アムステルダム旅行記(ブログ) 一覧に戻る
12月28日(土)     フェルメールの光を探して──オランダ10日間の旅(9)<br /><br /><br />オランダ最終日、10時過ぎにホテルをチェックアウトする。成田へ向かうJAL<br />412便は、スキポール空港20:15発。まだたっぷり時間があるので、フロントに<br />荷物を預けて街へ──。<br /><br />まずは“死ぬまでに一度は行きたい”「アンネ・フランク・ハウス」を訪れる。<br /><br />アムステルダムは運河クルーズでも有名だが、この季節は河岸から見ているだけ<br />でも寒い。前のシンゲルを、屋根のない船で男性ばかり20人あまりがビール片手<br />に行き過ぎる。おいおい、気は確かか(笑)。近くを観光馬車も走っている=写真=。<br /><br />その馬車ツアーの起点となるダム広場では、クリスマスを彩った巨大ツリーの解<br />体作業が行われていた。<br /><br />旅が終わる、2007年が行く・・・。(この項おわり)

旅の終わりに・・・。

5いいね!

2007/12/20 - 2007/12/29

1684位(同エリア2867件中)

0

4

四月の旅人

四月の旅人さん

12月28日(土)     フェルメールの光を探して──オランダ10日間の旅(9)


オランダ最終日、10時過ぎにホテルをチェックアウトする。成田へ向かうJAL
412便は、スキポール空港20:15発。まだたっぷり時間があるので、フロントに
荷物を預けて街へ──。

まずは“死ぬまでに一度は行きたい”「アンネ・フランク・ハウス」を訪れる。

アムステルダムは運河クルーズでも有名だが、この季節は河岸から見ているだけ
でも寒い。前のシンゲルを、屋根のない船で男性ばかり20人あまりがビール片手
に行き過ぎる。おいおい、気は確かか(笑)。近くを観光馬車も走っている=写真=。

その馬車ツアーの起点となるダム広場では、クリスマスを彩った巨大ツリーの解
体作業が行われていた。

旅が終わる、2007年が行く・・・。(この項おわり)

同行者
カップル・夫婦
交通手段
鉄道
航空会社
JAL

PR

  • Anne Frank Huis<br /><br /><br />アンネ・フランクが、家族とともに最後の2年間を過ごした家。<br />『死ぬまでに一度は行きたい世界の1000ヵ所 ヨーロッパ編』<br />のオランダの項でも最初に掲載されている。<br /><br />1942年、一家はナチスの迫害を逃れ、フランクフルトからア<br />ムステルダムのこの建物に移って来る。階下は、父親が経営す<br />るジャム会社のオフィス兼作業場。当時3・4階にあった同僚の<br />住まいの奥──隠し部屋となっていたほんの狭いスペースで、<br />2家族8人が暮らす。<br /><br />何も知らぬ会社の人びとに悟られぬよう、部屋の空気を入れ替<br />えることもままならず、息をつめていたことだろう。作家志望<br />だった彼女はここで、最初の作品として『日記』を書く。それ<br />は戦後、8人のうちでただひとり収容所からの生還を果たす父<br />オットー・フランクの手で出版され、いま私たちも手にとるこ<br />とができる。<br /><br />順路にしたがって館内を進むと、彼女が間違いなく生きていた<br />空間すべてを目のあたりにすることになる。胸に迫る・・・。<br /><br />アンネの部屋の壁には家族写真などとともに雑誌から切り抜い<br />たのだろう、グレタ・ガルボやレイ・ミランドの写真が当時の<br />ままに貼られていた。世界で最も有名なこの少女がまた、どこ<br />にでもいる10代の少女として多感な時期を過ごしていたことが<br />わかる。<br /><br />「アンネ・フランク・ハウス」の前は、いつも長蛇の列だ。<br />“並ぶ”ことの嫌いな私もオランダを発つ日の朝、意を決してそ<br />の列に加わる。妻に、最前列の人がどのくらい待っているのか<br />を訊いてもらいながら・・・汗。<br /><br />15分? 実際には、入口まで30分程度はかかったろうか。館<br />内でもしばしば渋滞する。しかし、皆さんはこんな情けないこ<br />とをしてはいけない。何時間かかろうと、ご覧になることをお<br />勧めする。<br /><br />次の写真は、隣接する西教会の前に立つアンネ・フランクの像。<br />この日も、たくさんの花が手向けられていた。

    Anne Frank Huis


    アンネ・フランクが、家族とともに最後の2年間を過ごした家。
    『死ぬまでに一度は行きたい世界の1000ヵ所 ヨーロッパ編』
    のオランダの項でも最初に掲載されている。

    1942年、一家はナチスの迫害を逃れ、フランクフルトからア
    ムステルダムのこの建物に移って来る。階下は、父親が経営す
    るジャム会社のオフィス兼作業場。当時3・4階にあった同僚の
    住まいの奥──隠し部屋となっていたほんの狭いスペースで、
    2家族8人が暮らす。

    何も知らぬ会社の人びとに悟られぬよう、部屋の空気を入れ替
    えることもままならず、息をつめていたことだろう。作家志望
    だった彼女はここで、最初の作品として『日記』を書く。それ
    は戦後、8人のうちでただひとり収容所からの生還を果たす父
    オットー・フランクの手で出版され、いま私たちも手にとるこ
    とができる。

    順路にしたがって館内を進むと、彼女が間違いなく生きていた
    空間すべてを目のあたりにすることになる。胸に迫る・・・。

    アンネの部屋の壁には家族写真などとともに雑誌から切り抜い
    たのだろう、グレタ・ガルボやレイ・ミランドの写真が当時の
    ままに貼られていた。世界で最も有名なこの少女がまた、どこ
    にでもいる10代の少女として多感な時期を過ごしていたことが
    わかる。

    「アンネ・フランク・ハウス」の前は、いつも長蛇の列だ。
    “並ぶ”ことの嫌いな私もオランダを発つ日の朝、意を決してそ
    の列に加わる。妻に、最前列の人がどのくらい待っているのか
    を訊いてもらいながら・・・汗。

    15分? 実際には、入口まで30分程度はかかったろうか。館
    内でもしばしば渋滞する。しかし、皆さんはこんな情けないこ
    とをしてはいけない。何時間かかろうと、ご覧になることをお
    勧めする。

    次の写真は、隣接する西教会の前に立つアンネ・フランクの像。
    この日も、たくさんの花が手向けられていた。

  • Paleis op de Dam

    Paleis op de Dam

この旅行記のタグ

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

オランダで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オランダ最安 374円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

オランダの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP