マチュピチュ周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
南米大陸 三大絶景10日間 <br /><br />ペルーは、神秘的な感情より、むしろ高山病での印象が強い。マチュピチュは道具が無い時代によくぞ巨大な石を運び辺鄙な所に造ったなと感心する。マチュピチュ遺跡は、ジャングル支配の重要な前線基地であり、また、この地域の温暖な亜熱帯の気候で育つ、アンデスの高地には無い植物(コカも含まれる)や動物、鳥の羽などの貴重な産物を帝国の首都クスコに運ぶ、経済的な要所であったのではないかと考えられているようです。そんな帝国の辺境の要所も、スペインの侵略を境に、彼らの支配が及ばない格好の場所として、帝国の政治的中枢機構を移したのではないかと推測されています。マチュピチュ遺跡は5区域に分かれています。一般に良く知られている石の建造物が密集するのが、右半分の都市区域です。ガイドブックやガイドの説明では、市街区域も様々な階級の人々によって、居住区域が分かれていたとされていますが、基本的にインカ時代は高い場所に位の高い人間が住んでいたとされるので、ここに多くの人が住んでいたとするなら、インカの慣習に従って居住区域が社会階層別に分別されていたと考えても疑問はありません。「神聖な広場」や「太陽の神殿」がある地域は神官などの聖職者達の居住区域です。そこから広場を挟んだ向かいの高い場所は貴族の居住区域がある。また土器や青銅器が多く発見された「石臼」あたりは、技術者の居住区域と推測され、そこから更に下方に広がる荒廃した住居跡付近は、庶民の地域だったと言われています。ただ、それを確実に裏付けるものは何もありません。長年の発掘や調査によって、建物の構造や石組みの違い、そしてインカの習慣や、都市・神殿建設に一定の規則を持っていると考えられている。また遺跡の中は、聖職者の居住区、貴族の居住区、技術者の居住区、庶民の居住区などにも分かれていました。<br />ところでカリフォルニア大学バークレイ校のジャン・ピエール・プロツェン(Dr.Jean-Pierre Protzen)建築学教授によると、石垣をぴったりと重ねて積む方法敲製(ペッキング)と言われています。この方法は、あらかじめ大きく割った石を、小型の石のハンマーで細かく叩いて表面をならしてゆく方法である。この方法は、すでにプレ・インカ(インカ期以前)から行われていたことがわかっている。当時巨石文明は、世界各地で見られ、その運搬手段は解明されつつあったが、マチュ・ピチュの場合は傾斜路を造る余地がないため、どうやって5から10tもある巨石を運び上げたかはまだ謎であるとしている。また、ビンガムの発掘ノートは、何を発掘したかよりも何を食べたか、の記述が多かったと報告されている。遺跡のある標高より高い位置に、建設に使った花崗岩の石材の切出し場所が確認された。2005年のディスカバリーチャンネルによると、切り出し場所には実際に切り出された痕跡や、切出しに使ったと見られる非常に固い石でできた石器が存在していたという。 最近の調査では、地下から焼けた跡が発見されたことなどから、スペイン人による侵略を恐れて住民が町を焼き払ったという説が研究者から指摘されている。イェール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適した宗教的理念として太陽に近いところであるという点が場所選定の理由として挙げられている。 急斜面に位置したマチュピチュの頂上には、太陽の神殿があり、頂上にはインティファタナ(Intihuatana…太陽をつなぎ止める石)が設置されている。また夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。 インカの神は、日本やエジプトと同様に太陽神であるため、太陽により近い山の頂は儀礼場として適当だったのだろう。 神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は、神への供物として栽培されたり人々の食料とされていたから宗教儀礼的意味が色濃く反映されているといえよう。これらの説から、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。なおインカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている。マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、マチュ・ピチュの背後にある尖った「ワイナ・ピチュの山(若い峰という意味)」があり、月の神殿としての洞窟が造られている。 <br /><br />基本的なマチュピチュへの行き方…<br /><br />マチュピチュへ行くには、クスコの街を5時にバスで出発します。マチュピチュ行きの観光列車「ビスタドーム」という鉄道乗り場のオジャンタイタンボ駅までは、バスで3時間ほど走ります。マチュピチュ行きの列車は、旅に慣れていても事前に切符を買っておかないと満杯で乗れないのでご注意下さい。アグアス・カリエンテス駅の終点まで乗らずに途中の駅で降りトレッキングでマチュピチュまで山道を歩くツアーもあります。このトレッキングは、白人には老若を問わず人気のようです。列車はマチュピチュ麓の町アグアス・カリエンテス駅に着いた後、さらにマチュピチュ行きの専用ミニバスに乗り換え急斜面をグネグネ20分ほど登って行くとマチュピチュの入口に到着します。バスの料金は、往復でUS$9または s/. 31.5。片道でも買えます(徒歩は厳しいですね)。 <br /><br />●スケジュール配分…<br />マチュピチュ往復は、日帰りの人がほとんどですが、朝4時にクスコを出てバスに乗り観光専用列車で約2時間程乗って行き、マチュピチュを観光して現地を夕方5時頃の観光専用列車に乗ってバスで帰ってくると、クスコ市内に夜の11時頃に着くでしょう。