2011/11/07 - 2011/11/07
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naniwa ladyさん
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4年まえ飛鳥へ行きました。(2007・12”大和は国のまほろば、古墳めぐり”参照)、そしてまたまた飛鳥へ。今度は以前より少し北、甘樫丘方面です。今回も歴史に詳しい方に案内していただきました。
古代の風に吹かれて散策を楽しみました。
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近鉄橿原線に乗って、橿原神宮前東出口より国道124号線を東へと歩いて行きます。
コンビニの奥にこんもりとした森が見えました。これは厩坂寺の跡だとの説があるそうです。
厩坂寺は平城京に移されて興福寺となりました。奈良時代最も権力を持っていた藤原氏の氏寺です。ここは石川町小字ウラン坊という地名です。 -
124号線を歩いて行くと池が現れます。ここは石川池ですが、この中にあるのは第8代天皇孝元天皇の御陵です。この御陵の回りの池、見えにくいですが、白い杭の内側は剣池と呼ばれています。
第1代天皇から11代まではいなかったとも言われていますね。 -
このような万葉集の歌碑がありました。
”鴨でさえも1人で寝ることはないのに”と歌っていますが、この飛鳥時代は一夫多妻制で、妻たちは別々に暮らしていたそうで、このような夫を待つ歌が多いです。寂しい、哀しい歌ですね。 -
住宅街と手前のほうれん草畑、その間の道は明日香村との境界です。明日香村は開発から護られ、新興住宅は建てられていません。
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のどかな風景は明日香村の人たちの心意気によって開発から護られています。
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でもだんだんと耕作されない土地が増え、セイタカアワダチソウのような雑草がのさばってきているのも事実です。
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甘樫丘地区公園に来ました。
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イチョウではないですねぇ、何の木か、見事な木です。
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甘樫丘の頂上に来ました。ほぼ360度近い視界が広がっています。とっても素晴らしい景色です。今日はここでお弁当を広げます。いい景色を見ながらのお弁当、おいしかったです。
手前に見える山は大和三山の1つ、畝傍山です。そしてその向こうのこぶが2つある山が二上山です。
”うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む”(大伯皇女) -
あの三角形の可愛い山は耳成山です。あの耳成山の南側に藤原京がありました。そして藤原京は北へ、平城京へと移されていきます。遷都の理由は色々ありますが、天皇がおわす北の位置が低かったとも、排水の問題などもあったようです。
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大和三山の最後は、香具山です。天の香具山というとおり、万葉集では香具山が一番詠まれており、天のと言われているのも香具山のみです。
”春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山”(持統天皇)
”大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち・・・”(舒明天皇)
香具山が最高だと詠まれています。 -
甘樫丘、西側は大和三山、それに囲まれた藤原京、そして東側には飛鳥京がありました。
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甘樫丘の東側です。遠くに日本最古の寺、飛鳥寺が見えます。
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飛鳥寺の南に、飛鳥京がありました。今は水田になっています。そして飛鳥京から藤原京、平城京、長岡京、平安京と都は移っていきます。
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犬養孝さんが最初に揮毫した万葉集の歌です。明日香を護るために揮毫されました。
”采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く”(志貴皇子) -
飛鳥水落遺跡です。
660年水時計によって時刻を知らせたとの記述が日本書紀にあり、ここにその建物の遺構(柱の穴)が出てきました。 -
この水田のところに飛鳥京の迎賓館があったそうですが。。。
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飛鳥寺です。
538年とも552年とも言われていますが、仏教伝来によって日本で最初に建てられたお寺が、飛鳥寺です。蘇我馬子が発願し推古天皇の創建ですが、火災によって焼失し現存のものは江戸時代のものです。 -
