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 ネパールに行って”河口慧海・かわぐちえかい”という人物を初めて知った。<br /><br /> おそらくネパールに行かなければこのような日本人が居たことを知らなかったことだろう。<br /><br /> ジョムソンの”エコミュージアム”に、河口慧海のコーナーがあることは前にも紹介したが、ポカラにある国際山岳博物館・マウンティンミュージアムにも、河口慧海のコーナーがあったので同じ日本人としてはどうしても取り上げておかなければなるまい。<br /><br /> 帰国後、慧海の本も読んでみたし、ネットでも調べてみたので、河口慧海について紹介させて頂くことにする。<br /><br />  表紙の写真は、ムスタン・エコミュージアムの正門<br /><br />  なお、このページの文は、<br /><br /> 2007年5月 講談社学術文庫 <br /> ”河口慧界日記”・・・ヒマラヤ・チベットの旅・・・<br /> 河口慧界、奥山直司編及び、<br /><br /> ”チベット旅行記” 全五巻  <br /> 1978年10月 初版発行 2004年2月 第39刷発行<br />  株式会社講談社刊 を参考にさせて頂きました。 <br /> <br />  <br /> 

ジョムソンからポカラへ・・・気ままな一人旅・・・05 ”河口慧海との出会い”

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2008/12/11 - 2008/12/15

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Elliott-7

Elliott-7さん

 ネパールに行って”河口慧海・かわぐちえかい”という人物を初めて知った。

 おそらくネパールに行かなければこのような日本人が居たことを知らなかったことだろう。

 ジョムソンの”エコミュージアム”に、河口慧海のコーナーがあることは前にも紹介したが、ポカラにある国際山岳博物館・マウンティンミュージアムにも、河口慧海のコーナーがあったので同じ日本人としてはどうしても取り上げておかなければなるまい。

 帰国後、慧海の本も読んでみたし、ネットでも調べてみたので、河口慧海について紹介させて頂くことにする。

  表紙の写真は、ムスタン・エコミュージアムの正門

 なお、このページの文は、

 2007年5月 講談社学術文庫 
 ”河口慧界日記”・・・ヒマラヤ・チベットの旅・・・
 河口慧界、奥山直司編及び、

 ”チベット旅行記” 全五巻  
 1978年10月 初版発行 2004年2月 第39刷発行
  株式会社講談社刊 を参考にさせて頂きました。 
 
  
 

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  • <br />  晩年の”慧海”肖像写真・・・<br />  (マウンティン・ミュージアムのコーナーにて)<br /><br /> 河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日生まれ、1945年2月24日没は、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧でしたが後に在家信者としての生き方を選ぶ。<br /><br /> 知恵と仁心が海のように広いという意味から、”慧海仁広・えかいじんこう”という名前を使っています。<br /><br />


      晩年の”慧海”肖像写真・・・
      (マウンティン・ミュージアムのコーナーにて)

     河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日生まれ、1945年2月24日没は、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧でしたが後に在家信者としての生き方を選ぶ。

     知恵と仁心が海のように広いという意味から、”慧海仁広・えかいじんこう”という名前を使っています。

  • <br /> 若かりし頃の慧海・・・<br /><br /> このような格好でネパールを越えて厳しい鎖国政策をとっていたチベットに潜入したのです。<br /><br /> 慧海は、仏教が日本に伝わって千年以上経つのに仏教を理解している人が少ないのは何故か?<br /><br /> それは日本に伝わっている仏教の経典が難しいからだ。漢訳経典であるため、読んでもわからないのでは<br />ないか?という思いを強くしたのです。


     若かりし頃の慧海・・・

     このような格好でネパールを越えて厳しい鎖国政策をとっていたチベットに潜入したのです。

     慧海は、仏教が日本に伝わって千年以上経つのに仏教を理解している人が少ないのは何故か?