できれば向こうの遺跡横の高級ホテルか麓の温泉ホテルで一泊して、翌日再び残りを見学して現地を昼頃出発し帰ってくる方法が一番良いのですが日程的にゆとりが無いとダメですね。いずれにしても観光列車の時刻に合わせないと行けませんね。良い時間帯は、現地旅行者でも切符が取れないようですよ。●マチュピチュ入場料は US$ 20 または s/. 72。学割なら半額です(要 国際学生証)。<br /><br />私は、ツアーで行きましたが、個人の場合は、【マチュピチュへの入場料】: 20ドル 25歳以下で国際学生証がある人は10ドル。 <br />マチュピチュ観光の一番格安の例は、【クスコ〜オジャンタイタンボのバス】バスで移動、直通で5soles、ウルバンバを経由すると4solesです。クスコからウルバンバ 3 soles. ウルバンバ〜オジャンタイタンボ 1 sol 【オジャンタイタンボの宿泊費】1泊で15soles 程度【オジャンタイタンボ〜アグアスカリエンテスまでの鉄道】往復で24ドル 【アグアスカリエンテスに2泊】15soles×2 安い列車だと時間の都合上アグアスカリエンテスに自動的に2泊する必要が生じる。【アグアスカリエンテス〜マチュピチュへのバス】往復で9ドル。【合計】【交通費】 (クスコ〜オジャンタ)10soles+(オジャンタ〜アグアス)24dollares +(アグアス〜マチュピチュ)9dollares【入場料】20dollares 【宿泊費】:45soles 【合計で】:53ドル+55soles (約16ドル) で69ドル。この料金に【食事代】などが入ってくる。料金は常に変動します。 <br /><br />白人に人気のトレッキング「インカ・トレイルツアー」…  <br />【 インカトレイル 】1泊2日・3泊4日が主で、一切列車に乗らず6泊7日のツアーもあるようです。しかし2002年くらいからインカトレイルに入場制限が加わりました。ゆえに今まで個人で行けたインカ・トレッキングは、旅行代理店を通してガイドをつけてでないと行けなくなりました。【インカ・トレイルの費用】180ドル以上。例えばテントとか、寝袋、シートなどです。テントや、寝袋、シートはクスコのお店でレンタルしています。一日レンタルでテント二人用 7soles , 寝袋3.5 soles シート 2 solesこのくらいの値段のようです。【 キャンプ用品のレンタルをしているお店 】クスコにはたくさんのお店がキャンプ用品をレンタルしています。【住所】Plateros No 319 アルマス広場から2ブロックちょっとのところ。しかしこのインカトレイルツアーは、日本アルプスなどを体験したよほどの登山家でないと避けた方が良いでしょうね。 <br /><br />南アメリカ  6泊 10日〜  489,000 円 <br />★南米大陸が誇る五大世界遺産をコンパクトに巡る!! <br />☆【ブエノスアイレス市内観光】にご案内。 <br />★世界遺産 世界三大瀑布のひとつ【イグアス大瀑布】 <br />☆インカ帝国の数々の遺跡が残る世界遺産【クスコ市街】 <br />★幻の空中都市世界遺産【マチュピチュ歴史保護区】 <br />☆アンデス民族音楽の【フォルクローレショー】<br />★世界遺産【リマ歴史地区観光】 <br />☆未だ謎が残る世界遺産【ナスカの地上絵観光】【地上絵観測塔(ミラドール)】。 <br />★名物料理や日本食などを盛り込んだうれしい全18回の食事付! <br />☆マチュピチュ遺跡に隣立する唯一のホテル、サンクチュアリロッジにてビュッフェランチ <br /><br />1日目  大阪発 伊丹空港から空路、羽田〜成田間のリムジンバス移動! <br /> 東京成田発 空路、ロサンゼルスへ。 <br />・<日付変更線通過>・・ロサンゼルス着後、空路リマへ<br />  <br />2日目 リマで乗り継いでブエノスアイレスへ。 ブエノスアイレス発 空路、イグアスへ。 <br />   イグアス着 宿泊:(イグアス泊)  <br /><br />3日目 イグアス世界遺産観光<br />  ○イグアス国立公園イグアス大瀑布観光(☆トロッコ列車に乗ってアルゼンチン側のイグアスの滝を観光) <br /> 昼食は名物料理「シュラスコ」をご賞味。 <br /> ブラジル側とイグアスの滝観光。 宿泊:(イグアス泊)  <br /> ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの○三国国境地点展望台観光。 <br /><br />4日目  イグアス発 空路、ブエノスアイレスへ。   <br /> 着後、ブエノスアイレス市内観光(世界三大劇場のひとつ○コロン劇場、○メトロポリタン大聖堂、○ボカ地区)。 <br /> 乗り継ぎ、空路、リマへ。 宿泊:(リマ泊)  <br /><br />5日目  リマ発  空路、クスコへ。 <br /> 着後、世界遺産クスコ市街観光(◎サントドミンゴ教会、○サクサイワマン、○アルマス広場、○タンボマチャイ、○十二角石)。 <br /> 夕食はフォルクローレ・ディナーショー。 宿泊:(クスコ泊)  <br /><br />6日目  クスコ  世界遺産<br />  ◎マチュピチュ歴史保護区観光(わずか5k?の峰の小さな峰の頂に建造物がびっしり。全ての建物が石組みで精巧に作られている)。 <br /> 昼食は遺跡の前のサンクチュアリロッジにてビュッフェ。 <br /> その後、列車とバスにてクスコへ。  宿泊:(クスコ泊)  <br />----------------------------------------------<br />【警告】<br /> 油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.<br /><br />

