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2007/07/23(月)第16日目:ヤシ1日目<br />【宿泊:Hotel Moldova(ヤシ)】<br /> 8:07発の急行列車でヤシ着10:02(ほぼ時刻どおり)<br />聖ニコライ・ドムネスク教会、三聖人教会、シュテファン大公通りのカトリック教会、正教聖堂(大聖堂)、聖サヴァ教会、アルメニア教会、使徒ペテロ・パウロ教会、ゴリア修道院、要塞修道院(タクシーで往復。見学中に待機していてもらった)、モルドヴァ正教聖堂<br />※月曜日で博物館は休みなので教会めぐり計10か所<br /><br />ヤシでの1日目は、教会巡りの日です。<br />この街では文化宮殿内の4つの博物館めぐりを1番楽しみにしているのですが、月曜日はお休みです。<br />幸い、2番から4番目の楽しみが教会ですし、Lonely Planetには、それ以外にも面白そうな教会が紹介されています。<br /><br />ヤシのみどころはいくつか離れて存在しています。<br />観光の拠点とするホテルは、1番目当ての文化宮殿の近くの三つ星にしました。<br />2番から4番目当ての教会も、文化宮殿から十分徒歩圏内にあります。<br />トラムを利用すれば、もう少し観光したいところも増えます。<br />コポウ公園や植物園の方にも足を伸ばせるでしょう。<br /><br />と当初は予定していたのですが。<br />スチャヴァから急行列車で約2時間、午後1時半から開始したヤシ観光は、翌日も含め、結局、ほとんど歩いてすませました。<br />一ヶ所、タクシーを使ったのを除いて。<br />トラムを使って行動範囲を広げたいのはやまやまでしたが、路線が分からなかったので、思い切って乗ることができなかったのです。<br /><br />というわけで、本日は、教会を10ヶ所も回ってしまいました。<br />飛び抜けて離れたところにあった一ヶ所だけタクシーを利用したものの、残りは幸い、思ったより近くに密集していたおかげです。<br />といっても、さすがにはじめから教会を10も回ろうと思っていたわけではないです。<br />ゆっくり周って、途中でカフェで休んでも、正直、時間が余りそうだったのです。<br />一区切りついた段階で、周る教会を1つ1つ増やしていったら、10ヶ所も周れてしまったというわけです。<br /><br />ただし、その10ヶ所のうち、ヤシ観光の中で3番目に楽しみにしていた教会は、外側に思いっきり修復の足場が組まれていて見栄えが損なわれていました。<br />また、4番目に楽しみにしていた教会はルーマニア正教の大聖堂は、中も修復中で入れませんでした。もちろん、信者も入れないので、別棟に聖人の棺おけと礼拝堂が移されていました。そちらは見学できました。<br />そういったいくつかのがっかりはあったものの、10の教会のほとんどが、中に入って見学することができたのは幸いです。<br />ミサのとき以外は閉ざされていて中に入れないこともありえたわけですから。<br /><br />ただ、教会めぐりって、観光ハイライトの中で一番記憶に残りにくいんですよね。<br />1つ1つどれも目をみはる豪華さや、少なくとも興味を引くものが何かしらあって楽しめたとはいっても。<br />どの教会がどれだったか、あっという間に記憶がごちゃごちゃになります。<br />それを少しでも引きとめてくれるのが写真と旅先で直後に走り書きしたメモです。<br /><br />そんな風にヤシの1日目の大半を費やした教会めぐりを、3つの旅行記に分けてみました。<br />まずは、最初に訪れた2つ、ヤシ観光で、文化宮殿の次に楽しみにしていた聖ニコライ・ドムネスク教会と、3番目に楽しみにしていた三聖人教会です。<br /><br />ちなみに、聖ニコライ・ドムネスク教会は無料でしたが、三聖人教会は入場料5レウでした。<br />(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)<br />料金を徴収していたのは、学生っぽい雰囲気の男性たちでした。ひょっとしたら、修復に携わる美大生かしら、と思ったりしました。

