2006/04/22 - 2006/04/23
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しんちゃんさん
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会津藩の歴代藩主の休憩所、及び旅支度を整えた場所。「会津藩御本陣」ともいい、国指定重要文化財でもあります。戊辰戦争では白虎隊に出撃命令が下されたのはこの本陣からです。西軍に占拠されましたが、ここだけは火災にあわずに済みました。この場所から城下にかけては焼け野原になりました。建物内には西軍が撃った弾丸の跡があります。他に刀傷もあります。生々しく残る歴史を目の当たりにしました。
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説明版がないと虫食いか、節穴(ふしあな)としか見えません。受付の方に「ここで西軍と会津軍が戦ったのですか?」ここでは戦いが無かったそうです。1968年8月23日未明“戸の口原(大野ヶ原)”で 300人の“にわかじたての兵”を、最新鋭の銃を持つ2600人の連合軍の主力部隊が襲い、怒涛のように会津市街になだれ込んできました。ここにいた松平容保は急いで城に戻ったそうです。
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会津藩歴代藩主はお城から盛装してここまで来て、ここで旅への衣装に着替えます。戊辰戦争では松平容保がここの滝沢本陣まで出向き指揮をしました。
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この家は滝沢村一帯の郷頭でした。郷頭とは、江戸時代の会津藩と農民の間にあって藩政の一端を担った重要な役職です。
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高札場には様々な定めが掲げられたと思います。現在は「旧滝沢本陣は、江戸への主要な街道であった旧白河街道筋に位置し会津藩主参勤の滝沢峠超えに備えられ、延宝年間(1673年〜1680年)に滝沢組郷頭であった横山家に設けられた。……」との高札が掲げられています。
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夫婦松にはさまれた「御入御門」
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建物は、かやぶき屋根の書院造り、建築年月は文禄4年(1595年)400年前の建築です。東北地方でも、もっとも古い民家だそうです。
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正面右側の建物は湯殿と御厠(トイレ)
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土間には大黒柱がありましたが…曲がっていました。しかも真っ黒、囲炉裏(いろり)でいぶされたのでしょうか?
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刀傷が数箇所に残っていました。
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鶴ヶ城に打ち込まれた大砲の弾が杉の木に一部残っており、大切に保存されここに展示されています。
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弾痕の跡がたくさん!
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刀傷
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東側の建物北側には遠州流庭園
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納戸(なんど)北側に神棚
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茅葺屋根(かやぶきやね)の裏側。天井なんてありません!
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郷頭に残る資料。百姓の上には五人組頭・老百姓・地首・肝煎・郷頭と立ての組織がありました。
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什器類
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某代議士で有名になった会津「起上り小法師」
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土間に展示されていた「つけ木」なんでしょか??木を薄くした皮?炭等に火を点け易くした燃料だそうです。
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歴代が使用した御湯殿と御厠(トイレ)入り口
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御湯殿(おふろ)の桶(おけ)
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館内の梅の木。石部桜の近くの梅の木はまだ咲いていませんでした。
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梅の木の幹に咲く花!
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