南米三大絶景10日間 ?マチュピチュ

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2008/05/17 - 2008/05/17

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koi

koiさん

南米大陸 三大絶景10日間

ペルーは、神秘的な感情より、むしろ高山病での印象が強い。マチュピチュは道具が無い時代によくぞ巨大な石を運び辺鄙な所に造ったなと感心する。マチュピチュ遺跡は、ジャングル支配の重要な前線基地であり、また、この地域の温暖な亜熱帯の気候で育つ、アンデスの高地には無い植物(コカも含まれる)や動物、鳥の羽などの貴重な産物を帝国の首都クスコに運ぶ、経済的な要所であったのではないかと考えられているようです。そんな帝国の辺境の要所も、スペインの侵略を境に、彼らの支配が及ばない格好の場所として、帝国の政治的中枢機構を移したのではないかと推測されています。マチュピチュ遺跡は5区域に分かれています。一般に良く知られている石の建造物が密集するのが、右半分の都市区域です。ガイドブックやガイドの説明では、市街区域も様々な階級の人々によって、居住区域が分かれていたとされていますが、基本的にインカ時代は高い場所に位の高い人間が住んでいたとされるので、ここに多くの人が住んでいたとするなら、インカの慣習に従って居住区域が社会階層別に分別されていたと考えても疑問はありません。「神聖な広場」や「太陽の神殿」がある地域は神官などの聖職者達の居住区域です。そこから広場を挟んだ向かいの高い場所は貴族の居住区域がある。また土器や青銅器が多く発見された「石臼」あたりは、技術者の居住区域と推測され、そこから更に下方に広がる荒廃した住居跡付近は、庶民の地域だったと言われています。ただ、それを確実に裏付けるものは何もありません。長年の発掘や調査によって、建物の構造や石組みの違い、そしてインカの習慣や、都市・神殿建設に一定の規則を持っていると考えられている。また遺跡の中は、聖職者の居住区、貴族の居住区、技術者の居住区、庶民の居住区などにも分かれていました。
ところでカリフォルニア大学バークレイ校のジャン・ピエール・プロツェン(Dr.Jean-Pierre Protzen)建築学教授によると、石垣をぴったりと重ねて積む方法敲製(ペッキング)と言われています。この方法は、あらかじめ大きく割った石を、小型の石のハンマーで細かく叩いて表面をならしてゆく方法である。この方法は、すでにプレ・インカ(インカ期以前)から行われていたことがわかっている。当時巨石文明は、世界各地で見られ、その運搬手段は解明されつつあったが、マチュ・ピチュの場合は傾斜路を造る余地がないため、どうやって5から10tもある巨石を運び上げたかはまだ謎であるとしている。また、ビンガムの発掘ノートは、何を発掘したかよりも何を食べたか、の記述が多かったと報告されている。遺跡のある標高より高い位置に、建設に使った花崗岩の石材の切出し場所が確認された。2005年のディスカバリーチャンネルによると、切り出し場所には実際に切り出された痕跡や、切出しに使ったと見られる非常に固い石でできた石器が存在していたという。 最近の調査では、地下から焼けた跡が発見されたことなどから、スペイン人による侵略を恐れて住民が町を焼き払ったという説が研究者から指摘されている。イェール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適した宗教的理念として太陽に近いところであるという点が場所選定の理由として挙げられている。 急斜面に位置したマチュピチュの頂上には、太陽の神殿があり、頂上にはインティファタナ(Intihuatana…太陽をつなぎ止める石)が設置されている。また夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。 インカの神は、日本やエジプトと同様に太陽神であるため、太陽により近い山の頂は儀礼場として適当だったのだろう。 神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は、神への供物として栽培されたり人々の食料とされていたから宗教儀礼的意味が色濃く反映されているといえよう。これらの説から、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。なおインカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている。マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、マチュ・ピチュの背後にある尖った「ワイナ・ピチュの山(若い峰という意味)」があり、月の神殿としての洞窟が造られている。

基本的なマチュピチュへの行き方…

マチュピチュへ行くには、クスコの街を5時にバスで出発します。マチュピチュ行きの観光列車「ビスタドーム」という鉄道乗り場のオジャンタイタンボ駅までは、バスで3時間ほど走ります。マチュピチュ行きの列車は、旅に慣れていても事前に切符を買っておかないと満杯で乗れないのでご注意下さい。アグアス・カリエンテス駅の終点まで乗らずに途中の駅で降りトレッキングでマチュピチュまで山道を歩くツアーもあります。このトレッキングは、白人には老若を問わず人気のようです。列車はマチュピチュ麓の町アグアス・カリエンテス駅に着いた後、さらにマチュピチュ行きの専用ミニバスに乗り換え急斜面をグネグネ20分ほど登って行くとマチュピチュの入口に到着します。バスの料金は、往復でUS$9または s/. 31.5。片道でも買えます(徒歩は厳しいですね)。

●スケジュール配分…
マチュピチュ往復は、日帰りの人がほとんどですが、朝4時にクスコを出てバスに乗り観光専用列車で約2時間程乗って行き、マチュピチュを観光して現地を夕方5時頃の観光専用列車に乗ってバスで帰ってくると、クスコ市内に夜の11時頃に着くでしょう。できれば向こうの遺跡横の高級ホテルか麓の温泉ホテルで一泊して、翌日再び残りを見学して現地を昼頃出発し帰ってくる方法が一番良いのですが日程的にゆとりが無いとダメですね。いずれにしても観光列車の時刻に合わせないと行けませんね。良い時間帯は、現地旅行者でも切符が取れないようですよ。●マチュピチュ入場料は US$ 20 または s/. 72。学割なら半額です(要 国際学生証)。

私は、ツアーで行きましたが、個人の場合は、【マチュピチュへの入場料】: 20ドル 25歳以下で国際学生証がある人は10ドル。
マチュピチュ観光の一番格安の例は、【クスコ〜オジャンタイタンボのバス】バスで移動、直通で5soles、ウルバンバを経由すると4solesです。クスコからウルバンバ 3 soles. ウルバンバ〜オジャンタイタンボ 1 sol 【オジャンタイタンボの宿泊費】1泊で15soles 程度【オジャンタイタンボ〜アグアスカリエンテスまでの鉄道】往復で24ドル 【アグアスカリエンテスに2泊】15soles×2 安い列車だと時間の都合上アグアスカリエンテスに自動的に2泊する必要が生じる。【アグアスカリエンテス〜マチュピチュへのバス】往復で9ドル。【合計】【交通費】 (クスコ〜オジャンタ)10soles+(オジャンタ〜アグアス)24dollares +(アグアス〜マチュピチュ)9dollares【入場料】20dollares 【宿泊費】:45soles 【合計で】:53ドル+55soles (約16ドル) で69ドル。この料金に【食事代】などが入ってくる。料金は常に変動します。

