2011/08/04 - 2011/08/13
3702位(同エリア6062件中)
Kumaさん
夏休みを利用して夫婦2人でウィーンで街歩き、チロル地方でハイキングを楽しみました。
ウィーンでは、過去の経験から現地のミニツアーに多く参加して歴史の逸話を聞いて楽しみました。一番良かったかったのはウィーン大学。若い学生さんの説明が率直で面白かったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【Cafe Museum】
3時ごろ到着して小腹がすいていたのでまずカフェに。最初Hotel Sacherに行きましたが、長い行列を見て断念。近くにあった第2候補のこのカフェに。
中は落ち着いた雰囲気で2人で今後の計画を立てました。でもこの辺の1流どころのカフェは他と比べて1品あたり1〜2ユーロ高いです。紅茶が4ユーロくらいでした。 -
【Apfel Stradel】
Cafe Museumでオーダーしたケーキ。アップルをパイ生地でくるんだオーストリアの代表的スイーツのひとつ。甘すぎず生クリームと一緒に食べるといけます。 -
【Salm Breu①】
最初の夜に立ち寄ったレストラン。というよりビール醸造所兼ビアホールみたいな感じ。ネットでの評判をみていきました。
食事は値段相応という感じでしたが、ビールは最高!!
全種類のビールを飲めなかったのが心残り。
http://www.salmbraeu.com/index.php?id=2&L=1 -
【Salm Breu②】
レストラン内でビール工房が見れます。
たぶん実際には使われていないでしょうが、雰囲気が良かったです。 -
【Salm Braeu Weizen】
Salm Breauで飲んだビール。小麦60%、大麦40%が原料で白ビールに分類されるんだそうです。フルーティーで飲み易くて気に入りました。
これ迄白ビールは飲んだ事が無かったのですが、この旅では白ビールばかり飲んでいました。でもここのが一番良かったです。是非お土産に、と思ってSalm Braeuのビールを探しましたが結局見当りませんでした。 -
【街の歴史ツアーその1】
街のウォーキングツアーに参加してみました。料金は1人14ユーロと少々高め。参加したツアーは街の歴史の逸話を色々と教えてくれるもので、①と②に分かれていて、2日目に①、4日目に②に参加しました。
写真はウィーンの通り看板。番号が入っていて区を表しています。ウィーンは東京と同じ23区に分かれていてリング道路の中が1区になるんだそうです。 -
【Hotel Sacher】・・・街の歴史ツアーその1-1
1番最初のポイントはHotel Sacher。Sacher Torteを最初に作ったところでもあります。ただSacher Torteを最初に店にだしたのはCafe Demelというカフェで、その後Hotel SacherとCafe Demelの間でどちらがオリジナルかで裁判沙汰に。7年間の裁判の結果、Hotel Sacherがオリジナルを名乗る事になったそうです。
違いはマーマレードの位置がスポンジに挟まれているか上にあるかの違い。この食べ比べをしたかったんですが、結局行列を見てHotel Sacherには入らずじまいでした。
ちなみにHotel Sacherは1800年後半ウィーンで最も高級なホテルだったそうで、State Opera(オペラ座)の裏手にあり、オペラ観賞後に歌手がパトロンと会い、色々なロマンスが繰り広げられたとの事。
行っとけば良かった。 -
【Albertina】・・街の歴史逸話ツアーその1-2
「Albertina」はDuke Albertの「Albert」とその妻Maria Christinaの「ina」からとって付けられた名前。館内はハプスブルグ家が集めた絵画が展示されているそうです。ここも結局中に入らずじまい。
Maria Christinaは母Maria Theresiaから寵愛され、16人の子供の中で唯一好きな人と結婚させてもらい、常にMaria Theresiaの傍にいる様にこの建物と美術品類を与えられたとの事。他の娘達はみな政略結婚にだされてしまったそうです。 -
【Albertina Platz】・・街の歴史逸話ツアーその1-3