2007年ルーマニア旅行第16日目(2):月曜のヤシは教会めぐり・その1

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2007/07/23 - 2007/07/23

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5

18

まみ

まみさん

2007/07/23(月)第16日目:ヤシ1日目
【宿泊:Hotel Moldova(ヤシ)】
 8:07発の急行列車でヤシ着10:02(ほぼ時刻どおり)
聖ニコライ・ドムネスク教会、三聖人教会、シュテファン大公通りのカトリック教会、正教聖堂(大聖堂)、聖サヴァ教会、アルメニア教会、使徒ペテロ・パウロ教会、ゴリア修道院、要塞修道院(タクシーで往復。見学中に待機していてもらった)、モルドヴァ正教聖堂
※月曜日で博物館は休みなので教会めぐり計10か所

ヤシでの1日目は、教会巡りの日です。
この街では文化宮殿内の4つの博物館めぐりを1番楽しみにしているのですが、月曜日はお休みです。
幸い、2番から4番目の楽しみが教会ですし、Lonely Planetには、それ以外にも面白そうな教会が紹介されています。

ヤシのみどころはいくつか離れて存在しています。
観光の拠点とするホテルは、1番目当ての文化宮殿の近くの三つ星にしました。
2番から4番目当ての教会も、文化宮殿から十分徒歩圏内にあります。
トラムを利用すれば、もう少し観光したいところも増えます。
コポウ公園や植物園の方にも足を伸ばせるでしょう。

と当初は予定していたのですが。
スチャヴァから急行列車で約2時間、午後1時半から開始したヤシ観光は、翌日も含め、結局、ほとんど歩いてすませました。
一ヶ所、タクシーを使ったのを除いて。
トラムを使って行動範囲を広げたいのはやまやまでしたが、路線が分からなかったので、思い切って乗ることができなかったのです。

というわけで、本日は、教会を10ヶ所も回ってしまいました。
飛び抜けて離れたところにあった一ヶ所だけタクシーを利用したものの、残りは幸い、思ったより近くに密集していたおかげです。
といっても、さすがにはじめから教会を10も回ろうと思っていたわけではないです。
ゆっくり周って、途中でカフェで休んでも、正直、時間が余りそうだったのです。
一区切りついた段階で、周る教会を1つ1つ増やしていったら、10ヶ所も周れてしまったというわけです。

ただし、その10ヶ所のうち、ヤシ観光の中で3番目に楽しみにしていた教会は、外側に思いっきり修復の足場が組まれていて見栄えが損なわれていました。
また、4番目に楽しみにしていた教会はルーマニア正教の大聖堂は、中も修復中で入れませんでした。もちろん、信者も入れないので、別棟に聖人の棺おけと礼拝堂が移されていました。そちらは見学できました。
そういったいくつかのがっかりはあったものの、10の教会のほとんどが、中に入って見学することができたのは幸いです。
ミサのとき以外は閉ざされていて中に入れないこともありえたわけですから。

ただ、教会めぐりって、観光ハイライトの中で一番記憶に残りにくいんですよね。
1つ1つどれも目をみはる豪華さや、少なくとも興味を引くものが何かしらあって楽しめたとはいっても。
どの教会がどれだったか、あっという間に記憶がごちゃごちゃになります。
それを少しでも引きとめてくれるのが写真と旅先で直後に走り書きしたメモです。

そんな風にヤシの1日目の大半を費やした教会めぐりを、3つの旅行記に分けてみました。
まずは、最初に訪れた2つ、ヤシ観光で、文化宮殿の次に楽しみにしていた聖ニコライ・ドムネスク教会と、3番目に楽しみにしていた三聖人教会です。

ちなみに、聖ニコライ・ドムネスク教会は無料でしたが、三聖人教会は入場料5レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
料金を徴収していたのは、学生っぽい雰囲気の男性たちでした。ひょっとしたら、修復に携わる美大生かしら、と思ったりしました。

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  • ホテルの正面駐車場から撮った聖ニコライ・ドムネスク教会<br /><br />ヤシで2番目に楽しみにしていた聖ニコライ・ドムネスク教会は、ヤシで2泊するモルドヴァ・ホテルのすぐ目の前にありました。<br />茶色いレンガ造りで、この内陣側の半円のラインがとても美しい教会です。<br /><br />聖ニコラエ・ドムネスク教会(Biserica Sfantul Nikolae Domnescu)<br />「ヤシ最古の建築物といわれる教会。1492年シュテファン大公治世下に建てられた。外壁の彩色された聖人画が美しい。」<br />(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)

