2009/07/19 - 2009/07/19
247位(同エリア393件中)
まみさん
2009/07/19日 キエフ観光5日目
・ピロホヴォ村の野外博物館(民族建築と生活博物館)
・アンドレイ坂で買い物
・黄金の門
・週末の独立広場
【キエフ泊:ホテル・フレシチャーチク(Khreschatic)】
ピロホヴォ村の野外民俗博物館から往路と同じくマルシュルートカと地下鉄を使ってキエフの独立広場まで戻ってきました。
時刻は15時30分です。昼食抜きで野外博物館を正味4時間歩き回ったので、おなかがぺこぺこ。
これから最後のキエフ観光をするのに英気を養いたくて、まずはウクライナ料理のセルフ・レストランの「プザタ・ハタ」に向かいました。
セルフ・レストランならこんな中途半端な時間でも何か食べるものはあるはずですから。
実際に行ってみたら、中途半端な時間と思ったわりには、レストランはわりと混んでいました。
若い学生っぽい人が多かったです。
でも、私の目当てはレストランの方ではなく、カフェです。
昨日の朝・晩とプサタ・ハタを利用したときに、カフェもあることに気付きました。
そこのケーキがおいしそうだと思って目をつけていたのです。
このときに食べたケーキとコーヒーの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662492/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361986/
キエフ観光も残り半日足らず。
明日の早朝にはアエロフロートでモスクワ経由で帰国です。
しかし、このあとアンドレイ坂に並ぶ屋台のおみやげ屋でウクライナ最後の買い物をしたいので、少しユーロを換金しておくことにしました。
屋台のおみやげ屋のようなところでは、少なくとも私が欲しがるようなものがある店なら、たいていカード不可の現金払いのはずですから。
ただし、ウクライナ・フリヴニャが余って再換金したくないので、プザタ・ハタでの今日の夕食分と、あまりがばがば買い物をしないよう、小物がちょっと買えるだけのぎりぎり分。
明日のホテルから空港までの送迎は手配済みで、ホテル代は現地旅行代理店を通じて前払い、空港税・出国税などは航空券代に含まれているので、明日はもうフリヴニャは不要なのです。
もっとも、小物がちょっと買える分しか換金しないことで自分を律したつもりだったのですが、結局、アンドレイ坂での買い物では欲望に勝てず、足らない分はユーロの現金で支払ってしまいました(苦笑)。
また、夕食のプザタ・ハタでは計算違いをして、レジで支払うときに現金が足らなくなり、サーッと血の気が引きました。
幸い、使わずにとっておこうと思ったぴかぴかのきれいな1フリヴニャ硬貨(※)があったので、それでなんとか足りました。
※1フリヴニャは普通は紙幣で、硬貨は珍しいと思います。
野外博物館のギフトショップのおつりで3つもらったのですが、3つとも記念にとっておきたかったのですが、手元には1つしか残らなくなりました。でも1つ残っただけでもマシでした。
最後のキエフ観光は、独立広場からアンドレイ坂まではキエフ観光初日とほぼ同じ徒歩コースとなりました。
ただし、同じ広場に出る並行して走っている通りは違う方を選ぶなど、細かいところではルートを変えました。
そして、私のお気に入りのキエフの3大聖堂の写真を撮り収めしました。
すでに最初のキエフ観光で何枚も撮っていますが、あのときと時間帯が違うので逆光となる向きも違ってくるから、自ずと被写体のアングルも写真の構図も変わります。
それに、何枚取ってもかまわないと思えるお気に入りの建物ばかりですから。
日曜日の独立広場周辺は、昨日と同じくとても賑わっていました。
昨日と同様、フレシチャーチク大通りの一部は歩行者天国となっていましたし、広場に屋台は昨日よりたくさん出ている気がしました。
その代わり、平日の昼間にはものすごく混んでいたアンドレイ坂は、あのときに比べるとかなり空いていました。
歩道沿いにぎっしり並ぶ屋台の一部が閉まっていたのは、日曜日だから閉店なのか、あるいは平日より閉店時間が早くて、到着したときにはすでに16時30分になっていたからでしょうか。
狭くて曲がっている坂なのに大型観光バスがベテラン運転手でなければとうてい無理なハンドルさばきでぎりぎりすれすれのところでユーターンするような恐ろしくも面白かった光景は、当然ながらもう見られませんでした。
でも、お土産の屋台は、営業中のところもたくさんあったので、私の買い物には十分でした。
私は買う物を決めるときにあまり迷わないタイプなので、たった20分であっという間に予算オーバー@
換金しなかったユーロの現金まで使ってしまいました(苦笑)。
本日アンドレイ坂でゲットしたお土産の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16662530/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその8:ウクライナでゲットしたもの」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361990/
17時にはアンドレイ坂を後にして、プザタ・ハタで夕食をとってからホテルに戻ることにしました。
その際、少し遠回りしてキエフの黄金の門を見に行きました。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」のラスト曲の「黄金の門」のモデルです。
ただし、ムソルグスキーが絵にしたのはその門を描いた絵であって実物ではないですから、音楽のイメージから期待して見に行くと拍子抜けするらしいです。
そのことをあらかじめ知っていたので、思ったより凝っていてかっこいいという印象を抱くことができました。
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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永遠に埋らぬ距離!?