Albertinaの目の前にある広場です。モニュメントがあり、ここで第2次大戦時に生き埋めになった人達を奉っています。この場所に建っていたビルに大きな地下があり、300人くらいの人達が非難していてそのまま生埋めになったんだそうです。 -
【Josefsplatz①】・・街の歴史逸話ツアーその1-4
中央にJosephⅡの銅像がある広場。正面にはNational Libraryがあります。各3方向の建物がバラバラで時代が違う事が良くわかります。ひとつひとつ説明してもらいましたが、とても覚えきれませんでした。 -
【Josefsplatz②】・・・街の歴史ツアーその1-5
ツアー終了後にNational Libraryに行ってみました。
ハプスブルグ家が建てた図書館で、古くて価値のありそうな本が並んでいました。本に触る事が出来ませんが、この雰囲気が良かったです。なんかハリーポッターにでてきそうな感じでした。 -
【Augustiner Church①】・・街の歴史逸話ツアーその1-5
ハプスブルグ家の人々が結婚式に使った教会。ナポレオンの結婚式やマリーアントワネットとルイ16世の結婚式にも使用されました。マリーアントワネットが結婚した時は、ルイ16世の替え玉がフランスから来て式に出席した為、ウィーンの人はその替え玉をルイ16世と思ったんだとか。当時はオーストリアに来るのにも何週間もかかり、王がそれだけの期間国を空ける事が出来なかったんだそうです。
写真の祭壇横の窓は、日曜礼拝の時にハプスブルグ家の人々が顔を出した場所。祭壇と同じ高さにあるのがポイント。
ちなみにここにはハプスブルグ家の人々の心臓が保管されていて、2011年7月に98歳で亡くなったオットー氏も普通であれば、心臓はここに入るはずだったのですが、故人の望みでハンガリーに送られたそうです(遺体はウィーンのImperial教会)。ちょっと理解し難い世界。。。 -
【Augustiner Church②】・・街の歴史逸話ツアーその1-5
写真はAugustiner Christinaの為に夫がAntonio Canovaに依頼作られた墓標です。Antonioは現在で言うとイタリアのベネチアの人ですが、当時はベネチアもオーストリアだったというから、時代が違いますね。
上にChristinaの顔が彫ってあり、右側のライオンは夫のやさしさを示しているんだとか。ちなみに全体のピラミッド型は夫が秘密結社フリーメーソン(世界的な秘密結社)の一員だった事から来ているとの事です。 -
【Franz Joseph?広場】・・街の歴史逸話ツアーその1-6
真ん中にFranz Joseph?の大きな銅像がたっている広場。写真の右側が彼の宮殿で、現在はSiSi博物館(Sisiは彼の妻Elizabethのこと)があります。SiSi博物館よりもSchonbrunn宮殿の方が見る価値があるという話でしたので、そちらに行く事にしました。
Sisiは1950年代の映画「SiSi」で演じられ一躍人気になりそれに便乗して、この博物館が建てられたんだとか。その映画のヒットまではオーストリアの中でも名前は知られてなかったそうです。映画の中の役柄よりも実際には嫌な性格だったらしいです(ガイドさん談)。
ちなみにこの左側は現オーストリア大統領の宮殿。 -
【Neue Burg】・・街の歴史逸話ツアーその1-7
Hofburg宮殿の中で一番新しい建物。本当は円形にしようとしたが、予算が尽き半円で終わってしまい、そのままハプスブルグ家の支配も終わってしまったとの事。この建物は数々の歴史が刻まれていて、ここのテラスからヒトラーがオーストリアの併合を宣言したそうです。 -
【Michaeler Platz】・・街の歴史逸話ツアーその1-8
Hofburg宮殿の正面の広場。りっぱな門がありましたが、ここではその門の説明ではなく、写真の2つのビルに対しての話でした。
この2つのビル、ほぼ同年代(1904〜5年代)に建てられたのですが、左の建物は当時の他の建物と同様に飾り付けが多く、右側の建物は最近の建物に近くシンプルに四角い窓があるのみ。
当時の皇帝Franz Joseph ?は右側の建物を「まつ毛の無い建物」と嫌い、飾り付けをする様に命じたとの事。その影響で、100年以上経った現在でもこの右側の建物には窓に花で奇麗に飾り付けがしてあるんだそうです。 -
【Cafe Demel①】・・街の歴史ツアーその1の9
