2008/03/25 - 2008/04/04
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yasu-sanさん
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ついに『呼ばれた』様な気がして、【厄落とし】を兼ねて魅惑の国を訪れる事を決意。(歳がバレますな(笑))
★☆この旅行記(その1)は3月25日~3月26日までの分を記載しています☆★
■旅行手配
HIS
■ツアー名(デリー・アグラ・ベナレス8日間)
デリー2泊/アグラ1泊/ベナレス2泊/寝台車1泊/機中1泊
■プラン
フリー・ステイプラン(要するに現地は、ほったらかし)
■追加手配・延泊等
1.ベナレス(バラナシ)3泊延泊
2.ベナレス~デリー=1等寝台車へグレードアップ
■合計日数
11日間
■撮った写真の数
約1300枚
全てはアップできませんが、写真枚数が多いので分割します。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- JAL
PR
-
前日はホテル日航に格安プランで宿泊。朝、成田空港へ。私にとって、いつものパターン。
今回違ったのは、団体北カウンターに立ち寄ってチケットを受け取った事。出発まで3時間以上有るので、チェックイン後、レストランでのんびり朝食を食べられた。余りに暇なので、飛行機の写真などを撮っていた。
平日だというのに、家族連れが多い。 -
定刻通り11時に出発したJL471便。12時頃、機中で腕時計を日本標準時からインド標準時へ規正。空の旅を楽しんだ。隣に座ったインド人の青年と少し言葉を交わし、残りの時間を個人用テレビで映画を見て過ごす。
夕刻、定刻より25分早く、デリーのインディラ・ガンディー国際空港に到着。イミグレ、カスタマーを順調に通過。
出迎えの人々の中から、私を迎えに来てくれたツーリストカンパニーの人を捜すのに、一苦労。ひと通り人が掃けてしまってから、ようやくお互いを発見(笑)
ドライバー氏と合流し、本日のホテルへ向かう。
車中の一枚。 -
案内人・ゴビンド君に明日の予定を聞かれ、「観光する予定だが、まだ何も決めていない」と言うと、1,000Rs(ルピー)でドライバーを用意してくれるというので、申し込む事に。見て回るべき場所が多いので、リクシャーを毎回調達するより効率的と考えた。
実際、日程の少ないデリーではこれが正解だった様に思える。 -
考えていたより、ニューデリーは近代的な都市の様だ。車の多さと、始終鳴り響くクラクションに圧倒されながら、ホテルまでの時間を過ごす。
18:30ニューデリーでのホテル「Royal Residency」に到着。コンノート・プレイスから西へ3キロ程離れた地区にある。
ホテルに到着するとすぐに、ロビーでUS$で用意したT/Cをインディアン・ルピーに両替。紛失や盗難を考慮して$200だけを交換。 -
両替の後、ゴビンド君と明日のピックアップ・タイム等の打合せを軽く行い、自分の部屋へ。
303号室は、少し暗めで落ち着いた雰囲気のある部屋だった。
良くありがちな、鍵を入り口横のソケットに差し込むと部屋全体に電気が供給される、『地球に優しい』システムになっている。 -
テレビ、A/C、冷蔵庫有り。但し、近くにコンセントが1個しかなく、冷蔵庫はA/Cと入れ替えてコンセントに差し込む為、どちらかしか使えない(^^;
A/Cの風力調整のノブが壊れており、調整が出来ない。「安いホテルなんて、こんなモンだ」と思っているので、私には問題なし。どうせ寝るだけの場所だ。
天井にはファンが付いており、風力調整はベッド脇のスイッチ類と一緒に付いている。このファンだけで、私には十分だ。
バスルームは普通な感じ(笑) 汚いというイメージは無く、むしろ綺麗に清掃されている。トイレットペーパーも、日本の物に比べて少ないながら、新品が用意されており、感激。所々に見られるひび割れなどは、パック旅行で利用される安いホテルでは、細かい事は気にしちゃいけない(^^; -
一通り部屋をチェックしてから、偵察を兼ねて(笑)外へ出かける事に。夕食の事もあるが、水や海外用携帯電話のプリペイド式SIMカードを買う目的もある。
