2007/12/20 - 2007/12/29
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12月28日(土) フェルメールの光を探して──オランダ10日間の旅(9)
オランダ最終日、10時過ぎにホテルをチェックアウトする。成田へ向かうJAL
412便は、スキポール空港20:15発。まだたっぷり時間があるので、フロントに
荷物を預けて街へ──。
まずは“死ぬまでに一度は行きたい”「アンネ・フランク・ハウス」を訪れる。
アムステルダムは運河クルーズでも有名だが、この季節は河岸から見ているだけ
でも寒い。前のシンゲルを、屋根のない船で男性ばかり20人あまりがビール片手
に行き過ぎる。おいおい、気は確かか(笑)。近くを観光馬車も走っている=写真=。
その馬車ツアーの起点となるダム広場では、クリスマスを彩った巨大ツリーの解
体作業が行われていた。
旅が終わる、2007年が行く・・・。(この項おわり)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- JAL
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-
Anne Frank Huis
アンネ・フランクが、家族とともに最後の2年間を過ごした家。
『死ぬまでに一度は行きたい世界の1000ヵ所 ヨーロッパ編』
のオランダの項でも最初に掲載されている。
1942年、一家はナチスの迫害を逃れ、フランクフルトからア
ムステルダムのこの建物に移って来る。階下は、父親が経営す
るジャム会社のオフィス兼作業場。当時3・4階にあった同僚の
住まいの奥──隠し部屋となっていたほんの狭いスペースで、
2家族8人が暮らす。
何も知らぬ会社の人びとに悟られぬよう、部屋の空気を入れ替
えることもままならず、息をつめていたことだろう。作家志望
だった彼女はここで、最初の作品として『日記』を書く。それ
は戦後、8人のうちでただひとり収容所からの生還を果たす父
オットー・フランクの手で出版され、いま私たちも手にとるこ
とができる。
順路にしたがって館内を進むと、彼女が間違いなく生きていた
空間すべてを目のあたりにすることになる。胸に迫る・・・。
アンネの部屋の壁には家族写真などとともに雑誌から切り抜い
たのだろう、グレタ・ガルボやレイ・ミランドの写真が当時の
ままに貼られていた。世界で最も有名なこの少女がまた、どこ
にでもいる10代の少女として多感な時期を過ごしていたことが
わかる。
「アンネ・フランク・ハウス」の前は、いつも長蛇の列だ。
“並ぶ”ことの嫌いな私もオランダを発つ日の朝、意を決してそ
の列に加わる。妻に、最前列の人がどのくらい待っているのか
を訊いてもらいながら・・・汗。
15分? 実際には、入口まで30分程度はかかったろうか。館
内でもしばしば渋滞する。しかし、皆さんはこんな情けないこ
とをしてはいけない。何時間かかろうと、ご覧になることをお
勧めする。
次の写真は、隣接する西教会の前に立つアンネ・フランクの像。
この日も、たくさんの花が手向けられていた。 -
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Paleis op de Dam
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