白人に人気のトレッキング「インカ・トレイルツアー」…
【 インカトレイル 】1泊2日・3泊4日が主で、一切列車に乗らず6泊7日のツアーもあるようです。しかし2002年くらいからインカトレイルに入場制限が加わりました。ゆえに今まで個人で行けたインカ・トレッキングは、旅行代理店を通してガイドをつけてでないと行けなくなりました。【インカ・トレイルの費用】180ドル以上。例えばテントとか、寝袋、シートなどです。テントや、寝袋、シートはクスコのお店でレンタルしています。一日レンタルでテント二人用 7soles , 寝袋3.5 soles シート 2 solesこのくらいの値段のようです。【 キャンプ用品のレンタルをしているお店 】クスコにはたくさんのお店がキャンプ用品をレンタルしています。【住所】Plateros No 319 アルマス広場から2ブロックちょっとのところ。しかしこのインカトレイルツアーは、日本アルプスなどを体験したよほどの登山家でないと避けた方が良いでしょうね。

南アメリカ 6泊 10日〜 489,000 円
★南米大陸が誇る五大世界遺産をコンパクトに巡る!!
☆【ブエノスアイレス市内観光】にご案内。
★世界遺産 世界三大瀑布のひとつ【イグアス大瀑布】
☆インカ帝国の数々の遺跡が残る世界遺産【クスコ市街】
★幻の空中都市世界遺産【マチュピチュ歴史保護区】
☆アンデス民族音楽の【フォルクローレショー】
★世界遺産【リマ歴史地区観光】
☆未だ謎が残る世界遺産【ナスカの地上絵観光】【地上絵観測塔(ミラドール)】。
★名物料理や日本食などを盛り込んだうれしい全18回の食事付!
☆マチュピチュ遺跡に隣立する唯一のホテル、サンクチュアリロッジにてビュッフェランチ

1日目 大阪発 伊丹空港から空路、羽田〜成田間のリムジンバス移動!
 東京成田発 空路、ロサンゼルスへ。
・<日付変更線通過>・・ロサンゼルス着後、空路リマへ

2日目 リマで乗り継いでブエノスアイレスへ。 ブエノスアイレス発 空路、イグアスへ。 
  イグアス着 宿泊:(イグアス泊)

3日目 イグアス世界遺産観光
  ○イグアス国立公園イグアス大瀑布観光(☆トロッコ列車に乗ってアルゼンチン側のイグアスの滝を観光)
 昼食は名物料理「シュラスコ」をご賞味。
 ブラジル側とイグアスの滝観光。 宿泊:(イグアス泊)
 ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの○三国国境地点展望台観光。

4日目 イグアス発 空路、ブエノスアイレスへ。  
 着後、ブエノスアイレス市内観光(世界三大劇場のひとつ○コロン劇場、○メトロポリタン大聖堂、○ボカ地区)。
 乗り継ぎ、空路、リマへ。 宿泊:(リマ泊)

5日目 リマ発 空路、クスコへ。
 着後、世界遺産クスコ市街観光(◎サントドミンゴ教会、○サクサイワマン、○アルマス広場、○タンボマチャイ、○十二角石)。
 夕食はフォルクローレ・ディナーショー。 宿泊:(クスコ泊)

6日目 クスコ 世界遺産
  ◎マチュピチュ歴史保護区観光(わずか5k?の峰の小さな峰の頂に建造物がびっしり。全ての建物が石組みで精巧に作られている)。
 昼食は遺跡の前のサンクチュアリロッジにてビュッフェ。
 その後、列車とバスにてクスコへ。  宿泊:(クスコ泊)
----------------------------------------------
【警告】
 油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。

■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

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  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />私たちは、観光専用列車に乗って麓まで来てつづら折りの道路を専属ミニバスで20分ほど乗り上まで上りました。外人の幾人かは、観光専用列車の途中で下車して川沿いの険しい山を上り下りしながら3日から7かがかりで山を歩いて行くトレッキングツアーもあります。最近は日本人の熟年組の人達もこのトレッキングに参加しているらしいですが。昼食は遺跡入口手前のサンクチュアリロッジにてビュッフェで食べました。もう人が一杯で大変な込みようでしたがバイキングなのでしっかり食べました。腹ごしらえしたあと、 マチュピチュ歴史保護区観光に向かいました。遺跡は、わずか5k?の小さな峰の頂に石の建造物がびっしりあり、全ての建物が石組みで精巧に作られていました。最初山のふもとからは、遺跡の気配すら感じられなかったが、しばらくすると遺跡が見えてきました。一番上の方へ登ると遺跡全体を望む事が出来ますが、そこにたどり着くには、遺跡の石段を相当登らねばなにず、かなりの体力を要します。しかし、そこから見た遺跡の風景は、20世紀初頭に約400年の眠りからマチュピチュを目覚めさせたアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムという人物のすごさを再認識させられます。

