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九江市を出発したのが昨日の午後4時過ぎ。<br />船はあれから揚州を目指してズーッと走りっぱなしでした。その間長江両岸の光景をしっかり見ることが出来たのは、とても内容のある収穫でした(^^;) 何と言っても、飾り気のない「生の姿」が見られたのですからね。<br /><br />走り続けて23時間弱、ようやく揚州に到着です。<br />揚州という街は初めて聞く街です。「揚子江」という名で知った長江ですが、その下流域の都市と言えば上海・南京・武漢などの大都市しか知りませんでした。<br /><br />Wikipediaによれば、揚州市の市区面積は名古屋の約3倍、市区人口は名古屋の半分強という街ですが、歴史はかなり古く三国志時代にも登場してくるし、唐代には国際港にまでなっていたようです。また、隋の煬帝が再三揚州を訪れたように、魅力ある都市でもあったようですね。<br /><br />煬帝が惚れ込んだ揚州。<br />どんなものが見られるのか?楽しみですね。<br /><br />★揚州市の詳しいことは↓にてご覧下さい。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%B7%9E%E5%B8%82<br />★★地図(Google map)で、場所・位置をご案内している時は、「航空写真」でご覧下さいね。【※】Google map画面の、右上の「航空写真」をクリックして下さい。

桂林・漓江下りと長江クルーズ(その19・个園&瘦西湖)

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2011/03/06 - 2011/03/19

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4

104

カメちゃん

カメちゃんさん

九江市を出発したのが昨日の午後4時過ぎ。
船はあれから揚州を目指してズーッと走りっぱなしでした。その間長江両岸の光景をしっかり見ることが出来たのは、とても内容のある収穫でした(^^;) 何と言っても、飾り気のない「生の姿」が見られたのですからね。

走り続けて23時間弱、ようやく揚州に到着です。
揚州という街は初めて聞く街です。「揚子江」という名で知った長江ですが、その下流域の都市と言えば上海・南京・武漢などの大都市しか知りませんでした。

Wikipediaによれば、揚州市の市区面積は名古屋の約3倍、市区人口は名古屋の半分強という街ですが、歴史はかなり古く三国志時代にも登場してくるし、唐代には国際港にまでなっていたようです。また、隋の煬帝が再三揚州を訪れたように、魅力ある都市でもあったようですね。

煬帝が惚れ込んだ揚州。
どんなものが見られるのか?楽しみですね。

★揚州市の詳しいことは↓にてご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%B7%9E%E5%B8%82
★★地図(Google map)で、場所・位置をご案内している時は、「航空写真」でご覧下さいね。【※】Google map画面の、右上の「航空写真」をクリックして下さい。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 現在時刻は午後3時。<br />この橋はほぼ南北に真っ直ぐ架かっていますから、人の影を見ても陽がだいぶ西に傾いていることが分かると思います。<br /><br />これより、揚州市の観光に向かいます。<br />揚州市なんて、この旅行で初めて知った街です。<br /><br />★揚州港の位置を再掲しておきますね。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.2733,119.44801&amp;spn=0.003438,0.002983

    現在時刻は午後3時。
    この橋はほぼ南北に真っ直ぐ架かっていますから、人の影を見ても陽がだいぶ西に傾いていることが分かると思います。

    これより、揚州市の観光に向かいます。
    揚州市なんて、この旅行で初めて知った街です。

    ★揚州港の位置を再掲しておきますね。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.2733,119.44801&spn=0.003438,0.002983

  • このあたりには山がなくて、広い平野広がっています。<br /><br />写真は、バスが走り出して5〜6分後に見えてきた低層の工場と、遠方の4、5建て?のアパート群を捉えたものです。<br />工場の向こうに見える赤いものは、建物ではなくて高く積まれたコンテナのようです。

    このあたりには山がなくて、広い平野広がっています。

    写真は、バスが走り出して5〜6分後に見えてきた低層の工場と、遠方の4、5建て?のアパート群を捉えたものです。
    工場の向こうに見える赤いものは、建物ではなくて高く積まれたコンテナのようです。

  • ↑の場所から1分ほど走ったところでも、大きな工場建屋が見えてきました。<br />上と同じような低層棟です。

    ↑の場所から1分ほど走ったところでも、大きな工場建屋が見えてきました。
    上と同じような低層棟です。

  • 1分もしないうちに、また工場とビルが見えてきました。<br /><br />Google mapで見ますと、揚州市には工場建屋が多いです。<br />現在は、Google mapの写真の状況よりだいぶ変化している様子ですね。<br /><br />揚州市の面積は愛知県や千葉県よりも広く、栃木県を若干上回るという広さです。産業としてはポリエステルの生産が知られているようですが、最近では化学・機械・電子関係の企業も発展しているようです。<br /><br />★揚州市の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%B7%9E%E5%B8%82

    1分もしないうちに、また工場とビルが見えてきました。

    Google mapで見ますと、揚州市には工場建屋が多いです。
    現在は、Google mapの写真の状況よりだいぶ変化している様子ですね。

    揚州市の面積は愛知県や千葉県よりも広く、栃木県を若干上回るという広さです。産業としてはポリエステルの生産が知られているようですが、最近では化学・機械・電子関係の企業も発展しているようです。

    ★揚州市の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E5%B7%9E%E5%B8%82

  • 揚州市の市街地部に入る前ですが、左側にこのような塔が見えてきました。<br /><br />八角形の九層(9階建て)、高さ72mという高い塔です。<br />天中塔は揚州の8大名刹の一つと言われる「高旻寺」の塔のようです。<br /><br />これ以上の詳しいことは分かりません、<br /><br />★高旻寺の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.327703,119.414595&amp;spn=0.001718,0.001491&amp;iwloc=0004ca48f444141faccc0

    揚州市の市街地部に入る前ですが、左側にこのような塔が見えてきました。

    八角形の九層(9階建て)、高さ72mという高い塔です。
    天中塔は揚州の8大名刹の一つと言われる「高旻寺」の塔のようです。

    これ以上の詳しいことは分かりません、

    ★高旻寺の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.327703,119.414595&spn=0.001718,0.001491&iwloc=0004ca48f444141faccc0

  • 市街地に入ってきました。<br />「国家級 揚州経済技術開発区」という立て看板も気になりますが、アパート群の形も気になります。<br /><br />アパートの屋根が瓦屋根になっているんですね。右手のアパートの屋根には「屋根窓」がついています。アパートを四角なビルにせず瓦屋根にしたところは、他にも僅かに見られましたが、ここではたくさん見られました。

    市街地に入ってきました。
    「国家級 揚州経済技術開発区」という立て看板も気になりますが、アパート群の形も気になります。

    アパートの屋根が瓦屋根になっているんですね。右手のアパートの屋根には「屋根窓」がついています。アパートを四角なビルにせず瓦屋根にしたところは、他にも僅かに見られましたが、ここではたくさん見られました。

  • 市街地に入ってきて何となく感じられたのは、とても清潔な感じがしたことです。そう感じたのはこの街が初めてですよ。<br /><br />写真でも分かりますように、枯れ葉も含めて、ゴミが見られないことです。<br />でも、この先どうなるかは、分かりませんけどね。

    市街地に入ってきて何となく感じられたのは、とても清潔な感じがしたことです。そう感じたのはこの街が初めてですよ。

    写真でも分かりますように、枯れ葉も含めて、ゴミが見られないことです。
    でも、この先どうなるかは、分かりませんけどね。

  • 大通りから横に入る狭い生活道路にも、ゴミが見えないですね。

    大通りから横に入る狭い生活道路にも、ゴミが見えないですね。

  • 揚州市行政&#20997;事服務中心ビルです。<br /><br />★揚州市行政&#20997;事服務中心ビルの場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.394609,119.410014&amp;spn=0.001717,0.001491&amp;iwloc=0004d08e84ec7d0a78794

    揚州市行政刅事服務中心ビルです。

    ★揚州市行政刅事服務中心ビルの場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.394609,119.410014&spn=0.001717,0.001491&iwloc=0004d08e84ec7d0a78794

  • このビルは中国農業銀行です。<br /><br />バスから見た限りでの揚州では、高さ150mを越すような「超高層ビル」というのは、見当たらなかったです。

    このビルは中国農業銀行です。

    バスから見た限りでの揚州では、高さ150mを越すような「超高層ビル」というのは、見当たらなかったです。

  • これはバス停のようですね。<br /><br />瓦の屋根をもつバス停の形に、とっても好感を持ちました(^^)<br />中国の伝統を守りながら、日除けや雨宿りも出来るようにしてあるところはいいことだと思います。<br />ゴミ箱も工夫してありますね(^^)

    これはバス停のようですね。

    瓦の屋根をもつバス停の形に、とっても好感を持ちました(^^)
    中国の伝統を守りながら、日除けや雨宿りも出来るようにしてあるところはいいことだと思います。
    ゴミ箱も工夫してありますね(^^)

  • 中国ではちょっと変わった光景を見ました。<br /><br />屋根の上に白壁が突きだして、その上に小屋根が付いているものです。<br />これって、日本の「うだつ(卯建)」にそっくりですね。<br />この「うだつ」にそっくりのものは、中国でどのような目的で作られているのか分かりませんが、「心臓病と卯建のホームページ」の記事によれば、中国の雲南省昆明市近郊にも「うだつ」のようなものがあるとのことです。<br />どちらが「本家」なのか? 偶然に同じようなものを思いついたのか? 私には分かりません。<br /><br />一生うだつの上がらない私が言うのも変ですが、中国の揚州市にもあるなんて、ちょっと嬉しいですね。<br /><br />★↓は「うだつ」のある日本の街です。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=44.715514,100.371094&amp;spn=91.439829,85.078125&amp;iwloc=0004d08f1b27e22ff21a8

    中国ではちょっと変わった光景を見ました。

    屋根の上に白壁が突きだして、その上に小屋根が付いているものです。
    これって、日本の「うだつ(卯建)」にそっくりですね。
    この「うだつ」にそっくりのものは、中国でどのような目的で作られているのか分かりませんが、「心臓病と卯建のホームページ」の記事によれば、中国の雲南省昆明市近郊にも「うだつ」のようなものがあるとのことです。
    どちらが「本家」なのか? 偶然に同じようなものを思いついたのか? 私には分かりません。

    一生うだつの上がらない私が言うのも変ですが、中国の揚州市にもあるなんて、ちょっと嬉しいですね。

    ★↓は「うだつ」のある日本の街です。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=44.715514,100.371094&spn=91.439829,85.078125&iwloc=0004d08f1b27e22ff21a8

  • これもそうですね。<br />日本の「うだつ」にそっくりです。<br /><br />★うだつの詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A4

    これもそうですね。
    日本の「うだつ」にそっくりです。

    ★うだつの詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A4

  • とにかく、ゴミが見えませんね。<br />

    とにかく、ゴミが見えませんね。

  • 反対側の車窓越しにチラリと見えた、交差点の真ん中に立つ丸い塔です。<br /><br />この名は「文昌閣」と言って、明代の1585年に建設された揚州府学校の「魁星楼」<br />とのことです。「魁星」というのは北斗七星の第一の星(中国では文昌星と言っているそうです)で、学問を司る神とされています。ですから、文昌閣を建てて文運を祈ったのですね。<br />当時の学校は、「魁星楼」という建物をよく作ったそうです。

    反対側の車窓越しにチラリと見えた、交差点の真ん中に立つ丸い塔です。

    この名は「文昌閣」と言って、明代の1585年に建設された揚州府学校の「魁星楼」
    とのことです。「魁星」というのは北斗七星の第一の星(中国では文昌星と言っているそうです)で、学問を司る神とされています。ですから、文昌閣を建てて文運を祈ったのですね。
    当時の学校は、「魁星楼」という建物をよく作ったそうです。

