2009/08/01 - 2009/08/01
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MILFLORESさん
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1492年8月3日
パロス・デ・ラ・フロンテラ(ウエルバ県)から3隻の帆船が出港しました。
西周りでインドを目指したコロンブスの航海のスタートです。
1492年10月12日
バハマ諸島のグアハニ島に上陸。 欧州人によるアメリカ新大陸発見となりました。
コロンブスの業績はこの発見自体よりも、ヨーロッパに戻ってくることにも成功して、
結果的に新旧両大陸間に行商ルート及び植民地ルートを形成したことにあると言われています。
新大陸発見500周年の1992年に制作されたニーニャ、ピンタ、サンタ・マリア3隻の復元が、
1994年よりティント川とオディエル川が合流するこの場所に停泊しています。
コロンブスの航海に関する展示もあり、ちょっとしたお勉強ができます。
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今回の旅プラン (●印がこの旅行記の部分)
〇1日目:移動日 Madrid → Islantilla (Islantilla泊)
〇2日目:ホテル+ビーチ リゾート満喫日 (Islantilla泊)
〇3日目:ホテル+ビーチ リゾート満喫日 (Islantilla泊)
●4日目:ドニャーナ公園/エル・ロシオ/パロス (Islantilla泊)
〇5日目:ポルトガル・タビラ島 (Islantilla泊)
〇6日目:ホテル+ビーチ リゾート満喫日 (Islantilla泊)
〇7日目:移動日 Islantilla → Plasencia(Plasenciaパラドール泊)
〇8日目:移動日 Plasencia散策 帰路Talavera寄り道 帰宅
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-
Muelle de las Carabelas
「カラベラ船の埠頭」
という名のちょっとした博物館、または
テーマパークのような存在です。
入場料 3,55ユーロ
Palos de la Frontera -
建物のガラスに描かれてるのも
コロンブスの出港の様子。 -
イタリア・ジェノバ出身のコロンブスは、ヨーロッパ中の王家に西周り航路の援助を要請したけれども、どこからも相手にされず、最終的に、レコンキスタ(国土回復運動)が済んだばかりのスペイン・カトリック女王イサベルの援助を得ます。
そのイサベルとの仲継ぎをしたのが、この地パロスにあるラビダ修道院の修道長フアン・ペレスでした。
又この修道長を通して、コロンブスはパロス出身の航海士ピンソン兄弟に出会い、この兄弟のおかげでパロス出身の乗組員をたくさん雇うことができたのです。 -
入ってすぐこんなドデカ・カトリック両王
イサベルとフェルナンドがお出迎え。 -
チケットを払って、
まずは復元帆船の方へ行きます。
右から
La Pinta ラ・ピンタ
La Santa Maria ラ・サンタ・マリア
La Nin~a ラ・ニーニャ
コロンブスが乗ったのは真ん中の
一番大きいサンタ・マリア号です。 -
では、右のピンタから。
パロスで建造されました。
カラベラ船(キャラベル船)と呼ばれます。
全長22.75m 最大幅6.60m
乗組員は30名
「陸地だー!」と新大陸発見の叫びを上げた水夫は、この船に乗っていました。
スペインに一番早く戻って来たのもこの船。
(1493年3月1日 ガリシア) -
ラ・ピンタの船長はこの人。
Martin Alonso Pinzon
マルティン・アロンソ・ピンソン
(1441〜1493)
弟2人と共にコロンブスの航海に大貢献した。
若い頃からアフリカ大陸西沿岸や地中海での航海で経験を積み、航海体験はコロンブスよりも豊富だったらしい。
新大陸から帰ってきて間も無くパロスで死去。 -
ピンタ号に乗ります。
船首にてタイタニックごっこをしたのは・・・
はい、私です。 -
船尾の方を向くと・・・
人がいます。 -
1492年10月12日未明
前方に陸地を発見
「TIERRA!!」と叫んだこの人の名は
Rodrigo de Triana
ロドリゴ・デ・トリアナ -
今はその指差す方向を見ると、ウエルバ市郊外を悠々と流れるティント川が見られるわけですが。
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船腹にも降りられます。
-
飲み水はこんな風に積んだのですね。
-
次に真ん中のサンタ・マリア号に乗り込みます。
スペイン北部のガリシアで建造されたと言われてます。中古で買い取られました。
他2隻より大きいナオ船です。
全長26.60m 最大幅7.96m
乗組員は40名
