2006/10/01 - 2006/10/01
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井上@打浦橋@上海さん
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2006年の国慶節の朝、108路トロリーバスで王府井まで行きました。その後は、歩き回りました。
まずは王府井、次に東長安街を西へ。そして天安門広場。
中国人民、海外からの旅行者ごった返す天安門広場を後にして、南池子大街へ。北池子大街から五四大街に出て、景山東街を曲がり景山公園の東門から公園内に入りました。
国慶節の朝の北京の中心部の定番観光地の様子をお伝えします。
「その1」を王府井、「その2」を天安門広場、「その3」を南・北池子大街、「その4」を景山公園として、順にアップして行きます。
まずは、王府井の様子をどうぞ。
表紙の写真は、ホコテン・王府井を行き来します、観光用トラムです。
まだ朝の7時46分ですので、お休み中です。
国慶節用のお飾りなのか、普段からこうなのか・・・。
国慶節用に着飾ったんでしょうね。
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我が家があります亜運村から王府井へ行くには、108路トロリーバスが便利です。
灯市西口で降りますと、王府井は歩いてスグです。
ただ今6時41分です。
バスに乗って出発したのは、この5分後の6時46分でした。 -
108路バスの中の様子です。
テレビも付いていますね。
料金は一律1元です。 -
安定門を超えて、安定門内大街に入りました。
方家胡同と言うバス停を出たあたりの東側の様子です。
太陽の光がまぶしいです。
家常菜の店ですが、こういったところでも北京ダックはあるようです。 -
灯市西口のバス停に着きました。
ただ今、7時22分です。
38分かかりましたね。
このバス停は王府井から灯市口大街を入り、ほんの少し東に行ったところにあります。 -
この道が灯市口大街です。
向こうへ(西へ)少し行けば王府井です。
この道の両側にはホテルが並びます。
「灯市」と言うんですから、灯の市場が立ったところなんでしょう。
「灯」とは、何だろう・・・爆竹とか花火のことなんでしょうか。
なんせ、北京の道の名には、○市口大街と言うのが多いのです。
例えば珠市口大街とか・・・。 -
王府井大街に出ました。
あとは、真っ直ぐ南に行きます。
ここは、まだホコテンではりません。 -
王府井教会です。通称・東堂、正式には聖若瑟堂と言うらしいです。
1655年に造られ、3度の破壊を経て、1905年に今日の姿になり、1960年代の文化大革命時代には紅衛兵によって内部が破壊されたらしいです。
私は、84年から、このあたりをぶらついていますが、当時は大通りからは全く見えませんでしたね。
96年か97年に初めて目にした時は、驚いたことを覚えています。当時は隠していたのか、あるいは商店が並んでいたので見えなかったんでしょう。
この日は日曜日ですからミサがあるはずなんでしょうが、まだ時間が早いからか、その様子は窺えませんでした。 -
手前が教会側の敷地で、向こうが王府井大街です。
84年当時は、ここに商店が並んでましたので見えなかったんでしょう。 -
王府井大街を再び、南に行きます。
もうスグ、金魚胡同と東安門大街との交差点になります。
私は、昔、このあたりで公安に捕まった事があるんです。
当時は兌換券という外国人のみが使える紙幣があったんです。
外国人が外貨(日本円やUSドル)を中国で換金しますと、一般人民が使用する人民元札とは別のお札を手渡されるわけです。これが兌換券でして、表向きは人民元と価値は同じとなっていましたが、実際は兌換券100元は、人民元120〜130元に相当しました。てのは、自転車、テレビとかいった、なかなか手に入らない品物も、兌換券では簡単に買えたからです。兌換券を人民元に換えることは違法だと言うことは知っていましたが、ウィグル人とこのあたりで、交換したんです。その時に、捕まってしまいました。なんとかすっ呆けて解放されましたが、人民元130元はいったん没収されました。ですが、そのあと、どういうわけだか、人民元70元が返ってきました。 -
交差点手前の歩道にありますオブジェです。
大きな靴は、どういう意味なんでしょうか。 -
東安門大街です。
王府井大街と交差する道で、西へ伸びる道です。
この道を真っ直ぐ西へ行きますと、故宮の東華門にぶつかります。
この道は夜は賑わいます。小吃の屋台が並ぶからです。
この屋台は、86年の時にもありました。84年頃は無かったような・・・。 -
こちらは王府井大街から東へ伸びる道・金魚胡同です。
この両側にはホテルが並びます。
金魚胡同となっていますが、この広さでしたら胡同ではないですよね。金魚大街と改名すべきでしょう。
私は、金魚胡同が、ホントに胡同だった頃、このあたりを良くうろついたものです。
当時、この通りの北側にあります和平賓館をよく利用したからです。当時勤めていました会社が、このホテルの5部屋を借り切っていたからです。
当時は・・・・
右の東安市場は、超どでかい掘っ立て小屋のような市場でした。