  • このビルの屋根を見て下さい。<br /><br />洋風のビルと中国風の屋根形状とを見事に融合させています(^^) 先ほどから瓦屋根を採用したビルをよく見かけましたが、揚州市ではこのような動きが顕著ですね。

    このビルの屋根を見て下さい。

    洋風のビルと中国風の屋根形状とを見事に融合させています(^^) 先ほどから瓦屋根を採用したビルをよく見かけましたが、揚州市ではこのような動きが顕著ですね。

  • 交差点のなかにデンと建つ塔は、「四望亭」と言われているそうです。<br /><br />1594年の「明」の時代に建てられたようで、後に修復されて「魁星楼」と名を変えられたそうです。四望亭も文昌閣と同様、学問を司る神を祭り、科挙合格を目指して文運を祈るために建設されたようです。<br /><br />「四望亭」という名は、太平天国の乱で、太平天国の軍が清軍を監視するためにこの塔を使ったことが切っ掛けとなったと言われています。四望亭は太平天国軍が揚州を占領したことを示す証人であり、その遺跡となっているとのことです。<br />なお、最初は明の時代に建築されたとのことですが、べつの見方によれば南宋時代(1208−1224)に建設されたとも言われています。<br /><br />★四望亭の場所は↓にて。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.399472,119.428178&amp;spn=0.003433,0.002983&amp;iwloc=0004ca48905b2fd5d7f5a

    交差点のなかにデンと建つ塔は、「四望亭」と言われているそうです。

    1594年の「明」の時代に建てられたようで、後に修復されて「魁星楼」と名を変えられたそうです。四望亭も文昌閣と同様、学問を司る神を祭り、科挙合格を目指して文運を祈るために建設されたようです。

    「四望亭」という名は、太平天国の乱で、太平天国の軍が清軍を監視するためにこの塔を使ったことが切っ掛けとなったと言われています。四望亭は太平天国軍が揚州を占領したことを示す証人であり、その遺跡となっているとのことです。
    なお、最初は明の時代に建築されたとのことですが、べつの見方によれば南宋時代(1208−1224)に建設されたとも言われています。

    ★四望亭の場所は↓にて。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.399472,119.428178&spn=0.003433,0.002983&iwloc=0004ca48905b2fd5d7f5a

  • 歩道にゴミ箱があります。<br /><br />日本でも一時期にはゴミ箱が置かれたことがあったと思いますが、ポイ捨てをさせないための有効な一歩になったと思っています。<br />揚州の街にゴミがなく清潔な感じがするのも、ポイ捨て禁止の運動があるからではないかと思いますね。

    歩道にゴミ箱があります。

    日本でも一時期にはゴミ箱が置かれたことがあったと思いますが、ポイ捨てをさせないための有効な一歩になったと思っています。
    揚州の街にゴミがなく清潔な感じがするのも、ポイ捨て禁止の運動があるからではないかと思いますね。

  • 車窓に古い家を見つけましたので、撮影しました。<br /><br />屋根の形、下がり棟の形がとっても時代を感じさせるんですね。<br />両側の下がり棟には一定の高さ(幅)があって、そこには花の模様にも見える装飾があり、なかなか洒落たつくりだなと思いましたよ(^^)<br /><br />この家は何かのお店のようですが、「花」に関係したお店なんでしょうかね?

    車窓に古い家を見つけましたので、撮影しました。

    屋根の形、下がり棟の形がとっても時代を感じさせるんですね。
    両側の下がり棟には一定の高さ(幅)があって、そこには花の模様にも見える装飾があり、なかなか洒落たつくりだなと思いましたよ(^^)

    この家は何かのお店のようですが、「花」に関係したお店なんでしょうかね?

  • こちらには、中国風のつくりのホテル?が見えました。<br /><br />川沿いの下の方の家はかなり古そうですが、河面にまではみ出して作られているところをみますと、楽しいお宿だったかも知れませんね。<br /><br />先ほどから見ていたのですが、この川沿いに古い建物が多数残っていました。昔の歓楽街だったかも知れませんね。

    こちらには、中国風のつくりのホテル?が見えました。

    川沿いの下の方の家はかなり古そうですが、河面にまではみ出して作られているところをみますと、楽しいお宿だったかも知れませんね。

    先ほどから見ていたのですが、この川沿いに古い建物が多数残っていました。昔の歓楽街だったかも知れませんね。

  • 川を渡る橋の正面に「勅賜天寧禅寺」というお寺がありました。<br />勅賜と書いてあるからには、この寺の発展には皇帝が関わっていたようですね。その皇帝はどうやら乾隆帝のようです。両方の獅子が顔を真っ直ぐ前に向けているのではなく、顔を傾けてちょっとスネているような格好をしているのが面白いです。<br />それもそうですが、真ん中の門の右に架かっている看板に「中国揚州佛教文化博物館」と書いてあるのが、気になりました。この寺は清代に作られたようですが、現在は名の通り博物館になっているようです。詳しいことは分かりません。<br /><br />ところで、揚州は佛教を通じて日本とのつながりのある町のようです。 <br />奈良時代に日本に渡って仏教僧に戒律を授けた「鑑真和尚」は、この揚州の生まれとのことです。 中国での鑑真は唐代の高僧であり、この地の大明寺の住職だったのです。日本の朝廷からの招請を受け、決死の渡航に5度も失敗し、その間失明もしたのに、6度目にようやく日本に着いたという熱意の人だったようです。<br />鑑真が日本に出発する際、文峰寺の前から船に乗ったと言われています。<br /><br />★文峰寺の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.373755,119.428436&amp;spn=0.006479,0.007392&amp;iwloc=0004d090ca32baa754a68<br />★大明寺の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.421934,119.408475&amp;spn=0.003238,0.003696&amp;iwloc=0004d0f4620e1a9231033<br />★鑑真の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%91%E7%9C%9F

    川を渡る橋の正面に「勅賜天寧禅寺」というお寺がありました。
    勅賜と書いてあるからには、この寺の発展には皇帝が関わっていたようですね。その皇帝はどうやら乾隆帝のようです。両方の獅子が顔を真っ直ぐ前に向けているのではなく、顔を傾けてちょっとスネているような格好をしているのが面白いです。
    それもそうですが、真ん中の門の右に架かっている看板に「中国揚州佛教文化博物館」と書いてあるのが、気になりました。この寺は清代に作られたようですが、現在は名の通り博物館になっているようです。詳しいことは分かりません。

    ところで、揚州は佛教を通じて日本とのつながりのある町のようです。
    奈良時代に日本に渡って仏教僧に戒律を授けた「鑑真和尚」は、この揚州の生まれとのことです。 中国での鑑真は唐代の高僧であり、この地の大明寺の住職だったのです。日本の朝廷からの招請を受け、決死の渡航に5度も失敗し、その間失明もしたのに、6度目にようやく日本に着いたという熱意の人だったようです。
    鑑真が日本に出発する際、文峰寺の前から船に乗ったと言われています。

    ★文峰寺の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.373755,119.428436&spn=0.006479,0.007392&iwloc=0004d090ca32baa754a68
    ★大明寺の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.421934,119.408475&spn=0.003238,0.003696&iwloc=0004d0f4620e1a9231033
    ★鑑真の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%91%E7%9C%9F

  • &#20176;園の前に立っていた碑です。<br /><br />「中国四大名園 个園(こえん)」とありますね。<br />他にはどんな名園があるのかと調べてみますと、意外にも个園が四大名園に入っていないのですよ(-_-;)(中国の四大名園に个園が入っているという記事もありますが、そういう話は少ないようです)<br /><br />しかし、嘆くことはありません。中国の国家重点公園のトップ20にも選出されているよですから、大いに自慢できると思います。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    仐園の前に立っていた碑です。

    「中国四大名園 个園(こえん)」とありますね。
    他にはどんな名園があるのかと調べてみますと、意外にも个園が四大名園に入っていないのですよ(-_-;)(中国の四大名園に个園が入っているという記事もありますが、そういう話は少ないようです)

    しかし、嘆くことはありません。中国の国家重点公園のトップ20にも選出されているよですから、大いに自慢できると思います。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • ここから个園に入場します。<br /><br />私たちの入場券でも買っているのでしょうかね?

    ここから个園に入場します。

    私たちの入場券でも買っているのでしょうかね?

  • 見事な太湖石が飾ってありますね。<br /><br />个園を作ることには、太湖石は掘り尽くされる頃と言われていますが、ここではまだ使われているようです。

    見事な太湖石が飾ってありますね。

    个園を作ることには、太湖石は掘り尽くされる頃と言われていますが、ここではまだ使われているようです。

  • 个園に入って、先ず見られる広い庭です。<br />ここは芝生のようですね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    个園に入って、先ず見られる広い庭です。
    ここは芝生のようですね。

    (Nさんご提供の御写真です)

  • ↑の写真の建物の向こう側にあった、庭園です。<br /><br />やはりそうですね。<br />中国の庭園というと、先ずは水と石ですからね。<br /><br />★↓は緑のない水と石だけの庭園です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23712067/src.html

    ↑の写真の建物の向こう側にあった、庭園です。

    やはりそうですね。
    中国の庭園というと、先ずは水と石ですからね。

    ★↓は緑のない水と石だけの庭園です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23712067/src.html

  • 写真がボケていますが、个園の竹です。<br /><br />ちょっと変わっているとは思いませんか?<br />ちょうど稲の株が増えていくように、この竹も一つの根から増えて来たかのように纏まって生えていますね。<br />この竹の種類は分かりませんが、タケノコが出てくるころにきたらその生態が分かりやすいですね。

    写真がボケていますが、个園の竹です。

    ちょっと変わっているとは思いませんか?
    ちょうど稲の株が増えていくように、この竹も一つの根から増えて来たかのように纏まって生えていますね。
    この竹の種類は分かりませんが、タケノコが出てくるころにきたらその生態が分かりやすいですね。

  • ここを入っていくのですが、あの字が読めません(-_-;)<br /><br />★个園の場所は↓にて。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.40066,119.438247&amp;spn=0.001717,0.001491&amp;iwloc=0004ac6a2b2b54a432e64

    ここを入っていくのですが、あの字が読めません(-_-;)

    ★个園の場所は↓にて。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.40066,119.438247&spn=0.001717,0.001491&iwloc=0004ac6a2b2b54a432e64

  • ↑の壁の左前を見ると、こんな感じになります。<br /><br />↑の屋根の形は、「うだつ」のようにも見えますね。

    ↑の壁の左前を見ると、こんな感じになります。

    ↑の屋根の形は、「うだつ」のようにも見えますね。

  • そしてまた、木蓮の緑のトンネルを抜けていきます。<br /><br />このあたりは、昔からの(本来の)个園の中ではないそうです。<br />現在の个園の入り口(料金所のあるところ)からは結構歩きますよ。

    そしてまた、木蓮の緑のトンネルを抜けていきます。

    このあたりは、昔からの(本来の)个園の中ではないそうです。
    現在の个園の入り口(料金所のあるところ)からは結構歩きますよ。

  • 叢書(そうしょ)楼という看板が掛かっていますが、ここでのガイドさんのお話なんか、聞いた傍から忘れてしまっていますから、この叢書樓の詳しいことは分かりません。<br /><br />でも、まぁ、叢書樓というからには、个園の持ち主のお気に入りの書籍なんかが置いてあるんではないかと、勝手に想像しています^^;<br /><br />それから2階から上の枯れ草のようなものですが、夏であれば緑色に変わって、この建物を直射日光から守っているんですよ。<br /><br />★↓は蔓植物が建物を覆っている「フェアモント・エンプレス・ホテル」です。冬場はどうなるんでしょうね?<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12376353/src.html