だだっ広い独立広場のほぼ端と端にある2つの彫像がPowerShot SX 200 ISの光学12倍ズームのおかげで、一つの画面の中に入りました@
左は、独立記念碑の円柱上の女性像です。
手は、ミニチュアのペチェルスキエ門の上の黒い大天使ミカエル像です。
キエフ観光初日に撮った、独立広場の独立記念碑のある写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16830599/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16830555/
キエフ観光初日に撮った、独立広場のミニチュアのペチェルスキエ門の上の大天使ミカエル像の正面からの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16830554/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(1)キエフ:せっかくだから独立広場から」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367605/
2つの像の距離がどのくらいはなれているか、少しは目安になる写真!?
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367605/
この写真には独立記念碑は写っていますが、ミニチュアのペチェルスキエ門はファィンダーの右側ずっと外です。
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその7:ウクライナのホテル・レポート」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361989/ -
ミハイリフスカ通りの家
この壁の色がお気に入りなんです@
私にとって華やかなロマノフ王朝のロシアを連想させます。 -
聖ミハイルの黄金ドームの修道院、再び
日曜日のまだ日が高い午後過ぎなのに、キエフ観光初日の平日の月曜日よりも観光客が少なくて閑散としていました。
キエフ観光初日にじっくり撮った聖ミハイルの黄金ドームの修道院の写真のある旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(2)キエフ:予想以上の美しさにドキドキ───聖ソフィア大聖堂とそこから見た黄金ドームの聖ミハイル修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367606/
「2009年ウクライナ旅行第2日目(4)キエフ:ここもたぶんキエフで最も美しいところ───黄金ドームの聖ミハイル修道院とアンドレイ教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367611/
キエフ観光2日目に再訪した聖ミハイルの黄金ドームの修道院の写真のある旅行記
「2009年ウクライナ旅行第3日目(5)キエフ:ウクライナ心の宝博物館が閉館でがっかり───聖ミハイルの黄金ドーム修道院再訪とドニプル川沿い公園」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10371189/ -
黄金ドームにうっとりの聖ミハイルの黄金ドームの修道院のメインの教会を外から
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おとぎの国の城のようなアンドレイ教会、再び
キエフ観光初日にじっくり撮ったアンドレイ教会の写真のある旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(4)キエフ:ここもたぶんキエフで最も美しいところ───黄金ドームの聖ミハイル修道院とアンドレイ教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367611/
キエフ観光2日目もじっくりアンドレイ教会とアンドレイ坂の写真のある旅行記
「2009年ウクライナ旅行第3日目(4)キエフ:おみやげ屋の屋台がずらりのアンドレイ坂と一本道の博物館」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10371188/ -
アンドレイ坂の続き、ウラジーミル通りの美しい建物
アンドレイ教会を背にして、ウクライナ歴史博物館のある広場を通り過ぎたところにあった建物です。
こんなに美しいのに、「売出し中」という垂れ幕がちょっと興ざめでしたので、それが入らないように撮りました@ -
ウルジーミル通りにて・その1
たくさんの絵が売られていました。
ステキな絵がたくさんでした。 -
ウルジーミル通りにて・その2
惹かれる絵もたくさんありました。 -
ウラジーミル通りの塔のある建物
聖ソフィア修道院のそばです。 -
聖ソフィア修道院の鐘楼、再び、ウラジーミル通り側から撮影
午後になるとこの向きだと逆光になります。
空は青空だったのですが、建物が暗くならないように露出オーバーにすると、今度は空が白っぽくなってしまいます。
なのでウラジーミル通りの街路樹で枠構造にすることで、写真の中の白飛びする空を少しでも目立たせないようにしてみました。
キエフ観光初日にじっくり撮った聖ソフィア修道院の写真のある旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(2)キエフ:予想以上の美しさにドキドキ───聖ソフィア大聖堂とそこから見た黄金ドームの聖ミハイル修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367606/ -
