカリガンダキ川を北上してチベット国境に接るムスタン地方を訪れました。
この地域はかってムスタン王国と呼ばれ長い間鎖国状態にありました。ネパール領となってからも外国人の立ち入りは激しく制限され、『禁断の王国』として世界中から注目されていました。1992年、突然にネパール政府はムスタン解禁を発表、現在は外国人トレッカーも訪れ始めています。それでも年間500前後、その内日本人は40〜50人程度です。
この地方はヒマラヤ山脈の北側にあたり、チベットと同じような乾燥高地地帯でチベット族の居住地域です。中国領チベットが漢族、中国政府の影響でチベット文化の喪失が激しい現在、この地方には中世チベット文化が色濃く残っています。この地域へのトレッキングは他のネパールトレッキングとは一味も二味も違うトレッキングで、荒涼とした砂漠高原地帯の古いチベット文化を残した村々を巡る旅となります。
この旅は通常、ジョムソンへ山岳飛行で入り、ここからカリガンダキ川を北上、毎日400〜500m位のアップダウンを繰り返し高度を上げていきます。今度の旅の最高高度はニラ峠の3、985mでした。5日めに目的地『禁断の王国の首都』ローマンタンに到着しました、ここは3、850mの高度にある人口約1、000人の城塞都市(集落)でした。
日本を出発して20日目に帰国した長い旅でした。
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成田を発ってタイのバンコックで1泊、ネパールのカトマンドウに4年振りで入りました。以前よりバイクが猛烈に増えていました。カトマンドウは相変わらず、車の排気ガスの中に、異文化、異人種、野良牛、野良犬と牛の糞がごちゃ混ぜになって居ました。
カトマンドウのラデーソンホテルから見る街並み。 -
カトマンドウに1泊して、翌日飛行機でポカラへ移動、飛行機右手の窓からヒマラヤの山々がよく見えた、30分後ポカラ到着、残念ながらこの日はガスッていてマチャプチャレは見えず。ポカラ空港で飛行機を降りる我々一行。
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今日はポカラ1泊、シャングリラ リゾート ホテル到着時歓迎のセレモニー有り、ネパール美人が歓迎の印のティカ(額に赤い顔料をつける)を一人づつ塗ってくれた。
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11月12日いよいよムスタン地域に向け山岳飛行、目的地ジョムソンはカリガンダキ川岸にあるムスタン地方の玄関口、この地域午後になるとカリガンダキ川の上流に向かって強風が吹きすさぶため、飛行は朝早くのみ。ポカラを飛び立ったツインオッター機はダウラギリを左手に見ながら約25分でジョムソンに着陸した。写真は飛行機の窓から見えたダウラギリ。
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ジョムソン空港、我々が乗ってきたツインオッター機
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ジョムソン南側の高台からみたジョムソン空港と街並み
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ジョムソンのメインストリート。
国外からのトレッカーが通り過ぎる、ここで昼食をとり、時間があったので、高台にあった博物館を訪ねた。もうここはの景色は全くチベット的風景である。標高は2、700m以上。 -
ジョムソンで昼食後、町はずれのイミュグレーションチェックポストで入域手続きを完了、カリガンダキの河原に降りていった。吹くきつのる風にあおられながら、カグベニを目指して河原を北上する我々ツアー一行、ポーター達は馬に荷物を積んで先行している。
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途中カリガンダキ川に掛かる吊り橋を渡る一行。
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吊り橋を渡った先にあるエクレバッティでお茶休憩、エクレバッティとは『一軒茶屋』の意であるが、今では数件のバッティが建っていた。
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カクベニの集落に南からはいる入り口のカンニ(仏塔門)、ここはムクチナート、トロンパス方面、ローマンタン方面の分かれ道がある集落、外国の文化も幾らか入っていて、チベット集落にセブンイレブンとマクドナルドの看板が掛かっていてびくりした。もちろん看板のみである。