無事に新大陸まで到着したものの、探検の途中、1492年12月25日にイスパニョーラ島で座礁する。
解体され、要塞の資材として使用された。 -
云わずと知れたクリストファー・コロンブス。
スペイン語ではクリストバル・コロン。
1451年 ジェノバ生まれ
1506年 スペイン バジャドリッドにて死去
サンタ・マリア号の船長
及び航海の総長
サンタ・マリア号を失ったコロンは
帰路はニーニャ号の船長を務めた。 -
こんな船で大西洋を横断したんですね〜
「大航海」だわ〜 -
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甲板に出た時に四方が大海原だったらどんなに不安だろうかと想像してみた。
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食事は日に2度
朝11時頃と日暮れ前
等級が上の者だけテーブルに付き
他は甲板にクロスを敷いて食べた。 -
ふぅ〜ん こんな食事をしていたんだ。
-
塩漬けダラや生ハムなども。
-
コラコラ、何を交渉しとるんじゃい!
-
最後の1隻がラ・ニーニャ
またの名をサンタ・クララという。
3隻の中で一番小さい船。
コロンのお気に入りの船だったと言われてる。
カラベラ船(キャラベル船)
全長21.40m 最大幅6.28m
乗組員は20名
コロンは帰路はこの船に乗った。
1493年3月3日にリスボンに着き
3月15日にパロスに戻った。 -
ラ・ニーニャの船長
Vicente Yanez Pinzon
ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン
(1461〜?)
ピンソン兄弟の末弟
航海の体験が豊富な兄弟は、長引く航海に疲れて船上でいざこざを起こす水夫達をなだめるのが上手かった。
1499年に再度南アメリカに向け航海し、ブラジル北海岸に到着。アマゾン川の河口一帯を探索した最初の探検者である。 -
ボートの間に海亀までいて芸が細かい
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出港の日のパロス(Palos de la Frontera)の村の様子を再現してます。
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乗組員は家族や友人との別れを惜しみ、村には涙流す人あり、祈る人あり、前代未聞の大冒険に出る男たちを見送ったのでしょう。
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-
コロンブス一行が上陸した地で見たであろう新大陸の様子も少し再現されてます。
「木々は青々と茂り、
見たこともない様々な実をつけている・・・ -
・・・人々は真っ裸で過ごしている
華麗な色の鳥を持ってきてくれた・・・ -
・・・武器は持っていない
しっかりした体躯をしてい、
大変表情豊かな人々である」
(コロンブスの日記から) -
-
ここから、ウエルバ市のコロンブス像が見えます。
-
船首側から3隻一緒に
右から
ラ・ニーニャ
ラ・サンタ・マリア
ラ・ピンタ -
コロンの航海に関する展示室もなかなか興味深い。
新大陸発見となったコロンの1回目の航海のルート。
帰路はアゾレス諸島付近にて嵐に遭い、コロンブスの乗ったニーニャ号とマルティン・ピンソンの乗ったピンタ号は別れ別れになってしまう。
結局、別々にイベリア半島に到着することになる。 -
サンタ・マリアの模型
-
ニーニャの模型
-
復元船を見た後、近くにあるラビダ修道院へ行きました。
中は見学しなかったので、コロンブスと縁あるこの修道院の姿を外から確認するのみ。
ドニャーナ公園で大自然を感じ
エル・ロシオでアンダルシアの情熱を感じ
最後に大航海のロマンを感じた1日でした。
コスタ・デ・ラ・ルス旅行記 5/8(完)
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この旅行記へのコメント (5)
-
- スーポンドイツさん 2009/09/09 18:55:59
- 私も乗りました〜(^_^)v
- MILFLORESさん、ご無沙汰しています。
この旅行、風見鶏大収穫♪神戸にいらした時、ニワトリ以外考えられなかったのですが・・、楽しませていただきました。
コロンブスがコロン!?3隻で出発したの!! 陸地を発見して叫んだ人の名前まで習わなかったわ〜(笑)
ピンソン兄弟の末弟くん、長い航海、荒くれ男たちをまとめるには可愛すぎる〜!アマゾネスに食べられちゃうぞ〜。
ずいぶん前ですが、海遊館からサンタ・マリア号に乗って、大阪湾クルーズに出かけました(^^ゞ
すーぽん
- MILFLORESさん からの返信 2009/09/10 05:52:02
- RE: 私も乗りました〜(^_^)v
- スーポンさん こんにちは!