聖ソフィア修道院の聖ソフィア教会の黄金の塔
逆光なので、次はこんな風に撮ってみました。 -
ウラジーミル通りのパステルカラー・ピーチ色の美しい建物
こんなにステキな建物なのに、エアコンがちょっと邪魔(苦笑)。 -
ウラジーミル通りのパステルカラー・ピーチ色の美しい建物の窓辺
同じ建物です。光る逆光の葉にも惹かれたので、これで無粋なエアコンを隠しました@ -
ウラジーミル通りのクラシカルな美しい建物を見上げて
空と街路樹もとても美しかったから。 -
キエフの黄金の門(Zolti Vorata)
ムソルグスキーの「展覧会の絵」のラスト曲のモデルの門です。
でも、直接のモデルとされている画家ハルトマンが描いた「キエフの黄金の門」と比べてみましょう。
ムソルグスキーが「展覧会の絵」のモデルにしたと思われるハルトマンの絵が載っているサイト
http://www.geocities.jp/qqbjj485/XPX/X-k-hartmann.htm
随分と雰囲気が違いますが、ハルトマンの絵はこのサイトによると、コンペに出したスケッチで、採用されなかったものだったのですね。
似てなくて当たり前でした。
しかし、ムソルグスキーの曲のイメージはハルトマンの絵よりも現在に残る実物の方がずっと近い気がするのは私のひいき目かしら@
※11〜12世紀の黄金の門周辺を描いた絵画の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16901307/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(5)キエフ:ウクライナ歴史博物館(1)歴史が分からなくても楽しめる!?」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10368090/
「キエフの正面玄関 黄金の門
11世紀前半、ヤロスラフ賢公によってキエフ市外を取り囲む城壁が築かれ、コンスタンチノープルの例に習って、町の公式の入口としてこの門が造られた。当時は門の上に建てられた教会の金箔のドームが、遠くからも輝いて見えたとのことだ。
1240年にモンゴル軍によって破壊され、バトゥ・ハーン自身この門を通ってキエフに入城したと伝えられる。
現在の建物は1892年に再建されたもので、内部にオリジナルの門の廃墟が包まれるように保存されている。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
「黄金の門
この門は、町を防衛する役割と、文字通り町の門としての機能を果たすために、キエフ・ルーシ時代の1037年に建てられたものです。
門の上には、金箔塗りの屋根の付いたブラガベシェンニー寺院が建てられ、門の名前は恐らくその金箔の屋根に由来していると考えられています。他にも諸説があり、ビザンチン帝国コンスタンチノープルにある同名の建造物から名前をとったという説や、銅製の門が太陽に当たって黄金に光り輝いたためという説もあります。いずれにせよ、当時人々の間で、この門は天の門として考えられ、門の頭上高く登る太陽が人々を闇と死から救うとされていました。
1750年、門を保存するため地中に埋められましたが、1832年考古学者ロフビツキーにより発掘され、11世紀の外観に戻すための研究がその後150年も続けられました。キエフ建市1500年祭に当たる1982年にようやく修復作業を終えましたが、壁の一部に残る断片だけが古代ロシアの建築技術を伝えています。
ロシアの作曲家ムソルグスキーが、友人であった画家ハルトマンの遺作展で見た絵画に大変感銘を受け、そのインスピレーションによって組曲「展覧会の絵」を作曲したのは有名な逸話ですが、その最後を飾る曲「キエフの大門」はハルトマンの描いたこの「黄金の門」がもとになっています。
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「キエフ案内(2007年1月現在) III. 観光」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/kyivannai/3kyivkankou.htm#kankou -
プリオリング通りのおしゃれな建物
黄金の門をはす向かいに、ウラジーミル大通りと、独立広場を貫くフレシチャーチク大通りを交差する通り沿いの建物です。
もとは貴族の館だったかもれません。
現在は何かの施設として流用されているようでした。
───2009年ウクライナ旅行記・完──
このあとは、アエロフロートの乗継ぎ8時間半を利用してモスクワ市内に出た最後の最後の観光の旅行記が2つ続きます。
乗継ぎは8時間半あったとはいえ、乗継ぎにかかる時間や空港と市内との往復、それからまだ開通して間もないアエロエクスプレスに乗って市内に出たかったというこだわりなどがあったため、モスクワ観光できたのは正味1時間半でしたけどネ。
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその9(おまけ)モスクワでアエロエクスプレスに乗りました(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361993/
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