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    私たちは、観光専用列車に乗って麓まで来てつづら折りの道路を専属ミニバスで20分ほど乗り上まで上りました。外人の幾人かは、観光専用列車の途中で下車して川沿いの険しい山を上り下りしながら3日から7かがかりで山を歩いて行くトレッキングツアーもあります。最近は日本人の熟年組の人達もこのトレッキングに参加しているらしいですが。昼食は遺跡入口手前のサンクチュアリロッジにてビュッフェで食べました。もう人が一杯で大変な込みようでしたがバイキングなのでしっかり食べました。腹ごしらえしたあと、 マチュピチュ歴史保護区観光に向かいました。遺跡は、わずか5k?の小さな峰の頂に石の建造物がびっしりあり、全ての建物が石組みで精巧に作られていました。最初山のふもとからは、遺跡の気配すら感じられなかったが、しばらくすると遺跡が見えてきました。一番上の方へ登ると遺跡全体を望む事が出来ますが、そこにたどり着くには、遺跡の石段を相当登らねばなにず、かなりの体力を要します。しかし、そこから見た遺跡の風景は、20世紀初頭に約400年の眠りからマチュピチュを目覚めさせたアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムという人物のすごさを再認識させられます。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br />(インティワタナ)高さ1.8mの日時計か?<br /><br />マチュピチュは1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが発見した。誰がいつ頃何のために築いたのか現在も不明なまま。凄まじい破壊と略奪を繰り返したスペイン人たちから400年近くも逃れて誰の目にも触れず眠っていたインカの空中都市です。遺跡の面積は5キロ平米、標高は2,450メートル、 最盛期には1万人〜2万人の人口があったのではないかと言われている。急斜面には、太陽の神殿があり、頂上にはインティワタナ(Intihuatana…太陽をつなぎ止める石)が設置されている。夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。インティワタナは、日時計としても利用されたようだ。インカの神は、日本やエジプトと同じく太陽神であるため太陽により近い山の頂は儀礼場として適当だったようです。この遺跡は、西の端の神殿にある石で日時計だとか太陽を祀る施設だとか、これまたいろいろな説がある。しかし春分や秋分などの年間の重要な区切りとなる日を知るための設備というのが有力だが、実際には春分・秋分・夏至・冬至などとこの石が何か関係しているという証拠は何も見つかっていない。また、時刻を知るための日時計という説もある。特にマチュピチュは1日の間でも天候の変化が激しい場所なのだから、これだけ自由自在に水を操る技術や能力がある以上、時刻を計るなら水時計のほうが余程便利なはずだが。このインティワタナに類似した石造物はマチュピチュだけじゃなく、インカ帝国時代の他の遺跡にも数多く残っているという。他に「聖なる岩」なんていう大岩もあった。  <br /><br /><br /><br />

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産
    (インティワタナ)高さ1.8mの日時計か?

    マチュピチュは1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが発見した。誰がいつ頃何のために築いたのか現在も不明なまま。凄まじい破壊と略奪を繰り返したスペイン人たちから400年近くも逃れて誰の目にも触れず眠っていたインカの空中都市です。遺跡の面積は5キロ平米、標高は2,450メートル、 最盛期には1万人〜2万人の人口があったのではないかと言われている。急斜面には、太陽の神殿があり、頂上にはインティワタナ(Intihuatana…太陽をつなぎ止める石)が設置されている。夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。インティワタナは、日時計としても利用されたようだ。インカの神は、日本やエジプトと同じく太陽神であるため太陽により近い山の頂は儀礼場として適当だったようです。この遺跡は、西の端の神殿にある石で日時計だとか太陽を祀る施設だとか、これまたいろいろな説がある。しかし春分や秋分などの年間の重要な区切りとなる日を知るための設備というのが有力だが、実際には春分・秋分・夏至・冬至などとこの石が何か関係しているという証拠は何も見つかっていない。また、時刻を知るための日時計という説もある。特にマチュピチュは1日の間でも天候の変化が激しい場所なのだから、これだけ自由自在に水を操る技術や能力がある以上、時刻を計るなら水時計のほうが余程便利なはずだが。このインティワタナに類似した石造物はマチュピチュだけじゃなく、インカ帝国時代の他の遺跡にも数多く残っているという。他に「聖なる岩」なんていう大岩もあった。



  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産 インカ土器?<br /><br />マチュピチュのインカ時代は、高い場所に位の高い人間が住んでいたとされるので、ここに多くの人が住んでいたとするなら、インカの慣習に従って居住区域が社会階層別に分別されていたと考えても疑問はありません。「神聖な広場」や「太陽の神殿」がある地域は、神官などの聖職者達の居住区域です。そこから広場を挟んだ向かいの高い場所は貴族の居住区域がある。また土器や青銅器が多く発見された。「石臼」あたりは、技術者の居住区域と推測され、そこから更に下方に広がる荒廃した住居跡付近は、庶民の地域だったと言われています。この写真の土器と思われる物は、民族的にも貴重な物でマチュピチュに住んでいたインカの存在を表す土器と考えられている。

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産 インカ土器?

    マチュピチュのインカ時代は、高い場所に位の高い人間が住んでいたとされるので、ここに多くの人が住んでいたとするなら、インカの慣習に従って居住区域が社会階層別に分別されていたと考えても疑問はありません。「神聖な広場」や「太陽の神殿」がある地域は、神官などの聖職者達の居住区域です。そこから広場を挟んだ向かいの高い場所は貴族の居住区域がある。また土器や青銅器が多く発見された。「石臼」あたりは、技術者の居住区域と推測され、そこから更に下方に広がる荒廃した住居跡付近は、庶民の地域だったと言われています。この写真の土器と思われる物は、民族的にも貴重な物でマチュピチュに住んでいたインカの存在を表す土器と考えられている。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産 インカの土器?<br /><br />マチュピチュのインカ文明は、長年の発掘や調査によって、建物の構造や石組みの違い、そしてインカの習慣や、都市・神殿建設などにに一定の規則を持っていると考えられている。また遺跡の中は、聖職者の居住区、貴族の居住区、技術者の居住区、庶民の居住区などにも分かれていました。写真の土器と思われるデザインや形などから当時の様子をうかがえるのではと思っています。<br />

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産 インカの土器?