     それは日本に伝わっている仏教の経典が難しいからだ。漢訳経典であるため、読んでもわからないのでは
    ないか?という思いを強くしたのです。

  • <br /> 従って、慧海は仏教の経典をもっと分かりやすいものにしなければならないと考えたのです。<br /><br /> そのためには、どうしても梵語の原典が必要で、梵語(サンスクリット語)の経典はインドになくチベットに行かなければ手に入らないと決心したのです。<br /><br /> こうして慧海はどうしてもチベットに行かなければと考えたのです。<br /><br /> 今から100年も前に慧海は単身日本を経ち、インドからネパールのヒマラヤを越えてチベットまで潜入したのです。<br /><br /><br /><br />


     従って、慧海は仏教の経典をもっと分かりやすいものにしなければならないと考えたのです。

     そのためには、どうしても梵語の原典が必要で、梵語(サンスクリット語)の経典はインドになくチベットに行かなければ手に入らないと決心したのです。

     こうして慧海はどうしてもチベットに行かなければと考えたのです。

     今から100年も前に慧海は単身日本を経ち、インドからネパールのヒマラヤを越えてチベットまで潜入したのです。



  • <br /> 慧海が歩いたルートを、googleマップに描いてみました。<br /><br /> ”チベット旅行記”を参考にしてラサまでの足取りを追跡してみました。(あくまでも概略で、正確なものではないの・・)<br /><br /> 赤線が往路、黒線が復路です。往きはすごく距離が長く帰路は短いことがわかると思う。


     慧海が歩いたルートを、googleマップに描いてみました。

     ”チベット旅行記”を参考にしてラサまでの足取りを追跡してみました。(あくまでも概略で、正確なものではないの・・)

     赤線が往路、黒線が復路です。往きはすごく距離が長く帰路は短いことがわかると思う。

  • <br /> マウンティン・ミュージアム内の”慧海コーナー”の展示・・・<br /><br /> その当時、チベットは厳しい鎖国政策をとっており、険しいヒマラヤを越えて行かねばならなかったのです。<br /><br /> 慧海は32歳のとき単身、日本を後にしてチベットへ向かったのです。3年間(往き帰り含めて)も滞在したので、”スリーイヤーズ・イン・チベット”と言われています。<br /><br /> ”セブンイヤーズ・イン・チベット”という言葉を聞いたことがあるでしょう。あのブラッド・ピッド主演の映画ですが、それよりも50年前に日本人がネパールを越えてチベットに潜入していたのですから、スゴイ!<br /><br /><br />


     マウンティン・ミュージアム内の”慧海コーナー”の展示・・・

     その当時、チベットは厳しい鎖国政策をとっており、険しいヒマラヤを越えて行かねばならなかったのです。

     慧海は32歳のとき単身、日本を後にしてチベットへ向かったのです。3年間(往き帰り含めて)も滞在したので、”スリーイヤーズ・イン・チベット”と言われています。

     ”セブンイヤーズ・イン・チベット”という言葉を聞いたことがあるでしょう。あのブラッド・ピッド主演の映画ですが、それよりも50年前に日本人がネパールを越えてチベットに潜入していたのですから、スゴイ!


  • <br /> 写真が見にくいかもしれませんが、これがその当時の慧海のパスポートです・・<br /><br /> ラサへの旅は修行の場、修行の日々であったようで彼の著書、「チベット旅行記」を読ませてもらいましたが満足な食糧もなく餓死寸前、追いはぎとの出会い、険しい山岳や絶壁越え、野獣の撃退など多くの苦難を乗り越えついに秘境チベットに到着、ラサでの修行などがよくわかりました。<br /><br />


     写真が見にくいかもしれませんが、これがその当時の慧海のパスポートです・・

     ラサへの旅は修行の場、修行の日々であったようで彼の著書、「チベット旅行記」を読ませてもらいましたが満足な食糧もなく餓死寸前、追いはぎとの出会い、険しい山岳や絶壁越え、野獣の撃退など多くの苦難を乗り越えついに秘境チベットに到着、ラサでの修行などがよくわかりました。

  • <br /> チベットで発行された慧海の身分証明書・・<br /><br />


     チベットで発行された慧海の身分証明書・・

  • <br /> したがって、彼の業績は単に学術探検のみならず、チベット学、インド学の基礎を築いたとも言えるのです。<br /> <br /> 今から100年も前に、日本を離れチベットに潜入しチベットから彼が持ち帰った経典、数珠、絵画、仏像などは現在でも東洋大学や東北大学などに貴重な文献・資料として保存されているのです。<br /><br /> ”河口慧海日記・・・ヒマラヤ・チベットの旅・・・” 河口慧界、奥山直司編<br /> 2007年5月 講談社学術文庫の書物です。  <br />


