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2006/10/13(金)第6日目:ヴェスプレーム&セーケーシュフェヘールヴァール<br />ケストヘイ発8:35のバスでヴェスプレーム着11:00<br />オーヴァロス広場、英雄の門から城通り、ギゼラ王妃博物館、城博物館とバルコニーからの眺望<br /><br />午後3時に到着したセーケーシュフェヘルヴァールの観光は、教会めぐりが要になるだろうと思いました。<br />面白そうな博物館はいくつもありますが、時間的にせいぜい1つか2つしか入れないでしょう。<br />その点、教会は、見学にあまり時間がかからず、博物館より概して遅くまで開いていて(10月の博物館は時間短縮のところが多いですから)、しかも無料のところが多いです。たとえちょっとしか見学できなくても、損した気にならないですむので好都合です。<br />中には、ミサのとき以外には入れず、特に観光客には遠慮してもらうという教会もないこともないですが、まあ今までの感触からすると、ハンガリーの教会は、チェコよりは見学させくれる確率が高そうです。<br />ガイドブックの記述に、大聖堂以外の教会が比較的多かったのも、そう感じた理由の1つです。<br />それに、旅行の下調べのときに、どこかで見ているんです、セーケーシュフェヘルヴァール大聖堂の内部の写真を。フレスコ画とストゥッコ(化粧漆喰)装飾が華麗な乙女チックなバロック・ロココの教会を。<br /><br />バスターミナルから旧市街へ向かう歩道橋の上から、2つ並んだ双塔の教会を目にしたとき。<br />ブダペストに劣らぬ渋滞と現代都市に圧倒されそうになっていた矢先でしたので、どんなにかほっとしたことでしょう。<br />そして、ここから見えるあれらの教会は絶対行こう!と決めました。<br /><br />できることなら、教会の中の写真も撮りたいです。<br /><br />フィルムカメラだった去年までは、教会の中の写真は撮るだけフィルムの無駄でしたので、訪れた教会を後から思い出せるようにがんばって感想を───少なくとも内部はどんな教会だったのか、といった印象などをメモって来たものですが、めぼしいいくつか以外、大半は、その記憶はすぐにごちゃごちゃになってしまいます。ポストカードを買ってもダメでした。<br /><br />でも、自分で撮った写真であれば、きっともっと鮮明に思い出すことができると思うのです。<br />何に注目して撮ったか、という写真の意図を思い出すことで、抱いた感想も連鎖的に思い出せるはずですから。<br />もっとも、それは教会に限らず、ですけどね。

2006年ハンガリーとルーマニア旅行第6日目(3):セーケーシュフェヘールヴァールの教会

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2006/10/13 - 2006/10/13

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まみ

まみさん

2006/10/13(金)第6日目:ヴェスプレーム&セーケーシュフェヘールヴァール
ケストヘイ発8:35のバスでヴェスプレーム着11:00
オーヴァロス広場、英雄の門から城通り、ギゼラ王妃博物館、城博物館とバルコニーからの眺望

午後3時に到着したセーケーシュフェヘルヴァールの観光は、教会めぐりが要になるだろうと思いました。
面白そうな博物館はいくつもありますが、時間的にせいぜい1つか2つしか入れないでしょう。
その点、教会は、見学にあまり時間がかからず、博物館より概して遅くまで開いていて(10月の博物館は時間短縮のところが多いですから)、しかも無料のところが多いです。たとえちょっとしか見学できなくても、損した気にならないですむので好都合です。
中には、ミサのとき以外には入れず、特に観光客には遠慮してもらうという教会もないこともないですが、まあ今までの感触からすると、ハンガリーの教会は、チェコよりは見学させくれる確率が高そうです。
ガイドブックの記述に、大聖堂以外の教会が比較的多かったのも、そう感じた理由の1つです。
それに、旅行の下調べのときに、どこかで見ているんです、セーケーシュフェヘルヴァール大聖堂の内部の写真を。フレスコ画とストゥッコ(化粧漆喰)装飾が華麗な乙女チックなバロック・ロココの教会を。

バスターミナルから旧市街へ向かう歩道橋の上から、2つ並んだ双塔の教会を目にしたとき。
ブダペストに劣らぬ渋滞と現代都市に圧倒されそうになっていた矢先でしたので、どんなにかほっとしたことでしょう。
そして、ここから見えるあれらの教会は絶対行こう!と決めました。

できることなら、教会の中の写真も撮りたいです。

フィルムカメラだった去年までは、教会の中の写真は撮るだけフィルムの無駄でしたので、訪れた教会を後から思い出せるようにがんばって感想を───少なくとも内部はどんな教会だったのか、といった印象などをメモって来たものですが、めぼしいいくつか以外、大半は、その記憶はすぐにごちゃごちゃになってしまいます。ポストカードを買ってもダメでした。