> コロンブスがコロン!?
・・・そうなんです。可愛いでしょう?
> 陸地を発見して叫んだ人の名前まで習わなかったわ〜(笑)
・・・それはね、こっちの学校でも習いませんよ〜 (笑)
> ピンソン兄弟の末弟くん、長い航海、荒くれ男たちをまとめるには可愛すぎる〜!
私も思ったの! いい男じゃない、って。
とても冒険者には見えないですよねー キュート♪
大阪湾クルーズのサンタ・マリアよりも、
神戸にもあるじゃないですか!
復元船が、それもスペインから行ったのが。
メリケンパークのサンタ・マリア号。
スーポンさんが連れて行って下さった時は暗くてどこにあるか分かりませんでしたが・・・
【スペイン風見紀行】 新しいテーマでアップできるくらい貯めてはいるのですが、まずは旅行記を作成し終わってから・・・
新しいのが出来たら、お知らせに伺いますね!
ご訪問、どうもありがとうございました!
- スーポンドイツさん からの返信 2009/09/10 07:08:42
- RE: 私も乗りました〜(^_^)v
- そうそう、メリケンパーク!海洋博物館の海側にいました(o^-')b
書き込み終えてから気がついたのですが・・。航海500年を記念してスペインで造られ290日かけて日本に来たとか。一度火災で焦げていましたが、修復されました。あんな小さな船でよくまぁ(☆。☆)・・と思いましたよ。
すーぽん
-
- ツーリスト今中さん 2009/09/01 12:46:06
- 興味深く拝見しました
- ご無沙汰していますぅ〜っ!
「夏だ!海だ!シリーズ」スペインの情熱って言う感じの
タイトルですね。
コロンのお話興味深く拝見しました。
イタリア人だったんだ!から始まって、、。
へぇ〜、ふ〜んなるほどなどなど。
日本の地図だとスペインと新大陸は右と左に分かれていて
凄く遠いと思っていましたが(かなり大きくなるまで)
そうでもないんですものね。
でも当時の航海技術からしたら数々の苦労があったんだろうなぁ。
距離的に一番遠い国は日本なんですよね。
(極東ですものね)
久し振りの書込なのに何だか冴えない文章になっちゃいましたが
一票投じて失礼します。
- MILFLORESさん からの返信 2009/09/02 05:28:12
- RE: 興味深く拝見しました
- ツーリスト今中さん こんにちは!!
極東の日本の、そのまた北東の北海道の、
そのまた道東のツーリスト今中さん♪
ヨーロッパ大陸が中心のこちらの世界地図で見ると
日本は本当に遠いです。
そんなアジアの端っこに、コロンブスの時代の人々も
想いを馳せたんですね〜
結果的にそれが新大陸発見に至ったのですが・・・
アメリカ原住民のことを「インディアン」というのは
最後まで着いた土地が「インド」だと勘違いしていた
コロンブスのせい。
ヨーロッパにトマトやジャガイモやコーヒーやカカオ
豊富な香辛料がやってきたのも新大陸発見のおかげ。
コロンブスと新大陸発見に関するお話は底を尽きません。
3年前にスペインからメキシコに行った時に、
9時間のフライトがずっと大西洋上で、
シベリア横断して日本への長フライトには慣れていた私でも、
海の上の長時間フライトはとても不安に感じました。
なので、コロンブスの一行はさぞ・・・!!と思います。
・・・とはいえ、現在では乗り継ぎ1回で東京から来られますからね〜
ツーリスト今中さんのご訪問をお待ちしておりますよー (笑)
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