飛鳥寺の前には、蘇我の入鹿の首塚があります。
大化の改新で討たれた入鹿の首がここまで飛んだ??? -
この飛鳥寺が建つまでは日本には瓦がありませんでした。日本ではじめて瓦が渡来人によって造られました。その瓦は今奈良の元興寺にあります。
平城京遷都によって、厩坂寺は興福寺に、飛鳥寺は元興寺になりました。 -
飛鳥寺のご本尊、日本最古の仏像、飛鳥大仏、釈迦如来です。法隆寺の釈迦三尊像のお顔に良く似ています。やはり眼が杏型で特徴的ですね。顔の汚れのようなものは江戸時代の修理のあとです。
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金堂前には日本最古の礎石が3個残っています。この上に一本柱を置いて建物をささえ、上には重い瓦を置くという礎石建物という建築様式です。これは中国の建築様式で、それまでの日本の建築様式は土に柱をそのまま埋め込む掘ったて柱建築でした。
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万葉文化館に来ました。
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ここでは銅の鋳造もされていたようで、この万葉文化館はその遺構の上に建てられています。
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伝飛鳥板葺宮跡へ来ました。飛鳥宮があったところ、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討った大化の改新の舞台です。遺構はこの土の下に埋め戻されて保存されているそうですが、このような石が敷き詰められていたそうです。本物は土の中に。。。
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蘇我馬子のお墓と言われている、石舞台古墳です。
右側と左側の天井の石、右側(南)が77トン、左(北)が64トンだそうです。奥の方の石が重いんですね。 -
石の文化は南米など全世界にありますが、日本でもひけをとりません。中に入っていきます。
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石舞台の中、ここにお棺が置かれていたんですね。
左右対称に大きな石が積み上げられています。3つ、4つ、3つかな、そして天井に2つの大きい石を置いて蓋をした。。。 -
石棺です。あの蓋の厚さが分厚いほど古いそうです。
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石舞台古墳、昔の技術はすごかったと本当にいつもながら驚かされます。
今回は甘樫丘、飛鳥寺、飛鳥宮跡、石舞台と回りました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 前日光さん 2011/11/25 23:07:12
- 大好きな飛鳥
- こんばんは、naniwa ladyさん、
京都もいいですが、飛鳥もやっぱり心が落ち着きますね。
見渡す限りの田圃に、かつて飛鳥京の迎賓館があったなんて。。。
とても遙かな思いに満たされます。
歴史の中でも、とりわけ天智・天武・持統といった辺りが好きな私としましては、飛鳥の風景は心に染みます。
犬養先生の「采女の袖吹き返す明日香風。。。」という文字も素敵です。
犬養先生の文字を島根江津市でも見てきたものですから。。。
話は変わりますが、最近、4トラのブログを拝見していますと、所々写真が×になっているところがあって、naniwa ladyさまのも、何枚か見られないものがありました。
どういう加減でこうなってしまうのでしょうか?
とても残念です。
大和三山の写真が×になっていたのです。
今、もう一度シツコク見てみたら、今度はきちんと写っていました。
我が家のパソコンがおかしいのかな?
他のトラベラーさんのも時々そうなってしまいます。
でも、再挑戦したら見られたのでよかったのですが。
また奈良にも行きたいなぁ。
そのうち自由の身になったら、行きますからね。
ではでは〜
前日光
- naniwa ladyさん からの返信 2011/11/26 07:58:49
- RE: 大好きな飛鳥
- 前日光さん、おはようございます。
早速ご訪問、投票、書き込み有り難うございまーーーす。
本当に飛鳥地方ののどかな風景は癒されますねぇ。。それもこれも現地の方々が飛鳥の地を護ってくれているお陰ですよね。
あの田んぼ、全然表示も何もされていなくて、それこそ現地のガイドさんに案内してもらわなかったら、私たちはおしゃべりをして通り過ぎるところでした。案内してもらうと、気づかないことにも目をやることができて、本当に感謝です。
犬養毅さん、学生のころ先生の講義を聴くことができ、とっても幸せでした。素晴らしいお声が今でもよみがえります。そのころそんなに興味があるわけでもなかったので、申し訳ないような。。。
×印は時々目にします。私は光を利用していますが、ブロバイダーのせいだと理解しています。遅いんですよね。それとも人気があって、混み合っているとか、うふふふふ〜そんなわけないか。。。
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