Hotel SacharとSacher Torteのオリジナルを争ったCafe Demelです。王室御用達の店だそうで格式があります(看板にK.U.Kとあり、これが王室御用達という意味だそうです)。ガイドさんはこちらの店の方が好きと言っていたので、後でこちらの店に来まてみました。内装は豪華なシャンデリアがありさすがという感じ。 -
【Cafe Demel②】・・・街の歴史ツアーその1の9
中に入ると大きな厨房が見れます。厨房の中にもお菓子で作った馬などいろんなデコレーションがありました。 -
【Cafe Demel③】・・・街の歴史ツアーその1の9
Cafe Demelで頼んだのは、もちろんSachar Torte。ガイドさんの説明通り、マーマレードはスポンジの上にあり、チョコとの間に挟まっていました。他のケーキも含めて甘すぎず、美味しかったです。さすが王室御用達。 -
【Plague Column】・・・街の歴史ツアーその1の10
街一番のショッピングストリートにある塔。17世紀にペストの流行に対して、Leopold皇帝が神に「ペストが終わったら建てる」と約束し建てたもの。上にトリニティー(父と子と聖霊)があり、その雲の下で祈っているLeopold皇帝がいます。Leopold皇帝は見事な「しゃくれアゴ」で、ガイドさん曰く、ハプスブルグ家の近親婚の結果との事。確かに猪木バリのアゴでした。 -
【Stephansdom①】・・・街の歴史ツアーその1の11
ハプスブルグ帝国の創設者ルドルフ4世が建てた大聖堂。モザイクの屋根がきれいです。残念ながら清掃工事中で1部カバーに包まれていましたが、清掃はいつもの事らしいです。
北塔と南塔があって南塔には大きな鐘がついて時を知らせてくれます。この鐘の音で鳥が一斉に飛び立った瞬間、ベートーベンは完全に自分の耳が聞こえなくなった事を知ったという話です。 -
【Stephansdom②】
この教会の地下墓所のガイドツアーにも参加してみました。中は写真が撮れませんでしたのでこの入り口の写真だけですが、2つのエリアに分かれていて、ハプスブルグ家の人々の内臓とルドルフ14世家族のミイラが埋葬されているエリアと、一般人が埋葬されているエリアがあります。
一般人が埋葬されていたエリアは、かつてのペストの大流行でスペースと悪臭の問題で使われなくなってしまったそうです。人骨が隙間無く壁のようになった所があり少し気味悪い感じでした。もし写真が撮れたとしたら心霊写真が写っていたかもしれません。。 -
【Schonbrunn宮殿】
ガイドさんにSisi博物館よりもいいと聞いて、来た宮殿。やっぱり来てよかった。中は写真が撮れなかったけど、それぞれの部屋が調和のとれた家具や食器を使っていて趣味がいい。
かつてケネディとフルシチョフが会談をした大ギャラリーや、Franz Joseph ?の仕事部屋やSisiとの寝室など歴史を感じます。入場券に日本語のオーディオガイドが付いているのでひと部屋づつ解説してくれるので良かったです。 -
【シェーンブルン宮殿の行列】
入る前の行列。30分くらい並んだでしょうか。でも見る価値はありました。 -
【Cafe Landtmann】
Schonbrunn宮殿の庭にあるCafe Landtmannで一休み。本店は、Burgthiaterの横にあって行こうと思ってたけど、ここにある事がわかって入りました。頼んだのはモーツァルトケーキとワッフル。両方とも美味しかった。
動物園の横にあって、たまに匂ってくるのが残念。 -
【Naschmarkt】
8時からのKarlskircheにコンサートに行く予定だったので、その日の夜は近くにあるこの市場で夕食を簡単に済ませる事にしました。入ったのはベトナム料理の店。写真はフォーです。オーストリアの濃い味付けのいい休憩になりました。
Naschmarktには、レストランの他にも魚やお土産なんかが結構揃ってました。 -
【Karlskirche】
一度コンサートを聴きたかったので、Karlskircheでのコンサートに行く事にしました。コンサートは色々な所でやっていて、街中にモーツァルトの姿をした人がチケットを売ってます。
とりあえず一番安い立ち見チケット(コンサート開演の直前に販売開始で12ユーロ)を買ったのですが、結局満席にならずに倍以上払った人たちと一緒に座ってみる事が出来ました。これが正解でしたな。 -