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11月13日カクベニを早朝出発、この集落の北外れにイミグレーションチェックポストあり、この地点から奥地(アッパームスタン地域)に入るためには特別入域許可書が必要、これがべらぼうに高い。最低基本料金10日間700ドルからスタート、1日増すごとに70ドル。
我々はカリガンダキの河原をさらに北上、時々左岸の上部を迂回しながら今日の宿泊地ツェレに向かう。時々上流地域から南下するムスタンの家族とすれ違う。彼らは冬がちかずくと南下してポカラ周辺で春まで過ごす。 -
昼近く、行く手にタンベの集落が見えてきた、この辺川幅は500m前後、川の両側には岩山が切り立っている、遙か後ろには、ニルギル、アンナプルナが真っ白に輝いている。
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昼食を河原で取り、さらに歩き続けて午後3時近く、河原が急に狭まった、ムスタンゲートに付いた。写真前方のの橋を渡り、左手の岩山を急登(100m以)今夜の宿泊予定地ツェレに着いた。最後の急登がきつかった。ここの高度は3、030m。
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ツェレはカリガンダキ川の右岸、100m上部にある集落、写真はこのツェレから見たカリガンダキ河原の下流部(南)。
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ツェレの集落、バッテイの屋上から撮った。この地方の建物は土を固めて造られている、2階建てが多い、3階のものもあった。ロの字型の物が多く中庭となっている、窓は小さく内部は非常に暗い。1階部は納屋や家畜小屋となっていて、人々は2階部に居住する。
屋上はフラットになっており建物の縁に木の小枝が積み上げられている。集落の路は狭く迷路のように入り組んでいる、道路には石が引き詰められており、家畜の糞が散乱している。 -
14日、早朝ツェレを出発、集落の裏山に登りカリガンダキ川を外れ、今日からは山道を行く。写真右手の山を高巻きに回って高度を稼ぐ。行く手の山は6、000mくらす、今日も天気は良好。
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参考写真:Google Earthで見た衛星写真。
ムスタンゲイト、ツェレ集落付近。 -
行く手の左側に大峡谷が現れた、路は数百年も続く、チベットからネパールへの岩塩を運んだ交易の歴史的路。幅は2.3m有るが、急激に切り落ちた崖の中腹にある。道にはパウダー状の土が降り積もり、時々南下する荷馬とすれ違うが、猛烈な土埃に悩まされる。この場合我々は右手山側に身を寄せる、左手の崖は200m位切り落ちており、左手にいて馬のににふれ崖下に飛ばされ死んだトレッカーも居たとのこと。
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向こう側の渓谷は2〜300m位切れ込んでいる。対岸にギャッカル村が見える。小学校の広場で子ども達が朝礼を始めだしたのが見える。
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今度の旅では山岳飛行が順調にいったので、予備日が2日出来。1日の距離を少なくして、ローマンタンまで1日増やしてゆっくり歩くことにした。
昼少し過ぎにベナの小集落に着いたので、今日はここにテントを張ることにした、村の子どもが外国人が珍しいのかやって来。 -
キヤンプ地ベナに到着してテント設営のポーター達
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15日、今日はベナからガミまでの予定、途中コース最大の峠ニラ峠(3、950m)を越える、昨晩あたりから高山病の影響が出だし始めた、今朝は食欲もなく、手、顔に浮腫が来ている。ニラ峠にさしかかり皆から遅れだした、足が上がらない、呼吸方法を色々と試してみて、強くはき出すとその後大きく吸い込む事になりこの方法が空気を多く吸い込むことが判りだした。サーダーが私の横にぴったりと付き添い、『ビスターリ ビスターリ』(ゆっくり)と励ましてくれる。
写真はニラ峠から歩いてきた道を振り返る。高度計は3、985mを示していた。 -
ニラ峠にはためくタルチョ。ちなみにラはチベット語で峠の意。