    ホテルの正面駐車場から撮った聖ニコライ・ドムネスク教会

    ヤシで2番目に楽しみにしていた聖ニコライ・ドムネスク教会は、ヤシで2泊するモルドヴァ・ホテルのすぐ目の前にありました。
    茶色いレンガ造りで、この内陣側の半円のラインがとても美しい教会です。

    聖ニコラエ・ドムネスク教会(Biserica Sfantul Nikolae Domnescu)
    「ヤシ最古の建築物といわれる教会。1492年シュテファン大公治世下に建てられた。外壁の彩色された聖人画が美しい。」
    (’07〜’08年版「地球の歩き方」より)

  • 横から見た聖ニコライ・ドムネスク教会<br /><br />外壁のくぼみに、青地で赤系の衣装をまとった聖人が描かれていて、とても美しいです。<br />聖人の絵には、美しい装飾字体で名前が書かれています。美しすぎて、読みづらい……。<br />ただ残念ながら、私は、ルーマニア正教会、いや正教会の聖人は、ほとんど知らないので、読めても誰だか分からない人たちばかりでしょう。カトリックと共通する人なら、知っている人がいるかもしれないですが。<br /><br />「(ドソフティ)博物館の裏には、素晴らしいフレスコ画が屋内・外にある聖ニコラエ・ドムネスク教会が立っている。1492年にシュテファン大公が建設した。その後にアントニー・ロセット公が再建して拡張(1677)。最終的にフランス人の建築家であるアンドレ・レコントが1884年に建て替えている。美の遺産が見事に継承されてきた例である。」<br />(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

    横から見た聖ニコライ・ドムネスク教会

    外壁のくぼみに、青地で赤系の衣装をまとった聖人が描かれていて、とても美しいです。
    聖人の絵には、美しい装飾字体で名前が書かれています。美しすぎて、読みづらい……。
    ただ残念ながら、私は、ルーマニア正教会、いや正教会の聖人は、ほとんど知らないので、読めても誰だか分からない人たちばかりでしょう。カトリックと共通する人なら、知っている人がいるかもしれないですが。

    「(ドソフティ)博物館の裏には、素晴らしいフレスコ画が屋内・外にある聖ニコラエ・ドムネスク教会が立っている。1492年にシュテファン大公が建設した。その後にアントニー・ロセット公が再建して拡張(1677)。最終的にフランス人の建築家であるアンドレ・レコントが1884年に建て替えている。美の遺産が見事に継承されてきた例である。」
    (「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

  • 教会の周りは小さな公園<br /><br />教会へ続く花道です。花はなくて、街灯が並んでいます@<br />教会の正面を写す際に、その街灯をファインダーに入れたかったのです。<br /><br />中は残念ながら撮影禁止。<br />入ってすぐの入口の右側にカロル1世、エリザベス王妃、王女王子たちのフレスコ画がありました。<br />カロル1世はシナイアのペレシュ城やペリショール城を建てた王です。<br />ルーマニアが王国となったときの初代王ですし、治世が長いので、ルーマニア史を詳しくさらわなくてもわりと出会う名前です。<br /><br />左側には、教会の創健者イオアン・シュテファン(Ioan Stefan Veovob)とその家族がキリストに教会の模型を捧げている図がありました。<br />これが描かれるのは決まりです。<br /><br />内壁に描かれた聖人や王たちの頭上に書かれた名前は、文字が読みやすいです。ただし、知らない人ばっかり。<br />聖ニコラウス伝のフレスコ画がありました。正教会では特にポピュラーな聖人ですものね。<br />イコノスタシスの前では、礼拝する際に、聖母子のイコンだけでなく、イコノスタシスのイコンそのものにもキスしている人がいました。

    教会の周りは小さな公園

    教会へ続く花道です。花はなくて、街灯が並んでいます@
    教会の正面を写す際に、その街灯をファインダーに入れたかったのです。

    中は残念ながら撮影禁止。
    入ってすぐの入口の右側にカロル1世、エリザベス王妃、王女王子たちのフレスコ画がありました。
    カロル1世はシナイアのペレシュ城やペリショール城を建てた王です。
    ルーマニアが王国となったときの初代王ですし、治世が長いので、ルーマニア史を詳しくさらわなくてもわりと出会う名前です。