でも、自分で撮った写真であれば、きっともっと鮮明に思い出すことができると思うのです。
何に注目して撮ったか、という写真の意図を思い出すことで、抱いた感想も連鎖的に思い出せるはずですから。
もっとも、それは教会に限らず、ですけどね。

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  • 歩道橋から見た聖イシュトヴァーン大聖堂の双塔<br /><br />あの大聖堂のある方向が旧市街でしょう。<br />これ以上の目印はありません。<br />ほっとしました。<br />なにしろ、バスターミナルのあるビアツ広場(Piac ter)で、旧市街とはパロタイ大通り(Palotai ut)を挟んですぐ隣なのに、ぐるぐる迷ってしまったものですから。<br />迷ったのは私が方向音痴のせいもあるけれど、&#39;05〜&#39;06年版の「地球の歩き方」の地図のバスターミナルの位置は違っていましたからね。要注意!<br />2003年の4th edition のLonely Planetの地図の方がバスターミナルの位置は合っていました。でも、バスターミナルの隣の小さなスーパーマーケットは印があるのに、もっと目立つ大型ショッピングモールの方は地図には書かれていないので、これはこれでまたわかりづらかったです(それともあのショッピングモールは、2003年版を編集する段階ではまだできていなかったのかしら)。<br /><br />パロタイ大通りはものすごい交通量で、ヴェスプレームからの長距離バスがバスターミナルに入るために曲がるのに、信号を何度も見送らなくてはなりませんでした。<br />でも、歩行者は歩道橋があるので安心!<br />旧市街は大型ショッピングモールの裏側に広がっています。<br />ショッピングモール脇からリスト・フェレンツ通りを行けば、そこはもう旧市街です。

    歩道橋から見た聖イシュトヴァーン大聖堂の双塔

    あの大聖堂のある方向が旧市街でしょう。
    これ以上の目印はありません。
    ほっとしました。
    なにしろ、バスターミナルのあるビアツ広場(Piac ter)で、旧市街とはパロタイ大通り(Palotai ut)を挟んですぐ隣なのに、ぐるぐる迷ってしまったものですから。
    迷ったのは私が方向音痴のせいもあるけれど、'05〜'06年版の「地球の歩き方」の地図のバスターミナルの位置は違っていましたからね。要注意!
    2003年の4th edition のLonely Planetの地図の方がバスターミナルの位置は合っていました。でも、バスターミナルの隣の小さなスーパーマーケットは印があるのに、もっと目立つ大型ショッピングモールの方は地図には書かれていないので、これはこれでまたわかりづらかったです(それともあのショッピングモールは、2003年版を編集する段階ではまだできていなかったのかしら)。

    パロタイ大通りはものすごい交通量で、ヴェスプレームからの長距離バスがバスターミナルに入るために曲がるのに、信号を何度も見送らなくてはなりませんでした。
    でも、歩行者は歩道橋があるので安心!
    旧市街は大型ショッピングモールの裏側に広がっています。
    ショッピングモール脇からリスト・フェレンツ通りを行けば、そこはもう旧市街です。

  • 歩道橋から見たフランシスコ派教会<br /><br />歩道橋から見えた2つ目の教会です。<br />旧市街の教会は4つ目をつけました。<br />大聖堂とこのフランシスコ派教会、それから大聖堂の隣の聖アンナ礼拝堂に、中央通沿いを少し北に行くとあるシトー派教会と、旧市街南端近くのカルメル派教会。<br /><br />うち、大聖堂とフランシスコ派教会、それから聖アンナ礼拝堂を見学しました。<br />写真は、前者2つについては、外観・内部ともに撮ることができました。<br />聖アンナ礼拝堂は、中を見ることができたとはいえ、チラッとです。お掃除中でしたから。<br />小さな礼拝堂でしたので、真ん中の通路で掃除機をかけているおばさんをよけてまで入れなかったというか。<br />聖アンナ礼拝堂の外観は……撮ろうと思えば撮れましたが、あまりにシンプルなので撮影意欲が沸きませんでした。<br />「地球の歩き方」にも写真がありますしね。<br />15世紀建立のもので、セーケーシュフェヘルヴァールにただ1つだけ残った中世の建物という貴重な歴史遺産だったというのに、私には見る目がないようです。<br /><br />残念ながらシトー派教会は、行ってみたら開いていませんでした。<br />この教会には、聖イシュトヴァーンが聖母マリアにハンガリーの庇護を願うフレスコ画があるそうです。この逸話からハンガリーは「聖母マリアの国」とされているとか。<br />カルメル派教会は少し場所が離れていたので、時間的に開いてなかろうと、そこまで足を運びませんでした。<br />あとで自作の観光下調べのメモを見たところ、見学は許可制とありました。行っても入れなかったでしょう。