    叢書(そうしょ)楼という看板が掛かっていますが、ここでのガイドさんのお話なんか、聞いた傍から忘れてしまっていますから、この叢書樓の詳しいことは分かりません。

    でも、まぁ、叢書樓というからには、个園の持ち主のお気に入りの書籍なんかが置いてあるんではないかと、勝手に想像しています^^;

    それから2階から上の枯れ草のようなものですが、夏であれば緑色に変わって、この建物を直射日光から守っているんですよ。

    ★↓は蔓植物が建物を覆っている「フェアモント・エンプレス・ホテル」です。冬場はどうなるんでしょうね?
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12376353/src.html

  • 次はこんなに狭いところを入っていくんですよ。<br /><br />庭を囲っている塀なのか、建物の壁なのか?分からないですよ。<br />今になってみると、庭を囲っている塀のような気がしますけどね(^^)<br /><br />なんか、だんだんと迷路に入っていくような気がしてきましたよ(^^;) 

    次はこんなに狭いところを入っていくんですよ。

    庭を囲っている塀なのか、建物の壁なのか?分からないですよ。
    今になってみると、庭を囲っている塀のような気がしますけどね(^^)

    なんか、だんだんと迷路に入っていくような気がしてきましたよ(^^;) 

  • 奥行きの深い狭い通路がありました。<br /><br />この道は、住居への(ここの住人の?)通り道だそうです。<br />確か、この入り口の横に「住宅入り口」と書いてありましたね。<br />提灯のあるところは、左右を結ぶ通路でしょうか。

    奥行きの深い狭い通路がありました。

    この道は、住居への(ここの住人の?)通り道だそうです。
    確か、この入り口の横に「住宅入り口」と書いてありましたね。
    提灯のあるところは、左右を結ぶ通路でしょうか。

  • ここにも、↑と似たような狭い通路がありました。

    ここにも、↑と似たような狭い通路がありました。

  • ようやく个園にたどり着きました(^^)<br />ここからが本当の个園のようですね。<br /><br />この丸い入り口をくぐると、本来の个園に入ることになります。<br />

    ようやく个園にたどり着きました(^^)
    ここからが本当の个園のようですね。

    この丸い入り口をくぐると、本来の个園に入ることになります。

  • ↑の个園の入り口の前にある竹林です。<br /><br />竹の中に細長い石が立っていますけど、この石はタケノコを意味しているのだそうです。<br />数えてみますと10本以上はありそうです。<br /><br />タケノコは春に出るものということから、ここの眺めを「春の景」というのだそうです。<br />素人の私などは、「ふ〜〜ん?」としか感じませんが、个園を造った人にとっては、ここは「春」という設定になっているとのことです。

    ↑の个園の入り口の前にある竹林です。

    竹の中に細長い石が立っていますけど、この石はタケノコを意味しているのだそうです。
    数えてみますと10本以上はありそうです。

    タケノコは春に出るものということから、ここの眺めを「春の景」というのだそうです。
    素人の私などは、「ふ〜〜ん?」としか感じませんが、个園を造った人にとっては、ここは「春」という設定になっているとのことです。

  • ここにもたくさんの石が使われていますが、太湖石が少なくなってきた時代のことゆえ、太湖石のほか、褐黄石、雪石、筍形の石なども使われているそうです。<br /><br />これらの石も、それらのうちのどれかかも知れませんね。

    ここにもたくさんの石が使われていますが、太湖石が少なくなってきた時代のことゆえ、太湖石のほか、褐黄石、雪石、筍形の石なども使われているそうです。

    これらの石も、それらのうちのどれかかも知れませんね。

  • 个園の内側から、塀の穴越しに「春の景」の方向を捉えてみました。<br /><br />塀が単なる塀でなくて、丸とか四角とかの穴を付けてカット風景を見せるところは、なかなかにくいですね(^^)<br /><br />个園という名は、庭園内にたくさんある竹の葉の形をみて、「竹」の字の半分が「个」に似ていることから、个園と付けられたという話です。

    个園の内側から、塀の穴越しに「春の景」の方向を捉えてみました。

    塀が単なる塀でなくて、丸とか四角とかの穴を付けてカット風景を見せるところは、なかなかにくいですね(^^)

    个園という名は、庭園内にたくさんある竹の葉の形をみて、「竹」の字の半分が「个」に似ていることから、个園と付けられたという話です。

  • 个園に入って、まず右側の方を見ました。<br /><br />あんなところに石がうず高く積んでありますけど、こちらの方を「秋景」というのだそうです。赤っぽい石(黄山石)が、秋の風情を表現しているのだそうです。

    个園に入って、まず右側の方を見ました。

    あんなところに石がうず高く積んでありますけど、こちらの方を「秋景」というのだそうです。赤っぽい石(黄山石)が、秋の風情を表現しているのだそうです。

  • 正面に見える東屋は「清&#28458;亭」です。<br /><br />「&#28458;」という字の意味は、日本語では「さざ波」ということのようです。<br />そういう風な意味も分かるような、个園の情景ですけど・・<br /><br />すぐ左側・手前の建物は「宜雨軒」で、向こう側に見える建物は「抱山楼」です。

    正面に見える東屋は「清漪亭」です。

    「漪」という字の意味は、日本語では「さざ波」ということのようです。
    そういう風な意味も分かるような、个園の情景ですけど・・

    すぐ左側・手前の建物は「宜雨軒」で、向こう側に見える建物は「抱山楼」です。

  • 宜雨軒に入ろうとして上を見ましたら、このような看板が掛けられていました。<br /><br />看板屋が書いたのでなく、名のある書家が書いているのですね。

    宜雨軒に入ろうとして上を見ましたら、このような看板が掛けられていました。

    看板屋が書いたのでなく、名のある書家が書いているのですね。

  • 「宜雨軒」の中をのぞいてみました。<br /><br />立派な家具・調度品がありますね〜。<br />お客さんをこういうところでもてなすのでしょうかね。<br /><br />あの真ん中の鏡に、宜雨軒の中を撮影しようとしている私が写っていますよ(^_^;)

    「宜雨軒」の中をのぞいてみました。

    立派な家具・調度品がありますね〜。
    お客さんをこういうところでもてなすのでしょうかね。

    あの真ん中の鏡に、宜雨軒の中を撮影しようとしている私が写っていますよ(^_^;)

  • 今度は右の方を見てみました。<br /><br />こちらもそうですね。ゆとりある中に豪華な調度品が似合いますね。<br />この家はね、全周があのようなガラス張りになってるんですよ。<br />この家にいながら、ぐるりと一回りすれば个園の庭が見渡せるってことが出来るんです。<br /><br />そういう点では、なかなか豪華なつくりになってるんですね。

    今度は右の方を見てみました。

    こちらもそうですね。ゆとりある中に豪華な調度品が似合いますね。
    この家はね、全周があのようなガラス張りになってるんですよ。
    この家にいながら、ぐるりと一回りすれば个園の庭が見渡せるってことが出来るんです。

    そういう点では、なかなか豪華なつくりになってるんですね。

  • こちらが、庭園の中で「夏の景」と言われるところです。<br /><br />ここでは太湖石がふんだんに使われていますね。石と石の間に板(石の板のようです)が渡してあって、石の間のトンネルにも入っていっ涼しさを感じられるようになっているとのことです。<br />それで、穴の開いたもともと白っぽい太湖石をふんだんに使ったものと思われますね。<br />つくりが見事というのは当然としても、当時少なくなってきていた太湖石を集めるなど、稼いだ富にモノをいわせた贅沢な造りですね。

    こちらが、庭園の中で「夏の景」と言われるところです。

    ここでは太湖石がふんだんに使われていますね。石と石の間に板(石の板のようです)が渡してあって、石の間のトンネルにも入っていっ涼しさを感じられるようになっているとのことです。
    それで、穴の開いたもともと白っぽい太湖石をふんだんに使ったものと思われますね。
    つくりが見事というのは当然としても、当時少なくなってきていた太湖石を集めるなど、稼いだ富にモノをいわせた贅沢な造りですね。

  • ↑の風景を縦に撮ってみました。<br />太湖石の上に立っている東屋は「鶴亭」と言うようです。<br />この鶴亭に行くには、あの池の上に掛けてある渡し板を渡っていくようになっているそうです。まさに「夏」の遊びですね。<br /><br />このように太湖石の上に東屋を置く造りは、鑑真ゆかりの「大明寺」にもあるそうです。

    ↑の風景を縦に撮ってみました。
    太湖石の上に立っている東屋は「鶴亭」と言うようです。
    この鶴亭に行くには、あの池の上に掛けてある渡し板を渡っていくようになっているそうです。まさに「夏」の遊びですね。

    このように太湖石の上に東屋を置く造りは、鑑真ゆかりの「大明寺」にもあるそうです。

  • この清&#28458;亭は「夏の景」と「秋の景」の間にあって、ここから両方の景色を見ることが出来るわけです。<br />この个園を造った清の時代の塩の商人だった黄応泰は、清&#28458;亭に客を連れてきて「夏の景」と「秋の景」を左右に魅せながら自慢していたのかも知れませんね。<br /> <br />清&#28458;という言葉は一般的なものなのかどうか分かりませんが、北京の頤和園にも清&#28458;園というのがあるとのことで、韓国のソウルにも清&#28458;亭があるようです。いずれも水のあるところです。

    この清漪亭は「夏の景」と「秋の景」の間にあって、ここから両方の景色を見ることが出来るわけです。
    この个園を造った清の時代の塩の商人だった黄応泰は、清漪亭に客を連れてきて「夏の景」と「秋の景」を左右に魅せながら自慢していたのかも知れませんね。

    清漪という言葉は一般的なものなのかどうか分かりませんが、北京の頤和園にも清漪園というのがあるとのことで、韓国のソウルにも清漪亭があるようです。いずれも水のあるところです。

  • 先ほどの秋の景ですが、赤茶けた感じでホントに秋のようですね。<br /><br />またこの秋の景が東側にあるというのもよく考えられたもので、西に傾いた夕陽が当たるようになっています。夕陽が当たってますます赤くなり、「秋の色」になってくると言うわけなんですね。

    先ほどの秋の景ですが、赤茶けた感じでホントに秋のようですね。

    またこの秋の景が東側にあるというのもよく考えられたもので、西に傾いた夕陽が当たるようになっています。夕陽が当たってますます赤くなり、「秋の色」になってくると言うわけなんですね。

  • 綺麗な庭園をみている最中に、近くの屋根に目が移ってしまいました(^^)<br /><br />左奥の屋根には「越屋根(写真の真ん中に見える小さい屋根)」が見えますが、その越屋根のみすぼらしさに心を奪われてしまいました(^^) 左右の端にきちっとした形を付ければいいのに・・と、思いましたね。

    綺麗な庭園をみている最中に、近くの屋根に目が移ってしまいました(^^)

    左奥の屋根には「越屋根(写真の真ん中に見える小さい屋根)」が見えますが、その越屋根のみすぼらしさに心を奪われてしまいました(^^) 左右の端にきちっとした形を付ければいいのに・・と、思いましたね。