道は狭くて、左側(北側)には、シャブシャブで有名な東来順があり、四聯美容館などがあり、和平賓館があり、その奥には、カレーライスっぽい料理、ハンバーグっぽい料理を提供する小さいレストランもありました。 -
これは昔の東安市場の様子です。
いつ頃のものなのか・・・1920年代あるいは30年代・・・あるいは1800年代の末期なのか。
前の道は金魚胡同かもしれません。 -
交差点をわたり、王府井大街を更に南へ行きます。
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交差点を渡った所にある「王府井」の謂れが書かれたマンホールの蓋のようなものです。
ここに井戸が在ったのかもしれません。
覗いています人達は、皆さん地方からの観光客でしょう。 -
王府井大街を更に南へ行きます。
新東安市場の看板には東来順総店というのもありますね。
元禄寿司もあります。 -
84年当時北京で一番大きな百貨店であった北京市百貨大楼です。
当時は、いつも賑わっていました。
でも、大きな空間に、商品は、ホンのわずかという感じでしたね。でも、店員は多いのです。その店員が、皆、威張ってましたね。モノを買おうとする人は、手にとって見ることが出来ず、店員にそれを見せてください、と頼まないとダメでした。店員の後ろに並んでる商品がほしいので、それをください、と言いますと「没有」と言う答えが返ってきたりします、これは見本で、売れない、っつうことなんですわ・・・ったく、もう・・・。そんなことばかりでしたね、当時は。
今は、もうそんなことは勿論、無いでしょう。 -
デジカメの電池が切れましたので、電池を売ってそうな店を捜しました。そして、入り込んだのが、北京市百貨大楼の南隣のわき道・大天府胡同です。
この道が、小吃店が並ぶ店です。電池を買い求めてから、朝飯にしました。一番客の多い、大餡餃子店で、包子を買って食いました。8個3元でした。
ただ今、7時39分です。 -
朝飯を食い、また王府井大街に戻り、北側を振り返りました。
東安市場の外壁には麦当労と肯徳基の看板が並んでいます。 -
また王府井大街を南へ行きます。
左には四聯美髪が見えますが、この店は昔、金魚胡同にありました。
ここにも肯徳基がありますね。 -
王府井小吃街に入り込みます。
-
王府井小吃街の中華門をくぐってスグ右にある店です。
串焼き専門店ですね。
蠍子串が10元、蚕蛹串が5元、羊肉串が5元、鶏肉串が3元、板筋串が3元ですね。
蠍(さそり)はエビみたいなもんですから、食えますが、蚕(かいこ)の蛹(さなぎ)はよう食べられまへん。
さて、分からないのは板筋です。何だろう・・・・? -
老北京の爆肚はうまそうですね。
こういうのは、解放前、前門やら天橋あたりの屋台で人気の、庶民の食い物だったんでしょう。
食いたかったんですが、朝飯食ったばかりですし、こういうのは夕方、酒を飲みながらってのが一番ですのでやめました。 -
左には老北京・鹵煮火焼、京味・羊雑のノボリが立っています。
右には李二・白水羊頭、炸醤麺、酸辣湯・・・・こういうのは老北京の小吃なんでしょう。
鹵煮火焼とは、どんなものなのか・・・
白水羊頭は分かりました。 -
これが白水羊頭です。
つまり羊のカシラ肉を茹でて、冷やして、薄切りにしたもんなんですね。
酢味噌を浸けて食べたくなりますね。 -
ここにも鹵煮火焼がありますね。
羊雑湯は羊の雑物のスープなんでしょう。
豆汁とは、どういうものなのか。豆乳なのか、昔の豆汁は酸っぱかったと、最近読みました勝見洋一さんの「中国料理の迷宮」に書かれていました。この本には老北京の小吃がいくつか出てきます。酸辣湯や羊雑湯など。
いずれ、老北京の小吃特集をやってみたくなりました。
まずは、この王府井小吃街で・・・次は前門大街にあった小吃店が再開発で撤去され、その店が集まって出来た九門小吃で・・・。 -
王府井小吃街を出て、また王府井大街へ。
王府井大街も、もうスグ終わりです。
右は北京飯店ですね。 -
王府井大街の南端まで行き振り返りました。
思えば、この王府井大街に足を踏み入れたのは1984年の2月1日です。
前日、記録的な大雪の成田空港を出発して北京空港に着いたのが夜8時前だったか。
私を乗せた車は真っ暗な道をヘッドライトも点けずに市内に向かい、金魚胡同の和平賓館に着いたのが9時ごろだったです。
一息ついて、6階か7階のレストランへ行き、ビールを飲みました。飲んだのは五星ビールか北京ビールだったはずです。
当時は燕京ビールは見かけなかったですね。
翌日の午前、北京の銀座通りと聞いていました王府井大街に繰り出しました。当時は、道はもっと狭くて、車も通行してまして両側の歩道は人でごった返していました。皆さん、女性も男性も老いも若きも、着てるのは紺色か草色の厚ぼったいオーバーコート、そして防寒帽でした。全く色彩の感じられない風景でしたね。
当時の風景、今でも目に浮かびます。
このあと、私は中国にどんどん、ハマって行ったのでした。これが「中国の思う壺」っつうことでんな。
では、これにて「06年国慶節の朝・その1・王府井」は終わりです。
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