【コンサート】
Karlskircheでのコンサートの様子です。演奏は「Requiem」というモーツァルトの未完の名曲。病気で亡くなるまで作成していて、最後は弟子が仕上げたのだそうです。教会の音響もあってすごく良かったです。 -
【State Opera①】
1869年完成のオペラ座。年に1回舞踏会をする事でも有名です。残念ながら9月~6月しか上演されていないので、オペラは見れませんでしたが、見学ツアーに参加しました。
正面玄関に大きな階段が無いなど、当時にしては斬新な造りであったようです。でも当時はあまり評判が良くなく建築家は完成後自殺してしまったそうです。 -
【State Opera②】
中に入ると、ドイツ語、スペイン語、英語と分かれてガイドさんが見学ツアーに連れて行ってくれます。かなり混んでいて、英語のツアーだけで50人くらいいた様な気がします。日本語のツアーも2回/日で組まれていました。 -
【State Opera③】
劇場の座席から天井を見上げた所です。夏季休業中という事で照明の清掃をしていました。ここでは一般情報を説明でした。
普通にオペラを見るとなると、いい席で130~250ユーロするそうですが、一番安い立ち見チケットは何と3~4ユーロで買えるとの事。但し、1.5時間以上並ばなければいけなくて大変だそうです。立ち見席でも一応手すりみたいなもので場所が確保出来る様になっていて、開場後にダッシュしてその手すりにスカーフを巻きつけて、上演まで一休みするのが常套手段との事。大学生の時だったらやったかも。。。 -
【State Opera④】
ステージの方にも案内してもらいました。ヨーロッパでは一番奥行きがある舞台だそうです。何のセットもないので、味気ない感じでした。シーズンに入ると毎日演目が変わるので、舞台裏はバタバタになるそうです。
過去にはマリア・カラスやパバロッティも謳った事があるそうで、パバロッティがこのオペラ座のカーテンコールの記録を持っていて、観客の拍手が1時間4分も続いて、160回カーテンコールをやったそうです。すごかったんでしょうねー。 -
【State Opera⑤】
SisiやFranz Joseph Ⅰが観覧前に使っていた皇室の控室です。よーく見ると「FJⅠ」のエンブレムが部屋に飾ってあります。 -
【Belvedere】
ハプスブルグ家がフランスやトルコからの脅威を受けていた頃に活躍した英雄オイゲン公の為に作られたお城。ここの見所は庭園と、クリムト、シーレなどのオーストリアを代表する画家の絵画です。
あと、教科書に良く出てくるナポレオンが白馬に乗った「アルプス越え」も展示されています。クリムトの「アダムとイブ」や「接吻」は、一見の価値ありです。 -
【街の歴史ツアーその2】
ウィーン4日目に街の歴史ツアーその2に参加しましたが、あいにく途中から雨。でもカッパを着て最後まで中止となることなくやってくれました。ガイドはその1と同じSarahさん。英語とドイツ語で交互に説明してくれて、ドイツ語を説明している時には写真を撮っていたのでちょうど良かったです。
街のツアーは全部で40種類くらいあって、そのうち10種類くらいが英語で説明してくれるものです。たぶん英語でも説明できるガイドさんが限られているのでしょう。 -
【Imperial Church】・・・街の歴史ツアーその2の1
最初は、Imperial Church。ハプスブルグ家の人々の遺体(内臓は他の教会)が納められています。先月の葬式で160体目の遺体が収容され、これ以上入る場所が無くなったんだとか。これからどうするんでしょうか。 -
【Donna Fountain】・・・街の歴史ツアーその2の2
Imperial Churchの前にある泉です。ここにあるのはレプリカで本物はBelvedeleにあるんだそうです。Maria Theresiaが夫の浮気に嫉妬し、この泉のセクシーな女性の像を取り除いてしまったんだとか。しかも、警官に男の浮気を取り締まらせたりしたんだそうです。何でもありの時代ですな。
写真の女性の像のお尻を触るとハッピーになれるとかで、みんなお尻を触ってその部分だけ色が変わっていました。ヨーロッパ人はこういう系は大好きですね。 -
【Cafe Frauenhuber①】・・・街の歴史ツアーその2の3