ホテルから数分の場所の小さなマーケット街に出ると、色々な商店が有った。これは地下鉄(メトロ)の駅に続く、いわゆる「駅前商店街」の様な場所らしい。
気に入ったレストランが見つからなかったので、来た方向と反対側の方へ路地を戻り、その先の小さなマーケット街へ。 -
ホテルを出てすぐの通り沿いにある携帯ショップでVodafoneのプリペイド式SIMカードを購入、750Rs。250Rs分の無料通話分込み。
パスポートのコピーと、顔写真が必要との事で、緊急用に持参していた顔写真(パスポートサイズ)を使用した。コピーも持っていたが店のスタッフが他の店に行ってコピーを取ってきてくれた。
スタッフは親切で、冗談交じりの会話をしながら手続きを進める事が出来た。およそ15分後に無料通話分が付与されるとの事で、すぐにかける事は出来なかったが、店のスタッフの電話から私の番号にコールして貰い、きちんと通話できる事を確認。
およそ20分後に無料通話分が付与されている事を確認した。 -
GURU NANAKU MARKETという小さな通りのマーケット街の右角にある食堂で夕食。店の名前は不明。
インド人に混じって、立ち食いの店でマサラ・ドーサを注文し、持参したペットボトルの水を飲みながら、右手で味わう。
日本人がこの店で食べているのが珍しいのか、スタッフの少年や他の客などが珍しそうに顔をのぞき込み、『辛い〜っ!』という顔をする度に爆笑された(^^; -
無口なオヤジが作るマサラ・ドーサに付いているスープの様なカレー(?)は激辛で、一緒に付いている塩味の効いたココナツミルクと混ぜて喰うとマイルドに。
このオヤジに『ものすごく辛いけど、美味かったよ』と言うと、にっこり微笑んだ。この笑顔が好きになり、翌日もここで夕食を取る事を決める。
長期滞在しているという英国の初老の男性と一緒になり、旅について少しだけ話をしたが、先に私の方が食べ終わり、互いに『ナマステー』と両手を合わせ挨拶。 -
これがこの日食べたマサラ・ドーサ(20Rs)。
手で食べるため、最初はメチャクチャ熱いが、食べているうちに慣れて来る。店先にて、持参したミネラルウォーターで最後は手を洗い、ポケットティッシュで手を拭くと、これまた珍しいのか、人々の視線が(汗)
タバコをくわえ、携帯灰皿を取り出して吸い始めると更に好奇の目で注目を浴びた(笑) -
先程の駅前商店街に戻り、辺りを散策。人通りと車の往来が激しく、街は何処もそうだが、クラクションが鳴り響きっぱなし。やかましいが、次第に慣れてくると気にならなくなるモノだ。1時間程歩き回り、600ミリリットルのスプライトを25Rsで買って、ホテルに帰った。
…こうして1日目は無事終了。
シャワーを浴び、服や下着を洗濯して、早めに休む事にした。 -
翌26日、07:00起床。少し熱っぽい様だ。昨夜、ファンを回しっぱなしで寝てしまったため、寝冷えに近い症状が出ている。解熱剤と栄養剤を服用。
地下のレストランで、コーヒー、トースト、ゆで卵、チャパティー等、簡単に朝食をすませる。薄暗いレストランにはインド人のビジネスマン多数。1名だけOLとおぼしき女性がいた。
昨夜洗濯しておいた服に着替え、待ち合わせの10分ぐらい前にロビーへ。日本人の、私と同じHISの札をバッグに付けた青年が一人だけで座っていたので話しかけてみた。彼はムンバイin、デリーoutで、今日が最終日だと言う。カジュラホ等他も色々と回ったとの事だったが、彼の迎えが先に着いたため、お互い『最後までご無事で』と交わし、別れた。 -
ロビーで待っていると昨日の案内人、ゴビンド君から電話が入り、ドライバーの到着が多少遅れるとの事。
…20分遅れて09:20、ドライバー、ディロール氏到着。
日本語が通じないので英語でやり取り。クトゥブ・ミナールに向かうとの事だったが、途中の『インディラ・ガンディー博物館』に最初に立ち寄った。 -
博物館への入場は無料。写真撮影も可と言う事だったので、何枚か写真を撮った。インディラ・ガンディーの足跡や、遺品、新聞記事など多数が展示されており、使っていた書斎等の部屋も再現(?)されており、興味深く見て回った。
-
博物館の中庭は良く整備されており、とても綺麗に維持されている。平日だが家族連れも多く見受けられた。
-