  • 「壷天自春」と言う看板のついている建物は、「抱山楼」という名の个園の主楼です。<br /><br />私たちは中に入ることがなかったのですが、何かのコレクションがあったり、重厚な造りの家具や調度品がたくさんあるようです。ここが来客をもてなす中心的な役割を果たしていたかも知れませんね。<br />ベランダは廊下のように長く、この庭園を右に左に移動しながら庭園の眺めを楽しめるようになっています。<br /><br />「壷天自春」は、「壮麗な山河に及ばないが、ここにある景は桃源郷である」という趣旨であるとの話です。个園を造った黄応泰の遠慮気味な気持ちを表したものでしょう。<br /><br />この「壷天自春」の言葉は、个園の南西1.5Kmのところにある道教の寺「仙鶴寺」にも、同様の額が掲げられているようですね。「壷天自春」は、个園に限った言葉ではないようですね。貴族や富豪たちが、その富を民のために使うのではなく、豪勢な庭園を造りながらも、ちょっとだけ豪華さを恥じらって掲げた言葉のようですね。

    「壷天自春」と言う看板のついている建物は、「抱山楼」という名の个園の主楼です。

    私たちは中に入ることがなかったのですが、何かのコレクションがあったり、重厚な造りの家具や調度品がたくさんあるようです。ここが来客をもてなす中心的な役割を果たしていたかも知れませんね。
    ベランダは廊下のように長く、この庭園を右に左に移動しながら庭園の眺めを楽しめるようになっています。

    「壷天自春」は、「壮麗な山河に及ばないが、ここにある景は桃源郷である」という趣旨であるとの話です。个園を造った黄応泰の遠慮気味な気持ちを表したものでしょう。

    この「壷天自春」の言葉は、个園の南西1.5Kmのところにある道教の寺「仙鶴寺」にも、同様の額が掲げられているようですね。「壷天自春」は、个園に限った言葉ではないようですね。貴族や富豪たちが、その富を民のために使うのではなく、豪勢な庭園を造りながらも、ちょっとだけ豪華さを恥じらって掲げた言葉のようですね。

  • この外人さんは、私たちの「ビクトリア・プリンス号」の船員で、幹部の人です。おそらくは「ビクトリア・クルーズ社」の人でしょう。<br />こんなところに登って、愛嬌を振りまいているところは外人らしいですね。

    この外人さんは、私たちの「ビクトリア・プリンス号」の船員で、幹部の人です。おそらくは「ビクトリア・クルーズ社」の人でしょう。
    こんなところに登って、愛嬌を振りまいているところは外人らしいですね。

  • こちらは「可愛いの景」です!!(*^_^*)<br /><br />これまで、綺麗で良く出来た庭園を見てきましたが、このお姉ちゃんの可愛らしさに勝るものはないですね。<br />个園のどの造作よりも、お姉ちゃんの笑顔ほうが良いに決まってますよね!! <br />ホント!!この世で一番美しく愛すべきものは「人」なんですね〜(^^)<br /><br />ハッ??なんですか? 人より「カネ」ですか??<br />まぁねぇ〜、そう言う人も少なくないですね〜(&gt;_&lt;)

    こちらは「可愛いの景」です!!(*^_^*)

    これまで、綺麗で良く出来た庭園を見てきましたが、このお姉ちゃんの可愛らしさに勝るものはないですね。
    个園のどの造作よりも、お姉ちゃんの笑顔ほうが良いに決まってますよね!! 
    ホント!!この世で一番美しく愛すべきものは「人」なんですね〜(^^)

    ハッ??なんですか? 人より「カネ」ですか??
    まぁねぇ〜、そう言う人も少なくないですね〜(>_<)

  • おやまぁ、高価な太湖石がこんなところで塀に寄りかかって放置されている(&gt;_&lt;)<br />ホントにしょうがないですね〜。皆さんもそう思われませんか??<br /><br />それがねぇ、この石が太湖石ではなくて、安徽省で採れる「宣石」という石だというのです。そして、ここが「冬の景」ということなんですね。草木も少なくて、なんか淋しそう(-_-;) そう、寒さを感じるってワケです。<br />あの丸い穴は、風が通るたびに「ヒューヒュー」と音を立てるとのこと(&gt;_&lt;) そんな話を聞きますと、余計に寒さを感じます。何となく白っぽさを感じるところは、雪を表現しているのだとか。<br />そして、まる穴の向こうには、「春の景」があるというのです。<br /><br />そういうことで、「春の景」に始まって春夏秋冬の景が全て出そろったというわけです。

    おやまぁ、高価な太湖石がこんなところで塀に寄りかかって放置されている(>_<)
    ホントにしょうがないですね〜。皆さんもそう思われませんか??

    それがねぇ、この石が太湖石ではなくて、安徽省で採れる「宣石」という石だというのです。そして、ここが「冬の景」ということなんですね。草木も少なくて、なんか淋しそう(-_-;) そう、寒さを感じるってワケです。
    あの丸い穴は、風が通るたびに「ヒューヒュー」と音を立てるとのこと(>_<) そんな話を聞きますと、余計に寒さを感じます。何となく白っぽさを感じるところは、雪を表現しているのだとか。
    そして、まる穴の向こうには、「春の景」があるというのです。

    そういうことで、「春の景」に始まって春夏秋冬の景が全て出そろったというわけです。

  • 帰る途中、松の盆栽を見ました。自然を楽しむ東洋文化ですね〜。<br /><br /><br />宜雨軒と抱山楼の2つの建物の間に夏と秋を表現した个園の庭園は、その広さはせいぜい幅20m・長さ60m前後の狭いところです。池と築山と東屋と洞穴と、いろいろな工夫がてんこ盛りの賑やかな庭園でした。<br /><br />この程度の広さの庭園を日本で造るとしたら、どんな庭園にしただろうかと思いますね。<br />平均的に考えれば、平らなところは玉砂利や砂を敷いて、緩い傾斜地は芝生の緑で覆い、ところどころに松とかを植え、丼を伏せたような小さな小山や石を配置する。池はあっても畳で4〜5枚程度といった感じの庭園になるかもね。<br /><br />★↓は伊豆のローズガーデンでの日本庭園です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/14923671/src.html<br />足立美術館の庭園なんかもご覧下さいね。<br />★日本庭園の特徴の1つ「枯山水」のことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E5%B1%B1%E6%B0%B4

    帰る途中、松の盆栽を見ました。自然を楽しむ東洋文化ですね〜。


    宜雨軒と抱山楼の2つの建物の間に夏と秋を表現した个園の庭園は、その広さはせいぜい幅20m・長さ60m前後の狭いところです。池と築山と東屋と洞穴と、いろいろな工夫がてんこ盛りの賑やかな庭園でした。

    この程度の広さの庭園を日本で造るとしたら、どんな庭園にしただろうかと思いますね。
    平均的に考えれば、平らなところは玉砂利や砂を敷いて、緩い傾斜地は芝生の緑で覆い、ところどころに松とかを植え、丼を伏せたような小さな小山や石を配置する。池はあっても畳で4〜5枚程度といった感じの庭園になるかもね。

    ★↓は伊豆のローズガーデンでの日本庭園です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/14923671/src.html
    足立美術館の庭園なんかもご覧下さいね。
    ★日本庭園の特徴の1つ「枯山水」のことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E5%B1%B1%E6%B0%B4

  • これで个園は終わりです。<br /><br />个園は塩で儲けた黄応泰が造った庭園でした。<br /><br />「春の景」からの広さだけを見れば、そんなに広くはないです。その広くないところで、歌人が謳うような山紫水明の趣に富んだ庭を造るというのが、中国の個人庭園の特徴とか言われています<br />黄応泰は自然の山河をそこに造るだけでなくて、四季をも織り込もうとしたのですね。<br />黄応泰の自慢そうな顔が想像されます。

    これで个園は終わりです。

    个園は塩で儲けた黄応泰が造った庭園でした。

    「春の景」からの広さだけを見れば、そんなに広くはないです。その広くないところで、歌人が謳うような山紫水明の趣に富んだ庭を造るというのが、中国の個人庭園の特徴とか言われています
    黄応泰は自然の山河をそこに造るだけでなくて、四季をも織り込もうとしたのですね。
    黄応泰の自慢そうな顔が想像されます。

  • さぁて、道路を渡りますよ〜。<br /><br />これがねぇ、なかなか大変なんですよ。<br />アチラは、車優先社会ですからね〜。とにかく、車の流れを見ながら流れの隙間がちょっと大きいところを狙って、「サッ!!と渡る」というのはダメなんですよ!!<br /><br />流れの隙間を狙って、落ち着いて渡るのが正解なんだそうです。「渡るよ〜」という意志を車の方にしっかと伝えるのだそうです。そうすると止まってくれます(^^)<br />分かりましたか??

    さぁて、道路を渡りますよ〜。

    これがねぇ、なかなか大変なんですよ。
    アチラは、車優先社会ですからね〜。とにかく、車の流れを見ながら流れの隙間がちょっと大きいところを狙って、「サッ!!と渡る」というのはダメなんですよ!!

    流れの隙間を狙って、落ち着いて渡るのが正解なんだそうです。「渡るよ〜」という意志を車の方にしっかと伝えるのだそうです。そうすると止まってくれます(^^)
    分かりましたか??

  • この次は痩西湖へいきます。  <br /><br />途中で、三輪バイクを見ました(^^)<br />夫婦か兄妹のような感じですね。<br /><br />私もカミさんを乗せて、こうやって走ってみたいです(*^_^*)<br />それとも、やっぱりカミさんが運転して、私が後ろになるかな?

    この次は痩西湖へいきます。

    途中で、三輪バイクを見ました(^^)
    夫婦か兄妹のような感じですね。

    私もカミさんを乗せて、こうやって走ってみたいです(*^_^*)
    それとも、やっぱりカミさんが運転して、私が後ろになるかな?

  • 2階と3階の間の瓦屋根が嬉しくて、写真を取ってしまいました。<br /><br />コンクリート面ばっかりでなくて、中国建築の伝統をこういう形で取り入れていることは良いことですね。<br /><br />日本の建築も山の形の屋根で瓦葺きが多いですから、日本の街角でこんな風なものが見られたら嬉しいですね。

    2階と3階の間の瓦屋根が嬉しくて、写真を取ってしまいました。

    コンクリート面ばっかりでなくて、中国建築の伝統をこういう形で取り入れていることは良いことですね。

    日本の建築も山の形の屋根で瓦葺きが多いですから、日本の街角でこんな風なものが見られたら嬉しいですね。

  • 車窓からの風景です。<br /><br />右手の方のパネルに書いてある「蜀岡−痩西湖 国家重点風景名勝区」と書いてあるのが気になりました。<br />これから行く痩西湖ですが、国家AAAA級名勝景区になっているようです。

    車窓からの風景です。

    右手の方のパネルに書いてある「蜀岡−痩西湖 国家重点風景名勝区」と書いてあるのが気になりました。
    これから行く痩西湖ですが、国家AAAA級名勝景区になっているようです。

  • 娘さんが向かっている先は古い建物ですが、看板を見ますと「揚州唐人書画院」とあります。<br /><br />こういう古〜い建物が、書画活動などの日常の用に使われているところなど、感心します。

    娘さんが向かっている先は古い建物ですが、看板を見ますと「揚州唐人書画院」とあります。

    こういう古〜い建物が、書画活動などの日常の用に使われているところなど、感心します。

  • このあたりが「痩西湖」と言われるところのようです。<br /><br />反り返った建物があり、それらと樹々が水に映る風景。<br />いかにも中国らしいですね。