Kartner Strasseから少し入った所にあるこのカフェは、ウィーンで最も歴史のあるカフェ。オスマントルコ軍がオーストリアに侵略できず撤退した際においていったコーヒー豆を使って最初にオープンしたとの事。
また、このビルは過去にベートーベンやモーツァルトが演奏会を開いた所でもあり、歴史のある建物らしいです。 -
【Cafe Frauenhuber②】・・・街の歴史ツアーその2の3
ツアーの後にこのカフェに入ってゆっくりしました。写真はクレープ(ジャム入り)。こういった系統は好きなのですが、人によっては甘すぎるというかもしれません。 -
【モーツァルトが最後に住んでいた家】・・・街の歴史ツアーその2の4
Cafe Frauenhuberから少し行った所にモーツァルトが最後に住んでいた住居があります。現在はSamsonite(かばん屋)になっていました。 -
【Bwtgasse】・・・街の歴史ツアーその2の5
直訳すると「血の通り」。昔本当に殺人事件があったそうですが、名前の由来は通りにお肉屋さんがいっぱいあったからだとの事。ここからツアーは、中庭の方に入っていき、ウィーンでの生活について色々と説明してくれました。 -
【地下ガレージ】・・・街の歴史ツアーその2の6
ウィーンの典型的なアパートの造りの説明がありました。
ウィーンのアパートの多くは、ウィーン市が所有していて、家賃が安く借りれるとの事(2ベッドの部屋で400ユーロ〜600ユーロ)。この街でこの値段は本当に安い。良い仕事があったらここに住んでみたい!!
写真はアパートにある地下の入り口で、限られた土地しか無かったので殆どのアパートはこうやって地下にガレージがあるんだそうです。 -
【Coloniaraum】・・・街の歴史ツアーその2の7
直訳すると「コロンの部屋」なんですが、実はゴミ捨て場だそうです。コロンというのはドイツの町で、昔ウィーンに来たコロン人がごみの収集システムを構築したので、ウィーンのアパートのゴミ捨て場はこの名前になっているんだとか。面白いですね〜。 -
【Mozarthaus Vienna】・・・街の歴史ツアーその2の8
モーツァルトがウィーンに居た時に最も長く住んでいた住居。今は博物館になっていて、中に入ると11年間のウィーンでのモーツァルトの生活を説明してくれます。隣にはFigaroという名のカフェで、モーツァルトのオペラの名作「フィガロの結婚」を実際に作曲した場所だそうです。
ここが博物館になったのは、わずか5年前。何でそんなに最近なのかというと、老人の女性が長く住みついていて引っ越してくれなかったから。その方の死後、ここを漸く博物館にする事が出来たんだそうです。頑固なおばあちゃんだったんでしょうねー。 -
【Backerstrasse 7】・・・街の歴史ツアーその2の9
昔ウィーンのパン屋さんが並んでいた通りで、今は昔の面影がある建物として紹介してくれました。建物は1566年に建てられたもの。写真は現在車のガレージとして使われている所で、かつては馬車を泊めておく所だったそうです。馬に餌をあげる台が今も残っています。 -
【University Square】・・・街の歴史ツアーその2の10
ドイツ語圏で2番目に古い大学のウィーン大学の最初の校舎があります。現在はリングストリートの外にある建物がメインで今はサイエンスの学部があるそうです。 -
【Plachutta】
観光客にも人気のタフェルスピッツ(牛のモモ肉の煮込み)を名物にしたレストラン。予約がいっぱいで、9時からしか入れませんでした。予約はお早めに。
評判がいいだけに、サービスも良くてウェイターも親切でした。ウィーンに来たら一度は行っとくべきでしょう。 -
【タンの煮込み】
タフェルスピッツももちろん食べましたが、もっと気に入ったのはタンの煮込み。このレストラン決まったの食べ方があって、このお肉が入った鍋とポテトとパンがセットで、最初にスープを食べ、次にパン、そして最後にお肉をお皿にとって食べます。基本的にウェイターがやってくれますので、フライングしない様にご注意を。 -
【ウィーン大学①】
ウィーン大学でのツアーに参加しました。色々なツアーに参加してみましたが、以外にもこれが一番ヒットでした。説明してくれるのはこの大学のかわいい学生さん。土曜日なのでバイトとしてやっているのでしょう。