    左側には、教会の創健者イオアン・シュテファン(Ioan Stefan Veovob)とその家族がキリストに教会の模型を捧げている図がありました。
    これが描かれるのは決まりです。

    内壁に描かれた聖人や王たちの頭上に書かれた名前は、文字が読みやすいです。ただし、知らない人ばっかり。
    聖ニコラウス伝のフレスコ画がありました。正教会では特にポピュラーな聖人ですものね。
    イコノスタシスの前では、礼拝する際に、聖母子のイコンだけでなく、イコノスタシスのイコンそのものにもキスしている人がいました。

  • 聖ニコライ・ドムネスク教会の外壁に描かれたエゼキエルとエレミア<br /><br />旧約聖書の預言者のこのお二方の名前は分かったものですから、嬉しくなって写真を撮ってしまいました。<br /><br />エゼキエルは、バビロンの捕囚の時代の預言者です。聖書に彼について書かれたエゼキエル書があります。<br />彼は神が光を放つ不思議な生き物に引かれた四輪の馬車に乗った神を目撃しています。このあたりが西欧のキリスト絵画の題材になりそうです。<br /><br />エレミアは、エゼキエルより少し前の預言者で、バビロンの捕囚のことを「北からの災い」として預言し、イスラエルの民に警告してきました。でも信じてもらえなかった哀しみの預言者です(というか、信じてもらえた預言者っていましたっけ?)。<br />バビロンの捕囚の際にはネブカドネサル王に屈服しなかったため殺されています。<br />聖書に彼について書かれたエレミア書があります。<br />バビロニアによるエルサレムの陥落と神殿の破壊を嘆く「エレミア哀歌」は彼の作とされています(最近の研究では違うみたいです)。

    聖ニコライ・ドムネスク教会の外壁に描かれたエゼキエルとエレミア

    旧約聖書の預言者のこのお二方の名前は分かったものですから、嬉しくなって写真を撮ってしまいました。

    エゼキエルは、バビロンの捕囚の時代の預言者です。聖書に彼について書かれたエゼキエル書があります。
    彼は神が光を放つ不思議な生き物に引かれた四輪の馬車に乗った神を目撃しています。このあたりが西欧のキリスト絵画の題材になりそうです。

    エレミアは、エゼキエルより少し前の預言者で、バビロンの捕囚のことを「北からの災い」として預言し、イスラエルの民に警告してきました。でも信じてもらえなかった哀しみの預言者です(というか、信じてもらえた預言者っていましたっけ?)。
    バビロンの捕囚の際にはネブカドネサル王に屈服しなかったため殺されています。
    聖書に彼について書かれたエレミア書があります。
    バビロニアによるエルサレムの陥落と神殿の破壊を嘆く「エレミア哀歌」は彼の作とされています(最近の研究では違うみたいです)。

  • とっても残念な、三聖人教会!<br /><br />このように修復のための足場やポールのようなものでぎっちり固められてしまっていたので、せっかくの美しさが台無しです。<br />肉眼では、黄色いポールを無視して、外壁の美しさを鑑賞することは可能です。目は都合よく修復の足場を無視するから。<br />でもカメラはそうはいかないから……。<br /><br />三聖人教会(Biserica de Trei Ierarhi)<br />「シュテファン・チェル・マーレ通りの南側、文化宮殿近くに建つ、外壁の隅々まで施された繊細な彫刻の美しい教会。1638年にヴァシレ・ルプ公(Vasile Lupu)がヴァシレ、イオン、グリゴレの三司教を祀って建設したもので、モルドヴァ建築美術の粋ともいえる教会だ。聖堂内には三司教の肖像がフレスコ画によって描かれている。また、ヴァシレ・ルプ王の柩も安置されている。教会のモデルはスチャヴァ郊外のドラゴミルネイ修道院の聖堂なので、興味ある人は比較してみるといい。」<br />(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)

    とっても残念な、三聖人教会!