    このあたりが「痩西湖」と言われるところのようです。

    反り返った建物があり、それらと樹々が水に映る風景。
    いかにも中国らしいですね。

  • ↑の写真の湖を渡る大虹橋の上からの眺めです。<br /><br />真ん中に小さな小島があり、太湖石が置かれています。その左手にはそれを眺めるかのような東屋があります。<br />右側には遊覧船がたくさん係留されていますね。<br /><br />これは川なのか?湖なのか?<br />痩西湖と言うからには湖のようですが、とにかく見てみないと分からなかったですね。

    ↑の写真の湖を渡る大虹橋の上からの眺めです。

    真ん中に小さな小島があり、太湖石が置かれています。その左手にはそれを眺めるかのような東屋があります。
    右側には遊覧船がたくさん係留されていますね。

    これは川なのか?湖なのか?
    痩西湖と言うからには湖のようですが、とにかく見てみないと分からなかったですね。

  • 「痩西湖」の入り口です。<br />公園にすればいいようなところですが、ここも入場料を徴収されるんですよ。

    「痩西湖」の入り口です。
    公園にすればいいようなところですが、ここも入場料を徴収されるんですよ。

  • 痩西湖の区域内で掲示してあった痩西湖の地図です。<br />緑色の濃い部分が痩西湖の範囲になると思います。<br /><br />この地図を見ると、湖としては細長すぎているのですけど、どうなんでしょうかね?<br /><br />「考古用語辞典」によれば、「もとは保障河と呼ばれ,蜀崗山から流れる水と揚州城の濠とをあわせ,さらに古運河に通ずる水路を兼ねて開墾された細長い湖である」とのことです。昔からこの地には別荘や庭園が造られていたようですが、清の乾隆帝時代(1736〜95)に最盛期を迎えたとのことです。<br />痩西湖においてその中心となるところは、人口島の「小金山」で、ここにさまざまな東屋や家を造り、風情を楽しんだというのです。<br /><br />痩西湖は杭州の西湖に較べて形が細長いことから、「痩西湖」名付けられたと言われています。<br />それだけ意識される杭州の西湖は、中国十大風景名勝の1つと言われるほど有名ですからね。痩西湖公園は、総面積は103ヘクタール、水面面積は約50ヘクタールの広さがあるそうです。

    痩西湖の区域内で掲示してあった痩西湖の地図です。
    緑色の濃い部分が痩西湖の範囲になると思います。

    この地図を見ると、湖としては細長すぎているのですけど、どうなんでしょうかね?

    「考古用語辞典」によれば、「もとは保障河と呼ばれ,蜀崗山から流れる水と揚州城の濠とをあわせ,さらに古運河に通ずる水路を兼ねて開墾された細長い湖である」とのことです。昔からこの地には別荘や庭園が造られていたようですが、清の乾隆帝時代(1736〜95)に最盛期を迎えたとのことです。
    痩西湖においてその中心となるところは、人口島の「小金山」で、ここにさまざまな東屋や家を造り、風情を楽しんだというのです。

    痩西湖は杭州の西湖に較べて形が細長いことから、「痩西湖」名付けられたと言われています。
    それだけ意識される杭州の西湖は、中国十大風景名勝の1つと言われるほど有名ですからね。痩西湖公園は、総面積は103ヘクタール、水面面積は約50ヘクタールの広さがあるそうです。

  • ↑の大虹橋から見た、太湖石の置かれていた小さい島です。<br /><br />横から見ると細長い島でした。<br />残念ながら島の名前までは分かりませんでした。

    ↑の大虹橋から見た、太湖石の置かれていた小さい島です。

    横から見ると細長い島でした。
    残念ながら島の名前までは分かりませんでした。

  • 水面に映る島。<br />自然を造形して楽しむ東洋的な感覚ですね。

    水面に映る島。
    自然を造形して楽しむ東洋的な感覚ですね。

  • 中央右に遠くに見える橋が、先ほど渡ってきた「大虹橋」です。<br /><br />あんなにカッコいい橋だなんて、全然気がつかなかったです。<br />痩西湖の長さや大きさなどを表現する際の起点になるところでもあるようです。

    中央右に遠くに見える橋が、先ほど渡ってきた「大虹橋」です。

    あんなにカッコいい橋だなんて、全然気がつかなかったです。
    痩西湖の長さや大きさなどを表現する際の起点になるところでもあるようです。

  • 「おかあさん あんなところに鶴がいるよ!」<br /><br />ホント,あれは鶴ですよね?<br />いやいや、こんなところに鶴がいるなんて・・。<br />ちょっと驚きましたね。<br />でも、鶴が来るなんて羨ましいですよね〜。

    「おかあさん あんなところに鶴がいるよ!」

    ホント,あれは鶴ですよね?
    いやいや、こんなところに鶴がいるなんて・・。
    ちょっと驚きましたね。
    でも、鶴が来るなんて羨ましいですよね〜。

  • 親子でしょうかね。<br /><br />喜ぶ幼児の笑顔が、私たちまで嬉しくさせてくれました。

    親子でしょうかね。

    喜ぶ幼児の笑顔が、私たちまで嬉しくさせてくれました。

  • ここにも鶴がいます。<br /><br />でも、鶴とはちょっと違うみたいです。<br />サギかも知れませんね。

    ここにも鶴がいます。

    でも、鶴とはちょっと違うみたいです。
    サギかも知れませんね。

  • 料金所からおよそ500m余り歩いたところに、こんな橋が見えてきました。<br />橋の名は「春波橋」のようです。<br />水と緑と岩山と橋、そして東屋・・。極楽絵図を見るようですね。」<br />中国の得意な庭園づくりが、こんな素晴らしい情景を生みだしているんですね〜。<br /><br />長江や漓江を見下ろすように立つ東屋も、こういう庭園造りの思想があればこそと思います。<br /><br />★↓は漓江を見下ろす東屋です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22173929/src.html<br />★こちらは長江を見下ろす東屋です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23367130/src.html

    料金所からおよそ500m余り歩いたところに、こんな橋が見えてきました。
    橋の名は「春波橋」のようです。
    水と緑と岩山と橋、そして東屋・・。極楽絵図を見るようですね。」
    中国の得意な庭園づくりが、こんな素晴らしい情景を生みだしているんですね〜。

    長江や漓江を見下ろすように立つ東屋も、こういう庭園造りの思想があればこそと思います。

    ★↓は漓江を見下ろす東屋です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22173929/src.html
    ★こちらは長江を見下ろす東屋です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23367130/src.html

  • 痩西湖の水のある風景ばかりに目がいってしまいそうですが、湖の反対側にはこんな庭園もあります。

    痩西湖の水のある風景ばかりに目がいってしまいそうですが、湖の反対側にはこんな庭園もあります。

  • ここから丸い入り口を通っていきます。<br />額には「徐園」とあります。<br /><br />このような丸い入り口とか丸い窓というのは、中国ではたくさんありますね。確か縁起が良いとか。また、これから見るものや風景などを、丸く切り取って見るという意味もあるようです。<br /><br />さぁ、どんなところなのか入ってみましょう。

    ここから丸い入り口を通っていきます。
    額には「徐園」とあります。

    このような丸い入り口とか丸い窓というのは、中国ではたくさんありますね。確か縁起が良いとか。また、これから見るものや風景などを、丸く切り取って見るという意味もあるようです。

    さぁ、どんなところなのか入ってみましょう。

  • これが「徐園」です。ここは1911〜1912年の辛亥革命のころ、「徐宝山」という軍閥がここを使用したと言われています。こんなところで優雅なモンですね〜(^o^)<br /><br />ある人は中国の庭園は、歩いて、見て楽しむと言います。それに対して、日本の庭園はお座敷から眺めて楽しむものが圧倒的に多いと言われます。どちらの形であれ、ちょっとお庭があったら簡単な庭園を造ってみると良いですね。

    これが「徐園」です。ここは1911〜1912年の辛亥革命のころ、「徐宝山」という軍閥がここを使用したと言われています。こんなところで優雅なモンですね〜(^o^)

    ある人は中国の庭園は、歩いて、見て楽しむと言います。それに対して、日本の庭園はお座敷から眺めて楽しむものが圧倒的に多いと言われます。どちらの形であれ、ちょっとお庭があったら簡単な庭園を造ってみると良いですね。

  • 先ほど見た春波橋です。<br /><br />山をつくっている石は、あの个園の「秋の景」の築山に使っている石に似ていますね。

    先ほど見た春波橋です。

    山をつくっている石は、あの个園の「秋の景」の築山に使っている石に似ていますね。

  • この赤い橋を渡りますと、人口島である「小金山」に入ります。<br /><br />チョット渡ってみたい橋でしたが、なんせガイドさんの傍についていってご説明も聞かなければなりませんから。そんな余裕はなかったですね。<br />後で知ったことですが、小金山は痩西湖の重要な場所でもあったんですよ。

    この赤い橋を渡りますと、人口島である「小金山」に入ります。

    チョット渡ってみたい橋でしたが、なんせガイドさんの傍についていってご説明も聞かなければなりませんから。そんな余裕はなかったですね。
    後で知ったことですが、小金山は痩西湖の重要な場所でもあったんですよ。

  • 「あれに見えますのは釣魚台でございます」<br /><br />エエッ!?? あれが釣魚台??<br />中国の釣魚台と言えば,外国の国王ほか皇室とか、大統領とか、総理大臣が泊まるところでしょ? 確かに、あそこなら要人警護もしやすいし、首脳同士が差しで話し合うにはちょうど良い大きさかもね?<br />いや〜、初めて見た釣魚台にビックリでした!!<br /><br />ところがね、ガイドさんの話は全然違うんですね。<br />確かに清代の皇帝だった乾隆帝がここを好んだように、皇帝などの要人が来るところでしたけど、首脳同士の会談ではなくて、ここで魚を釣るんだそうです。<br />あの有名な釣魚台は北京にあるそうです(^^;)<br /><br />とにかく、あんなものを作らなくても、小舟に乗って釣りをした方が楽しいじゃんね。海じゃないから、大きな波がたつわけでもないしね〜。<br /><br />★↓は北京の釣魚台です。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=39.917258,116.326547&amp;spn=0.012475,0.01193&amp;iwloc=0004d21dd0fad5d348e57<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    「あれに見えますのは釣魚台でございます」

    エエッ!?? あれが釣魚台??
    中国の釣魚台と言えば,外国の国王ほか皇室とか、大統領とか、総理大臣が泊まるところでしょ? 確かに、あそこなら要人警護もしやすいし、首脳同士が差しで話し合うにはちょうど良い大きさかもね?
    いや〜、初めて見た釣魚台にビックリでした!!