    歩道橋から見たフランシスコ派教会

    歩道橋から見えた2つ目の教会です。
    旧市街の教会は4つ目をつけました。
    大聖堂とこのフランシスコ派教会、それから大聖堂の隣の聖アンナ礼拝堂に、中央通沿いを少し北に行くとあるシトー派教会と、旧市街南端近くのカルメル派教会。

    うち、大聖堂とフランシスコ派教会、それから聖アンナ礼拝堂を見学しました。
    写真は、前者2つについては、外観・内部ともに撮ることができました。
    聖アンナ礼拝堂は、中を見ることができたとはいえ、チラッとです。お掃除中でしたから。
    小さな礼拝堂でしたので、真ん中の通路で掃除機をかけているおばさんをよけてまで入れなかったというか。
    聖アンナ礼拝堂の外観は……撮ろうと思えば撮れましたが、あまりにシンプルなので撮影意欲が沸きませんでした。
    「地球の歩き方」にも写真がありますしね。
    15世紀建立のもので、セーケーシュフェヘルヴァールにただ1つだけ残った中世の建物という貴重な歴史遺産だったというのに、私には見る目がないようです。

    残念ながらシトー派教会は、行ってみたら開いていませんでした。
    この教会には、聖イシュトヴァーンが聖母マリアにハンガリーの庇護を願うフレスコ画があるそうです。この逸話からハンガリーは「聖母マリアの国」とされているとか。
    カルメル派教会は少し場所が離れていたので、時間的に開いてなかろうと、そこまで足を運びませんでした。
    あとで自作の観光下調べのメモを見たところ、見学は許可制とありました。行っても入れなかったでしょう。

  • フランシスコ派教会<br /><br />まず最初にこちらから訪れました。<br />市庁舎広場にあるので、すぐに目についたのです。<br /><br />観光案内所 Tourinform でもらったリーフレットによると、1720年から1742年の間に建てられました。<br />ここには中世の王宮かその付属建築物があった場所でした。<br />塔は1866年に増築されました。それまではもっと小さな鐘楼しかなかったようです。

    フランシスコ派教会

    まず最初にこちらから訪れました。
    市庁舎広場にあるので、すぐに目についたのです。

    観光案内所 Tourinform でもらったリーフレットによると、1720年から1742年の間に建てられました。
    ここには中世の王宮かその付属建築物があった場所でした。
    塔は1866年に増築されました。それまではもっと小さな鐘楼しかなかったようです。

  • フランシスコ派教会<br />主祭壇を中心に。<br /><br />バロックらしい派手な内装なのに、どことなく渋いです。<br /><br />観光案内所 Tourinform でもらったリーフレットによると、内部はほとんど復旧されたもので、1745年に作られた主祭壇以外、オリジナルは残っていないそうです。

    フランシスコ派教会
    主祭壇を中心に。

    バロックらしい派手な内装なのに、どことなく渋いです。

    観光案内所 Tourinform でもらったリーフレットによると、内部はほとんど復旧されたもので、1745年に作られた主祭壇以外、オリジナルは残っていないそうです。

  • フランシスコ派教会<br />主祭壇脇のフレスコ画と説教台を中心に。<br /><br />だまし絵風の装飾もふんだんに施されています。

    フランシスコ派教会
    主祭壇脇のフレスコ画と説教台を中心に。

    だまし絵風の装飾もふんだんに施されています。

  • フランシスコ派教会沿いのオスカラ通り(Oskala u.)のイムレ王子の像<br /><br />若い王子の像なのでイムレ王子ではないかと思ったのですが、ビンゴ!<br />服装はなんとなく中世っぽい気がしますが……。<br />冠は古代風ですし、胸にはアールパード王朝の紋章、そして頭の後ろに聖人であることを示す光輪がありますが、でも、「ロミオとジュリエット」のロミオよ、とか言われても違和感がないですねっ!<br /><br />初代国王イシュトヴァーン1世の息子のイムレ王子は、猪狩りでの怪我がもとで若くして亡くなりますが、父イシュトヴァーン1世と共に聖人に列せられています。<br />ハンガリーをキリスト教国にしたイシュトヴァーン1世が聖人に列せられたのは分かりますが、王子は何が理由で聖人に列せられたのか分からないので、すごーく不思議です。殉教したわけでもないし、早世したので、聖別されるにふさわしい功績を残す暇もなかったでしょうに。<br />それとも存命中に何かがんばったのかな。<br /><br />ただし、王子イムレの死はキリスト教国ハンガリーにとってもアールパード王朝にとっても大きな打撃だったようです。<br />イシュトヴァーン王(在位1000年〜1038年)の没後、王位を継いだ傍系の人々は必ずしもハンガリーのキリスト教化を歓迎していたわけではありませんでした。<br />後継者を廻る陰謀、内紛などに宮廷が翻弄されている間に、恵まれたカルパチア盆地を狙う他民族との争いで、アールパード王朝は14世紀まで防衛と進攻の戦いにあけくれることになりました。