    このように修復のための足場やポールのようなものでぎっちり固められてしまっていたので、せっかくの美しさが台無しです。
    肉眼では、黄色いポールを無視して、外壁の美しさを鑑賞することは可能です。目は都合よく修復の足場を無視するから。
    でもカメラはそうはいかないから……。

    三聖人教会(Biserica de Trei Ierarhi)
    「シュテファン・チェル・マーレ通りの南側、文化宮殿近くに建つ、外壁の隅々まで施された繊細な彫刻の美しい教会。1638年にヴァシレ・ルプ公(Vasile Lupu)がヴァシレ、イオン、グリゴレの三司教を祀って建設したもので、モルドヴァ建築美術の粋ともいえる教会だ。聖堂内には三司教の肖像がフレスコ画によって描かれている。また、ヴァシレ・ルプ王の柩も安置されている。教会のモデルはスチャヴァ郊外のドラゴミルネイ修道院の聖堂なので、興味ある人は比較してみるといい。」
    (’07〜’08年版「地球の歩き方」より)

  • 三聖人教会の外壁の浮彫装飾の美しさの一端<br /><br />こうやって撮れば、浮彫模様の美しさの想像がつくでしょうか。<br />教会の外観全体の写真は、この修復用の黄色いポールが目立つので、撮りませんでした。<br />「シュテファン大公通りを挟んだ形でドムネスク教会の向かいにある三聖人教会も、美しさで負けていない。1637〜39年にかけてヴァシレ・ルプ公が建てた。外壁の隅々にまで施された複雑な石の彫刻、それらを覆う金、銀、瑠璃の装飾が素晴らしい。この教会にヴァシレ公は、自らの天国を見出すべく、建築にあたった。1650年にトルコ軍の攻撃を受けて、大きな被害を被る。後にゴシック、ルネサンス、そして東洋のモチーフを融合させながら、注意深く復興されている。」<br />(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

    三聖人教会の外壁の浮彫装飾の美しさの一端

    こうやって撮れば、浮彫模様の美しさの想像がつくでしょうか。
    教会の外観全体の写真は、この修復用の黄色いポールが目立つので、撮りませんでした。
    「シュテファン大公通りを挟んだ形でドムネスク教会の向かいにある三聖人教会も、美しさで負けていない。1637〜39年にかけてヴァシレ・ルプ公が建てた。外壁の隅々にまで施された複雑な石の彫刻、それらを覆う金、銀、瑠璃の装飾が素晴らしい。この教会にヴァシレ公は、自らの天国を見出すべく、建築にあたった。1650年にトルコ軍の攻撃を受けて、大きな被害を被る。後にゴシック、ルネサンス、そして東洋のモチーフを融合させながら、注意深く復興されている。」
    (「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)

  • 三聖人教会の外壁の美しい浮彫装飾<br /><br />このような浮彫装飾が、外壁にぎっしりなのです。<br />ああ、こんな修復用のポールがない、まっさらな姿で見てみたかったです。<br />この美しい浮彫模様は、17世紀のブコヴィナ建築スタイルです。おととい訪れたスチャヴァ近郊のドラゴミルナ修道院を思い出します。塔の部分に、このような浮彫装飾が施されていました。<br />ただし、残念ながらあちらも、その肝心の塔の部分が修復中でした。<br /><br />関連の写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13409637/<br />実物を見られなかった代わりにパンフレットの写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13409676/<br />関連の旅行記<br />「2007年ルーマニア旅行第15日目(1)ブコヴィナ地方:ほっそり優雅なドラゴミルナ修道院と牧歌風景」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10216973/

    三聖人教会の外壁の美しい浮彫装飾

    このような浮彫装飾が、外壁にぎっしりなのです。
    ああ、こんな修復用のポールがない、まっさらな姿で見てみたかったです。
    この美しい浮彫模様は、17世紀のブコヴィナ建築スタイルです。おととい訪れたスチャヴァ近郊のドラゴミルナ修道院を思い出します。塔の部分に、このような浮彫装飾が施されていました。
    ただし、残念ながらあちらも、その肝心の塔の部分が修復中でした。

    関連の写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13409637/
    実物を見られなかった代わりにパンフレットの写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13409676/
    関連の旅行記
    「2007年ルーマニア旅行第15日目(1)ブコヴィナ地方:ほっそり優雅なドラゴミルナ修道院と牧歌風景」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10216973/