後ろの壁は、歴代の理事の一覧。歴史が古いだけあって900名の名前が刻まれているそうです。この建物の大半は第二次大戦で破壊されたのですが、一部オリジナルのものが残っているそうです。 -
【ウィーン大学②】
この写真は、この大学からでたノーベル賞を受賞した学者9名。そのうち戦後の受賞者は2名だけだそうで、残り7名は戦前になります。
一番有名なのはKarl Landsteiner(カール・ラントシュタイナー)で現在のABO血液型を発見した人です。 -
【ウィーン大学③】
このパネルはノーベル賞学者の前にある説明書き。写真が見難いですが、Julius Wagner-Jaureggという受賞者の名前の一部が消されています。これは学生がこすって消そうとしているそうです。
なぜかというと、彼が熱狂的なナチの支援者だったから。ナチが身体障害者やユダヤ人の惨殺していったのを支援していった人物だそうです。 -
【ウィーン大学④】
通称「哲学の階段」にあるMoritz Schlickが1936年に元教え子に殺害された場所。Schlickはウィーン学団を創設し、論理実証主義(難しくて良くわかりませんが簡単にいうと、神はいない事を証明しようとした)を提唱していて、ナチの影響が強くなってきた当時かなりマークされていたそうです。
犯人の教え子は精神的に問題があったと判断されわずか、2年半で出所しナチに入党。オーストリアの暗い時代のお話でした。 -
【ウィーン大学⑤】
セレモニーホールです。卒業式に使うホールでそれ程大きくはないですが、格式がありました。こんなホールで卒業式を出来るなんて羨ましいですね。式は華やかで生演奏もつき、卒業生は家族総出でくるそうです。
博士課程の人の卒業式はラテン語で行われ、その為かラテン語が必須修得だそうです。そのあまり役に立ちそうもない言葉まで勉強しなければいけないあたりも、歴史と伝統を感じますよね~。 -
【ウィーン大学⑥】
写真が見難いですが、セレモニーホールの天井。コーナーの4枚はそれぞれ薬学、法学、哲学、宗教学を示していて、そのうち3枚がクリムトの作品だそうですが、当時あまりに刺激的すぎて飾られることなく終わったとの事。3枚ともに、最終的には1945年にナチにより消滅させられた事になっています。
今天井にあるのはその白黒のコピー。5年前から飾られる様になったとの事。
本当にオリジナルが無くなったのか? 裏のマーケットで取引されているのではないか?? なんか映画のネタにでもなりそうなストーリーでした。 -
【ウィーン大学⑦】
写真は講義室。ここでは今のウィーン大学の問題を説明してくれました。
今ウィーン大学は一部の人気学部を除いて、試験無しで入学できるとの事。しかも授業料はEU内の学生であればほぼ無料に等しく、大学は今かなり財政難だそうです。当たり前と思いますが。。
最近はドイツ人の学生が30%も占めているのも問題で、学生数が増えすぎてこの講義室も人が入りきれなくなっているんだとか。
一緒に回っていたイタリア人のおじさんが、「イタリアも同じで授業料がタダ」と言っていたら、日本人のおじさんが、「だから財政難になるんだろ!」と厳しく突っ込んでいて思わず笑ってしまいました。こういうやりとりもツアーならではの面白さ。 -
【ウィーン大学⑧】
いかにも歴史があるという感じの図書館でした。第二次大戦をくぐりぬけて19世紀の状態で残っているそうです。試験前になると学生でいっぱいになるそうですが、夏休みの今は空っぽでした。
こんな雰囲気の所で勉強したら、すごく集中できそうな気がします。 -
【ウィーン大学⑨】
入り口から入ってすぐの中庭です。その中庭を囲んで歴代の教授の像がずらっと並んでいます。といっても全ての教授の像が並んでいるわけではなく、条件が2つあるそうです。
1.死後15年以上経っている事。
2.その時に遺族が大学に寄付をする事。
その寄付の金額によってその元教授の像の立派さがきまるんだとか。実績等ではないんですね。 -
【ウィーン大学⑩】
心理分析学者のフロイトの像です。地味に奥の方にありました。
正直ここに来るまで、フロイトがオーストリア人とは知りませんでした。9人のノーベル賞学者よりも有名ですよね。
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