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ニラ峠を越すとロー地方と呼ばれるムスタンの中心部へと入っていく。午後目的地のガミ(ゲミ)の集落に到着した。標高3、520mで有る。白、赤、黄、黒の4色に塗られたチョルテンに囲まれた村に入っていく。子ども達が集まってきた。青っ鼻を垂らしている子、弟をおんぶしているお姉ちゃんもいる、自分の子供時代が思い出された。
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今夜の泊まりは、バッテイの裏にある家畜追い込み場(ターラ、1、5mくらいの高さに石積みで囲っている)にテントが張られた。集まってきた子供達に英語で『学校はどうしたの』と聞くと『冬がちかずいたので冬休みに入ったの』と英語で返ってきた。こんな奥地の子供でも英語教育が地に着いているのでびっくりした。
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11月16日ガミを出発してツァランに向かった。前夜、夜中中チベット犬が吠えまくりよく寝られなかった、また高山病予防のため飲み出した、ダイアモックスの効果が効きだして頻繁にオシッコに起きる。また、2時ころ突然に嘔吐が襲う。今朝は登りが相当きつい。
写真はサーダー、背景の黒い点々はヤクの群れ。谷を降りて向こうの尾根を越えて行く。 -
峠のラプッエ(石積)とタルチョ(祈祷旗)
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昼過ぎに峠を急登すると前方に雨裂の走る巨大な崖が現れた。峠の下には巨大なカンニ(仏塔門)が見える。その先にある村は、約100年前に河口慧海(チベットに潜入した最初の日本僧)が滞在したツァランの村だ(3,500m)。ここはアッパームスタン第二の村だ。
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ツアランのテントサイトから見えるゴンパ(チベット仏教の僧院)。午後から中を見学、僧が10人ほど修行していた。
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参考写真:Google Earthで見た衛星写真。
ツアラン集落付近。 -
ツアランのバッテイ(茶屋、宿泊所)の内部。すばらしく綺麗だ。屋上にソーラーパネルが設置され夜間は電気も使える。このバッテイはムスタン王の妹の嫁ぎ先とのことであった。
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写真は丘の上にそびえ立つツアランのゾン(古城)。
数百年前に建てられた物、内部は荒れ果てており、管理人のような人が数人住んでいた。その居室に手首のミーラーが壁に掛かっていた。この王城を作った王様が再びこのような城を造られないように設計者の手首を切り落としたとのことである。 -
ツアランのゴンパ(チベット仏教の僧院)入り口。
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17日、今日は最終行程でムスタンの首都、ローマンタンまで。峡谷を下り、峠を何度も超え昼過ぎに最後の峠を登りだした。途中にあった巨大なチョルテン(仏塔、サンスクリット語でストーパ。卒塔婆という言葉はここから来たもの)。
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峠の上から、遙か彼方にローマンタンが姿を現す。
疲れ切った足を一歩一歩踏み出して、『幻の王国』の首都、城塞都市ローマンタンへ入城した。 -
ここは人口約1、000人、今は冬が近づいて来たので住民達は南のポカラやカトマンドゥに降りていき、少なくなっている。城壁に囲まれた城塞都市で土を固めて作られた2階建ての建物が密集している。路地は迷路のようななっている。写真はローマンタン王宮の一部。
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ローマンタンの王宮前広場で地元住民。
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ローマンタンの城塞の中には大きなゴンパ(僧院)が3カ所有ったがその内の1カ所を見学した。入り口から内部に入り暗い梯子段を登り、1階の屋上部に昇ったところ、ここから2階部に入っていった。
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城塞内にあった郵便局を訪れた。局員は離席していない。それにしてもすごい郵便局だ!