  • 教会のそばの鐘<br /><br />鐘よりむしろ、黄色いルドベキア系のパッと目を引く鮮やかな花の群れに惹かれて@<br />鐘がこんな風に置かれているのは、それなりのわけがあるのだと思いますけどね。

    教会のそばの鐘

    鐘よりむしろ、黄色いルドベキア系のパッと目を引く鮮やかな花の群れに惹かれて@
    鐘がこんな風に置かれているのは、それなりのわけがあるのだと思いますけどね。

  • 三聖人教会創建者ヴァシレ・ルプ公のフレスコ画<br /><br />教会の入口を入ってすぐの左壁には、創建者の肖像画が描かれているのが決まりなので、この絵が創健者の夫妻だろうと見当がつきました。<br /><br />ヴァシレ・ルプ公とはどんなお方かネットで調べたところ、ウィキペディア・フリー百科事典「ヤシ」の項目の中の文化についての解説にこうありました。<br /><br />「政治的な悪条件にもかかわらず、中世以降モルドバ文化は独自の性格を強めていく。<br />『モルドバ性』は、16世紀後半にペトル公(Petru)(在位1634〜1653)の建立したガラタ修道院や、特に1639年にバシレ・ルプ公(Vasile Lupu)が建立し、教会建築におけるモルドバ様式の傑作といわれているトレイ・イェラルヒ教会によく表れているという。またバシレ・ルプ公は、1640年頃にスラブ語とギリシア語による学校を創設し、またモルドバ最初の印刷所も設立した。」<br />(ウィキペディア・フリー百科事典「ヤシ」より引用)<br /><br />政治的悪条件とは、中世から近代にかけてのヤシは、オスマントルコ、クリミア・ハン国、ポーランド、コサックといった外敵に絶えず悩まされていたことです。<br />トレイ・イェラルヒ教会とは、まさにこの三聖人教会(Biserica de Trei Ierarhi)のことです。<br /><br />ヴァシレ・ルプ公の肖像画は、ウィキペディア・フリー百科事典のルーマニア語版にありました。<br />おかげで、この壁画に描かれているのはヴァシレ・ルプ公だと確信することができました。<br />http://ro.wikipedia.org/wiki/Vasile_Lupu

    三聖人教会創建者ヴァシレ・ルプ公のフレスコ画

    教会の入口を入ってすぐの左壁には、創建者の肖像画が描かれているのが決まりなので、この絵が創健者の夫妻だろうと見当がつきました。

    ヴァシレ・ルプ公とはどんなお方かネットで調べたところ、ウィキペディア・フリー百科事典「ヤシ」の項目の中の文化についての解説にこうありました。

    「政治的な悪条件にもかかわらず、中世以降モルドバ文化は独自の性格を強めていく。
    『モルドバ性』は、16世紀後半にペトル公(Petru)(在位1634〜1653)の建立したガラタ修道院や、特に1639年にバシレ・ルプ公(Vasile Lupu)が建立し、教会建築におけるモルドバ様式の傑作といわれているトレイ・イェラルヒ教会によく表れているという。またバシレ・ルプ公は、1640年頃にスラブ語とギリシア語による学校を創設し、またモルドバ最初の印刷所も設立した。」
    (ウィキペディア・フリー百科事典「ヤシ」より引用)

    政治的悪条件とは、中世から近代にかけてのヤシは、オスマントルコ、クリミア・ハン国、ポーランド、コサックといった外敵に絶えず悩まされていたことです。
    トレイ・イェラルヒ教会とは、まさにこの三聖人教会(Biserica de Trei Ierarhi)のことです。

    ヴァシレ・ルプ公の肖像画は、ウィキペディア・フリー百科事典のルーマニア語版にありました。
    おかげで、この壁画に描かれているのはヴァシレ・ルプ公だと確信することができました。
    http://ro.wikipedia.org/wiki/Vasile_Lupu