     したがって、彼の業績は単に学術探検のみならず、チベット学、インド学の基礎を築いたとも言えるのです。
     
     今から100年も前に、日本を離れチベットに潜入しチベットから彼が持ち帰った経典、数珠、絵画、仏像などは現在でも東洋大学や東北大学などに貴重な文献・資料として保存されているのです。

     ”河口慧海日記・・・ヒマラヤ・チベットの旅・・・” 河口慧界、奥山直司編
     2007年5月 講談社学術文庫の書物です。  

  • <br /> ”チベット旅行記”全五巻のうちの1・2巻<br />  1978年10月初版発行<br />  2004年2月 第39刷発行<br />   株式会社講談社刊  <br /><br /> この旅行記は、”河口慧海日記”と”チベット旅行記”を参考にしました。


     ”チベット旅行記”全五巻のうちの1・2巻
      1978年10月初版発行
      2004年2月 第39刷発行
       株式会社講談社刊  

     この旅行記は、”河口慧海日記”と”チベット旅行記”を参考にしました。

  • <br /> ジョムソンから南に1時間くらいのところに、Marpha・マルファという町がある、そこに”EKAI KAWAGUCHI HOME”というのがあった。<br /> (MDSAの拠点・・ネパール、ムスタン(ジョムソン)を訪ねて・・・12に掲載済み)<br /><br /> 書物を読んでいたら、河口慧海は、ここマルファに滞在していたことがあると書いてあった。<br /><br /> 今でもマルファ市内にこのような建物が残っているが、残念ながら閉鎖されていた。<br /><br /> ここから険しいヒマラヤ越えの旅に出たのである。ネパールの人たちは、”河口慧海”のことをよく知っていた。<br />


     ジョムソンから南に1時間くらいのところに、Marpha・マルファという町がある、そこに”EKAI KAWAGUCHI HOME”というのがあった。
     (MDSAの拠点・・ネパール、ムスタン(ジョムソン)を訪ねて・・・12に掲載済み)

     書物を読んでいたら、河口慧海は、ここマルファに滞在していたことがあると書いてあった。

     今でもマルファ市内にこのような建物が残っているが、残念ながら閉鎖されていた。

     ここから険しいヒマラヤ越えの旅に出たのである。ネパールの人たちは、”河口慧海”のことをよく知っていた。

  •  河口慧海の銅像・・・(Wikipediaより借用)<br /> 険しいヒマラヤの山々を越えていく慧海の姿・・<br /><br /> 南海電鉄、堺、七道駅前にあるそうです。<br /><br />    [外部の参考リンク]<br /><br />・冒険者 河口慧海 ヒマラヤ山脈を越えて<br />  スリー・イヤーズ・イン・チベット<br />  ― 偉大な求法者河口慧海の足跡―<br />  東洋大学、井上円了学術センター<br /><br /> http://www.toyo.ac.jp/enryo/gallery/h11/h11_4.htm<br /><br />・河口慧海コレクション、東北大学<br /><br />http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ <br /><br />・河口慧海研究プロジェクト<br /><br />http://www13.plala.or.jp/s-kimoto/new_page_237.htm<br /><br />・堺市図書館<br /><br />http://www.lib-sakai.jp/kyoudo/kyo_digi/sakaitaikan/sakaitaikan_kawagutiekai.htm<br /><br />

     河口慧海の銅像・・・(Wikipediaより借用)
     険しいヒマラヤの山々を越えていく慧海の姿・・

     南海電鉄、堺、七道駅前にあるそうです。

        [外部の参考リンク]

    ・冒険者 河口慧海 ヒマラヤ山脈を越えて
      スリー・イヤーズ・イン・チベット
      ― 偉大な求法者河口慧海の足跡―
      東洋大学、井上円了学術センター

    http://www.toyo.ac.jp/enryo/gallery/h11/h11_4.htm

    ・河口慧海コレクション、東北大学

    http://webdb2.museum.tohoku.ac.jp/data_base/tounitibi/ekai/ 

    ・河口慧海研究プロジェクト

    http://www13.plala.or.jp/s-kimoto/new_page_237.htm

    ・堺市図書館

    http://www.lib-sakai.jp/kyoudo/kyo_digi/sakaitaikan/sakaitaikan_kawagutiekai.htm

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