    ところがね、ガイドさんの話は全然違うんですね。
    確かに清代の皇帝だった乾隆帝がここを好んだように、皇帝などの要人が来るところでしたけど、首脳同士の会談ではなくて、ここで魚を釣るんだそうです。
    あの有名な釣魚台は北京にあるそうです(^^;)

    とにかく、あんなものを作らなくても、小舟に乗って釣りをした方が楽しいじゃんね。海じゃないから、大きな波がたつわけでもないしね〜。

    ★↓は北京の釣魚台です。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=39.917258,116.326547&spn=0.012475,0.01193&iwloc=0004d21dd0fad5d348e57

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 遊覧船が行きます。<br /><br />お客さんを降ろしてきたのでしょうね。お客は乗ってませんねぇ。<br />それはどうでもいいのですが、<br />これって、龍が本当に泳いでいるように見えませんか?<br />これはよく考えたと思います(~o~)

    遊覧船が行きます。

    お客さんを降ろしてきたのでしょうね。お客は乗ってませんねぇ。
    それはどうでもいいのですが、
    これって、龍が本当に泳いでいるように見えませんか?
    これはよく考えたと思います(~o~)

  • ↑の地図にある「白塔」の近くに来ました。<br />べつに白塔へいくわけではないのですけど、五亭橋に行くにはこの橋を渡っていきます。<br /><br />痩西湖にはたくさんの橋がありますが、普通の平たい低い橋は少ないみたいです。<br />多くは太鼓橋の形をとり、このように真ん中が高くなっています(あるいは築山を渡したり)。<br /><br />この橋は「藕香橋」という名が付けられています。

    ↑の地図にある「白塔」の近くに来ました。
    べつに白塔へいくわけではないのですけど、五亭橋に行くにはこの橋を渡っていきます。

    痩西湖にはたくさんの橋がありますが、普通の平たい低い橋は少ないみたいです。
    多くは太鼓橋の形をとり、このように真ん中が高くなっています(あるいは築山を渡したり)。

    この橋は「藕香橋」という名が付けられています。

  • 今度はこんな建物が見えてきました。<br />これは鳧荘(ふそう)と言われ、宴会場とのことです。皇帝などが来たときの為の宴会場でしょうか?<br /><br />手前を見ると水際ぎりぎりに造れられているようですが、向こう側は水面上に造られていますね。<br />このような様子を見ますと、中国の庭園文化は水との関係が非常に深いですね。<br /><br />中国の都が北の方にあった時代には、皇帝達は良く揚子江沿いの水の豊かなところへ好んで来たようです。この痩西湖にも何度か来ているようで、乾隆帝もその一人だったようです。 皇帝が来ると、何かを要望したり尋ねたりしますから、もてなしも含めていろいろなものを建設することになりますね。<br />痩西湖では、白塔とか五亭橋、釣魚台なんかがそうだと言われていますし、それ以外のものも造られていると思いますね。<br /><br />★乾隆帝の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E9%9A%86%E5%B8%9D

    今度はこんな建物が見えてきました。
    これは鳧荘(ふそう)と言われ、宴会場とのことです。皇帝などが来たときの為の宴会場でしょうか?

    手前を見ると水際ぎりぎりに造れられているようですが、向こう側は水面上に造られていますね。
    このような様子を見ますと、中国の庭園文化は水との関係が非常に深いですね。

    中国の都が北の方にあった時代には、皇帝達は良く揚子江沿いの水の豊かなところへ好んで来たようです。この痩西湖にも何度か来ているようで、乾隆帝もその一人だったようです。 皇帝が来ると、何かを要望したり尋ねたりしますから、もてなしも含めていろいろなものを建設することになりますね。
    痩西湖では、白塔とか五亭橋、釣魚台なんかがそうだと言われていますし、それ以外のものも造られていると思いますね。

    ★乾隆帝の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E9%9A%86%E5%B8%9D

  • とっても変わった建物が見えてきました。<br /><br />ガイドさんの話によれば、痩西湖最大のポイントで、「五亭橋」と言うようです。<br />橋というには、「??」と言う形をしていますが、そこはまあ良いでしょう。もうちょっと近づいてみましょう。

    とっても変わった建物が見えてきました。

    ガイドさんの話によれば、痩西湖最大のポイントで、「五亭橋」と言うようです。
    橋というには、「??」と言う形をしていますが、そこはまあ良いでしょう。もうちょっと近づいてみましょう。

  • 五亭橋の正面にやってきました。<br /><br />五亭橋と言われるように、東屋のような建物が前に2つ、後ろにも2つ真ん中に1つあります。<br />これは、橋というより湖上の城みたいですね。

    五亭橋の正面にやってきました。

    五亭橋と言われるように、東屋のような建物が前に2つ、後ろにも2つ真ん中に1つあります。
    これは、橋というより湖上の城みたいですね。

  • 私たちは痩西湖のことなど何にも知らずに来たのですけど、樹々の向こうに大きな仏舎利塔のあるのを見つけました。<br />これは何じゃい?? こんなところに大きな寺院でもあったかな?とも思いましたが、詳しいことは分かりませんでした。<br /><br />★仏舎利塔の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%88%8E%E5%88%A9%E5%A1%94

    私たちは痩西湖のことなど何にも知らずに来たのですけど、樹々の向こうに大きな仏舎利塔のあるのを見つけました。
    これは何じゃい?? こんなところに大きな寺院でもあったかな?とも思いましたが、詳しいことは分かりませんでした。

    ★仏舎利塔の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%88%8E%E5%88%A9%E5%A1%94

  • 五亭橋から見た釣魚台方向です。<br /><br />釣魚台の後ろは、「小金山」という人口島とのことです。<br />小金山という名は、ある逸話によれば揚州から見て対岸側にある鎮江市の高さ50mほどの「金山」と言う名山に因んでいるとか。その山には「金山寺」という立派なお寺もあり、その金山の名に「小」を付けて揚州の痩西湖に取り入れたというのです。<br /><br />上にも述べましたように、この小金山には「風亭」「吹台」「琴室」「木製書斎」「碁室」「月観」などといった建物が集中しているそうです。<br /><br />★↓は痩西湖の小金山のあるところです。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.409698,119.420566&amp;spn=0.003433,0.003101&amp;iwloc=0004d1ad4456af44033f5<br />★↓は鎮江市の「金山」のあるところです。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.216768,119.411538&amp;spn=0.00344,0.003101&amp;iwloc=0004d1d6203aed4a19e31

    五亭橋から見た釣魚台方向です。

    釣魚台の後ろは、「小金山」という人口島とのことです。
    小金山という名は、ある逸話によれば揚州から見て対岸側にある鎮江市の高さ50mほどの「金山」と言う名山に因んでいるとか。その山には「金山寺」という立派なお寺もあり、その金山の名に「小」を付けて揚州の痩西湖に取り入れたというのです。

    上にも述べましたように、この小金山には「風亭」「吹台」「琴室」「木製書斎」「碁室」「月観」などといった建物が集中しているそうです。

    ★↓は痩西湖の小金山のあるところです。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.409698,119.420566&spn=0.003433,0.003101&iwloc=0004d1ad4456af44033f5
    ★↓は鎮江市の「金山」のあるところです。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.216768,119.411538&spn=0.00344,0.003101&iwloc=0004d1d6203aed4a19e31

  • 先ほど見た「鳧荘(ふそう)」です。<br />こちら側から見ますと、水面の上に立てられていることがよく分かります。<br />水面上で宴会をするなんて、何という贅沢でしょうか!!<br /><br />あの土台の作りは、建設された当時の形なのでしょうか? <br />何となくコンクリート造ってしまったような気がします。 この建物がいつの時代に建てられ、最後の修理がいつなのか?と問いたくなるような出来栄え?ですね。<br /><br />★↓は豫園での水上の建物です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12966126/src.html<br />★↓は、鳧荘とはだいぶ違いますけど、水の上に建てられたシュノンソー城です。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC%E5%9F%8E

    先ほど見た「鳧荘(ふそう)」です。
    こちら側から見ますと、水面の上に立てられていることがよく分かります。
    水面上で宴会をするなんて、何という贅沢でしょうか!!

    あの土台の作りは、建設された当時の形なのでしょうか? 
    何となくコンクリート造ってしまったような気がします。 この建物がいつの時代に建てられ、最後の修理がいつなのか?と問いたくなるような出来栄え?ですね。

    ★↓は豫園での水上の建物です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/12966126/src.html
    ★↓は、鳧荘とはだいぶ違いますけど、水の上に建てられたシュノンソー城です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC%E5%9F%8E

  • 五亭橋を渡り終えたところで、振り返って写真を撮ってみました。<br />反対側からの写真と見比べても、殆ど同じですね。<br /><br />この五亭橋も乾隆帝が造らせたようです。一説では、1757年に乾隆帝が揚州に立ち寄る際に造られたとのことです。<br /><br />また五亭橋が5つの東屋(亭)によって造られている様子が、蓮の花のようだというわけで、「蓮花橋」という話もあるようです。<br /><br />★五亭橋をGoogle mapの航空写真でご覧下さいね。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.409614,119.416205&amp;spn=0.001755,0.00158&amp;iwloc=0004d1d215849577361a8

    五亭橋を渡り終えたところで、振り返って写真を撮ってみました。
    反対側からの写真と見比べても、殆ど同じですね。

    この五亭橋も乾隆帝が造らせたようです。一説では、1757年に乾隆帝が揚州に立ち寄る際に造られたとのことです。

    また五亭橋が5つの東屋(亭)によって造られている様子が、蓮の花のようだというわけで、「蓮花橋」という話もあるようです。

    ★五亭橋をGoogle mapの航空写真でご覧下さいね。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.409614,119.416205&spn=0.001755,0.00158&iwloc=0004d1d215849577361a8

  • 五亭橋をバックに、お友達の記念写真を・・<br /><br />そうそう、ここで撮らなくちゃ来た甲斐がないですからね(^O^)

    五亭橋をバックに、お友達の記念写真を・・

    そうそう、ここで撮らなくちゃ来た甲斐がないですからね(^O^)

  • 私たちも撮って頂きました(^^)

    私たちも撮って頂きました(^^)

  • 今度はカミさん一人で・・(~o~)<br /><br />向こうの方に「白塔(仏舎利塔)」が見えます。<br />この白塔は、清代の皇帝である乾隆帝が造らせたといわれています。<br />その辺の話はいろいろありますが、その1つには乾隆帝が地元の役人に 「揚州に白塔はあるか」と尋ねたのがきっかけだったとか。<br /><br />痩西湖と乾隆帝とのつながりは、結構あるようですね。

    今度はカミさん一人で・・(~o~)

    向こうの方に「白塔(仏舎利塔)」が見えます。
    この白塔は、清代の皇帝である乾隆帝が造らせたといわれています。
    その辺の話はいろいろありますが、その1つには乾隆帝が地元の役人に 「揚州に白塔はあるか」と尋ねたのがきっかけだったとか。

    痩西湖と乾隆帝とのつながりは、結構あるようですね。

  • 陽もだいぶ落ちてきました。<br />痩西湖のハイライトの五亭橋をと夕陽をバックに記念写真であります(^-^)<br /><br />个園は個人の庭園でしたが、こちらは皇帝などが大いに関わった言わば公の庭園(公園)ですから、農民など当時の普通の人々もここに来て、この景色を眺め得ただろうかという想いが胸をよぎります。

    陽もだいぶ落ちてきました。
    痩西湖のハイライトの五亭橋をと夕陽をバックに記念写真であります(^-^)

    个園は個人の庭園でしたが、こちらは皇帝などが大いに関わった言わば公の庭園(公園)ですから、農民など当時の普通の人々もここに来て、この景色を眺め得ただろうかという想いが胸をよぎります。

  • こんな建物も・・。<br /><br />実は,あの黄鶴楼の李白の詩に「故人西辞黄鶴楼 煙火三月下揚州。孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。」のがあったのですね。<br /><br />これは山々が花に霞む3月(太陽暦では4月)、船で揚州に向けて去っていく孟浩然を李白が見送った詩なんですね。およそ1300年ほども前のことです。<br />黄鶴楼で知ったことが、揚州に繋がっていたなんてビックリ!!それこそ旅の面白さですね〜(^_^)<br />揚州が豊になり、多く交易が行われるようになったのは、孟浩然が揚州に下る少し以前からのこと。孟浩然は水の都揚州でどんな詩を詠んだのでしょうか。<br /><br />★↓は李白の詩が書かれている様子です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/25173537/ <br />写真を拡大してみて下さい。また,コメントを見て下さっても良いです。

    こんな建物も・・。

    実は,あの黄鶴楼の李白の詩に「故人西辞黄鶴楼 煙火三月下揚州。孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。」のがあったのですね。