    フランシスコ派教会沿いのオスカラ通り(Oskala u.)のイムレ王子の像

    若い王子の像なのでイムレ王子ではないかと思ったのですが、ビンゴ!
    服装はなんとなく中世っぽい気がしますが……。
    冠は古代風ですし、胸にはアールパード王朝の紋章、そして頭の後ろに聖人であることを示す光輪がありますが、でも、「ロミオとジュリエット」のロミオよ、とか言われても違和感がないですねっ!

    初代国王イシュトヴァーン1世の息子のイムレ王子は、猪狩りでの怪我がもとで若くして亡くなりますが、父イシュトヴァーン1世と共に聖人に列せられています。
    ハンガリーをキリスト教国にしたイシュトヴァーン1世が聖人に列せられたのは分かりますが、王子は何が理由で聖人に列せられたのか分からないので、すごーく不思議です。殉教したわけでもないし、早世したので、聖別されるにふさわしい功績を残す暇もなかったでしょうに。
    それとも存命中に何かがんばったのかな。

    ただし、王子イムレの死はキリスト教国ハンガリーにとってもアールパード王朝にとっても大きな打撃だったようです。
    イシュトヴァーン王(在位1000年〜1038年)の没後、王位を継いだ傍系の人々は必ずしもハンガリーのキリスト教化を歓迎していたわけではありませんでした。
    後継者を廻る陰謀、内紛などに宮廷が翻弄されている間に、恵まれたカルパチア盆地を狙う他民族との争いで、アールパード王朝は14世紀まで防衛と進攻の戦いにあけくれることになりました。

  • 聖イシュトヴァーン大聖堂の双塔<br /><br />正面から撮りました。<br />大聖堂前にはあまりスペースがないため全貌はとてもカメラに入らず、塔を中心に撮りました。<br />大聖堂へは裏側から近付くことになりましたが、脇に1956年ハンガリー動乱の殉教者に捧げられた、大きくて細長いキリスト磔像があったので、大聖堂であると確信できました。<br />そのキリスト磔像も写真に撮ろうと思ったのですが、「地球の歩き方」にある写真とほとんど同じになってしまうのでやめました。<br />同じになっても自分のカメラで撮りたい、とまでは撮影意欲が沸かなかったのです。<br /><br />イシュトヴァーンの名をもつ大聖堂ですが、現在のこの教会はイシュトヴァーンが11世紀に建てた戴冠式の教会ではありません。<br />イシュトヴァーンが建てた教会は、16世紀にオスマン・トルコの来襲で破壊されてしまい、現在は、遺跡公園に廃墟となっているそうです。<br /><br />教会の創建は1235年、ベーラ4世(在位1265年〜1270年)によるものです。<br />ベーラ4世といえば、その在位中にモンゴル来襲(1241年)を受けた王様として記憶しています。<br />一度は征服されてしまったものの、モンゴル側が突然引き上げたおかげでかろうじて難を逃れ、以来、ベーラ4世は的確に国家を再建しました。<br />モンゴル来襲という大試練でヘタったのではなく、それをバネに国を建て直した王様ですね。<br />ブダペストのブダ丘陵を王宮として整備し、ドナウベントのヴェシグラードに城塞を構えたのもベーラ4世です。<br />ベーラ4世によるセーケーシュフェヘルヴァールの大聖堂建立は、試練のモンゴル来襲の前でした。<br /><br />大聖堂はオスマントルコの攻撃で破壊されたあと、18世紀中頃にパロック様式で建て直されました。<br />大聖堂に昇格したのは1777年です。<br />その後、1848年、1866年、1922年、1936年に改築されています。<br /><br />双塔の間に建つ像は、聖イシュトヴァーン、聖ラズロー、聖イムレです。<br />下から撮っているので、寸胴でへんな像に見えます@<br /><br />聖ラズローはイシュトヴァーンとイムレを列聖させるためにローマにかけあった王様です(在位1077年〜1095年)。騎士王との異名を持ち、たくさんの民間伝承のある王様で、自身もハンガリーの領土拡大により周辺に異教徒国をキリスト教国に組み入れたり等の功績で聖人に列せられています。<br />ただし、彼が領土を拡大したことによって、その後の周辺民族との紛争の種を撒きちらしたことになりました。<br /><br />(参考「ハンガリー小史」「ハンガリー歴史アルバム」ブダペスト国立博物館刊)