    マチュピチュのインカ文明は、長年の発掘や調査によって、建物の構造や石組みの違い、そしてインカの習慣や、都市・神殿建設などにに一定の規則を持っていると考えられている。また遺跡の中は、聖職者の居住区、貴族の居住区、技術者の居住区、庶民の居住区などにも分かれていました。写真の土器と思われるデザインや形などから当時の様子をうかがえるのではと思っています。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />コンドルの神殿といわれる場所。生贄の血を注いだといわれるコンドルの石が手前にあり、後ろの2つの岩は、翼のようにせり立っています。生け贄を置いていた場所か?石の先端がくり貫かれており、いかにもといった形をしている。太陽の神殿の下にある岩。何か祭るために作られたのであろうか?コンドルの神殿は神聖な儀式が行われた場所ではないかといわれています。またコンドルの石の奥の部分からミイラがでてきたことからマチュピチュを世界に発表したハイラム・ビンガムはこの場所を牢屋だったと分析しました。 <br />コンドルの神殿といわれているのは、手前の柵の部分の手前側がコンドルの頭になっており、後ろの岩がコンドルの両翼になっているのがわかります。柵に囲まれた部分に生贄をささげて儀式をしたといわれています。コンドルのくちばしの部分には、また違った石が円形に作られています。この部分には生贄の血をたらしたとか、チッチャ(ビッグコーンから作るお酒) をたらしたといわれています。コンドルの神殿の奥の壁龕の底の部分は斜めになっており、その部分には罪を犯したものをつなぎとめる綱を結ぶためにあったとか、チッチャを入れる土器が、平面に立たない形をしていることから、チッチャの土器を立たせるためにあったのではないかといわれています。 <br />

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    コンドルの神殿といわれる場所。生贄の血を注いだといわれるコンドルの石が手前にあり、後ろの2つの岩は、翼のようにせり立っています。生け贄を置いていた場所か?石の先端がくり貫かれており、いかにもといった形をしている。太陽の神殿の下にある岩。何か祭るために作られたのであろうか?コンドルの神殿は神聖な儀式が行われた場所ではないかといわれています。またコンドルの石の奥の部分からミイラがでてきたことからマチュピチュを世界に発表したハイラム・ビンガムはこの場所を牢屋だったと分析しました。
    コンドルの神殿といわれているのは、手前の柵の部分の手前側がコンドルの頭になっており、後ろの岩がコンドルの両翼になっているのがわかります。柵に囲まれた部分に生贄をささげて儀式をしたといわれています。コンドルのくちばしの部分には、また違った石が円形に作られています。この部分には生贄の血をたらしたとか、チッチャ(ビッグコーンから作るお酒) をたらしたといわれています。コンドルの神殿の奥の壁龕の底の部分は斜めになっており、その部分には罪を犯したものをつなぎとめる綱を結ぶためにあったとか、チッチャを入れる土器が、平面に立たない形をしていることから、チッチャの土器を立たせるためにあったのではないかといわれています。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産 本神殿 <br /><br />主神殿は、神聖な広場で一番重要と呼ばれている神殿です。台形の窓が3つあるので3つの窓の神殿と名付けられた建物。3つの穴から初代皇帝となる人物や肥沃な国土その他が生み出されたというインカ帝国の創造神話に基づいて作られたのではないかと言われている。でも、これもよく判っていない。インカの石組みで有名なのは12角の石などの複雑な石組みであるが、実は神殿などの重要な場所の意思はつるつるとした四角形の石が使われています。インカの複雑な石組みは神聖なもののためではなく、耐震のために複雑な入り組んだものを作ったと考えられています。四角形のシンプルな石ほどより神聖な場所とされているのはクスコで一番重要な神殿であったコリカンチャ(黄金の居所=現在のサントドミンゴ教会) の四角形でシンプルな石組みを見ても明らかです。これらの石は表から見ると非常にただの四角形の普通の石に見えますが、実は後ろ側はコの字形になっていて、頑丈になっています。正面の礎石におよそ5Mほどの巨石を用いていることから、本神殿と呼ばれているが、使用目的については推測の域を出ない。使われている石の切り口や積み方を見ると、間違いなく先史文明の遺構であるとが分かる。太陽の門から歩いていくと、神聖な広場というところにでる。そこにある3つの窓を持つ神殿。すぐ横には、主神殿がある。地震で右側が崩れている。しかし驚くべきは、この崩れた跡を見ると、石と石の間が寸分違わず接合するよう加工されているということだ。インカの石工技術の凄さは計り知れない。<br /><br /> <br />

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産 本神殿

    主神殿は、神聖な広場で一番重要と呼ばれている神殿です。台形の窓が3つあるので3つの窓の神殿と名付けられた建物。3つの穴から初代皇帝となる人物や肥沃な国土その他が生み出されたというインカ帝国の創造神話に基づいて作られたのではないかと言われている。でも、これもよく判っていない。インカの石組みで有名なのは12角の石などの複雑な石組みであるが、実は神殿などの重要な場所の意思はつるつるとした四角形の石が使われています。インカの複雑な石組みは神聖なもののためではなく、耐震のために複雑な入り組んだものを作ったと考えられています。四角形のシンプルな石ほどより神聖な場所とされているのはクスコで一番重要な神殿であったコリカンチャ(黄金の居所=現在のサントドミンゴ教会) の四角形でシンプルな石組みを見ても明らかです。これらの石は表から見ると非常にただの四角形の普通の石に見えますが、実は後ろ側はコの字形になっていて、頑丈になっています。正面の礎石におよそ5Mほどの巨石を用いていることから、本神殿と呼ばれているが、使用目的については推測の域を出ない。使われている石の切り口や積み方を見ると、間違いなく先史文明の遺構であるとが分かる。太陽の門から歩いていくと、神聖な広場というところにでる。そこにある3つの窓を持つ神殿。すぐ横には、主神殿がある。地震で右側が崩れている。しかし驚くべきは、この崩れた跡を見ると、石と石の間が寸分違わず接合するよう加工されているということだ。インカの石工技術の凄さは計り知れない。