    これは山々が花に霞む3月(太陽暦では4月)、船で揚州に向けて去っていく孟浩然を李白が見送った詩なんですね。およそ1300年ほども前のことです。
    黄鶴楼で知ったことが、揚州に繋がっていたなんてビックリ!!それこそ旅の面白さですね〜(^_^)
    揚州が豊になり、多く交易が行われるようになったのは、孟浩然が揚州に下る少し以前からのこと。孟浩然は水の都揚州でどんな詩を詠んだのでしょうか。

    ★↓は李白の詩が書かれている様子です。
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/25173537/ 
    写真を拡大してみて下さい。また,コメントを見て下さっても良いです。

  • 歩道脇の土手側でカモが休憩していました。<br /><br />痩西湖は水質の向上にも、努力しているようです。こういう鳥が住むと言うことは、その意味では良いことですね。

    歩道脇の土手側でカモが休憩していました。

    痩西湖は水質の向上にも、努力しているようです。こういう鳥が住むと言うことは、その意味では良いことですね。

  • この白い橋を渡りますよ。<br />この橋は「玉抜&#26725;」です。<br /><br />私たちは行かなかったのですが、もう少し奥の方へ行きますと、この橋とほぼ同じ形の「二十四橋」というのがあるようです。中国ではほかにもこのような形の橋を見たことがありますが、このような形の橋は一般には「太鼓橋」と言われることが多いですね。

    この白い橋を渡りますよ。
    この橋は「玉抜桥」です。

    私たちは行かなかったのですが、もう少し奥の方へ行きますと、この橋とほぼ同じ形の「二十四橋」というのがあるようです。中国ではほかにもこのような形の橋を見たことがありますが、このような形の橋は一般には「太鼓橋」と言われることが多いですね。

  • 小金山の中の歩道上に、小石を並べて描いた「鯉?」がいました。

    小金山の中の歩道上に、小石を並べて描いた「鯉?」がいました。

  • 帰り道の途上にある徐園にやってきました。<br /><br />「“痩西湖之春” 国画展」<br /><br />行く時も遠くから見えていたのですが、痩西湖を描いた絵の展覧会でも開催されるのでしょうか?<br />で、”国画”って何のことって思いますよね。それは、清代末期以後移入されてきた西洋画に対して、中国本来の絵画を「国画」と言うようです。そこには山紫水明の絵が多いようですね。それを日本的に言えば「日本画」ということになるそうです。<br /><br />ですから、ここでは中国の「国画」の展覧会をやっているのですね。きっとビックリするような美しい絵が見られると思いますよ。是非見たかったですね。<br />私たちが「中国の絵」と思って見る絵は、国画の部類になるかも知れませんね。

    帰り道の途上にある徐園にやってきました。

    「“痩西湖之春” 国画展」

    行く時も遠くから見えていたのですが、痩西湖を描いた絵の展覧会でも開催されるのでしょうか?
    で、”国画”って何のことって思いますよね。それは、清代末期以後移入されてきた西洋画に対して、中国本来の絵画を「国画」と言うようです。そこには山紫水明の絵が多いようですね。それを日本的に言えば「日本画」ということになるそうです。

    ですから、ここでは中国の「国画」の展覧会をやっているのですね。きっとビックリするような美しい絵が見られると思いますよ。是非見たかったですね。
    私たちが「中国の絵」と思って見る絵は、国画の部類になるかも知れませんね。

  • これも、行くときに見た「春波橋」です。<br />東屋の名前までは分かりませんが、とても良いところなのでカミさんを入れて記念写真を撮りました。<br /><br />中国の庭園はとにかく歩かせますね。もっとも日本の庭園でも大きな公園では、結構歩きます。高松の栗林公園などはたくさんの池を造って,水に映る光景を楽しませてくれていますね。

    これも、行くときに見た「春波橋」です。
    東屋の名前までは分かりませんが、とても良いところなのでカミさんを入れて記念写真を撮りました。

    中国の庭園はとにかく歩かせますね。もっとも日本の庭園でも大きな公園では、結構歩きます。高松の栗林公園などはたくさんの池を造って,水に映る光景を楽しませてくれていますね。

  • 只今は痩西湖の出口に向かっています。<br />痩西湖ともお別れになるんですから、記念写真を撮っておかなくちゃね!!

    只今は痩西湖の出口に向かっています。
    痩西湖ともお別れになるんですから、記念写真を撮っておかなくちゃね!!

  • 痩西湖の門前広場で客を待つ人。<br />「三輪自転車タクシー」といった感じですね。<br />これなら、ラクですね。<br /><br />客を待つ人の姿は、私たちの昭和30年代の労働者の風体に似ています(^^)<br />上着は会社支給の作業着で、胸に会社のマークが入っていましたね。それを通勤でも着ていたモンです(~o~) 作業用とは区別していましたから、あんなにヨタヨタではなかったですけど・・。<br />青いジーンズ風のズボンはなかったです(^^)普通のズボンでしたね。 あの帽子も、定年前10年は色形共に、私たちが被っていた帽子にそっくりです(その前は、紺色の帽子でした)。<br />なんせ、現場労働者でしたからね!(^^)!<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

    痩西湖の門前広場で客を待つ人。
    「三輪自転車タクシー」といった感じですね。
    これなら、ラクですね。

    客を待つ人の姿は、私たちの昭和30年代の労働者の風体に似ています(^^)
    上着は会社支給の作業着で、胸に会社のマークが入っていましたね。それを通勤でも着ていたモンです(~o~) 作業用とは区別していましたから、あんなにヨタヨタではなかったですけど・・。
    青いジーンズ風のズボンはなかったです(^^)普通のズボンでしたね。 あの帽子も、定年前10年は色形共に、私たちが被っていた帽子にそっくりです(その前は、紺色の帽子でした)。
    なんせ、現場労働者でしたからね!(^^)!

    (Nさんご提供の御写真です)

  • 写真がちょっとボケてしまいましたが、个園に向かう途中にチラリとだけ見えた&#25196;州文昌&#38401;が全体の姿を見せてくれました。屋根は四望閣の八角形と違って丸い形ですね。<br />先に、文昌閣は学問を司る神を祀るとお話ししましたが、なぜ学問に拘ったのか?といえば、科挙に合格するためだったと言われています。<br /><br />それにしても、道路の真ん中というは交通の邪魔ですね。<br />しかし、大陸では道路の真ん中とか、交差点の真ん中に史跡があるという例が良くありますね。<br /><br />★文昌閣の場所は↓にて<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.396432,119.428382&amp;spn=0.003433,0.002983&amp;iwloc=0004d10c8307c169ddd79

    写真がちょっとボケてしまいましたが、个園に向かう途中にチラリとだけ見えた扬州文昌阁が全体の姿を見せてくれました。屋根は四望閣の八角形と違って丸い形ですね。
    先に、文昌閣は学問を司る神を祀るとお話ししましたが、なぜ学問に拘ったのか?といえば、科挙に合格するためだったと言われています。

    それにしても、道路の真ん中というは交通の邪魔ですね。
    しかし、大陸では道路の真ん中とか、交差点の真ん中に史跡があるという例が良くありますね。

    ★文昌閣の場所は↓にて
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.396432,119.428382&spn=0.003433,0.002983&iwloc=0004d10c8307c169ddd79

  • 現在時刻は、午後6時15分です。<br /><br />だいぶ陽が落ちてきましたが、アパートで電気のついている家庭は少ないですね。

    現在時刻は、午後6時15分です。

    だいぶ陽が落ちてきましたが、アパートで電気のついている家庭は少ないですね。

  • 「公交施救車」と書いた車を見つけましたので、急いで撮りました。<br /><br />「施救」とは、救うことを施すこと?<br />ま、詳しいことは分かりません。ご存知の方、教えて下さいね。<br />

    「公交施救車」と書いた車を見つけましたので、急いで撮りました。

    「施救」とは、救うことを施すこと?
    ま、詳しいことは分かりません。ご存知の方、教えて下さいね。

  • だいぶ陽が落ちてきて、街は夕暮れに包まれてきましたね。<br /><br />屋上の太陽熱温水器ですが、中国ではチョクチョク見ますね。<br />温水器の利用はとっても良いと思いますね。今では給湯のほか冷暖房も出来る太陽熱温水器もあるとか。太陽光発電も良いですが、冬でも50°ほどのお湯の沸く太陽熱温水器の普及も、これからの環境改善に関して考える価値が大きいですね。<br />我が家も考えると良いのですが、屋根への日照時間が短いので効果はかなり限定されそう(-_-;) なので、考えていません(=_=)<br /><br />それと、だいぶ暗くなっているのに、どの家も灯りが点っていませんね。<br />どうしてでしょうかね? 残業なのか? 空き家なのか?余計な詮索をしてしまいました。

    だいぶ陽が落ちてきて、街は夕暮れに包まれてきましたね。

    屋上の太陽熱温水器ですが、中国ではチョクチョク見ますね。
    温水器の利用はとっても良いと思いますね。今では給湯のほか冷暖房も出来る太陽熱温水器もあるとか。太陽光発電も良いですが、冬でも50°ほどのお湯の沸く太陽熱温水器の普及も、これからの環境改善に関して考える価値が大きいですね。
    我が家も考えると良いのですが、屋根への日照時間が短いので効果はかなり限定されそう(-_-;) なので、考えていません(=_=)

    それと、だいぶ暗くなっているのに、どの家も灯りが点っていませんね。
    どうしてでしょうかね? 残業なのか? 空き家なのか?余計な詮索をしてしまいました。

  • 遠くの方に、発電所の煙突と冷却塔が見えています。<br /><br />この冷却塔には悩まされました。<br />日本の原発では見られない冷却塔ですが、スリーマイル島原発で知った冷却塔が頭の奥にこびりついていましたから、揚州に限らず街の傍に原発がある!!なんて、早合点してしまいましたよ。<br />中国は国土が広いですから、内陸部の火力発電所ではこのような冷却塔を持つ事例が多いようですね。<br /><br />★↓は冷却塔のない火力発電所(中部電力渥美火力発電所。出力190万kW)<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23854954/src.html <br />★冷却塔の詳しいことは↓にて<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E5%8D%B4%E5%A1%94 <br />★↓はこの発電所のあるところです。<br />https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&amp;msa=0&amp;ll=32.431357,119.475385&amp;spn=0.007136,0.006748&amp;iwloc=0004ac6a202158749e1d7

    遠くの方に、発電所の煙突と冷却塔が見えています。

    この冷却塔には悩まされました。
    日本の原発では見られない冷却塔ですが、スリーマイル島原発で知った冷却塔が頭の奥にこびりついていましたから、揚州に限らず街の傍に原発がある!!なんて、早合点してしまいましたよ。
    中国は国土が広いですから、内陸部の火力発電所ではこのような冷却塔を持つ事例が多いようですね。

    ★↓は冷却塔のない火力発電所(中部電力渥美火力発電所。出力190万kW)
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/23854954/src.html 
    ★冷却塔の詳しいことは↓にて
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E5%8D%B4%E5%A1%94 
    ★↓はこの発電所のあるところです。
    https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215057171961161454984.0004ac69971fc58f392d3&msa=0&ll=32.431357,119.475385&spn=0.007136,0.006748&iwloc=0004ac6a202158749e1d7