    聖イシュトヴァーン大聖堂の双塔

    正面から撮りました。
    大聖堂前にはあまりスペースがないため全貌はとてもカメラに入らず、塔を中心に撮りました。
    大聖堂へは裏側から近付くことになりましたが、脇に1956年ハンガリー動乱の殉教者に捧げられた、大きくて細長いキリスト磔像があったので、大聖堂であると確信できました。
    そのキリスト磔像も写真に撮ろうと思ったのですが、「地球の歩き方」にある写真とほとんど同じになってしまうのでやめました。
    同じになっても自分のカメラで撮りたい、とまでは撮影意欲が沸かなかったのです。

    イシュトヴァーンの名をもつ大聖堂ですが、現在のこの教会はイシュトヴァーンが11世紀に建てた戴冠式の教会ではありません。
    イシュトヴァーンが建てた教会は、16世紀にオスマン・トルコの来襲で破壊されてしまい、現在は、遺跡公園に廃墟となっているそうです。

    教会の創建は1235年、ベーラ4世(在位1265年〜1270年)によるものです。
    ベーラ4世といえば、その在位中にモンゴル来襲(1241年)を受けた王様として記憶しています。
    一度は征服されてしまったものの、モンゴル側が突然引き上げたおかげでかろうじて難を逃れ、以来、ベーラ4世は的確に国家を再建しました。
    モンゴル来襲という大試練でヘタったのではなく、それをバネに国を建て直した王様ですね。
    ブダペストのブダ丘陵を王宮として整備し、ドナウベントのヴェシグラードに城塞を構えたのもベーラ4世です。
    ベーラ4世によるセーケーシュフェヘルヴァールの大聖堂建立は、試練のモンゴル来襲の前でした。

    大聖堂はオスマントルコの攻撃で破壊されたあと、18世紀中頃にパロック様式で建て直されました。
    大聖堂に昇格したのは1777年です。
    その後、1848年、1866年、1922年、1936年に改築されています。

    双塔の間に建つ像は、聖イシュトヴァーン、聖ラズロー、聖イムレです。
    下から撮っているので、寸胴でへんな像に見えます@

    聖ラズローはイシュトヴァーンとイムレを列聖させるためにローマにかけあった王様です(在位1077年〜1095年)。騎士王との異名を持ち、たくさんの民間伝承のある王様で、自身もハンガリーの領土拡大により周辺に異教徒国をキリスト教国に組み入れたり等の功績で聖人に列せられています。
    ただし、彼が領土を拡大したことによって、その後の周辺民族との紛争の種を撒きちらしたことになりました。

    (参考「ハンガリー小史」「ハンガリー歴史アルバム」ブダペスト国立博物館刊)

  • 大聖堂<br />主祭壇を中心に。<br /><br />華やかでバロックらしい派手さが、白基調の壁によって清楚な印象も与えています。<br />そんな風に派手と清楚という2つの相反するキーワードをどうしても使いたくなる教会内部@

    大聖堂
    主祭壇を中心に。

    華やかでバロックらしい派手さが、白基調の壁によって清楚な印象も与えています。
    そんな風に派手と清楚という2つの相反するキーワードをどうしても使いたくなる教会内部@

  • 大聖堂の天井のフレスコ画を中心に<br />ヨハン・シンバル(Johannes Cymbal)作<br /><br />手すりの絵など、ここでもだまし絵技法がたくさん使われています。<br />絵のモチーフはイシュトヴァーンに関わるものばかりだそうです。

    大聖堂の天井のフレスコ画を中心に
    ヨハン・シンバル(Johannes Cymbal)作

    手すりの絵など、ここでもだまし絵技法がたくさん使われています。
    絵のモチーフはイシュトヴァーンに関わるものばかりだそうです。

  • 大聖堂の説教台と主祭壇脇の聖歌隊席を中心に<br /><br />主祭壇の脇にもパイプオルガンがありますが、入口の上、主祭壇と向い合う定位置にもパイプオルガンがありました。

    大聖堂の説教台と主祭壇脇の聖歌隊席を中心に

    主祭壇の脇にもパイプオルガンがありますが、入口の上、主祭壇と向い合う定位置にもパイプオルガンがありました。

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