  • 三聖人教会のイコノスタシス<br /><br />内部も実は修復中だったんですよ(泣)。<br />この写真はぜひ豪華なシャンデリアと一緒に撮りたかったのですが。<br /><br />ちなみに信者の方は、礼拝のときは、真ん中の王門の左右にある聖母子のイコンに向かって十字を切ったり、キスしたりしていました。<br /><br />★イコノスタシスについて<br />正教会に必ずあるイコノスタシスは、聖なる空間と俗世を隔てる壁であると同時に、ここをミサのときに司祭が聖書を持って行き来することから、2つの世界を結び付ける存在でもあります。<br />詳しくは、以下の写真コメントに「イコンのこころ」(高橋保行・著/春秋社)からイコノスタシスについての抜粋引用をご参照ください。<br /><br />関連の写真<br />ブラショフのルーマニア正教会のイコノスタシスの写真<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967865/<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967883/<br />関連の旅行記「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(4):ブラショフ中央公園とルーマニア正教会」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10135677/

    三聖人教会のイコノスタシス

    内部も実は修復中だったんですよ(泣)。
    この写真はぜひ豪華なシャンデリアと一緒に撮りたかったのですが。

    ちなみに信者の方は、礼拝のときは、真ん中の王門の左右にある聖母子のイコンに向かって十字を切ったり、キスしたりしていました。

    ★イコノスタシスについて
    正教会に必ずあるイコノスタシスは、聖なる空間と俗世を隔てる壁であると同時に、ここをミサのときに司祭が聖書を持って行き来することから、2つの世界を結び付ける存在でもあります。
    詳しくは、以下の写真コメントに「イコンのこころ」(高橋保行・著/春秋社)からイコノスタシスについての抜粋引用をご参照ください。

    関連の写真
    ブラショフのルーマニア正教会のイコノスタシスの写真
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967865/
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/11967883/
    関連の旅行記「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(4):ブラショフ中央公園とルーマニア正教会」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10135677/

  • ナオスの左脇の壁の黄金に輝く壁画<br /><br />おそらく真ん中がキリストで、向かって左が聖母マリア、右が洗礼者ヨハネでしょう。<br />洗礼者ヨハネは羽が生えた姿が描かれることが多いのです。

    ナオスの左脇の壁の黄金に輝く壁画

    おそらく真ん中がキリストで、向かって左が聖母マリア、右が洗礼者ヨハネでしょう。
    洗礼者ヨハネは羽が生えた姿が描かれることが多いのです。

  • 書見台<br /><br />ミサのとき、司祭の祈りをアカペラで復唱する人たちは、ここにその楽譜のようなものを載せるはずです。

    書見台

    ミサのとき、司祭の祈りをアカペラで復唱する人たちは、ここにその楽譜のようなものを載せるはずです。

  • ナオスとプロナオスの間の3つのアーチのある壁<br /><br />このように境界の壁に3つのアーチの出入り口を設けると、カトリック教会の三廊式に構造が似てきます。<br />だから、ローマ教皇を受け入れたルーマニア正教会との折衷ともいうべきギリシャ・カトリック教会では、この構造がよく採り入れられていました。

    ナオスとプロナオスの間の3つのアーチのある壁

    このように境界の壁に3つのアーチの出入り口を設けると、カトリック教会の三廊式に構造が似てきます。
    だから、ローマ教皇を受け入れたルーマニア正教会との折衷ともいうべきギリシャ・カトリック教会では、この構造がよく採り入れられていました。

  • 豪華なイコノスタシスを、王門を中心にもう一度

    豪華なイコノスタシスを、王門を中心にもう一度

  • 王冠のようなシャンデリア<br /><br />うーん、修復用のポールがジャマ……。

    王冠のようなシャンデリア

    うーん、修復用のポールがジャマ……。

  • 王座<br /><br />背もたれの装飾の玉が欠けているので、そろばんに見えなくもないです@<br />余談ですが、ルーマニア正教会内に必ずあるこの王座は、いつも中世の王座風です。座り心地が良さそうなものは見たことがないです(笑)。

    王座

    背もたれの装飾の玉が欠けているので、そろばんに見えなくもないです@
    余談ですが、ルーマニア正教会内に必ずあるこの王座は、いつも中世の王座風です。座り心地が良さそうなものは見たことがないです(笑)。

  • 美しい浮彫りの柱<br /><br />ふんだんに金が使われています@<br />これらは17世紀にトルコ軍の攻撃を受けたときに一度無残に略奪されたものを復興させたのでしょう。<br />そんな往時の豪華な姿を再現させてくれているのですから、修復用のポールがジャマ、なんて言ってはいけませんね。

    美しい浮彫りの柱

    ふんだんに金が使われています@
    これらは17世紀にトルコ軍の攻撃を受けたときに一度無残に略奪されたものを復興させたのでしょう。
    そんな往時の豪華な姿を再現させてくれているのですから、修復用のポールがジャマ、なんて言ってはいけませんね。

  • 夕日を浴びた聖ニコライ・ドムネスク教会<br /><br />これは一日の観光を終えてホテルに戻ってきたときに撮りました。<br />まだ19時半です。<br />サマータイム、万歳!