小一時間程中を見学し、外に出ると、製本され小冊子の様になった葉書を売る、物売りの男達が寄ってきた。観光地には良くある、アレだ。
20ページ程で40Rsだと言うので、「それはツーリストプライスだろ、20Rsじゃなきゃ買わない」と言うと、あっさり20Rsに(笑)。記念に1冊購入。もしかしたら、もっと安かったのかも知れない。
タバコを1本吸って休憩の後、車に乗り込んだ。 -
11:00クトゥブ・ミナール到着。街の至る所に、テロを警戒してPOLICEのパトカーや警察官が見張りをやっている。最初は少しだけ緊張したが、見慣れてきた様で、「暑いのにご苦労様」等と思う様になっていた。
入場料250Rsは、もちろんツーリストプライス(^^;
多くの観光客が来ているが、ほとんどインド人。こんな時期に海外から旅行客は余り来ないという事か。 -
入り口から少し進むと、塔の姿が見えてくる。芝生の中の木陰では、インド人の家族連れが休んでいる姿を見る事が出来る。
意外と長い距離を歩いてようやく塔へ辿り着く。かなり大きな建造物だ。 -
敷地の中にも警備の係がちらほら。武装していないところを見ると、単なる警備員の様だ。
建造物群の間を通り、写真を撮って歩く。暑い。ペットボトルの水は1/3を残すのみ。外に出たら買わねば等と思いつつ、先へ進む。 -
ようやく塔へ辿り着く。塔の周りには美しい彫刻が施されており、遠くから見ると単なる塔だが、その文化的価値を感じさせる。
塔に登る事も出来る様だが、時間も無く有料との事と、現在足にハンディキャップを抱えているので、断念。他の建造物群を見て回る事にした。 -
何という建物かは分からないが、モスクの様だ。イスラム文化の特徴である屋根の形が美しい。
こういった建物が、敷地内には大小多数見られる。
大きな建物は、屋根の付いた通路で繋がっており、柵で囲われた先には入る事は出来ない。外からの見学のみだ。
…日差しが強く、非常に暑くなってきた。 -
社会見学(?)とおぼしき、小学生の団体が途中から一緒になった。私が持っているカメラに興味を示し、「フォトグラファーか?」と訊いてくる。「そうだ。」と答えると、ヒンディー語で何やら叫びながら走り去っていく。無邪気だ(^^)
この後、余程のことがない限り「フリーランス」と言う事で通す事を決意。フリーが故、金を持っていないぞと(笑)
メモ帳と交換レンズも持ち歩いているので、ライターにも見えるらしく、何度か「取材か?」とも訊かれたが、余計に金を取られても困るので、「観光を兼ねて」と答える事にしておいた。 -
敷地の端まで来た様で、これ以上先に進めない。ほとんど人はおらず、家族連れが一組、木陰でレジャーシートを広げて昼食を食べていた。
ここまで来る人も少ないらしく、修復や手入れがほとんどされていない建造物が見られ、私としては嬉しい。写真を数枚撮影、次のエリアに進む。 -
何かが祀ってあったのかも知れないが、小さな入り口を覗くと、奥は行き止まり。何に使われたのか、私には全く判らない。
他の入り口を覗いても同じだったが、中はどれも同じような大きさで広くはない。
日差しや雨を避けるには丁度良いスペースなので、住居として使われたのかも知れない等と思ってしまう。 -
モスクの様にも思えるが、屋根は抜け落ちている。
文字らしきモノも見て取れるが、無学な私には何と書いてあるのか、何文字なのかももはや理解不能(笑)
壁などに装飾が施してあるが、これらは芸術的に美しい。
小学生ご一行も記念写真をバシバシ撮っていた。 -
ストゥーパの様にも見えるが、実際には何なのか判らない巨大な建造物。【Alai Minar】と書かれた案内板発見。建物の面積はクトゥミナールの2倍、24.5mの高さがあるようだ。モスクの一種らしい。
中に入っている人も居た様だが、何処から入って良いのか不明(笑) -
何度有るのか判らないが、多分35度は超えているだろう。(- -;
あまりの暑さに、犬も陰で休んでいる。こういった光景が日中、あちこちで見られる。
11:40ドライバーのディロール氏と合流。次の場所へ向かった。 -
12:00バハーイー寺院に到着。別名、ロータス・テンプルと呼ばれるらしい。【バハーイ教】というイスラム教系宗教の寺院だそうだ。
大きな蓮の花をイメージしている様だが、一瞬、オーストラリアのオペラハウスに似ていると感じた。