  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />町の中には水路が張り巡らされ整備されている。遠く山のかなたから運ばれた水が、緻密に計算された水路をいまもなお流れていて決して絶えることなく流れてくるらしい。水汲み場は、山を400メートルほど登ったところにありますが、なぜ水を運ぶのに不便な山の上に作ったのだろうと疑問を抱きますが、マチュピチュにはこのように水が沸いてくる場所があるのです。この水はマチュピチュの正面にあるワイナピチュから流れてくる水といわれています。このように絶えず水が流れてくるのは非常に不思議に感じます。水汲み場は10以上あり、上の水ほど高貴な人が使っていたと言われています。<br />

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    町の中には水路が張り巡らされ整備されている。遠く山のかなたから運ばれた水が、緻密に計算された水路をいまもなお流れていて決して絶えることなく流れてくるらしい。水汲み場は、山を400メートルほど登ったところにありますが、なぜ水を運ぶのに不便な山の上に作ったのだろうと疑問を抱きますが、マチュピチュにはこのように水が沸いてくる場所があるのです。この水はマチュピチュの正面にあるワイナピチュから流れてくる水といわれています。このように絶えず水が流れてくるのは非常に不思議に感じます。水汲み場は10以上あり、上の水ほど高貴な人が使っていたと言われています。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />マチュピチュ遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられ数千人がこの都市で暮らしていたとされている。この都市はまさに都市として完璧な構造をしている。その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。写真は、山腹に切り開かれた広大な「農業用のテラス」の段々畑があり、野菜やトウモロコシ、果物、ジャガイモ、ユカ、キノア、コカなどのアンデス原産の農作物が栽培されていました。神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は、神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。遺跡のそばでは、のんびりと草をはむリャマとアルパカの姿が見られる。モコモコなのがアルパカで、他はリャマ。どちらも温かい毛を身にまとっていて、セーターなんかに使われています。

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    マチュピチュ遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられ数千人がこの都市で暮らしていたとされている。この都市はまさに都市として完璧な構造をしている。その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。写真は、山腹に切り開かれた広大な「農業用のテラス」の段々畑があり、野菜やトウモロコシ、果物、ジャガイモ、ユカ、キノア、コカなどのアンデス原産の農作物が栽培されていました。神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は、神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。遺跡のそばでは、のんびりと草をはむリャマとアルパカの姿が見られる。モコモコなのがアルパカで、他はリャマ。どちらも温かい毛を身にまとっていて、セーターなんかに使われています。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />太陽の神殿は塔 ( Torreon )とも呼ばれています。中には入ることができませんが、美しい曲線を石で表現するというインカの石組みの技術を見ることができます。この下には陵墓と呼ばれるミイラを安置していたのではないかという場所があります。インカでは歴代の王のミイラがまるで生きているときのように扱われていたのは有名な話です。インカの歴代の王のミイラは政治にも影響を及ぼしました。インカの王たちは歴代のインカの王のミイラの維持費が莫大にかかるため頭を悩ましたといいます。 標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味しているという。一般に“空中都市”とも呼ばれる遺跡は、スペイン人から逃れるため、また復讐の作戦を練るため、インカの人々が作った秘密都市だったという。マチュピチュ遺跡が貴重なのは、神殿や宮殿のみならず、一般庶民の住居跡もほぼ完全な形で残っていることにある。インカ帝国の首都クスコをはじめ他の都市遺構の一般庶民の住居はスペイン人たちによって徹底的に破壊され、頑丈すぎてどうしても壊せなかった神殿や宮殿の跡だけを残して後は全てスペイン風の町並みに作り変えられてしまった。だからインカ時代の普通の人々の暮らしを知る上でもマチュピチュ遺跡は大変貴重です。  

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    太陽の神殿は塔 ( Torreon )とも呼ばれています。中には入ることができませんが、美しい曲線を石で表現するというインカの石組みの技術を見ることができます。この下には陵墓と呼ばれるミイラを安置していたのではないかという場所があります。インカでは歴代の王のミイラがまるで生きているときのように扱われていたのは有名な話です。インカの歴代の王のミイラは政治にも影響を及ぼしました。インカの王たちは歴代のインカの王のミイラの維持費が莫大にかかるため頭を悩ましたといいます。 標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味しているという。一般に“空中都市”とも呼ばれる遺跡は、スペイン人から逃れるため、また復讐の作戦を練るため、インカの人々が作った秘密都市だったという。マチュピチュ遺跡が貴重なのは、神殿や宮殿のみならず、一般庶民の住居跡もほぼ完全な形で残っていることにある。インカ帝国の首都クスコをはじめ他の都市遺構の一般庶民の住居はスペイン人たちによって徹底的に破壊され、頑丈すぎてどうしても壊せなかった神殿や宮殿の跡だけを残して後は全てスペイン風の町並みに作り変えられてしまった。だからインカ時代の普通の人々の暮らしを知る上でもマチュピチュ遺跡は大変貴重です。  

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />インティワタナとは、原住民の言葉でインティ (太陽)、ワタナ(つなぐもの) という意味で「太陽をつなぎ止める石」とされています。インティワタナは、マチュピチュの遺跡都市の中で突出して高い場所にあることも考えて、この石が太陽信仰を表していることは間違いないといわれています。写真を見てもわかるのですが、角のように大きく突き出した部分のまわりはひし形になっており、その四角は東西南北をぴったりと向いています。そのことから、インティワタナを日時計であったのではないかという説を唱える人もいますが、日時計であったかは判っていません。ただ、インカの民は、高度な天文技術を持っていて正確な暦によって生活を送っていたということです。不思議な削られ方をした石に、彼らの英知が詰まっているようです。ガイドは、この石に手を近づけると太陽神のパワーが貰えるとしきりに説明していました。しかし、さわるとダメとも言われ何故か不思議がパワーが存在しているようです。 <br /><br />