    夕日を浴びた聖ニコライ・ドムネスク教会

    これは一日の観光を終えてホテルに戻ってきたときに撮りました。
    まだ19時半です。
    サマータイム、万歳!

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この旅行記へのコメント (5)

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  • nekoさん 2013/09/14 11:00:50
    教会内の撮影
    遅々として進まない紀行文も、ようやくヤシに辿り着きました。相変わらずあれこれ参考にしています。
    ところで標記に関してですが、12年11月は聖ニコライ・ドムネスク教会内部が撮影可で、三聖人教会は撮影禁止でした。5年間で何が変わったのでしょうか。

    まみ

    まみさん からの返信 2013/09/16 00:58:12
    RE: 教会内の撮影
    nekoさん、こんにちは。コメントありがとうございます。


    > 遅々として進まない紀行文も、ようやくヤシに辿り着きました。相変わらずあれこれ参考にしています。

    nekoさんの紀行文はネットにアップされていますか? フォーとラベル以外ですよね?


    > ところで標記に関してですが、12年11月は聖ニコライ・ドムネスク教会内部が撮影可で、三聖人教会は撮影禁止でした。5年間で何が変わったのでしょうか。

    えー、そうだったんですね。
    教会内の撮影事情は、教会によつては、そのときにいたスタッフ次第って気もしますが、そのせいでしょうか。

    neko

    nekoさん からの返信 2013/09/16 07:30:49
    紀行文

    > nekoさんの紀行文はネットにアップされていますか? フォーとラベル以外ですよね?

    国内に関しては自分のページにアップし、比較的狭い範囲で公開しています
    http://kanekoxj.fc2web.com/

    海外に関しては、紙媒体(要するに手造り製本による書籍のスタイル)です。一応PDFにしたものはありますが。
    http://kanekoxj.fc2web.com/travel/bulgaria/PDF/


    >そのときにいたスタッフ次第って気もしますが、そのせいでしょうか。

    三聖人教会に関しては、公開時間や料金を印刷した掲示物に撮影禁止が明記されていました。ルーマニア語なのでそのときは読めませんでしたが。

    まみ

    まみさん からの返信 2013/09/17 17:42:56
    RE: 紀行文
    nekoさん、URLありがとうございます。
    写真きれいですね!
    まだ一部拝見しただけですが、記憶と思い出をゆり起こす美しい写真にうっとりです。

    旅行記もほんとは紙媒体の方が読みやすいです。ありがとうございます@ 大作ですね!
    ブルガリア編なつかしいです!!
    囲み記事があるのは、読みやすいですね。忘れている内容もありました。

    neko

    nekoさん からの返信 2016/01/11 16:36:38
    バルト三国カレンダー
    タリンの聖母マリア大聖堂に関して調べているうちに下記URLに辿り着きました
    http://4travel.jp/travelogue/10575252

    お名前に記憶があり、探してみたらこのスレッドが出てきました。長らくのご無沙汰ですがご記憶でしょうか?

    今回投稿したのは自作カレンダーに関してなのですが、10年ほど前から道楽で旅先で撮影した画像を利用したカレンダーを作製しています。これを友人知己や、ご近所などにばらまいています。今年はバルト三国がテーマで下記URLのようなものです。
    http://kanekoxj.fc2web.com/calendar/2016/calendar2016.pdf

    もしご利用頂けるならば送付したいのですが、お届け先をお知らせ下さい。お住まいでなくても、ともかくクロネコDM便で届くところであれば結構です。掲示板にそのような住所を曝したくないのであれば下記アカウントに直メール下さい
    kaneko_J@nifty.com
    ご興味がなければ無視して下さい。

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