大きな大理石の屋根が美しい。
入り口からまっすぐ続く道の脇には、美しい花々が咲いており、多くの人が道を歩いている。
あまりの暑さと人の多さ、空腹で(根性無しだっ!)、建物へ行く事を断念。道の途中まで進んで、望遠で写真撮影。 -
フマユーン・トンブへ。
このフマユーンの影響を受け、タージ・マハルが建設されたそうだ。もちろん世界遺産。
入り口を入って、左へ折れ、どんどん進んでいくといくつかの門をくぐる。かなり長い道のりだ。脇に結構大きいモスクらしき建物有り。
道の脇の芝生はよく手入れされており、美しい庭園の様相を呈している。ここへ来て初めてヨーロッパ系の観光客を目にする様になる。 -
どのくらい歩いたか、最後の門をくぐり、ようやくフマユーン・トンブ本体が見える。
この時代のイスラム建造物の特徴らしく、庭や建物の配置など、全て左右対称になっている。確かに写真などで見る、タージ・マハルに良く似た造りになっているが、それほどの美しさがないのは白大理石で統一されていないからであろうか。
しかしながら、外壁や柱、天井、彫刻で作られたスリットの飾り窓などのは、芸術的で大変美しい。また、左右対称の建築などは、当時の建築技術のレベルの高さをうかがわせる。素晴らしい。(^^) -
中に入ると涼しく、ヒンヤリとして心地よい。天井、壁など、彫刻が施されており、美しい。
多くの人が訪れ、この中でもたくさん写真を撮っている。中央には王の棺が安置されており、スリット状の窓からこぼれる光の反射などで、神秘的な光の演出がされていると言ったところか。
風の通りも良く、湿度も低いため、涼しく感じる。が、観光客が多く、皆静かにしてはいるが、墓の主も落ち着いて眠ってはいられないだろうとも思う(- -; -
インド門へ。猛暑の中歩き回っているせいか、かなりしんどくなっている。歳はとりたくないものだ(笑)
インドの独立を約束に、第1次大戦でイギリス軍として出兵して戦死した人々の慰霊のためのモニュメントだそうだ。
ニューデリーの中心部で、真っ直ぐの長い道の先(この写真で見ると反対側)には、国会議事堂に当たる建物や大統領官邸などがある。
客待ちのリクシャーが多く停まっており、タクシーから降りた私に、しつこく客引き攻撃(- -;
「貸し切りのタクシーで来ているから」と言うと、すぐに引いたが、会話に参加していないリクシャー・ワーラーが、入れ替わり声を掛けてくるが、そこは「No need!」と言いながら、後はシカト(笑) -
デリー市警察のパトカー。スズキのジ●ニーそっくりだが、どうやらこれはOEMの様だ。他のメーカーのロゴやマークが入っている。
インド門の下の衛兵はじめ、周辺には警官、警護の兵士多し。
道の脇は大きな公園になっており、木陰で休むインド人多数。ニューデリー市内からは牛は排除されているらしく、野良犬しか見る事が出来なかった。 -
コンノート・プレイス近くのレストラン【Splash】で食事。チキン・ティカ200Rs、水1リットル45Rs、バター・ナン33.75Rs等。
落ち着いていて、とても良い感じのレストラン。外国人の客が多いが、富裕層とおぼしきインド人もちらほら。ほぼ満員の状態だった。
少しスパイシーなチキン・ティカは美味しく、ナンとの相性もバッチリ。
ドライバー・ディロール氏も「Be my guest!」と食事を一緒にする様に頼んだが、丁寧にお礼を言って、外に出てしまった。多分、会社から厳しく禁じられているのだろう。 -
マハトマー・ガンディーの火葬を行ったとされる、ラージ・ガートヘ。
多くの観光客や、慰霊の人々が訪れていた。大きな公園の様になっており、アーチ状の橋(?)をくぐって中に入る様だが、有料との事で、入り口付近に人も多かったので中には入らず、入り口の上を通る橋の上から、望遠で撮影。
沿道には、お供えにする花を売る花売りが数名いたが、かなり暇そうにしていた(^^; -
15:30ラール・キラー(レッド・フォート)へ。
駐車場がないため、ドライバー・ディロール氏が躊躇していたのを見て、「中に入りたいから、1時間半ぐらい何処かで時間を潰して、ここに戻ってくれ」と頼み、場所を指定して、その場で別れた。
ここでも入り口付近にたむろする、サイクル・リクシャーのドライバー達の客引き攻撃(汗)