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ムスタン王が会見をしてくれることになり、王宮を訪ねた。王宮内の2階部に上がるところ。王様の執務室、居住部分は3階にある。
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王宮内の国王居室でムスタン ラジャ、ジグメ パルパル陛下と会見。気楽にお話をすることが出来た。国王は現在も王としての権限を幾らか持っているが(裁判権、徴税権等)この権限は現国王限りである。王様一家は普段カトマンドゥに住んでいて、たまたま翌19日から始まる今年最後のお祭りのため一時帰国していた物である。
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19日今日から始まるお祭りに後ろ髪を引かれながら、ローマンタンを離れた。子供達が見送りに集まってきた。
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参考写真:Google Earthで見た衛星写真。
ムスタンの首都、ローマンタンの衛星写真。集落の周りは城壁で囲まれている。上部に在る谷を越えて北に向かうには特別入域許可書が必要。この時のトレッキングでは行けなかった。数キロ先まで中国の国境を越えて自動車道路が通じているそうだ。中国の商人達がトラックで商品を持ち込んで売っているとの事。 -
11月19日目的のローマンタン訪問を完了して帰途についた。帰途も予備日を1日使って5日間でジョムソンへ、途中1日は馬に乗っての帰途である。振り返ると、泡漠たる砂漠状の高地態に果てしなく続く道、ここを歩いてきたのだ。あの山並みの向こうはチベット、深い峡谷におり、峠を越え、少しづつ高度を下げていった。
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帰途は、コースを幾らか変え、又宿泊村も新たな村となった。この時期のムスタン地方の気候は乾期に入る。朝夜明け前には零下10度まで下がり、村の中を流れる小川は凍てついている、9時過ぎにようやく朝日が直接当たりだし川の氷も融け始め、温度が上昇し出す、昼過ぎには20度近くまで上昇する。
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11月23日カリガンダキ川を南下し昼過ぎにジョムソンの集落が遙か彼方に見えだした。長かった旅も今終わろうとしている。我々トレッキングチーム一同この河原でトレッキング成功の記念撮影となった。バックに白く輝く峰はニルギリである。
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ジョムソンのバッテイからみたニルギリの朝焼け。
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4年前に来た時のトレッキンクでは、最終日にはたき火を囲んで飲みまくり、踊りまくった物だが、この度は政情不安で、バッテイの中で静かなお別れパーテーとなった、シェルパ、ポーター、コック達とこの村で別れた。
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11月26日無事カトマカドゥの空港から帰国する。待合室でバンコックに向かう便を待っている一行。
以上、『幻の王国』ムスタン訪問記でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- akitekiさん 2005/11/22 21:35:08
- ムスタン王国
- 先日はパキスタン旅行記の訪問ありがとうございました。
この間テレビでムスタンが放映されていました。たしか米作りをしている大学教授がいるという事で、非常に「秘境の場所であるな」と感じたのですが、調べたらHidechanさんが行かれていたので見させて頂きました。
ありがとうございます。。
- Hidechanさん からの返信 2005/11/25 10:23:01
- RE: ムスタン王国
- akitekiさん、コメント有難うございました。
ムスタンは素晴らしい所でしたよ、でも、もうすぐ俗化されるでしょうね。
テレビで見られた大学教授は今は退官してその退職金をつぎ込んでこの地域の発展に人生をかけられている方です。ジョムソンとゲミに実験農場などが有りました。ただ、まだまだ沢山の問題点を抱え、根付いているとまではいえないようです。ゲミの病院は日本人の医師が撤退して、ガランーとしていました。せっかくこの地域の医療の為、ボラティアで貢献しようとしても、1日70$の入域料を払えと言われては、病院継続も困難でしょう。
このべらぼうな入域料も地元にはほとんど届かず、カトマンドウに住んでいる事務方のお偉方の懐に入ってしまうのが現状です。
帰国後、ローマンタンからやって来たチベット医療の医師(アチム)と札幌で話す機会がありました。現地の人々がこの援助をどのように見ているか、聞くことが出来ました。冷ややかに見ている人も多いい様です。ガミの実験農場にはビニールの屋根を持った池が作られ魚を養殖していて、現地の人々のタンパク源にと魚を飼っています。しかし、チベット族は魚を食べる習慣が有りません。膨大なお金をかけて魚を養殖しても、たまに訪れる日本人が刺身や焼き魚として食べるだけだとね現地の人々は冷笑しているとのことでした。いやはや。
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