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    インティワタナとは、原住民の言葉でインティ (太陽)、ワタナ(つなぐもの) という意味で「太陽をつなぎ止める石」とされています。インティワタナは、マチュピチュの遺跡都市の中で突出して高い場所にあることも考えて、この石が太陽信仰を表していることは間違いないといわれています。写真を見てもわかるのですが、角のように大きく突き出した部分のまわりはひし形になっており、その四角は東西南北をぴったりと向いています。そのことから、インティワタナを日時計であったのではないかという説を唱える人もいますが、日時計であったかは判っていません。ただ、インカの民は、高度な天文技術を持っていて正確な暦によって生活を送っていたということです。不思議な削られ方をした石に、彼らの英知が詰まっているようです。ガイドは、この石に手を近づけると太陽神のパワーが貰えるとしきりに説明していました。しかし、さわるとダメとも言われ何故か不思議がパワーが存在しているようです。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまった。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。近い将来、さらに山奥にあるビルカバンバと呼ばれる黄金都市が発見されれば、本来のインカ帝国があらわれるかもしれない。写真の後方にそびえる山が、ワイナピチュ峰である。この山には山頂まで遺跡があり、登ることもできますが、普通のツアーだと登れる時間はありません。帰りの観光専用列車では、従業員が変身してペルーの伝統的な衣装を着て通路で踊りだしたり、お土産のアルパカ製品のセーターなどのファッションショーをしたりして楽しませてくれました。むちゃくちゃおかしかったが、外人に受けていたようです。

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまった。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。近い将来、さらに山奥にあるビルカバンバと呼ばれる黄金都市が発見されれば、本来のインカ帝国があらわれるかもしれない。写真の後方にそびえる山が、ワイナピチュ峰である。この山には山頂まで遺跡があり、登ることもできますが、普通のツアーだと登れる時間はありません。帰りの観光専用列車では、従業員が変身してペルーの伝統的な衣装を着て通路で踊りだしたり、お土産のアルパカ製品のセーターなどのファッションショーをしたりして楽しませてくれました。むちゃくちゃおかしかったが、外人に受けていたようです。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />人々が居住していたところにある居住地の石臼です。<br />この石臼は何につかわれれていたのでしょうか。もっと数があっても良さそうなのですが、なぜかマチュピチュ内に二つしかありません。この石臼にも様々な説があります。1.この石臼に石柱刺さっていたのではないかという説。【これからの説は普通のマチュピチュの建物はワラをかぶせる丸太をつけるために、外側に突き出た石があるがこの建物は中にあることから、ここは天井がなかったという前提で話を進めます】2.この石臼に水を貯めて、鏡として使っていたのではないかという説。3.この石臼が北と南を向いていることから、この石臼に水を貯めておいて、水に反射して強くなった太陽の光を力として受けていたという説。このような説がありますが、どのように使われていたのかはしっかりとわかっていません。しかし、建物の内側に石が突き出しているのは 1912年からはじまった崩れていたマチュピチュの修復作業で修復を間違ったのではないかとも言われています。 本神殿のすぐ隣にある建造物で、太古の建造物に見られる特徴的な窓が見える。オリャンタイタンボの石積みに開けられた窓と比較していただくと、両者が同種の人間によって造られたことが分かる。これも先史文明の遺構に間違いない。

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    人々が居住していたところにある居住地の石臼です。
    この石臼は何につかわれれていたのでしょうか。もっと数があっても良さそうなのですが、なぜかマチュピチュ内に二つしかありません。この石臼にも様々な説があります。1.この石臼に石柱刺さっていたのではないかという説。【これからの説は普通のマチュピチュの建物はワラをかぶせる丸太をつけるために、外側に突き出た石があるがこの建物は中にあることから、ここは天井がなかったという前提で話を進めます】2.この石臼に水を貯めて、鏡として使っていたのではないかという説。3.この石臼が北と南を向いていることから、この石臼に水を貯めておいて、水に反射して強くなった太陽の光を力として受けていたという説。このような説がありますが、どのように使われていたのかはしっかりとわかっていません。しかし、建物の内側に石が突き出しているのは 1912年からはじまった崩れていたマチュピチュの修復作業で修復を間違ったのではないかとも言われています。 本神殿のすぐ隣にある建造物で、太古の建造物に見られる特徴的な窓が見える。オリャンタイタンボの石積みに開けられた窓と比較していただくと、両者が同種の人間によって造られたことが分かる。これも先史文明の遺構に間違いない。

  • マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産<br /><br />遺跡の中には何頭かのアルパカやリャマが放し飼いなっている。両者共にラクダ科の動物で、非常におとなしく目が可愛らしい。ただ、アルパカとリャマの区別は、なかなかに難しく、現地の人でも時々迷うことがある。周囲の石組みは、インカの人々の手によるものだ。<br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

    マチュピチュ歴史保護区観光 世界遺産

    遺跡の中には何頭かのアルパカやリャマが放し飼いなっている。両者共にラクダ科の動物で、非常におとなしく目が可愛らしい。ただ、アルパカとリャマの区別は、なかなかに難しく、現地の人でも時々迷うことがある。周囲の石組みは、インカの人々の手によるものだ。
    ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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この旅行記へのコメント (1)

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  • ちょめたんさん 2012/04/14 19:43:55
    マチュピチュ絶景ですね
    実際に見るとまた一段と良いのでしょうね、やっぱり一度は行きたいですね、近々行く予定ですが以前かかったことが有るので高山病が心配です、

    koiさんは大丈夫でしたか?マチュピチュは結構歩くのですか坂道多いですか?koiさんは体力が有るようで羨ましいです。

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