「専用のドライバーを雇っているから」と言っても、聞きやしない(怒) 手を引いて行こうとしたり、わめき立てたりと余りにしつこいので、「明日朝9時にここに来るから、その時頼む」と嘘でかわして(…方便って事で。笑)とにかく中へ。無駄な時間を潰してしまった。
観光客はじめ、家族連れや、アベックなどもちらほら。 -
外壁の周りには、とても大きく深い、堀がめくらされており、スケールの大きさを感じる。
外側の道を車で走っても、ずっと壁が続き、その敷地の広大さに驚いてしまう。
…この時間になってくると、多少暑さは和らいでくるため、中に入る気になったのかも知れない。
入場料100Rsを払い、中へ。警備の兵士が入り口の両脇を堅めており、肩から提げているサブ・マシンガンと、ライフルが無言の威圧感を与えている。
門をくぐった先も更にポストが設けてあり、警備の兵士が。セキュリティーチェックを受けないと門の先には進めない。 -
更に門を進むと、【仲見世通り】よろしく、両脇に商店が連なっている。
彫刻や宝石、絨毯やシルク、仏教グッズまで、その種類は様々。もちろん買う気はないので通り過ぎるが、見ているだけでも楽しめた。 -
商店街を抜けて先に進むと、更に門があり、警備の兵士がここにもいた。
ここでチケットのチェック。チケットは一番最初の門でチェックして、それで終わりにして欲しいが、こういうシチュエーションが、この日以降訪れた場所で何度もあった。
私の様に初めての人は何処に入れたか忘れてしまい、ポケットのあちこちを探す事になるだろうから、注意して欲しい。出来れば、『チケットを入れるポケットはこれ』と決めてしまって、それ以外のところには入れない様にした方が良いだろう。 -
更に進んだ先の建物の中の写真。
毎日行われる謁見式で、王が民に姿を見せる場所とおぼしき場所。ここは宮殿の様である。
王の姿を直接見てはいけないとの配慮か、網の様な布が上から垂れ下げてある。
この場所は大理石に彫刻を施した、芸術的な美しい造りとなっている。宝石の類が建物内部に埋め込まれていた様だが、その後略奪に遭い、今はそれを見る事は出来ない。
レッドフォートはアーグラから遷都した王、ジャー・ジャハーンによって建てられたとされている。 -
帰りの順路を進むと、インドの戦争について展示した博物館が有ったが、階段を上らねばならず、その階段は狭く、人も多かったので、ここはパス。
時間に余裕がある人は、ここに入って、是非レポートをアップして欲しい。見てみたいので(笑) -
ツーリスト・ポリスの車。観光客を守るために結成されている組織らしい。写真を撮って良いか尋ねると、快くOKしてくれた(^^)
夕方近くなっているが、まだまだ暑いので犬達は、昼寝中。だが、車の下や周りで寝そべっている姿を見た時は、『轢かれたかっ?!』と、一瞬驚く(笑)。他の場所で寝ていて欲しいものだ。 -
16:30ドライバー・ディロール氏と無事合流。
観光の際に【お約束】の、土産物屋攻撃(^^: 人の良い彼の顔を潰してはいけないと思い、シルクの布(スカーフサイズ)を3枚購入。値切り倒して、合計2,000Rs。かなり高い買い物になった気がする。
ホテルに17:30到着。代金1,000Rsと、チップ100Rsを払い、笑顔で握手。
一旦部屋に戻った後、昨日の食堂へ。今夜はオニオン・ドーサ25Rsをチョイス。オヤジが黙々と作っている姿に見とれていたが、すぐに出来上がった。代金と引き替えに、地元のインド人に混じって立ち食いしていると、昨日の英国人長期滞在者の紳士が奥さんを伴って登場。優しそうなご婦人だ。
少し話をして、明日アーグラへ行くと告げると、『気を付けて、良い旅を』と言ってくれたので、笑顔で握手。手を振って別れた。旅先での人の温かさは、心に染みる。 -
例の駅前商店街へ向かい、お土産用のスポーツバッグを350Rs、ホテルの部屋で履くサンダルを285Rsで買い、ホテルへ戻る。
道中、コカコーラ600ミリリットルを20Rsで購入。
部屋へ着くと早速洗濯。シャワーの後、荷物をまとめて、メディアバックアップを済ませ、早々と22:00頃就寝。明日は4時起きだ。
…(その2)へ続く。
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