2026/10/23 - 2026/10/23
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しろくまクンクンさん
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大神宮下駅を下車しました。
意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)へ行きました。
景行天皇40年、皇子日本武尊が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために天照皇大御神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが創始です。
江戸開府の頃、徳川家康公(1546~1616)は当宮に社領を寄進、奉行をして本殿・末社等を造営し、以来江戸時代を通して五十石の土地が幕府から寄進され幕末に至りました。
船橋発祥の地へ寄りました。
日本一小さい船橋東照宮へ行きました。
徳川家康が船橋大神宮の神主の屋敷に宿泊したことから始まったと伝わります。
元和元(1615)年豊臣家を滅ぼした後の11月東金鷹狩りの帰路、家康は船橋御殿に宿泊。その晩、船橋は町じゅう消失の大火が起こり、家康を狙ったといううわさも。
その後、船橋大神宮宮司・富氏は御殿跡地に家康を祀り「東照宮」を建立しました。権現=ごんげん様と崇められ、境内には「御殿稲荷」も。日本一小さい東照宮とも言われています。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大神宮下駅を下車しました。
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意富比神社(船橋大神宮)へ行きました。
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松並木の参道です。
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親子の狛犬です。
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拝殿です。
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拝殿内は工事中です。
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青空がきれいです。
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天之御柱宮です。
多分白木の鳥居でしょう。 -
下宮への鳥居です。
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豊受姫神社(下宮)です。
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皇大神宮御神域内御丈殿の北側に御酒殿と並んでいました由貴御倉を第六十二年式年遷宮の後に譲与いただき、豊受姫神社の造替えのために移築した神宮宮殿舎です。
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八雲神社です。
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かなり古く角が取れた狛犬ですね。
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灯明台です。
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大島神社です。
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常磐神社への鳥居です。
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鳥居の先から灯明台が良く見えます。
明治13年(1880)に完成した和洋折衷の建物で、現存の中では国内最大級の民間灯台です。 -
かって船橋沿岸を航行する船は意富比神社の境内にあった常夜灯を目印にしていました。
この常夜灯は慶応四年(1868)の戊辰戦争で社殿とともに焼失しました。
明治十三年(1880)現在の灯明台が再建され、明治二十八年(1895)に停止されました。 -
常磐神社は工事中です。
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江戸時代には「関東一宮両御神社」「関東一宮船橋両社」と意富比神社と並び称されていました。
残念ですが彩色鮮やかな神社としてよみがえる日を楽しみにしましょう。 -
西側の入り口です。
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船橋地名発祥の地の碑です。
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伝記では日本武尊が東征の折、海老川を渡るために舟を並べてその上に板を並べて橋を造ったされ、そのような舟で造られた橋のことを「船橋」と名のったようです。
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船の先には龍にまたがった日本武尊です。
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廣瀬直船堂です。
創業300年を超える歴史ある和菓子店です。 -
今の店は1918年(大正7年)に建築された切妻造瓦葺の建物で、千葉県船橋市の景観重要建造物に指定されております。
本日は休みなのかな??? -
廣瀬直船堂の向かいに厳嶋神社がありました。
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日本一小さい船橋東照宮へ行きました。
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船橋御殿は東金周辺に鷹狩りに出掛ける徳川家康のために造られたもので、慶長19年(1614)前後に造営されたと考えられています。家康の子、2代将軍秀忠も宿泊・休憩しましたが、それ以後、将軍家の東金周辺での鷹狩りは催されず、船橋御殿は廃止されました。同地は貞享年間(1684~88)に船橋大神宮神職の富氏に払い下げられ、それからしばらくし、富氏は御殿跡の中心部に家康を祀る東照宮を建立したと伝えられています。現在の東照宮の社殿は安政4年(1857)に再建され、昭和2年(1927)に修繕されたものです。
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「御殿稲荷」も。日本一小さい東照宮とも言われています。
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「見ざる」「言わざる」「聞かざる」東照宮ですね。
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