  • ようやく船へ帰ってきました。<br />船の方ではベランダの灯りを全て点けて、満艦飾の感じで待っていてくれました。<br />こんな明るい様子を見るのは初めてでしたよ。<br /><br />揚州観光は、バスで走っている時間(約1.5時間)」も含めて約3時間半強の観光という、やや強行軍となってしまいました。个園の抱山楼も見たかったですし、痩西湖も五亭橋止まりでなく、せめて二十四橋までは行きたかったです。小金山とか徐園の「国画展」も見たかったですね。<br /><br />でも、揚州にこのようなところのあることを知ることが出来ただけでも、私にとっては大いなる収穫だと思っています。

    ようやく船へ帰ってきました。
    船の方ではベランダの灯りを全て点けて、満艦飾の感じで待っていてくれました。
    こんな明るい様子を見るのは初めてでしたよ。

    揚州観光は、バスで走っている時間(約1.5時間)」も含めて約3時間半強の観光という、やや強行軍となってしまいました。个園の抱山楼も見たかったですし、痩西湖も五亭橋止まりでなく、せめて二十四橋までは行きたかったです。小金山とか徐園の「国画展」も見たかったですね。

    でも、揚州にこのようなところのあることを知ることが出来ただけでも、私にとっては大いなる収穫だと思っています。

  • 今夜のディナーです。<br />メニューがずれていて、ちょっと分かりつらいですが、まぁこんな料理が出ておるのであります。<br /><br />今日の揚州で見たものは、先ずはゴミひとつ無い綺麗な街角でした。こんなに綺麗な街は初めてでした。山形の屋根を模ったバス停や、ビルにも瓦屋根を採用したり、街角にゴミ箱があったりと、街全体が創意と活気があるようにみえましたね。<br />それと、屋根に見えた日本の「うだつ」そっくりのもの(^^) 親近感を感じましたよ。<br /><br />その次が、お目当ての2つの庭園でした。<br />以前もどこかで書きましたが、歴史や名所を訪ねるということは、大体において貴族や金持ちなど造った建物や施設なんですね。<br />庶民にとっては決して豊かな時代ではないときに、貴族らがあの美しい庭園を造り楽しもうとして(とくに乾隆帝の鶴の一声で)、どれほどの税とカネと労役が使われたのか?そんな想いがアタマの隅っこにフッと浮かんで来るのです。<br />しかし、それらが時代や美術史の証人として今に残されて来たことも、確かな事実なんですね。<br /><br />その時々の庶民の意志を歴史に残す。<br />それは、今でもなかなか難しいことですね。庶民が何かを残す努力をしておかないと、これからも指導層や金持ちの遺跡や書き物だけが残り、それが美しく語られていくことになりかねませんね。<br /><br />そんなことを感じた、庭園見物でした。<br />明日は中国の新幹線に乗って、蘇州を訪ねます。<br /><br />(その20に続きます)<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10762423/

    今夜のディナーです。
    メニューがずれていて、ちょっと分かりつらいですが、まぁこんな料理が出ておるのであります。

    今日の揚州で見たものは、先ずはゴミひとつ無い綺麗な街角でした。こんなに綺麗な街は初めてでした。山形の屋根を模ったバス停や、ビルにも瓦屋根を採用したり、街角にゴミ箱があったりと、街全体が創意と活気があるようにみえましたね。
    それと、屋根に見えた日本の「うだつ」そっくりのもの(^^) 親近感を感じましたよ。

    その次が、お目当ての2つの庭園でした。
    以前もどこかで書きましたが、歴史や名所を訪ねるということは、大体において貴族や金持ちなど造った建物や施設なんですね。
    庶民にとっては決して豊かな時代ではないときに、貴族らがあの美しい庭園を造り楽しもうとして(とくに乾隆帝の鶴の一声で)、どれほどの税とカネと労役が使われたのか?そんな想いがアタマの隅っこにフッと浮かんで来るのです。
    しかし、それらが時代や美術史の証人として今に残されて来たことも、確かな事実なんですね。

    その時々の庶民の意志を歴史に残す。
    それは、今でもなかなか難しいことですね。庶民が何かを残す努力をしておかないと、これからも指導層や金持ちの遺跡や書き物だけが残り、それが美しく語られていくことになりかねませんね。

    そんなことを感じた、庭園見物でした。
    明日は中国の新幹線に乗って、蘇州を訪ねます。

    (その20に続きます)
    http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/album/10762423/

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  • 白い華さん 2013/01/14 16:32:25
    私・・・が 好き!そう。な ーーー「古都! 揚洲」。。。
    今日は。
    今日は、 東京も 名古屋も・・・大雪!で、 明日の朝が 心配!・・・に なります。

    さて、 カメちゃんの 最新!の 2冊・・・の 旅行記。を 拝見!しておきながら、 なかなか・・・コメントを 入れられず、 今日・・・に なってしまいました。

    23時間・・・の 船旅!で 到着した、「揚洲」って 名前!は 知っていましたが、
    なかなか、 日本人・観光客も 行かない・・・だろうし、
    珍しい〜! レポートに、 「しみじみ、 行ってみたい。 私・・・が 好き!な 歴史と 文化・満載・・・の 都」に、
    憧れ!を 抱かず・・・には いられませんでした。 (笑)

    中国・蘇州・・・の 「歴史・庭園」。 そして、杭州・・・の 「西湖」。その 二つ・・・の いいとこどり。を した、 『 中国の 大昔・・・と 変わらない! 風景 』 が 残っている 土地。って 思い、 拝見!しました。

    「小さな 東屋。そして、 屋根付き!の 小舟・・・が ゆく、 水辺」って まるで・・・、 水墨画の 絵!の  様〜。

    それぞれ・・・、 反り返った!中国風の 建築物。も 風情が あり、
    素敵!ですよね〜。 (♪)

    細い!石造り・・・の 裏通り。も、 いかにも、中国。。。

    私も、 遠い!揚洲・・・には 行かれない。としても、
    中国に 行って、 「歴史と 文化!を 味わう・・・旅」を してみたい。と 改めて、思うのでした。

    最近は、 あんな・・・にも 「パンフレットで 溢れてた! 中国ツアー」が 消えてしまい、 なかなか・・・、 中国ツアー!も 探せない。って 感じ・・・で ビックリ!です。

    両国・・・で、互い!に、 「旅行客の 行き交い」が ない!って 淋しい〜!コト。ですよね。
    カメちゃんは、 良い・・・時期!に、 「長江の クルーズ旅行」に 行ってしまえて、 良かったですよね。
    今年・・・は、 いろいろ、中国ツアー!は 中止・・・が 多い。と おもわれますので。。。

      それでは また

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2013/01/14 18:23:53
    RE: 揚州・蘇州はよいところでした(^^)
    白い華さん こんにちは(^^)

    きょうは各地で雪が積もったようですね。
    先ほどテレビを見ましたら、東京では雪が積もって、夕方の冷えとともに凍り始めているようですね。
    明日朝は凍結路が多い区なりそうだとか。
    白い華さんの地域でも一面の雪景色でしょうね? 私たちの地域では幸いに雪を免れました。

    それにきょうは成人式の日ですね。
    折角の綺麗なお着物が、こんなお天気で足元が滑りそうでは可哀想ですね。

    さて、嬉しいお話を有り難うございます!!(^_^)v
    揚州に来るまでは、過去にせよ現代にせよ、中国の厳しい素顔を見てきましたが、
    ここ揚州に来てからは、がらっと変わって庭園見物となって、旅の雰囲気まで変わってしまいましたよ(^^)

    漓江や長江のクルーズで、川岸の景色を見続けてきましたから、庭園に造られた池や山、そして
    東屋というもので自然の情景を造りだそうという気持ちが何となく分かりますね。
    近くには「黄山」という山の名所もありますしね(^o^) 
    悠久の自然をうたいあげる詩なんかも、中国の知識人を庭園造りに走らせた?なんて
    想像ししちゃいますね〜。

    > 中国に 行って、 「歴史と 文化!を 味わう・・・旅」を してみたい。と 改めて、思うのでした。

    昨秋観てきましたギリシャ・ローマの文化とは180°変わった中国の歴史と文化。
    緊張を感じるギリシャ・ローマの文化と違って、中国の文化は自然のなかに溶け込ませてくれる「何か」を感じますね。
    「どちらが良いのか」と言うより、まさに文化のありようの違いですね。
    磔刑に処されたキリストの像と、ほのかな笑みをたたえる仏陀の像の違いにも似ていますね。

    私もあの中国の水郷地帯で、小舟にでも乗ってノンビリと過ごしてみたいと思います。

    あの尖閣諸島の問題等で、中国にはちょっと行きづらくなりましたね。
    またノンビリと訪ねられるようになるといいですね。
    大きくて、素敵な中国は懐が深いですから、関心を持てば持つほどはまってしまいそうですね(^_^)

    今準備しているのは、蘇州の旅行記です。
    今月中にUPしたいなと思っていますけど、野暮用も多いですからどうなることやら(^_^;)
    また、あそびに来て下さいね。

    久々に???白い華さんとお話出来て、とっても嬉しかったです!!
    有り難うございました。
    カメちゃん
  • ガブリエラさん 2012/12/31 23:19:23
    今年最後に見るのは、カメちゃんの旅行記♪
    カメちゃん☆

    こんばんは♪

    2012の最期を〆る旅行記は、カメちゃんの中国クルーズでしたヽ(^o^)丿
    わーい♪

    キラキラのイルミネーションの船、綺麗ですね!!!
    奥様のにっこり写真、これも素敵ですね(*^_^*)

    来年も、カメちゃんと奥様に会えますように(^_-)-☆
    素敵な年を、おむかえくださいね♪
    来年も、よろしくおねがいいたします(*^_^*)

    ガブ(^_^)v

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2012/12/31 23:49:53
    RE: 今年最後に見るのは、カメちゃんの旅行記♪←←ありがとう!!嬉しいです(^-^)
    ガブちゃん こんばんは〜(^^)

    > 2012の最期を〆る旅行記は、カメちゃんの中国クルーズでしたヽ(^o^)丿
    > わーい♪

    ガブちゃん、ありがとう!!(^_-)!(^^)!
    今年の最後に、この旅行記を見て下さったなんてとっても嬉しいです!!
    感謝!感激!!雨・霰です!!

    > キラキラのイルミネーションの船、綺麗ですね!!!

    長江の旅も最後の方になってきて、船側もサービスしてくれたんですね!!
    船というのは、いろいろな設備や機能を持っていますから、その点は面白いですね!!

    いつかはガブちゃんと船に乗るのも良いかなと思いますよ
    そう、あの伊勢湾クルーズなんか日帰りで乗れますからいいかもね。

    > 奥様のにっこり写真、これも素敵ですね(*^_^*)

    ありがとうございます!!
    チョットカミさんを撮り過ぎちゃったかな?と思いますけど・・(~o~)
    まぁね、記念ですからね(^O^)

    > 来年も、カメちゃんと奥様に会えますように(^_-)-☆

    今日もカミさんと話していたんですよ。
    「来年もガブちゃんと会えるといいね」
    ってね。カミさんも会いたいと言っていますよ!!(^^)
    お互いに声を掛け合って、お会いする機会を作れたらいいですね。

    > 素敵な年を、おむかえくださいね♪
    > 来年も、よろしくおねがいいたします(*^_^*)

    嬉しいお話をありがとう!!
    ガブちゃんも希望に満ちた年を迎えて下さいね!!
    もちろん!健康第一でね!!
    来年は、私も今年以上に頑張りたいと思っていますよ〜〜!(^^)!(^_^)v

    ガブちゃんと今年最後のお話が出来て、とっても嬉しかったです(^-^)(^_^)v

    ぼつぼつカウントダウンだね!(^^)!

    じゃ、またね(^^)
    カメちゃん

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